はてなキーワード: 大人の事情とは
あの継ぎ接ぎ、チグハグ感、それがそこにあるべきという必要性を感じない、目の前に落ちてた素材をなんとなく陳列しました、みたいな雑感
もっと日本文化や現代のポップカルチャーを存分に活かした魅せ方はできたはずで、大人の事情で魅力的な素材を手に入れられなかったとしても、あの素材をもっと素晴らしく魅せる演出のやり方はいくらでもあったように思える それこそ、野村萬斎、MIKIKO、椎名林檎らはそれができる人材だった
日本ほど昔から今現在も幅広く独自の文化が発展しまくっている国は世界でも有数、つまり日本という題材は魅力的な素材がいくらでもあって、それは素材が乏しい題材に比べたら圧倒的アドバンテージを誇っているはずなのに、あの出来であることを恥ずかしく思う コロナ禍といえ準備期間も金もあったはずで、その金がどこかに消えて組織は脆弱で人が辞任して、そういう問題含めて結局結果を出せてないのだから、本当に恥ずかしい
ゲーム音楽だってもっとやり方はあっただろう ドラクエ、FF、モンハンの曲だって、日本人の半数以上〜七割が知ってるかどうかくらいじゃないか
王貞治ら三人衆なんて、今の若い子が知らなくても無理ないし、すでに過去の人なのだから、そんな方々を表に引き摺り出すのも、過去の栄光に日本人がいつまでも縋っているように見える
元ネタを知らなくても、カッコよさやおしゃれさ、演出のセンス次第で「何か良い!ワクワクする!」と思わせることはできる MIKIKO案のAKIRAバイク演出とか、正にそうではないか
ゲームオタクや老人、芸人らの知る人ぞ知るみたいなノリでキャッキャ盛り上がってる様を世界どころか日本にすら見せつけて正直恥ずかしいし、日本の素晴らしさを知っているからこそ、もっと出来るはずだったのに、という悔しさがある
あんなにも金をかけておいて、本当に手作り学芸会を見ている気分だった
コロナは仕方ないとして、悪いのはIOCバッハか、組織委員会か、電通か、なんて突き詰めてもしょうもない 多分全部別ベクトルで悪い
唯一、そのノリだからこそ凄く良さを出せてたのはピクトグラムだったと思う あれは万人受けは難しくても、わかりやすく優しい面白さで、手作り感があるからこそ演出の妙が光って”イイ”と思わせるコントだった
スエズ運河で貨物船が座礁して大渋滞ふん詰まりになったことなんかもうみんなすっかり忘れてる頃、
私すっかり忘れちゃってタコとがあって、
DSのドラゴンクエストVとSwitchのゼルダの伝説クリアするするって言ってたのすっかり忘れてたわ。
再開すれば道なりに進められるはずなんだけど、
ゼルダは一向に何していいか分からないまるで指示待ち族であることは絶対に否定したい!ところ。
木をたくさん倒してみたいところなんだけど、
貴重な斧を消費するのは持っていないし、
なんか武器が貴重すぎて逆に億劫になりすぎているまだ臆病なハートが3つのまま。
ハート3つ分じゃ到底太刀打ちできるのかしら?と弱腰をまるでバックアップも取らずに丸腰でドコモショップに行ってきた勇敢なオカンに見習いたいところだけど、
一向にして何していいか分からないゼルダの最初の祠がまだ4つ全部見付からないところから全然進まないのよ。
ってやかましーわーい!
ベッドのまわりになにもかも脱ぎ散らしてーって
でね、
暇つぶしにDSのメトロイドで周回重ねようかしらとも思うけど、
そんなことなら早くにドラゴンクエストをクエストしなくちゃいけないもはや敵にドラゴン気のある
そんでさ、
RPGの戦闘ってエンカウントしてお行儀良く自分のターンが回ってくるまでその場で足踏みしているような暢気な物なのかしらって?
実際には敵とエンカウントしたらスマブラみたいにごちゃごちゃになって
誰が誰にホイミかけたのかケアルかけたのか常在戦場的なあり方としては、
敵の種類の動きとか技とかを敵の種類分考えなくちゃいけないと思うと冷静になる大人の事情があるのかも知れないし、
敵の応酬と言うよりデカい敵を仕留める感にあふれる感じがジャパニーズロールプレーングゲームではないイオナズンなところなのかも知れないわね。
そうなると敵の種類がたくさん増えてもターン製なら
都合上時間を細かく区切ってごちゃごちゃ感を消しつつ一人一人のターンを大切にする、
なんかうかうかしていたらパーティーがやられちゃう!って緊張感のあるものだったら、
まあ
早くドラクエ感が味わえるところまで早くストーリーを進めたいところね。
いま仲間が2人しかいないので、
これじゃドラクエとも言い切れないとも限らないけどそこがドラクエだと肯定したいペコパ感なのよ。
物理的に詰めるわけじゃないからこの積んだ感じのソフトのやってない積み具合が罪だけど、
動かざること山の如しなのよね。
本当に早くなんとかしなくちゃだわ!
でも、
私のブルーファルコンのハンドルさばきはいつか見て欲しいものよ。
反重力で疾走するマシンが地味にバックするってのを思うとなんかじわるわ。
うふふ。
お昼軽めにして夜も食べないで今日は早くお洗濯して料理番組録画してあるのを観て、
早く寝たいところね。
暑さに慣れていないからだとともに気を付けて欲しいわ。
栄養と水分はしっかり摂るようにって。
8分の1カッツスイカを買ってきたので
半分カッツしてキューブ状の
麦茶もそろそろマジ作ろっかなーってところよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
B'zがようやくサブスクにやってきたわけだが,アーティストのページに並んでる曲のリストを見たら半分以上知らない曲ばかりで驚いた.
自分は40台半ば,B'zがデビューした頃中学生だった.その頃大好きで聞いていた(今は聞いていないとはいわない)TM NETWORKに関連したグループがでてきたよと教えてもらったのを覚えている.高校を卒業するくらいまでは新曲も聞いていたが,だんだんと洋楽を聴くようになってJ-POPをパクリの塊として軽蔑するようになってB'zを聞いていたことを黒歴史として封印するようになった.あの頃の若者っていつかは洋楽に行き着くものでそれが正当な成長とみなされていたものだったよな?最近の若い人には洋楽への憧れをみたいなものがないようなのでびっくりです.
自分が聞いているかどうかに関わらず彼らは活動を続けていたので時々耳に入ってくる曲に対して「なんか男くさい曲ばっかりになったなー」「まだやってんだな」と感想をもつくらいの関わりで過ぎてきた.CDをレンタルしてテープにダビングして聞くという時代だったので,往時に聴いていた音源はとっくに処分し,ふと懐かしくなって聴いてみようかと思っても,サブスクで音楽を再生することに慣れきってCDを再生することすらできなくなっていたので中古のCDを買うわけにもいかず,デジタルミュージックを購入してまで聴く気にはなれなかったので,実はB'zがサブスクにやってくるのは心待ちにしていた.ようやく愛用のApple musicに彼らが登場して,喜んでアーティストのページを開いたら冒頭のように半分以上は知らない曲が代表曲として並んでいるのに遭遇したわけだ.
そんなわけでデビューして最初の5年くらいにポップソングの主要購買層だった人間が作ったB'zのプレイリストに入れた曲に思い出話も付け加えた.昔はこの手の文章は個人がブログにたくさん書いていたものだが,今となっては検索してもそういうページがヒットしなくなった.
この曲はちょっと過小評価なのではないかと思う.MARSというミニアルバムの冒頭に収録されているが,残りの曲は過去曲のリミックスなので実質的に孤独のRunawayのシングルのような構成になっている.そういえばこの頃シングルよりちょっと曲数の多いミニアルバムっていう形態が流行ったよね.歌詞はもろにB'z的な「すべてを投げ出してどっかに行ってしまう男」の歌である.昔誰かがB'zはどこかに行こうと歌い続けながら,ずっとどこにもたどり着かない歌を作り続けている,みたいなことを書いていたが,その典型の歌といっていいだろう.ある意味彼らは20代の頃からずっと中年の危機を歌っているのだ.
今の若い人たちはモノラルっていっても意味がわからないかもしれないが,30年前は音楽をステレオ環境で再生するのは当たり前じゃなかったんだ.だからこの曲の出だしで「Be be be…」とヘッドホンやスピーカーの左右から交互に音が出てくるのにびっくりした人たちがたくさんいたんだよ.スピーカーが壊れたと思った人もいたとかいないとか.ちなみに自分はこの曲よりも前にTM Networkの「Come on everbody」の冒頭で音が左右にふられるのは経験済みだったのでそこまでは驚かなかったが.
少なくとも最初の数年はB'zといえばこの曲だと思っている人が多かったんじゃないか?カラオケでは「あのこは太陽のコマチ,」のあとの「エーンジェール」でみんなで一緒に手を挙げて歌ったものだ.90年代に勃興したCMタイアップという曲の一つだった.この頃はまだ日本が豊かだったなーという感想がでてくる.いわゆる失われた20年だか30年だかに入る前の時代の明るさとポップソングが激しく商業化していく時代の流れを思い起こさせる.
これもタイアップ曲だった.強く美しい女の人を称える歌を彼らはよく作っているがその典型といってもいいだろう.カップリングの曲の方が明らかに彼らに気に入られているように思われるので,タイアップ曲をA面に持ってこざるをえなかった大人の事情でもあったのだろうかと邪推する.当時は考えなかったことをおっさんになると考えるようになる.これを聴いて見えてくる女性像も90年代というか少しバブルの残り香があるように感じられるね.
自分にとっては新しめのB'zの曲…と思ったら1995年発表だった…まだ前世紀だとは思わず.つまりこの時点ではほとんど自分からは追っかけなくなってヒットしたら耳に入ってくるという状態になっていたわけだ.記憶を掘り起こすともともとのB'zらしい曲がひさしぶりに出たなあと思ったような気もする.これは「誰かとずぶずぶの関係になってしまったことを打開したい願望」を歌った曲で,彼らの曲に似たようなテーマが頻出する.これの派生で「自分の狂おしいまでの相手への執着(性欲?)をもてあましている」みたいなテーマも頻出しているように思う.あとは関係ないけど不倫らしき恋を歌った歌も多い.
えーと2001年なんでギリギリ21世紀の曲ですか.もはやこれがB'zの代表曲ですね.さすがにこれは世代を越えているようで,小学生ですら知っている.「ウルトラソウッ!」のあとにちゃんと「ハァイ!」が入れられる.運動会で使われることも多い.(以前サンプラザ中野くんがRunnerはずっと運動会で使われ続けているので今でも小学生が知っていると言っていた)ラテンの要素が濃いめで,後年サンタ・エスメラルダの「悲しき願い(Don't Let Me Be Misunderstood)」を聴いたときに,ああB'zには日本人の好きなラテン歌謡の要素がいれてあるんだなと理解できた.結局僕たちは哀愁をおびたメロディにロック風のアレンジをされた歌謡曲が大好きなんだ.そういうことを考え出すとJ-POPを聴くのが恥ずかしくなるのが大学2年生くらいだったんだけど,今となってはもうどうでもいい.子供と一緒にウルトラソウッ \ハァイ/ で超楽しい.
当時のカラオケで流れる背景がこの曲専用で,「仲の良いカップルがいて女性が交通事故で突然死んでしまう」というベタベタなストーリーだった.その頃はまだカラオケの背景動画は曲のイメージに合わせて適当なやつがランダムに流れるものが多かったのでじっと見入ってしまって,悲しい曲調と歌詞にあわせた展開にちょっと涙腺を刺激された覚えがある.関係ないが徳永英明はカラオケの映像に本人が登場するのですごく自分のことが好きなんだろうかという話をしていた.
同タイトルのアルバムのタイトルチューンだった.「新しい理想のために 上々の現状捨てたい 瞬間が来るだろういつか」と後年のポップ・ミュージック界のモンスター的存在になることを考えるとまだまだ駆け出しだった彼らはこの初期のアルバムにして既に「うまくいっている現状を放り出してどこかに旅立つこと」を歌っている.男は現状に満足してはいけない,常に新しいフロンティアを探して旅を続けなくてはならないのだ,というのはある種の強迫観念であろう.B'zには女性ファンもすごく多いけれど,そういう男の気持ちを歌っていることを女性たちはどのように考えているのだろうか?
アルバムの隅っこの曲だが,個人的に好きなのでいれた.若い頃に聴いて好きになった曲は年をとっても好きだということだ.最近は誰かにアルバムを通して聴くこともほとんどなくなったし,聴いたとしてもシングル・カット(これも死語か…)にならないような曲を記憶にとどめるようなこともない.売れない画家がタクシー運転手をして日銭を稼いでいることを愚痴る歌,という他にはあまりないテーマのユニークな曲.売れないミュージシャンだった頃の心情を投影しているのだろうか.
●RUN
これもアルバムのタイトルチューン.一緒にやってきた仲間たちとの,今ならホモソと呼ばれてしまいそうな連帯感を歌っている.どこかへ走り出そう→走っているときの高揚感→走ってきた俺たちの回顧,という流れの概ね後ろ半分が歌われている.B'z的世界の中では男の人生はこれの繰り返しなのだ.一番最後だけ歌うと別アルバム収録の「相変わらずなボクら」になる.
今回始めてMixtureというアルバムでリミックスされているのを聴いたが,元のバージョンの曲の印象を損なわずに,パワーアプしている感じがしてこの曲だけ新しいバージョンの方をリストに入れた.この曲を聴くとなぜかとても失礼なことをしてしまった女の子のことを思い出す.思い出すといってもその子にはほとんど会ったことがないのだけど.(会わないという失礼をしてしまった)
●Pleasure'91
一番最後に挙げたが,B'zがサブスクにやってきて最初に検索した曲はこれ.シングルのB面曲だったが,その後もツアー名になったり韻を踏んだTreasureがベストアルバムのタイトルになったりで,本人たちも気に入っているのがよくわかる.その後95,98と歌詞違いが生まれて,男の人生の年代記みたいになっているのは知っているが,やっぱり91が一番だ.
これを聞いていたのは10代半ばでまだ何も始まっていなかったのに,自分の人生を振り返りながら「止まれないこの世界で胸を張って生きるしかない」と歌うのに共感していたのは今考えると不思議だ.もちろんそこから30年経って,子どもたちを乗せた車で「怖いものはありますか,守るものはありますか」と歌っているのを聴くと自分もずいぶん遠くまで来たと感じる.あの頃の友達と今年は集まる予定だったけどコロナのせいでいつ会えるかもわからなくなってしまった.下らなかったあの頃に戻っていつも同じ思い出話をしたい.
傍から見たら整合性が取れないこの2つ。でも、この2つの間には超えられない壁がある。
それは「契約」の有無だ。
政府や自治体は、プロスポーツチームとは何ら契約関係が無い。だから試合を中止・延期要請しても何も法的には問われない。一部のJリーグチームは自治体が株主になっていることもあるが、契約とは異なり、試合を中止・延期させても何ら契約違反行為は無い。だから強気に出られるし、最後の手段として競技場を強制閉鎖させる事だってできる。実際去年、Jリーグ2部の愛媛FCなどは自治体から施設の使用許可が下りずに試合延期したことがあった。
一方で、五輪に関してはスポンサー企業と政府・自治体との間に明確な契約が存在する。もちろん免責事項は契約の中にあるが、基本的には「開催中止の場合は巨額の違約金が発生」することになっている。
だから、一見ダブスタに見えるこのような五輪強行・通常スポーツイベント自粛要請という行動を政府と自治体はせざるを得ないのだ。
世の中、「なんでこんな簡単なことやってくれないんだろう?」というものはいっぱいある。例えばせっかく高い金出して新しいエアコン買っても、そのエアコンの取り付け工事の最中に「あ、こっちに設置したほうがよいかも」と気づいて設置変更を業者に要望しても通らないケース。これはエアコン販売業者と設置業者との間に委託契約の関係があり、その契約で記載されている「事前にエンドユーザーと定めた場所に設置する」という条項を破ることが出来ないからだ。いくら設置途中に出てきたエンドユーザーの要望とはいえ、その通りにやったら「事前に定めた」という部分が契約不適合(最近の民法改正で、このようなケースは瑕疵ではなく契約不適合と言う)となり、売上がもらえなくなってしまうのだ。
一見理不尽やダブスタに見える事象については、なんらかの契約関係があり、それを破ることが出来ないためと思った方が良い。ほぼ100%そのためだ。これが「大人の事情」というヤツでもある。契約破棄して知らんぷりしろという人達もいるだろうが、万が一そんなことをやったら日本は世界各国から相手にされなくなる。そうなると何が起きるかは言うまでもないだろう。
どこを見ても日本がファイザー・アストラゼネカ・モデルナ社からワクチンを「輸入」する話しか書かれておらず、国内生産の話が出てこなかった。
首相官邸ホームページ - 新型コロナワクチン接種に向けた国・自治体の準備状況
米国モデルナ社ワクチン5,000万回分、英国アストラゼネカ社ワクチン1億2,000万回分、米国ファイザー社ワクチン1億4,400万回分の合計3億1,400万回分の供給を受けることについて、契約締結に至っている。
武田薬品 - Moderna社および厚生労働省との提携による、新型コロナウイルス感染症ワクチンの日本における供給について
当社は、このたび、Moderna社の新型コロナウイルス感染症ワクチン候補であるmRNA-1273を、2021年前半より、5,000万回の接種分を輸入し、日本において供給することになりましたのでお知らせします。
国内生産の事例があるならなおさら報道とかあっても良さそうだと思ったが、どちらも去年のリリースで今どうなってるのかがわからない。たぶんリサーチ力不足だろうけど。
どうせ他の会社も生産追いついてないんだから金取って製造技術の使用許可出せばいいのに、どういう大人の事情があってこの差が生まれてるんだろうか?
木多康昭先生の喧嘩稼業で空君が煉獄を打ち始めてからもうすぐ一年がたちます。
流石に山本陸の子供といえど一年間打ち続けるのは尋常ではありません。
ですが、木多康昭先生を押さえつけている重力は、ビルドキングでは打ち破ることができませんでした。
そこで、花さか天使テンテンくんを倣って、漫画家たちの隠れた才能を開花させていきましょう。
○アドバイスを聞く才能で 1日外出録ハンチョウを読み遊戯王セブンスの食べ物系カテゴリを生み出した高橋和希
遊戯王セブンスにやたらと登場する食べ物をもじったモンスター。
これらはカイジを参考にしろと言われたことを今も覚え続け、スピンオフの1日外出録ハンチョウを読んだ高橋和希のそれに決まっています。
他人を傷つける漫画しか書いてこなかった人には理解できないでしょうが、人の縁にはこんな関係もあり得たのです。
喧嘩稼業の小説をNoteで売っている木多康昭とは言わば同じ雑誌で連載しているようなもの。
トニカクカワイイ浅野真澄先生のイヤホンズをラブパワーしましょう。
プロポーズの言葉は「林原めぐみ歌ってもいいよ」にしまうしょう。
○医療の才能で世界中が怖がっているウィルスをどうにかする川三番地
え? 別人?
大丈夫です、野中ゆたかは野球選手のモノマネが上手なので、作者の川三番地先生も漫画家のモノマネができるに決まっています。
泣くよウグイスを月マガで連載して、Dreams、風光るの野球三本柱になりましょう。
○ 料理の才能で雨と埃で美味しい料理を作りおあがりよ! する佐伯俊
辛うじて生きている人間が多いジャンプ読書は雨と埃が大好物、佐伯俊先生のお粗末様で重力に負けるという嘘松様もイチコロだ!
○オートレーサーの才能がある森且行
久々のこち亀、まじで面白かったので、これからも時々でいいから書き続けて欲しいです。
○演技の才能がある斉藤洋介
以上、漫画家の才能でした。
なんらかの大人の事情があるんだろうな
スポンサーと局、局と事務所、局内での持ち場そういった「大人の事情」関係で長く続けることが難しいんではなかろうか。
アメリカは、局の運営事態をスポンサーがやってたり、ドラマ専用チャンネルがあったり、俳優(例えば映画だけどトム・クルーズみたいに)が自分のドラマ撮りたいからポケットマネーで制作する。とかあるみたいだから長続きなんじゃないかなー。
EGから1年半以上が過ぎた。
あの胸のつまるラストの記憶もうすれて、やっと平常心でEGの次作にあたるスパイダーマンファーフロムホームが見れそうだな。と思って、見た。
もしかしたら、FFHを見るための時間をおきすぎたかもしれない…。冷静になりすぎた。
あれ?あの時は何にそんなに熱狂的だったんだろうか。と、そんな気分になって、ざっとFFHの感想とやっぱりEGのラストについて納得できてない件を1年半ぶりの書こうと思い、書くからには忘れてるシーンもあるから、見返そうと思って飛ばし飛ばしでEG見直した。
トニーのラストシーンに涙した。それもツーと一筋とかではなく鼻をすするほど泣いた。
トニー…。 あぁ。トニー…。
でも… 涙はするけど…
強大な力のある石をトニーに使わせる。
このラストには物申したい。アイアンマンでもウルトロンでも、トニーはテロ集団に拉致監禁されてからずっと、自分の作ってきた武器、廃棄について悩んできたのに…
平和のために作った物で戦争が起きてることに嘆いてたのに… そんなトニーの結末は悲しすぎる…。
しかし。
その気持ちは、EG初見当時と変わらないから、リンクを貼っておく。
続き物は適切な見るタイミングがあるなぁ。と。
やっぱ映画は劇場で公開されてる時がベストなタイミングだな。と実感した。
まぁそうは思うものの、公開予定の次作がブラックウィドウってところもあいまって、残念ながら、アベンジャーズシリーズはもうあの時ほど熱狂に追いかけられなさそうだ。
FFHは、まぁ、面白かった。
が、EGのエピローグ感が強い。
実際FFHでインフィニティ・サーガの完結作品だからそれでいいんだろうけど、他の作品に比べるとEGを見ずに、FFH単体で見た場合にイマイチ話に乗り切れない、入り込めないのが微妙だと思う。
そして、スパイダーマンの次作になるスパイダーマン3(タイトル未定)への伏線として、(おそらく3の冒頭では簡単なFFHの振り返りがあるだろうけど)FFHを見ないと3が楽しめなそうという点も微妙だ。これは人に勧めづらい。
内容は、基本のスパイダーマンにMCUの繋がりをうまくいれてある感じの仕上がりだった。
サムライミ版、アメスパとも違う、ディズニーみのあるスパイダーマンになってると思う。
FFHを見る限りでは、MUC的にスパイダーマンは欠かせない存在になりそうだから、是非ともディズニーは興行収入等々で「我、ディズニーぞ。」という態度になって、SONYさんといざこざらない事を願うばなりだ。
車を買ったらなんか負けを認めたような気になるところとかメッチャ共感するし、転勤すんなら年収上乗せしろやって思うのも分かるわ〜。
地方の連中は二言目には「車買わないの?」って聞いてくるから余計意地を張りたくなるんだよなー。
俺はある時ふっと「そんなスタンスじゃアカン」と思って今メチャクチャ幸せに暮らしてるけど、そういう変な焦りを抱えて暮らせるのも20代のうちだけだと思うから、まぁ好きなようにするのがよろしいわ。
というのもな、そこから更に数年すると、今お前が眩しいと思ってる東京の知人友人にも家族ができたり、クッソありふれた大人の事情で忙しくなって、連絡なんか年に数回取るか取らんかになるし、新卒で超大手に就職した奴がなんか変なやる気を起こして名もない会社に転職してたりして、気がついたらみーんな自分の軸で何とか生きるようになってるんじゃ。住んでるところを問わずな。
パソコンもスマートフォンも普段使っていて別段困る事はない。しかしながら戦術の通りプログラミングやソフトウェア、
そして最新のハードウェア等になるとまるっきりついていけない。ハードウェアはUSB-TypeCにも種類があるとか理解できない。
俺もコネクタなんて種類が多くてもう分かんないw
こういうのも技術的な意味合いのものと、商業的な大人の事情によるものが混在しているわけで
メンテナンスできないものを使い続けるというのはあんまりないはず
印刷の現場でClassic Macを使っていたり、工場でPC-9801を使っている現場は今でもあるにはあるけど、
日常でClassic MacやPC-9801を頻繁に見ることはないはず
西暦2020年にもなって、プログラミングが簡単には出来ないし、ハードウェアの規格も完全に統一はされていない。
というかプログラミング言語自体多すぎる。ソフトウェアはデファクトスタンダードのモノ程度は知っているが、
例えば、Windowsのゲームを開発するときDirectXを使うと思うのだけど、なんでマイクロソフトがわざわざDirectX作ったかというと、
商業的側面は、OpenGLとかはJISのような規格なので、マイクロソフトは口出しできない、主導権が握れない、
技術的側面は、規格の策定はビジネスのスピードより遅く、グラフィクスカードの進歩に追いつかない、OpenGLよりも先んじて先進的な技術をユーザーに提供したい、
みたいな思惑があるわけだ
この選択は正しかったと思われる、それがXBoxの開発にもつながるし、Windowsデスクトップの表現力にもつながった
言語が多くなるのは近年のCPUなどのアーキテクチャに則した言語を作りたい、
折角作り直すんだったら文法なども変えたい、みたいな考えがあると思う
フロッピーディスクなんてもう終わったのだからいい加減AドライブをSSDまたはHDDにするべきじゃないのかとすら思う。
だけどずっとCのままだ。
古いプログラムの中には「C」と決め打ちで書かれてしまっているため、Cドライブという概念をなくすとこれまでの資産が全部動かなくなる
そうすると、Windowsのような最初のHDDをCドライブと決めているOSは誰も使わなくなってしまう
俺も役所への手続きだの、これを知っているのが大人の常識だの、みんなクソ喰らえだと思っているけど、
そうしないと駄目みたいな世間の空気があるので、嫌々ググって調べたり、お役所ルールバカすぎるだろwと思ったりするけど、
ただ、コンピュータを製造するのは企業だし、そこにはビジネス的な大人の事情とか思惑が介入するわけで、
そうなると純粋な情報処理という学問を阻害されることは容易に起こるわけである
だって、自分でゼロからコンピュータやOSを作るわけにはいかないし
かと言って、企業もまったく情報処理学や数学を無視したものを製造できるはずもないわけで、
これって流行り廃れる技術なのか、少なくとも死ぬまで廃れることのない技術なのか、みたいな選定の目につながる気がする
言語も、まあ色々だけど、とりあえずCのような言語がちゃんとできればコンピュータの中が分かってないと書けないところがあるからCをやる意味はある
Linuxカーネルの一部にRustを実験的に持ち込んだりしてるみたいだけど、Cがなくなることはまだまだない、というかこれからもずっと続くと思う
なんだかんだCはRustより書きやすいと思うし、書きやすいからこそRustよりデンジャラスなのだ
Cドライブ云々は、例えばLinuxではCドライブという概念がないが、
同じコードをWindowsとLinuxで動かすなら、まずOSの種類を判定するコードを書いて、そこからパスの生成を分岐させればいい