はてなキーワード: リスペクトとは
スヌープドッグのレシピ本の書評だけど、結構ひどいもんじゃん。
散々指摘されているようにスヌープはダイエットなんかしてなくてデビュー当時からスマートだし、
序盤で自分の知らない人物の手掛けたレシピ本を扱うって言ってるけど、全く知ろうともしてない。
塩にスパイシーな味付けをした程度で
期待が外れた、もっとジャンクに振り切ってほしいとかダメ出しをしてくる。
「素材を生かすという和食文化圏」ってのはそんなに偉いもんなの?
なんでこんなに上から目線でよその国の食文化をぶった切ってるの?
料理する前に手を洗うように、よその国の文化に触れる時は敬意を払えよ。
でまあそれはそれで別にいい。
でもこれをブクマカーの大多数が絶賛してるのはどう言うことなの?
なんて言おうもんなら両手に携えたポリコレ棒でボコボコにするくせに
「黒人のレシピのくせに健康的で期待外れ」って書評には拍手喝采か?
おいおいおい、しっかりしてくれよ。
あのさ、
ゲームの紹介プロモーション映像動画とかって今の世の中よくあるお知らせや告知の仕方じゃない、
でもあれ一瞬ネタバレ的なのが映っちゃってない?懸念あるんだけど
私の最近やってる「ダンジョンエンカウンターズ」も踏んだらお金が減る床があるの!?って
しかも公式的なやつでそういうの含んじゃっていいのかしら?って
私はこれから地下に潜っていくときに恐る恐る歩いて行くことになるんだけど、
きっとたぶんそんな床はなんにも記号とか色とか付いてないのに、
ネタバレしたところで、
初見で何も知らずに床を踏んでまた借金が増える!って泣くだけだと思うんだけど、
あとなんだかカービィも
まあ同様に同じように充実した楽しそうな見たら買って欲しくなって遊びたくなるワクワクする内容なんだけど
読んでみてなるほどー!って読んでみたいけど、
初めての夏と書いてファーストサマーウイカのウイカが初夏にかかっている感じの、
初めてのことに感動に感激に感化したいわけなの。
ああ!
新鮮みの刺身の旨味のように
海原雄山さんも思わずニッコリするような美味しいお刺身定食を食べたときの感激を覚えたいの。
だから
インターネッツの世界はなんて広がる広がるワールドなの?って思う反面
なんだかあえて情報避けをしているのよ。
でも、
私の日々の努力むなしく、
ちょっとでもカービィって検索ワードの用語をサジェストするべからず、
カービィ好きなんでしょ?ほら!カービィの情報たくさんあるよ!
うわー!ってなるのよ。
私それ全部見たいけど見たくない!ってな具合で
朝ドラ次何やるのかな?って
最低でも登場人物の相関図とかだけは見たいじゃない。
そうするとあれよ!
恐ろしいほどくるじゃない。
あれで本当に恐ろしいのが
通知で見える1行で死ぬ!ってやつ。
私その1行見たくなかったんだけどなぁーって
結果楽しみにしていたり
そうそう!
結果先に言うじゃない!
田村でも金!谷でも金!てな具合に
通知の結果の弊害というか。
そういうの多くない?
一切のネタバレ避けをしていくのがむしろ難しいところでもある昨今よ。
そう思わないかしら?
私は1ミリでもネタバレというか予備知識は入れたくないときだって有るので
はぁ。
なんか情報過多になると
厨房のその情報が入ってきたらなんだか美味しくなくなる気分に気持ちじゃない。
きっと予備知識をたっぷり仕入れて思いっ切りハードルを上げて待ちに待って飛び込み前転で入店して行列を乗り切って初めて食べるその味は、
あまりにハードルが上がってしまりきってブブカ選手も飛び越えられないぐらいな高さで
あれ?美味しいのこれ?思ったより美味しくなくない?って
だから何も考えずにお腹空いてふと知らない街の知らないラーメン屋さんで食べる知らない大将の親指の入っているラーメンの方が印象的であり抽象的でもある
そう目を閉じれば写実的にジューシーなそのラーメンのセクシーなシズル感までも思い出せるほど
まるでまるで、
スポンジのように情報を欲しがっている脳みそに染み込ませることができるのよ!
そして!
ああ!美味しかった!って
そこで初めてご馳走様って心から言えると思うの。
美味しいものを走って走って走りまわって集めてきてくれた韋駄天様に感謝!
ラーメン屋の大将よりこれ韋駄天様にリスペクト感謝してない?って
なんだか本末転倒な気がするけど、
「先生すみません、手術代の何千万円とか言うお金は払えません!しくしく」
「いや手術代はあなたの心からの気持ちで奢ってくれるこの今食べているラーメンで十分ですよ!」って
私もブラックジャックみたいなこと言いたいの!
それか麺大盛りか。
だから、
知らない街の知らないラーメン屋さんの知らない味のラーメンは私の知らない脳の中の扉を開けてくれるのよ!
知り合いの美容師さんが言ってたんだけど、
世の中には美容室やらたくさんあるけど
ホットペッパービューティーに掲載されていない美容室は世の中に存在していないことになっているらしく、
お店の前を美容院を探している人からは全く見えない様になってるんだって!
でも私そこの美容室、
グーグルマップで一番家から近いところの半径秒速5メートルほどの距離で探してみたところを見付けて行ってみたのね。
そしたら「え!?ホットペッパービューティーみて来たんじゃないんですか!?」って
高菜がカウンター目の前にあるのにビールやお冷やのおつまみにちょっとでも高菜食べてみたものなら
もう高菜食べちゃった口ではうちのスープ飲む資格は三角もありません!な勢いの顔で
「え!?ホットペッパービューティーみてないんですか!?」って
あたかもこのお店にどうやって辿り着いたのか逆に不思議に思われるぐらいにホットペッパービューティーなんだって。
なんだか本当に世の中は情報だらけだなーって。
そう思うわ。
うふふ。
事前の対処が決めてよ!
五十日は忙しいの!
朝ちょっと10分で余裕があったら嬉しい緑茶ホッツウォーラーね。
なんだか今朝ちょっと寒かったので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
タコピーが何だったのかという点の説明が無さすぎたので作者がタコピー(マッチポンプメサコン野郎)に思えてしまった
勝手に手出しして勝手に自己犠牲して勝手に解決して勝手に「ありがとう、バイバイ(笑泣)」って何なん?
メンヘラを救おうとしたら死ぬ覚悟での対話がが必要ってことが言いたかった…?
のであればわからんでもないけど…うーん
毒親持ちに介入する「お節介さ」(これは作者が家庭問題をモチーフとして表現に用いることを含む)に対しての自己批判が無いというか
いやそれが原罪?詳しくないけど原罪って死ねば解決すんの?救われてはないの?
確かに死で報いは受けてはいたんだけど、結局タコピーの行いは肯定されていた(友達できました&親の悪口言いつつも何とか生きられています、は割と穏当に落ち着いていたハッピー性の表現だと思う)のが納得行くような行かないような微妙な気持ち
結局タコピーは天国に行けたのか地獄に落ちたのかって描写がされなかったのがモヤっている
(天国地獄というのは概念としての話。罪というからにはどちらかに行くのがケジメでは?
(例えばハッピー星で今回の件を怒られるとか怒られないとかそういう描写)
喩えとして出すのが適切かは分からないけど
クジラックス作品のロリコンは逮捕されたり裁判されたりはする(ことも多い)(≒地獄描写がある)じゃないですか
何かそういうアレです
ハッピー星人=他人を救おうとする存在=そもそもエゴだよね=原罪 ってことかなぁ
タイトルがそういう意味ならわからんでもない(けどそれを読み取れと言うならちょっとでもいいから解説欲しかったな)
わざわざ言うのは野暮、自発的に気づかないと意味ないってことならそれもわからんでもないけども
上記に関連するけれども、タイムリープとハッピー星の存在の背景とか、結局タコピー何者だったん?とか
ハッピー星人の生態?とか、タコピーがハッピー星人の中でどういう特性があるのかとか
宇宙人がいることとか超常現象が起きることは全然ファンタジーでいいんだけど、ファンタジーなりの理屈(SF的な)が欲しかった
商業的に思想出せなかったなら同人誌で補足が欲しいまである…(何となくだけど作者あんまりそこに興味無さそうな気がするし、仮に作者がやりたくても契約関係で出来無さそうな気がする)
尺の問題と言われればまぁ…納得だけど個人的にはそこが一番見たかった
「しずかちゃん」という名前といいハッピー道具といい、ドラえもんリスペクトとおもわれる要素があったのでなおさらSF描写期待してしまっていた……
時系列解説するような多少メタ視点キャラが作中に出てきて欲しかった…
(無理に作中に出てこなくても、単行本とかに後出しで解説補足されたりしたらそれでもいいけど、これもイメージだけど作者があんまり作品外で語るの好きそうなタイプには思えないので)
東くんは兄と仲良く喧嘩できてて友達とゲームできてて、しずかちゃんとまりなちゃんは親の悪口言いながら何とか生きてるみたいな落とし所は別に悪くはないし、よかったと思う
ただもうちょいモンスター映画みたいなラスト(最後にニョロっとリアルなタコの触手がフレームインするみたいなやつ)の方が個人的な好みではあったんだよな…
B級でもいい、コズミックホラー要素が欲しかった(タコモチーフだし)
そうじゃなきゃせめて虐待描くならば描くなりに、教師とか警察とか児童相談所とかの大人&社会要素が欲しかった…
※この辺は某方の「虐待描写のリアリティ」noteが詳しいです
話題性がTwitter露悪好きサブカルお気持ち論壇的にウケたんだろうなぁということは分かる
狙ってなかったバズりだったのだとすれば、今後の書籍の売上次第ではWeb漫画マーケティングの成功例として参考にはされそうだなと思った
タコピーが作品名でもありキャラ名でもあり固有名詞であり、なおかつ表記揺れしづらいのはSNSにおけるWeb漫画のトレンド入り的な意味で大事な要素だよなぁ…狙ってやってたなら凄すぎる、担当者優秀だ
今(更新日の明け方)見たらおすすめトップに公式の更新告知ツイート表示されてたし、Twitterのプロモーションも出してるし、こないだのYouTubeの単行本CMといい少なくとも現時点でSNS宣伝費にそこそこお金出してるのは間違いない
商業作品としてはちゃんと売ること・完結させることがなによりも優先されるべきだと個人的には思うし、説明不足に感じた点はあったにせよリアルタイムで追えて楽しかった
更新頻度とか連載期間とか…或いは打ち切りとかも…紙のジャンプがアンケートで諸々決まってるみたいにPV数とかTwitterトレンド入り具合とかに左右はされてるんだろうけど
この辺の采配や裏の仕組みが分からないから実際尺不足だったのかどうかとかはよく分からん
バズった→上下巻で書籍化決定(それが一番売れるという判断があった?)→構成に影響
みたいな事情がありそうな無さそうな…
上記の補完コミの映画化されるなら凄く見たい、作者は絵コンテだけ監修してもろて、監督と脚本はベテランの別の人がいいです(誰と言えるまで詳しい訳ではないが、例えば新房昭之ででっかいスクリーンでドアップでシャフ度になるしずかちゃんとかオタクは見たくない?私は見たい)
とにかく丁寧なアニメ映画として見たい感はめちゃくちゃある
見開きページとか表情のアップとか
とにかく絵面での演出が過多に思えるくらい盛り盛りなので動画映えしそうだな〜という感じ
実際作者も映画好きという情報は何かで見たし、好きかつ得意なことなんだろうなぁ
アニメ映画化したら観に行きたい(実写映画化したらそれはそれで一周回って見たい。そして邦キチで取り上げられて欲しい)
CM動画は良かった(聴覚情報としてきゅうべぇ感強いタコピーボイスにはテンションが上がった)
(忠実な原作再現動画が見たい訳ではなく、説明不足に感じた点に関して別の人の解釈や補完が入った再編集版が見たいという意味で)(あと仮にタイミング悪くて何かの事件とかと被ると放送に影響しそうでそれも何かヤダ)
→わかる。
→わかる。
どこがどう期待外れだったか、何を期待していたのか長文で言語化してくれ〜今後出てくるであろうオタクの長文にめっちゃ期待している
→わからんでもない。
確かに着地点に意義はないんだけど
説明不足感がね…
→気持はわからんでもない。
男女カプ好きにはきつかったかもねぇ…
→おちつけ。
期待外れって言ってる人の期待ポイントなんだったか確認してから言ってくれ…会話が大事だっピってタコピー言ってたじゃないか…
→なんかちょっとわかる。
けど単行本上下巻出たら、サクッとKindleか何かで買って読んでも別に損はしないんじゃないかなと思いました
少なくとも商業漫画として1000円ちょいの価値は間違いなくあると思うので…
絵が好みじゃないなら無理して履修しなくてもいいとは思う(良くも悪くも漫画という媒体にしては詰め込まれている情報量が多すぎる感はある)(だからこそ個人的には動画で見たい)
SNSに溢れる感想で食傷気味になるのはわからんでもないが、最近の「親ガチャ」論とか毒親のトレンド(?)ありきでの作品なのであんまり何年も寝かせすぎず、2022年中くらいに履修しておくのが良いのではないでしょうか
(或いはメディアミックスの続報が出て更に嫌になる前に……)
さすがにこれはアメリカさんの感覚の方がずっと正しいしまともだろ…
過去に占領した戦地で一般人をレイプし回って殺して女の指輪の数を競って「綺麗な指輪だらう」とか言って遊んでた日本兵が、戦地の女性に毎日バナナが食えるよとだけ募集して汚い小屋に連れ込んで慰安婦をさせて、その後なにもありませんでしたーってこんなの、まともな人権感覚と女性へのリスペクトのある人間ならガチギレしてぶん殴るに決まってるでしょ
少ない給料のほとんどをアニメにつぎ込み最新の作品だけでなく過去の名作をもチェックしている。
アニメのために生きている自分はアニメのお陰で自殺せずに踏みとどまれたと言ってもいい。
そんな自分だが世間で持て囃され文化功労者の勲章まで授与された富野監督はアニメ監督としては三流だと思っている。
詳しくは思い出したくもないので割愛するがこの三人は事あるごとに消費者に暴言を吐いている。
名越というゲームクリエイターが顧客の容姿を差別するような発言をして退社に追い込まれた事件があったがこの三人が何故アニメ界から追放されないのか不思議でならない。
いくら面白い作品が作れても消費者を大切にしない、消費者をリスペクトできない作家が優秀な訳がない。
消費者に説教せず馬鹿にせずただ同じ目線で消費者が望む物だけを作り続けるのが真の優秀なクリエーターだと自分は思う。
エヴァンゲリオンなど作品を通してファンを罵倒・侮辱・説教するという見るに堪えない自己満足ムービーなのに世界中で受け入れられているのが本当に理解できない。
真面目な話この三人よりツイッターの萌え絵師や小説家になろうのアマチュア作家の方がまだ顧客の求める物を顧客目線で出している分クリエイターとして上と言えよう。
真のクリエイターとは顧客の求める物を出し社会的弱者に寄り添い消費者をリスペクトする物だと思う。
社会の被害者であるのび太が秘密道具で本来得られるべき報酬を得たり悪を退治したりすると必ず最後に破滅してしまうのが理不尽でならなかった。
だから高校生の時魔太郎が来るを読んだ時はこういうのが読みたかったと思った物だ。
つまりクリエイターはドラえもんではなく魔太郎が来るを作るべきなのである。
自己満足な説教ポルノでは無く顧客が求める世界を想像するべきなのである。
クリエーターと言うのは視聴者を楽しく気持ちよくさせるのが仕事であり
視聴者に都合がいい作品を作れない、視聴者を批判するクリエーターはどんな良い作品を作ろうが全員クリエーターとしてド三流なのである。
アニメを見るな、人と関われとこの三人は口を揃えて言うが他人と関わろうと努力しても他人から拒絶される事を想像できないのだろうか?
彼女作れ、結婚しろと言うなら中学引きこもりで通信制高校卒で零細工場で低賃金で働いている自分に彼女を作る方法を是非とも編み出して貰いたい物だ。
社会的弱者に説教をして悦に浸る社会的強者はただの卑怯者のいじめっ子である。
周期的に思うことだが、私は人間関係の維持がバチくそ下手だ。しかし、コミュニケーション能力に著しい問題があるわけではないので、リアルでもネトゲでも程々に仲の良い友人はできる。
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だが、同じコミュニティにずっと留まることや、友人と長く関係を維持することが苦手で、いつも突然距離を取ったり、疎遠になったりしてしまう。具体的な理由はないが、なんとなく突然嫌気がさしたり、飽きが来てしまうのだ。
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幸いな事に、今はまだ一人の友達やグループから離れても、別のところと繋がるといった感じでずっと誰かしら繋がっている状態になっているが、いつ見放されてもおかしくないので現状を変えたいとは常日頃から考えている。
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例えば相手に対してリスペクトを持って誠実に対応しようとか、ラインが来たらちゃんと既読スルーせずに返そうなどと考えた時期もあった。
しかし、大体の目標が一週間やそこら、もしくは少し疎遠だった関係が戻り始めたあたりでいつもの対応に戻ってしまう。
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勿論友人にいたら最悪だし、本当に良くない事だというのは理解しているつもりだ。
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いつか運が尽きてしまった時は本当に孤独になってしまうのだろうと考え怖くなる時もあるが、結局今後も変わらないのだろう。
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この業界には腐敗が多すぎる。
最低賃金すら出せないと業務委託扱いにする実質雇用とやりがい搾取。業務提携相手でしかない「中の人」への業務命令。デザイナーやその他クリエイターへの無茶苦茶な仕事の振り方。リスペクトのなさ。そもそも契約書すらも存在しないケースがほとんど。
どうしようもないクソは沢山いたが、その中でも最悪だったのがタレントに枕を強要して、それを部外者の前でドヤ顔で喧伝しまくってたプロデューサー。「しゃぶってもらったけど上手かった」じゃねぇんだわ。プロデューサーって書いてる時点でわかると思うけど、これは企業勢の話です。
いまVTuber業界と言われる所にはならず者の成金しかいない。
それでも推したいというのなら、個人勢を推すか中の人に直接課金しろ。企業から脱却させろ。
Vtuberは企業の社員ではなく単なる個人事業主だ。桐生ココを見ろ。引退してもお前らが推してるから、個人の配信者としてのびのびできてるだろう。お前らが金を落とす先は運営企業である必要はない。
ここらへんとそのブクマを見てて思うのは、ブクマカってホント文章読めないよなあってこと
このあたりだよね。「世界一難しい」とか言ってないでさっさと音外さないホルン作れや、って話ね
で、そういう主題が全然読めなくて「世界一難しい」っていうキャッチーな単語だけ拾って
「尺八は?」「ディジュリドゥは?」「二胡は?」みたいなろくでもない話に拡散させるアホが絶対にいるから
そしたら尺八ラブ勢からただの余談についての怒涛の反撃が入る。
この増田(以下尺八増田)もまあまあアホで、オーケストラや吹奏楽にそれを用いた曲が複数存在するのが条件なら「鎖」だってメジャー楽器になってしまう
(念のため言っておくと、尺八を鎖程度の楽器と言っているわけではなくて、条件に不備があるという話ね。アホが多いからね。めんどくさいね)
我々が管楽器と言われて普通に思い浮かべるものと比べると、メジャー度の点では有象無象の類であることは覆せないだろう
(念のため言っておくと、尺八の楽器としてのポテンシャルがダメだと言っているわけではなくて、世界的な知名度の点では他の非メジャー楽器と大きく変わることはない、ということね。アホが多いからね。めんどくさいね)
だけど、愛ゆえの行動なので目をつぶろう。ここまではしょうがない。
知名度が全然違う、とバッサリ切っても良いのに例えを使ってみたり、尺八を含む和楽器の素晴らしさを語ったり、そもそも方向性が違うんだよ、という話をしたりサービス精神が旺盛だ
そこらへんがまたツッコみたがりのツッコみどころを作っているので損な性格だなあ、とは思うが、基本的に変なことを言っているわけではない
そんなわけで増田は一生懸命誤解を解こうとするのだが、ここで最悪の存在が現れる、ブクマカだ
ブクマカの中で既にこれは西洋楽器至上主義の悪魔と尺八を愛する勇者の戦いになっている
だからとにかく世界的なメジャー度が全然違うという事実から目を伏せ、些細な例えの不備にかみついて尺八の勝ちだとキャッキャしている
キャッキャするのは良いとして、なぜホルン増田が悪魔側で尺八の増田が勇者なのか疑問に思わないか?私はこの答えを発見した
ホルン増田はだ・である調でちょっと言葉がきつく、尺八増田は敬語だからだ
まじでそれだけ
ほんとにそれだけ
ブクマカに嫌われる感じに書き直すと
無知で馬鹿でスケベな西洋音楽オタの元増田は「竹をくり抜いて穴を開けただけの単純な構造」とか思っちゃってるんだろうけどマジで小学校からやり直したほうが良いんじゃないの?
レッテル貼って藁人形相手に勝利宣言してるだけなんだけど、丁寧に書くだけでブクマカは騙される
勝手な想像やイメージで他人をディスる前にまずは人へのリスペクトを持っていただきたいですよね
なんか口の悪い感じだったら悪いやつだから叩くし、
なんか理知的に見える語り口だったら多分頭のいい人だから納得する
そういう人がいるから言い方には気をつけましょう、っていうのは確かにその通りなんだけど
馬鹿のほうが「馬鹿に合わせろよ」って宣うのはさすがに恥知らずだと思うんだよな
そりゃネットが発達したこの時代、世界のどこにだって「愛好家」にカテゴライズされる物好きとかマニアのたぐいはいるだろうよ。
だから「必ずしも無名ではない」かもしれないが、それだけで有名というには流石に無理がある。
まあフェスが開催できて、メーカーに依る開発が続く程度にシェアを持つ規模まで行く楽器は限られるけど、それだってオーケストラや軍楽隊含む吹奏楽で世界的に広く普及している楽器とは比較にもならないだろう。
アマチュアという裾野の広さが大きく違う時点で、プロ奏者の数・楽器の生産数といった規模も全然違うし、そうした違いもあって、知名度も比較にならないくらい違うんじゃねーの?
そうなるとギネスにおける楽器の難易度という議論の俎上に乗る可能性は限りなく低いし、それはディスでもなんでもないというか、勝手にディスったことにされても困る。
文字通り「問題にする人が限られる」知名度なんで、多くの人にとって「そんなの知らん」で終わって当然。
虚無僧が世界中の街角で尺八を吹くという冗談を理解できないのであれば、世界中の学校のマーチングのクラブ活動でホルンが登場するのと同じか、町のピアノ教室と同じくらい、尺八の教室が世界的に珍しくなくなってからまたおいで、と言っておこうか。
琵琶と尺八がオケをBGMにチャンバラする曲という、色々と前代未聞の発想で、世界の武満の名を不動にした傑作だし。
尺八の首振り三年は有名だけど、それって西洋の木管楽器のベンド奏法の延長という時点で、取り立てて言うことか?
だからフルート吹いてた流れで尺八に手を出す人もいるし、実際兼任可能なくらいの違いってことでしょ。
少なくとも弦楽器と管楽器ほどは違わないだろうし、要は程度問題。
もちろん、首を振らなきゃ音を変えられない楽器はなかなかないと思うので、フルートや日本の横笛系(龍笛とか篠笛とか)から乗り換えて、すぐに尺八らしい音になるかといったらならないだろうけど。
加えて、下に書いたように西洋楽器と和楽器で求めるものが違う部分も無視できないが、上に書いたフルートからの乗り換え・兼任が不可能じゃないこともまた無視できない。
指穴が5個しかない?そんなこと言ったらフラウト・トラヴェルソも7つくらいしか音孔ないんですが。
あと一番引っかかるのは、西洋楽器と和楽器に求められる音の違いを無視しているかのような
私が言いたいのは、どちらの楽器も構造上不完全な特徴があるからこそ、唯一無二の音色が出せる、という側面もあるということです。
例外は色々あれど、和楽器はノイズも音の美学としていて、むしろ故意にノイジーな音を増やすために改良した楽器もあるときく(楽琵琶から薩摩琵琶への変化とか?)。
一方で西洋楽器は倍音以外を排除し、またそれを実現させるためというのも理由の一つとして、操作性の向上にも力を入れてきた。
要は求められる音が違うので、言ってしまえば「不完全」が示す意味も違ってくるんじゃねーの?
だからその意味で、本来はホルンでもなんでも西洋の旋律楽器で音が外れやすいなんて普通にダメだし、そんなミストーンが頻発する楽器はもっと改良されるか淘汰されて当たり前。
というか西洋音楽の伝統と作法が大きく変わらない限り、ホルンはもっと改良されるべき。
尺八は今の状態で不完全だとは思わないどころか、むしろフルートや龍笛から出せないノイジーさは凄いと思うけどね。
あとは、まともに旋律が吹けない(そういうふうに意図的に作られた)能管の、割れまくった高音もやユラユラした中低音も、和楽器ならではの魅力だろう。
それとブクマカが謝っているけど、こういう話題でトラバに尺八を楽器以外の意味で使うやつとそれに便乗するやつは、マジで寒すぎるので勘弁。てかキモい。
冗談なのか煽りなのか知らないが、非表示にできる機能がほしいところ。
なんか物凄い否定的な反応ばっかりで草。
本当に、冗談抜きでこのトラバはディスじゃなくリスペクトを主題に書いたつもりだけど、今読み返してみたら随分嫌味ったらしいと思ったわ。
書き方が悪ければというか、文章は書き手の意図に関係なく書いた通りにしか伝わらないもんなので、誤解とか言うつもりはないし、むしろ多くの読者に不快感を与えたのは申し訳ない。降参する。
楽器の方でなんとかしてくれよ
https://anond.hatelabo.jp/20220220153320
このエントリ、本編は興味深く読んでいたのに最後のおまけで唐突に尺八がディスられていて唖然としてしまいました。
ちなみに私は小中高と吹奏楽部で金管楽器を担当しており、ホルンの音色の魅力や特有の難しさも理解しているつもりです。
そして大学卒業後は尺八に興味を持ち、各流派を学んでおります。
元増田が尺八という楽器の現状を知らずにディスっているのは明白で、あまりに理不尽です。
オーケストラ曲や吹奏楽曲に尺八が用いられている曲は複数存在します。
一番有名なのは武満徹作曲の「ノヴェンバーステップス」でしょう。初演は小澤征爾指揮のニューヨークフィル。それでも「無名な日本の民族楽器」でしょうか?
1994年から4年に1回「世界尺八フェスティバル」が世界各地で開催されており、8回目となる今年は中国で開催されます。世界中の尺八愛好家が参加します。それでも「無名な日本の民族楽器」でしょうか?http://www.wsf2022.com/ja/
知り合いの製管師(尺八の製作者)によれば、最近は日本よりも海外、特に中国から注文が殺到しているとのことです。それでも「無名な日本の民族楽器」でしょうか?
最近は国内外問わず尺八の構造が研究され、金属やプラスチック、3Dプリンタ等で制作した新たな尺八が毎年のように登場し、それらをネットで販売する人も現れています。それでも「無名な日本の民族楽器」でしょうか?
ちなみに現在国内で最も精力的に尺八の改良に取り組んでいるのは「泉州尺八工房」でしょう。https://shakuhachi.co.jp/
逆に、ホルンは世界中の街角で当たり前に吹かれているのでしょうか?少なくとも日本の街角でホルンを吹いている人を観たことは私は一度もありません。
さらに言えば、虚無僧は楽器として、音楽として尺八を吹いているのではなく、「吹禅」といって宗教的な修行の一環として尺八を吹いています。ゆえに虚無僧が街角に現れる頻度と尺八の楽器としての有名無名はまったく相関関係がありません。木魚が楽器として流行すれば街角にお寺は増えるんですか?
確かに尺八の発音原理はフルートと同じです。しかし楽器の構造がまるで違います。きっと元増田は「竹をくり抜いて穴を開けただけの単純な構造」だと思ってらっしゃるんでしょうけど。
違いを挙げればきりがないですが、代表的なのは「首振り」でしょう。あれは首というか顎を上下させて唇と歌口の接触面積を変えることで開口端補正を行い、音程を変えているのです。
尺八は指孔が5個しかなく、指使いだけではすべての音程を出すことができません。そこで首を上下させることで指使いだけでは出せない音程を補っているのです。
首振りで変わるのは音程だけではありません。息の流れも変わるため、尺八特有の「枯れた音」「渋い音」になります。
「首振り三年」ということわざめいたものがありますが、これは首振りによる音程や音色のコントロールが難しいことを端的に示す例えです。
なぜ首振りという奏法が笛類の中でも尺八にしか存在しないのか?これも尺八特有の構造に由来するのですが、ここでは説明を省きますのでご興味ある方は調べてみてください。
元増田であればこうした楽器の特性に不満を抱いて「楽器の方でなんとかしてくれよ」と思うのでしょうが、尺八はこの楽器としての不完全さを逆に特徴として他のエアリード楽器にはない特有の音色を出しているのです。
「尺八がホルンより難しい」とは言いません。というか、難しさの土俵が違うので比べようがありません。
私が言いたいのは、どちらの楽器も構造上不完全な特徴があるからこそ、唯一無二の音色が出せる、という側面もあるということです。
尺八にも初心者向けの「アダプター」なるものが存在します。リコーダーの口で咥える部分のようなパーツを尺八の歌口にはめ込むと、初心者でも難なく音が出せるというしろものです。
ところが、このアダプターをはめて尺八を吹くと、皆さんがイメージする尺八の音色とは似ても似つかない何とも悲しい下手なリコーダーのような音しか鳴りません。上級者が吹いても、です。つまり尺八を誰もが鳴らせるように息の通り道を固定すると、本来尺八が有する自由度が失われ画一的でつまらない音しか鳴らなくなり、尺八の個性が死んでしまうのです。
ZOZO前澤さんが金を配ったアレ。アレをシステム的に可能にしたのがkifutownというアプリ。
最初は慈善活動の団体やその支援者のために作られたアプリかと思った私はイノセントまっしぐらッ。
これはお金でフォロワーを合法的に買うシステムであり、詐欺師のために作られたとも思えるほどよくできたロンダリングシステム(後述)。
こんなしくみよ。
アプリ内では寄付の条件として、「条件は特になし」というやつと、「ツイッターで私をフォローすること」というメニューが組み込まれている。っていうか、そもそもそれ、変じゃね????そんなメニュー必要か?あ、慈善活動とかじゃないないのか。(お察し)
そう。これは、お金を払ってフォロワーを買う合法的なシステム。「自由恋愛だからセーフ」みたいなノリと同じ。
いや、100歩譲って自由恋愛だからセーフだと思ってもいい。札束フリフリしてフォロワーを増やしたい人と、フォローするからお金クレクレという勢力は利害が一致しているウィンゥイーンな関係だわ。
でもこれ、ちょっとまって。そんな単純な話じゃない。
お金を配るときに、受け取れる相手を「抽選で選ぶ」という方法と、「自分で選ぶ」という方法がある。ふふーん、これは抜け道ハケーン!
だって配る側がツイッターのサブアカウントを作って登録して、そのアカウントが当選してしまえばいいわけでしょ?
詐欺師:「仮想通貨に興味ある人に10万円を10人に配りマース!」
その他6000人「はははははははははーい!」
実際の当選者
その他の人の中から3人
手数料は10%かかる。お金ばらまく人が負担するっぽい。つまり、総額10万円なら1万円の手数料がかかる。でも7万円を自分に還元して、3万円を他人にあげるなら、トータル4マンの出費で6000人のフォロワーが増えるわけでしょ。しかも、そこそこの質のフォロワーが。
当選させる3人は自分で選べるわけだから、「○○さんのkifutownで当選したー!」とツイートしそうな人を選べるわけだ。そうすれば「あー、あの人は本当にお金を配っているんだ」というアリバイにもなる。本物を何割にするのかは詐欺師のさじ加減だが、一定量は確保するのだろう。全員が声を上げるわけではないので、7割が沈黙していても十分に本物っぽくなる。
ここまででも既に詐欺なわけだが、続きがある。二度美味しいとはこのことだ。続いてフォローしてくれた6000人に向けて仮想通貨の情報を投下し始める。もちろん詐欺的な内容の。続きが知りたい人はこちら。登録はこちら。無料のセミナーはこちら。そして……絶対に儲かる虎の巻を読むには○○マン!もうけを考えると安いよね?って…
別の仮想通貨とかじゃなくても、○○起業塾とか、英語講座とか、なんでも成り立つ。
少ない元手でリアルなフォロワーが大量に手に入る。一部は自分に還元するので出費はすくない。それだけでツイッターアカウントの信頼度や影響度を偽装できる。っていうか、そもそも金を配るのに何でフォローするわけ?自由恋愛だから?
そんでもって、kifutownとは無関係なルートから来た人が見れば、「このTwitterアカウントやべぇ!信用力たけー!」って誤認するわな。で、獲得したフォロワーに向けて「セミナーへどうぞー!」なんてやるわけだ。
他人から金を巻き上げる仕事をしている人にとって、このkifutownっつーのは夢のシステムよ。寄付とか言うワードを使うのおこがましいレベルだわ。誰か妥当なネーミングを考えてちょうだい。
なんか思いついたら追記するわ。ふんじゃーね!
あ、いきなり追記する。「自分で当選者を選ぶ」ためには寄付の総額が10万円以上必要だとのこと。え?なんで?って思うよね。制限なしでも自分で選べてよくない?このルールのせいで、このマネロンメソッドを使うためには10万円以上に設定する必要があるわけ。そうすると、kifutownがわの手数料も1万円になるわけ。
考えてもみれば、kifutownがやっているシステムというのも難しいことじゃない。Twitterと連携してフォロー関係をチェックしているだけ。それだけ。それだけのアプリで、詐欺師たちがどんどん万札を落としてくれるというのはホクホクおいしいシステム。100円のアプリでさえ苦労して開発して買ってもらうこのご時世に、1マーンエン!詐欺師のフォロワー稼ぎを「寄付」というクリーンなワードで偽装してやってのけるマインドにはマジリスペクトしかない(棒読み)。
読みづらいけど自分用なので許して
某実写映画に対して鬱憤を募らせていることを、一緒に見に行く予定の友人に告げるかどうかで悩んでいる。
というのも公開が決まった当初は私も映画の制作に好意的だったためだ。実写化される方のコンテンツ(O)も実写キャストの方(S)も私は大好きだったので、この2つがコラボすることを単純に喜んだ。公開したら何度も映画館に通おうという話もした。ちなみに友人はSのファンで、Oのことは多分知らない。
しかし私が悩んでいる理由は、あの時喜んでいたくせに今更愚痴を言って許されるのか、という認知的不協和に苛まれているからではない。
私の葛藤の一番の理由は、このままではSを完全に嫌いになってしまいそうであり、今の私の雑駁アンチスレ状態な心情を整理せずそのまま友人に伝えたら確実に友人は悲しみ、我々の間にも軋轢が生まれてしまうからである。
なのでもし友人に本心を告げるのならば、身も蓋もない愚痴で友人を傷つけることがないようになるべく正当性のある批判をできるように不満の要点を絞らなければいけないし、隠し通す場合は絶対に友人に悟られず気を遣わせないように、そして単に私がこじらせクソ解釈女なだけの問題であると思ってもらえるように(友人がOを知らないのを良いことに)、問題点を整理していこうと思う。
ひとつ、この間解禁された予告動画について。予告動画によって、二者のコラボが決まったときに何となく抱いていた「これってOがダシに使われてるのでは…?」という危惧が確信に変わってしまった。これでも当時は、「実写映画化なんて結局儲けたいの一点に尽きるんだから、利益を重視した企画なのはしょうがないよね」とは思っていた。(あらゆる実写映画が建前で使う「ファンの幅を広げる」「世界観の再現」というきれい事は儲けたいという意図を少しでも隠すための詭弁に感じる)
なのであのAベックス様(両者のスポンサー)が「人気なOとSをくっつければ売れるに決まってるよね!」という安易な発想に至るのも無理はないし、「全くしょーがねぇなAベックスは……まあ不況だしこういう突飛な案にも飛びついちゃうよね」で済む話なのである。
しかし今回、これはもう看過できないぞと思ったのが、予告の半分がSが意気込みを語る時間に費やされているという事実であった。これはもう確実に彼らをageるための映画以外の何物でもないじゃないかと私はひどく落胆した。
それに、それぞれの意気込みシーンでもデカい個人名と小さく目立たないキャラ名と、表記上でも明らかにSメインの画面構成になっている。
そりゃ実写化の時に俳優さんの豪華さ()がピックアップされるのは知ってるしそれはこの際もう仕方の無いことなんだろうけど、それにしてもひどすぎやしないか。Oはアイドルが活躍するための入れ物ではない。
前売り券についてくる特典のグッズの配色も、Sのアイドルとしてのメンバーカラーになっている。Oの6人にはイメージカラーがあるのだが、それはもう完全無視なのである。9人組なのに主演が6人の作品にねじ込むからこういう事になるのだ。
これを前提にすると、これまでかろうじて許せていたあらゆる点が気になって仕方なくなる。
まずそもそも一卵性双生児(×6)であるという絶対的な前提が踏みにじられている。現実に再現することは無理だと開き直るにしてももう少し何か策はあっただろうに。(数年前の別企業とのコラボでは某俳優さんがCGで6人に分裂していた。こういう飛び抜けた演出を東宝配給でやるくらいの気概が欲しかった)
設定を全然気にしていないのは、はじめからSを売り込むのだけが目的だったということに他ならない。出来ないと分かってるので始めからやりません!はあまりにもOを軽視しすぎではないか。色の付いたパーカーを着せておけば役作りOKではないのだ。アニメの実写はコスプレだと言われがちだがこれはコスプレですらないと思う。パーカーを着て適当なウィッグを付けたら誰にでも出来る。レイヤーですらない、その辺にいるアニメオタクだ。2015年の池袋じゃないんだから。
配役もどうだろうか。キャラクターとメンバーの性格がマッチしていれば確かに納得出来るのだが、それを前提にしているということはもう端からSのファンしか対象にしていないということではないのか。
しかも、全てのキャラではないが、キャラの方がキャストに利用されてんなという描写や設定があった。Sのメンバーの特技や個性をOのキャラクターの要素と無理やり結びつけているのだ。これはその対象が私の好きなキャラクターだったから誇張されて見えてしまっただけかもしれないのだが。
(Oはコラボが非常に多く、余所で色々な職業や役柄を演じているのである特徴だけが取り沙汰されるというのは確かによくある。公式ゲームでもそういう風潮があるので理解はできる。しかし今回のはSありきのOなのでどうしても利用された感が拭えないのである)
キャラ改編とも言えるくらいの逸脱は、「ああもうこれは別の作品なんだ」と思わせてくれるのでこの際怒る気にもなれない。そしてそれはシナリオ上仕方の無いことなんだと思うことにした。Sをageるというシナリオのための。
あと、まだ予告やちょっとした映像しか見ていないのでなんとも言えないが、某メンバーの演技が無理すぎて無理になった。私は彼のことを本当に嫌いになりそうである。もとより私は彼にルックス以外の良さを何一つ見出していなかったのだが、今回見た目という武装を剥ぎ取って眺めた時(なんせみな同じ容姿という設定なので)、彼になんの魅力も感じられないどころか日毎に憤りが増すばかりになってしまった。演技が本当にひどいのである。
(映画化が決まった当初、私は友人に「彼は解釈違いだわ」と冗談交じりに言っていたのだが、冗談ではなくなってしまった。)
そのメンバーはドラマの経験もあるしなんならグループ内では俳優枠みたいな扱いなのだが、私から見たら2パターンしか引き出しがない。顔面に物を言わせたクール()な演技か、とりあえず凄んで狂気を見せる演技の2つである。今回のキャラクターはそのどちらでもないので私はついに別の引き出しを開けてくれるのだとばかり思っていたが、予告を見る限りではその2つが巧みに使い分けられているだけだった。あえて役作りをせず自分の引き出しにあるものを使って演じる役者さんがいるのは確かだが、彼の場合はそのレベルにすら立っていないと思う。出来なくてもせめて表面上はもう少しキャラのこと考えてくれてもいいのにと思った。どんな演技をしたってもと原作のキャラクターにピッタリハマるなんてことは決してないけど、だとしてももう少し研究してくれよ。
これでもまだ、本編を見ればきっと何か認識が変わるかもしれないという望みがある。百聞は一見にしかずなので実際に見なければ何も言えない。根拠の無い誹謗中傷になってしまう。しかし現時点でSの中の人ネタがあることが確定しているので本当に憂鬱である。
見なければいいではないかと思うかもしれないがどちらも好きなので(Sのことは無理になりかけているけど)見ておきたいのである。
例えばロケ地はアニメの舞台と同じ場所が使われているだろうからその様子を確認したいし、小道具や舞台装置などの詳細も気になる。シナリオも大元の原作をリスペクトしたものらしいのでそこもチェックしたいのだ。
なのでSをPRするためにキャラや設定がズタズタにされているのはしょうがないのだと割り切って、どこかひとつでもOを感じられる部分を見いだせたら良いのだと思うことにした。
SがOを演じていると思うからいけないのであって、Sのキラキラムービーだと思えばなんとか乗り切れそうである。二者を切り離せるか否かは私の認識の問題である。
この思いを友人に伝える場合でも、Sage要素が強いのは良くないよね、くらいの批判に留めておこうと思う。あとはもう脳みそドロドロお花畑になるしかない。Sが好きな友人の前でSの愚痴を言いたくはない。
……といってもまだ完全に納得できていないので取り留めもない思いを書いて憂さを晴らしておく。
・グッズがここぞとばかりに高額転売されてる上に検索用ワードにSのメンバーの個人名が入っていて非常に悲しかった。そもそも転売するなよという話だし、実写化に乗じて転売するのも姑息だし、それを買うやつもどうかしてる。みんなまとめて滅びよ
・「私は楽しみだけどね」みたいなツイート
・「O界隈の人がJ界隈に来てくれて嬉しい〜」みたいなツイート
・お前は役作り以前の問題だ。本人じゃん
・誰も童貞に見えない
・彼はアラサーではない
・彼はハーフではない
・誰も3.5等身じゃない
・親孝行してそう
・働いてそう
あと今回の実写化に際して自分の中で様々なモヤモヤが生まれていく中で、根本的なことをないがしろにしていたことに気づいた。
すなわち、Oは実際に存在しているのになぜ実写化する必要があるのか、ということだ。確かにOは二次創作的なものだが、Oの原作から時間的な繋がりがあるという点でパラレルではなく同一世界を描いている。そして昭和から令和を彼ら(作中のあらゆるキャラ)はゆっくりと時間をかけながら生きているのであり、Oは彼らの人生の一部分を切り抜いたノンフィクション風のフィクションなのである。つまりOは、キャラクターたちが自分と同じ名前の役を演じてアニメというコンテンツを成り立たせているものなのである。さっきも書いたが彼らは様々な企業やコンテンツとコラボしており、本人たちがファッションショーに出たことだってある。私は彼らのハイタッチ会に行ったし、彼らが声優さんたちとイベントに出ているところをこの目で確認している。
実際にキャラクターたちは存在しているのだがら、わざわざ実写化する必要はない。そもそもアニメというコンテンツで既に実写化されているようなものなのだから。
この疑問に対してどう考えればいいのかと悩んだが、この実写映画化もまた二次創作なのだという理解に落ち着いた。
思えばこの世の中には、実在の人物の任意の設定を借りただけで中身は全然違う人物が活躍する作品が横溢しているではないか。武将しかり文豪しかり……。もともとの武将や文豪のファンの方にも色々な立場の人がいるとは思うが、多くはその二次的な創作物に賛同しているではないか。彼らは「○○は入れ物ではない!」などと激昂することもないであろう。その寛容の態度を私も見習おう。
Oはそもそも二次創作みたいなものだが、この度再度二次創作される。これは多分シェイクスピアが歴史上の人物を用いて作った戯曲をどこかの劇団がアレンジして演じるみたいなことだ。この度の実写化もそういうことなのだ。
はぁ……