はてなキーワード: tシャツとは
単純に疑問なんだが、英語が書かれたTシャツとかを着ている人ってその意味わかっているのかなと。変な単語とか文が書かれた服だったりしたらすごく恥ずかしいでしょ。
「バカ」「アホ」「まぬけ」「絶賛うんこもらし中!」と書かれた紙を背中とかに貼って外出できるのか?それができないんなら英語の書かれた服は着ない方がいいのでは。
そういうわけで自分は小学校のころから英語が書かれた服(というか柄付きの服)は絶対に着ないようにしている。小3の夏休みに『噂の東京マガジン』を見て瞠目したからだ。
まあ英検準二級しかない程度には英語力皆無の身だし、君子危うきに近寄らずの精神。
ついでに大学入学以降十数年間は毎日白いワイシャツにスラックスで過ごしている。英語や絵柄が書かれた服を着て外に出るくらいなら放課後電磁波倶楽部の恰好をした方が耐えられる。
あとジーパンも米帝の走狗のイコンだから嫌い。ジーパンはいている人は「自分はアメリカの走狗です!」ってメッセージを発しているようなもんだぞ。沖縄とかで米軍の収奪を受けている人たちに失礼だろ!
自分は中学生のころまでは他の女子たちよりも何倍も遅れてる子だった。
ブラジャーを何故つけなければいけないのかも分かってなかったし、母も買ってくれなかったから体育の授業もずっとノーブラで同級生から「ブラしたほうがいいよ」と言われ続け、脇毛は剃るものだと知らなかったから水泳の授業でも脇毛ボーボーで参加して「脇毛は剃ったほうがいいよ」と同級生から言われ……。
スカートから出てる生足にすね毛がボーボーに生えてる? 知らんがな。勝手に生えてきてるだけ。そういう認識。
私服も親が買ってくれないから持ってない。制服以外だと、林間学校用に親が西友で買ってくれた1枚1000円のTシャツ2枚とダボダボのジーンズとノーブランドのへんなスニーカーしか持ってないレベル。
16歳のときにバイト先の美人な先輩から「化粧してみたら?」と言われて、貯めたバイト代を持って勇気を振り絞ってデパコスカウンターへ行ってビューティーアドバイザーさんからイチからメイクを教わった。
習ったメイク用品を全て買って2〜3万円くらい。
雑誌に載っていた、青山にある美容室に死ぬほど勇気を振り絞って行ってカット&カラーで15000円くらい。
服は何を買っていいかどこに行けばいいのか分からなかったから、とりあえずユニクロでひたすら試着を繰り返して分からないなりに適当に2〜3万円分くらい購入。
そしたらいきなり周りの人の見る目が変わって、「こいつは女だ」と認識されるようになった。
バイト先の警備員からいきなり映画に誘われたり、早朝ウォーキングしてたらいきなり車が寄ってきてナンパされて恐怖したり。
こいつらマジで外見で「女」か「それ以外の生き物」かを判断してやがるんだ……と衝撃を受けた。
「女」は大人になったら自動的になるものじゃなくて、努力してなるものなんだと知った。
周りの人は、彼氏が出来たからメイクやオシャレをするようになったと思ったらしい。
いや違うよ。ダサい生き物に男なんて寄ってこないから彼氏なんてできないよ?
最近話題になっていた男子小学生の盗撮のせいで、掘り返されてしまった最悪の記憶の供養。
小学生の時、気に入らないことがあると泣きわめく(しかも嘘泣き)男子がいたんだけど、異様に女子が好きで近寄りたがる奴だった。男子に相手にされないのもあったし、本人も男子より女子にくっつきたがっていた。
小学1年生とかでそんな感じで、当時あまり理解して無かったけど、とにかく気持ち悪いと思ってた。面食いなのも気持ち悪さ増してた。
そいつが不機嫌になったり、嘘泣きをし始めるともう手に追えなくて、あらん限りの大声で喚くわ女子に八つ当たりするわ、お気に入りに抱きついたり慰めてもらおうとするわ…先生もめんどくさいのか、あまり強く引き剥がしたり叱ったりしてくれなかったように思う。親も典型的なモンペで、「うちのムチュコタン」タイプの人だったからかもな。
あれは何年生の時だったか。
私の通ってた小学校には、プールに更衣室がなくて、授業の時は男女別の教室で着替えてた。
その日の前の授業か中休みかに、そいつがいつものごとく泣き喚いて、盛大に拗ねていた。
そしてあろうことか、「不機嫌です!」と言わんばかりの顔して、"女子が着替えてる真っ最中の教室"に入ってきた。
当然女子たちは「え???」って凍りつくし、どうしていいかわからなくて、時間が止まったみたいだった。
そいつは机に突っ伏してたけど、時々辺りを伺うふりして見回してた。
担任は、理由は覚えていないけど近くには居なかった。そもそもいつも見張りはしていなかった。そしてその後、女子の着替え中に侵入したことを怒られていた記憶が無い。
別の時。これは小学3年生の頃。
私は気が強い女子だったし太っていたので、面食いなそいつに基本的には嫌われていたのだけど。
発育のいい子どもだったので、その頃の私の胸は膨らみ始めていた。
でも基本的にTシャツ1枚とかで過ごしていた。暑がりだったし親が無頓着だったので、肌着を着てなかったんだよね。
ある日の休み時間。ブランコに乗っていた私の顔面に、ものすごい勢いでドッヂボールがぶつかった。
当然勢いよく鼻血が出て、服も真っ赤。泣きながら保健室にいって処置してもらった。
保健の先生(女性)は、血が乾いて落ちにくくなる前にと私の服を脱がせて水洗いしてくれたんだけど、私が着られるサイズの貸し出し用の服がない。
暑い時期だったのもあったからか、上半身裸の私を置いて先生は服を探しに出ていってしまった。
まだ鼻も痛いし、ボールが飛んできたショックも全然抜けてなくて、茫然自失。
ぐすぐす泣きながら待っていたんだけど、なぜか例の気持ち悪い男子が急に「大丈夫?」と言いながらやってきた。
明らかに私が裸でいることをわかって、見に来たのだ。
先生は裸の私に配慮して部屋のカーテンを締めてくれていたので、それで察したのかなんなのか。
それでもそいつは、正面に回り込もうとして来た。
普段なら言い返せるしやり返せるのに、痛みとショックで弱っているわたしには逃げることしかできなかった。
引き戸の開く音がしたので先生が帰ってきたのかと思ったら、当時の副担任(若い男性)が「大丈夫か」と言いながら入ってきた。
こいつ、他の先生方にはヘコヘコヘラヘラしているくせに、他の大人がいないところでは子どもに対して高圧的だったし、すぐに機嫌を悪くしてキレてきたりしてきたので、めちゃくちゃ嫌われていた。
そんな成人男性が、なぜか猫なで声で「心配したぞ」なんて言いに来ている。女児が上半身裸なのに、平然と部屋に入ってきたのである。
今思うと、保健の先生が服の在処を聞いて回ってくれてたんだろうな。それを悪用して、確実に先生がいない上に裸なのをわかって保健室に来たんだろう。
わたしの恐怖はマックス。余計に泣いてしゃべれないし、嫌がって必死に2人に背中を向けているのに、心配を盾に回り込もうとする2人。もう逃げ場がなくて、泣いて固まるしかできなかった。
ようやく保健の先生が帰ってきて、すぐに2人を追い出してくれた。普段は怖い先生だったんだけど、「大丈夫?」とすごく優しく心配してくれたのを覚えてる。
そして、「お母さんに言って、ブラを買ってもらいなさい」と言ってくれた。私は成長が早いから、もう着けた方がいいよって。
もしあの時既にブラを着けていたら。
下着姿だって絶対見られたくないけど、裸見られるよりマシだったなって今でも思うし、そう思ったから先生も勧めてくれたんだろうな。
ちなみに、副担任は後日『家庭の事情』で学期途中から来なくなった。私の件が関係していたのかはわからないけど。
嫌な思い出の供養なのでオチはない。
ただ、小学校低学年と言われる男子でもこういう事してくるし、男が基本的に信用できないって人がいるのはわかってほしい。
てかクソ同級生から芋づる式で思い出して書いたけど、あのクソ教師本っ当に気持ち悪いことしてきてたんだな。
2人とも、あらゆるバチが当たって不幸のどん底であれ。
まず、響き(「トリコー」と読む)からして明らかに外来語なので、こういうときはwiktionaryを引くのだ。
Borrowed from French tricot.
Noun
трико́ • (trikó) n
1. tricot (soft knitted fabric)
https://en.wiktionary.org/wiki/%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%BA%D0%BE
もともとはフランス語から来た言葉で、「柔らかいニット生地」というのがтрикоの意味だ。念のために、英語・フランス語のtricotの意味も調べてみよう。
https://en.wiktionary.org/wiki/tricot
どの言語でも「ニット生地」の意味だということがわかる(「tricot」で検索するとニット生地の画像ばっかりヒットする)。
これだけだと「レオタード」という意味は出てこないが、単にwiktionaryに載ってないだけでそういう語義があるのかもしれないので、勃勃辞典も引く。
1. Плетен вълнен или памучен плат.
2. Дреха от такъв плат, обикн. спортен костюм за гимнастика. Гимнастичките се представят с черни трика.
https://rechnik.chitanka.info/w/%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%BA%D0%BE
問題は、「体操用の衣装」が「レオタード」と同義かどうかだ。「спортен костюм за гимнастика」と書かれても読めないかもしれないが、「sporten kostyum za gimnastika」と翻字すれば何となくわかるだろう。「体操のためのスポーツ衣装」と書いてある。これ、「体操着」「体操服」って意味なんじゃないか? だって、原義は「ニット生地」って意味だろ? そこから派生してるんだから広く「体操着」全般を指すんじゃねえの?
ただ、「Гимнастичките се представят с черни трика(体操選手たちは黒いトリコーを着て演技する)」という例文があるから、「体操着」から派生して「レオタード」って意味もあるのかもしれないけど、やっぱり本来の意味は「体操着」だと思うんだよな。だって語源が「ニット生地」だろ? 「ニット生地」→「ニットの衣類」→「体操服」→「レオタード」って語義変化を考えるのが自然じゃないか?
したがって、「Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.」というのは、「黒/青の体操服に白いTシャツの女の子たち」という意味だ(Девойкитеが「女の子たち」の定冠詞形、сはwith、черноは「黒い」の中性形、илиは「もしくは」、синьоは「青い」の中性形、трикоは中性名詞「トリコー」、иが「and」で、бялаは「白い」の女性形、тенискаが女性名詞「Tシャツ」)。
ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
ロシア語のтрикоには複数の意味がある。これもwiktionaryを引こう(URLは上に同じ)。
「трико」で検索すると体操用レオタードの写真がいっぱい出てくるので、ロシア語では「レオタード」っていう意味がメインなんだろうか。ただし、「ジョギングボトム、スウェットパンツ」っていう語義を見ると、やっぱり「ニット生地の服」→「体操服」→「レオタード」っていう意味の変化を遂げている語なんじゃないかなぁ……。
で、ロシア語で水着は「трико」じゃないぞ。купальник(クパーリニク)あるいはкупальный костюм(クパーリヌィ・コスチューム)だ(купаниеが「入浴」とか「治療のための水泳」とかそういう意味)。Wikipedia日本語版「水着」からロシア語版に飛べばすぐわかる。ブルガリア語でбански костюмなのは元増田の書いた通りだけど、ローマ字だとbanski kostyum(バンスキ・コスチューム)になる(お察しの通り、баня「風呂」に由来する形容詞がбански)。костюмは衣装全般だけど、「コスチューム」って書けば意味はわかるよね。まあ原義通りに訳せば「入浴着」か。
ついでにだな、ポーランド語のSokółは「ソクウ」と読む。「ソコウ」じゃないぞ。元ネタになったチェコの「ソコル」については、日本語で研究書が出てるので気になるなら読んでみるといい(https://www.hup.gr.jp/items/65002123)。チェコ語で「trenýrek(トレニーレク)」がショートパンツって意味らしいので、「Jednotný cvičební úbor(イェドノストニー・ツヴィチェブニー・ウーボル、直訳すると「ユニフォームの体育用の服」、つまりは学校指定の体操服)」というひとまとまりの検索語で調べるよりも、ひょっとすると「トレニーレク」とか、「イェドノストニー(「ユニフォーム」つまり「単一の形態の」の意、服装の文脈で使われるなら「指定の」)」を抜かした「ツヴィチェブニー・ウーボル」で調べた方が良いかもしれない。
とりあえず、これを見てください。
Hey! Say! JUMP - 震災復興支援パフォーマンス - ヒカリサス
https://youtu.be/kK_ByPA08Hw?si=DKEFTKRTlklroul6
この動画は1/1に起きた能登半島地震の復興支援のために作られています。
動画の説明には記載されていませんが、この動画の収益はすべて義援金に寄付されます。
貴方が聞いてくれた一回分の収益も寄付されています。ありがとうございます。
普段言語化が得意ではないタイプなので、読みづらいところもあるかもしれませんが、よかったら最後まで読んでください。
この動画はライブツアー公演後を使って、動画用に収録した音源を使っています。
公開が1/10なので、10日弱で、企画から公開までやってくれています。
まず、楽曲「ヒカリサス」は今回のライブツアーでは歌われていないものです。
楽曲は2020年のシングルのカップリングなので、テレビ披露もされたことがなく、ファン以外はほとんど知らない曲です。
でも、今回の震災復興支援にぴったり合うと選んで歌ってくれています。
Cメロの「暗い足下~」のところなど、被災経験のない私もはっとさせられました。
次に演出。
まさに、暗闇の中の一筋の「光」。
メインステージの特大ディスプレイには星空のような映像が、その上のライブロゴの電飾は邪魔にならないように白色で、
客席側にある大きな風船(ボール)は下にスタッフがいて一つ一つ操作しています。
ドームの真ん中のステージは可動式でライブ終了時はメインステージのところにあったものを移動させています。
さらに、この白い衣装は今回のライブツアーで使われているものですが、公演のラストはライブTシャツとピンクのパンツなので、改めて着替えてきています。
動画の撮影は震災の1週間後の週末。その1週間の間に使えるものをすべて使っていて、この動画を撮ってくれています。
ただ撮っただけじゃなくて、スタッフ総動員でやってくれていることが伝わってきます。
最後に、歌と表情。
既存CDに収録されたカップリング曲なので、CD音源はありますが、聞き比べると、その時よりも優しく力強く歌ってくれています。
環境もあるかもしれませんが、生歌感が強い分気持ちがとてもよく籠っているように感じられて嬉しいです。
動画冒頭は真面目な顔をしているメンバーが多いんですが、後半に行くにつれてドンドン明るくなっていきます。
この曲を聞いたら、みんな笑顔になれるってそういうふうに作ってくれてるんだと感じます。
サビでは笑顔のメンバーもCメロは笑顔が消えて真剣というよりは苦しい人に寄り添った表情に。
Cメロ、「♪暗い足下 怖かったよね ~」で、ぐっと寄り添うような声色。二人とも、ほとんどカメラの方を見ていません。
その直後の「僕がいるから 逃げなくていい」は、一気に力強く支えるような声色で、カメラを見て、優しくうなずいてくれています。
落ちサビは引き込まれるような表情で、「僕の愛はここにあるよ」で胸をトントンと叩くときの優しい叩き方、「だから大丈夫」はきっちりカメラ目線で本当に大丈夫だって思えてきます。
半面、大サビは一気に力強く明るい声色で歌ってくれていて、Cメロや落ちサビの表情とは全く違う……、指ハートやガッツポーズなどアイドルらしさもちょっとあります。
同事務所のほかのグループは年末年始の配信の収益を義援金に回すということでしたが、
Hey! Say! JUMPは年末年始はライブばっかりやってて(丁度震災の日も東京ドーム公演がありました)、
インスタライブをちょっと(15分)したくらいでした(三が日限定公開ですでに非公開済み)。
そこで、このために歌おう!それの収益を義援金にしよう!というのはなかなか思いつくことじゃないし、思いついても実践できません。
環境があって、一緒にやってくれる仲間がいるからできることです。
そして、出来上がったものがやっつけ感が全くない、高クオリティのもの。
本当にアイドルの鏡です。
私はHey! Say! JUMPが大好きです。
今までファンをやってきてよかったって思いました。
令和という時代に平成を冠にした人たちのこんな素晴らしい動画が見れるなんて思っていませんでした。
今年に入ってから天災も人災もすでにたくさんあり、どことなく気持ちが落ち込んでいましたが、この曲のおかげで少し前向きになれたと思います。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
ぜひ、最後にもう一回聞いていってください。
さっきCMをスキップしちゃった人はぜひCMも最後まで見て、寄付していってください。
Hey! Say! JUMP - 震災復興支援パフォーマンス - ヒカリサス
詩人になって、洞窟の入口に白いTシャツを貼って、雨風をしのぎたい。スナフキンになりたい。スナフキンは白いTシャツを見たことすら無いだろうけど。
とにかく、コンクリート造のマンションに住んでる自分が変だと思う。
これはやっぱりおかしい。
そういう話を同居人にしたら「詩人も家くらいあるだろ」と返してきた。
毎日毎日毎日家でパソコンを開いて、よく分からない英語を「Hmmm...lemme see」とか言って右から左に聞き流して、クライアントに謝っている。これは私。
「私は詩人になりたいんだけど、おまえは?」
そう聞くと、「うーん」と一考して「魔女だね」つった。
魔女らしい。
魔女は物だらけのクソ汚い部屋で、布団にくるまりながら天井を見ていた。
うちの会社は自由だから、休憩時間は各々のタイミングで取って良い。魔女は休憩中に布団で寝る。
煙草休憩にグチグチ言われることもない。在宅だし。安い煙草を二人で吸っている。詩人も魔女も煙草くらい吸う。
「狼と香辛料みたいで」
とか言ってニヤニヤしていた。
そもそも詩が好きというか、ブリーチの扉が好きすぎるだけかもしれない。ああいうのを書いて、松岡修造のカレンダーのテンプレートを借りて印刷出来ないものだろうか。よく分からない。
何個か詩の賞に応募したが、バスボムとか香木とかしか貰えなかった。金には全くならなかった。
学が無い。
金も無い。
でも詩人は昔、占い師に「金運がすごい」と褒められた事がある。そのときも高速バスを乗り損ねて、どうにか返金してもらったなけなしの金で診て貰っていたからウケた。
「大金が貯まるとかじゃなくて、」
「はい?」
「臨時収入?」
ほいだら、ま、使いますか。
金はあるだけ使っている。生命保険に入ったのも、そういう理由からだった。詩人は貯金と縁がないくせに、献血を断られる貧弱さがある。祈りを込めて、サプリを一日9錠飲んでいる。
もう就活は面接に食い込めないんだよな。分かってくれるかな。ここまでは詩人っぽいよ。でも、なんでか正社員になった。
これはもう詩人ではない。
書いていて思い出したが詩人は、制服キャバクラで働いていた時おじさんに「君、話が変わりすぎ。フラッシュ暗算じゃないんだから」と窘められていた。
詩人は、数字が分からない。数字と記号(〇△□など)は同じような物なので、暗算なんて当たり前に出来なかった。詩人は、〇と□のどちらが大きいとか小さいとか、義務教育中に納得が済まないまま大人になってしまった。
でもさあ、正直あのビルで制服を着ていた女の子たちの半分もフラッシュ暗算は無理だったんじゃないかな。魔女も算数は苦手だから、見積書を作るのを本当に嫌がっている。
話はこうやってコロコロ変わるし、詩人も魔女も煙草の値上がりくらいにしか数字には敏感になれない。
それにしても都内の家賃は高いね。それは肌感で分かるよ。会社を辞めても、詩人にはなれないかもしれない(詩人も定期的にCoCo壱とかで食事はしたい。夏はスパイシーサマベジを、冬はベジスープカレーを食べなきゃいけない)し、もし会社を辞めたら魔女が泡を吹きながら詩人をしばらく養う事になる。
詩人は今の会社を辞めたらタクシーの運転手になりたい。詩人は今までやったバイトの数を覚えていない。
生き急ぐことが夢だと思っている。人生は速い方が輝きが増すのではないかと、信じている。
人生の速度が秒針を超えると、今度は夢(睡眠の方)の輝度が増し出す。ぴかぴかどころじゃない。飛べるほど気持ちがいい。履歴書の数行をベッドしても構わない。ベッドでいい夢が見れるなら。なんつって笑
薬を飲むと、体感、脳が丸くなる。丸い癖に、記憶の巻き戻し機能に弁が付く。分かる人は分かるよね。黒目をどんなに左上にやってもアレを思い出せない。アレってなんだっけ。そんなんなって、ストッパーより向こう側の過去は殆ど404
霧の中の桃源郷を、もっと晴れた空の上からドローンで見ている感覚がある。どこにも足がつかない。文章が読めない。
魔女は、詩人にご飯を作ってくれる。魔女が出社すると、詩人は餓死する。何度か餓死した。詩人は雨の音を聞くのは好きだけど、自分の胃の言葉は理解出来なかった。魔女がハンバーグとチャーハンを3つほど冷凍してくれていて、詩人はそれを電子レンジの言う通りにして、キッチンで立って食べている。行儀の悪さは魔女には秘密だ。
詩人は、市販のパンをトーストすることと、インスタントラーメンしか上手に作れない。立って食べれる物しか作ったことがなかったから。
私の上司が、私のことを「同居人さんのヒモ」と呼んでいた。海賊みたいな会社で、狂い続けたら、ヒモが紐でしぬところをオンラインミーティングで披露してやれるのにな。上司は会社を辞めた。
詩人は、pixivで一回だけR18のエロ小説を書いたことがある。神絵師にリクエストしたら「おまえが書け」と返信が来たからだ。書いたリンクを送り付けたら、い〜〜っぱいエロい絵を描いて返信をくれて、ありえんほど嬉しかったw
その小説はマイナーなジャンルにしては、まあ、よくは無いが、悪くもなかったと思う。また分かりもしない数字の話だ。そんなことより韓国人が熱烈に褒めてくれて、それがかなり嬉しかった。
やっぱり文章書くのって楽しい。そりゃ絵が描けるなら漫画が描きたかった。ドラマの脚本だって書いてみたい。無理か。
詩人は、CoCo壱で定期的にカレーを食べれて、マンションの家賃と光熱費と携帯代と生命保険料が納められる感じの詩人になりたい。
で、タクシー会社に転職もしたい。詩人は、目の前に人が立っていると吐き気がするので、電車通勤は出来ない。在宅ワークの恩恵は充分受けた。
世の中甘くないとか言うけど、そうだよね。そうするしかない人もいっぱいいるよね。世の中思ったより甘くないし、ムカつくけど甘いとこは甘いんだよなー。
やりたいことやって、辞めたくなったら辞めたいよな。
曰く、「技術は体が覚えてるから、戻りたくなったらいつでも戻ってこれる」らしい。
ブランコに乗って窓ガラスを拭いていたとき、隣で拭いてたオッサンがそう言ってた。
詩人は、パイロンにトラロープを巻ける。8の字のコードも巻ける。4インチと8インチのどっちが大きいかは一瞬迷う。インカムで謝ることも出来る。英語で謝ることも出来る。フランス語は「セクワサ?」だけ分かる。「これ何?」だった気がする。シークヮーサーに聞こえるんだよね。
今年はさ、人生の速度と高度を調整するターンに入ろうと思う。
詩人になりたい。
出来れば魔女と長く暮らして、私は詩人になって、洞窟で火を焚いて、一酸化炭素中毒で終わりたい。走馬灯は出来るだけ早く、出来るだけ沢山、フラッシュ暗算みたいに見れたら楽しいはずだから。
令和6年能登半島地震とガザ人道危機が痛ましかったので、それぞれに1万円ずつ募金した。
以前調べたけれどヒットしなかった気がするな。そう思いつつ、「училищен час по физическо възпитание 1970」、つまり「体育の授業 1970年」と検索したところ、次のサイトがヒットした。
https://uchiteli.bg/interesting/chasovete-po-fizichesko-vyzpitanie-prez-80-te-godini/2508
明確にブルマー姿の女の子が確認できる。そして、時期は1980年代と書かれている。
記事にはこんなことが書いてある。
Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.
翻訳するとこうなる。
このように、ブルガリアでは黒か青のブルマーが着用されていたことがわかる。また、ロシア語語などの他のスラブ系の言語のように、レオタードとブルマーを区別する語彙が無いのかもしれない。ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
https://www.bgspomen.com/2016/07/4-80_19.html?m=1
グーグルで画像検索すると、類似した画像が出てくるが、それをたどっているとこういうサイトを見つけた。
冷戦時代、ブルガリアの学校ではブルマーが採用されていただけでなく、ビキニで泳いでいた生徒もいたようだ。日本の学校では考えられない。
https://ouhristobotev-mezdra.com/sport.php
(男の子にみえる子がブルマーをはいているようにも見える写真があるが、画質が荒いのではっきりしない)
こちらはブルガリア語のサイトだが、ソ連というかロシアについて扱っているようだ。
まだ見つけられていない。戦間期の運動について扱った記事がヒットしたくらいだ。
ttps://adevarul.ro/stiri-locale/alba-iulia/educatie-fizica-si-sport-in-romania-interbelica-1713747.htm
「学校」「体育の授業」「古い写真」「チャウシェスク」「共産主義」「1970年」などのキーワードで探しているが、なかなかヒットしない。youtubeの動画も特にない。
コマネチの生まれた国なので(現在は米国に亡命)、体育は盛んだと思うのだが、情報はないのだろうか。
次で見るように、大学の大会での短パンは見つかったのだが、ブルマーそのものではない。
https://blog.udn.com/fuping3713/15062824
https://nicecasio.pixnet.net/blog/post/559456641
https://opinion.udn.com/opinion/story/11664/3198840
https://www.sohu.com/a/409071189_482071
JK体操服(排球服)としているのはこちらだが、純粋に服装フェチの文脈だ。おそらく当時の名称ではないだろう。元来JKという言葉はアングラ用語だったのに、いつも何かカジュアルに台湾人も知っている言葉になってるってのが何とも言えない。
ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/112147262
排球燈籠褲、つまり「バレーボールのブルマ」としている例もある。
何かが「無い」ことを証明するのは難しい。
韓国にはブルマはあったが、訳語が一定していない。訳語のなさそうな台湾だが、スラブ語圏はブルマー固有の名称がないにもかかわらず、ハイレグのショーツ型ブルマーがあったので、これだけで何の証拠にもならない。
同じ英語圏ということで、南アフリカでのブルマーについても調べようと思ったのだが、ヒットしなかった。だが、「south africa physical education 1970」で検索すると、当時の「June and School Friend」という当時の英国の少女漫画雑誌がヒットした。
現在世界に残っているブルマーが写真だけでなく、当時の小説・漫画・イラストでどのように表現されてきたかを調べるもの面白そうだ。
それにしても、性的な意図がなく表現されたブルマーのほうが、なんだか色っぽく感じてしまう。
日本女性向け漫画ではおかざき真理「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」に出てきたブルマーが何となく好きだった。
これはエロ漫画ソムリエの友人が言っていたのだが「男性のエロ漫画が服の上からでもわかるように書いたおっぱいよりも、女性のエロ漫画家の描くおっぱいのほうが魅力的だ。というのも、女性の場合はおっぱいを特に性的でない身体の一部分としてしか描かないのだが、そこにかえってリアリティがあるからだ」そうだ。似た理屈を感じる。
漫画の中のブルマーと言えば、ブラックジャック第232話『虚像』の中に、明らかに黒く塗り忘れた白いブルマーが出てきたのを思い出す。先生の周辺に楽しそうに子供たちが集まっている場面だ。
手塚漫画、ときどき誤植らしいものもあるよね。角川文庫版の「火の鳥 未来編」のラスト近辺も、すべてのものが生きているという言葉と共に星々や惑星たちが映る場面で、おそらく文字を入れ忘れたと思われる空白があった。閑話休題。
過去の写真のアーカイブの量は、言語によって全く異なっている。
また、ブルマーの形も国によって違うし、採用された広さも違う。
前に書いたように、フランスのブルマはややだぼだぼだが台湾ほどではない、短パンに近いブルマーだった。しかし、ドイツではよりパンツの形に近いし、ソ連や日本ではほぼ下着に近いハイカットになる。
これだけ広いと、ブルマーという言葉で一括りにしてしまっていいのかも、かなり疑わしくなってくる。
他にも、採用されていたスポーツも異なっている。バスケットボール、陸上、ネットボール、バレーボールなど特定のスポーツでのみ使用されていたこともあるし、体育の授業全般でも使われている例もある。
ブルマーの画像だけでなく、こうした経緯についても知りたいのだが、本気になったら外国の図書館にまで出かけなければならない気がしてきた。ひょっとしたら書籍としてまとめられていない類の知識かもしれない。
これだけ長く調べていられるのなら、大学を理系ではなく、服飾史にしておけばよかったとちょっとだけ思う。今の仕事は理系の素養を全く要求されないし。
とはいえ、僕が学生の頃には東欧の言葉を自動翻訳で来ていたかは疑わしい。
本当に不思議なのだ。男はズボン、女はスカートという流れに対抗して生まれたはずのブルマーが、なぜ女性の身体を強調するような、そして下着のような形へと、世界各地で変化したのか。そして、ショーツ型への接近への度合いが地域によって違うのかが。
これは国ごとの倫理観と性規範に原因を求めてもいいのだろうか。
台湾や韓国の女性がブルマーコスプレをしていて、かわいらしくて似合っているんだけれど、ただの紺色の短パンや、白いラインの入ったドルフィンパンツのこともブルマーと呼んでいるのはいただけない。確かにきれいな脚が見えて素敵なのだけれど、フェチの人はそういう際にうるさいのだ。
それとも、ブルマーの下着のような形状にドキドキするのは、日本だけの感性なんだろうか?
とか文句は垂れつつ、youtubeの短パン姿のチアはかわいいと思ったりしている。
Youtubeは(政治的に偏っているとか陰謀論とかそういうのとはまた別に)結構無法地帯で、全裸の女性にボディペインティングをしていく様子とか、アマゾネスの戦士という設定でお尻丸出しで戦う女性とか、ドイツ語圏の祭りらしくぐるぐる回る遊具でふざけてパンツ丸出しになる女性とか、ほぼ全裸の台湾のコスプレとか、乳首だけ隠して踊るカーニバルの女性とか、前衛的過ぎて全裸でやる現代演劇とか、隠す場所が丸出しのファッションショーとか、アニメのパンツ丸出しのシーンとかが載っている。
そういう場所では、「men of culture, we meet again.」というコメントが散見される。英語では変態紳士のことを「man of culture」と呼ぶことを知った。
あと、ときどきオススメ動画にジュニアアイドルが出てきて、すごくかわいいと思うと同時に不安になることもあるんだけれど、ブルマについて調べている人が批判するのは難しい。
性を感じることと、かわいいと感じること、もっと知りたいと感じること。その境目がどこにあるかは、人間の心に対する深い理解が必要だ。
例えば小学生の競技ポールダンスを見ると不安になるけれど、それは僕のポールダンスという文化に対する偏見かもしれない。不安に感じては、真剣なスポーツをやっている人に失礼かもしれない。じゃあミニスカートのチアダンスならいいのか、日本舞踊ならいいのか。ではアイドルはどうか。問題は際限なく拡大する。
そうなると、幼い頃からスポーツをやらせるのはどうか、能や狂言を覚えさせる家柄はどうなのか、受験はどうなのか。判断力の未熟な子どもにどの程度人生を選択させるのか。
完璧な答えを求めようとすると、完全に倫理的にふるまうことが僕らはできないと気づく。少なくともこれだけはやってはいけないと法で制限する以外の方法を、今日のところは思いつかない。
誰かを推すこと・応援することへの責任が問われていくのかもしれない。
それからもう一つ。昔投稿した記事の参考資料とした動画やサイトが消えていることがたまにある。動画や写真は難しいとしても、せめて文章だけはweb魚拓を取っておくべきなんだろうか。
ブルガリアでもブルマーが採用されていた写真を見つけることができた。ただし時期は1980年代。
今後は旧ユーゴスラビアやコーカサス地方のブルマーについて調べるかもしれない。
以上。
白々しいんですよ
ってなるんですよ
アンコールがないって、ほぼないですよね?
だからね、やめましょうよ
変形するのも、アンコールも
白々しいから
誰ですか、こんな悪習を作ったのは?
ドラクエですか?
アンコールもやめてください
いったん帰らないでください
やる気まんまんじゃないですか!
茶番はやめてください
横だけど、基本的にデニムとパーカーとかTシャツでさまぁ〜ずスタイルの40代おっさん
上司の服おしゃれだなーって思ってラルフローレン行ってみたけど高過ぎだろ
安くてしっかりしたものないの?
女友達、すごくいい子だなと思うんだが、
かわいくていい匂いのふわふわの女の子にだらしない自分なんか見せられない!この子に会うのに着ていけるような服がない!汚い場所になんか連れて行けない!お外に出るためにお化粧したり可愛い服を選んだり色々準備してくるんでしょ?くだらない話のために呼び出すなんてできない!私なんかのしょうもない話を聴かせるなんてできない!
と思ってしまって、緊張してしまい、なかなか遊ぶ約束を作れない
男友達は、汚い居酒屋で飲んで遊ぼうと言うとTシャツですぐ来てくれるフットワーク軽い(そして面倒見良くて優しい)人が結構いるイメージがあって、来週麻雀やるんだけどくる?と誘われてそのまま芋づる式で男友達が増え、キャンプ行きたいみたいな話になって男友達とキャンプに行き、その流れで何をするにも男ばかりになってしまった
女友達とも仲良くなりたい…
女オタクの友人がいる。ずいぶん前にインターネットで知り合い、何度か会ったこともある。
一人称はプライベート仕事問わず『俺』で(性自認に違和感は抱えていないそうだ)、令和の今もBLカップリングの事を『ホモ』と呼び、Twitter(X)では「ホモおいしい!ホモくれ!ちんちん!ちんちん!」と叫ぶ。通話をしても、おおむね同じようなことを話す。ストレス発散にそういった人格を作っているのではなく、外でもインターネットでも、ずっとそうだ。
髪はひっつめの黒髪、服はしまむら以外を知らず、メイクもスキンケアもした事がない。体毛の処理もしない。(肌が弱いなどということはない)
別に、お洒落したくないならしなくてもいいとは思う。だけど、オフ会で結構いいホテルでビュッフェを食べよう、となった時にTシャツジーパンで来られたときは、流石にその歳なのだからTPOくらい理解して欲しいと感じてしまった。
接している中で、彼女の様子は幼いとしか言いようがない。難しい言い回しは理解できず、含みを汲み取らず、空気を読まない。物事を深く考えず動く。
例えば彼女は、自身のフォロワーの仲良しさん(FF外)がアップした健全イラストにリプライで
「エロっ!おっぱいデカ!脱がして吸い付きたいwちんちん勃起したw」
などと言う。フォロワーの仲良しさんはそれに困惑する。それを見て、フォロワーが
『あなたのそういった言動は、とても大手の成人向け絵描きさんや、仲の良くてそれを許容してくれる相手にやったほうがいいかもしれないよ』
と伝えるとする。
だけど、彼女はそれを理解しない。この会話の後も、「エロっ!」「おっぱい!」とリプライを続ける。なぜなら『絶対にだめだよ』と言われたわけではなく『かもしれない』だけだから。注意された全文そのものはあまり使わなくなることもあるけれど、それ以外は別にいいか、と思ってしまっているから。
恐らくは、説明というものを理解して行動すること自体も難しいのだろう。『AとBがあって、今からAをやっていくよ。BはAが終わったらやるからね』などという説明をしたとしても、Aを終えてBを始めた途端固まり、大丈夫?分からない?と尋ねて初めて「これって何してるの?Aで終わりなんじゃないの?」と言うような人だから。
なんだ、こんな些細なこと、これくらいの人はたくさんいる、と思うだろう。
だけど、こういったことが並外れて山ほどある。幼さを強調するような出来事が毎日のようにある。どこから話せばいいのか分からない程に。
彼女は実家暮らしで、親御さんに家事のすべてを担ってもらっている。それ自体は個人の家庭のあり方だから、口を出そうとは思わない。
ただ、通話中に親御さんが「ご飯よ」と優しく声をかけても無視をする。そしてその後、「今話してんの分かんないの!?」「本当に嫌い!死ね!」と怒る。リビングで通話をしているのだ、声くらいかけられるだろうと私は思うし、怒鳴るならばミュートをしてからにしてくれとも思う。親御さんが「ごめんね、後で食べてね」と言っているのが聞こえて辛い。
戦闘のあるゲームで負けると、その相手がモブでもプレイヤーでも怒る。負けが込めば、苛立ちを隠さずに机や床を殴る。本気で血が出るほど殴る。
会社のことでも幼稚に怒る。仕事でたまたまミスを続けて、最近ちょっと気が抜けてるかもね、と上司に注意されたというだけで、「いつもはこんなミスしないのに!!」「初めてやったミスなのに!!あいつに何が分かるんだ!!死ね!!死ね!!」「気なんか抜けてないけど?バカにすんな!!」と呪詛のツイートをし、通話でもそう話す。詰められたわけでもなく、気をつけてね、と言われただけで。
仲の良い友人からの言葉であれば、厳しい注意を受けてもあまり怒りはしない。ただ、「私はあなたが嫌いなわけではなくて、これから先あなたが誰かに嫌われないようにして欲しい。だからこういう話をしている」と真摯に伝えたとしても、「ああ…」「うん…」「……」と分かっているのかいないのか(おそらく分かってはいないだろうが)上の空の返事をして呆れられるのを何度も見ている。
彼女は敬語も上手く使えない。相手に丁寧に接して欲しい場面でも、相手がどんなに腰を低くして丁寧で優しい文を送ってきていても『よろっす』『りょ』『あす』などの言葉遣いをする。見兼ねた私が一部改変可能な返答のテンプレートを幾つか用意して裏で渡しても、改変が下手で結局粗雑な文になる。
こんな事で会社で仕事は出来ているのか、と常々思う。だけど勤続年数は長く、それなりに資格も持っているようで、前述したミス続きが珍しい程度にはまともにやれているらしい。不思議なことではあるが、もしこれが嘘ならもっと注意を受けているはずで、そうしたら彼女は激怒しているだろうから、本当の事なのだろう。単純業務の仕事であると言っていたから、性に合っているのかもしれない。
ちなみにそういったコメントをしてくれる方が居るかもしれないので先んじて言っておくと、彼女のことを発達に問題があるのか、と疑ったこともある。だけど彼女は社会生活は出来ていて、(知っている限り皆彼女の性格面には呆れ・困惑しつつではあるが)友人もおり、貯金もできる人ではある。
長くなってしまったが何を言いたいかというと、きっと今後彼女が30代・40代となっていけば、友人と断絶されていくだろう。それを私は不安視している。どうにかして欲しい。私も友人だから。
散々書いてしまったが、彼女は安定していれば楽しい所も多くある。一緒にアニソンカラオケなんかをするにはとても適した人材だ。
けれども、私たちはいい大人だ。ずっとアニソンカラオケだけをしている訳じゃない。他人と等しく支え合い、あるいは1人で立ち、生活をしなければならない。
彼女は現時点でそのどちらもが難しい。まだそれでいて平気な今のうちに周りはどうにか助言をしようとしているけれど、「ふーん」「俺は気にしないもん」「何とかなるし」で流されてしまう。何ともならないのに、と私は思う。
どうしたらいいのか分からない。余計なお世話と言われればそうだ。でも現実問題、徐々に共通の友人は離れていっている。見ていられない。こんなに気にするなら私も離れてしまえばいいのだろうか。彼女をそのままにして。
社会人になって数年、仕事が忙しくなり、職場で理不尽な事が増え、それが精神的な余裕の無さに繋がって彼に距離を置かれ、それがさらに心の余裕を…というスパイラルの果てに破局。
異性と肌を合わせる事が数少ない癒しの手段だった自分にとって、パートナー不在状態は、ゲームで言う所の体力が少しずつ減っていく状態も同然だった。もちろん他のストレス解消法も色々と試してみたものの、セックスと同等の効果を感じられるものには結局巡り会えず、週末は一人でひたすら呑んでタクシーで深夜帰宅してばかりだった。
そんなある週末の深夜、自分でもよく覚えてないが運転手に実家の住所を告げていたらしく、気が付くとx万円のタクシー代を立て替えてくれた兄に抱きかかえられて部屋に運ばれていた。それが拙かった。季節は残暑も厳しい頃。Tシャツにハーフパンツ姿の兄に「おんぶ」された時、その密着感と体温から猛烈、いや激烈な感覚が体を駆け巡った。「これだあああ!!!!」と。「ここにいるじゃん!!!!」と。
で、その夜のうちに兄と関係を持った。
「こうでもしないと自分はダメになってしまう」「私のためだと思って」「誰にもしゃべらなければいい。死ぬまで秘密にするから」「一回だけでいいから」「入れなくていい。ただ抱き合うだけでいいから」と、泣きじゃくる私に兄が折れる頃には夜が明けていた。人倫に反する事だという自覚は微塵も無かった。シャワーも「カラスの行水」同然に済ませ、兄のTシャツとトランクスをはぎ取り、ひたすら兄との密着感を貪った。
入れなくていいという言葉で無理矢理妥協させた兄ではあったが、そんな約束最初から守る気など自分には全くなかった。兄は割と本気で抵抗したが、半分本気半分演技の涙でねじ伏せた。
数ヶ月ぶりのセックスはただただ気持ちよかった。勿論自慰はやってたけど、物の数に入らない位によかった。「脳味噌が痺れる」というのはまさにこれの事かと。途中で何回ヨダレを兄のTシャツでぬぐった事か。
事後、兄は私の頭を撫でていた。どんな顔をしていたかは、何となく見れなかった。
ちなみに実家で兄と同居している両親(というか、兄「が」両親と同居しているのだが)は一階の寝室で寝入っており、二階の兄の部屋とは比較的離れていたので気づかれずに済んだ。
私は同じ二階の元の自分の部屋へ行き、押し入れに仕舞われた布団を引っ張り出して裸のままひっくり返った。しばらくして、兄が私の服とバッグを持ってきてくれた。
両親には、「仕事が行き詰まって精神的にきつくなってホームシックになった」と説明した。実際そうだったし、ひたすら仕事の愚痴をこぼし続けたので、両親も疑わなかった。父は一人娘の突然の帰郷に気をよくして「今日も泊まっていけ」と言ってくれた。二日目の夜は、兄は早々に寝てしまっていた。それが兄なりの拒絶の意志表示なのだと私は察した。
日曜の夕方、兄が車で最寄りの駅まで送ってくれた。道中、私たちは一言も喋らなかった。駅に着いて、「まあ、無理すんなよ」と兄が言うと、私は「ごめん、ありがと」と言い残して帰路に就いた。少なくともこのときまでは、自分はこの一度きりで終わらせるつもりではいた。
兄とのセックスの効果は絶大だった。自分のミスは激減し、相手のミスを許す余裕も生まれた。何より、兄との行為を反芻しながら自宅でする自慰が、その効果をより長く持たせてくれた。夜もぐっすり眠れるようになり、肌の荒れも目に見えて解消していった。
が、それが永久に続くわけでもなく、2ヶ月も経つ頃にはその効果は薄れつつあった。これは拙い。また「補給」しないと。そう思った時には既に携帯で兄に電話していた。
そして、何だかんだでなし崩し的に、兄と一ヶ月に一、二度セックスするようになった。両親にばれるわけにもいかず、また私のアパートの住民達にも、兄を彼氏だと認識されたりしたら万が一の場合も考えられるので、ムラッと来た時はアパートと実家の中間の駅に兄を呼び出し最寄りのホテルに直行、そして数時間後に別れる、という流れだった。勿論ホテル代その他諸々の費用は全部私持ちで(兄は自分が出すと言っていたが私が拒んだ)。
今冷静に振り返ってみても、相当に人の道を踏み外してるなとしみじみ思う。あの頃は自分が気持ちよくなる事しか考えてなかった。兄に対しても、あれでも一応男なんだから別に損はしてないはずだと自分勝手に思い込んでいた。セックス自体も完全に受け身で、兄に何かをしてあげようという発想すら無かった。
けれど旦那(になる人)とつきあい始めて、本気で結婚を考え始めた頃になって、「ああ、私はこの人に絶対に言えない秘密を抱えて一生過ごすのか」とか「私をこんなに信頼してくれているこの人を、自分は一生だまし続けて生きていかなければならないのか」という事に気づいてしまい、また兄にも同じ業を背負わせてしまった事を深く後悔し、何となくそれ以後自分で兄を遠ざけてしまった。自分の結婚式でも目を合わせずじまい。実の兄の体を求める度胸はあったくせに、謝罪する勇気は私にはなかった。今思えば最低な卑怯者だな。
そうやって実家自体とも疎遠になった頃、兄から結婚式の招待状が届いた。届いたその日の夜、兄の携帯から電話が鳴った。思わず電話に出た。兄は陽気な声で「お、元気?」と。私はその場で泣き出し、何度も謝った。兄は「お前も旦那とうまくやれてるみたいだし、俺もようやく人並みに落ち着けるし、お前が苦しむ事はもう何も無いだろ」と言ってくれた。
別に落ちも何も無い。兄との関係は今も旦那には黙ったままだし、兄との肉体関係もそれ以後全く無い。ただ、あのとき兄が自分を受け入れてくれたからこそ、今の自分があるんだろう。匿名で吐き出せる程度にはなれたのでここに書く。
(タイトルが攻撃的になってしまった。別に何かを主張しようという意図はない)
いい歳してお母さんが買ってきた服を着ているオタクは実在する。俺だ。
なぜ自分で服を買わないのか。それは服について知識がないからである。
パーカーもわかる。紐とフードがついてるやつだ。
シャツもわか…。いやもうわからない。ワイシャツはシャツだ。これは下に肌着を着る。でもTシャツは着ない。この違いはなんだ。
調べるとスウェットシャツというのもあるらしい。なんだそれは。スウェットとはあのパジャマや部屋着みたいなものを指すのではなかったのか。種類ではなく材質の話だったのか。これは下に肌着がいるのか。
フリースはわかる。と思っていたがこれも材質の名前らしい。なんかフワフワでジッパーがついたやつを指すのだと思っていた。もう何も信じられない。
ジーパンはわかる。オタクの味方だ。でも洗濯についてよくわかっていない。
あとはなんの種類があるんだ。わからなすぎて「服 種類」でググった。こんなの調べるのはオタクだけだ。カーゴパンツは聞いたことがあるぞ。勿論中身は知らない。
普通は一度にどれくらいの量を買うんだ。
似合う/似合わないは何で判断しているんだ。
相場はどれくらいなんだ。Tシャツの値段すらわからない。Tシャツくらいはわかると自分でも思っていた。アニメのグッズで買うからだ。しかしオタクがグッズを買う時に値札を見ているわけがなかった。
裾上げとはなんだ。いやそれ自体はわかる。スーツを買った時に何かされたからだ。でもこれは任意のパンツで必要なのか。種類で変わるのか。
知ってる風に「パンツ」と買いたがなぜ「ズボン」ではダメなのかもよくわかっていない。
もう何もわからない。俺は自分でよくわかっていないものを肌に身につけているわけだ。それでも不自由なく生きていられる。感謝。
NON-EDIT TALK : MY LITTLE LOVER featuring AKKO*華原朋美
華原:
こんばんは、華原朋美です。今日は7月り2日です。うーん? そろそろ夏ですかね。7月って言えば……、そうですね、夏ですかね、やっぱり、これから先は。今日の私の格好を見ても夏っていう感じなんですけども、みなさんはいかがですか? 今日のゲストは、私、すっごいドキドキしてます。MY LITTLE LOVERのAKKOさんです。よろしくお願いします。
AKKO:
華原:
いやぁ。
AKKO:
華原:
AKKO:
いや、なんか夏にはぴったりかなって。
華原:
AKKO:
朋ちゃんも真似したんですか?
華原:
AKKO:
好きですか?
華原:
AKKO:
いい感じ?
華原:
いい感じです。
AKKO:
華原:
ああ、やっぱり女性ですね。なんか、女ですね。
AKKO:
そうですか? いやいや、朋ちゃんもね。
華原:
いちおう、女を装って。あの、今日は、いろいろ聞きたいことがたくさんあるんだけど、歌を歌うのにつながる今までの人生ってあるじゃないですか。
AKKO:
うんうん、うん。
華原:
でも、いろいろなスタッフの人から話を聞くと、情報を集めたんですよ。昔は音大に通ったり。
AKKO:
華原:
これは私もそう思ったんですけど、バレエを。
AKKO:
うん。ちょこっとね、バレエは。
華原:
そうですか。
AKKO:
朋ちゃんはやってたんですか?
華原:
やってたんですけどね。
AKKO:
私ね、新体操やってたんですよ。
華原:
新体操って、これ?
AKKO:
そうそう、リボンとかボールとかなんだけど。だから、新体操の基礎ってバレエだから、それでちょっとね、やってました。
華原:
リボンやりながら歌いました?
AKKO:
歌わないよ。
華原:
AKKO:
あ、本当に。
華原:
うん。あの、平均台、10cmぐらいしかないんですけど、そこの上で転回やったりとかしてたんですけど。
AKKO:
危ないですよね。
華原:
危ないですよ。
AKKO:
怖いですよね。
華原:
落ちちゃった時とか、もうどうしょうもないほど痛かったんですけど。
AKKO:
なんかね、歌ったり踊ったりがとにかく好きで、ずっと。ちっちゃい頃から。だから新体操、まあ踊り、とにかく一回ハマって。まあ、それを終えて、「今度は歌か」と思って。音楽大学行って、声楽とか勉強して今に至るんですけどね。
華原:
やっぱり、音楽っていうものに関しては、自分は生まれつきすごく「それしかない!」って思ってたところってありますか?
AKKO:
いや、「それしかない!」っつうよりも、本当にただただ好き。好きでたまらない、楽しくてたまらないものが、本当に踊りと音楽だったんですよ。でも、ちっちゃい頃からね、「みんなの歌」とかなかった? ああいうの片っ端から歌ってみたりとかね、一人で勝手に部屋で歌ったりとかね。本当、それだけでもすごい楽しくって。
華原:
あの、私も「みんなの歌」みて歌ってても、私は一人で歌ったりとか出来なかったんですよ。みんなで合唱とかやった時、一回だけ自分が一生懸命歌えるっていう感じで、あの、その本を見た時、いちばん初めの印象ですけど、本を見た時に、恥ずかしいなって思っちゃったんですよ。そういうのってないですか?
AKKO:
わかるわかる。
華原:
なんか、「これ、私が自分で歌うんだ」って思った瞬間、すごい恥ずかしくなって。
AKKO:
でも、だって、隠れて歌っちゃえばいいじゃん。そういうのは思わなかったの?
華原:
AKKO:
私、逆にね、合唱とかのほうが恥ずかしかったかな。なんか、となりの人の声と聞こえたりするじゃない。で、自分の声とかも聞こえちっゃたりするのが。それだっら、なんか一人で歌ってたほうが、なんか好きだったかもしれない。うん、そうだなうん。
華原:
それはすごいプロですよね。なんか、私はそう思うんですけど。あの、合唱コンールの時に………、ごめんなさい、私の話で。
AKKO:
ううん。
華原:
合唱コンクールの時に、あの、ソプラノのパートを歌ったんですよ、私。で、ソラノのパートを歌える人がそんなにいなくて、私ともう一人ぐらいしかいなかったんすよ。
AKKO:
あら。
華原:
それじゃあもう声が、今から考えるとね、声が届かなくてしょうがなかったのになんでソプラノとかを歌えたのかな? って。恥ずかしいと思いながら声を出すってうのは、すごく見てる人が楽しむところなのかなって、今は思うんですけど。
AKKO:
なんか、見てる人も歌ってるほうも楽しいよね、歌とかってね。
華原:
踊り踊るのと歌を歌うのって、とにかく好きだし。私も踊るのも好きだし、歌うも好きなんですけど、でも、それを一緒にするのはなかなか難しくて。で、いつもフンの人から手紙とかもらって、そこに書いてある文章を読んだりすると、「左手、右が、どうしてこんなに動くんですか?」って。私はあの、「それは振りですか?」ってかれるんですけども、「振りじゃなくて勝手に動いちゃう」っていうふうに言うんでけど。で、ビデオ見たんですよ。
AKKO:
何の?
華原:
全部。
AKKO:
華原:
はい、全部見ました。
AKKO:
華原:
AKKO:
いやぁ、私はもうぜんぜん。
華原:
いいなぁとか思ったんだけど。
AKKO:
いやいや、私もやっぱり、まだやってみたことはないけど、踊りと歌を合わせるって、まだ自信ないなぁ。やってみたいけど。ジャズダンスとかも、多少習ったりとしたことあるけど、難しいよね。
華原:
難しいですよね。あの、アルバムの中で、アルバムの中じゃないけど、♪いつかHEY! HEY! HEY! ~って、あるじゃないですか。
AKKO:
デビュー曲なの。
華原:
あれ、私、すっごい好きなんですよ。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
私、あれ聴いて、「いつかはHEY! HEY! HEY! に出て上いってやろう」とかってました。
AKKO:
あれ? その頃ってまだデビューしてないんでしたっけ?
華原:
いや、いろいろしてる時期だったんですけど。
AKKO:
あ、そうか、そうか。でも、いい歌詞ですよね、なんか。意外と前向きだしね。HEY! HEY! HEY! ~とかいって投げやりな感じだけど、じつはね、かわしてる感じでもんね。
華原:
あの歌はすごいいいですね。あと、「Hellow again」もうメチャクチャ好きです。
AKKO:
あ、本当に。いやぁ、嬉しい。
華原:
プロモーションビデオ見たんですけど、半袖でマフラーをしてるじゃないですかAKKO うん。
華原:
それは、やっぱりあのマフラーには何かあるんですか?
AKKO:
いや、私が考えついたことじゃないんですけど、その時のアートディレクターの藤さんていう方がいて、その方がなんか発想して。そういうふうにTシャツにバーバーのマフラー。すごい可愛いですよね。
華原:
可愛いなって思いましたね。
AKKO:
私もびっくりしちゃったんですけど、でも、それはその人の。
華原:
なんかあれですよね、「Hellow again」っていうのは、昔からある場所。昔かにる場所っていうのは、AKKOさんの中でどういうところですか? 昔からある場所。
AKKO:
昔からある場所? どういうところなんだろうな? けっこう冒険が好きなんで、んまり留まってないんですよ、私。だからね、ちょっと。ごめん。
華原:
ううん。あの、私は自分であの曲を聴いて、自分が、朋ちゃんが昔からある場所ていうのはどこなんだろう? っていうふうに探しちゃったんですけど。
AKKO:
どこでした?
華原:
わかんないですけど。昔からある場所って実家かな? とか思ったんですけど。
AKKO:
それはでも、私も思った、一瞬。実家かな? って思ったけど。結局なんか、自ベースの気持ちだったりするのかな、とか思ったけどね。わりと私は、なんか楽しくきようっていうのがベースにあるんですよ。
華原:
いいですね。
AKKO:
笑って生きようとか。一度しかないし、人生。だからなんか、そういうのが私のレイスというか、場所なのかなって、今ちょっと思ったけど。
華原:
いいですよね、なんか。転調の部分とかも、すごい綺麗ですよね、「Hellow agan」とかね。
AKKO:
華原:
AKKO:
いきなり変わりますよね。
華原:
すいません、ごめんなさい。私、気性が荒い人だから。
AKKO:
大丈夫です。気性なんですか?
華原:
気性? あの、何を話すのか忘れちゃった。
AKKO:
ごめん。邪魔しちゃったね。
華原:
AKKO:
そうなの。
華原:
AKKO:
華原:
憧れですよね。
AKKO:
本当?
華原:
女の人として、憧れの場所ですよね。
AKKO:
本当?
華原:
私はそうなんですけど。AKKOさんってお呼びしても?
AKKO:
もう「AKKO」で。
華原:
「AKKO」で? 言えないっスよ、そんな。AKKOさんは、あの、あれですよ、歌をて、それで売れて。それから女の人として、私が勝手に言うことですけど、女の人とて結婚して、子供を産んで、それで生活をして。それでも歌を歌い続けるっていうの、すごくいいスタイルですか?
AKKO:
いや、もうメチャメチャいいですね。
華原:
AKKO:
いや、1mmも描いてないですよ。
華原:
1mmも?
AKKO:
そんなの想像できないでしょ? 普通。ちっちゃい頃なんてそんなこと。ある意ゃ、すごい派手なことだし。でも、まあ、普通の営みだと思っちゃうんですけど、私。たまたま。
華原:
お姉さんですね。
AKKO:
え? いやいや。将来、本当に愛する人と結婚して、その愛する人との子供が産いっていう夢はずっとあったけど、それがこういう状況で起こるとはぜんぜん思ってかった。
華原:
AKKO:
華原:
すいません、なんか。
AKKO:
華原:
今日、本当に忙しい中を来ていただいて、すごく嬉しいです。
AKKO:
いやいや。本当に私も今日は楽しみだったんで。
華原:
あの、あれですよね。子供を産んで歌を歌うじゃないですか。声、変わりました
AKKO:
声? 声っていうよりも、なんか表現の仕方がすごい変わったような気はする、の中で。もうちょっと振り幅が持てたような気はしてますけどね。産んだ後レコーデングしてみて。
華原:
私は、そういう経験はしたことないんですけど、初めての人ですよね? なんと。あの、曲を書いてくれる人と結婚して、それで子供を産んで、幸せな家庭を築きなら、温かい歌をみんなに伝えるっていうのは、すごく初めてな。
AKKO:
今までそういう人、いなかったんですかね? どうだろう?
華原:
私はそういう、こういうふうになった人を目の前にして話しをするのは初めてなですけど。
AKKO:
でもね、そんなすごく見えるけど、ぜんぜん本当にただ普通のことをやっているけで。まあ、そういうことの影響が全部歌に出たりとかね、普通するし。もちろんすい前向きに楽しく生きようっていうパワーは多分出てるんだと思うんだけど。でも、から本当、私は普通なんだよ。
華原:
AKKO:
そうかなぁ?
華原:
すごくその、こういうさっきのが、私から見ると温かいふうに見えて仕方がないす。
AKKO:
そっか。
華原:
それをそのまま、べつに隠す必要もないし、それを一番として先頭に立ってる人もないし。そこがなんか、AKKOさんのいいところで。
AKKO:
そうかな。でも、そう言われるとすごい嬉しいです。
華原:
すいません、自分で喋ってて、なに言ってるのかって思っちゃって。
AKKO:
いやいや、でも、すごい嬉しい。そっか。
華原:
そうですね。なんか「ANIMAL LIFE」っていうCD聴きました。
AKKO:
ありがとう。どうでした?
華原:
それを聴いてても、すごくいいですよね。
AKKO:
いいですか?
華原:
はい。私はあの、AKKOさんの声っていうの、すごく気持ちがいいんですよ。
AKKO:
あ、本当に? すごい嬉しい。
華原:
聴いててすごく気持ちがいいし。で、私が一番気持ちがいいなって思うところと緒です。あの、私がいちばん気持ちいいと思うところは、安心して休めて眠れるってうところが一番すごく気持ちがいいとこなんですけど。そういう時にAKKOさんの声をくと、さらに。
AKKO:
子守歌のように? いい感じ?
華原:
すごくそういう声を持ってるなって思ったんですけど。
AKKO:
ああ、嬉しいです、そんな。
華原:
どこから出てるんですか?
AKKO:
いやいや、そんな。こっちが聞きたいよ、朋ちゃんの高い声とか。すごいパワーる声とか。
華原:
パワーは、AKKOさんのほうがすごく優れてると思う。
AKKO:
いやぁ。でも、正反対な感じですよね、私たちの声ってね。今、思ったけど。
華原:
そうですよね。裏返したらとか、表にしたらとか。べつのところにあるし。
AKKO:
なんかね。
華原:
だから、私にはない声だし、私がすごく欲しいなって思っても、ぜったいに手のかないところにあるし。それは間違いないですよね。
AKKO:
いや、私もだって、ぜんぜん届かないところにいるのと同じだもんね。なんか武さんとかは、声、いろんな声質を持ってるっていつも言ってくれるんだけど。変化球投げれるとかね。でも、ノーコンだって言われちゃうんでけど。だけどまあ、それが分、私のいいところで。朋ちゃんはでも、やっぱりすごい高い音域とか、すごい音域出て。で、もう本当にすごいパワフルだと思うんですよ。
華原:
じゃあ、お互いそういうふうに思ってるところってあるのかな。
AKKO:
うん。やっぱりね、持ってないものとかね。
華原:
持ってないものって欲しいよね。
AKKO:
欲しくなりますよね。
華原:
何でもそうだよね。洋服で、すごく可愛い服が店頭に飾ってあって。で、それ欲いなって思っても、お金がなかったりして買えなくて。で、本当は届きそうなところのに届かなかったりとかって思いませんか? なんか。
AKKO:
え? 届きそうなところに届かないと言うのは?
華原:
AKKO:
最近ぜんぜん行ってないよね。
華原:
カラオケとかで、私、「Hellow again」とか歌うんですけど、あれもすごいですね。男の子、女の子がいても、絶対に自分はウマく聞かせなきゃいけないっていうとろに、気持ちが届くんですよ。だけど、AKKOさんの声には絶対届かない。届きそうでかないみたいな。
AKKO:
ああ、そういうことか。
華原:
だから、MY LITTLE LOVERのAKKOはいいっていうふうに思うんですよ。
AKKO:
やっぱでも、人にはその、全部万能な人なんていないからね。なんだろう? 自ね、出来る範囲を広げつつも、その中でベストを尽くすのがいちばん素敵だよね。なんつって。
華原:
素敵。
AKKO:
いつもそう思ってるんだけど。
華原:
素敵な人ですね。一番はじめにAKKOさんていう存在を知った時、私は「あ、絶対バレエとかやってる人だな」って思いました。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
まだ、声とかは聞いたことがなかった時で、MY LITTLE LOVER。
AKKO:
今日ね、たまたまね、本当たまたまなんだけど、昔の取材の時の切り抜きとか事所とかに置いてあったりするじゃない。それをなんかちょっと必要があって調べてたね。そしたら、デビュー当時の写真とか載ってるわけじゃない、その雑誌の切り抜きから。それ見たら、もうすごいポッチャポチャで。私、びっくりしちゃったんだけど「うわぁ、やめて!! 捨てたい」とか思ったんだけど。いや、でも、あの頃はやっぱ、かなり丸くて。もう慌ててトレーニングとかして。
華原:
トレーニングをしたの!?
AKKO:
うん。ちょっとダイエットじゃないけど、スポーツクラブとか通ってね。だいぶの頃よりはスマートになったと思ってるんだけど。
華原:
カッコいい女性になりましたね。
AKKO:
そうですか? あら。
華原:
そういう感じがする。
AKKO:
ああ、そうか。前なんかキャピキャピっていう感じでしたもんね、けっこう。そいうんじゃなくて?
華原:
全体的に、なんか楽しい感じの人だなっていうふうには思った。で、今、会ってそれは本当だった。
AKKO:
面白く生きなきゃね。
華原:
AKKOさん、そういうふうに思ってるじゃないですか。で、私はそういうふうに思てるところもあるんですけど、時々くじける時がある。「こうじゃダメなのかな?」てなっちゃう時ってない?
AKKO:
いや、あるよ、もちろん。あるけど、うーん? あるけどなんかね、そういう時向きなことを考える。
華原:
前向きなこと。
AKKO:
うん。
華原:
AKKO:
そう。最近ね、ちょっとあんまり家を空けることとかやっぱり多いじゃないです。海外に撮影とか行ったりとか。だからね、あんまりしてないんだけど、前はよく育てた。
華原:
なんか、ロサンジェルスに住んでたり、日本に住んでたりっていうのがすごく多って聞いたんですけど。
AKKO:
華原:
多かった時期ありましたね。ロスにずっといた時期とかありましたけど。
AKKO:
そうか、そうか。ロス多いんだけど、寂しいんですよ。友達とかね、あんまりいいじゃないですか、やっぱり。
華原:
AKKO:
喋れないです。
華原:
私もぜんぜん喋れないです。
AKKO:
でも、日常いちおう困らない? 困らないよね、スーパーとか簡単だもんね。そうのは大丈夫なんですよね。そうですよね、ロスとかでね、一緒とかになれたらと、ふと思ったんだけど。
華原:
思うよね。私もすごい思う。
AKKO:
けっこうね、そうだね。アメリカ人の友達とか出来にくいもんね。
華原:
外人て、なに言ってるかわかんない。
AKKO:
私もさ、すごい愛想いいっていうかさ、やっぱりアメリカ人と喋って、自分で勉しようと思うじゃない。だから、アメリカ人の人と一生懸命喋るのよ。で、前にニュヨークにいたんだけどね、その時は。まあ、妊娠中だったにも関わらず、そこのドアーイいるじゃない、コンドミニアムとかだと。そのドアボーイが、しきりに「今日、事に行こう」とかね、すごいもういっぱい誘ってきて。私、妊婦なんだけど、「I'm regnant」とかって言ってるのに、ぜんぜん通じてなくって、すごい困ってたことかせった。困っちゃうよね。
華原:
困りますよね。
AKKO:
華原:
AKKO:
本当?
華原:
誰か一緒にいなきゃって思いますけど。
AKKO:
一人でわりとね、フラフラ遊んでたんじゅゃなくてね。
華原:
AKKO:
その時はね、武史さんがちょうどMr.ChildrenとYEN TOWN BANDのレコーディング行ってて。で、私は妻ですからついてって。その間、多少撮影があったりとかしててあとは英会話学校とかちょっと行ってたりしたんですよ。
華原:
AKKO:
うん、ちょっとね。そう。だから、わりと一人で雪道とか。冬だったんでね、吹の中あるいて。
華原:
吹雪?
AKKO:
いや、すごいんだって。ニューヨークのね、去年30年振りの大寒波とかいって、雪で。もうそんな中ね、歩いて行ってたよ、ダウン着て。防寒して。一回だけね、セトラルパークの横でね、氷に滑ってね、尻もちついて。妊婦ってね、尻もちついちゃけないのね、絶対ね。で、もう、すごいびっくりしてね、泣いちゃったことあったけね。
華原:
AKKO:
歌った。レコーディングした。
華原:
AKKO:
「Yes」とか。
華原:
♪Yes~ってやつですよね?
AKKO:
華原:
雑誌で、「子供にどんな音楽を聞かせましたか?」って、妊娠中に。それで「妊にアルバムの曲を聞かせるといいですよ」って書いてあったんですよ。
AKKO:
華原:
そうなんですか?
AKKO:
アルバムの曲っていうか、何でもいいんだけど。自分が気に入った曲を、胎教にさそうな曲を、たまたま私が聞かせたのが「Evergreen」っていう。「Evergreen」のの一番最後の曲で。それを毎日毎日聞かせてたら、産まれてからね、その子がどんな機嫌が悪くても、どんなに泣きじゃくっても、それを聞くと機嫌が直るんだよっていのをね、聞いてたんですよ。だから「Evergreen」聞かせてて。で、産まれてからもっぱり聞かせるとすごいご機嫌になる。びっくりしちゃったんですけど。
華原:
あの、「アリス」っていう曲あるじゃないですか。呪文かけてますよね。あれ、いですよね。
AKKO:
あれ、なんかコンピューターのね、「ディギディギディギ」とかってなるじゃな。私もよくわかんないんだけど。あれをとったものなんですけどね。
華原:
あ、そうなんですか。私はなんか。
AKKO:
呪文っぽく思った?
華原:
呪文かけてるのかなって。
AKKO:
華原:
ああいうのって、なんて歌えばいいのかなって。
AKKO:
わかんないよね、最初ね。けっこう質問された、最初。でも、なんか、コンピュターなんですって、もとは。私もね、機械弱いんでね。
華原:
私も弱いです。
AKKO:
難しいですよね。
華原:
AKKO:
華原:
あ、すごい。
AKKO:
一時期ちゃんと向かったことがあるんですけど、ちょっとプロモーション忙しくって、中断しちゃった。
華原:
私も今、中断してますね。
AKKO:
あ、でもやってたんだ。
華原:
あの、ファンの人からメールがきたりとかして、それを見て、返せる人には返しっていうふうにやってたんですけど。難しいですよね。
AKKO:
ね、難しいよね。でも、けっこう面白いんだよね、ああいうのを見ると、 Permalink | 記事への反応(2) | 03:08