はてなキーワード: 2001年とは
小学3年の頃に急に引っ越すことになり、そもそも一軒家が賃貸だったことにショックを受けつつ、マンションへと引っ越す。
この辺りから転落していくんだが、
引っ越しの要因は父親が仕事を変えたらしく、家に居ることが増えた。
もともと何の仕事をしていたのか分からなかったが、引っ越してからはタクシードライバーをやっているようだった。
両親は不仲な感じで、自分は父の居るリビングに居づらく自部屋に籠もってスーファミをやった。
そこから何回か引っ越しを繰り返し、次々と住まいのグレードは落ちていった。
今思うと安家賃を求め引っ越しを繰り返す、引っ越し貧乏のような気もする。
父親はタクシードライバーを辞めバイトみたいな仕事、母はパートで働いていたが、
家は貧乏でお好み焼きに豚肉を入れることも躊躇われる程だった。
高校は行かせて貰えたがそこから進学するという選択肢は自分の中に無かった。
自分は勉強も出来ないのでランクの低い商業高校に入り、その高校内で当初は上位に居たものの、
遊び呆けて順位はみるみる落ちた。
とりあえず家を出たかったので遠方地が良かった。
知り合いの居ない東京は嫌だな、1,2時間もあれば友人に会える近場地方の製造業を選んだ。
ここが人生の転機だった。
リーマンショックも赤字転落しそうだったが何とか耐えきったようだ。
無学な高卒だが課長にまでなり年収は1000万円手前になった。
家も買い、妻子にも恵まれ、中学・高校時代の貧乏生活が嘘のようだ。
これは完全に運要素だ。自分に何かスキルがあるとは思っていない。
「All your base are belong to us.」は、2001年から2002年にかけてインターネットで流行した言葉の一つであり、インターネット上で起こった現象(ミーム)の中で最も有名なものの一つである[1]。短縮して「All Your Base」、「AYBABTU」または「AYB」とも呼ばれる。
この文は、「君達の基地は、全て我々がいただいた。」という日本語の文の稚拙な英訳からきている。原典は日本の東亜プランによって1989年に作られたコンピュータゲーム『ゼロウィング』の、1992年に発売されたヨーロッパ向けのメガドライブ版のオープニングデモである。なお、元々のアーケード版やPCエンジン版にはこの語句はない。また、北米ではアーケード版はウィリアムスより発売されていたが、家庭版はリリースされていない。
東亜プランのゲーム開発者だった弓削雅稔は、当時同社の貿易担当の営業員にかなり英語力が怪しい人物がおり、その人が考えた文かもしれないと語っている[2]。
“All your base are belong to us.”という英文は、英語を母語とする人にとっては片言であり、シリアスな画面との対比のおかしさ、企業がこんな間違った英語を校閲せずに載せたものを売ってしまうという意外性、あるいはその文章自体のインパクトによって一気に流行することになった。一部では「その言葉は間違っているよ」という意味合いを込めて使われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/All_your_base_are_belong_to_us
2003年にPC向けに発売されたカーアクションゲーム『Big Rigs: Over the Road Racing』で表示される文言。文法的には「You're the Winner」または「You're a Winner」と冠詞を付けるのが正しい。『Big Rigs』は史上最悪のクソゲーとして名高いタイトルであり、ネット上のレビューでも、最低点、もしくは皮肉を込めて最高点(嫌いな知人への贈り物に最適、など)を付けられているものが大半である。この英語も本作のクオリティーの低さが垣間見えるテキストとして頻繁にネタにされている。開発を手がけたStellar Stone社(2006年に閉鎖)はカリフォルニア所在であったが、ロシアの開発会社へ外注したためにこのような Engrish が生まれたといわれている。
これでシコれなくても俺は知らん
https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A
↑動画も見てね。収益化停止してるということで書き起こししました。
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今日はですね、「THE SECOND~漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。
いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングでオリラジ
アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組に生放送してた。生放送という
かプレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。
なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。
僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう
知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか。三四郎とか同期だしね。
うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪の劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。
あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで
オンエアしましたね。
その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。
でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかしい
よねと思って、見たわけですよね。
ギャロップさんですとか三四郎の漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。
中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。
これでさネタが面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会そのものが
どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。
本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1」自体がそもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれた大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。
そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。
というのもお笑いで言うと東京ってああいうお笑いの賞レースって。
ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東はあんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西の文化で大阪はABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。
でもその吉本の中でも大阪と東京って全然文化が違うから、その東京の人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪の芸人のものだっていうのが、大阪のテレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。
だから東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。
だから僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー
がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。
でもそれはそれで、テレビ局の全国ネットが東京にあるんだから東京の芸人は売れやすくて有利じゃないか。大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから。
必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。
そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから。
2004年にNHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから。
その「M-1」の大会の存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず
これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ
というですね。
そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。
ところが1回終わるんだよね。「M-1」自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。
そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ
よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。
これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初にデビューした時に武勇伝っていう
もの自体がそもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ
なかったんですよ。
そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。
そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。
芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。
ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。
で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。
この「M-1」至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん
だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。
もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか
いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。
売れるために「M-1」しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1」しか
ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり。
特に「M-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって
漫才だけじゃないんですよ。まず。
漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉
いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からのお笑いの流れしか知ら
ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。
実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代
ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロな演芸になりかけてたところがあったんですよね。
それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸とコントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。
みなさんの中で落語と漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。
落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸が格式が高いっていう認識って全然違って。
ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的なものなんですよ。すごく相対的なもの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。
エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。
もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才の時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コントに漫才を直してやるぐらい、お茶の間にセンターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。
だから言ったら「エンタ」芸人と「M-1」芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。
そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才が格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリアが10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。
そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。
減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。
特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員にものすごい力があって、審査員がものすごい光を当てられる。
あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか。審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。
他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組と差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所の審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。
でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。
これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事がめっちゃ多いんですよ。それは第一人者だからカリスマだからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。
たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。
松本さんはあらゆる大会を主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。
芥川賞の審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。
だから太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。
それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力が分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンルの審査委員長が松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。
たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人がキャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。
求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。
その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ、中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。
もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。
つまり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からだから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ、20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会の審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。
ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。
それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙な立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。
ブランドのアンバサダーとかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドのディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。
今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たちの書き込み、自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。
それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。
価値観への介入に値するわけですね。
「M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。
それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。
「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?
尚且つ登録確認画面でパスワードまで確認させてもらえるとは思わなかった
重大なアカウントではないといってもまさか令和の新規サービスでという気持ち
そのうえでライブラリの更新履歴が2001年止まりなのはもう不安要素以外の何物でもないでしょ
配布サイト消えちゃったよ
でもすでに165件も70件も登録されてるの怖すぎ
こないだもみんな利用規約は納得ずくで登録したのかと思いきや読んでなかっただけだったし
重大なアカウントじゃないとはいえ今時16字未満のパスワードには不安になろうな
自閉症は夫の精子が古すぎる(夫が高齢過ぎる)ことが理由であることが多い。自分のせいでこうなったと思えば、少しは身が引き締まるだろ。/p.s. ただの感想に、いちいち悪意を見出して 曲解するな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4736279734293846277/comment/blueboy
これについての解説。
上には「曲解」とある。「曲解」とは、どういうことか? それは、「 このブコメは自閉症の子供の父親を責めている」という曲解だ。
ここでは、その責め方が問題だ。次の二通りがある。
上のブコメの趣旨は、後者だ。つまり、「育児を妻任せにして父親としての責任を放棄していることを責めている」というものだ。
sametashark 女系の遺伝病の時に自分が言われたら死にたくなるかもしれないが、「自閉症児ワンオペしてる妻に隠れてカフェでなろう小説執筆してたのがバレてアカウント消すことになった夫」の心の持ちようの話だからな…
一方で、前者の意味だと解釈する人もいる。たとえば、次のブコメだ。
studymonster 増田や大元のツイ主への批判の気持ちからこういうことを書いたのだとしても、この件に全く関係ない自閉症関係者も巻き込んで殴りつけてる。
「この件に全く関係ない自閉症関係者も巻き込んで殴りつけてる」という記述はまったくないのだが、そういう趣旨だと誤解しているわけだ。
元ブコメの話はあくまで「育児分担の可否」「オタク趣味の継続の可否」であるにすぎないのだが、自閉症の原因で夫を責めていると曲解しているわけだ。そんなことはどこにも書いてないのだが。話はあくまで育児のことにすぎないのだが。
一方、高齢という記述はある。その典拠が、「自閉症では高齢の父親が多い」という統計データだ。
1973年から2001年の間にスウェーデンで生まれたすべての人(約262万人)を対象とした研究では、20~24歳の父親の子供と比較すると、45歳以上の父親の子供がADHDと診断される確率は約13倍
これはマクロ的な統計データだから、この本人に当てはまるとは限らない。この本人が高齢であるかどうかも不明だ。だから、「この人は高齢だから、子供が自閉症になったんだよ!」というような理屈は成立しない。もちろん、元ブコメにもそんなことは書いてない。
元ブコメに書いてあるのはあくまで育児の話だ。育児について「身が引き締まるだろう」ということだけだ。そういう話だけが書いてある。あとは根拠となる科学的な調査についても書いてある。
しかし、「この人は高齢だから、子供が自閉症になったんだよ!」というような話は書いてない。
かわりに、「自分が高齢だから、子供が自閉症になったんだ」と本人が思えば……という、気の持ちようの話が書いてあるだけだ。それはあくまで「本人が思えば」という、本人の心の持ち方の話だ。だから、他人がその人を責めているというのとは違う。
・ 「本人がこう思えば」という仮定の話。
・ 「 blueboy がこう思っている」という推測の話。
この両者を混同して、前者を読んだ人が、後者の話だと、曲解する。つまりは、読者が誤読する。あげく、ありもしない悪意があると勘違いする。
はてな恒例の誤読だ。高齢な はてなー にはありがちな恒例だ。今回もその好例だ。
※ 自閉症と高齢とを結びつけているのは、blueboy ではない。統計的データがあるが、統計的に結びつけているのは、研究者である。それなら、責めるべき相手は、事実を報告した人の方だろう。たとえば、下記だ。
→ https://digital.asahi.com/articles/ASP145QMSNDTULBJ00K.html
1973年から2001年の間にスウェーデンで生まれたすべての人(約262万人)を対象とした研究では、20~24歳の父親の子供と比較すると、45歳以上の父親の子供がADHDと診断される確率は約13倍でした。
同種の話は下記にもある。
→ https://www.cnn.co.jp/fringe/35044616.html
父親が高齢になってから作った子どもは、若い時に作った子どもに比べて、精神障害を持って生まれてくるリスクが大幅に高いことが、最近の研究から明らかになった。この研究結果は、米国医師会の精神医学専門誌の26日号に掲載された。
→ https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34066379/
ただし、注釈されているが、これは1件の統計調査であって、この関係が明白に証明されたわけではない。
※ 自閉症と高齢との関係を blueboy が強く主張しているわけではない。blueboy が主張しているのは、あくまで育児についての心の持ちようだ。誤読しないように。
※ 統計的データがあるが、それを個人に結びつけているのは、「本人がそう思えば」という仮定の世界の話である。しかも、その主体者は本人だ。「現実世界で blueboy がそう思っていて、父親を責めている」というのは、誤読である。(正しくは、父親を責めているのは、仮定の世界における父親自身である。)
※ 「自閉症児の親たちを不当に批判している」という文句もあるが、これも誤解だ。私が批判しているのは、自閉症児の親たち全般ではない。「育児をサボって、オタク趣味に時間を使っている」という、特定の父親だけだ。たった一人の父親だけだ。それを「自閉症児の親」全般に拡大解釈するのは、勝手な誤読である。そんな一般的な話はどこにも書いてない。
※ 最後に繰り返して指摘しておきます。「おまえが高齢者だから、おまえの子供は自閉症になったんだよ」とは、言っていません。ありもしない言葉を、あると勘違いしないでくださいね。
とはいえ、誤解を招いたのは事実だったので、誤解を招いた表現であったことには、お詫びします。文字数が 65字の短いブコメだったので、余計な誤解を招いた点はあります。
それにしても、 65字のブコメの舌足らずな点で大騒ぎをするなんて、はてなーは本当に暇だなあ。他人の舌足らずなブコメの悪口を言うことより、もっと有意義なことをする気はないの? そんなに暇なの? (きみたちだって、舌足らずなブコメをすることはあるでしょ。そのたびに、アラ探しをされて、いちいち大騒ぎにしたいの?)
【 追記 】
現在、109ブクマに達した。 元のブコメに付いた 100以上のブコメに加えて、新たに 100以上のブクマが付いている。元はと言えば、たったの 65字のブコメに、これほどにも悪口を言うなんて。……そんなことに熱中する、はてなーの執念には驚くね。
きみたち、他人のブコメのアラ探しをして、悪口を言う以外には、楽しみがないのか? 女の子とデートでもしている方が、ずっと楽しいぞ。せめて、レジャーでもやれ。もっと有意義な人生を送る方がいいぞ。部屋に引きこもって、ブコメでネチネチと悪口を書くよりは。
今のはてなは女叩きのメッカと言っていい状態で、特に最近運営が手を入れるまで半年ぐらい主に増田の女叩き記事が延々毎日複数個ホッテントリ入りしていた。
元々弱者男性論が幅を利かしているところで、そこまでは許容範囲なのだがそこで男性社会での疎外や表現規制の主題を扱えばいいのに女叩きの方に行ってしまい、雪だるま式にルサンチマンやデマで埋まってしまう。
更に最近だとコロナ初期での反PCR運動という反技術ラッダイトムーブメントの中心となり社会に甚大な悪影響を与えたのが記憶に新しい。
はてなは2010年頃からブクマリニューアルとか日経との提携とか「キャズムを超える」為の施策を色々やってたんだが、その結果キャズム超え出来ずに土着化したようなユーザーの楽園になってしまったんじゃないかと思われる。
創業当初のはてなは個性的な「変な会社」で、技術志向のユーザーと運営の距離が近かった。障害が発生したらその障害の内容を技術的に解説する、todoリストを公開する、ユーザーがwantリストに書き込める等の特徴があった。
人力検索だけだったサービスにはてなブックマークとダイアリーを加えると数年でユーザーの特徴や偏りが顕著になった。
IT技術者、経営者ワナビー、リベラル、非モテ、がメインユーザーとなった。
IT技術者が多いのははてなの運営特性に合致するターゲット層だから。
経営ワナビーは小泉改革と大人気学者だった竹中の影響だが、肝心の経済に弱いという特徴があった。日本の経済構造を一新する改革側に居れば既存の経済活動に関する知識や経験は必要ないしそれが自分を幸せにすると信じていた。金融とは証券取引の事と信じそれらとM&Aの記事に金融タグを付けて経済通のつもりになっていた。商慣行や銀行との付合いには無知だった。
リベラルが多かった理由は2chの隆盛の為だ。まだネットの書き込みに関する事件捜査は行われておらず、ブログや掲示板を炎上させれば意見が通ると信じられて全能感に浸る2chネラーが暴れており、その対極としてはてなが位置づけられていた。故にこの頃のはてなは一部のネラーに憎悪されていてはてな=在日朝鮮人などという病識がないコピペで溢れていた。「2chの専門板ははてなでは敵いませんよ」という有名な文章があった。このころの2chネラーの全能感に棹さしてキャリアスタートさせたのが佐々木俊尚。
非モテは今に繋がるが、この頃は革非同などネタに昇華させて外国メディアに記事にされたりもした。
はてなユーザはこういう布陣でいた訳だが、一方で「キャズム」が問題になっていて『キャズムを超えろ』なんてブログが人気をはくしてもいた。
キャズムとは断崖の事で、新製品の受容ユーザーをイノベータ→アーリーアダプタ→マジョリティと分類した時に分布が正規分布になり、そのベルカーブの縁の部分を超えて広がるのが困難だという事である。
当時のネットはキャズムを超えられずベルの端っこの下、ロングテール部分にしか訴求出来ていない。これは製品の販売量で規模の経済が働かない、それ故広告料も上がらないという事である。
はてなはユーザーが特殊で偏っていて更にブクマのせいで喧嘩も多いという特殊な環境で、それで一般の人に忌避され、日記を始めてみたけど止めちゃう、アメーバに乗り換えちゃうというケースも多かった。
そこでキャズムの中のキャズムを打破すべくはてなは2010年頃から色々なイメージアップ策をするようになった。
・日経と提携する:経済意識が高いユーザーが多いのに応えてだと思われる。B層的であり経済事件などに不如意な点も経済記事を毎日読めばリテラシーがアップすると期待されたと思われる。
・綺麗なオフィスを公開する:会社のイメージアップと社員の採用面で重要。
・旅ブロガー等の推し:ココロ社氏やメレ子氏、在華紡氏など、一般受けしやすい旅&食べ物ブロガーを推してインタビュー記事などを掲載。最後の在華紡氏は喧嘩や炎上があると必ず火事場にガソリン持って立ってる人で推していいのかと不安に思うが、この甲斐あって彼等ははてな出身ライター、ブロガーとして多種媒体に出るようになった。
・はてブの改変:人気コメントだけだが表示されるようにするなど。ブコメ欄での論争低減を狙ったものと思われるがかなり不評でユーザーの流出もあって元の仕様との折半になっていった。
だがこうやって一般化を目指すと一つまずい事がある。
はてなのユーザ層はオタクに寄っている。そこでキャズムを埋めると一番流入するのは当時隆盛を誇っていたまとめブログ層じゃないのか?すると一般人とのキャズムはより深くなってしまう結果となる。
このまとめ民流入が増えた時機ははっきりしていて2018年だ。18年にネトウヨ春のBAN祭り騒動というのがあり差別デマや文字スクロール動画で埋まっていた日本版Youtubeが大掃除されたのだがそれでネットでの風向きが変わった。
更にこの前後からまとめブログでの広告引き上げが続いており、要するにまとめブログがおいしい商売では無くなった。元々差別的なまとめブログが隆盛となったのは広告料の上昇によるもので商売の形として確立され情報商材屋のシマともなった。しかも情報商材屋はネット広告でカモを集めるというループである。ネット広告キャパが拡大するに従って拡大した循環参照だが、広告料の上昇で審査が厳しくなって商売にならなくなったのだ。
ヘイト動画の方は18年の前から米国で悪質動画が問題になっており、極右や極左、イスラムの過激派が過激動画で勢力を伸ばしている事が問題視されてgoogleは対策に追われていた。ISの殺人動画等は消されても支持者がアップしてしまうのでそれを上回る速度で面制圧して統制しろとの要求がユーザーだけに留まらず行政司法機関から出されていた。
その為にガイドラインが相次いで変更されノウハウが蓄積され組織化されていた。結局広告キャパの拡大がそれらのコンテンツを爆増させ、それにより広告料の上昇が阻害され、対策されて消され市場として消沈するという流れだ。
ところでイーロンマスクは買収相手の業態の上記の流れを知らなかった為に「広告料上昇阻害」のラインまで広告引き上げされた訳で素人丸出し過ぎるんだが、まとめキッズとかツイ廃キッズのままで経営出来ると思っちゃったんだろうか?不思議な人である。
こういう流れがあってまとめブログのパイが急速に縮小して代わりにはてなにまとめキッズ(中年)が増えたという流れである。
彼等はtwitter社の大量解雇ではコンテンツ制御部署や法務部署の存在理由や綺麗なオフィスをわざわざ見せる理由が判らずにバックオフィスを「キラキラ世田谷自然左翼」だとの認識に蝟集し、めいろまの「twitterはアニメやプラもが好きな人らのものなのにユーザーに背を向けている」との論難に快哉を送ってしまっていた。会社にバックオフィスがある理由やこれまでのネット事件での流れ(特に米国内)、メジャーサービスでのキャズムの超克というテーゼなどを何も知らない無垢さを現していて侘び寂びの念に包まれる。
ついでにM&Aでイーロン下でtwitter社が多額の負債を抱えることと成長企業は積極的に融資を受けて投資に回す事を混同しており、企業体質が巨額赤字だと信じていた。税制への無知である。後になって「LBOはそういうもの」等と誤魔化しているが、そもそも個人が手持ちの金で買うというスキームで考えていたので無駄である。これは給与生活以外の世界を知らないからでネットの経営者ワナビーの悪影響である。
新型コロナが流行し始めるとはてなでは「インフルより弱毒」「ゆっくり感染して社会免疫」「PCR検査数が増えると偽陽性が激増するので検査してはならない」との危険なデマが席巻する事になった。また悪質なブクマカがPCRを受けたいとの願う患者や意志を見つけ出しては悪罵して叩き潰すという行為に出た。
最早社会に対する驚異である。この時のはてなはパブリックエネミーと呼んで差支えない。
これらの主張が「科学的」の表皮を被っていた事は忘れてはならない。有名なのがベイズ推定での偽陽性の議論の援用だが、ベイズ推定はベイズ統計学の一つのタームでしかないので概念の理解が簡単な上に知的に背伸びした気分になれる。だがPCRの特性上、偽陽性が発生しないのだから適用出来るはずもない。
PCRは独立で機能出来る検査じゃなくて、DNAシーケンサーの開発と普及に拠っている。2001年頃にシーケンサーが開発され、塩基配列が容易に読めるようになった。更に開発競争により世に普及するとともにありとあらゆる生物、ウイルスの遺伝子が読まれるようになった。この時に沢山使用される試薬の需要に応じて多くの試薬ベンダや製薬会社の部門が設立され、例えば焼酎の宝酒造が設立した子会社がタカラバイオだ。
この流れでコモディティ化した技術がPCRで、生物由来の物品を扱う様々業種で利用されるようになった。もうコモディティ化して普及が始まって20年以上になる。
要するにバイオテクノロジーにキャッチアップ出来てない人間があれらのデマに乗っかっていたのである。そもそも遺伝子検査で偽陽性が出るという事に疑問を抱いて調べないものだろうか?遺伝子偽陽性とは端的に他の生物と配列が一致するって事で、人間ががんになったら光合成できるようになったとか、人間同士から時々マンモスが生まれるって事だぞ?
しかもコモディティ化した技術なら必ずマニュアルと技術説明は公開されている。ソーシャルブックマークなのにそういうのを探しに行かないのだ。
代わりに「最先端の特別な知」的なものに弱い。これは、それらは具体的に判る所まで判らなくても背伸びした知的な自意識が満足させられるのに対して、コモディティ化した技術や常識では具体的に判ったところでスタートラインのペエペエだ。自意識の面では効率が悪いのだ。
これは経済分野でも同じで、日本が発達した資本主義社会なので経済知識を身に着けるのは大変だ。学校では教えてくれずに社会に出てしか判らない秘術みたいな知識もかなりある。それを身に着けて初めてペエペエなのだ。
だが給与生活者が経営者エアプしている限りはそれらの摩擦に晒されずに済む。こうして「ネット経済通」となって中年の永遠に終わらない青春に浸り続ける事になる。
コロナ初期にはてなスターが機能停止し運営はテストだと言い、それをブクマカらは無能だと評していたが、まず考えるべきなのははてなの異常なデマバブルだろう。SIモデルとベイズ推定を全能感の為だけに消費して批判的に検証しない、技術マニュアルを見に行かないという自意識フィードバックを停止させるために止めたのではないかとまず考えるべきだろう。
元から弱者男性論が多かった地でまとめキッズの植民が始まったら女叩きに移行するのは目に見えている。自分たちの権利擁護として表現規制反対が多くなるのは当然の権利で真っ当な事だ。だがそこから批判対象がフェミに収斂し、女叩きへと容易に至る。
だからcorabo叩きの最中に男女平等パンチ賞賛の増田なども当然にホッテントリ入りする。
https://anond.hatelabo.jp/20230110202355
女に対する恨みの蓄積なんだそうだ。しかも世の男は皆女に恨みを抱いていると考えている。それは弱者男性だけであるし弱者男性の敵はそもそも「男らしい男」やその概念ではないのか?
それからcorabo叩きの最中には「西早稲田2-3-18-51」デマも複数ホッテントリ入りしている。これはプロテスタント教会が市民運動に事務所貸ししてるのだが以前は在日朝鮮人の根拠地という噴飯な差別デマであったものをアレンジしたものだ。エグザイルの伝統舞踊を踊りなんである。
非モテ+リベラル+経営者ワナビーの集団のうち、非モテは残って女へのルサンチマンで上書きされ、リベラルの非現実性とのバランスに実務者や現実主義ではなくて自称リアリストが蝟集して現実から遠ざかってしまい、経営者ワナビーの経済音痴は温存されたままになってしまったのが現在のはてなだ。
故に10年前のリニューアルはうまく行かなかったと言える。一般人を呼び込むつもりが一般人が近寄りがたいデマが横行するルサンチヘイトサービスの方に行ってしまったのだ。
「ブラック企業」は2001年に2ちゃんねるの就職活動板で生まれた言葉である。当時のスレッドで、就職してはいけない企業ランキングが盛り上がっていた。他方で、法政大学就職課内で管理されていた、離職率が高く学生には勧められない、いわゆるブラックリストが当時の関係者からリークされ、画像がアップロードされた。そのブラックリストとスレッド住民が独自で作成した企業ランキングは多くの共通点があり、そこからブラックリスト企業を略してブラック企業と呼ばれるようになり、後述の映画などで広く認知されるようになっていった。
は調査がやや甘いな。
2000年にはすでに「就職してはいけない企業」を指して「ブラックリスト」「ブラック」「ブラック企業」などが使われていた。
https://tako.5ch.net/test/read.cgi/recruit/960593428/1
https://tako.5ch.net/test/read.cgi/recruit/960593428/10
それについて詳しい情報知ってる人いませんか?
https://tako.5ch.net/test/read.cgi/recruit/961255187/117a
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観た。
セカイ系ハジケバトルだな、と思った。他の運命を辿った自分たちの皺寄せを食らってるってくだりでは、まどマギでもそんな感じの運命が収束してどうのみたいな話があったのを思い出した。
冒頭の前置きは鬱屈とした生活を見せるのに必要なんだろうけど、ちょっと冗長に感じた。
国税庁でのシークエンスはマトリックスのオフィスのそれみたいな緊張感があって良かった。敵の現れ方もなんかエージェントスミスみたいだし。
ペーパーカットは痛みがリアルに分かりすぎてついつい目を背けてしまった。
ブッ飛んだ事を色々試す辺りはおちゃらけに徹してる感があって面白かった。この辺もマトリックスの"I know kung-fu."を思い出した。意識しているんだろうか。この擦られた陳腐な例えはあんまり使いたくないけど、ボーボボのハジケバトルそのものだった。
別世界の自分を呼び出すのはジョジョのD4Cみたいでもあってちょっとかっこよかった。あり得たかもしれない運命を呼び出す、というアクションのトリガーがヘンな事をする、すなわち日常から一歩踏み出すというものになっているのはなんか良かった。
手がソーセージになった世界線のくだりでの2001年〜のシーンはちょっと笑った。ディルドは長すぎでは。
Part.2以降ではおちゃらけから少し離れてシリアス色が強くなった。暗黒ベーグルがどうのの話辺りはほぼ置いてけぼりだったが、「結局意味なんてないんだから、全部終わりにしちゃえばいい」みたいな台詞から、ニヒリズムや実存主義の話が好きなのでそういう文脈で捉えておいた。
冒頭で出たトロフィー?は何かプラグっぽいなとは思ってたけど、最悪の形で伏線回収がされた。局部のモザイクとかもあったが、結構話がシリアスになっていたので反応に困った。
落とし所としては愛による解決という事で、無碍にしていた旦那の「おふざけ」の目玉シールを貼っ付けて、くだらなさを優しさに転じさせたって感じだろうか。愛だねえって思った。
生命が誕生しなかった世界線の辺りからはほぼ理解していなかったが、娘と腹を割って話し合ってハッピーエンドになりセカイ系だあ……と思った。