はてなキーワード: の憂鬱とは
10/27 27時ごろまでにいただいたブコメ・トラバをまとめました! お寄せいただいた知見に助けられております。ご興味のある方はぜひ。
<以下本文>
集英社「別冊マーガレット」の名編集長・小長井信昌が74年「花とゆめ」創刊編集長に就任(のちに「LaLa」「ヤングアニマル」でも創刊編集長を務める)。氏が別マから引き抜いてきた漫画家が、最初期の「花とゆめ」を支えた。
2作まとめて、令和の今でも作品が生きているな、と思わせる説明不要の名作(前者は「連載中」ではありますが)。月刊誌→月2回刊化の目玉として2作同時に連載スタート。コンテンツの息の長さに、編集長の慧眼が察せられる。
主人公のマリネラ王国・国王パタリロに次いで2番手のキャラクターはMI6少佐・バンコラン。彼は主に美少年を愛好する同性愛者で、本作はギャグマンガだが 「同性愛であることそのもの」を揶揄していない点に、作者の品格を見る。
作中に「ドイツのギムナジウムで一緒だったんです」「11月ごろ?」というやり取りを挟むなど萩尾望都ファンであることがわかる。82年アニメ化。「花とゆめ」というより白泉社として最初のアニメ化。
どの作品を推すかが分かれる。世間的には『笑う大天使』(1987~88)が有名で傑作集を出す際のアンケートでも番外編の『オペラ座の怪人』(1988)が2位だが
・作者ご本人はまったくスポ根の人ではないのに、スポーツものに傑作がある
・甲子園という制度に批評的視点を投入 と、一歩踏み込んでいる本作をリストアップ。個人的には『月夜のドレス』(1984)が好き。
メディアミックスとしてはOVAのみであるが「前世ブーム」の火付け役として爆発的な人気を誇った。※ラジオドラマあり。ブコメご指摘感謝
『スケバン刑事』のような「悪に対する憎悪」ではなく「優秀だが他人を寄せ付けない戦災孤児と品行方正な優等生との、互いに相反する感情」など愛憎の陰影が濃い大人びた作風に、当時の読者(主に10代少女)は魅了された。
「久しぶり 君には心底会いたかったよ 秋海棠」以上にインパクトのある「ひき」を未だに知らない。
こちらも説明不要の名作。菊池規子『わが輩はノラ公』(1973~78)以来人語を話すペットが出てくる作品はたびたび登場したが 「人語は解するけどしゃべれない(しかし主張はする)動物たち」が出てきたところが新機軸。よくない形で「ハスキー犬ブーム」がありました…。
※飯森広一『ぼくの動物園日記』(1972~75)はノンフィクションなので除外してます。
(このあたりで「男性読者も多い花とゆめ」時代が終焉したと思っている)
続く『ニューヨーク・ニューヨーク』(1997~98)、『しゃにむにGO』(1998~2009)と第一線で花ゆめ本誌を支えた大功労者。『赤僕』は白泉社では初めて他社の漫画賞(小学館漫画賞・1994)を受賞。ヤングケアラーの立場に置かれた小学5年生が主人公で90年代父子家庭を活写した作品となった。熱量のあるドラマ巧者。
2006年に台湾でドラマ化、2007・2011に日本、2012に韓国でドラマ化。そして今年、初のアニメ化が発表されている。日本ではプライム枠連ドラ案件で『ガラかめ』『スケバン刑事』とは違う、読者ターゲットを広く取れるラブコメが、あの「花ゆめ」から出たのだなぁと感慨。
アラサー(アラフォーですかね)のオタク女子から作品名が挙がることが多い。
2007年に「もっとも売れている少女マンガ」として、ギネスブックに認定されているそうで2001年のアニメ化・2019~21の再アニメ化・2022の劇場上映の実績は立派。十二支を背景にしたキャラ設定等、往年の「花ゆめ」らしさが光る(私見)。
(ここから、00年代デビューの漫画家が飛んでしまいます。申し訳なし…)
連載中のラインナップで、今一番勢いがあると思われる作品。アニメ化も決定。男性アイドル(キャラ)・推し活…と、イマドキの設定は鈴木ジュリエッタ「推しに甘噛み」(2022~)でも同様で、ここが今の「花とゆめ」の現在地である。
※「創刊50周年記念 花とゆめ展」ブックレットでは2人の対談が掲載されている
他
選外ってありえないですよね。すみません…。
『花のあすか組』(1987~95)が代表作でありつつ『グランマの憂鬱』(2015~)が昨年萬田久子主演でドラマ化もされている、息の長い漫画家。
1985年は角川書店(当時)がコミックに進出して地殻変動が起きた年で、そのタイミングで白泉専属ではなくなってしまった。 「別冊花とゆめ」連載「赤鼻のアズナブル」(1982~83)、別花短編だと「優しい瞳」(1984)が好き。
この方も白泉社を離れ角川へ。『ミミと州青さんシリーズ』(1979~85)が人気&今はなき「シルキー」でレディースたくさん描いてましたが、一瞬ミステリー&サスペンスものも手掛けていました。こっち路線もよかったのになぁ。増刊号掲載『異国にて』(1984)がベストですが本誌掲載作ということで『マンハッタン』を。
別マ移籍組、和田慎二の盟友。『紅い牙 ブルーソネット』(1981~86)ですよね。とはいえこのシリーズも別マからの移籍なので、あえて本誌掲載の短編を選んでみました。綾波レイみたいなタイトルですが、まさに綾波のようなお話です(ネタバレ回避)。
ヨーロッパを舞台にした華やかな作風。ほかの作品も海外モノ多し。
制服高校生ミステリものの嚆矢といってよいのでは。近い年次のデビューだと佐々木倫子よりずっと早くブレイク。メディアミックスに縁がなかったのが不思議。表題作では『消えた肖像画』が大変な秀作。1巻所収。
「花とゆめ」の「80年代後半のSFもの」のストーリーや絵柄の象徴。キャラ造形についてはフォロワーがたくさんいた記憶。
代表作はこれだってわかってるけど、白泉社作品なら私は『フラワーデストロイヤー』シリーズ最終編 『ダーク・エイジ』(1991)が好き。
1巻完結の表題作がかわいい短編集。所収の『月光夜曲 −ムーンライトセレナーデ−』がすごくよかったの、思い出しました。ビッグヒットがないの、なんでなんだ…。
氷室冴子原作ものの中で、長く支持されたコミカライズ成功例かと。
すごく売れてた! 世界観が魅惑的で熱いファンが多く、「ぼく球」以来のビッグタイトルが出たと思いました。絵のタッチも今見ても素晴らしい。
代表作はこれだってわかってるけど「赤僕」より少し前にスタートした『久美子&信吾シリーズ』(1990~97)が好き。女子高生と小学生男子カップルの物語。大人になった坂田と小沢にはハッピーエンドになってほしかったなー。
いずれ『推しに甘噛み』の人になるかもですが、まだこちらの方が有名かと。2012・15のアニメ化で聖地巡礼企画も出ていました。
<番外・別冊花とゆめ枠>
オリジナル初コミックス「環状白馬線 車掌の英さん」(2009)からずっと、ハートフルなストーリーを展開。恋愛重視の作風ではない、往年(年配)の読者が考える「花ゆめらしさ」は別花に残っていたのかも。それがまさかの月9原作。やはり時代は変わった。
ここまで挙げた白泉社作品の中では一番好き。とはいえ代表作は『始末人シリーズ』(1983~91)かと。このパターン多い。大大大好きな明智抄で(同人誌「単行本未収録作品集」全5巻はコンプリート)10選にも入れたかったのですが、作品リストを振り返ると『始末人』ですら本誌・別冊を行ったり来たり(後半は別花)、かと思うと「チツケイレン」の「アフロディーテはきずつかない」(1988)が単発で本誌に載ったりして、編集部は運用どうしてたん…と。これからも読み続けることには変わりないのですが。
近作に抜け漏れ多くてすみません。明らかな抜けは増田の知識やアンテナが欠落している箇所です。とはいえ総論として、ガラかめ~動物のお医者さんまでは不動かな、と。
もしよかったらブコメでいろいろと教えてください。
そもそも医学的に「病気」という状態が〜、というツッコミが来そうだけどそれは置いといて。
ウィルス・細菌・体内物質の分泌異常・細胞の変質などの原因があったり(そもそも原因がわからなかったり)して、痛みや不快感、重篤な病気だと徐々に筋力が衰えていったり、死にたいほどの憂鬱な気分が続いたりする。
たまにはポジティブな状態になってもよさそうなものじゃない?常人よりはるかにパワーやスピードを発揮できるようになるとか、いつも幸せな気分でいるとか。
現実には肉体的だと巨人症、精神的だと躁病が思いつくけど、巨人症は全身がバランスよく大きくならないので生活が困難になるみたいだし、躁病は幸せな気分というよりは衝動的で怒りっぽいという感じみたいなので生きづらそう。
蝉時雨がアスファルトの熱気をさらに増幅させる。ジリジリと焼ける陽光は、容赦なく俺のくたびれたアパートにも侵入してくる。窓を開ければ騒音と熱風、閉めれば息苦しいほどの密閉感。どちらを選んでも、孤独だけが濃縮されていくようだ。
夏期休業。世間は浮足立っている。家族連れの声、若者たちの嬌声、テレビから流れるバカンスのCM。それらはすべて、俺には無縁の世界。俺にはただ、静寂と、汗ばんだ肌に張り付くTシャツと、底をつきそうな財布だけがある。
冷蔵庫には、賞味期限切れ間近のヨーグルトと、しなしなになったキュウリ。テレビをつければ、眩しい笑顔と楽しそうな会話。それを眺めていると、俺の胸は鉛のように重くなる。
孤独は静かな猛獣だ。普段は大人しくしているが、この灼けるような季節になると、牙をむき出しにして襲いかかってくる。誰もいない部屋で、ただただ時間が過ぎていく。時計の秒針だけが、残酷なまでに規則正しく時を刻む。
ああ、このまま時間が止まってしまえばいいのに。何もせず、何も考えず、ただこの孤独から解放されたい。夏期休業。それは俺にとって、終わりの見えない苦行の始まりを告げる鐘の音なのだ。
外では子供たちの歓声が響いている。彼らの未来は、きっと希望に満ち溢れているのだろう。俺にはもう、そんな未来を想像することさえできない。ただただ、この暑さと孤独の中で、朽ち果てていくだけだ。
窓の外の蝉時雨が、俺の心をさらに掻き乱す。この暑さはいつまで続くのだろうか。この孤独は、いつになったら終わるのだろうか。答えのない問いだけが、俺の頭の中をぐるぐると回り続ける。夏期休業。それは俺にとって、孤独の牢獄なのだ。
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。夜:人参、玉ねぎ、しめじ、ベーコンのコンソメスープ。豆腐。納豆。たまごやき。バナナ。ヨーグルト。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
連戦共闘部屋作るの苦手なので、おうりゅうこくきりんのマグナアニマ集めが難関すぎる。
まだ後4人もおうりゅうこくきりんのマグナアニマ集めが残ってるの憂鬱がすぎる。
十天限界超越の進捗は、
ソーン、フュンフ、カトル、ウーノが120。
オクトー、サラーサ、シエテ、エッセルが140。(レベル上げはまだ)
シス、ニオが150。
とりあえず、古戦場までにオクトーとサラーサの150はする予定だけど、砂箱外伝でレベル上げする予定なので今週末までは待ち。
タイムスリップローテーションは進化ロイヤルとハンドバフヴァンプの二種類のどれが向いてるか触ってる感じ。
潜伏ロイヤルもしてみたいな。
○ポケットモンスター緑(ギャラドス単騎旅)
今日はオツキミヤマ、カスミ、ゴールデンボールブリッジ、サントアンヌ、マチスと順調にクリアしていき、イワヤマトンネルの道中まで進めた。
「UNIQLOのサイト・アプリが視覚障害者には致命的に使いづらく、なんなら健常者も使いづらい」の件は、前から気になっていた。
このUI、誰にとって使い易いんだろう?という点で。
この縦スクロール型のUI、アパレル系だとたぶん先行事例としてZaraとかのUIがあって、さらに元を辿るとニュース系やSNS系アプリのUIが元になっているんだろう。
発想としては、パーソナライズされた情報がスクロールで表示されていくので、ユーザーは何も考えずに情報をスライドさせていって、気になるものがあればタップする、だから個々人にあった情報に辿りつきやすく、特定の目的かまたなくてもそれ相応の情報に辿り着くため離脱しづらいとか、そんな感じか。
ファーストリテーリングのアプリで、手元の端末に入っているUNIQLO、GU、PLSTなんかは同じテンプレートを使っているのか、同じように縦スクロールで動画やバナーが全面展開されるUIが採用されている。
問題はこのアプリを使う目的で、常に自分向けの最新情報・キャンペーン情報を何となく求めているヘビーユーザーのような人には問題ないのではないか。
常に最も新しい情報が、最も力強く画面全体に展開されるので、見逃しはないし印象も強い。何を訴求しているか一目瞭然だ。テキストではなく画像が視覚に訴えかける。
しかし、たまに思い立って「夏物のパンツを買いたいな」「黒いTシャツを買い替えるか」と思った人には、TOP情報は役に立たず、伝統的な検索からドリルダウンするような方法になる。明確な目的を持っているユーザーとしては、画面遷移の分の手間が増えている。
SNSやニュースアプリは良いのだ。事前にどういう情報があるのかは予期できないから。与えられた情報をスライドして見ていくことになる。しかし、同じ道理をアパレル系のUIにあてはめることは妥当なのかどうか。
今は過渡期なのかもしれない。ユーザーの「夏物のパンツを買いたいな」というニーズ自体を、端末やアプリ側が事前に予期できるようになれば。端末側でアプリを開くと同時に音声で目的を把握できるのであれば。
今年で7周年くらいになるゲームをまた始めた。
やり始めたのはゲームが3周年迎える前あたりだったからかれこれ4年ぐらいの付き合いになる
とは言っても、ずっと続けて居たわけではない。
大体数ヶ月やったらやれることにあきてしまう。あるいどうやっても自分には到達できない領域を見せられていやになる。
辞めて暫くは、やるのがイヤになってアンインストールするが、数ヶ月すると戻りたくなる。
そうやって出たり入ったりを繰り返していたが、一年くらい前から、「あ、もうこのゲーム再開する事はないな」と思った。同系統でもっと質のいいのが出たからだ。
そしてその質のいいゲームは数ヶ月前に辞めた。キャラガチャゲーだったけど、結局、使いこなすのに時間かかる上に魅力に乏しい新キャラばっかり実装されたからだ。それまでは魅力あるキャラ多かったのか?と言われるとそうでもない。結局何に飽きたのかはよく分からない。高難易度コンテンツなんかもどうせクリアできないとやる気が湧かなかったし。
そうして暫くはスタレや鳴潮やっていたが、なぜかまた、辞めたはずの古いゲームにログインしだした。
ブルアカも新しくストーリー解放されたからそれをやるのが先な気もするが、どうしてもそこまでの気力がわかない。
変わりに古いゲームではまた新しくキャラメイクしてはレベル上げといういつものルーティーンを続けている。
何なんだろう。
例外はあるけどさ、仕事関係の飲みってやっぱ上下関係は意識するし、特に目下・若い方が何かと気を遣うイベントじゃん。
若いころの職場の飲み会ってさ、よっぽどそういうのを楽しめるキャラでもなければ、心の片隅にはそういう気遣いをせざるを得ないことへの憂鬱さがあったはずなんだよ。
だから、アラフォーにもなってそれなりに目下の人間が増えた状況で、仕事関係の飲みが楽しかったなら、それは目下の人間がめっちゃ気を遣った対応をしてくれた証拠だと思ってる。
なんていうか「自分が気を遣ってるんです」なんてのをあからさまにする奴はふつーいねえから、この、加齢による立場の変化の結果「気を遣われるようになった」って意外となんかキッカケないと気づけないんだよな。
自分が新人だったころに、アラフィフ以上のまあまあ以上に偉い人が「俺は相手が何歳でも(20代女子とかでも)楽しく会話できる」とか言ってるのを内心嘲笑った経験とかない?
自分がその立場になったら、ホント気付けないもんだよ、マジで。
皆は気をつけてくれ。
新しい上司は数字管理が徹底していて面倒だが、目標に足りないとどの顧客にアプローチするか何をどうすべきか具体的に指示してくれる。ロープレにも付き合ってくれる。
増田が見逃していた顧客やこれは顧客にならんだろうと思っていたようなものを掘り出してくる。
前の上司も悪くはなかったが、こんなに細やかに指示する感じではなかった。
最初は半信半疑だったが、言う通りやったら決まった。それが何回も。
さらに入社して初めて有給20日/年使えた。残業も減った。おかげで入会したもののあまり行けてなかったジムにも週2で行ってる。自炊できる日も増えた。
マネージメントってすげー!とここ1年驚いてばかりだ。そして人を乗せるのもうまい。上司が変わってから、日曜夜の憂鬱が無くなった。
これまではGW最終日は翌日の出勤が嫌すぎてベッドから動けなかったが、今年は英気が養われてる感じで、むしろまた頑張ろうという気持ちになっている。
転職も考えていたが、いまの上司がいる限り続けようと思う。異動当初、母親と同じ名前でやりにくいわーとか同期に愚痴ってすみません。一生ついていきます。
これ→ - (半角ハイフン)を行頭に使うと箇条書き出来るよ。だからなんだ?という話でもないが
例
言いたいことがいくつかまとまりとしてあるので箇条書きの形式でまとめる。
・たとえば乙女ゲーにどっぷりだったりZEROSUM読んだりしてるような分かりやすいオタクが週刊女性とかワイドショーとか見てると思うだろうか?
むしろ彼女らは世間に疎いと言われるぐらいにはそういう井戸端会議のネタになるような、市井の地に足のついた、言い換えれば「夢が微塵もない現実的な情報」は積極的に拒絶してる感じするが。ピーターパン症候群も持ってそうだし。
(むしろそういう二次元系のオタクってピーターパン症候群的な童心が残ってることがそれになってしまう必要条件で、レディコミの生々しい内容を好める成熟した大人とは対極の存在に思える)
・琥珀の夢で酔いましょうが電子書籍サイトでレディコミに分類されているのがなんだうと思った。
「メシヌマ」よりはよほど男でも楽しめる余地ある青年マンガっぽい中身に感じるのだが、なにをもってレディコミなのか
(rentaやbookliveではレディースコミックや女性漫画に括られていて、シーモアやめちゃコミでは少女漫画に括られているので、全会一致というわけでもないが)
・フィーヤンはレディコミといわないという主張があって気になったんだが文句なしのレディコミってどんな作品だろうね。グランマの憂鬱とか認知症になった魔法使いみたいな、おばあさんが主人公の作品はほぼレディコミで確定かね。傘寿まりこは少女漫画と出版社側が言ってるが。
・レディコミには「男が容姿に対して可愛いと思うようなキャラが出てこない」というのが最低条件としてあるんだろうか?
たとえば乙女ゲーで例はひと昔古くて申し訳ないが薄桜鬼やうたのプリンスさまにはヒロインが可愛いという理由で男がヒロインだけ目当てでそういう乙女ゲープレイしてる事例はあった。
しかしレディコミだとキャラが可愛くて男のファンがつく、みたいな魅力がキャラにある作品は(ほぼ)皆無じゃなかろうか。
性的嗜好を刺激するような不細工さというのでもなく、ほんとうにただだぱっとしない売れ残りの女おばさんという感じ。
それはレディコミの定義に関する必要条件みたいなものだからだろうか?またこれにはは意図的に男性をファンから排除しようとする目的もあるのだろうか?
(ほぼ、と書いたのは「アラサー独女シマちゃんのベランダレシピ」)はレディコミならが可愛いヒロインだったから」
・レディコミには今流行りの画風からは外れたひと昔以上前の画風の作品が多い気がする(流行りの絵柄と一致しないのは、逆に画風が流行りにはいままでなかった未来に進んでいるからという場合も想定されるが、そういうわけではなさそう)
とするなら、レディコミを読むのは懐漫を読む感覚を、味わいたい、あるいは懐漫の雰囲気で新作の物語を読みたいからという人も多いのだろうか。
・レディコミや、コアブックスの風刺漫画などが「漫画」という主語で言及される資格を持っている違和感。
たとえばカズオイシグロのようなノーベル賞作家の小説を読む人と、フランス書院のエロラノベ(だけを活字主体の媒体としては)読む人がいたとして、
前者は当然「小説を読むのが好き」というだろうが、後者の人が「小説が好き」とは言わないと思う。
形式的な分類では純文学もエロラノベも確かに「小説」なのだが、あまりにも書き手読み手双方が持つ文化の間では隔たりがある。
そして前者やSFでもミステリーでも大部分はそれを読んでいることに対して、「小説が好き」ということには違和感は感じられないが、エロラノベをもっぱら読んでる人が「小説を好き」といっては、単に媒体だけ共通項の文化圏が他の小説好きの文化圏を侵してるかのような感じになる。
だからこの場合は「小説好き」というのは別に他の「小説らしい小説が好きなわけではない」ことからも自己認識に遭わないから、「エロラノベが好き」というより狭い括りでの言及の仕方になるんじゃないかと思う。
同じことはレディコミ等と他の漫画のあいだの関係にも言えそうで、レディコミはジャンプに比べれば「漫画らしい漫画」というところからかなり遠いところにあるものだと思う。
夢を見せる漫画や不条理をみせるにしてもドラマティックな展開があるのが漫画の多数派ななかで、レディコミは読者投稿に基づいたりするから淡々と現実を描写するだけになる。夢も希望もない。
作者がpixivもやっていてその作品が熱心なファンの萌え語りの対象になるような漫画と、作者がインスタやっててネット記事のおまけコーナーで中年主婦のリアルを描いてるような漫画では、それを取り巻く文化圏は全く相反して交差することもないと思う。
前者は漫画の代表(求心力の中心)たりえるが、後者は漫画のコマ割りや吹き出しや感情の記号化という形式だけを倣っただけの内容面では全然別物を描いてるのにその分類に対して間借りしているだけに見える。
まさに、学習漫画や進研ゼミの販促漫画を読むのが好きだった人が「漫画好き」にあてはまるのかなあ?と同じような感じ。それに対する態度も文化も典型的な漫画好きとは全然異なっていると思う。
あるいは「絵」とは形式を抽象すれば「色の違いによって平面に表現する」ことで、この点で油絵の風景画かラノベイラストレーターも絵描きで、作られたものは絵なのだけども
そこで「絵が見るのが好き」というとき、前者と後者を両方同時に内包し得るのかなあと。両者はその供給も需要もひっくるめて生い立ちの時点で全く異なる文化圏にいるもの同士だろう(もちろん美大出の漫画家レーターもいるっちゃいて前者の文化にもなじんでる人もいるだろうがむしろ例外的)。
そういう意味で、レディコミを読んでる人に向けての「漫画好き」と、少女漫画を読む人に向けての「漫画好き」(あえてレディコミを漫画という総称的用語で言及してよいのならだが)は、言葉が同じというだけで実質別物の意味合いと捉えた方が自然じゃなかろうかと。
・大人にとっては「向け」などないようなものなのに、漫画に対して出版社がいちいち手間かけて性別の年齢で分類するのはなぜか考えたが、まさに子供のためなのだろうと思った。
つまり「少女漫画」は子供の女から読めるが、男の子にはわない。「ヤングレディース」は高校生とか大学生じゃないと楽しめない確率が割とあるし、これまた男の子やその高校生大学生は楽しめない。
そして「レディコミ」は大人になってからじゃないと楽しめないが、逆に大人からみれば少年漫画も青年マンガもルポ漫画も楽しめるという具合。
だからこそ大人の視点でみるとこういう分類ってなんの意味があるんだろうと思えてしまうことがあるが、視点を切り替えればいいのだった。
「子供にとって自分に合うものを探すには便利な目安」なのだと思った。ラノベという分類の定義はほんとうにあってないようなものだが。