はてなキーワード: 大人の事情とは
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
フューチャリングのことだったら、〇〇feat.△△みたいな表記の場合、〇〇の方がメインで△△は協力者や演出家ですよって感じ。〇〇の新しい側面を△△が見せちゃいますよ、みたいな感じだ。
特に楽曲での使用が多いだろうからそれで話を進めると、作詞作曲に手を貸すのはもちろん、一緒に歌ったり演奏したり、ミュージックビデオに出演するだけだったり、色々だ。
全部やっててどっちがメインかこれもうわかんねえな!ってのは、本当はコラボレーションと呼ぶべきだが、まあ大人の事情でフューチャリングだったりする。
特殊なものだと、メインの方が勝手にインスパイアされて、後からインスパイア元に許諾を得てフューチャリングと銘打つことすらある。こういうのはどっちかっていうと映像作品に多い気がする。あくまで個人的にはだが。
長くなったが、そんな気にしなくてええで!!
@saorin0212
私が今回実名で声上げたのは今後の公金や諸々助成金やメディア出演等を全て捨てる覚悟で大袈裟でなく本当に人生かけて発言を決めたので、その位の覚悟ないと本質に切り込む発言はできないんだと思った。
未だ他のNPOが声上げない現状もだし普通は色々なしがらみや大人の事情があるのかもな #アベプラ
@saorin0212
32分
んー🤔本質に切り込めてない感じで言いたい事沢山なんだが結局テレビ仕様なのかな?
こういう声もある。
もらっているのは内輪だけ。
大空幸星
@ozorakoki
ここまで話してこんな感じとは残念!行政やNPOのSNS相談はほぼLINE相談。携帯を買い与えられている子どもだけでなく全ての子が1人1台端末やパソコン室等、どこからでもチャットで相談できる仕組みが必要なので進めてきた。ネット上でずっとやっている話は不毛で終わせてくださるそうなの期待してます!
@fujitatakanori
返信先: @immr96さん
出るよ。今村ネキも観てね。MCの大空幸星さんのNPOの1億5000万円の開発費を叩いてやっから笑
これは全額公金で税金なんですよね。
もう一つを叩き出したら、こういう話にしかならない不毛なことをずっとネット上ではやり続けています。
クソくだらない話は終わりにしてやるから、見ろください。
これはColaboの違法な不正会計をバラせば怪文書を流して補助金をカットするって言う脅し。脅迫ですね。
コラボに不利な監査結果が読み上げられるとあごに手をやってますね。動揺が隠せない。どう嘘をつこうか焦りまくり。バレバレ。
既に日本財団の回し者で税金を横領していることはわかっているので、今度書類を開示請求しよう。語るに落ちすぎ。
@kappa_koubou
今回の経費計上問題において、Colaboの貸借対照表を作成したのは #矢崎芽生
NPO会計基準会計、NPO法人会計基準専門委員 基準の策定有識者。一連の不当計上では、公認会計士協会懲戒処分対象?#暇空茜 #仁藤夢乃 #colabo
BAR HOPPER
@syge3
1時間
今、#アベプラ に出てる #若原芳治 (税理士・公認会計士)、若原会計事務所(愛知県)って、 #矢崎芽生 さんが理事を務める #NPO会計税務専門家ネットワーク に所属してる人物だね。
#Colabo問題
⬇️
https://npoatpro.org/index.html
公開名簿
⬇️
https://publish.d2courmges1yt4.amplifyapp.com
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はっきり言って馬鹿だろ。完全に利害関係者じゃないか。白って言い切れない以上コラボはクロ。不正どころか税金横領しているでしょう。歯切れ悪すぎだしよく出てきたわ。
藤田孝典はColaboの活動内容を知らない。特殊だ必要だというだけで中身を知らない。大空も知らない。だから擁護できない。
簡単に言うとコラボは税金を横領しているだけでなにもしていない犯罪者だから。
誰も知らないんだから活動しているわけがない。そら擁護も難しい。藤田孝典は消されるのはちょっとかわいそう。
@fujitatakanori
仁藤さん、colabo、他NPOも総じて出演にいたらず、断定的なことは何も言えない状況下でしたが、現状を知る人が増えればよいと思います。
ね、知らないでしょ。
やん
@skd7
これからアベプラでColabo問題を扱うのですがリディラバ安部敏樹と藤田孝典はColabo側の人間というのをまずは抑える必要があります。秋葉原、オタク文化叩きという点ではひろゆきもColabo仁藤夢乃と対して変わらなかったりします。ただひろゆきの意識は一般人と同じなので安部、藤田よ…
@miyawakiatsushi
@miyawakiatsushi
論外だよ、こいつ。
からかさ
@2TVTAqwjHqF7G9K
でなきゃこんなことは言えないよ。領収証が盗まれたら個人情報が漏れるから領収証がない?じゃあ自腹でやれよ。甘えたガキかよNPO法人って泥棒の集まりなんですか?
これも事実。
Jordu (城堂 慎之介)
@Jordu04776828
#Colabo
#Colabo問題
#ブント
http://toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2933&syosekino=2002
そもそも監査結果が出る「までに」出せないのは不正であり違法。健康診斷じゃないからね。完全に終わってるよ。コラボは税金を横領している極悪非道な反社です。やっているのは恫喝ばかり。これが違法じゃなくてなんだよ。さっさと特捜が家宅捜索するレベル。弁護士事務所もそう。厚生労働省と法務省は有識者会議をやり直し。法律も見直し。
あとこんな不正経理をやってだまくらかして大空を黙らせてたらNPO法人なんてやらないよ。大空の言うとおりだよ。藤田孝典は大空ではなく正論に破れた。
座席のランク付けはまあ改善してほしいかな。俺ははじめから最上位ランクは地雷だと思ってたけど。
でもくだらん理由で楽曲を「排除」した事実を俺はずっと覚えているからな。
主催だろ?それを決めたのは。ライブ運営側にそこまでの権力は無いはずだ。
そのくせタイアップ曲が「排除」されうるCDが物販から除外されてなかったのガバガバすぎでしょ。
コンテンツを生み出す側が、大人の事情かなにか知らんがくだらん理由付けて自ら生み出した表現を規制したという事実を、俺は覚えているからな。
元凶かもしれない何某のことを、この件に関して言えば俺は1ミリも悪いと思っていない。
まあやらかしたのが事実であればそれはそれで罪を償ってくれ。ばかやろう。それだけ。
結局、ライブから「排除」するという判断を下したのは紛れもなく主催に違いない。
別に「排除」しなくても良かっただろ?世間から何か言われるかもしれないが、どうせしばらくしたら何事もなかったかのように振る舞うんだろ?なんで「排除」するの?
たとえ慣例だろうと、契約内容の履行だろうと、あなたがたが何も言わずにダンマリでいる限り俺はあなたがたが「排除」したと確信し続ける。
子供には幸せに健やかに健康に育って欲しい、そりゃみな同じだろう
正解なんてもんはないだろう、それぞれでいい
二年半自宅に幽閉されている子も多いが俺は毎週末息子を連れて出歩いていた。
どっちが正解だったんだろうかね、答え合わせは遥か先だろう。
俺は二年前の時点で貴重で多感な時期に経験値を上げてやるほうがコロナのリスクよりも優先順位が高いと判断した。
4歳の息子と公園で遊んでいると同じ年頃の女の子が近づいてきた
女の子はじっと見てるだけで無言、母親の指導通りの対応なのだろう。
俺の目には一緒に遊びたがっているように見えたが母親に連れられてどっか行った
別の日、車で大きな公園に行った
息子が自転車で走り回っていると同じ自転車に乗った同じ年頃の女の子と出会った。
息子「同じ自転車だね、ペダルできるんだ、一緒じゃん、競争しよ」
母親はおらず父親だけ、迷惑な素振りだったので引き離す方針決定。
とはいえ4歳の子を強引に引き離すのもどうかと思うわけ、すでに二人共楽しそうだし
迷惑だと感じる親御さんもいる、そりゃわかる
でも未熟な4歳だと強引に引き離されても納得できんじゃん、
他の子と遊ぶのも社会的に、大人の事情的な、諸々の制約がある、世の中って面倒くさいよね
そもそも安全と信頼が担保された環境で子育てしたけりゃ子供向けスポーツクラブを利用すりゃ良く公園に連れてくるなよ、こういう場所は子供同士が仲良くなって遊ぶのも本来の機能じゃねぇのかと言いたいが、そういうの大人気がないから言ってはいけないよね。ダメダメ、なんてことを考えながら
ともかく並んで走っているのを見守りつつ引き離しのタイミングを見計らっていた
父親が娘に車まで水を飲みに行こうと誘った時点で察してそのすきに息子を別エリアに誘導した。
息子は気持ちの切り替えが秒なのでもう別の子に「一緒に遊ぼ」して今度はトンボを追いかけてる。
俺は水を飲んで戻ってきた件の親子を遠目に認識はしていたので見つからない距離を確保していた。
ところが、再会した、
だがなぜか息子は冷たい、一緒に遊ぶの拒否する態度。
もしかして意図的に引き離したの理解しちゃってる?4歳の知能や気遣いをナメてた?
「いいよ、一緒に遊びな」
また一緒に遊ぶことになった。息子もノリノリで楽しそうだからよかろう。
聞くと女の子は息子と遊ぶのが楽しかったらしく探してくれてたらしい。
普段の娘は人見知りで初見の友達とこうして遊ぶことは珍しいのだとか
逆にだから娘が傷つかないように他人と絡んで遊ぶのを避けようとしたのだろうか?そこまではわからんが
迷惑そうに感じたのは俺の思い過ごしだったのかもしれない
双方嫌な思いはしたくないし、方針主義思想を押し付けられたり押し付けるのも嫌だよね。そりゃわかるからさ。
お母さんがそういうコミュニティで生きてるからだと思うよ。たぶん旦那さんのお金でハイブランドを買うのが常識なんだろうと思う。増田がいうようにハイブランドに限らず、ものに絶対普遍の価値なんかないけど、ハイブランドは高っっかいという点で相対的な価値を認められやすいし、とてもわかりやすい。「いい」かどうかを定めるプロセスは人によって全然ちがうけど、ハイブランドは「いいですね!!」と言いやすいし褒めやすい。そういうところでハイブランドが絡んだコミュニケーションには間違いが起こりにくい。ついでにハイブランドに金を払っているというのは、それにに価値を見出して、たくさんお金を払ったという覚悟や意思表示のプラカードでもある。いろんなことがとにかくわかりやすいので、わかりやすさを求める人たちに人気がある。そういうビジネスが成り立っている。基本的には幼稚園でお友達がポケモンの話をするから私もほしい、と似たことだと思うけど、お母さんにはお母さんなりの大人の事情があるのだと思う。ただ、きっと所属を変えれば影響されて全然別の価値観を持つようになる。ハイブランドの服飾品それ自体を自分の生きた言葉で品評できる人はハイブランドにハマりづらい。富にも寒貧にも美しさがあって、理解さえできるなら、より洗練された寒貧のほうが味わい深いというのは誰にでもわかることだから。
公式が解釈違いとか何言ってんだよ公式が正義だろと思ってた時期が私にもありました。
というよりかは公式の推しのために整合性が破壊されることがある。
公式の推しを上げるために別のキャラが弱体化なりクズ化なりすることがある。
これは本当にある。
色んなコンテンツを見てきたけど、公式の推しは露骨に「このキャラ推されてんな」と思う。
異様なくらい出番があって、異様なくらい他のキャラを食って、異様なくらい間違えなくて、異様なくらい登場人物に持ち上げられ、良いポジションにいく。
公式の推しが自分の推しであれは解決するんだろうけど、自分の推しは公式の推しを上げるために改変され下げられる側のキャラなんだよな。
悲しいね
大人の事情とかもあるのだろう。
だけどファンに事情があるんだなとわかるくらい露骨なのと、その推しのために他のキャラを下げることをやめてくれ。
気持ちよく金を出させてほしい。
切に願う。
最近のガンダム語りを見てて書きたくなったから書く。おっさんだが、ガンダムは最近まとめて見た程度。リアルタイムでは全然見てなかった。
ZZガンダムでは、グレミートトが好きだ。圧倒的に好きだ。なぜなら序盤でマシュマーにこきつかわれる新兵として登場しつつも最終的にラスボスへと至る圧倒的成長をするから。
(シャアを出せなかったシナリオ上都合上、そうならざるをえなかったとか大人の事情は聞かなかったことにする)
同様に、ビーチャも只の悪ガキとして出て来たにも拘わらず最終的にネールアーガマの艦長代理を務めている。
Zガンダムなら、ファ。カミーユにくっついて来ただけなのに、いつのまにやらメタスに乗ってるし。
Vガンダムだったらオデロ。。。つらい。。。
単に成長すればよい。という訳でもない。
主人公は主人公であるがゆえに、最初弱くとも成長が義務づけられているから。
ジュドーはなんかすごい能力持ってることになってるみたいだし、ウッソであれば変態的なエリート教育を受けてるし。
ジョジョならば最初っから全員強そうな風格がある3部より、4部。とりわけ康一君だ。
これはシン・ゴジラを踏襲した手法で特撮愛を形にした点で共通しているが全くアプローチの異なる映画だ。
シン・ゴジラはゴジラという存在を借りて庵野樋口が好き勝手再構築した映画
シン・ウルトラマンはウルトラマンという作品を庵野樋口が再構成した映画だ。
なので観る人がどういうイメージを持って観に行ったかによって捉え方が全く変わるだろう。
ウルトラマンを元に再構築して欲しかった人にも肩透かしになっただろう。
そしてウルトラマンを今に蘇らせて欲しかった人には最高の映画になったと思う。
シン・ウルトラマンは原作となったウルトラQからウルトラマン最終話までを120分に押し込んだ映画だ。
これは本当に構成が上手い。情報量が多く展開が早いため120分があっという間で下手をすると振り落とされてしまう。
怪獣製作する上での裏事情をうまく解釈し直し生物兵器としたのは素晴らしい。
隊員の巨大化やちゃぶ台を挟んだ駆け引き(これはウルトラセブンだが)などウルトラマンの各エピソードを拾い一つの流れに組み込み、ゼットンの再解釈は思わず唸らされた。
そこか!そこでウルトマンのあのシーンを挟むのか庵野このやろう!!wwと思わず笑ってしまった。
だからこそ、ファンでなければ面白さが伝わりづらいという弱点がどうしてもあると思う。
予備知識なしに見る人はどこに収束しようとしているのかわからない。
シン・ゴジラには物語の冒頭から終幕までゴジラという明確な敵役がいたが、シン・ウルトラマンは何度も事件が起こりそのたび敵が変わるからだ。
自分はウルトラマンをしっかり観たことはないが一応メフィラス星人やゾフィー、ゼットンなどを知っていたのでなるほどこうきたかと思ったが、それすらない人にはどこが物語のクライマックスになるのかわからないだろう。
なので賛否が起こり評価はおそらく大きくバラつく。ある人には最高、ある人には今ひとつ。そういう映画だ。
シン・ゴジラはゴジラというテーマをベースに日本社会を描き出したので特撮ファン以外にも開かれた映画になったが、シン・ウルトラマンはウルトラマンに愛がある人に受け入れられるストライクゾーンの狭いものになるのではないか。
また、シン・ゴジラはシリアスに物語が進むからこそ笑いになっているところがあったが今回は全体的にコメディ的に味付けがされていてそこを良しとしない人もいるだろう。
ほとんどの人には
「シン・ゴジラのウルトラマン版を期待したのにそうでもなかったなー。」
カメラワークは広角レンズが多用され物陰から見ているかのような構図が特徴的だった。そしてカット割が多い。
禍威獣パートをは人間視点で、人間ドラマパートも小人や透明人間になって複数人で観察しているような感覚だった。
もしかしたら映画を見ている我我も外星人としてこの地球のいく末を観察する役割を与えられていたのかもしれない。
巨大化した美人キャリアウーマンはこれは新い性癖きたなと思ってしまった。普段酒に酔っ払って路上で寝ているのが仄めかされたのもとても良い。メフィラス星人と神永が公園のブランコで対話をしているシーンは「薄い本になりそうだな〜」と思った。
役名は明かされなかったが竹野内豊がおそらくシン・ゴジラの赤坂と同じ役で出ている。これはシン・ゴジラの世界とシン・ウルトラマンの世界がマルチバースであるということだろう。
そうしたのもゴジラ、ウルトラマンと大人の事情で同じところに立てない作品の両作品への庵野の愛を感じる。
じゃぁなんで斎藤工は戦車に乗ってないんだとなるが、まぁ斎藤工もマルチバースで巨大な敵と直接戦っているということで笑
ウルトラマンでは田舎や都会で戦うことはあってもミニチュアが大変な工場というのはなかなかなかったのではないか、夕暮れ近い工業地帯での巨人の肉弾戦は庵野が一番観せたかった絵だと思う。
アニメ映画や洋画で芸能人が吹替をすると、だいたい「下手くそ」「合ってない」「餅は餅屋」等の意見を見かける。勿論観てそういう意見が出るのは分かるが、ひどい時は見る前から決めつけている人もいる気がする。
だけど「そんなに酷いのか?」と思って観てみると、案外そうでもないことがある。その芸能人だけに絞ってみたら技術的には周囲から劣っているとされても、作品の持つ雰囲気や演じたキャラクターのことを考慮したら合ってるというか。
前提として、オンエアされていたり公開されているということは、作品を作る上で責任者(監督になるのか音響監督なのか、はたまた原作がある場合は原作者なのかよく知らないが)がOKを出しているはずだ。
下手くそと言われている芸能人(時に本職の声優も含めて)は、あくまでもオーダー通りに演じているだけのはずである。
世に出ていないだけで、演者が「こうかな」と思って演じていたとしても、(それがある程度のニーズに応えられるものだったとしても)、上がNOと言ったら演者はプランを変えるしかない。あの人たちはあくまで下請けで、上からの指示に応えられないなら他の同業者に仕事がいくだけだ。
勿論そこに大人の事情が絡んでいることもあるだろう。芸能人は尚更。しかしその辺全てすっ飛ばして、演じた側に全て非がある、とするのは、そろそろ難しいのではないかと思う。知らんけど。
元々、グラフィックデザイナーとか装丁デザイナーとかになりたかったんだけど、
就活失敗して、誰でも入れるアポ電営業みたいな、派遣で、数年人生無駄にして、今ようやく業界特化の情報誌の編集室に入った。
あーやりたいこと100%じゃないけど皆いい人ばっかだし、なんとなく楽しいな~って思ってた。
けど!!
4年目にしてそろそろしんどい。
しかもめっちゃディープな業界専門誌で、その業界にはミリも興味ない。
あと私はまじで今ナウなヤングに爆流行りの鬼滅の刃に出てくる派手柱よろしく派手ッ派手なデザインが好きなんだけど、業界的にというか印刷コストの関係というか、そういう大人の事情でモノクロかつインクをけちった、余白まみれのシンプルなデザインしかできない、悔しい。
モヤモヤしながら、でも転職を繰り返すのも良くないと思ってたけど、コロナになって色々変わると、やっぱモヤモヤが濃くなってる。
転職しようにも、最低限ソフトは触れますみたいな程度の業界スキルと、全く育たなかったデザインセンスで、誰が雇ってくれるってんだ。
あと超絶田舎でバスが一時間に一本あるかないかみたいな、こんなところで、そんな求人ねーよ。今もコロナなのに往復3時間以上かけて通勤してるのに。いや、金はあるんだから都会へ引っ越すか?それもそうだな。
つらい、しんどい。
新しい概念でまだ社会的にも現在進行形で起こってる解決していない問題なので、錯乱するのは容易に想像つきます。まず学校の相談員に打ち明けたほうがいいでしょう。ネットをガス抜きに使うには他人は他人である強い軸を持つ人ではないと使いこなせないです。自分もそうです。ガス抜きの話に戻ると知り合いたちが裁判所を見に行きたいと傍聴しに行ったら刑事裁判で複雑な話で終わった後みんなゲッソリしてたそうです。裁判自体、普通に生きていたら馴染みもないですし家族に今日あったこととして話して頭を整理するのは難しいです。なので知り合いたちで今日あったことの感想や思ったことを話すことでガス抜きしたようです。最近LGBTが言われてますが、昔の人権活動の延長線上で行われているものの一つと思います。過去、大人の事情によりトラブルが絶えない領域ですしその時代の大きい声で決まっていくものなので家族に相談しても社会的な答えが返ってくるかもしれないですし子供が一人で考えるにはあまりにも難しい問題です。こういう悩みは、外部に絶対口外しない守秘義務のあるカウンセラーや相談員に胸の内を打ち明けるのがおすすめかなぁと考えます。
できれば2人紹介したかったが、1人に留める。
ここまでの6人は問題ない。何かあっても私が責任を取ろう。が、この2人は今でもK市で働いている。うち1人は男性で、接触当時は入庁4年目だった。
協調性がないとの評判であり、人事評価では直属の上司から「免職を促すことが相当である」とのコメントが入っていた。しかし、実際に本人と面談してみると……といったパターンの子だ。本質が見えていないのは上司の方だった。
残り1人は女性で、接触当時は入庁1年目。先に挙げたGさんと同じく直向きな職員だった。地元の新聞記事にも「期待の新人職員!」という記事が載るほどに期待されていたのだが、残念なことに、頑張りすぎてうつ病になってしまった。その後のじりじりとしたリハビリと、復活後の活躍には目を見張るものがあった。よって、この子を取り上げようと思っていた。
迷ったが、男性の方を選んだ。理由は私と同性で、気質も似ているところがあったので心の内部を覗きやすいと感じたからだ。登場人物の男女比の関係もある。仮に、E太さんとする。
私が特定任期付き職員として採用されて3年目のことだった。E太さんと話したのは。彼は入庁4年目だった。ある意味で先輩にあたる。
当時は20代後半で、福祉の部署で働いていた。といっても、ケースワーカーや自立支援、福祉事業者の審査といった類ではなく、裏方の仕事だった。直接福祉の仕事に携わることはなかったが、それでも部署全体を支えるポジションだったのは間違いない。
梅雨時のある日、彼について人事面談をしてほしいと福祉課長から依頼があった。このE太さんというのは、いわゆる問題職員という扱いだった。私は、彼のいったい何が問題だったのか、その時は理解していなかった。が、K市の問題職員リストにE太さんが名を連ねていたのは事実だ。
福祉課長によると、彼には以下のような問題点があり、人事で指導してほしいという。
・みんなと協調的な行動を取ることができない。自己中心的である。
今回は3点目で引っかかったようだ。
いろいろと調べていったが、やはり机上のデータでは見えてこない。他の福祉課の職員から聞き取った情報も総合すると、先週あった課全体の飲み会でひと悶着あったらしい。
うす暗い飲み屋の片隅に座っていたE太さんが、近くにいた福祉課長やその他先輩がいた席まで呼ばれた。「この間のことで話がある。ちょっとこっちに座れ」と言われたE太さんは、ダイレクトに断った。「行きません」と突っぱねたとのこと。それで先輩職員らと口論になって、そのうち優しめの先輩職員が彼の席に移ってきて、まあ飲みなよとお酒を注ごうとしたところ、これもまた「帰りがバイクなので」(※真偽はわからない。E太さんの嘘かもしれない)と断った。
そんな態度に憤ったほかの上司や先輩が、E太さんに詰め寄り、お酒を吞ませようとした。それでも断固とした態度のE太さんに、先輩は次第に声を荒げ、ついに係長級の職員がE太さんの首根っこを掴んだところで、「やめてください!」と彼が拒否して……市役所職員の宴席から大声が響いたものだから、近くに座っていた別のお客のグループが店員に静かにさせるよう苦情を入れるも、店側も注意ができず……翌日になって、その居酒屋で飲んでいた人が市役所に直接クレームを入れたというのが顛末になる。
福祉課長の言うことは明らかに自分寄りである。ここまでのハラスメント行為があったとは聞いていない。私がほかの係員に聞き取りをしなかったら、あやうくE太さんだけを悪者にするところだった。
彼にしても、飲み会に参加したなら、もっと仲間意識を持つ必要があった。飲み会は、「供食」の場だ。供食は仲間同士でしかしない。古今東西、自分達の敵と一緒に食事を取るなんて文化はない。一緒に食事を取るということが仲間であることの証なのだ。昔の人間というのは、そんな儀式を神聖視せざるを得ないほどには、人間や組織の生き死にが間近にある生活をしていた。
ある日の午前、窓ガラスに雨粒が叩きつける中、面談室に入ってきたE太さんはソファの前で立ち止まった。「座ってください」と私が言うと、彼はゆっくりと腰かけた。
初めに言ってしまうと、私はE太さんがそこまで悪い人間ではないとわかっていた(後述)。それで、リラックスしながら、今日は何を話すんだっけ? とバインダーに挟んだ聞取票を手に取った私は、簡単な挨拶の後、E太さんとのやり取りを始めた。
「朝ご飯は食べた?」
「はい。食べました」
「どんなものを?」
「どんなカップ麺が好き?」
「特に好みはないです」
「そうか。私も毎日そんな感じだ。おにぎりとカップ麺は合うよね」
「そうですね」
「E太さんは、バイクだっけ?」
「私は……バイクではありません」
「バイクじゃないの?」
「自転車です」
「そういう意味じゃありません」
※重ねて言うが、これまで私が記してきた会話の記録には不自然さが否めない。方言や言葉の癖など、個人情報に関わる内容を編集していることによる。
指導を目的とした人事面談というと厳しいイメージが漂うだろうが、相手が筋金入りの問題職員でなければ概ねこんなスタートを切ることが多い。信頼関係を築くためだ。
雑談が続いた後、いよいよ問題の核心のフチに触れる問いかけをしてみる。
「それで、福祉課長から聞いた件なんだけど。今回の面談のきっかけ」
「……はい」
「周りの職員のこと、どう思ってる? この人は好きとか、嫌な人とかいる?」
「特にいません」
「E太さんの態度や行動が、同じ課の職員を傷つけることがあるみたいだ。私も調べてみたけど、そう思ってる人も確かにいる。どうしてこの結果になってしまうのか、考えていることを教えてほしい」
「普通に、とは」
「正しいと思うことを言ったりやったりして、でもほかの職員からするとそうでないみたいです。嫌われるのはわかっても、でも自分がやるべきだと思うのでやっています」
思ったより早く本音を出してくれている。チャンスだ。私は、聞取票が挟んであるバインダーを机の端に裏返しに置いた。ここからのやり取りはうろ覚えだ。
「E太さん。せっかくの機会だから、腹を割って話そう。公文書には残さないから、もうこのバインダーはいらない。一対一でE太さんと話したいと思ってる。ところで、私のことは知ってるよね。ここのプロパー職員じゃないって」
「知っています。2年前にK新聞(※地元情報誌)で読みました。〇〇社の出身で、人事領域のプロだと書いてありました」
「知ってるんだね。ありがとう。でも、プロと言えるほど経験は積んでない。社会人を20年以上やっているけど、人事は6年くらいしか経験がない。ほとんど営業だった。大人の事情というやつで、プロにはほど遠くてもプロなんだと――そうアピールしないといけないことがあるんだ(ここで両者の笑い声があった)。で、話を戻すけど、E太さんはどうして今の状態を保ってるのかな。変えてみたいとは思わない?」
「キツイと感じることはありますが、これでいいと思っています」
「どういう理由で、キツくてもいいと思ってる?」
「自分のやりたいことがあります。社会人として、こういう生き方がいいって。それで、その目的から逆算して考えると、今は人間関係よりも実力がほしいんです」
申し訳ないがここまでだ。これ以上は、私の記憶からE太さんの口述を曝け出すことはしない。
簡潔に言うと、彼は仕事が一番ではないタイプだった。E太さんの人生の優先順位の中で、仕事は3番目ということだった。だから、民間から公務員に転職しようと思ったし、だから、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれたのだ。
肝心なことを述べていなかった。E太さんの仕事ぶりだ。毎年、人事課に提出される査定表で、彼は3年連続で5段階中の2を取っていた。もちろん低い数字だ。実務能力は平均3.5だったが、礼儀やマナー、人格、職務遂行姿勢などで大幅に減点を受けていた。
私が再調査したところだと、彼の査定は控えめに見ても3はあったように思える。福祉課で彼と同じくらい「人柄が悪い」と評価を受けている人間も、その多くが3を取っていた。それに彼は、年は若いが福祉課の裏方として3年以上も職場を支えてきた実績がある。
ちなみに調査方法だが、①人事権限で福祉課の共有フォルダに入ってE太さんの成果物を確認する、②E太さんの同僚を面談室に呼んで印象に残った行為や実績を聞き出す、③過去のE太さん関係の始末書を読み解く――という3通りの方法で行った。確認できた事実は以下のとおりだ。
・オフィスソフトの腕前は一流である。パワポもExcelもAccessも使いこなせる。文も読みやすい。
・プレゼンテーションの能力が高い。普段は物静かだが、かつて大都市の商工会議所で行われた各市町合同での新人職員研修会の折、K市の未来について数分間のスピーチを行い、拍手喝采をもらったとのこと。
・事業計画立案。E太さんは広告会社の出身だった。その経験を活かし、福祉課の裏方としてケースワーカーなど福祉職を支えるための各種設備・インフラを整えるための計画書を作り、それがそのまま課の予算要求に使われていた → ということは、彼の上司はその仕事振りだけは認めていたということだ。
・福祉課の職員からの苦情はあるが、市民や取引業者とのトラブルの記録はない。
・年下の職員には人気があるらしい。例えば、彼が選挙のスタッフとして従事した際、開票作業の前に事務吏員の腕章をみんな装着するらしいのだが、「安全ピンが刺さりそうなので、私の腕に腕章をつけてください」という体で、何人かの女子職員がE太さんの前に並んでいたという。尾ひれが付いているとは思うが、そういうこともあったのだろう。
私が退職するまでの数年間で、E太さんと呑みに行くことが何度かあった。まさしく意気投合であり、今回ここまで赤裸々に彼のことを書いてきたのも、彼なら笑って許してくれるだろうという甘えから来ている。
私は、彼が悪い奴ではないとわかっていた。上の面談の1年前のことだ。かなり広めの川べりで行われたK市の音楽イベントに、私と彼もスタッフとして動員されていた。ステージ発表が始まると、スタッフはみな暇そうに周辺警備をしていた。
さて。一級河川にかかる橋の袂だった。カートを押している高齢のおばあさんがE太さんに声を掛けた。私は、高いところから偶然それを眺めていた。
E太さんは、話しかけてきた老婆としばらくにこやかに話をしていた。その老婆は、さっきはE太さんの上司や、ほかの若手職員にも声をかけていた。誰もが皆、迷惑そうに会話を切り上げてどこかに去ったというのに、彼だけは、その老婆の話し相手をしていた――貴重な体験だった。こういうところに人格が滲み出るのだ。
とはいえ、このままではE太さんの株は落ち続ける一方だ。それに、職員を傷つけるような冷たい態度もよくない。社会人には、絶えず相手を不快にさせないよう振る舞う義務がある。会話をしたくなくても、そうした態度をおくびにも出さず、明るく振る舞わねばならないことだってある。わかっているのといないのとでは、社会生活に大きな差が出てしまう。
E太さんに何度も伝えた。「こんなのはもったいない。もっと仕事に打ち込んで、本気をアピールして、みんなの信頼を集めてみたら?」と伝えてみたが、なしのつぶてだった。こちらとしても、今の状態でE太さんを問題職員リストから外すことはできない。どこかの部署で重大な人間関係トラブルを起こす可能性があるからだ。私はE太さんのことが好きだけれども、それとこれとは別問題だ。
結局、私が辞める時まで、E太さんを理解する人は少なかった。孤高で、人とは交わらない。でも仕事ができて、市民や業者からの受けがいい。いろいろと惜しい職員だった。今でも彼を思い出すことがある。今度K市に遊びに行った時は、また彼を呑みに誘うつもりだ。
この章の最後に。なぜ、私は彼を好きになったのか。
『渇き』を感じたからだ。E太さんは人生に飢えている。自分がやりたいこと、どんな人間になりたいのかはっきりしているのに、叶えられずにいる。叶えられる保障もない。
でも、足掻き続けている。まるで昔の私自身を思い出すようであり、懐かしい感じが脳内からビンビンと込み上げてくる――ビールは、渇いているからおいしいのだ。いつかE太さんが大成して、そんな美味を楽しめる未来があることを祈っている。