はてなキーワード: Summerとは
14時くらいに、出かけることにした。
寒いから黒のパーカーに黒のロングスカート、タイツにブーツを履いた。髪は後ろに一つで束ねて、化粧をした。
マスカラは塗り方ひとつで目の形が激変する。研究に研究を重ねて、新しい塗り方を試してみたらうまく行った。嬉しかった。
ニトリで、ちょうどいいサイズの可愛いカゴを見つけた。セールで699円になっていた。ラッキーだ。今日はついている。
支払いをして、帰路につく。音楽は何にしよう。
最近はテイラーが好きだ。冬だけど、Cruel Summerにした。
信号が赤だったので立ち止まる。たくさんの人がいる。
白いシャツの、細身の男が私の前を通り過ぎた。
通りすぎ間際に、私の顔を覗き込んで、ニヤリと笑ってそのまま去っていった。
通りすぎ間際に男に顔を覗き込まれる。
追い越し間際に振り返られて、男に顔を覗き込まれる。
すれ違い側に男に顔を覗き込まれる。
よくあることだ。もちろん気分は良くない。あまりにも失礼だ。
そんなことを考えながら、家に向かって歩く。
男が私を追い越していった。
白いシャツの細身の男。
さっきの男だ。
またも、私の顔を覗き込んで、ニヤリと笑った。
ザッと血の気が引いた。
男がさっき渡ってきた横断歩道はどう考えてもこの道にはつながらない。
偶然じゃない。
「こいつは私に用がある」
「こいつは私を不快にさせるという目的のもと、この行為を行なっている」
家はすぐそばだ。
ただ、家に向かえば向かうほど人通りの少ない道になっていく。
このまま真っ直ぐ帰れない。
私は一目散に来た道を引き返した。
一番近いコンビニはどこだっけ?一番メインの人通りが多い道はどこだっけ?
奴を撒こうと、私はあらゆる曲がり角を曲がり、走り、あの男はいないかと、後ろも、前も、横も凝視した。
白い服を着ている男は全員そいつに見えた。そしてこの季節だ。コートやパーカーを羽織られたら、もう遠目からじゃ気づけない。
安っぽい呑気なBGM。ごちゃっと並んだ野菜。肉。私が直面する恐怖と対角線上にいるような、何も知らない空間だ。
店内はガラス張りだから、店の奥に進んだ。お酒のコーナーだった。
ようやく少し冷静になる。
明るい時間帯に、普通の服をきて、買い物をして、普通に家に帰ろうとした。
それだけだった。
「家に帰る。」
これができなかった。
むしゃくしゃして、ワインのボトルとビールを買った。これ以上、もう何も考えたくなかった。
店を出る。後ろ、前、左右を確認する。鍵を握りしめた。
鍵を取り出す瞬間を見られたらまずい。「家が近いんだ」とバレてしまう。
イヤホンはつけなかった。何度も周囲を見渡し、私はマンションに飛び込んだ。
再度振り返り、急いでエレベーターに乗り込んだ。
交番の前をわざと通ろうと、遠回りする。人通りの多い道を、と遠回りする。
鍵を握りしめて、何度も後ろを振り返る。
時として、誰かと電話する振りをする。
時として、誰か友達に「あとつけられてるかも、やばい」とラインして、その子から緊迫した声の電話がかかってくる。
すれ違い側に、目をガン見されて顔を思い切り覗き込まれる。数百メートル以上、横で顔を覗き込まれて話しかけられ続ける。
腕を掴まれる。
目の前に立ちはだかれて、真っ直ぐ歩けない。
見た目が気に入ったから、後をつけてやろう。話しかけてみよう。
声をかけたけど、つれない反応をされた。じゃあ暴言吐き捨てて嫌な気持ちにさせてやろう。
なぜ、そんな思考になる?
当然すでにあるよなぁ?
と思ったら、まあ、あったわ。
https://www.medalspercapita.com/#medals-per-capita:2020
Summer Olympics: average medals per capita 1896-2020 | Statista
https://www.statista.com/statistics/1102056/summer-olympics-average-medals-per-capita-since-1892/
Olympic Medal Count: How Did Each Country Fare at Tokyo 2020?
https://www.visualcapitalist.com/olympic-medal-count-tokyo-2020/
全期間だとヨーロッパに偏ったり、西ドイツとか出てきちゃったりするので、「過去10大会」くらいのちょうどいい期間に絞ったものはなさそうだけど。
清水はライブハウスでソウルドアウト公演だったので入場時から何度も前へ一歩ずつ詰めるよう言われるが自分より前が詰めないので結果的に全く詰まらないと言う現象が起こっていた…。まぁ詰めたくない気持ちは分かるけど…。何だかなぁと言う気もしなくはなかった。
野音は座席表で見た感じ真ん中ら辺だったからアニキから微妙に遠いかもと思ったけどいざ入ってみたらほぼアニキ前だったので良かった(?)と言うかこういう指定席で初めて自分の名義でアニキ側を引いた気がする。大体指定席は金やん側or真ん中辺りなので…笑
とりあえず印象に残った曲の感想等。
·冥王星、c/wの割に登場率かなり高いからバンド内で気に入られてるのかな?盛り上がるしね。
·スレドニ・ヴァシュターの出だしのギター、本当にヤバかった!!清水でニヤニヤ止まらなくてずっとニヤニヤしてた(怖)
·Ready〜、何曲かやった未発表の新曲群の中で一番好きな感じだった。アニキのギターがカッコいい、あと亀ちゃんっぽい曲だな〜と感じたが実際はどうかは分からない。
·NOS、アニキと田中さんが向き合って弾く見せ場(?)があって盛り上げる為に頑張ってんのかなと思った(すごい性格悪い感想)
·想うということ、イントロのアニキのギター大好きなので聴けて嬉しい。
·雀の子、ライブ映えがすごい!!ツアーで更に進化する(であろう)のワクワク過ぎる。
·This Town、田中さんとアニキのギター息ぴったりで最高に気持ち良い。
·Good bye my world、毎回ライブでやって欲しいぐらいライブで聴くのが好き過ぎる!!清水でトリップしまくった…笑
·Glareがまたライブで聴けるとは…!!何と言う最高のセットリスト…!!
·B.D.S.でアニキのスライドギターが間近で見れて最高…。清水ではアニキ側もまん中辺りも来てくれてガン見した笑 野音は照明当たってなくて真っ暗だったの勿体なかったな…。その変わり(?)亀ちゃんにめちゃくちゃ照明当たってたの面白かった。
·清水はSPF→Reverb→放浪フリーク、大阪は放浪フリーク→SPF→Alrightだった。Reverb、キーが高くて田中さんの声が割りと限界っぽい感じなの、結構好きなんだよね。無理して出してる高音って苦手なんだけどこれは別。SPFはこの夏バズったみたいな話を田中さんがしてたけどバズってたの??全然知らないんだが…笑 放浪フリークは野外で聴くの本当気持ち良かった〜。アニキのギターがめちゃくちゃ映える。
以下、ライブを観た感想。結構微妙な事も書いてるのでお気を付け下さい…。嘘は書きたくないので…。
行く迄は結構複雑な心境で楽しみって気持ちでもなかったけど、清水で観て感じたのはやっぱりバインのライブは最高!と言う事だった。何より私はアニキのギターが大好き。そしてアニキを始め、亀ちゃんや高野さん金戸さんがここに居てくれて良かったなと強く実感した。正直まだ田中さんを沢山視界に入れるのは個人的に厳しかったけど…。ライブの楽しさも全て興醒めしそうで…。でも今はそれで良いんだと私は思っている。歌は好きだし、いつかはそんな感情もなくなりはせずとも薄れていくだろう。もう曲が良くて、アニキのギターは最高で、ライブが楽しければ現状私は文句ないので。個人的に清水の方が好きなライブだったけど、野音も良かったし何より去年のリベンジも果たせたので終わり良ければ全て良しかなと。10月新譜のライブも純粋に楽しみだなという気持ちです。
あと本当どうでも良い話だけど、清水でライブハウス横(?)の喫煙所に田中さんが居てびっくりした。ちょっと目が合った(お互い人が居たら見ちゃうよねってやつ)ので気付いてない振りして通り過ぎた。何か田中さんは結構遭遇するな〜と思ったけど(RSR、森道)アニキも何回か遭遇した事あるんだよな…。どちらも一回も声かけたことないけど…。
スレドニ・ヴァシュター
目覚ましはいつも鳴りやまない
NOS
想うということ
雀の子
This Town
Goodbye,Annie
Good bye my world
Glare
B.D.S.
E.N
SDF
Alright
みなさんお久しぶりです。
ちょっと出遅れた感ありますが、欧米の友達に例の原爆バービーについて聞いてみました。
・この騒動が浮き彫りにしたのは「日本への原爆投下に対するアメリカでの認識」というよりは、「原爆という存在についてのアメリカでの認識」だった
・ポスター製作者もバービー公式も日本への原爆投下を肯定したつもりはなかっただろう
・米ワーナーは具体的な謝罪をすることが立場上できない。とても同情する
です。
*****
ご存じの方が多いでしょうが、欧米といってもヨーロッパとアメリカでは様相が違います。
広島長崎の原爆投下に対するヨーロッパの姿勢は日本と近いです。
残虐な民間人殺戮で、終戦を早める効果もなかった(投下前にすでに終わりかけ)ので無駄だったという認識のようです。
原爆バービーのファンアートへの広報のコメントについても日本と同じように嫌がられているようでした。
彼らの一人は、「日本人はバービーの広報よりむしろ映画オッペンハイマーに怒っているのだと思っていた」と言っていて驚きました。
曰く、「映画オッペンハイマーは真面目なドキュメンタリーじゃなくて商業的ハリウッド映画だ。忌まわしい行為をネタに映画を作って金儲けしているのがすごく嫌」ということです。
増田は「映画オッペンハイマーは原爆投下を反省してるような内容らしいので日本ではむしろ喜んでいる意見を多く見る」と答えましたが納得していないようでした。
そもそもヨーロッパからすれば他人のアメリカを頑張って擁護する動機がないのだろう、と増田は思いました。
もちろん増田が親しく付き合うような人間はその時点で偏っていて、外国に住む人間の適切な標本とはいえません。
彼らと知り合ったのは日本のアニメやゲームに親和性が高いコミュニティで、増田は日本人であることを特に隠していません。
日本人・アジア人をあからさまに見下してる人はそれなりにいるでしょうが、彼らは増田に親しく話しかけることがないわけです。これはアメリカの友達でもヨーロッパの友達でも同じことです。
アメリカの友達にも、日本への原爆投下が正しかったと言う人はいませんでした。
しかしそれでもアメリカの友達の原爆バービーの捉え方は日本やヨーロッパとは異なり肯定的でした。
彼らに、「バービーとオッペンハイマーが広島や長崎の爆心地で笑っているから日本人は怒ってる人が多い」と言うと動揺していて、強く否定されました。あれは広島や長崎ではないというのです。
https://pbs.twimg.com/media/F2TDXMBb0AA8Ar9.jpg:medium
彼らの一人は「椰子の木が描いてあるでしょう、ここはバービーランドだ」と教えてくれました。
言われてみれば椰子ですね。
要するにあの爆発は原子力の平和利用で作った賑やかしなのです。お祝いに火薬でクラッカーを鳴らすのと同じように。
現在の日本での原爆のイメージのうち99%は広島長崎が占めています。しかし、アメリカではそうではないのです。
アメリカ人からすると、この騒動はオッペンハイマーがバービーランドに落とした爆弾になぜか日本人が怒っている構造なのです。
もしこれがM69焼夷弾だったら増田はこのような考え方を認めないでしょう。M96焼夷弾はもともと日本の民家を焼くために作られたもので、バービーランドに落とされているから日本の民間人の虐殺とは関係ないなどというのは通りません。
しかし原爆はそもそも日本に落とすために作られたわけではありません。
アメリカにしてみれば、日本への原爆投下とは原爆開発の長い歴史とややこしい経緯、いくつもの国による20回ほどの使用とそれによる人的被害、のなかの1ページにすぎないのです。
日本でも、日本への原爆投下については批判していても原爆開発自体については
("It's going to be a summer to remember"にしても、単に夏公開だから言っているだけです。核の使用はどの季節にも行われていて、夏と特に関連付いてはいません。強いて言うならオッペンハイマーが自ら関わった史上初の核実験、トリニティ実験ではないでしょうか。アメリカが使ってアメリカで爆発したトリニティ実験は7月16日に行われました。)
銃を手にして笑うポスターに銃で以って追い立てられたアメリカ先住民の末裔が抗議したとしても、きっとアメリカで広く受け入れられはしないでしょう。
*****
米ワーナーやバービーの監督が具体的な釈明をしないのは、それとは違う意味でも仕方のないことだと思っています。
ポスターは外部の人間が作ったファンアートなので、ワーナーがその内容に触れたコメントを出すのは難しいです。
「日本の爆心地で笑ってるイラストにいいねしてごめんなさい」などと言ってしまうとポスターを描いた人が仰天するでしょう。ワーナーが日本に謝罪するために部外者を…それも日本のことは描いてないと思われる部外者を生贄に捧げることはできません。
「日本で亡くなった人々とは無関係なバービーランドのイラストをいいねしてごめんなさい」では意味不明で、きっと火に油を注ぎます。
しかし「原爆を肯定的に描いている時点で他の要素には関わりなく日本への侮辱だった、ごめんなさい」とはなかなか言えないでしょう。
核爆弾によって被害を受けたのは日本だけではありません。もしも「ニューメキシコ州に住んでてトリニティ核実験で被曝した人の遺族だけど取り下げないでほしい」とか「近隣国の核兵器に怯える住人だけど私たちにも謝罪してほしい」とか言われたら収拾がつきません。
そもそも外部の人の作品について「これは日本の被害を描いてる」「これはバービーランドを描いてる」「このイラストは原爆に肯定的」などと解釈して決めつけた声明を出すだけで大問題です。
皆さんはこの決めつけを抜きに具体的な謝罪文を作ることができますか? 増田はできません。
(もしも原爆バービーポスターを作ったのがワーナー側であったなら、「日本の爆心地で笑ってるイラストを出してごめんなさい」と芯を食った謝罪をする選択肢はありました。
ただそれをやってしまうとプリティーオールフレンズの大正ロマンやヒロアカの丸太の類似案件になるのでアメリカのバービーファンからヘイトを買ったと思います。)
というわけで、米ワーナーと監督は八方塞がりで何を言っても問題が生まれる状況でした。
……いいえ、正答はありますね。
In a discussion about the case, someone raised an objection to "someone who was not a party to the incident, who was not from Nagasaki, and who was not from Hiroshima, complaining about it. Seeing that opinion made me aware of my position, so I will say what I must say.
I was born in Nagasaki and am a third-generation A-bomb survivor.
I say this because I grew up hearing the stories of the A-bomb damage directly from those who suffered from the atomic bombings.
I feel that it is unacceptable for someone like me to speak about the A-bomb damage.
However, there are few A-bomb survivors left, so I will speak up.
In Nagasaki, children grow up hearing stories about the atomic bombing. We were made to sit in the gymnasium of an elementary school in the middle of summer, where there was not even an air conditioner or a fan, and for nearly an hour we were made to listen to stories about the atomic bombing. It was hard for me anyway.
I think it was even more painful for the elderly people who told the stories. But I don't think an elementary school kid could have imagined that. I, too, have forgotten most of the stories I was told. I can only remember one or two at most.
Another thing is that at this time of year, pictures of the victims of the atomic bombing are pasted up in the hallways.
In other parts of the country, these are grotesque images that would cause a fuss from the parents who are always nagging about them.
Recently, even the A-bomb museum has become more gentle in its exhibits, and most of the radical and horrifying exhibits that would have traumatized visitors have been removed.
I don't know how elementary schools now teach about the A-bomb damage. But when I was in elementary school, there were photos on display.
There was one photo that I just couldn't face as an elementary school student. It was a picture of Taniguchi Sumiteru(谷口稜曄). If you search for it, you can find it. It is a shocking picture, but I would still like you to see it.
I couldn't pass through the hallway where the photo was displayed, so I always took the long way around to another floor to avoid seeing the photo.
My grandfather was under the bomb and went to the burnt ruins of the bomb to look for his sister. I can understand now that he couldn't turn away or go another way.
There would have been a mountain of people still alive and moaning in the ruins of the burnt ruins. There would have been many more who would have died out in agony.
My grandfather walked for miles and miles, towing a rear wheelchair, through the narrow streets of rubble-strewn Nagasaki in search of his sister.
My grandfather was not a child then. But of course there were elementary school children who did the same thing he did. I am not speculating that there were. There were. I heard the story from him, and I still remember it.
A young brother and sister found their father's corpse in the ruins of the fire and burned it themselves. They didn't have enough wood to burn him alive, and when they saw his brain spilling out, they ran away, and that was the last time they ever saw him again.
I can never forget that story I heard when I was a kid, and even now it's painful and painful, my hands are shaking and I'm crying.
I keep wondering how that old man who ran away from his father's brain was able to expose to the public the unimaginably horrible trauma, the scar that will never heal, even after all these years.
Now I think I understand a little.
Why I can't help but talk about my grandfather and the old man now, even as I remember my own trauma.
Because this level of suffering is nothing compared to their words being forgotten.
It's nothing compared to the tremendous suffering that once existed that will be forgotten, like my hands shaking, my heart palpitating, my nose running with vertigo, and so on.
My grandfather, who went through an unimaginable hell, lived to see his grandchildren born, and met his sister's death in the ruins of the fire.
In other words, my grandfather was one of the happiest people in the ruins of the fire.
My grandfather and that old man were, after all, just people wading in the depths of hell.
I think that the suffering that even people who had experienced unimaginable pain could not imagine was lying like pebbles on the ground in Nagasaki 78 years ago, and no one paid any attention to it.
Their suffering, which I can't even imagine, is nothing compared to the countless, unimaginable suffering they witnessed, which they pretend never happened.
Memories fade inexorably with each passing human mouth. The memories that those people could never allow to be forgotten are almost forgotten.
The tremendous suffering of 78 years ago is mostly gone, never to be recounted.
Those who suffered the most from the atomic bombing died rotting in the ruins of the fire without being able to tell anyone about it.
Many of those who saw it with their own eyes kept their mouths shut and took it with them to their graves. Most of those who spoke a few words are still in their graves.
Compared to the words of the old men, my own words are so light. I would rather keep my mouth shut than speak in such light words.
But still, someone has to take over. I realize that even my words, which are so light, are only the top of the voices that are left in this world to carry on the story of the atomic bombing.
I know how it feels to think that I am the only one. Still, I hope that you will not shut your mouth. I know that I have closed my mouth because I thought I shouldn't talk about it, and that is the result.
Sometimes I almost choose to stop imagining the unimaginable suffering and live my life consuming other people's suffering for fun.
I am writing this while I still have some imagination of the suffering of the old people whose voices, faces, and even words I can no longer recall.
すまん。勝手に翻訳した。拡散はどうするかな。redditとかに投稿するのがいいのか?
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I have seen some posts asking if they should talk about "the case" even though they were not involved in it and were not born in Nagasaki or Hiroshima, and I am a bit aware of it, so I have to say what I have to say. I say this because I was born in Nagasaki, am a third generation atomic bomb survivor, and grew up hearing the stories of those who experienced the atomic bombing firsthand. I know it's a little bit too much for me, but I'm going to say this because there are very few survivors left.
In Nagasaki, children grow up hearing stories about the atomic bombing. They were stuffed into sushi for nearly an hour in the gymnasium of an elementary school in the middle of summer, with no air conditioner or fan, and told stories about the atomic bombing. That was a hard time for me. I think it must have been even harder for the old people who told the stories, but there was no way an elementary school kid could imagine such a thing, and I had forgotten most of the stories I had been told for a long time. I have forgotten most of the stories I was told. I can only remember one or two at most. There is one more hard thing. Every year around this time, a row of grotesque images that would drive the PTA crazy in other areas are prominently displayed in the hallways. These days, I hear that the atomic bomb museum has been bleached out and many of the radical and horrifying exhibits that traumatized visitors have been taken down. I don't know if they are still there, but they were there when I was in elementary school.
There was one photo that I just couldn't face when I was in elementary school. It is a picture of Sumiteru Taniguchi. If you search for it, you can find it. It is a shocking picture, but I would like you to take a look at it. I couldn't pass through the hallway where the photo was posted, so I always took the long way around to another floor of the school building to avoid seeing the photo.
Now I'm thinking that my grandfather, who headed into the burnt ruins to look for his sister, couldn't have turned away or taken a different path. There would have been a mountain of people still alive and moaning, not just pictures, and a mountain more who would have given up at the end of their suffering. He walked for miles and miles, towing his handcart through the narrow streets of rubble-strewn Nagasaki in search of his sister. My grandfather was not a child at the time, but of course there were children who did similar things. Not that there wouldn't have been. There were. I heard the story from him, and I still remember it. A young brother and sister found their father's body in the ruins of a fire and they burned it. They didn't have enough wood to burn his body, and when they saw the raw brain that spilled out, they ran away and that was the last time they ever saw him anymore.
I can never forget the story I heard when I was a kid, and even now it is painful and painful, my hands are shaking and I am crying. I keep wondering how the old man who escaped from that father's brain could have been able to unravel the most horrible trauma imaginable and expose it to the public with scars that will never heal.
Now I think I can understand a little.
The reason I can't help but talk about my grandfather and that old man, even if I have to rehash my own trauma, is that this level of suffering is nothing compared to the fact that their words will be forgotten. My hands shaking, my heart palpitating and dizzy, my nose running with tears, it's nothing compared to the tremendous suffering that was once there and will be forgotten.
My grandfather, who went through an unimaginable hell, lived to see his grandchildren born, and met his sister's death in the ruins of the fire. In other words, my grandfather was one of the happiest people in the ruins of the fire. My grandfather and that old man were, after all, just people wading in the depths of hell. I think that the suffering that even people who had experienced unimaginable pain could not imagine was lying like pebbles in Nagasaki 78 years ago, and no one paid any attention to it. Their suffering, which I can't even imagine, is nothing compared to the countless, tremendous suffering they witnessed, which they pretend never happened.
Memories fade inexorably every time people talk about them. The memories that those people could not allow to be forgotten are now largely forgotten; the tremendous suffering of 78 years ago is mostly gone, never to be recounted again. Those who suffered the most from the atomic bombing died rotting in the ruins of the fire, unable to tell anyone about it. Many of those who saw it with their own eyes kept their mouths shut and took it with them to their graves. Most of those who spoke a few words are now under the grave.
Compared to the words of the old men, my own words are so light. I would rather keep my mouth shut than speak in such light words. But still, someone has to take over. I realize that even my words, which are so light, are only the top of the voices that are left in this world to carry on the story of the atomic bombing. I know how it feels to wonder if someone like myself is allowed to speak about this. Still, I hope that you will not shut your mouth. This is the result of our silence.
Sometimes I almost choose to stop imagining the unimaginable suffering and live my life consuming other people's suffering for the fun of it. I am writing this while I still have some imagination of the suffering of the old people whose voices, faces, and even words I can no longer recall.
Translator's note: The original post in Japanese is a response to a post by a Japanese contributor who wondered if he was qualified to speak out on the subject of the A-bomb when he was not from Hiroshima and Nagasaki, but still spoke out about Barbie and the A-bomb. I translated it here because I think it deserves to be read by the world.
I must talk about various things regarding the Barbie incident.
I saw a post about it from someone who is neither directly involved nor from Nagasaki or Hiroshima, and it made me realize that there are things I must say.
I was born in Nagasaki and grew up listening to stories from the survivors, being a third-generation survivor myself. Most survivors are no longer with us, so I feel compelled to speak up.
In Nagasaki, kids grow up hearing about the atomic bomb. We were packed like sushi in a gymnasium without air conditioning or even fans during the scorching summer, and we listened to stories about the bomb. It was incredibly tough for me.
I imagine it was even harder for the elderly who spoke about their experiences. As a child, I couldn't fully comprehend their pain, and now, I can hardly remember most of the stories I heard. I can only recall one or two.
Every year during this time, gruesome images that would make PTA elsewhere go crazy were displayed in the hallways. I heard that many of the horrifying exhibits that used to traumatize visitors at the Atomic Bomb Museum have been removed, and the museum has been considerably sanitized. I'm not sure about the current situation, but that's how it was when I was there.
There was one photograph that I could never bear to look at as a child – a picture of Tadashi Taniguchi. You can find it if you search, but it's a shocking image with a viewer discretion warning. Still, I want people to see it.
I couldn't walk down the hallway where that photo was displayed, and I always took a different route, avoiding it so I wouldn't have to see it.
Now, I think of my grandpa who went to the ruins to search for my sister. He couldn't look away or take a different path. The pain must have been unimaginable.
Besides photographs, there were many living people moaning in pain back then, and there must have been even more who succumbed to suffering.
My grandpa walked for miles, pulling a handcart through the debris-laden streets of Nagasaki, searching for my sister.
Even though my grandpa was not a child, I'm sure there were elementary school kids who did similar things. I don't just think they might have been there; they were there. I heard the stories from the people themselves, and I still remember them.
I can't forget the stories I heard as a child, such as the young siblings finding their father's burnt corpse in the ruins and cremating him. They didn't have enough firewood, and their father ended up half-burnt. They ran away after seeing the brain tissue oozing out, and that became their final farewell.
I can never forget those stories I heard as a child, and even now, they still bring pain and suffering, making my hands tremble and tears flow.
I wonder how my grandpa, who ran away from that father's brain tissue, could expose his unimaginable trauma and everlasting scars to the world.
Now, I feel like I understand a little.
Even someone like me, who experienced such unimaginable trauma, has gone through pain that I can't even imagine being compared to being discarded, forgotten, and ignored. Compared to what those people experienced, my suffering means nothing.
My trembling hands and the palpitations and dizziness I experienced are nothing compared to the tremendous pain that many others went through.
Memories fade irreversibly every time they pass through people's lips. The memories that I couldn't bear to be forgotten are almost forgotten now.
The unimaginable pain that existed 78 years ago has mostly disappeared, and we can no longer pass it on.
The people who suffered the most from the atomic bomb perished in the ruins, rotting away without being able to convey it to anyone.
Even those who saw it with their own eyes mostly took the memories with them to their graves. Most of them are now under the tombstones.
Compared to the words of the elderly, my words seem so light. I think that speaking with such light words would be better than keeping silent, as silence has led to this result.
I feel like I might occasionally choose to stop imagining the unimaginable pain and consume the suffering of others in an amusing way to live on.
Before I forget the pain and suffering of those elderly people, whose faces and voices I can no longer recall, I will leave this here.
・5段階評価:4
・あらすじ
帝国兵に追われる一行を助けてくれたサーカス団のアンネリーエとフリッツ。
助けてくれたことと聖城でサーカスを披露してくれたことへのお礼のため一行はフェスティバルのために一時的にサーカス団員としての活動を始める。
フェスに向かう途中、フリッツが盗賊団をやっていた過去が明らかになるも、アンネリーエは出自や過去は関係ないととく。
過去にアンネリーエが父親から団長の座を継いだ時に引き抜きをかけたライバルサーカス団の妨害、そして彼等の起こした魔獣騒動の後始末などを経て、アンネリーエのサーカス団はフェスを優勝し、団員たちも戻ってくるのだった。
・印象に残ったセリフ
アンネリーエ「人の出自や過去は舞台では関係ないって言ったでしょ?」
部下のフリッツが元盗賊だったことが判明した時、自分をある意味裏切った元団員達が帰ってきた時と繰り返し使われたセリフ。
・印象に残ったキャラ
アンネリーエ。
サーカス団の団長として、ドラゴンテイマーというパフォーマーとして、キス魔の女の子、若くして父親から団長の座を継いだことを不安で自身がない様、と幾つもの顔を見せてくれた可愛いキャラだった。
特に団長としてフリッツや引き抜かれた元団員達を許すシーンは尊大な雰囲気でそれでいて可愛くて好き。
・感想
面白かった。アンネリーエというキャラの魅力を描くこと一辺倒になっているのだけど、それをちゃんと書き切っててとてもよかった。
ドラゴンテイマーというパフォーマーとしての魅力、それから舞台の外ではキス魔で誰から構わずほっぺにキスをするエッチなところ、団長として全員を許す優しいところ、親から立場を継いだことを不安がるところ、どれも多層的なキャラ付けになってて可愛い。
元団員が戻ってくることをあっさり認めるところは特に良くて、自分はこういう時にぐちぐち色々なことを連呼しそうなタイプなので憧れる。
・5段階評価:1
・あらすじ
夢で見たお告げのためにホウライという街に向かう一行は、仙花焔職人のスオウと出会う、
彼は春節のお祭りのために仙花焔を作っていたのだが今年は竜脈泉のマナが枯れてしまったため上手くできないという。
竜脈泉の様子を見にいくと、たしかにマナが枯渇しておりその影響で魔獣がホウライの街を襲おうとしていた。
そこに街を作ったドラゴンのホウライ様からのお告げを受けて帰ってきた風来坊のクガイと再開する。
彼と共に再び竜脈泉に向かうと、マナを食い荒らすヴァルファレールが復活していた。
ホウライ様と100年前からの仲間であるキリン族のジョフクがヴァルファレールの周辺のマナを仙花焔の技術により取り除くことで打ち倒せると助言する。
ホウライ様とジョフク様の助けにより街は守られ、スオウの仙花焔が夜空を彩るのだった。
・印象に残ったセリフ
・印象に残ったキャラ
特になし。
・感想
色々と設定が出てきたが、スオウの家族にエピソードがどうにも上滑りしてしまい、のめり込めなかった。
故郷は大事なものだから、そこの住む街の人や全部を大切にしようという言いたいことはそりゃ大切なんだけど、もう少しそれを実感が持てるように描写して欲しかった。
スオウ、クガイ、シャオレイ、リンユー、ジョフク、ホウライとキャラが多いせいで、特にシャオレイとリンユーは状況説明セリフしかなく、キャラがいる意味が汲み取れなかった。
ジョフクやホウライといった圧倒的な強者が出てきて解決する展開も、それながらクガイやスオウが人間的な非超越者的な目線で語るところも、対比になってるように感じれず、総じて薄味だったと感じた。
・5段階評価:4
・あらすじ
死を司るタナトスに攫われ彼のためだけに舞を踊らされ続けていたフェリーチャを助け出したドラゴンのファントム。タナトスから逃げる最中にユーディル一行と出会い行動を共にする。
ムムはファントムがフェリーチャを助け出したのは同情ではなく恋心にあると見抜くが、ファントム自身は過去の経験とフォレスティエとドラゴンという種族の差から身をひこうとする。
故郷に帰ったフェリーチャだが、タナトスの手によって壊滅していた。
タナトスの独りよがりな愛を否定し、ファントムとフェリーチャは共に生き続けることを誓うのだった。
・印象に残ったセリフ
ファントム「頼む…… 俺に気づかせないでくれ。愚かな夢を抱いていることを……。」
フォレスティエに恋をしてしまったドラゴンが自身の気持ちに気付きたくないと独白するシーンのセリフ。
ドラゴンとそれ以外の愛はドラガリアロストの根幹だけにそれを悩むのはらしいシナリオでよかった。
・印象に残ったキャラ
ムム。
愛に生きるドラゴンの先輩としてファントムに道を示すところが印象的だった。
・感想
面白かった。大人しそうだけど舞が得意なフェリーチャと、独りよがりでそれを独占するタナトスと、ただただ自由に日の下で踊る彼女がみたいだけのファントムの三角関係ものだった。
何より過去の経験から愛に素直になれないファントムが可愛い。恐ろしい見た目なのに可愛いと思わせるのはまさにシナリオの力だった。
レギュラーキャラも、同じく愛に生きるドラゴンの先達としてムムが大活躍したのも、ゲストキャラを立てるだけでなく、レギュラーキャラもキャラ立ちを補強する良い展開だった。
最後に二人がハッピーエンドなのも好みだし、好きなシナリオだった。
・5段階評価:保留
・あらすじ
異端の異端審判者を名乗るクーガーとその相棒のハインヴァルトが突如村中の人間が一人の少女ラトニーだけを残して消えた事件を追うために聖城近くの禁断の図書館で情報収集を始める。
調査の結果、村の人々は禁断の図書館に本として納本されていた。
呪いを解くために調査を継続した結果、ラトニーこそが全ての元凶であるニャルラトホテプそのものであった。
ハインヴァルトの機転により窮地を脱し、村の人々も解放したが、偏在するもう一人のニャルラトホテプがハインヴァルトと同化する。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
決め台詞を噛みがちなハードボイルドになりきれないクーガーと、魔術の研究のために本を読むのが好きなハインヴァルトのコンビはどことなく仮面ライダーWぽいのが面白いクトゥルフシリーズの初回シナリオ。
ハインヴァルトがニャルに身体を乗っ取られて終わるという、びっくりするぐらい話が途中なので感想の書きようがない。ラトニーに関しても本人としての登場は一瞬で、殆どがニャルによる変身だし。これからシャドウオーバーメイデン、晩夏の使者に続いていくんかな?
男性同性愛の二次創作を好む人たちにヒットしそうなキャラ造形だけど、この辺は当時の熱も込みで楽しみのは難しいなあ。
・5段階評価:3
・あらすじ
フォレスティア達のお祭りスプラウトバンケットに参加した一行。そこでリュカは幼馴染である次期族長候補のララノア、アロマの研究に長けたシャストと再開する。
他種族ヒューマンであるユーディル一行が参加することに難色を示す族長たちの意見を変えるために、お願いを叶えてくれるエッグハントに参加することに。
アートを学びたいフルルと協力しながらゲームを進めていくが、タマゴを魔獣に奪われて困っているドラゴンのシームルグを助けるためにエッグハントを中断する。
無事卵を取り返すも、エッグハントに優勝できるのはただ一人。リュカはエッグハントの優勝によるお願いでの命令で他種族間の仲を取り持つのをヨシとせず、フルルに優勝を譲る。
しかし、シームルグを助けた功績からユーディル一行はフォレスティアに認められることになる。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
シャスト。
研究のためなら族長たちの無茶な命令も聞いてきた、ってくだり、絶対エッチなこともされたに違いない……
・感想
ララノア、シャスト、フルル、リュカと四者四様の願いを、ユーディルの王の立場から差配していきつつ、ドラゴンの問題も解決してて、短いシナリオの中にいろんな要素が詰まってて良かった。
特に他種族に関するお話は今後も出てくる要素だし、ほんわかしたお話の割に結構重要だったのかも。
ただ、要素が多い分薄味なのも事実で、まとまってはいるものの、もう少し濃い味のシナリオの方が僕は好きかな。
「仙境の空へ」
・5段階評価:4
・あらすじ
キリン族が過去に使っていた伝説に道具仙宝を封印して回っているキリン族のサンゾウと弟子のヒューマンのゴクウと出会う。
ゴクウが仙宝の力に飲まれて暴走してしまうも、サンゾウは師匠として何度でも導くことを誓う。
・印象に残ったセリフ
サンゾウ「私は私を信じます。私の…… 私たちの未来を信じます!」
ゴクウとの関係を悩んでいたサンゾウが良い意味で保留して未来を信じると誓う言葉。
・印象に残ったキャラ
サンゾウ。
疑似家族ものが好きなので、親代わりってキーワードだけで好き。
それだけじゃなく、親としての自分と、師匠としての自分の狭間で悩む姿が良き。
・感想
シナリオの構造としていては単純で登場人物もサンゾウとゴクウの二人だけとシンプル。
それだけにサンゾウの気持ちや、ゴクウの気持ちの描写が多くて満足。
特にサンゾウの親代わり兼師匠という立場に悩むくだりは可哀想だった。
二人の関係値は続きがあるみたい。まあ西遊記モチーフなのに堺正章、夏目雅子、おヒョイさんの三人しか登場しないわけないからそりゃそうか。
・5段階評価:3
・あらすじ
ユーディル一行の元で鍛冶屋をするが、地元で決着をつけそこなていたロッカ族のラズリーと鍛冶の実力を比べるため大会に参加する。
三姉妹は熊型のドラゴンアルクトスとのトレーニングでより力を付ける。
ラズリーとの勝負に勝った三姉妹は偉大な父親を超えるため今後も鍛冶の腕を磨くのだった。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
ルジィナ。
末っ子なのだけど、唯一父親から鍛冶の才能を受け継がなかった、と本人が思い込んでる思い込みの激しい子。
実際には鍛冶の水で締める工程の才能を継いでおり、次女と長女の工程の間を繋ぐ大事なポジション。
空回りしてる様が可愛かった。
・感想
三姉妹の微笑ましいやりとりが続くほんわかのんびりストーリー。
特に自分だけ才能を継いでないと誤解して空回りしてた三女のルジィナが可愛かった。
三姉妹それぞれの可愛いを描くのが主題で他のことはおざなりだけど、ソシャゲのシナリオとしては僕はこういうものだと思うし好きだ。
・5段階評価:2
・あらすじ
宝探しに島にやってきたユーディル一行は、宝を守っていたエルモ、それを奪おうとするタコ魔獣のバルバリアと出会う。
バルバリアに宝を奪われてしまい圧倒されるも、歌で魅了するドラゴンセイレーンの強力でそれを倒す。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
ソシャゲあるある夏のイベントは水着実装キャラの紹介になるから薄い、の典型的なシナリオだった。
水着キャラの紹介と状況説明が大半でお話しらしいお話しがなかった。
とはいえ、その水着キャラに僕の好きなジュリエッタがいたのでそこは良き。
ジュリエッタ好きなんだけど、ここで話がほぼほぼ終わりなんだよなあ。
エルフィリスとの関係がなにか進展するエピソードを見たかった…… 見たかったなあ……
「Melodious Summer♪」
・5段階評価:2
・あらすじ
従者であるためと言い訳をして水着で楽しむことが出来ないでいるクラウだったが、セイレーンの歌を楽しむ姿勢に感化し、夏を満喫するのだった。
・印象に残ったセリフ
長い時を生きるクラウは嬉しかったことも忘れてしまっているのだけど、それを思い出す一幕から。
忘れるって寂しなあ。
・印象に残ったキャラ
クラウ。
ヒューマンとは異なる寿命を生きることの寂しさ、長く生きると楽しいことも忘れてしまう寂しさなど、もの悲しいエピソードから前向きになる展開で可愛かった。
・感想
主役のはずのセイレーンを食ってしまうほどにクラウの出番が多く、ドラガリの全体的なシナリオにもかかっている展開だった。
とはいえ、水着ガチャキャラの販促という側面はモロ見えで、シナリオの縦軸は薄く、キャラ萌え全振りなのもそれはそう。
・あらすじ
今までのやり直したい過去に向かうが、度々アスラムと名乗る謎の男に邪魔をされる。
仮面をつけたゼシアのところへタイムスリップしたところでクロノスが本性を表す。
アスラムが時間移動した起点である未来へ飛ぶも、そこではユーディルに全てを殺されたと語るナームがいた。
クロノスを倒すも、この未来で何があったのかはわからないままだった。
・印象に残ったセリフ
本編中ではずっと敵でほんわかエピソードがないのでこう思ってたんだなあとしんみりした。
・印象に残ったキャラ
アスラム。
時を巡って孤独な戦いに身を投じるの、格好いいけど悲しい。
その後の時系列がキャラストーリーで描かれてるんだけど、めっちゃ鬱いシナリオでかわいそうだった。
・感想
正直よくわからんかった。
ユーディル達が負けた未来からやってきたアスラムとクロノスとが交差するんだけど、この未来の話が何かあったことしか分からずモヤモヤする。
普通にメインストーリーと時間軸も繋がってるしで、イベントストーリーだけどこれ単品でどうこう言うエピソードじゃない感じかな。
アスラムのキャラエピソードとも絡んでるしで面白いけど、複雑だ。
・5段階評価:3
・あらすじ
突如姿を消したラトニーを追って不老不死の村ティンソムの村へ向かうクーガーとハインヴァルト。
村に向かう途中でラトニーを回収し、むらに宿泊することになる。
クーガー達は彼女の目論見がラトニーの内に眠るニャルを使った何かであることを見抜き、暗躍を阻止する。
・印象に残ったセリフ
クーガー「辛くなったり、悩んだりしたら、とりあえず笑っちまえ。」
直球でベタなメッセージだけど、まだ何も悪いことは起きていないという前置きありきなのが印象強い。
・印象に残ったキャラ
ハインヴァルト。
・感想
Måneskin, who played with his upper body naked, and King Gnu, who imitated him, disgraced Summer Sonic. What they did was simply body-exposing pornography.
Måneskin must have decided that yellow monkeys like the Japanese were not culturally literate enough to listen to music.
King Gnu wanted to show that we are conscious people with our eyes on the world.
As a result, the Japanese audience was presented with only two types of pornography: vile foreign pornography and Japanese imitation pornography.
This is what you can do when you don't know what you're doing at Summer Sonny's.
もうすぐ、日本では最大級のゲームのRTA(リアルタイムアタック)イベント「RTA in Japan Summer 2022」が開催されます。今年も楽しみです。
でも今年はリアルタイムでの視聴は叶わないかも。時を同じくして、出産RTAを走る予定だからです。
現在37週、出走予定は8月21日。でも胎児の気分次第で前後します。
出産RTAは、まず走るに至るまでが大変で、多くても一生に数回しか走ることができません。走者の身体的・精神的負担、そして運要素がめちゃくちゃ大きいです。
初産はいわゆる初見RTAです。経産カテゴリに比べてタイムが出にくいようです。人によっては陣痛開始のタイマースタートから丸一日経過することも。その間病院から出されたご飯を食べつつ痛みに耐えてお産が進むのを待つとか…なんだか想像できません。。
産科の栄養士さんには、出てきた食事はしっかり食べてください、出ないと持たないです!と言われました。でも先駆者の皆さんのコメントを見ると「そんな余裕なかった」とも…
自然に陣痛が来るのを待ってタイマースタートとするカテゴリです。
ここまでの経過は特に問題なく、planned(計画出産)カテゴリではなくこちらで走ることになりそうです。
経過によっては予定帝王切開となり、RTAの出走自体を断念しなくてはいけないこともあるので、ここまでの幸運に感謝です。もちろんタイマースタートまでも、その後も最後まで何があるのかわからないのが出産RTAの怖いところですが。
欧米ではメジャーですが、日本ではまだまだ走者が少ないカテゴリです。個人的にはもっと走者が増えてほしいなと思っています。
無痛と言っても、途中までのチャートはnatural(自然分娩)カテゴリと同じです。ある程度までは痛みに耐える必要があります。
タイマースタートから急にお産が進んでしまった場合は、急遽最後までnaturalカテゴリに変更して走る可能性もあります。
実際にプレイした訳ではないけど面白いと噂で聞いた同人エロゲーの一覧を書いてみるの一覧
以上、終わり
以上、終わり
…やっぱり出来が良い同人ゲー多すぎるって!
理系大卒、男、41歳、部下無し管理職、3人家族、TOEIC4年前に850点ぐらい、今受けても変わってないかも。
上場製造業で買収企業のインテグレーションと事業企画と管理、製品はハイテク部材。事業規模は小さい。
収入の部
月給:6万/月、手取り:4万/月
年金の標準月額は65万で、最高額設定
月給:手取り:$9,500/月
手当
支出の部
家賃 $3000、激安
食費 $1200、日本食は割高
水道光熱費 $300
車のリース $190
交際費など $500
$250,000
900万円
$150,000
本気で選ぶセガサターンミニ収録タイトル予想2022夏 - 分析編2
『BEEP! メガドライブ』の後継誌『セガサターンマガジン』にも読者レースは引き継がれた。採点の出典は『サターンのゲームは世界いちぃぃぃ! サタマガ読者レース全記録』。
メガドラ時代に較べて全体的に採点がインフレ傾向にあることもあってかソフトの数がとにかく多い。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 スペシウム(光線
・03 ほたる
・04 渡邊雄太 わたなべゆうた
・05 [記憶][5択]1(番
・06 納豆の日
・07 [すべて]ニュージャージー州 ニューメキシコ州 ニューハンプシャー州 ニューヨーク州
・11 [近似値]1億3384万9290
・14 オルニチン
・16 ジュゴン
・19 [どちら]パーク
・21 肩甲 骨
・22 松山(市
・25 『未来少年コナン』
・26 [3択]7(世紀
・29e 目(うち