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2018-10-27

萌え絵についてオタクが見ていない不都合な真実

ここで語る萌え絵は00年ごろに完成したエロゲ表現様式としての絵柄を指す。なぜならそれが初めて萌え絵と呼ばれた絵柄であったという歴史があるからだ。

現代感覚萌え絵範疇を広げた挙句その源流を少女漫画やらミュシャやらに求め出すアホはすっこんでろ。

さて、現在萌え絵と呼ばれている絵柄は幅広いが、元々萌え絵とは00年頃に絵柄が完成したエロゲ絵のみを指していた。

萌え絵少女無垢性を表現したものという言説もあるが、そんな綺麗事萌え絵一般アニメ絵マンガ絵に多大な影響を与えて却って薄まってしまった現代からこそ言える戯言であり、元は少女が脱いで媚態晒すシチュエーションとセットであったことを忘れてはならない。

しかしながら完成した萌え絵エロとセットであった期間は非常に短い。多分10年もない期間のことだろう。具体的には、Windows98の発売によりPC向けのエロゲーで表現できる絵が豊かになった98年頃からCLANNADが発売した04年までだ。

萌え絵の完成というのは当時のオタク界にとってはエポックメイキングであった。

ここで当時の萌え絵の特徴について整理したい。

まず、よく挙がるのが非常に大きな目の表現である。これが萌え絵の大きな特徴であることは間違いない。ただ、ここだけを以って萌え絵の源流は少女漫画だと語る人も多いがそれは間違いだ。萌え絵少女漫画には大きな隔たりがある。それを作っているもう一つのキーワードが立体感である

萌え絵には大きな目の他にもう一つ、丸っこく柔らかい影をつけて体の立体を表現しているという特徴がある。その表現は平面的な水彩塗りを主とする少女漫画には存在しないものだ。そしてその表現は、女性の裸体を質感をもって表現するという必要性と、当時のCG塗りに使われていたPhotoshopエアブラシというツールの二つが合わさって発明された。

体感を持つ体に大きな目が合わさって初めて萌え絵となったのだ。

この萌え絵という表現様式は控えめに言っても非常に優れていた。可愛いエロいを初めて両立させた絵柄だったからだ。

それまでのエロ絵と言ったら劇画調のものが主だった。一方で可愛い絵と言ったら少女漫画吾妻ひでおあたりで、これらにエロティシズムを感じるのは当時のオタク定義ロリコンと呼ばれたオタクの中でもさらに一握りの人々だけだった。つまり、このころはまだ可愛いエロいは両立していなかったのだ。

それを両立させた萌え絵エロゲーというジャンルから現れたのは必然であった。

そして萌え絵エロとセットになっていた時代を終わらせたのは、エロゲー界に流行った泣きゲーというジャンル物語だ。

泣きゲーというジャンルエロゲーは、KeyLeafといったエロゲメーカーが得意とするものだった。いわゆる葉鍵系である。これらのメーカーが出すエロゲーはエロゲーでありながらエロはおまけ的であり、その価値は泣かせる物語にあった。

この泣かせる物語は正直エロとは相性が悪かった。だが、萌え絵にはそれらの物語ともマッチする懐の深さがあった。萌え絵エロのみに価値があるわけではなかったのである

これらの物語萌え絵マッチは、元はエロゲーの絵柄として発生した萌え絵からエロを剥がすことに成功した。

そしてそれから萌え絵エロゲーを表現する絵柄であったというコンテキストから解放され、アニメ絵マンガ絵に多大な影響を与えていくのである。その過程萌え絵自身もどんどん進化していき、今となってはエロティシズムとは無縁の絵柄に到達したものもある。

一方で、エロゲーの絵柄としての萌え絵も残り続けた。可愛いエロいを両立させ続けている絵柄だ。

さて、ここで萌え絵性的ものだと言って批判する人々が連想している萌え絵とはなんなのか考えてみよう。

今のオタク萌え絵と言って連想するのはエロコンテキストから引き剥がされた現代萌え絵だ。

だが、萌え絵性的だと殊更に槍玉にあげる人々が連想しているのはエロコンテキストにべったり沿った、いわゆる原義通りの萌え絵だろう。それらは主流派ではなくなったが今でもまだ存在している。

これでは両者の話が噛み合わないのは当然である

さら萌え絵性的だと批判する人々がなぜ萌え絵特別視するのか考えると、そこには萌え絵が実現した可愛いエロの両立が非常にショッキングものであることが大きな要素になっているだろう。

萌え絵以前はエロといえば劇画であり大人世界のものであった。一方で可愛いといえば少女漫画であり、子供特に女の子のためのものであった。しか萌え絵可愛い世界エロを持ち込んだのだ。

これが子供を守る親の視点から見て、ショッキングでないはずがない。

から私自身は萌え絵が好きなオタクであるが、個人的には萌え絵批判する非オタクの大人批判宜なるかなと思っている。

そして、萌え絵といえばエロゲー用の絵柄であったという歴史に目をつぶり、萌え絵エロくないと言い張って萌え絵批判批判するオタクには幾らかの憤りを感じる。

重要なところを復習する。

まず、初めて萌え絵と呼ばれた絵柄はエロゲー用に完成された可愛いエロを両立する絵柄であること。

それは一般的に見て非常にショッキングな絵であり、それを受け継いだエロ萌え絵が今も存在していること。

これらを今のオタクは忘れてしまったのだろうか?少なくとも今のアラフォー以上で20年くらい前からオタクをやっていたような人は覚えているべき歴史ではないのか?

これらの歴史をまるでなかったかのように扱い、萌え絵エロいという人を一方的非難するのは非常に不誠実ではないだろうか?

萌え絵と呼ばれている絵柄は非常に豊饒で、エロとは無関係のものが主流だ。それは確かな事実である

一方で萌え絵エロゲからまり、今もそれを引き継いだエロ萌え絵存在するのも事実である

普通に考えて、萌え絵性的ものだと批判する人々が連想しているのは後者だ。前者に引きずられて後者連想している場合もあるか。

だが、それが考えられずに、あるいはわざと無視して萌え絵批判批判を返すのは非常に不実だと言わざるを得ない。

萌え絵の元の定義を今一度思い返してほしい。

ブコメレス

id:cloq 萌え絵の源流はエロゲ絵であり、萌え絵性的描写とは関係ないと言い張るオタクは嘘つきだって話だよ。

2018-03-26

パソコン教室のこと教えて

自分大学生

父親知り合い5人くらい脱サラしてパソコン教室開いたって昔聞いた記憶ある

90年代00年代流行ったらしい。

当時のパソコン環境で何をどの層に教えてたんだろ?

多分windows98?とかそのへんだよね?

パソコンなんていじってれば適当に覚えるものだと思ってたかめっちゃ脱サラしてパソコン教室開いたやつがいるって聞いた時はへーーってなった。

インターネット老人会の皆様よかったら教えてください。記事URLでもいいです。

2018-02-18

Yahoo!検索目的で利用していた、している人

ますか?

自分Windows98の時にホームページはここで検索はここでやると教わった

2017-09-28

https://anond.hatelabo.jp/20170928184804

最近PCスペックにOSはwindows98いれててクッソ速いみたいなやつでたぶん[TYPE-Y(ワイ)]ですね。

2017-08-02

なんで自作したいのかを考えるべき

https://anond.hatelabo.jp/20170801235400

自分場合は初Windousが初自作という無謀ぶりだった。
20年程前。懐かしいなあ。
あの頃はちょうどフロッピーCDでないとインストールできなかったのがOEMwindows98だとCDから直接CDインストール出来るようになってみんな「便利になったなぁ!」って感動してた頃。
ただ自分の数年前の人はフロッピー20枚だか30枚だかを延々入れてWin95インストールしてたらしいから、それに比べると十分ヌルいんだけど。

ま、昔話はそれくらいにして、自分場合はその後10年以上仕事でも私用でも自作を使い続けてきたんだけど、段々自作コストメリットや手間が割に合わなく感じるようになってきたので、
仕事用はDellエプソンダイレクトHP等の既製品、私用はノートPC+モニタに切り替えようとした。
…が、全く性に合わず数年で自作に戻した。
PC新規導入する時の面倒さって
1.ハードを組み上げる
2.Windowをインストールする
3.自分環境になるようソフトインストールする
なんだけど、よくよく考えてみると1と2は大した事なくて(特に2は無茶苦茶簡単に素早くできるようになった)、ほとんどの手間は3である事に気付いてしまったのだった。
で、既成PCを買う事で省ける手間って1から2までなんだよね。だったら自作でいいやん…って感じで。
結局ゴチャゴチャソフトが入っているPCを使うのが嫌なので、素のWindowsが使える自作に戻っていった。
逆に言うと、現代における自作の一番のメリットと言うか魅力って「素のWindowsが使える」と言う一点にあると思う。
アンドロイドにおけるNexusみたいなもん。

一方自作PCを選ばない理由は多い。
自作しているとデカいケースに魅力を感じるようになるが、普段使うには邪魔に感じる事が多くなってきた。
昔に比べるとほとんど何でもUSBでつながるし、光学ドライブを使う機会は減ったし、拡張性はあまり要らなくなってきた。つまりデカくなくても良い。
CPUを変えたくなる頃には、他のパーツ(と言うかCPUマザーメモリの3点セットだけど)も変わっているため、新しいCPUに変えたいと思ったらマザーから変えてやらないといけない→結局一からやり直し

Dellデスクトップ2台とノート1台を同時に買ったのだが、デスクトップは2年で3回くらい故障して(確かマザボ周りの故障だった)最後は電源がイカれて使える部品だけ自作PC移植して退役してもらった。
Dell一見BTO風なんだが独自規格が多くてパーツが使い回ししにくい。あと電源がダメで二度と買いたくない。
ちなみにもう一台のノートデスクトップと違い優等生で、故障もなく元気に働いていたのだが3年経って保証が切れてすぐに(ホントにすぐに)画面がダメになったんで買い換えた。
絵に描いたような優等生だ。
エプソンはそれに比べるとずいぶんマトモだとは思うが、他の人も書いているようにBTOPCはパーツを少し良いものに変えようと思うと、凄く高くなる。
メモリ通販で買う、HDDモデルを買ってSSD換装するなどすればコスパは上がるが「それやったらBTO買う意味あんま無いやん?!」て気になるので、ここ数年はあまり買ってない。
あと、エプソンでは省スペースPC(一時はネットトップとか言ってたんだっけ?)も数台買ったが、こちらは寿命が同社の他のPCより短かかった。

で、今はと言うと、仕事用にインテルNUCを買ってみたところ気に入ったので、仕事用に既に5,6台買って使っている。
今年からは私用にも使っている。
自作感はかなり薄いがこれだって一応自作…かな?
ただし、コスパあんまり考えずに買ってるので普段は気にしてないが、冷静に考えてみると凄く割高かも…って気はしてる。後悔はしていない。
費用の事を全く無視して「とにかく自作やってみたい!」と言うのなら入門用には最適と言う気もするが、凄く的外れな事を言っているような気もする。
あと、こちらも省スペースPCであるので、寿命が短いのかもしれんなぁ…とは思っている(まだそれほど長期間使っていない)

とりとめもない上に、最初の数年は3Dゲームをしていたが、それ以降全くそっち方面への興味が無くなってしまった人間の話なので、元増田にはあんまり参考にならなさそうな話で申し訳ない。

2017-06-08

anond:20161028235137

日本経済が停滞し始めたのは、Windows98からってどこかで見たけど、

これもそれに内包された問題かね?

2016-12-14

高齢者プリンター年賀状作成ソフトを売りつけるのやめてくれ

からパソコンプリンター質問が来ると説明するの大変なんだよ。

今はスマホだけあれば年賀状なんか簡単に作れるんだから、「年賀状自分で作って印刷するにはプリンター必要ですよ」って高齢者を騙して売るのやめてくれ。

メーカーコールセンターには電話がつながらないから、子供に助けを求めてくるんだよ。

OSドライバーバージョンアップなんか彼らには無理だよ。

もうやめてくれよ。

スマホだけで作る年賀状特集!」とかNHK高齢者向けに放送して啓蒙してくれないかな...

普通の家庭にはプリンターなんかいらないよ。

必要ときコンビニプリントがあれば十分だろ。

https://nomad-saving.com/17542/

https://nomad-saving.com/15803/

年賀状ソフトもいらないよ。

スマホだけで作成から投函までできるよ。

日本郵便もっとプロモーションがんばってくれよ。

http://wepli-dot2.hatenablog.com/entry/recommended-nengajo2017-apps

http://yubin-nenga.jp/design_kit/

メーカーサポートコミュニティカオスだよ。

http://okbizcs.okwave.jp/epson/

http://okbizcs.okwave.jp/brother/

http://okbizcs.okwave.jp/fudemame/

http://okbizcs.okwave.jp/canon/

エプソンEP-707Aとwindows98年賀状作成できますか?プリンター年賀状しか使用せずインク切れまでPM-730Cを使用してました。バージョンアップ必要とでますパソコン購入しないEP-707A無駄になってしまますよね?」

http://okbizcs.okwave.jp/epson/questiondetail/?qid=9268114


こんなやつばっかりだよ...かわいそうだろ

2016-05-06

Windows98時代に、これを「キューハチ」って読んでる人に違和感があった。

キューハチってPC-98じゃないの?っていう。

と言う昔話。

2016-02-28

[]2月28日

○朝食:なし

○昼食:考え中

○夕食:考え中

調子

むきゅー。

お仕事は今日もお休み

昨日のうちに洗濯とかはしたので、今日はゆっくりのんびりの日。


ポケモンの思い出

一夜明けてネットを色々見てみると、出るわ出るわの、ポケモンとの思い出記事。

便乗しようかしら、と思ったけど、僕にとっては赤緑からの20年間ずーーーっと現役のコンテンツで、

「この時期はポケカ

「この時期はトレッタ」

「この時期は本編」

「この時期はポケダン

みたいな、どのポケモンにハマっていたか、って違いはあれど、

基本的にずーーーっとポケモンを遊んでいるから、思い出を語るのは難しいんだよなあ。


僕とポケモン出会いは別コロでした。(別冊コロコロコミックのことです、)

当時はボンボン派でして、コロコロは読んでなかったんですよ。

ちなみに、何故ボンボン派だったかというと、ガンダムが乗ってたからです、僕の父親は重度のガノタで、

ガンダムと名の付くものは全部買ってたんじゃないか? ってぐらいのオタクだったため、GガンやWのときた版が連載していたボンボンを買っていたんですね。

なんだけど、風邪か何かで学校を休んで寝てたときに、祖母がお見舞いに子供向けの雑誌を買ってきてくれたんです。

それが、別コロで、それに乗っていたポケモン特集記事

そこに書かれていた、フシギダネ説明文。

さすがに細かい文面までは、もう覚えていませんが、

「多彩な技を使いこなす植物ポケモン」的なことが書かれていたんです。(豊富な、だったかなあ)


そう「多彩な技」この一文が、僕とポケモンの20年間の始まりでした。


今にして思うと、

「いや、ポケモンは全員四つまでしか技はないし、フシギダネってそんなに技豊富か? 粉系ばっかやん」

とか思うけどね。

で、何故「多彩な技」って一文に惹かれたのか? というと、

ドラゴンクエスト5の話をツラツラ書くことになるので、省略します。(おお、今にして思うと、後のポケダンを作るチュンソフト最後のドラクエじゃん)

ざっくり言うと、ドラクエ5の仲間モンスターの特技の少なさにガッカリしていた的な話です。

(当時は攻略本とか持ってなかったし、ここに誤解があることは勘弁してね)


フシギダネを育てて、多彩な技で相手を翻弄したい!」ということで、頭がいっぱいになったんですが、

そこはさすがに小学生強請ってもすぐには買ってもらえませんでした。

当時の僕は中学受験のために、塾通いの日々でした。

って、今調べると僕は小学三年生だか、四年生から塾通いだったのか……

別に勉強漬けだからどうのだの、親の教育がどうのだって文句を言うつもりはないけど、

今にして思うと、色々面倒くさかっただろうなあ、親が。って思いますね。

余談はさておき「そこの塾のテストで良い点数をとれたら、ポケモンを買ってあげる」と親と約束したんですよね。

(ちなみに、ゲームボーイは父親がSAGAをするためにもう持ってた)

そらもう、必死勉強したのを覚えています。

当時は「国語」「算数」の二科目を塾で学んでいたんですが、

算数」で良い点数をとるのは早々に諦めた記憶がありますね。

っていうか、僕は未だにあの中学受験特有方程式を使わずにつるかめとか旅人の問題を解くの出来ないんですよねえ。


「国語」に狙いをしぼって、ひたすら漢字を覚えて、文章問題に慣れるために問題集をやたらめったら繰り返しやったりしてましたね。

ちなみに、そのとき加納朋子の「ななつのこ」に収録されてる短編を題材にした国語の問題を解いたのが、

ミステリとの出会いだったりします。

うーん、子供の頃に触れた文化は今の僕を形作っているなあ。

結局、努力のかいあって、夏頃に買ってもらえたんですよ。

たしか、夏休みに入る前、七月の前半ぐらいのテストだったと思う。

いやーこれは嬉しかったね、なんとその塾で一番良い点数をとったんですよ。

しかも「漢字の問題を全部間違えてるのに、文章問題が満点」っていう、なんか凄いもったいない感じで、

一番をとったんですよ。

それからは、そらもうポケモン漬けでしたね。

ちなみに、初めて殿堂入りしたパーティー

フシギバナ

ピジョット

ギャラドス

ファイヤー

フリーザ

でした。(六匹目は多分数合わせだったから記憶にない)

今にしてみると、電気一貫性が凄いな。

ちなみに、フシギバナニックネームは「トロワ」でした。

これは、ガンダムWに登場するヘビーアームズというガンダムパイロットで、

多彩な技を使いこなすフシギダネにふさわしい名前だ! と思ったのを未だに覚えています。

(他のNNは覚えていないけど)

殿堂入りしてからも、図鑑埋めたり、レベル100を目指したりと、かなり長い間プレイしていた記憶がありますね。

ただ、64を買ってもらったのが、ポケスタ金銀発売後だったので、ポケスタを使った遊びができなかったんだよなあ。

少なくとも、アニポケオレンジ諸島に入るぐらいまでは、ずっとプレイしていたと思います。

そう一人で。

一人で。



ポケモンの思い出を語る上で、ダイヤパールが出て、Wifiでネットの向こう側に行けるようになるまでの間、一人でプレイしていた。

という事実から逃れられないですよね。

僕は友達のいない子供だったので、顔付き合わせての通信プレイをしたことがないんですよね。

社会人になって、ポケカ初めてからポケカの流れでやったことあるけどね)

ユンゲラーゴーストゴーリキー進化させたことないんですよ。

いやもう、学生時代はずーーーーっとイジメられっ子だったので、楽しく友達とポケモン、なんて夢のまた夢なんですよ。

そもそも、まともに他人と会話したことなからね。

クラスメイトっていうのは、僕に突然殴り掛かってくる人たちだったからね。



なんか、嫌な思い出しか湧いてこないので、ポケモンの話に戻ろうかな。

緑版を楽しんだまま、ポケスペ(当時は作画が別人でしたね)もハマったし、アニポケも楽しく見てましたね。

ポケカは一人で二つデッキ組んで、一人で対戦してました。

ただ、お金かかるからポケカは旧裏すら最後まで付き合ってないですね。

(その後、BWで復帰します)

で、待ちに待たされた金銀が出て、銀をGBカラーと一緒に買ってもらったんですよね。

映画の影響でルギアの方が好きだった)

これは確か誕生日貯金をしていた記憶がありますね。

ただ、このとき僕は中学受験の追い込み真っ最中だったから、合間合間にやってただけで、ガッツリプレイしてないんですよね。

から今では、ジョウトの思い出はHGSSの方が強かったりします。

結局、中学受験は本命に落ちて、第二志望の男子校にうかって。

でもなんか、結局イジメられっ子ポジションはかわらなくて……

この頃からミステリ小説ガッツリハマりだして、

その影響でプレイするゲームノベルゲームに偏りだして、

さらに、インターネットWindows98がお家にやってきて、

(中学二年生特有黒歴史的な色々があって)


ルビーとサファイヤが出るわけなんですが、

ここで僕は運命の出会いします。


そう「ダーテング」との出会いです。


このゲーム日記でもたびたび話題にあがる「ダーテング

このポケモンとの出会いが、ルビーでした。

ミズゴロウを選び、何となくで捕まえたタネボー

実はストーリーから大好きでした! とはなりませんでした。

ダーテングのことを好きになるのは、もう少し先の話です。


ルビーが出るも、当時はミステリノベルゲにガッツリハマってて、

かつ、Windowsを使ったあれやこれやで、ぐへへへ、ってしてたので、

ポケモン小学生の遊びでしょ」的なノリで、そこまでハマってなかったんですよね。

(ああ、この時のネットでの僕の活躍は、未だにグーグル先生が覚えてるので思い出せるが、まあ辞めておこう)

ファイアレッドリーフグリーンコロシアム辺りは、もう発売日当時には買ってすらいませんでした。

(GCはチュンソフトのアレをやるために買ってたけど)

そして、高校生になって……

また僕をポケモンに呼び戻すゲームが発売されます。

そう「ポケモン不思議のダンジョン」です。

上で書いた通り、僕は当時ノベルゲにハマっていました。

そして、ノベルゲといえば、チュンソフト

チュンソフトといえば、不思議のダンジョン

ポケダンねえ、シレンGBをミレンまでクリアした僕にかかればお茶の子再々、サイサイシーさ!」(当時僕がネットチャットでよく使っていたジョーク

と、軽い気持ちで買うも、ドハマり。

感動的なストーリーでぼろぼろ泣き、清森の超絶難易度に悶絶し、とポケダン赤はもうかなりやり込みましたね。

不思議のダンジョン恒例のセーブデータに表示されるアイコンを全部揃えるのに一番時間がかかったのが、ポケダン赤な気がしますね。

シレン2のモン壺絡みのアレも普通にやると時間かかるんだけど、なんか僕シレン2に関しては、かなり旅の神クロンの追い風が吹くんだよねえ)


そんなわけで、またまたポケモン世界にハマりだした、僕なんですが、

今度は大学受験が待ってました。

当時、笠井潔にハマっていた僕は哲学科で哲学教授になるんや! という、夢がありました。

なんですが、まあ色々あって、就職に強い地元情報科大学に入ることになります。

そこでプログラム出会い、今の仕事にも繋がってるわけですね。

そうえば、はてなIDを取得したのは、この辺りかな?


で、巡り巡ってようやく「ダーテング」を好きになる話ですね。

ポケダンポケモンを再び好きになった僕は、

当時の最新作であるエメラルドを購入します。

ルビーと同じようなストーリーなのに、色々違っていて楽しめたんですが、


クリア後のアレです。

そう、未だに挑戦している人もいるであろうアレです。


バトルフロンティア」です。

ポケダンを苦労しつつも、清森を突破した僕ですら、

このバトフロはあまりにも難しすぎました。

ポケモンストーリーって、基本的レベル上げてゴリ押しすれば勝てるんですが、

バトフロではレベルが統一されるので、ゴリ押しできないんですよね。

どうすればいいのか?

大丈夫インターネットがあります。


ここで、僕は所謂「三値」というものを知ります。

個体値努力値種族値って奴ですね。

そして、個体値は少なくとも素早さに関しては最大値じゃないと、そもそもゲームとしての読み合いが成り立たないレベル意味がない。(トリルないから最遅も意味ないしね、あーでも、グラードンカイオーガの天候変化組は例外かな)

っていう、今ではもう常識になっている知識を知りました。

これが、僕がポケモンの沼にもうしっかりどっぷりつかった瞬間でしたね。

まず優秀なポケモンを孵化させるためには、とりあえずデタラメでも良いから、数をこなすのが早そうだ。

と当りを付けた僕は

タマゴグループが二つあって」

「孵化歩数が短い」

「オスメス比率が普通

この条件に合うポケモンを探すことを始めました。

出来れば、陸上グループがいいなあ(遺伝に使うドーブル陸上から)とか色々探すうちに見つけました。

タネボー」です。

タマゴグループ陸上と植物という、連絡網的にかなり優秀な二つ。

そして、3840歩というかなり短い孵化歩数。

こりゃ良いんじゃね?

と思い、孵化!

孵化!

孵化!

孵化!

孵化!


僕の大学一年生は、ずーーーーっとGBA片手にタネボーの孵化をしていましたね。

そこで生まれ

4V(HACS)、せっかちのタネボー

メス。


そう、念願の3Vの壁を突破した、初めての4Vが

メス。

ここで、僕の心が折れました。

「もういいや、この山ほどいるタネボーをまず実際に育成しよう」と。


ところが、

ところが、ここからポケモンの一番楽しい時間でした。

未だにこの時間はワクワクして楽しいです。

そう、このタネボーをどう育成するかを考える時間です。

とりあえず、葉緑素を生かすために晴れPTは確定。

弱点多いし、耐久もないから、晴れ始動は別のポケモン

三世代当時は大爆発が強かったから、大爆発は確定。

せっかくの晴れなんだからソーラービームも確定。

あとは、タイプ一致でだまし討ち

残り一枠、うーん、良い技ないし適当に猫騙しでも入れておこう、シングルじゃ腐りそうだけど。


で、次は相方か。

晴れ始動

耐久があって、弱点が少ない子か……

弱点が少ない?

ヤミラミって弱点ないんだよねえ(第三世代当時の話、今ではフェアリーが弱点)

よし、この子にしよう、残りの技は適当に状態異常系いれとけ。


最後に、晴れPTなんだから、炎のアタッカーだよなあ。

タイプでかつソーラビームを覚えるのが最適だよね。

えーっと、エンテイヘルガーの二匹かあ。

エンテイコロシアムで厳選とか死ねからヘルガーにしよっと。


ダーテング

ヤミラミ

ヘルガー

と、こんな感じの思考回路を経て、

晴れPTが完成しました。

もちろん、見ての通り、三世代当時で考えてもこのPTは弱いです。

ラティとかどうやって突破するつもりだったんでしょ)

ですが、自分の考えた作戦で、自分の育てたポケモン達が戦う、

そんなポケモントレーナーの当たり前が、それはもう、それはもう楽しいことに気づいたのです。

始めは孵化歩数だのタマゴグループだのの、打算で育て始めたダーテングのことが、

フロンティアで一緒に戦ううちに、どんどん好きになっていき。

相方ヘルガーヤミラミのこともどんどん好きになって。

そして、偶然なんですが

このPTなんと、全員が悪タイプを持っている

「悪統一」でもあったんですね。

これに気づいて、僕は

「悪タイプ」を愛する、悪ポケ専門トレーナーになったのです!


それからダイヤパールネット対戦デビューをしてからは、そりゃもうポケモン漬けでした。

きあいのタスキによって、晴れ始動を行いつつ、大爆発で退場できるようになったダーテング

プラチナで不意打ちを覚えて一気に晴れ下での物理アタッカーとしてかなりの地位にたつことになったダーテング

悪統一!

この縛りと育成、対戦の楽しみによって、僕はもうかなりネット対戦にのめり込みました。

ちなみに、僕が対戦していたのは、2chの社大スレというところでした。


でまあ、ポケモン対戦漬けの大学生活が終わり。

なんやかんやで、プログラムの会社に就職して。


BWですよ。

ここまで、基本的

ポケモン楽しい」の図式だったんですが、

BWですよ。


BWでランダムネット対戦が導入されて、ますます対戦にのめり込もうと思った僕は、

「そろそろ悪統一を辞めて、普通にPTを組もうかな」と思っていました。

それをするのに、世代交代というのはちょうど良いタイミングだと思ったのです。

思ったのに

攻略本ガチャ

ムックガチャ

ポケカガチャ

これですよ。

もう本気でポケモン作った人に聞きたいんだけど

かそくアチャモのために、五冊攻略本をかって、しめりけミズゴロウを五匹ゲットして、ブックオフ攻略本を売る」

これが、楽しいと本気で思ったんですかねえ?

いやもう、楽しいわけないじゃないですか

誰が「わーい、好きなポケモンのために攻略本いっぱい買うの楽しい!」って思えるわけ?

おかしいでしょ。

そりゃさ、映画前売り券でポケモンもらえるのあったよ。

でもそれは、明確に貰えるポケモンがハッキリしてたし、

少なくとも、一枚買えば一匹貰えるっていう簡単なルールだったじゃん。

それが、なんやねん、攻略本ガチャて。

映画前売り券はまだいいわ、映画何回も見ればいいんだから。(よくないけど)

攻略本何冊も買って何になるわけ?

おかしいでしょ、どう考えても。


マグナゲートが糞ゲーとか、

ポケモンダッシュが糞ゲーとか、

ポケモントローゼが糞ゲーとか、

そういう次元の糞ゲーじゃないんだよ、

攻略本を山ほど買うって、もうゲームじゃないじゃん。

効率よく攻略本を買うために、仕事頑張って給料たくさんもらいます、じゃん。

それゲームじゃないじゃん。



という感じで、もう第五世代にはかなりガックリ来て、ろくにプレイしていません。

BW2に至っては買ったけど御三家すら貰ってないです。


なんだけど、XYが出て、

愛するヘルガーが、メガヘルガーになることで、より晴れPTのアタッカーって側面が強くなって、

ORASでダーテングが不意打ち没収されるも、

ヤミラミメガ進化できて、

なんだかんだ、今ではポケモンを楽しんでます。

第六世代からは、シングルじゃなくて、ダブルを専門にすることで、

より愛するダーテングが活躍できるようになったし、

サンパワー晴れ熱風というメガヘルガーロマンを追うのは超楽しい


いやうん、でも最近ネット対戦ポケットモンスターというよるガルットモンスターから最近ちょっとやってなくて、

派生作品ポケモンピクロスにハマってるんだけどね。


長々と書いたけど、ポケナガにハマった話とか、ポケカ全般の話とか、全然したりないなあ。

とにかく、ポケモンの20年は、僕の人生の20年でもあるんだなあ、としみじみ思いました。

2016-01-30

昔のPCゲーム攻略できない

Windows98で出た「クッキーズバッスル」というPCゲーム実家にあるんだが、これが全く攻略出来なくて参っている。

携帯ゲーム世代から操作に慣れてないのは勿論、ゲーム自体自分には難しくて、序盤でゲームオーバーになる(主人公が空腹や疲労、ミニゲームの失敗で容赦なく死ぬ絶体絶命都市みたいな感じ)。

攻略サイトを探してみても、旧いゲームからか元々販売数が少ないのか、まぁ見つからない。さっぱり見つからない。公式サイトもとっくになくなっている。

こおろぎさとみが人語で喋ってるし、シナリオ結構面白そうだし、是非ともクリアしたいと思っていたが、このままだと押し入れに逆戻りだ。いっそヤフオクにでも出そうかと思ったが、それも何となく悔しい。

頼むから誰かクリアしてくれ。

2015-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20151010083240

議論の大枠を見誤っているように見えます

例えばこれが、利用者満足特化型の図書館を目指すべきか、アーカイブ特化型の図書館を目指すべきか、というならばわかる。

ツタヤ図書館に関する議論は、基本的にこの筋に沿っていると私は考えています

この両極端に振れることはできませんから、どのようなバランスであるべきか。つまり市民にとって望ましい図書館のあり方とは何かという問題が、「ツタヤ図書館問題」の深層をなしており、その表層的現象として細部の議論批判が生じているというべきではないでしょうか。

民間受託したほうが、利用者がどういう施設を望んでいるかを汲み取れると思う。

ここで民間委託行政直営よりも優等だという見解が示されています一面的ではないかと思いますがこれ以上論評しません。

確かに運営方式の是非についても議論がありますが、それは「どのような図書館が望ましいか」とは(関連しつつも)異なる論点だと思います。つまり、二つの異なる問題区別した方が議論を整理しやすくなるでしょう。

なお、ツタヤ図書館への主たる批判では指定管理者制度のもの問題視されていないと思います。例えば、CCCではなくTRCであれば、あるいは、CCCTRCと同様の運営と構想を採用していれば、批判は起きなかったのではないかと想像します。(なお図書館公営であるべきという議論は根強くありますが、現在の「炎上状態の中心は「公営vs.民営」ではないと思います小牧市住民投票でも論点ではなかったのでは?)

従って、次の見解は、望ましい図書館像とは?という問題と、望ましい運営方式とは?という問題との切り分けが上手くできていないのではないかと思います

多数決なんかじゃなく、そもそも利用者満足特化型ではなく、アーカイブ特化型を目指すべきというなら、やっぱりツタヤじゃないほうがいいという議論はわかる。

利用者満足特化型」にするにせよ、CCC手法が適切かには議論余地があるでしょう。Windows98マニュアルフライパンメガネふきが「利用者満足特化型」図書館にふさわしいかという問いは、誰が運営するかに関わらず、常に議論されるべきでしょうから

今の批判本質は、早い話「CCCが憎い」ことではなく、「(どこが運営してもいいが)運営改善してほしい」ということでしょう。そしてそこには「図書館の果たすべき役割の一つが放棄されつつある」という危機感が現れていますCCCと市がこの危機感への対応に失敗し続けていることが(もっと言うと、どうも要望本質理解できないらしいことが)、火に油を注いでいる(もっと言うと、CCCと市への失望を生んでいる)ように私は思います

他方、ツタヤ図書館に期待し、それを推進する動きもあるわけです。それは従来の図書館のあり方への異議申し立てという要素を含んでいます。ですから、今回のツタヤ図書館問題本質は「多様な市民構成される自治体にとって望ましい図書館とは何か」という、不断に問われ続けるべき問題が表面化した現象であり、この大筋を見失わないことが大事ではないかと私は思います

2014-05-11

Windows98ダウングレードって?

NTTComに勤めている友人がいるのだが、自宅のWindowsXPサポートが切れるのでWindows98ダウングレードしたと、堂々とFacebook晒している。

マジなのかネタなのかわからコメントも付いていない。

2014-03-15

小保方晴子 メモ2chより転載

状況をよく解説していると思ったので転載

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1394709614/

小保方晴子 メモ  ①

1983年生まれ

千葉県松戸市出身

・実験時には白衣ではなく、祖母からもらったというかっぽう着を身につける、というキャラ作り

研究室では指輪日常的に着用、見せびらかして自分で女子力()アピール

研究室ピンク黄色壁紙で埋め尽くされている

研究室アメリカのころから愛用しているソファを持ち込んでいる

研究室スッポンを飼っている

・土日も含めた毎日の12時間以上を研究室で過ごす

・実験室だけでなく、おふろのときも、デートときも四六時中、研究のことを考えている(本人談)

ムーミンヲタク  研究室のあちこちにアニメムーミン」のグッズやステッカーを貼っている

収集癖がある

ヴィヴィアンウェストウッド好きのブランド

ポエマー

松戸市立第六中学2年生の時、青少年読書感想文コンクールにて 『ちいさなちいさな王様』 で教育長賞受賞

・高校時代は手相占いの天才

千葉県松戸市、最寄り駅から徒歩10分新興住宅街一角にある一戸建て黄色い壁の豪邸

・父は海外に10年以上赴任していたので長い期間女4人で裕福に放埓に暮らしてきた

・父:一夫  韓国三菱商事株式会社常務理事・機械 事業本部長   母:大学教授 (心理学)   姉:大学准教授

小保方晴子 メモ  ②

・成績はピカイチではなく真ん中か、それより少し上ぐらい

2002年早稲田大学理工学部応用化学科に、AO入試学力不問、面接と作文、人物重視で選考する)の1期生として入った

 面接では、「再生医療の分野に化学からアプローチしたい」 と主張。

 幼き頃より、研究者を志し、特に再生医療に強い興味を持っていたという。

 父母のコネで入ったと自ら言ってたという話も

大学ではラクロス部レギュラー

奨学金給付されていた奨学生

2007年に返済不要の早大給付奨学金(面接で可否)を獲得

 院生時代2008年には学振研究員DC1(書類申請と面接で選考)になり、以降3年間に渡り 『月20万円の奨励金+年150万円の科研費受領

東京湾微生物等を研究をし、2005年に院進学後は常田(捏造D論主査で共著論文あり)の指導を受ける

2007年、専門を再生医療に転向し女子医大研修生にもなり大和(捏造D論副査でSTAP共著)や

 岡野(共著論文あり/TWIns所長/日本再生医療学会理事長)の指導を受ける

東邦大東邦同級生によると、彼女は思い込みが激しく、好きな男子と付きあってもいないのに付きあっている記憶になっていた 「不思議ちゃん

 「当時は、後に国立医学部に進学したバレー部秀才にずっと片思いしていました。彼にはその気がなかったようですが、彼女はとても思いが強く、

 『もう諦めたほうがいいよ』と忠告する友人たちに『もう彼女だもん!』と泣きながら食ってかかり、ハラハラしたほどです」(同級生

小保方晴子 メモ  ③

ハーバード大留学し、悪名高い麻酔科バカンティ(STAP共著)に師事し

 「全ての面で成功し皆が憧れる人生を送りなさい」 と助言され、小島(STAP共著)の指導万能細胞研究を始める

ハーバード大では、 「ドクター・バカンティーズ・エンジェル」 と呼ばれて(自ら名乗って)いた

・当初4ヶ月の予定だったハーバード大留学だったが

 「博士号もない学生を雇用するのは無理だ」 とも事務員に言われたのに、不思議な力で2009年冬までの1年半ほども滞在する

 バカンティ教授が 『アイ・ニード・ハー(彼女が必要だ)』  と言って引き留める

ハーバード時代、何故かケーキ屋で修行

ハーバード大滞在中の2009年8月、STAP論文の原型となる論文が完成し投稿するが2010年春に却下され

 審査した研究者ネイチャーから 「細胞生物学の歴史を愚弄している」 という趣旨のメールが届き、酷評されて泣く

・博士学位取得要件の雑誌に投稿した査読付き学位申請用論文3本で、不適切データ処理・加工・流用・捏造行為

 データ画像捏造に大量コピペの杜撰なD論でPh.Dを取得

2011年3月に早大大学院卒業

Ph.Dの肩書きを使って再度ハーバード大に行くつもりが就労ビザが得られず諦める

ハーバードで知り合った若山(当時理研所属でSTAP共著)に口利きを頼み、

 理研CDB次期所長で35歳の若さで京大教授(京医卒)になったES細胞の権威である理研の副センター長・笹井芳樹の推薦を受けて理研入り

 (左から小保方晴子、笹井芳樹、若山照彦 ttp://imgur.com/Fz5xqlC.jpg

 「化学系の出身で、生物学先入観がなく、データを信じて独自の考えをもっていた。真実に近づく力と、やり抜く力を持っていた」

 「僕はケビンコスナー、小保方さんのボディガードだ」 と、笹井から支援を受け、強力な後ろ盾を得る。

小保方晴子 メモ  ④

2011年末、「酸に30分浸すと初期化する万能細胞(STAP)を作製」 (本人談)  とノーベル賞大発見世紀の大発見()をする 

 「渡された細胞の万能性を何度も確認し間違いないと告げると小保方さんは泣いていた」 (若山談)

2013年3月、29~30の若さで、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター細胞プログラミング研究ユニットユニットリーダー教授級)になる

 (入所から1年でユニットリーダー、という異例のスピード

 女だけの研究チームの女王様として君臨

・「(STAP細胞は)マウスリンパ球を弱い酸性の溶液に30分浸すだけで作製に成功した。

 細胞を細い管に無理やり通したり、毒素をかけたりしても作製できた」(本人談)

STAP細胞の名前を本当は「王子様にキスされて目覚めるお姫様」になぞらえた 「プリンセス細胞」(P細胞) と名付けようとしていた

STAP細胞の優越性を説き、比較対象の山中教授iPS細胞を貶め風評被害を与える(発がん性研究の停止など)

 小保方の誹謗を受けて、山中教授iPS細胞安全性を弁明する羽目に陥った

・「あきらめようと思ったときに、助けてくれる先生たちに出会ったことが幸運だった」(本人談)

 「女」を使ったのか、権威ある男性に取り入るのが上手いのか、親のコネなのか

・現在は、小保方が笹井をセクハラで訴えている、との未確認情報も さんざん権威に媚びて取り入ってコネを利用して、用済みになったらポイ捨て

脊髄損傷のサルをSTAP細胞移植で治療したと発表したチャールズヴァカンティ教授グループ小島宏司の論文における不適切画像流用が発覚

 小島は小保方の指導教官

小保方晴子 メモ  ⑤

小保方晴子が第一著者のNature Protocol誌の論文と、第二著者のTissue Eng Part A誌の論文において、利益相反事項の隠蔽の疑惑

小保方晴子による博士号論文 『三胚葉由来組織に共通した万能性体性幹細胞の探索 (2011年2月)』 

 その33枚、ほぼ全部がコピペだったことが判明 (3月11日

 米国立保健研究所(NIH)が幹細胞の基礎知識を一般向けにネット上に掲載している文章から、ごっそり剽窃している

 論文の冒頭、研究の背景を説明する部分がネット掲載の文章と単語の並びから句読点までほぼ同じ

 文章の前後入れ替えや、見出しの変更、ネットで「この文書」と書かれていたのを論文で「この節」と書き換える、などの

 つじつまを合わせた変更はあった。

 小保方博士号論文のPDF: ttp://stapcells.up.seesaa.net/image/Background.pdf

 剽窃された米国立保健研究所(NIH)の元の文章: ttp://stemcells.nih.gov/info/basics/pages/basics1.aspx

 テキスト比較ツール difff《デュフフ》ver.6 : ttp://altair.dbcls.jp/difff/dev/obokata_copypaste.html

博士論文、参考文献リストコピペか、参考文献リストが他の論文と酷似している

 第3章では38件の文献リストがあり、著者名、論文名、雑誌名、ページが列挙されている

 これは10年に台湾の病院研究者が医学誌に載せた論文の文献リスト53件のうち、1~38番とほぼ一致した

 博士論文では一部文字化けしている文字があり、切り張り(コピペ)の可能性がある

 リストは著者名のABC順で、元論文の38番はPで始まる姓のため、ありふれたSやTで始まる著者名が博士論文にはない不自然さがある

 普通の論文では本文で文献を参照した箇所に(1)などの番号を添えるが

 図を除いて 5ページある第3章の本文にはこのような番号はつけられていない

小保方晴子による博士論文 P53, Endoderm(Figure 10)の実験画像は、コスモ・バイオ株式会社ホームページ掲載の画像からの盗用(3/13)

  ttp://jump.2ch.net/?pbs.twimg.com/media/BijJAfvCcAAFE3d.png

小保方晴子 メモ  ⑥

STAP細胞論文(Nature誌のArticleとLetter)

 Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency (30 January 2014)において、不適切データ処理・加工・流用・捏造行為疑惑

・120日でSTAP細胞を10^60個(ベテルギウス750個分)もの増殖に成功したというデータグラフが存在

  グラフc: ttp://www.nature.com/nature/journal/v505/n7485/images/nature12968-f5.jpg

  (山中教授の論文に間違って10^60になっているグラフがあったらしい。それを丸パクリたから悲惨なことになった?)

・自分で文章を作成せず、他の論文(ドイツ研究者らが2005年にIn Vitro Cell Dev Biol Anim.誌で発表した論文)からそのまま文章を剽窃した疑惑が

  しかも、正しい表記が無意味言葉に変わってしまっていたり、誤記誤用がたくさん (意味が解かってない?)

 例)

  盗用元論文(正しい表記): 塩化カリウムを意味する「KCl」 → 小保方論文(誤った表記): 「KC1」という無意味言葉

  盗用元論文(正しい表記): 二酸化炭素を意味する「CO2(シーオーツー)」 → 小保方論文(誤った表記): 「C02(シーゼロツー)」という無意味言葉

  EDTA (EDTA) と、ethylenediaminetetraacetic acidの略称であるEDTAを誤って連続して記載

小保方晴子 メモ  ⑦

2005年ドイツ研究者らの論文からそのまま文章を剽窃した為に、現存しない機器Windows98環境でSTAP細胞の実験をした状態になってしまっている

 新規に購入する事が出来ない古い実験機器、Win98、と

 論文を剽窃した対象と思しきドイツ研究者らと同じ道具やOSをわざわざ全部集めて、STAP細胞研究をしていたとでも言うのか

 小保方のSTAP論文の文章の中には、ライカ社(Leica Mikrosysteme GmbH)の DM RXA RF8 落射蛍光顕微鏡 (epifluorescence microscope )と

 フォトメトリクス社(Photometrics)のSensys CCDカメラの実験機器名も含まれているが、

 これは、小保方が剽窃した疑惑のある2005年のGuo Jianliらドイツ人研究者が用いた実験機器と同一のもの

 ライカのDM RXA 顕微鏡も、フォトメトリクスのSen sys CCDカメラも、1990年代末~2000年代前半に販売されていたもので既に製造中止の機種

 さらには、Sensys カメラウェブサイトには、「Then turn your computer back on and boot Windows 98/2000/ME/XP again.」と記載されており

 Win 98が現役だったような時代の懐かしい製品

 小保方らが研究室を立ち上げるときに、このような古い実験機器を新規に購入することは不可能であり、また中古品も出回っていない

小保方晴子 メモ  ⑧

STAP細胞論文を、論文の価値を高めるために「簡単」と誇張していた (3月1~2日? 若山が毎日新聞の取材に対して告白して発覚)

小保方晴子STAP細胞現実験に成功した()と発表 (3月5日 理研発表) 

・STAP細胞の公開した作成手順に新たな矛盾が浮上 (3月8日)

 「一度T細胞に分化した細胞初期化された結果生じた」(TCR再構成という“証拠”が「STAP細胞」のキメ手になった)という内容が

 今回公開された作製手順では、「なし」と書いてある

・論文データ上のSTAP細胞マウスES細胞のDNA配列がほぼ同一だと判明

・STAP細胞論文に掲載されている問題の写真

 撮影した生の画像データではなく、紙の文書をスキャンするなどしてデータ化したものを切り貼りか (3月12日

 論文から写真だけを取り出して分析すると、写真の上の部分に別の写真の一部とみられる紫色などの線が入っているのが分かる

・STAP細胞論文の画像流用の問題を、1ヶ月前には、小保方と、理研の副センター長・笹井は把握していた (3月13日

 把握していた上で意図的に隠蔽か

STAP細胞論文疑惑が生じると

 「指摘されて初めて(ミスが)分かった。 全く気付かなかった。研究のものを疑われるのは悔しい」 と

 科学者なのに感情論を持ち出して悲劇のヒロインぶって若山に泣きつく

・弁明等はすべて他者に丸投げして、自身はファーストオーサーユニットリーダーの責任と義務放棄して逃亡

 理研神戸広報担当者 「論文を書いた小保方晴子ユニットリーダーは休暇をとっており、同日中に結論を出す状況にはない」 (3/11)

 3月14日理研が弁明の会見を開くも姿を現さず、現在も雲隠れして公に一切顔を出さず (~3月14日

2014-03-07

CPUにおけるデュアルコアクアッドコアの間の壁

全く論理的ではなく単に経験から得られたことを語る。

SIer所謂なんでも屋に3年程務めており仕事の3割くらいは顧客PCトラブル対応

職業がてら、いろいろなPCに触ることが多くそれなりの経験の含蓄はあると自負している。

そこで、表題の件。

Corei3及びCorei5のごく一部のデュアルコアプロセッサーとCorei5の大部分及びCorei7 この処理速度は体感でかなり差がある。

どれくらい、とかどのへんが、と言われると困るのだが微妙な差があるとしか言えないのだからもどかしくて困る。

同じCorei5でもハイパースレッディングを使って4スレッドにしてる物は本物のクアッドコアとは全然処理速度が違い触っているだけでわかる。

何か特殊な重い操作ゲーム動画エンコード等)をしているわけではなく、ごくごく業務範囲内の操作(Outlookネット閲覧等)をしているだけで差を実感するのである

AndroidでいうSnapdragonS3とSnapdragon800くらいの差といえばわかる人にはわかるだろうか。

それまで気にも留めることがなかったのだが、今後プライベートPCを買う際に2万円くらいまでの差なら余裕でCPUアップグレードするのを強く薦めたい。

この知識が皆様に役立つことを願っている。


尚、参考までに私が今迄プライベートで使ってきたパソコン

PentiumuII RAM64MB →Pentium4 RAM512MB → Core2Duo RAM2GB → Corei3 RAM4GB

最初WIndows98で、途中2個がXP、今が7。

次はintelの第4世代CPUで、64bit版のOSにしてメモリを16GB積もうと思っている。まだ買うのは少し先だが。

2013-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20130410195410

XPが優秀過ぎたんじゃなく、それ以前が酷すぎたので大勢が一斉にXPに移行したんだよ

「一般家庭が使うWindows」としては、XP前はWindowsMeとかWindows98だった

これらはOSとしては今のそれと比べると非常に完成度が低く、普通にウェブブラウジングOfficeを起動、終了を繰り返すだけで時間経過とともに動作が不安定になっていく代物だった

ぶっちゃけ、数時間に1回再起動しないと使い物にならないレベル

そんな状態が数年続いた後でマイクロソフトが「ついに超安定したOSが出ましたよ!」と鳴り物入りでXPを投入し、実際その宣伝文句は言うほど誇張じゃなかったのでみんなこぞって買い換えた

XPが多いのはそんな経緯

2013-03-18

ロリコン性癖を自覚するおっさんネットとかにまつわるよもやま話

その昔は児童ポルノ禁止法というもの存在しておらず、代わりに「陰毛禁止」という妙なルール出版界にあった。

タレント宮沢りえが、かつて写真集サンタフェ”でフライング気味にヘアヌードを公表・発売したのは、今からすればヘア(実質的に)が解禁・入れ替わるように少女ヌード写真集発禁になっていく転換点だったように思う。

ちなみにこの“サンタフェ”だが、撮影した時点(not出版)では彼女17歳だったとも言われており、ヘアヌード児童ポルノという、いろいろな意味で今の世の中には「存在してはいけない存在」になってしまった感がある。

序盤から脱線したが、自分も見せてもらったこの“サンタフェ”では、さすがにヌけなかった。アート表現したほうがいいような、さわやかな印象の出来の写真集だった。



さて自分場合は、エロといえばまずは二次元から入っていったタイプだ。

たとえば「地獄先生ぬ~べ~」は、少年誌連載にしてはけっこうきわどい(エロ的に)描写の多い漫画として知られるが、それよりも前に毎号どうどうとヌードシーンが載っていた漫画といえば、「おじゃまユーレイくん」を思い出す。

ただしこれらは、どちらかといえば「ボインちゃん」がメインな作品である。というか、ぬ~べ~の舞台ってたしか小学校」。。。


自分にとっての決定打は、内山亜紀氏の作品を立ち読みしたことに尽きる。

思えばその時期を前後する形でオリジナルアニメブームが湧き、一方ではごく一部を中心として当時にカルト的人気を集めた「魔法プリンセスミンキーモモ」あたりを題材にしたエロパロ同人誌が、徐々に一般にも販路を延ばしてきていた時点の話である

ややマニアック漫画雑誌・あるいはパソコンゲーム雑誌では、さすがに直接的な性的描写こそ無いものの、少女ヌードモチーフにしたイラストなどが読者欄などで散見された気はする(この点、事実と相違があったらお詫びしたい)。

というかそもそも、当時のエニックスから出ていたパソコンゲーム作品に、そのものズバリの「ロリータシンドローム」というタイトルがあってだな。。。



時代さら下り、会員制のBBS・いわゆるパソコン通信というものが普及してきたあたりで、PC-9801仕様に合わせた4096中16色で表現されたイラストが多数作成アップロードされていた。その中でダウンロード数が多いのは、「エロ」を感じさせる作品に集中していた。(注・当時はすでに、エロゲ=9801の図式ができてきていた)

中には、(当時は)一部の機種でしか見られない多色JPEGデータアップロードするような猛者がいたが、電話回線を使った28800bpsの速度でやり取りするにはデータ量がちょっと多過ぎたせいかダウンロード数はそれほどでも無かったような記憶がある。


そんな中で衝撃的に出会ったのが、写真家力武靖氏の撮影による少女ヌード写真集である。今から思えばそれは「FRIENDS」の一部だったのだが、まともな検索手段が無かった当時としては、まったく未知の存在に触れた気がした。それのスキャン取り込みデータが、BBSに無断でアップロードされていたのだから提供した側もずいぶんと大胆といえば大胆である。当時は自分はすでに成人していたが、家族と一緒に住んでいる手前、実写のエロしか少女ヌード写真本屋で買うほどの行動力はさすがになかった。通販事情としても、今のようにアマゾンほかオンラインショップで気軽に本を注文、という販路はまだ整備されていなかったので、しばらくはそのデータについて出どころが知れないままモヤモヤとしていた。

もちろん、性的な意味でも)


やがて、個人でも準定額・のちに完全定額のインターネットが利用できるようになってきた時点で、検索サイトというもの存在を知る。

パソコン雑誌のコーナーでは、いわゆる「電脳アングラ」的な本がじわじわ売られてきていたが、そんな中で海外サイトでのお宝画像(=エロ画像)のダウンロード方法が説明されていた中、自分はなぜかあの少女ヌード写真集の事が忘れられなかった。OSWindows98以降が標準となり、安価パソコンでもフルカラー画像を見るのがようやく当り前となってきた頃のことだったが、いくつかの紆余曲折の末にようやく、とある方法(具体的には省略)であの写真集と思われるデータを手に入れる事ができた。その時の感慨を表現できる言葉を、いまの自分が持ちあわせていないのは残念なくらいだ。


その後、写真集被写体だった少女達は、日本人ではなく顔の造作の似た外国人である事を知ったりしたが、それでも彼女の人気は一部では根強く、後日にヌード部分を除いてまとめられた写真集(※アマゾンでも売ってた)が発売された際には高評価を得ていたように記憶している。


その写真集データを得たのと前後して、「ロリエロ漫画イラスト」のデータの蒐集も続いた。二次元三次元エロは、近いのか遠いのか、と問われれば「遠くはないというか、ある意味別腹に近い」と自分は答える。喩えて言うなら、店で食べるラーメンカップ麺関係のような感じだろうか。

さらに言えば、実際にもし実行すれば確実にアウトな「幼女未成年女子とのセックス場面」が、二次元での表現としてはまだセーフな事も(わいせつ頒布うんぬんの論点はさておき)、見ていて自分ささやか妄想を想起させた。

ただし、自分はどうもレイプを思わせる描写が(創作物であっても)ダメタイプなので、その系じゃなきゃ燃えない方とは一緒に見られたくない、とワガママな主張をしておきたい。


だがそういった日本での内輪の価値観も、TPPその他での動きによって、そろそろ終わりに近づきつつありそうなのが正直悲しいし、怖い。

誓って言うが、自分幼女はおろか、女性に“手を出し”たことすらない。

そういったちっぽけな人間から昇華手段としてのエロまでもを取り上げて、そこに何が残るというのか。

2012-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20121028232844

TDLファミコンが世に出た年に生まれた私でさえ3.5インチフロッピーディスクを見るのが限界だった。

中学校ではTOWNSが撤去されWindows98に、それもMOに置き換わり、

USBメモリに変わって最近ではWEBストレージだろう。

>でも、そのボタンに書かれているモノの意味までは?

FDなぞ知らず、「青い正方形の上側にやや小さな白い長方形、下側に小さな黒い長方形が書かれた何か」そんな認識なのではないか勝手想像します。

どういう描かれ方かにもよると思いますけど

ハードディスクとして認識してるんじゃないですか?

そのハードディスク

SSDフラッシュメモリに代わり、

いわゆるパソコンデスクトップノートパソコン)も衰退して

タブレットになる時期も後2年程度でしょう。

XPサポート期間が2014年ですからパソコン需要世界的にAndroidに代わる可能性が大)

by bobcoffee

2011-05-29

デジタルオーディオプレイヤーの世代も分けてみた。

http://anond.hatelabo.jp/20110527203744

HTMLとかデジカメとかMacとか、いろいろ改変できそうなネタだけど、すでに成熟期に入っているデジタルオーディオプレイヤー(DAP)を同じように分けてみたい。

プレDAP世代(〜2000年)

最初期の録音可能デジタルオーディオDATだが、当時民生用としてはややオーバースペックだったためもっぱらプロユースだった。DATなんか趣味で持っていたような人は、たぶん今は逆にアナログレコードピュアAU趣味なんじゃないだろうか。ヱヴァシンジ君が父親の形見(生きてるけど)として使ってたあれ。その後MDが発表され、ようやく一般家庭にデジタルポータブルオーディオが普及する。ただこれらはあくまで「オーディオ機器メディアに録音する」物であって、現代的なDAPとは違った。

現代的なDAPが発売されたのは1998年から。この当時はまフラッシュメモリが高価で64MBとかが当たり前だった。この時代はソニー以外の国産メーカーは殆ど無く、iRiveriAUDIOMpioなどの韓国勢が主流だった。

この時期のDAPは、PCにつないで使うということで、家電量販店オーディオコーナーではなPC周辺機器のコーナーで売られていた。ちょうどWindows98PCマルチメディア化してったころ。ただMP3プレイヤーはまだまだマニアックなシロモノだった。この時期にMP3プレイヤーを使っていた人は、結構なギークはないだろうか。

黎明期(2001年2004年)

その後ポータブルオーディオシェアを大きく塗り替えるiPodが発売される。他のメーカープレイヤーのために変換転送ソフト付属させたのに対して、iPodはまiTunesが先にありそこからiPodを開発した。あと、HDD採用PC内のプレイリストを全部持ち歩けるようにしたのも画期的だった、

またアメリカでは2003年(日本では2005年)からiTunes Storeサービス開始、他のサービスが苦戦する中でiPodの人気を背景に成功をおさめる。

このころ国産メーカーはどうだったかというと、2001年PanasonicSDオーディオを発売したり、ケンウッドWMA対応CDプレイヤーを発売していたが、いまいちぱっとせず、Apple VS 韓国勢という情況だった。特にウォークマン」のソニーATRAC3メモリースティックなどの独自規格にこだわったことや(SonicStageがものすごく使いにくかった)、日本家電メーカーレコード会社の関係から著作権がらみで消極的だったこともあり、海外勢に大きく水を開けられることとなる。

特にソニーのこの時期の迷走ぶりがひどく、Hi-MDとかVaio Pocketとかその後黒歴史化するシロモノを次々と出し、Appleシェアを奪われていった。DAPに限らずDVDレコーダー薄型テレビなどでも同じように迷走していた。その後のソニーの凋落ってじつはここから始まっていたんじゃないだろうか。

この時期に発売されたiPod miniは小型化と低価格化により爆発的に売れ、世界的に品薄の状態が長く続いた。はじめてのDAPiPod miniという人も結構いるのではないだろうか。

発展期(2004年2007年)

シェアを奪われようやく危機感を覚えたソニーが、MP3AACWMAなどマルチコーデック対応プレイヤーを発売。家電メーカーしい発想でHDD搭載のミニコンポを発売。これで「パソコンがなくてもDAPが使える」環境となる。

ソニー以外の国産勢は巻き返しを図るべく音質や付加機能を全面だす。東芝ワンセグ付きのプレイヤーケンウッドデジタルアンプ付き、PanasonicDIGAとの連携など。あと、日本メーカー品の多くはダイレクトエンコード対応で、PCなしで音楽を取り込めるという触れ込み(ただ決して使い勝手は良くない)。この辺はスマートフォンPCと一緒で、よくも悪くも日本家電メーカー的な商品開発。

一方のAppleiPod動画対応に。これはiTunesストアで映画テレビ番組を配信・販売することを前提としたものだった。ただ日本ではこの時期はようやくiTunes Storeサービス開始したばかりの頃で、動画を購入することは出来なかった。Apple以外のメーカーも、このころからオーディオプレイヤーからマルチメディアプレイヤーへの移行が始まる。更に低価格で簡素な機能のiPod shuffle、ミドルエンドのiPod nanoが発売される。iPod shuffleとnanoにより低価格化・小型化が進みより一般ユーザー向けに浸透する。

この時期はヘッドホンスピーカーFMトランスミッター動画変換ソフトなど、サードパーティアクセサリが拡充した時期だった。特にイヤホン/ヘッドホンなんか中価格・高価格帯が売れるようになった。ノイズキャンセリングヘッドホンとかDock接続スピーカーが出たのもこの時期。

全盛期 / 成熟期(2007年〜)

DAPデジタルデバイス化がより進む。iPod touchマルチメディアプレイヤー機能に加え、ネットブラウズメールYoutube視聴、さらにApp Storeによりゲームビジネスアプリなどを入れられる。iPod touchiPhone替わりに購入した人も結構いた。

成熟期/衰退期?(2011年〜)

iPod shuffle 3GiPod nano 6Gの滑りっぷりや見ると、「音楽プレイヤーとしてのiPod」の進化は今後大きくは見られないと思う。iPod classicもここ最近はあまり大きく変化してないし。国産メーカー東芝PanasonicVictor事実上の撤退状態。今後はスマートフォンタブレット電子書籍端末と競合がたくさんでるので、単なる音楽プレイヤーという市場は衰退するかも。

2010-04-18

現場開発者の憂鬱

古くは、Windows98NEC PC-9800シリーズ

ちょっと前だとJavascriptJAVA

冗談だと思う人もいるかも知れないが、そういうことの区別がつかなくても、IT業界年収が高い人はいる。

きっと現場開発者の方はこういうんだろう。

「でもでも、作る人がいなかったらどうしようもないですよね?」

それに対して区別が付かないベテラン上司はこういう。

「どんなに君がいい商品だと思っていても、買ってくれる顧客がいなければビジネスは成立しないんだよ。」


また別のケース。

現場開発者案件仕様に悩んでベテラン上司相談する。

「〇〇の仕様では〇〇はできない、しかし〇〇することで出来そうだ。これについてどう思うか。」

区別が付かないベテラン上司はこう切り返す。

「よく分からないから任せる。あっ追加コストの掛からない方で」

区別が付かないベテラン上司の言う事は至極まっとうなことを言っていると思う。

しかし、これにより現場開発者は社内で相談できなくなり、孤立化する。

「よく分からない、あの人のやっていることは難しくて、分からない」

同僚は帰る。現場開発者はひとり黙々と仕事に励む。そして孤立化は進む。

現場開発者はふと思う。

「何のために、誰のために仕事しているんだろう。」

「俺はコミュニケーション能力の欠落した人間として欠陥のある人なのでは。」

そんなこんなで現場開発者転職独立を考える。

こんな増田を書いているIT業界9年目の私も本年度マイナス査定を受けそうだ。

社内で数少ない利益を上げている一人だし、提案営業としても顧客を獲得しているのにも関わらずである。

さて、景気回復まで我慢の子なのか、2度目のキャリアアップ(笑)を検討してみるか。

まぁ休日出勤のお昼にこんな増田を書いているぐらいだから、社畜の私にはまだまだ搾り取れるところが残っているんだろうな。

2010-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20100409141432

Windows98(Me)→WindowsXPとか。

「もう変なメモリエラー再起動地獄に悩まされなくて済む!」は普通ユーザーにも十分な恩恵があったと思うけどな。

2010-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20100302151517

ネット見てると適応してる人ばっかりな気がしてしまうけど。

現実には「ネット現実とのあいだの境界を、壁のように感じてしまう人」っていっぱいいると思う。

実際、自分の周りではネット適応してる人の方が確実に少数派だし。

20~30代の人を見てても「馴染めない、ネットで発言なんて信じられない、別世界

って人がかなりの数いるんだから、それより上の年齢の人だとしたら…。

馴染めてない人の方が圧倒的に多いんじゃないかなぁ。


>「いい人のとくにいいところ」「悪い人のとくに悪いところ」ばかり見えるので

これについては、ネット上では自分のどんな部分を出すか取捨選択できるからねぇ。

本人の情報操作が入ってしまうからしょうがない。

リアルと比べてぼろが出にくいし、本人が見せたい部分だけ選んで見せてるんだもん。

あとネットだと良くも悪くも偏ってる=突出した部分のある人が目立ちやすいってのもあるのかな。


>「僕と同じようなタイプだ~」「この人と仲良くできそうだー」

については、自分はたまにだけど見かけるなぁ。

同じ人物の発言を継続的にみていると、なんとなくわかってくるものってないですかね?

文体や内容から、価値観や考え方の傾向っていくらかは読みとれるものだし。


これはどこで何を見ているのかによるかもしれないけど…。

Twitterblog映画レビュー半年~年単位で眺めてると。

なんとなく自分意見が合うなぁ…とかこの人の発言はもっと聞きたいなって

思う相手が自然と出てきたりするんですよ~。


このあたりはネットへの適応具合の差なのかなぁ…。

ネットには繋がってなかったけど、子供の頃からパソコンは家にあったし、

Windows98が出た後くらいからネット導入されてもう10年くらい使ってるので。

ネットでの情報発信については比較的抵抗のない自分とは、感覚がかなり違うのかもですね…。

2007-04-26

これってどうなのさ。

http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0704/25/news073.html

これってさぁ、WindowsXP日本語の部分も含む UTF-8フォントが入ってるとか、そういう少なくとも日本語の表示はできる環境が前提だよね?

でも海外のネットカフェなんて、 OS はその国のヴァージョン英語版のまだ Windows98 とか Windows2000 とかで、日本語フォントさえ入ってなくて頼んでも入れさせてもらえない環境なんてのも多いじゃん。

その状態でどうやって日本語メール打つの?

まぁそんな場合は日本語で書かれた web も読めないんだけどさ。

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