はてなキーワード: ソファとは
まずは5歳の時!友達の兄(中学生)だ!ド田舎で親同士も交流があり、親の用事について行くことも多かった!ある日親同士が話している間、別室で友人の兄に遊んでもらったぜ!正直ないい子だった俺は帰ってからその時の話をしたぜ!
「あのねーKちゃんのお兄ちゃんと遊んだよ!ちんちんにチューした!」
その後親にその家に連れていかれることはなくなったぜ!!
次は小4!下校途中に車から声をかけられた!「吉田さんの家はどこかわかる?」たまたま知っている名前だったので教えてやったら「いいもの見せてあげるから手を出して」と言われたぜ!
なんとなくヤバイ気配を感じ「知らない人から物をもらったらダメって言われてます」と言ったら「見せるだけだから、手を出して」と食い下がりやがったぜ!しぶしぶ手のひらを見せると「もっと手を伸ばして」と言ってきやがったのであーこれはアウト!すみませーん知らない人から物をもらうのだめなんですー!と叫んで逃げたぜ!見せるだけって言ってたけどまあうまい断り方が見つからなかったんだよ何しろ小学生だしな!!
中一!当時は市街地に出かけるときは制服着用が義務だったのでセーラー服を着て友達と出かけたぜ!ワゴンを見ていたら後ろからおっさんがぶつかって体を押しつけてきたぜ!別に混んでもいないのに変なおっさんだ!家に帰ったらスカートになんか白いものがついていたぜ!!!
中二!図書館だ!ソファで本を読んでいたら隣におっさんがやけに密着して座ってきたぜ!立ち上がって本を置きに行ったらおっさんもついて来たぜ!最初は偶然かと思ったけどどの棚へ行ってもニヤニヤしながらついてくるのでさすがに気持ち悪くなって帰ろうとしたら同じエレベーターに乗ろうとしてきたぜ!すかさず階段で走って逃げたぜ!
なおこの図書館のトイレはその後、痴漢が潜んでいたということで改装されたぜ!あの時のおっさんかどうかは知らないぜ!!
まだ未成年時代かよ!なげーな!大人その1!自転車でずっと後をつけてきて家の前で服を思いっきりひっぱってきた外国人!このままアパートに入ったら部屋が割れるやべーぜ!気迫と曙似のぶつかり合い!こっちがチンピラ口調で凄めば向こうは自転車のハンドルを曲げてくる!こんな時は大声だ!視線をそらさず睨みつけたまま声だけは黄色い悲鳴!効いてる!たじろいだ!おっと向こうの家からちょうどいいタイミングで業者が出てきたぜ!「すみませーん変な人がいるんですー」曙似、逃走!その後通報したが捕まったとの報告はないまま引っ越してしまった!無念!!
その2!コンビニで深夜にバイトしてたらちんこ丸出しのお客様がいらっしゃいましたので車のナンバーを控えて丁重に通報させて頂きましたぜ!数ヶ月後に交通違反がきっかけで逮捕されたぜ!確認の写真を見たら俺が描いた下手くそで雑できったねえ似顔絵そっくりで俺SUGEEEE!!
その3!コインランドリーで洗濯してたらおっさんが外でちんこしごいてたぜ!しまった携帯忘れたから証拠写真も撮れないぜ!迂闊!その後交番に行って届けを出したけど若い巡査の描いた似顔絵がやけに小綺麗だったので捕まらなかったのはその似顔絵のせいだと思ってもいいかな!!
あとバイト上がり早朝のひったくり外国人(10分ほど追跡後逃げられる、自転車のタイヤにちゃんと空気を入れておけばよかったぜ!)とかちんこ丸出しのまま高そうな車で後をつけてくる兄ちゃんとか図書館のPCでネット見ながら机の下でガタガタやってる本格的にやばいやつとかいたけど省略するぜ!!というか人前でちんこ出したがる奴多すぎだな!?
さて真打ちだ!隣の部屋の住人!ある夜帰宅したら部屋のドアに紙切れがはさまっていたぜ!
「隣の部屋の者です。メアド教えて下さい ナントカ@ナントカ.jp」
対処に困っていると隣の部屋のドアがそっとカチャ…と開く音…俺の部屋のドアの前にいる気配…メモに気がついたか確認しているようだ…ふたたび隣の部屋のドアの音…帰った…
こえーーーーよ!!!!!
なお、その後この隣人は深夜にピンポン鳴らしたり深夜から早朝にかけて大声で脳内の誰か相手に暴言を叫ぶのを繰り返して何度も警察沙汰になったり自分で救急車を呼んで部屋から出てこなかったりした挙句いつのまにかいなくなった!今、その部屋には警察官が住んでいるぜ!!お疲れ様です!!!
ブサイクで半引きこもりの大嫌いな兄に結婚がバレた。母親がバラしてた。
前も書いたけど兄とは昔から仲が悪くて、向こうはおおっぴらに、こっちは内心で、見下し合う関係だった。
https://anond.hatelabo.jp/20180208001956
連休に実家に帰った。少し早めについたからか、母は買い物に出ていた(父は朝からゴルフ)。その代わり、兄がリビングのソファを陣取っていた。私の帰省を聞きつけたからだろう。
ま〜ん(笑)なんて言葉を実際に口に出す人間を、私は兄以外に知らない。ひと通りの嫌味(兄的には論破なのかな)の締めは、いつもなら「お前には結婚は無理w」ってやつなのに、今回は「底辺男の寄生虫」になっていて、母が喋ったんだと悟った。これを言いたくて兄は私を待っていたんだろう。ちなみに兄が言う寄生虫は専業主婦を指すが、私は仕事を辞めるつもりはない。
つばを飛ばしながらのマシンガントークが一段落ついたところで、「海外で家族挙式の予定だが、あなたの席はない」と伝えた。それまでヘラヘラ(でも、余裕ぶってるのが痛いほどわかる)していた兄が真顔になって、リモコンを投げつけてきた。それから大声で罵倒が始まったのは予想の範囲内だったけど、「今までさんざん良くしてやったのに!」って発言には思わず耳を疑った。
「具体的に何してくれたっけ」と聞くと、ちょっと驚いた顔してモゴモゴした後、「黙れババア」と地団駄を踏んだ。あなたより年下なんですけど…。
兄は興奮状態で、殴られるかもしれないと思った。でもちょうどよく母が帰ってきて、水が差されたのか、兄は壁を殴りながら2階の自室に戻っていった。
両親には、「私が自分で報告するまで、兄には結婚を知らせないでほしい」と言ってあったのに、口止めは無意味だったらしい。
「なんで話したの?」と母に尋ねると、「だってあなたのお兄ちゃんなのよ」と返された。ズレている。
ちなみに母が伝えた当日も、兄は荒れて大変だったらしい。
改めて、自分は兄が大嫌いなこと、兄からの仕打ちを許していないこと、ついさっきもひどい罵倒を受けたことを話した。
以前話したときは、「そうだよね、ごめんね」と聞いてくれたのに、その日は「でもお兄ちゃんにもいいとこあるのよ」とズレた返答を繰り返すばかりだった。
「お兄ちゃんはあなたが羨ましいの、わかるでしょ?」と言われても知らんし、「不器用なのよ」もはぁ?って感じ。
そして、あろうことか母まで「お兄ちゃん、優しくしてくれたこともあったでしょ」と言ってきた。
「いつ?私何してもらった?」と聞くと、出てきたのは「子供のとき、あなたは買ったばかりのドーナツを落として泣いた。その時兄が駆け寄って、自分のドーナツをちぎって半分差し出した」というエピソードだった。ドーナツをwwwww半分にwwwwwwwwwwwww20年以上前の話wwwwwwwwwwwwww
どっと疲れて、実家で夕食を食べる予定だったけどキャンセルして夫のいる家に戻った。
挙式には母の席もないかもしれない。いっそ式自体諦めたほうがいいのかも。
……母がドーナツのエピソードを話した時、私は「そんなの覚えてない」と言った。でも本当は微かに覚えている。たしかちぎったドーナツの、ちょっと大きい方をくれた。
監視している兄のtwitterの女叩きが加速しているのを見ながら、あの頃の兄が事故か何かで死んでくれてたらよかったのになと、今週ずっと考えていた。
その後の話
社長が、マネージャ達に下がり続ける売り上げをなんとかしろと激を飛ばすレターを出した。
しかし、我々統括者チームが首になったときには、過去最高売り上げと利益を出し
つまり、因果応報、自分に跳ね返ってきてるだけだから、それに気がつかないと何も変わらないだろう。
施策を考えたり、調整能力が高かったりの仕事の結果は評価されない。
上司に気に入られるように、立ち回る人が出世する傾向が強くなり、多様性がなくなっている。
結果として、組織の力が落ちている。
なんといっても、今は、個人の実績や能力は評価せず、その人の腰掛けているソファを評価する制度になっている。
ようするに、大昔に流行った、学歴主義(その人を評価しないでその人の着ている服を評価)に原点回帰している。
座らせているソファなので、退化しているが。
もともとは、ベテランの年収を減らして、目立たないようにリストラ、または、固定費削減を進めるための制度だが、やりすぎてしまった。
急激な入れ替えのために、組織による教育ができなくなり組織力が落ち込んでしまった。
バレー部にたとえれば、2年生、3年生が全員いなくなり突然1年生だけになってしまったようなものだ。
どこかのWebの記事に
「50歳過ぎた社員は新しい価値を生まない」空前の人手不足でも進むバブル世代のリストラ」
という記事があった。
50代以上は、お荷物という傲慢な態度にはびっくりするが、安定した権力の座に長くいると魂が落ちぶれていくのは、やむを得ないのだろうか。
昔のリーダーのほうが気骨があったような気がする。
Web上で、いかにも経営改革進めていますよという、投資家向けのアピール記事でしかなく
会社を追い出される、ひとりひとりの心の声は聞こえず、また、一人の退職は、悲しむべきできごとだが数百人のリストラは、統計上の数字でしかない。
少なくとも私は、この記事読んで、今後、一生、絶対に、○勢丹と○越では買い物しないと神に誓った。
経営の失敗の恥ずかしい話を、投資家向けのアピールの為に記事にする経営者の素養を疑う。
私の父親が、この人じゃなくて、本当に良かったと思った。
はっきりと見た目からヤバい子がいた。小学生くらいで大柄でこぶとり、目が吊り上がり、落ち着きなく待合室の中をあちらこちらへ移動していた。周りの人たちは、はっきり出さないまでも少し警戒している。
しばらくすると明らかに年齢差があり、ふつうの小学生なら視野にも入れないであろううちの娘の隣へ来て、べったりくっついて絵本を覗き込んできた。ああこれどうしようかなぁ、と思ったら診察に呼ばれたので逃げられたけれど。
立ち上がりながら、保護者なにやってんだ、と待合室を見渡すと、それらしき方がいた。落ち着いた服装でおそらく30代くらいで、ぐったりとソファの背もたれに寄りかかってものすごく疲れた顔をして、でも自分の子どもをしっかりと見ていた。目が合ったので会釈すると、会釈が返ってきた。
ああそうか、このお母さんは精一杯やっているのか。たぶん目を離さないようにするのでやっとなんだ。子どもの対応で疲れ果てているけどそれでも義務はきちんと果たさないといけない。ほんとうはきちんと声をかけるべきところ、癇癪を起こされないことのほうが優先されるということだと思われる。
なんてつらいんだろう。
おなかの中にやってくる子どもはおおよそ親の気質を受け継ぐ。よく寝る子、寝ない子、おっとりした子、神経質な子、静かな子、うるさい子。そのなかには、いろんな精神的疾患(これで呼び名合ってるかはわからない、間違っていたらごめん)を持って産まれてくる子がいる。これは気質と似て非なるもので、療育や投薬でうまくつきあっていくものではあるけれど、治るものではない。
このあたりのことは難しい。
療育がうまくいけばいい、でもうまくいかなかったら?ただのモンスターだ。ひどい言い方かもしれないけど、意思の疎通ができず、欲望のおさえがきかない人間を四六時中みていなければいけないとなったら、それは愛だけでなんとかなるものではない。
ほんと、どうしたらいいんだろね。
夫が出て行った。
同棲とはいっても、結婚式の資金を貯めようという目標で、私の実家で、母も一緒の同居生活。
夫の肩身は狭かっただろうと思う。不自由の無いようにと私自身気を使っていたつもりではあったし、母も気を使ってくれてはいたが、それでも、本人が一番気を使ってくれていたと思う。
当時、私は派遣社員、夫は契約社員だった。とはいえ夫は、同棲を始める一年半ほど前まで、働いていなかった。前の会社を試用期間中に勢いで辞めて、そこから転職活動もそれほどしないまま、半年。他にも理由は様々あるが、とにかく私達には金銭的な余裕が無かった。
私は一人っ子で、正直親はとても過保護だ。それもあってか、私の実家での同居を母から提案された。私の本来の実家はドのつく田舎だった。中学受験をして私立に通い始めた際に、母と二人で中学に通いやすい所に越してきた。
父は変わらず田舎の方の実家に住んでいるため、母と三人での同居生活だった。
この同居生活での肩身の狭さや、ストレスも、夫が出て行った原因の一つではある。
しかし、大きな理由は、ここのところずっと、揉めていたことにある。
揉めていた原因は二つ。
一つは、籍を入れるほんの二週間ほど前に、その数ヵ月前に夫が義両親に大金を貸していたことが判明したことだ。
勿論、私は相談さえ受けておらず、判明した際はうろたえたし、信じられないと泣いた。もしもそれが、ほんの数万円ならそれほどまでにならなかったと思う。ただ、その金額は夫の給料の二ヶ月分近い金額だった。
調度、貸していた時期から、「お金がない。きつい。」と何度も口にしていた。ただ、日頃の生活で派手にお金を使っている様子もないし、何故なのかが不思議だったことをよく覚えていた。外食などで夫が支払ってくれることもあったので、お金がないのは私のせいではないかと、何度も謝ったこともあった。
しかし、違った。謝る私に対して、夫は私のせいではないと否定してくれることも、親にお金を貸したせいだと話してくれたことも、一度もなかった。
相談してもらえなかったこと。話すタイミングはあったのに話してもらえなかったこと。たまたま判明しなければ恐らくずっと知らされずにいたこと。
これらが嫌だった。
婚前であったし、お金をどう使うか、私が口を出すのはおかしいような気もした。
ただ、昼食代がかからないようにと夫に頼まれて、毎日夫よりも早起きをしてお弁当を作っていたのは私だ。
また、短期間でお金を貯められたのには、私の両親の協力もかなり大きかった。父が実家で作っているお米を持ってきてくれるからお米は買わなくてよかったし、母も食料品を買ってくれることが多く、食費にお金を使うことは少なくて済んでいた。こういう両親の気持ちを踏みにじられたようで、私の気持ちを踏みにじられたようで、ただただ、悲しかった。
夫はかつて、気軽に友人や職場の人にお金を借りたり貸したりしてしまう金銭感覚の持ち主だった。それに関しては、信頼を失うことにも繋がりかねないと何度も伝えてきて、本人も納得はしてくれていたし、貸し借りをすることはなくなっていたのだが。その相手が、両親というのは、盲点だった。
しかし、よくよく考えると、一番最初に言わなくてはならないことだったのかもしれない。 思い起こせば、同棲を始める前にも、義両親は夫に「働きだしたら月に10万は家に入れてほしい」と言ってきたこともあった。結婚を考えている息子に対して求めることではないのではないかと、その時も、夫ともめた。
そう考えると、息子が貯めたお金をごっそりと持っていってしまうことは、何ら不思議ではなかった。
本当に何かしらの理由で、金銭的困っていたのであれば、仕方がないのかもしれない。私だって、万が一自分の親に頼まれたら、相談をした上で、自分の生活に影響がない範囲でいくらかは貸すだろう。
ただ、調度夫が貸した時期の直前に義両親が車を新車に買い換えていたことを聞いていた。だからこそ、信じられないという気持ちだった。ましてや自分達だって経済的に豊かではないし、現にお金を貸したせいで余裕は全くなくなっていて、自分達の生活が圧迫されている。
結婚を考えていて懸命にお金を貯めている息子からお金を持っていかなければならないほど、金銭的に余裕がないのなら、新車に買い換えるのはおかしいのではないか。
他所の家のことながら失礼だとは思いながらも、夫に言った。この発言がありえなかったのだと、後に言われた。
しかし、私からしてみれば、義両親のしたことこそが、ありえなかった。
もう一つは、義両親が夫に借りさせた消費者金融のローンを返していなかったことだ。
つきあい始めて一年にも満たない頃、夫から、弟の学費分の奨学金を親が生活費に使ってしまって学費が足りなかったから、自分がネットで手続きをして消費者金融で借りた、と話してきたことがあった。
なぜそこで夫が借りなければならないのか。自分ではもう借りられないほどあちこちから借りているせいなのではないか。色々なことが頭を駆け巡った。
聞いてみたところ、母親はインターネット等に疎く、自分がした方が速いからそうした方がいいと思った、とのことだった。
親のためとはいえ、何故そんなに簡単に借金をしてしまうのか、どういうことか分かっているのか、など、この時もかなり揉めた(というか不機嫌になられた)が、精一杯丁寧に説明をしたつもりだった。そして、親に頼まれてももうお金は借りたりしないと約束してくれた。
今回借りたものもすぐ返したから大丈夫だ、とも言っていた。もうすでに返済されていると、夫自身も思っていたのだ。
判明したのは、今月の初めだった。消費者金融のことをふと思いだし、完済はしているかもしれないが、解約したのかどうか夫に尋ねたところ、解約したかは分からないとの答えだった。嫌な予感がした。義両親に確認するよう頼んだところ、解約していないどころではなかった。そもそも返済自体が終わっていなかったのだ。二年近く前の借金をいまだに毎月数千円ずつ返しているという。理解ができなかった。消費者金融のホームページでシミュレーションをしたところ、その数千円の半分以上が利子になり、元金は半分も減っていなかった。
入籍前にも、私は消費者金融のことや、借金のことを再三夫に聞いていた。本当に返済が終わっているのか、他に借金はないか、等。当然ながら、夫は不機嫌になるし、ないの一点ばりで、義両親に確認することもなかった。私も、不機嫌になられるのが嫌で、しつこく食い下がることをしなかった。これがいけなかったのだろうかと、自分を責めたけれど、よくよく考えると、私は何も悪くない気がした。
確かに、こんな疑惑を抱いたまま入籍した私の見通しが甘かったことに関しては、私にも非があると思うが、大丈夫と言われたら、それを信じるしかなかった。
義両親への確認を怠った夫は確かに悪い。ただ、夫にはまるで、借金が残っていることの何がいけないのかという知識がなかった。その借金が残っていることで、車が欲しくなったときに車のローンが組めなくなる可能性があること等。それは、どうしようもないことだ。
でも、何より、やはり私は義両親が許せなかった。籍を入れる際に、本来であれば、夫に伝えるべきではなかったのか。
そして、何より、息子に借金を背負わせた状態で、自分達は新車に買い換えたり、頻繁に日帰り旅行に行ったりしていること。これはおかしくはないかと。
夫がお金を貸してからというもの、私の何処かへ行きたいという訴えはことごとく、「金ない。きつい。無理。」で却下されてきた。何処かといっても、遠方への旅行ではない。ごくごく近場の動物園や、水族館でさえも、却下されていた。
しかし夫はやはり、義両親の味方だった。
思えば、今まで夫と揉めたことの原因は、9割近くが義両親が何かしら言ってきたか、今回のように何かしらしてきたか、のどちらかだった。そして毎回、夫は義両親の味方だった。
入籍前ならまだしも、籍を入れてもそうなのだと気付いたら、やるせなかった。私の存在意義とは何なのだろうか。私は家族ではないのか。
夫に問うと、家族だと言った。
違うと思った。
実は夫は出て行った後、一度帰っては来たのだ。
しかし一週間足らずでまた、同じような話題になり、また、出て行った。
帰って来た後も、話し合いをする度、「もう嫌だ」「無理」「こんな話しんどいからしたくない」「もう別れる」などと口にして来た。その度に、簡単に別れをちらつかせるのを止めてほしいとは言っていた。けれど、「気を付ける」の言葉とは反対に、不機嫌になるとそれを口にしていた。
そして、これは以前からそうだったが、不機嫌になるとあからさまに声色を変えて、普段では絶対に呼ばないのに、私のことを「お前」と呼ぶ。これが私は一番嫌だった。これに関しても、止めてほしいと伝え、「気を付ける」と言ってはいた。「気を付ける」といった次の日とその数日後にはまた不機嫌になった際に「お前」と言われたけれど。
夫は、話し合いをするのが、苦手だ。口下手というのか、どう表現したらいいのか分からないが、
話しているうちに話が脱線して、最終的に何が言いたかったのか伝わってこない、そんなタイプだ。
また、こちらが質問したことに対して、頓珍漢な返答をしてくることも多い。これはどうやら、こちらが投げた質問に対して、頭の中で考えを巡らせた結果、行き着いた感想や感情を口にしているらしかった。つまり、夫の中では筋が通っているのだ。しかし当然ながら、私には夫の考えていることが分かるわけではないのだから、頓珍漢な答えが返ってきた、となる。そして、どうしてそうなったのかを尋ねると、「(言いたいことを)全然分かってくれない」と、また怒る。
話をするのが少し苦手なことは仕方がないが、上手く言葉が出て来ず私に言い返せない時、イライラして座っているソファを叩いたりするのは、やめてほしかった。
私自身、説明をするのは得意ではないし、話をするのも、それほど上手くはないと思う。
文章だって得意ではないし、こうして振り返りながら書いてみてもとりとめもないものになってしまう。
ただ、それでも、夫のことを分かりたくて、私のことを分かって欲しくて、私なりに精一杯話してきたつもりだった。
夫が出て行って、それが全て、無駄だったと言われているような気がした。
夫が今後どうするつもりなのか分からない。
私も、今後どうするのがいいのか、まだ分からない。
情けないことに夫が出て行ってから、食事をしても殆ど吐いてしまう状態が続いている。薬を飲んではいるが、胃痛もなかなかおさまってはくれない。
ただそれでも、今は、待つしかないのだ。
誰かのためになればいいなぁとは思ったけど、ほぼ自分のために書いた文章というか日記なので読みにくいと思う。ごめんなさい。
最近、鬱っぽいというか夜勤中に精神的余裕がなくなるスピードが早いのと物忘れがひどくなってきたので、心療内科に行ってみたんよ。元々、自分は精神的な病気なんかとは関係ないと思ってたんだけど、ツイッターなんかでわかり手さんとか借金玉さんとかのツイートやブログ見てたら行ってみるのもありかなぁと思いまして。
心療内科の初診の予約取るのもわりと時間が必要だった。電話をすることへのストレスと電話をしたらもうあとに引けない気がしたから。でも、仕事中に頭がパンクしそうになった時があってそこでもうダメだと思って勢いで予約の電話をした。
とりあえず、電話に出てくれた看護師の人には鬱っぽくてということで受診の予約をした。
初受診当日、逆算思考が苦手なのと方向音痴な自分を気遣ったら予約時間の40分以上前に最寄駅に着いてしまったので30分くらい散歩してから病院に向かった。
何というか、最寄駅から病院の場所を確認して散歩で時間を潰している間、ずっと憂鬱だった。怒られるわけじゃないと分かっていても、どんなことを聞かれるんだろうと考えていると頭がずっしりとしてくる。
それで、いよいよ、初受診の時間。心療内科らしく待合室のソファも診察室の椅子もふかふかだった。
ドクターには具体的に困っていることを聞かれたので前述した通り、夜勤中の精神的余裕の無さと物忘れがひどくなってきていることを伝えた。
それから、鬱の診断を下すための質問をされた。DSM-5とかいう本(世界共通の診断基準って言ってた)に沿って質問されて、それによると鬱ではないということで、抑うつという鬱っぽい状態だと思う的なことを伝えられた。
それから、順序が曖昧だけど次にADHDかどうか診断する質問をされた。集中力はあるかとかそういうやつ。それによるとたしか、軽いADHDとのことだった(ADHDに軽いとかあるかどうかわかんないし、もしかしたら自分を障害者と認めたくない自分の意識が邪魔して軽いやつと認知したのかもしれない)。
まぁ、その時点で多少はショックだったんだけど、高校で塾やめたら一気にガタ落ちした成績のこととか集中力の件とか思い返すと、しょうがないかぁという感想。
で、たしか次が心理テストでA4の紙に実がなっている木を書かされた。ドラマとか映画で見たやつ!と思いながら、真ん中にこれだと小ちゃいかなぁ…でも大きく書くのめんどくせえしなんでそもそも大きく書かんとあかんのやと思いながら木を書いてリンゴを3つほど付け足した。書いた後にリンゴの味を聞かれたので普通ですかね、と答えた。
診断によると自分は頑固で人の目を気にして抑圧状態になってると言われた。まあ、たしかにーという感じだったのでそうですねーと答えて、ドクターからの総合的な見解はADHDとそれによる二次障害的抑うつ状態とのことだった。
集中力がなくて仕事がうまく回せてないのをどうにかしないとという話の結果、コンサータが処方された。あー、借金玉さんが言ってた飲んで吐き気と戦いながら仕事するやつかと思いながら、それを2週間分処方してもらった。
それと、ドクターからは仕事のストレスを溜め込むのはよくないから自分でブログに書くなり愚痴ノートを作った方がいいとの言葉も頂いた。
で、先月にインターネットのお陰でできた彼女の家に向かうバスの中でぼおーっとEva CassidyのFields of goldを聞いてたらどういうわけか涙が止まらなくなった。どういうわけもなく、自分が発達障害であるというショックがそのタイミングで襲ってきたんだろう。彼女には病院に行くとは言ってたけど、「なんの病院?」という質問には答えられず、健康診断の聴力検査でひっかかったから耳鼻科に行くと嘘をついた。
自分が障害者であることを家族にも彼女にも、今度新幹線で久しぶりに会いに行く数少ない友達にも言えないなぁと考えるとセンチな気分になってバスの中で泣いてしまった。
重く考えすぎだよなぁとこれを書きながら思いつつも、あと1回くらいは泣きそうだなとも思う。案外、言ってしまえば周りは受け入れてくれるのかもしれないけど、急に「俺、実は発達障害だったんだよね」と知り合いに言われても反応に困るだろうから、とりあえずは言わないでおこうと思う。
それにしてもなー、これからどうしよう。いや、特別どうもしないんだけども。
とりあえず、彼女の家で帰宅を待ちつつ、夕食の献立を考えつつ彼女に貸したスプラトゥーンでもするかなぁ。あ、コンサータ飲んだらウデマエ上がるかな?
人生で初めて中絶を、しかも海外(先進国です)で経験してきたのでその一部始終等を書こうと思います。
衝動的に書き始めてしまった上に、初めての投稿で思ったより長く、読みにくくなってしましました、すみません。
他に同じような内容をポストされてる方がいるかわかりませんが、似たような境遇の人たちの参考にでもなればいいし、そうでない人たちにも暇つぶしにでも読んでもらえれば嬉しいです。
やばいと思ったので12時間以内にスーパーの薬局で緊急避妊薬を購入
(私がいる国では薬局で処方箋なしで緊急避妊薬が買えます。値段は4000円ほど。)
3週間経っても生理がこないので妊娠検査薬で検査したら妊娠発覚...
確率は諸説ありますが避妊失敗から12時間以内の緊急避妊薬の服用で90%以上の確率で避妊できるのはたしかっぽいのにどうしてこんなことに...
妊娠発覚してから、一般的にみなさんどれだけ悩まれるかわからないですが、私の場合はほぼその場で「中絶しよう」と決心していました。
理由としては3点:
2)経済的余裕がない
じゃあ普段から低容量ピル飲んどけよって話なんですが、そこについては反省しました。
「地名 abortion clinic」みたいな感じでググると自治体のWebページが出て来ました。
基本的に中絶は自治体が承認した少数の病院でしか行われません。
今回私が選んだ病院は中絶・避妊専門の病院で、その病院ではほぼ朝から夕方まで営業時間の間ずっと中絶行為が行われていました。
私の選んだ病院はどちらか好きな方を選べて、私は電話が苦手なのでウェブで申し込みました。
最後の生理からどれくらい経ってるかとか、持病の有無とか、自治体の健康保険に加入してるか否か、みたいな質問が続く問診票を埋めたら仮予約は完了です。
病院からのメールは、プライバシーの保護の観点からメール自体にはほぼ何も書いてなくて、ウェブ上のメールサービスへの招待と、そちらでやり取りをしようという内容でした。
こうすることによって中絶の情報を、特に職場でメールを見る人たちが多いので、他人に見られる可能性が減るのだそう。
費用は無料でした。中絶手術そのものに加えて、手術前のカウンセリング、手術後に始めた低容量ピルも無料でした。全部自治体の健康保険でカバーされるらしい。
ちなみに、保険未加入でも日本円で50000円弱と日本に比べてかなり安いみたいです。
いよいよ中絶手術当日がやって来ました。
予約はお昼でしたが、朝から何も食べるなとの指示があったのでお水を飲んで凌ぎました。
病院に着くと、玄関のドアに鍵がかかっていてインターホンが。押してみると看護師さんが応対してくれて、名前と予約時間を告げるとドアのオートロックを開けてくれました。
びっくりしたんですが、このドア、なんと二重扉になっていました。
1枚目のドアを入ると受付から入った人が見えるように透明な小部屋のようになっている短い通路があって、そこの奥に2枚目の扉があります。
看護師さんは怪しい人間がいないことを確認して2枚目のドアを開けるそうです(付き添い禁止の病院だったので付き添いを入らせないためでもあるっぽいです)。
受付をすませると緑のガムテープを2切れ渡され、スマートフォンのインカメと外カメを覆うようにはりつけろと指示をされました。ここでもプライバシーの保護が重きが置かれていました。
待合室はシンプルです。ソファが並んでいて、ウォーターサーバーがあって。
一つ特殊な点があるとすればサイドテーブルに山盛り避妊具が置かれていて、好きなだけ持っていけるようでした。
15分ほど待つとカウンセラーさんに呼ばれてカウンセリングです。
ここでは手術の具体的な工程の説明をされ、その上で中絶をすることに対して罪悪感があるか、どのように罪悪感に対処しているか、など精神科っぽいカウンセリングを受けます。
このカウンセリングで、日本との中絶に対する姿勢の差を強く感じたのは、そのカウンセラーさんが言ってくれた「あなたはきちんと自分のやったことに対して責任を持っているわ」という言葉でした。
こちらの国では中絶も一つの選択肢である、と認められていると感じます。
もちろん中絶に反対する活動家の方はいらっしゃるようですが、少なくとも医療関係者が患者に説教したり、否定的な言葉をかけたりすることはありませんでした。
「中絶は善でも悪でもなく、医療行為の一つである」という共通認識がしっかりあって、個人の選択が尊重される風潮がある。
これで随分精神的に楽になりました。
トイレで下着を脱いで、妊娠を確認するための尿検査をした後、病院で渡された巻きスカートのようなものに履き替えます
妊娠の確認が取れると、抗生物質と強めの痛み止め・吐き気どめを処方されるので飲んで、薬が効き始めるまで待ちます。
30分ほどカーテンで囲われた大きな一人用ソファでリラックスしたあと、いよいよ手術室に呼ばれました。
まずは看護師さんが採血をしてくれます。これは梅毒やHIVの感染の有無を調べるもので、強制ではありません。その後麻酔兼気分がふわっとする薬を注射してくれます。
そして先生がやってくると、まずは超音波で再度妊娠の有無を調べます。
潤滑剤ベタベタの避妊具をかぶされた直径3cmくらいの器具を挿入されて、具体的にどの位置に胎児がいるかを確認します。
薬で多少気分がぼけっとしていたので記憶が怪しいのですが、子宮口を器具で広げられ、クラミジアや淋病の検査(こちらは必須でした)のために細胞?を採取されたあと、吸引機を挿入、吸引開始されました。
この吸引、めっっっっっっっちゃ痛い。麻酔全然効いてない(個人差があるようです)。5分ほどでしたが、これも報いかと思いつつ人生で一番痛い経験をしました。
手術が終わるとあらかじめ用意していたナプキン付き下着を履かされ、手術前に座っていた大きな一人用ソファに戻され、麻酔が抜けるまでまた30分ほど休憩です。
そして手術後の出血が酷くないことを確認されたあと、術後の注意点が書かれた紙を渡され、すべての工程が終了しました。
注意点としては2週間膣内に何も入れないこと(タンポンもダメ、お風呂もダメ)、出血がやばい時は病院直通電話番号があるのでそちらにすぐに電話することを告げられました。
帰宅に関しては、タクシー帰宅を厳命されたので、タクシーに乗って帰宅、即布団へ倒れこみ次の日の朝まで寝ていました。
術後の経過はいたって良好でした。徐々に出血は減っていき、2週間ほどでほぼ出血がなくなりました。中絶後初めての生理もちょうど3週間後に来ました。
避妊のためもありますが、低用量ピルの服用は中絶で傷ついた子宮の回復と、生理週間を正常に戻す手助けをする作用もあるようです。
特に問題がない場合は術後の診察も必要ないとのことだったので、あれから特に病院へは行っていません。
中絶、めっちゃ辛い(精神的にも物理的にも)。もう二度としたくないですし、するようなシチュエーションに陥らないように対策はしていきたいと思います。
罪悪感はもちろんあります。中絶前・中絶後共に「本当に堕してよい(よかった)のか...この子(胎児)の命を私の勝手で奪ってしまって許されるわけがない...」など考えました。
カウンセリングがなければ精神的な辛さはもっとひどかったと思います。
自分の選択に責任を持って、などと大それたことは言えませんが、自分の意思で堕したということはしっかり胸に刻んで避妊を徹底していきます。
今回海外で中絶をして、社会福祉の一環として中絶がサポートされているなと感じました。
低用量ピルを服用していても100%妊娠を防げるわけではない以上、日本でも緊急避妊薬や中絶は選択肢として、もう少し身近なものになってもいいなと思います。
私はセックスが好きです。彼氏とセックスするときはとても幸せです。スキンシップは大事です。
なので妊娠はしたくないですがセックスはします。もちろん、自分でできうる限りの避妊はしますが、妊娠してしまうときには妊娠してしまうと学びました。
ですが女性の人生プランにおいて、子供ができるということが必ずしも歓迎できることではないシチュエーションは存在すると思います。
中絶は褒められたことではないですが、そういう場面に直面したとき、頭ごなしに否定するのではなく中絶も一つの選択肢として受け入れられていけばいいなと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ふと思い立って書いた文章ですので、思ったより長くなってしまいましたし、表現等変な箇所があるかもしれないです、すみません。
自分の経験、感じたこと・思ったことを書かせていただきました。
賛否両論あるかと思いますが、あくまでも私個人の感想であって、社会がこうあるべきだ!!とか、日本が間違ってる!!とか言いたいわけではないです。
ただ、同じような境遇の方や関係者の方が、本当に追い詰められた時に、中絶が必ずしも悪いことではないと言っていた人がいたな〜くらいに思い出していただければ幸いです。
38度2分。
入園したての子供は、まだ慣れてないせいもあってママにベッタリ。
いつもなら落ち着くまで抱っこしたり、一緒に遊んだりするけど、今日は何もしてあげられない。
その状態で、旦那に夕飯の用意ができないから外で食べてきてとメッセージを送った時、かんしゃくを起こした子供が、おもちゃ箱をひっくり返して泣き出した。
こりゃダメだなと思って、何もかもを放りだし、子供を連れて布団に入った。
鼻が詰まって苦しいと思いながら寝ていたんだけど、トントンと叩かれて目を開けたら旦那がいた。
あれ、もう夜?
そんなに寝ちゃったのかと勘違いしてパニクってたら、「ポカリとオレンジジュースとお茶。どれがいい?」って聞いてきたので、反射的に「ポカリ」と答えた。
すぐポカリを入れてくれた旦那に「どうしたの?」って聞いたら「しんどそうだから一回帰ってきた」と。
テーブルの上にあったビニル袋には、おかゆとスープはるさめとカップ麺が入ってた。
そのあと旦那は、家で少し仕事をして、風邪薬買いに行ってから仕事に戻っていった。
昼寝前は怪獣だった子供は、パパの顔を見て落ち着いたようで、いまは大人しく遊んでいる。
30代前半、男、既婚、都内在住。精液検査を受けてきたので、その一部始終を余すところなく書いてみたい。誰かの参考になれば嬉しい。
訪ねたのは男性不妊の専門クリニックで、インターネットで事前に予約済み。受付へ行くと、20代と思しき女性職員ふたり組が迎えてくれた。名前を告げると、本人確認できる書類を求められ、代わりに問診票と番号札を渡される。以降は基本的に番号で呼ばれる。
待合室には夫婦ひと組、女性ひとりが座っていた。壁の外周に向かうように椅子が並べられており、お互いの顔は基本的に見えない。プライバシーの面は全体的によく配慮されていると感じた。
さて、問診票である。これは軽いアンケート用紙に近い。既婚か未婚か、子作りを初めてからの期間はどれくらいか、不妊治療に対して抵抗感はあるか、などなど。記入をためらうような項目はまずない。さっと記入し、受付に提出。
記入から5分も待たないうちに、奥の方から職員の男性が現れ、番号で呼ばれた。個室に連れて行かれる。部屋の扉には「採精室2」とあった。30年以上生きていて初めて見ることばだ。
部屋は薄暗い。リクライニングソファ、ティッシュ、ウェットティッシュ、ゴミ箱、そしてDVDプレーヤーとテレビがある。あ、もちろんヘッドフォンも。自分は入ったことはないけれど、ビデオ個室ってこんな感じなのだろうか。
男性職員は、薄いプラスチックのカップを取り出しながら言った。「今からマスターベーションして、全精液をカップの中に入れてください」。
まずは、シールにフルネームと禁欲期間を書き、それをカップに貼ることから始まる。検査結果に取り違えが生じないためだろう。ただし、このシールの粘着力が極めて弱く、カップの丸みに負けてしまい、今にも剥がれそうなのが気にかかった。
さて、出すものを出さねばならない。職員の男性は、去り際に「いくつかDVDもありますので、どうぞご利用ください」と言っていた。見ると、DVDが10枚ほどある。標準的な趣味に近い品揃えだった。傾向で言えば、眉毛が細いギャル系のものが多かったかもしれない。
また、一冊だけエロ本があった。一糸まとわなかったり、スク水をまとったりする女性たちの写真が掲載されていた。むかし河原の土手に捨てられていたタイプのやつだ。実用性はほとんどないように見受けられたし、全体的に本にしわが寄っていて、あまり触りたくなかった。
ここで耳よりの情報だが、採精室にはwifiが飛んでいる。このクリニックが用意したものかどうかはわからない。とにかくカギのないwifiが飛んでいる。言うまでもないことだが、スマホとwifiがあればなんでもできる。
このとき、クリアファイルに閉じられ、壁に掛けられた注意書きが目に留まった。20分程度しても部屋から出てこない場合、この日の採精は諦めてもらい、後日の再検査をお願いする、とのこと。
自分は設備観察などをしていたし、あまりに早く部屋を出るのもどうかと思ったので(このあたりの気持ちは女性には分からないかもしれないが、そういうものだ)、ゆったりと構えていたところがあった。時計を見ると、すでに10分近くが経とうとしている。焦った。
とはいえ、いざ採精しようとすればすぐにできるのも男というものだ。ティッシュ及びウェットティッシュで入念に掃除をし、個室にカップを置きっぱなしにしたまま、部屋を出れば終わりである。
待合室に戻ったら、受付の女性に「終わりました」と告げればよい。それ以上の言葉はいらない。すると、受付が職員の男性に完了の電話連絡をし、プラカップを回収した職員が、検査にかかるおおよその時間を受付に告げ、それが自分に伝えられる。
検査結果がわかるまでは、だいたい1時間だという(後日郵送もできるらしい)。しばし外出して、近くのドトールでコーヒーを飲みながら待っていた。
そもそもなぜ精液検査を受けたかというと、もちろん子どもを希望したからである。子作りを始めてからまだ3か月強だが(このあたりは妻と見解の相違がある)、思うような結果が出なかったため、いっちょ受けてみるかという気持ちになった(妊娠に備えて婦人科に通う妻からの示唆もあった)。
自分は、「何かが分かる」という体験自体が純粋に好きな人間である。そもそも、たとえ種無しだったとしても、自らの男性性というか、存在意義が揺らぐとは微塵も考えていなかった。
はたして、結果は、無精子症であった。射出された精液のなかに、精子が一匹もいなかったのである。
無精子症は100人に1人の割合で現れるという。そのほとんどが無自覚であり、自分もそのような疑念を抱いたことがなかった。顕微鏡で自分の精液を観察する趣味はなかったし(どうやらそういう御仁もいるらしい)、まあ「正常」なのだろうと考えていた。3か月強の頑張りで子どもができないのだってたまたま(偶然)で、ごく普通のことだと考えていた。ひとことで言えば、精液は出るのにそこに精子はいない、という想像力は持てなかった。
もういちど検査しないことにはわからない、とドクターは言う。次回はエコーや触診をともなう詳しい検査になる。ただし、通常ならば数千万や数億のオーダーで観察される精子がゼロだったのだから、これはもはや体調だの検査上の誤りだのといった可能性はないだろう。
その日は、友人の結婚式の二次会に参加する予定だった。精液検査からパーティーへと向かう人間はなかなかいないだろう。検査結果が無精子症ならなおさらである。しかも、新郎新婦はいわゆるデキ婚だ。なんたる巡り合わせだろう!
この日、もともとは終電帰宅も辞さない構えだったが、精子がゼロという結果が出た以上、いち早く妻に伝えねばならない。帰宅して上記のように説明したところ、妻は「オケーコ」と言った。オーケーという意味だ。妻はどんな言葉も語尾を伸ばして「コ」をつけるイルな言語センスをもっているのだが、こうしたシリアスな状況下でも口にするのだなと強く印象に残った。
さて、どうしたものだろうか。
今回の結果を知り、自分は多少のショックを受けた。だが、なぜショックを受けているのかが分からなかった。もちろん子どもができない可能性が示唆されたことは残念だし、妻には本当に申し訳ないなと思う。しかし、無精子症であっても各種不妊治療による妊娠は可能だし、子どもができないならできないで、妻と二人で生きていくのも十分にありだと思っている。妻も、もともとそういう考えの持ち主であった。だから、挙児の可能性が低くなったことは、ショックの根本原因とは言えないと思う。
では、この違和感はどこから来るのだろう。一日考えてわかった。自分ではにわかに信じがたいし、認めたくないのだが、やはり「男性性が傷つけられたことに対して」と考えざるを得ないのだ。常日頃から「男らしさ」などは馬鹿馬鹿しいと考えているのだが、生物学的に子孫を残せない(かもしれない)可能性が示されると、ナイーブにも傷ついてしまったのだ!
つまり自分は、メタ的に「ショックを受けている自分」を知覚して、ショックを受けているのだった。これは、はてブの構造に極めて近いなと思った。そこで、長らくはてな村に籍を置く一員として、なにか村人たちに還元しなくてはと考え、こうして初めて増田を書いている。
すっかり話がずれてしまったが、精液検査は10,000円前後で可能だ。後で知ったことだが、一般的に夫は精液検査に極めて消極的で、妻がどうにか説得して来院するケースが多数派らしい。また、検査を受けるにしても、自宅で採取した精液を密封容器に詰め、妻にクリニックへと持っていかせるケース(!)が多いとのこと。
無精子症っぽい自分が言うのもなんだが、それってあまりに男らしくないっしょ。はてな民諸兄におかれましては、当記事で心理的不安を払拭し、然るべき時が来たら自ら率先して精液検査を受けてねという話でした。
久々の静かな午後。スマホで生放送動画を付けっ放しにしたまま、一人でソファで寝てしまった。
寝落ちてからどれ位経ったろうか。配信主の鼻歌が聞こえて来た。気を抜いた感じの、リラックスしたハミング。目を閉じたまま、ゆっくり脳みそが覚醒していく。
ヘッドフォンで聞いてたから声をすごく近くに感じる。歌声は私を包み込むような温かさで、とても心地良くて懐かしい。このまま目が覚めなければ良いと頭の奥で鈍く願った。でも軽い違和感がある。
このリビングに成人男性の声がする事は数年無かったから。夫が居た時も、彼は自室にこもりっぱなしだったけど。
重い瞼を時間をかけて開き始める。別居中の夫が近くにいるみたいに錯覚しそうになったのだ。あの人もよく、こんな風に呑気に、間延びした感じで、デタラメな歌を陽気に歌ってたな。
もう多分、言葉すら交わす事もないだろうし、夫は今や本物のガチクズと化してしまった。私達の作った家庭は、とっくの昔に無残に壊れて砕け散った。
声の質は全然似てないが、明るくて繊細なニュアンスが夫のそれとどこか似通っていた。この歌声でかつて愛があった頃の夫の感触が五感で蘇ってきてしまった。夫の腕の中で目が覚めたような感覚が、微かに。
あの空気に一瞬引き戻されて、胸の傷が疼いた気がした。瞼を完全に開いてのっそり体を起こし、ヘッドフォンをスマホから抜くと、歌声は私しかいないリビングに響いて、暫くして配信は終わった。
当方どこぞのド田舎にて新卒で入社した小さなIT企業で3年ほどプログラマーをやっていた。
総支給は手当諸々含め20万。手取りは15万ほど。ボーナス?なにそれって感じ。
4年目に突入したけど新卒時点と一向に変わらないどころかむしろ下がった手取り金額(増税とか諸々重なったとはいえ)とか、
唯一の取り柄だったほぼほぼ定時で帰れてたというメリットが体制変更とかでなくなってしまったとか、
転職して幸せになっている学生時代の同級生を見てしまったとか、
いろいろ要因が重なって思い切ってフリーランスエンジニアとして移ることに。
基本が社会生活不適合者なのとプログラマーとして決してレベルが高い方ではないのはないので不安だったけど、
貧乏性な自分の生活水準なら3年くらいニートやっててもさして問題なさそうだったのと
今のIT業界の求人倍率なら困ったらまた今みたいな会社に転職するのは余裕かなという楽観的な考えて
適当にエージェントに話聞きにいったらまあまあの仕事に驚くほどあっさりありつけた。
こんな自分レベルの学歴も地位も何もないエンジニアでもポートフォリオさえまともっぽく作ってれば
こんなにあっさり仕事にありつけるなんて今のIT業界は本当に人手不足なんだなと思った。
今まで会社としてエンジニア1人月分の単価として実際に顧客に請求してた額からほんのちょっと引いたような額がそのまま手元に残るようになった。
ぶっちゃけ総支給額は以前の会社と比べ3倍ちょっと。諸々福利厚生はなくなったけど税金対策できる余地ができたんで実質的な手取は3倍弱ほど。
これだけ稼げるならむしろなんで今までの会社に勤めてたんだろうと後悔も湧いたけどまあこのために一人前のエンジニアに育ててくれたと思えば儲けものかなと思った。
生活環境は、まあ少しは変わった。
会社のすぐ隣だった1Kの安アパートから地方都市の1LDKに移った。筋トレルームを構築したけど肝心の筋トレが最近継続できてない。
スマホをお安い中華スマホからGalaxyの良い奴に変えた。カメラ凄い。詳細な性能は2chとはてブくらいしかやらないからよくわからない。
LGの超単焦点プロジェクターを買った。夢の100インチのシアター環境。臨場感凄い。でもゲームは24インチくらいの方がやりやすいかも。
IKEAのちょっとお高いソファベッドとダイニングテーブルを買った。仕事も就寝も飯もほぼこれオンリーで済むようになった。
GoogleHomeを買った。2kg以下の範囲の最高スペックのノーパソを買った。Nasne買った。4Kディスプレイ買った。
Nintendo Switchを買った。無印で服一式買った。Sonyのノイズキャンセリングヘッドフォンを買った。Netflixに加入した。dアニメストアに加入した。
カンストレベルで快適になっていくデスクトップ環境。どう見ても追いつけない動画や積みゲー群。
あれ、変だぞ。これ以上お金の使い道が何もない。
生活は少しは変わった、ただ思ったほども変わらなかった。
俺みたいな基本出不精で友達も彼女も何もない人間にとって、一通り欲しいものを買ってしまったらお金の使い道が何もなくなってしまうのなんてよく考えたら当たり前の話だった。
わかった。きっとこれは『普通の人』にとっての結婚式の費用とか、新婚旅行の予算とか、子供の学費と、そういうためのお金なんだ。
多分、俺みたいな何もない人間が手に入れて良いお金ではないんだ。
ただただ何も考えずに会社に搾取されてたときよりも自分の『何もなさ』を痛感させられた。
「俺みたいな金のない奴は何もなくて当たり前」って言い訳してたところはあったけど、何もない人間は金があったとしても何もないんだ。それがわかってしまった。
検索すると色々なWebサイトがヒットするが、どこも似たような作りとなっている。システム、スケジュール、予約、アクセス等々、いわゆる性風俗サービスのサイトと作りはほとんど同じ。システムをみると、60分10000円くらいから時間に合わせて値段は様々だ。
「メンエス」で検索するとヒットするのが、いわゆるレビューページ。様々なメンズエステでの体験が毎日のように更新されている。これも作りは、性風俗サービスのレビューページとそっくり。書いてある内容というか文体もよく似ており、具体的なサービス内容がぼやかされていることがあるのも似ている。確かにWebサイトにはあまり明確なことが書いていない。強調されているのは「癒やし」「治療を目的としたものではない」「性的なサービスは一切ない」とか。「アクセス」もぼやかされていて、「最寄りの駅から電話をしてください」とあるのが定番だ。
性風俗サービスにも、性感マッサージ・エステと称するジャンルがあり、オイルなどによるマッサージと抜きがセットとなっている。この場合、ほとんどの店は派遣型か、受付所で手続きして近くのホテルでサービスを受ける、
いわゆるホテヘル型になる。店舗型のエステはあまり聞いたことがない。さらに、シティホテル、ビジネスホテルに宿泊すると、出張マッサージを呼ぶことができる場合がある。シティホテルならホテルにマッサージ師が常駐しており、時間が合えばすぐに部屋で施術を受けることもできる。小規模なホテルの場合、あるいはオイルマッサージの場合は、派遣型となり、電話で予約をすると、どこかから施術者がやってきて、オイルなどによるマッサージのサービスを受けることができる。この場合、性的なサービスは一切ない。他、高級ホテルなら、ホテル内に「SPA」があり、同様のサービスをホテル内のSPAで、あるいは宿泊する部屋で受けることができる。
街角にあるマッサージ屋、サウナでのマッサージ、ホテルでのマッサージ、出張のオイルマッサージ、性感エステなどを利用したことはあるが、メンエスは仕組みがよくわからないため敬遠していた。非常に疲労し体がだるいある日の午後、時間だけはあり余っていたので、思い立って都内にあるメンエスに電話をしてみた。電話の受付は女性。開始時間、施術時間をリクエストして予約をする。予約の時間になったら、最寄りの駅のX口から電話をしてください、ということだった。その時間に指定された場所から電話をすると、サービスを提供する場所をより詳しく説明してくれる。この対応も女性であった。場所は、近くのマンションの一室のようであり、簡単に見つけることはできない。どこどこの交差点についたらまた電話して、というやり取りを繰り返し、マンションの近くまで来たところで、建物名・部屋名が明かされた。なお、今回の場合はWebサイトに具体的な住所・建物名・部屋名の記述はなかった。
指定されたマンションはオートロック式で、部屋番号を呼び出して建物の中へはいり、エレベータで部屋のある階まで移動した。新しめのマンションのように思える。部屋の前でアホンを押すと、しばらくしてドアが解錠され、日本人の女性が一人で現れて入室するように促された。玄関をはいるとすぐに小さなキッチン、トイレ、浴室があるような単身用のマンションである。部屋には、施術者の女性がマッサージ師のような衣装でたっていだけで、他の人はいない。間接照明のため薄暗いリビングには、小さめのソファがあり、床にマッサージ受けるための敷物があるだけ。ソファに座り、最初に代金の精算をおこなった。ここで、ひとつ予想外のことがあった。90分のサービスで事前に金額を聞かされていたものの、部屋で示された用紙には、プラス3000円で「VIPコース」「ラグジュアリーコース」(場合により呼び方が異なる)があり、それをお勧めされた。ただし、具体的に何がVIPでラグジュアリーなのかの記述や説明はない。特に考えもなく、追加の金額を加えて支払いをした。その後、流れについて簡単に説明がある。これは単純な話で、最初に一人でシャワーをあびる、シャワーが終わったら体を拭き、準備された場所に横たわって施術を受ける、施術が終わったらもう一度シャワーを浴びる、というだけ。シャワー用には、貴重品袋が用意されていた。シャワーの間、施術者は準備をするという。
浴室は単身者用の部屋によくある狭い湯船の浴室で、ボディーソープ、あかすりスポンジなどが準備されている。そして、シャワーを浴びた後に履く、パンツ。これは、オイルマッサージであれば、出張マッサージでも用意されていて、シャワーの後にはそれだけを身につけてベッドに横たわるものだ。使い捨てのものであり、なぜだかわからないがTバック、というか後ろはほぼヒモであり、前もどうにか隠れる程度の下着だ。普段そのような下着をつけることのないおっさんには違和感がありまくる。
さて、シャワーをあびて、露出過多な使い捨てのパンツを掃いて部屋に戻ると、施術者が衣装を変えていた。変えていたというよりは、脱いでいた。全裸ではない。透け気味のキャミソール姿である。過去にホテルで出張のオイルマッサージを受けた際には、施術者が着てきた着衣を脱ぐことは一切なかった。最初から性風俗店であると謳っている性感エステの場合、着衣から始まり、流れでトップは裸、全裸など様々である。「性的なサービスは一切ない」はずのメンエスとは、健全なオイルマッサージと、性感エステの間に漂う玉虫色の存在なのだろうか、と思いつつ、施術は進行していく。メンエスとは一体なんなのかという謎に、少しだけヒントが与えられた気がした。
最初は、うつ伏せで、オイルを使ったマッサージが下半身からはじまる。なぜだかわからないが、敷物の周りには、床に横長の鏡が設定されてい、自分が横になってマッサージを受けている様子をチラ見することができる。マッサージこのような設備は必要だろうか?ということはともかく、「今日はお休みですか」「どちらからお越しですか」などのマッサージあるある会話をしつつ、淡々とオイルによるマッサージが行われる。一通り、足裏からふくらはぎ、ふとももまで下半身をオイルにより摩擦したところで、施術者は体勢を変えて、うつ伏せの頭側へ移動してきた。そのまま、うつ伏せの頭の上にほぼまたがるような体勢で、背中の上側から上半身のマッサージがはじまる。このような不思議な体勢によるマッサージははじめて経験した。なお、施術者はキャミソールとパンツのみであり、いわゆる頭と下半身は近い。布一枚。接触をするわけではないが、もやもや、する。趣味についての会話をしながら施術は進行し、後半は仰向けでマッサージをうけた。最初に、施術者は上半身の首やデコルテのあたりをマッサージしてくれる。さらに、下半身側に移動して、今度は仰向けの体勢で下半身周りのマッサージをする。「これがリンパを流すってやつや!」と考えながら、そして全身オイルまみれになりながら、足の付け根の周辺のマッサージがおこなわれていく。ここまで完全に受け身であり、マッサージだからそれは当たり前なのである。十分にリンパがながれたくらいのところで、時間となり、マッサージは終了した。もう一度シャワーを浴びて、オイルを流し、少し休み、お茶などを飲んでから、着替えて部屋をでた。少し体が軽くなった気がする。
部屋を出る前に「VIPコース」というのは、普通のコースと何が違うのか?と尋ねてみると、衣装が違う(脱ぐ脱がない)のだということであった。別の店でも同様の説明を受けた。
オチはない。
同性にレイプされかけた話。
10年ほど前の大学3年時、自分は見た目が高身長イカリ肩かつ高すぎる鼻のため、ガンダムと呼ばれていた。
以降フェイクもいれるが、美術系の学校だったため二浪三浪の新入学生などわりといて、一応年齢チェックはした上で、サークルや学科の縦割りグループで新歓のような飲み会をする。
あまり人付き合いは得意でないが、そういった新顔がたくさん集まる飲み会は作品制作に協力してくれる若手との縁を作る場でもあるので「ノリ気ですよ〜」といったテイで参加した。
その時出会ったのが、茨城から都内まで通っているという一年のTだった。
慣れた手つきかつ急ピッチで酒を飲むT。かなり華奢で服装は地味、落ち着いた雰囲気なので浪人組かなと勝手に受け止めた。
聞くと高校時代からとんでもない作品制作を行っており、オンラインでかなりのファンがいるとのことだった。
その場ではあまり話した記憶はないのだが、ガンダム故の抱擁力か、席替えをしてもTは自分の横を選んできた。若い子ばかりなので付き合いづらいのかなと思い、Tを含め周りと適当な会話をしつつ、気付いたらお開き。
その頃にはTは完全に出来上がっていた。
みたいに訪ねても動かない。
幹事をやっていた友人にこの人どうする?電車放り込む?と聞くと出席簿を確認し、
と。
皆さん学生時代に未成年飲酒、目撃したことあるでしょ、とかなんも言い訳にはなりませんね。
仕方がないのでTを引き受け、とりあえず皆と別れて大学の友人がバイトしている近場のカラオケに運んだ。
が、カラオケに着いた途端、Tは元気になった。
知り合ったばかりの同期の集団で帰るのがイヤだったらしく、ガンダム先輩ならどうにかしてくれるだろうと過剰に酔ったフリをした、とのこと。
わりとメンヘラを引き寄せる体質であるので、この時点でちょっとヤベェんじゃないかとは思ったが、自分も人見知りだし飲ませてしまった手前仕方ない、と朝まで付き合うことに。
だらだら話しをしつつ、うつらうつらしだした深夜、Tが「トイレ行かせてください」と自分の前を横切ろうとした。
狭い部屋なので否応なしに距離が近いが、まぁ同性なので気にならない。
足をソファの上に上げて通りやすくスペースを作ったところ、急にキスをされ、そのまま押し倒された。
でも舌で口をこじ開けようとしてくるし、Tの手がもぞもぞと動いて胸とベルトを触っている。そもそも冗談を言う間柄でもない。
冗談っぽく引き剥がそうとするが体を退けず、執拗にキスをしてくる。これはマジのやつだ、と気付いた。
自分は10年以上水泳と空手を続けていて、ガンダムに相応しい体型を維持していたが、マジで動けない。
自分より15cmほど背が小さく、押したら骨折間違いなしな年下の女性に乗しかかられ、今まさにベルトを外されそうになっている。
大げさに動けば怪我を負わせてしまうかもしれないと、どこか冷静に考えていた。
そのとき小難しいベルトをしていたようで「これ外してもらえますか」と律儀に聞かれた。
気が動転していたんだろう、「これ難しいよね〜、こうやって外すんだよ〜」なんて素直に外してみせてしまった。
ここは何故かよく覚えている。
おそらくそれで同意したと思ったのだろう、Tは一気に下着に手を突っ込んでこねくり回し、エロ漫画的なことを言った。
そこでドン引きして目が覚め、「ごめんトイレ」と勢いよく立ち上がり、トイレへ逃げた。
個室で確認すると半チチ露出していたし、なんならチチ自体もチクビも赤くなっていた。あの場で強く揉まれて吸われたのか…?記憶は定かではない。首元にもキスマークが付いていた。
あまり覚えていないが、最後までやってはいない。女性同士の最後って、いまだにどこまでかはわからないが。
その後、Tとは学内ですれ違う程度で、アレは夢かと思うほど何もなかった。
そして卒業後、同学科で1つ年下の女性Kに作品展で出会い、たまたまTの話になった。
現役組で才能豊かなTはまぁまぁ有名だったようだ。
Kはざっくばらんに話す人で、仕事が近いこともありちょいちょい飲みに行くようになった。そこでKも自分と同じ被害にあったことを知った。
Kも自分も逃げることができたが、Tはオンライン上のファンの女の子に手を出し、その子は逃げられず揉めたりと、なかなかやべーことになっていたそうだ。
なぜオンライン上のことがわかるのかと言うと、KはもともとTと同ジャンルの古参サークルだったからだ。
そりゃ専攻に近いジャンルで皆生きるから、オンラインでも被ることあるよね…
ちなみにその女性もKもガンダムも身長が結構高いので、Tがガンダムも襲ったのも顔よりも体型だったのではとまとまった。
なお、ガンダムは女性や男性問わずバイやAセクシャルの人などとお付き合いをし、現在はアラサー喪女となっている。
性別や性的指向関係なくやべーやつはやべーし、個人の問題だよねということに気付いた大きな出来事を、毎年この時期に思い出します。