はてなキーワード: もちろん、性的な意味でとは
自分は物心ついた頃から同性を好きになる人間だと自覚があった。
思春期のときはそのことに真剣に悩んだこともあった。告白どころかアプローチも許されない辛さは筆舌に尽くし難いものだ。
一時期はゲイのコミュニティに顔を出していたこともあったし、ゲイの恋人がいたこともある。
でも、彼らのように極端にゲイであることを全面に押し出した生き方をする勇気も気力もなかった。
そうして、自分はある時に割り切った。ゲイであることをアイデンティティに結びつけるのはやめよう、と。
あるとき、感じのいい女性と出会った。もちろん、性的な意味での恋愛感情ではない。あくまで人として好感を抱いていただけだった。
いつしか彼女は自分に恋愛感情を抱くようになったらしく、友人関係を続けていくうちに彼女の側から告白された。
自分は彼女に自分がゲイであることを打ち明けた。すると、彼女はそれでも自分が好きだと言ってくれた。
だから、自分の中で何かが変わるかもしれないと思い、付き合ってみることにした。
やはり何も変わらなかった。彼女とセックスをしてみようとするが、性的興奮を覚えることはなかった。
ただ、二人で裸でじゃれ合うことは苦痛ではなかったし、
彼女も性的刺激を重要視するタイプではなかったので裸で抱き合うだけで満足なようだった。
そうしてプラトニックともそうでないとも言えない奇妙な関係を続けていくうち、いつしか彼女と結婚することを思い立った。
ただ、人として信頼できて、一生を共に過ごしていくことができる人という確信を覚えたからだ。
恋人になる告白は彼女からだったが、結婚のプロポーズは自分の方からした。
彼女は泣きながら「私でもいいの? 本当にいいの?」と喜んでくれた。自分は性を超えた深い愛情を彼女に感じた。
自分は親や兄弟にゲイであることはカミングアウトしていなかったので、
家族に彼女を紹介したときはまるで普通の男が普通の婚約者を連れていったときのように喜ばれた。
そうしたことが続くうちに、自分は社会に受け入れられていく実感を覚えた。
式を挙げる頃には、もうゲイであることはどうでも良くなっていった。腐れ縁の友人との縁を切ったような感覚だった。
自分は典型的なゲイではないかもしれないし、ゲイの中にはウソでも女性と抱き合うことに嫌悪感を覚えるタイプもいるかもしれない。
でも、自分は一人の同性愛者として、同性愛者であることを重要視しない生き方を選択した。
確かにこれから子どものことなど、いくつかの問題にぶち当たることもあるかもしれない。
それでも大半の問題は彼女との話し合いで解決できるだろうし、ゲイであることから距離を置いたこの生き方を後悔することは決してないだろう。
その昔は児童ポルノ禁止法というものが存在しておらず、代わりに「陰毛禁止」という妙なルールが出版界にあった。
タレント・宮沢りえが、かつて写真集“サンタフェ”でフライング気味にヘアヌードを公表・発売したのは、今からすればヘア(実質的に)が解禁・入れ替わるように少女ヌード写真集が発禁になっていく転換点だったように思う。
ちなみにこの“サンタフェ”だが、撮影した時点(not出版)では彼女は17歳だったとも言われており、ヘアヌード&児童ポルノという、いろいろな意味で今の世の中には「存在してはいけない存在」になってしまった感がある。
序盤から脱線したが、自分も見せてもらったこの“サンタフェ”では、さすがにヌけなかった。アートと表現したほうがいいような、さわやかな印象の出来の写真集だった。
さて自分の場合は、エロといえばまずは二次元から入っていったタイプだ。
たとえば「地獄先生ぬ~べ~」は、少年誌連載にしてはけっこうきわどい(エロ的に)描写の多い漫画として知られるが、それよりも前に毎号どうどうとヌードシーンが載っていた漫画といえば、「おじゃまユーレイくん」を思い出す。
ただしこれらは、どちらかといえば「ボインちゃん」がメインな作品である。というか、ぬ~べ~の舞台ってたしか「小学校」。。。
自分にとっての決定打は、内山亜紀氏の作品を立ち読みしたことに尽きる。
思えばその時期を前後する形でオリジナルアニメブームが湧き、一方ではごく一部を中心として当時にカルト的人気を集めた「魔法のプリンセスミンキーモモ」あたりを題材にしたエロパロ同人誌が、徐々に一般にも販路を延ばしてきていた時点の話である。
ややマニアックな漫画雑誌・あるいはパソコンゲーム雑誌では、さすがに直接的な性的描写こそ無いものの、少女のヌードをモチーフにしたイラストなどが読者欄などで散見された気はする(この点、事実と相違があったらお詫びしたい)。
というかそもそも、当時のエニックスから出ていたパソコンゲーム作品に、そのものズバリの「ロリータシンドローム」というタイトルがあってだな。。。
時代はさらに下り、会員制のBBS・いわゆるパソコン通信というものが普及してきたあたりで、PC-9801の仕様に合わせた4096中16色で表現されたイラストが多数作成・アップロードされていた。その中でダウンロード数が多いのは、「エロ」を感じさせる作品に集中していた。(注・当時はすでに、エロゲ=9801の図式ができてきていた)
中には、(当時は)一部の機種でしか見られない多色JPEGデータをアップロードするような猛者がいたが、電話回線を使った28800bpsの速度でやり取りするにはデータ量がちょっと多過ぎたせいか、ダウンロード数はそれほどでも無かったような記憶がある。
そんな中で衝撃的に出会ったのが、写真家・力武靖氏の撮影による少女ヌード写真集である。今から思えばそれは「FRIENDS」の一部だったのだが、まともな検索手段が無かった当時としては、まったく未知の存在に触れた気がした。それのスキャン取り込みデータが、BBSに無断でアップロードされていたのだから、提供した側もずいぶんと大胆といえば大胆である。当時は自分はすでに成人していたが、家族と一緒に住んでいる手前、実写のエロ・しかも少女ヌード写真を本屋で買うほどの行動力はさすがになかった。通販事情としても、今のようにアマゾンほかオンラインショップで気軽に本を注文、という販路はまだ整備されていなかったので、しばらくはそのデータについて出どころが知れないままモヤモヤとしていた。
(もちろん、性的な意味でも)
やがて、個人でも準定額・のちに完全定額のインターネットが利用できるようになってきた時点で、検索サイトというものの存在を知る。
パソコン雑誌のコーナーでは、いわゆる「電脳アングラ」的な本がじわじわ売られてきていたが、そんな中で海外のサイトでのお宝画像(=エロ画像)のダウンロード方法が説明されていた中、自分はなぜかあの少女ヌード写真集の事が忘れられなかった。OSもWindows98以降が標準となり、安価なパソコンでもフルカラー画像を見るのがようやく当り前となってきた頃のことだったが、いくつかの紆余曲折の末にようやく、とある方法(具体的には省略)であの写真集と思われるデータを手に入れる事ができた。その時の感慨を表現できる言葉を、いまの自分が持ちあわせていないのは残念なくらいだ。
その後、写真集の被写体だった少女達は、日本人ではなく顔の造作の似た外国人である事を知ったりしたが、それでも彼女の人気は一部では根強く、後日にヌード部分を除いてまとめられた写真集(※アマゾンでも売ってた)が発売された際には高評価を得ていたように記憶している。
その写真集データを得たのと前後して、「ロリエロな漫画・イラスト」のデータの蒐集も続いた。二次元と三次元のエロは、近いのか遠いのか、と問われれば「遠くはないというか、ある意味別腹に近い」と自分は答える。喩えて言うなら、店で食べるラーメンとカップ麺の関係のような感じだろうか。
さらに言えば、実際にもし実行すれば確実にアウトな「幼女・未成年女子とのセックス場面」が、二次元での表現としてはまだセーフな事も(わいせつ物頒布うんぬんの論点はさておき)、見ていて自分のささやかな妄想を想起させた。
ただし、自分はどうもレイプを思わせる描写が(創作物であっても)ダメなタイプなので、その系じゃなきゃ燃えない方とは一緒に見られたくない、とワガママな主張をしておきたい。
だがそういった日本での内輪の価値観も、TPPその他での動きによって、そろそろ終わりに近づきつつありそうなのが正直悲しいし、怖い。
親子丼です(もちろん、性的な意味で)。