はてなキーワード: 2001年とは
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観た。
セカイ系ハジケバトルだな、と思った。他の運命を辿った自分たちの皺寄せを食らってるってくだりでは、まどマギでもそんな感じの運命が収束してどうのみたいな話があったのを思い出した。
冒頭の前置きは鬱屈とした生活を見せるのに必要なんだろうけど、ちょっと冗長に感じた。
国税庁でのシークエンスはマトリックスのオフィスのそれみたいな緊張感があって良かった。敵の現れ方もなんかエージェントスミスみたいだし。
ペーパーカットは痛みがリアルに分かりすぎてついつい目を背けてしまった。
ブッ飛んだ事を色々試す辺りはおちゃらけに徹してる感があって面白かった。この辺もマトリックスの"I know kung-fu."を思い出した。意識しているんだろうか。この擦られた陳腐な例えはあんまり使いたくないけど、ボーボボのハジケバトルそのものだった。
別世界の自分を呼び出すのはジョジョのD4Cみたいでもあってちょっとかっこよかった。あり得たかもしれない運命を呼び出す、というアクションのトリガーがヘンな事をする、すなわち日常から一歩踏み出すというものになっているのはなんか良かった。
手がソーセージになった世界線のくだりでの2001年〜のシーンはちょっと笑った。ディルドは長すぎでは。
Part.2以降ではおちゃらけから少し離れてシリアス色が強くなった。暗黒ベーグルがどうのの話辺りはほぼ置いてけぼりだったが、「結局意味なんてないんだから、全部終わりにしちゃえばいい」みたいな台詞から、ニヒリズムや実存主義の話が好きなのでそういう文脈で捉えておいた。
冒頭で出たトロフィー?は何かプラグっぽいなとは思ってたけど、最悪の形で伏線回収がされた。局部のモザイクとかもあったが、結構話がシリアスになっていたので反応に困った。
落とし所としては愛による解決という事で、無碍にしていた旦那の「おふざけ」の目玉シールを貼っ付けて、くだらなさを優しさに転じさせたって感じだろうか。愛だねえって思った。
生命が誕生しなかった世界線の辺りからはほぼ理解していなかったが、娘と腹を割って話し合ってハッピーエンドになりセカイ系だあ……と思った。
https://twitter.com/kanose/status/126516042754301952
ハックルさんが日垣案件化していると@soylent_green さんがブクマでコメントしていて、最初それは言い過ぎではと思ったけど、最新記事見たら、言い過ぎじゃない気がしてきたよ…
https://twitter.com/raf00/status/126540252662870016
はあちゅうといいべにぢょといいハックルといい、今日は発狂した人たちが大量に湧いている一日だなぁ
ハックルさんの様子見てきた。あいかわらずのアノ押しの強さ、すさまじいなあ。冷静に操り糸引ける参謀なりソロバン弾ける番頭なりとタッグを組めば(組めれば)、広告代理業でも押売営業でも新興宗教開祖でもナンでもやれるだろうなあ。「もしドラ」もそうだし。すごいなあ。そのタッグ相手を、とある会社の経営者K氏へ一方的に因縁つけて白羽の矢刺しまくってる節操の無さも含めて、押しの強さハンパなくてすごい。「もしドラ」チームから放たれて野に返されたとか組む相手いなくなったとかなにかか。いやまあ、まじめに、ああいう、議論とか感性とか倫理とかぜんぶすっ飛ばして、コチラの主張をアチラへ丸飲みさせようとする力押しと心意気、人格としてじゃなくてヤクザな手法として学ぶところあると思いました。
広告代理業でも押売営業でも新興宗教開祖でもナンでもやれる、って書いたけど、そういう押しの強さで商売するのって手品のタネを明かさないことが大事で、インターネット普及しちゃってからは(書評が流布したりして)手品のタネすぐバラされるから、一発屋になりがちだしすぐ野に返されるなのでハックルさんもう文筆ではダマクラかせないんだから、文筆にこだわってるうちは組んでくれる相手あらわれないし、方針転換して筆は折って違う戦場でまた押しまくれば稼げるかもしれないな。あの押しの強さはひとつの才能だもの。ただ本人がベストセラー作家だけどとかやってるうちはアレだわ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%9E%A3%E9%9A%86
マーケティング手法には「電子書籍を日本一売った」「世界初&日本初の有料メルマガ」「5年で所得3倍」「数ヶ月でTOEIC900点超え」など煽るような広告宣伝が多かった。
2006年11月に刊行された「すぐに稼げる文章術」(幻冬舎新書)で盗作騒動が起きた。新潟大学教授(のちに慶応義塾大学教授)の山内志朗による「ぎりぎり合格への論文マニュアル」(平凡社新書、2001年刊)の一節と酷似した内容が掲載されていることが刊行の翌年にインターネット上で指摘され、平凡社が幻冬舎に抗議する事態に発展。問題とされた部分は増刷の際に書き改められた。
盗作騒動の影響か、2007年いっぱいで当時抱えていた連載[5](「新書一点賭け」(文藝春秋)、「MEDIA WATCH 売文生活日記 どっからでもかかって来い!」(WiLL)、「通といえば販!」(週刊現代)、「敢闘言」(エコノミスト)、「日垣隆のどこへ行くのかニッポン!」(日刊ゲンダイ))がすべて終了となった。以降、いわゆるマスメディアへはほとんど登場せず、ツイッターやフェイスブックなどのSNSによる情報発信、有料メルマガ、電子書籍による自費出版を盛んに行っている。
いまマツコ会議見てるんだけど、リモートゲストのやす子との話の中で
マツコもやす子も「18~20歳の時点で社会と折り合いがつかず、この先どんな仕事をしてどうやって生きていけばいいのかわからなかった」と言っていて
…否、そのくらいの年齢ならそれが普通だろ。問題なのは50になっても折り合いもつかず出来る仕事をやるしかないって人間が無数に居るってことなんだがな…と思った
(いやいや、「出来る仕事をやるしかない」どころか「仕事が出来ない」「出来る仕事が無い」「働けない」ってのが問題)
やす子の様に24歳で「今年の目標年収2500万円」などと掲げられる人間は確実に上位一桁%だから、50代で社会と折り合いつかない人間と比べるべきもないが
20代のウチに天職を見つけてそれなりの額を稼げる人間は、昔の言葉で「勝ち組」と言う
勝ち組のマネをしてなんとか30代のウチに「やってける仕事」に就いて「年齢と同じくらいの月収を得」て「家族を持ち」「家を建てる」ことが出来れば「準勝ち組」だろう
50代…はどうにもならない。そこまで敗残し続けたらあとはそのまま人生終わる。更に親の介護も入ってきたりしたらもう…すぐさま人生終わる
そっから一発逆転リカバリ組ってのは、24歳で年収2500万円を目標に掲げられる(その目標が視野に入っている)上位一桁%と同じポテンシャルを持っている人だ
何らかの理由で「成功」が50代になってしまったというだけのハナシ
そういったことを考えると、みんな「30代までには人生を確立しないとダメ」なのだ
分かってるんだけど、出来ないって人が多い。これはもう生まれ持った能力(努力出来るか否かという能力も含め)でしかない
何の才能も無い場合は「出来ること」を石に齧りついてでもやり続けるしかない(努力ではなく忍耐)
「出来ること」が「とても嫌いなこと」の場合がすげえ辛いんだけどな
「そんな辛い思いしないで別の道探しなよ」って世間は簡単に言うけど、他のことが出来ない場合が多いからなあ
で、もし他の道を探すとしても、探せるタイムリミットが直ぐそこって場合が殆どなんよね
20代でダメだとして10年以内に見つけられないときっついよ。ほんで、10年なんてあっという間だわ
10代前半とかなら「10年なんて永遠」くらいに感じるかもしれないけど、20代からの10年なんてほんと光の速さよ
そのくらいの人達って社会がシビアなせいか、考え方もシビアで堅実なイメージあるから
自分が子供だった2001年ごろ、父は工場で仕事をし、母は看護師の仕事をしていました。
当時は科学者を名乗る人々が
「今後コンピューターにより10年から20年程度で多くの仕事に変化が訪れ、肉体労働も圧倒的に減る」
と主張しました。
自分の父と母は人材不足によって、当時よりさらにハードに仕事をしており、
日本人やアメリカ人、中国人の多くが、自動車メーカーなどの工場に勤務して1日12時間の肉体労働をしています。自分もその仲間です。
残った時間でTikTokを見て、寝て、明日の仕事に行く。その繰り返しです。
ビル・ゲイツは言いました。「人工知能の進化により、インターネット誕生のような革命が起きる。人々の仕事はすべて大きく変わる」と。
2045年の世界はその通りで、人類が圧倒的進化を遂げることになります。
日本人、アメリカ人、中国人は、1日20時間働いても問題のない強靭な肉体となっており、
残った4時間だけで、TikTokの視聴と睡眠をこなすことができるようになります。
松屋のカレーが290円(フレッシュトマトカレー)→690円(普通のカレー)になったし
他のチェーンもこの20年で軒並み倍くらい値段上がってるけど、
2000年近辺が頭おかしかっただけで、そこと比べたら何もかもおかしくなるから。
マクドナルドの休日倍額で平日は65円でハンバーガー、80円でチーズバーガー食えたのも
2000年近辺。
ちなみに1990年のハンバーガーの値段は210円。チーズバーガーは240円。
吉野家も1990年が牛丼並盛400円だったのを2001年には280円に大幅値引きしてる。
各社顧客の囲い込みのために値下げ競争に突入してたのが2000年近辺なんだよ。
そのせいで後でめちゃくちゃになるんやけどな、ブヘヘ。
だからこの20年で比べるとチェーン店の価格はめっちゃ上がってるんだけど
30年で比べると上り幅はぐっと小さくなってる。
まぁ30年前の1990年はバブっとったんやけどな。
キャッシュレス化が進み、電車の利用だけでなく、買い物でも使えるようになった便利な交通系ICカード。携帯にインストールすることができるようにもなり、ますます手ぶらで買い物が楽しめるようになりました。
交通系ICカードの中で、最も有名なものは「Suica」かと思いますが、みなさんは「Suica」の名前の由来を知っていますか?
答えは「Super Urban Intelligent Card」
Suicaは2001年に「スイスイ行けるICカード」として、JR東日本がサービスを開始。自動改札機にタッチするだけで改札を通れたり、チャージ機能がつき定期範囲外でも自動精算ができたりするようになりました。
その後、地方でも交通系ICカードも生まれましたが、使えるエリアの制限が問題でした。2013年には、交通系ICカード全国相互利用サービスがスタートして、今のような交通系ICカードひとつで全国に行くことができるようになったんです。
90年代か2001年ごろまではギリギリ成立していたものの、今では難しくなってきたテーマが少なくない。
先生本人の祖父母は戦争体験しただろうけど、今の小学生の祖父母なんてもう青春時代がバブル絶頂期だったりして、戦争エピソードを捻り出すにもかなり無理しなくちゃいけない。
そういうわけで先生も妥協するしかなく、しょうがないから津波でも震災でも地下鉄サリン事件でも良いから、何か平和に関係ありそうな体験をしゃべってもらってきて、となる。
というか平和学習以前に、晩婚化が進み、パパが既に定年迎えたりするもんだから、祖父母自体が滅びていて体験の聞き取りができない子もいる。
それどころか先生のなり手が不足して授業自体が成り立たない学校もある。
さらに少子化しすぎて小学生がいなくなって学校自体が成り立たないエリアもある。
平和とは何か。
家に帰ったら父ちゃんがいて、母ちゃんがいて、じいちゃんもばあちゃんもいて、みんなでご飯を頬張りながら平和について語り合う時間。
弁護士に記者会見を任せてよいか?Colabo問題に見る危機対応の教訓
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishikawakeiko/20230127-00334201
この系統のライターって結局ダメな会見にダメ出しして私を雇えって宣伝にしかならないのよね。
だから信じられない。
書くんだったら1/27ではなく11/29に書かないと後出しじゃんけんでしかない。
1時間半に及ぶ記者会見では、代表の仁藤氏の挨拶は開始してからなんと48分後。一体いつになったら仁藤氏の言葉が聞けるのかすっかり待ちくたびれました。司会者役の稲葉副代表が会見主旨、Colabo活動説明の後、神原弁護士(主な発言内容:提訴内容と記者会見の目的)、太田弁護士(誹謗中傷に関する資料の説明)、角田弁護士(絶対に勝つという決意表明)、斎藤理事(女性に対する暴力を許さない)、細金理事(女性達全員に対する攻撃を跳ね返したい)、中川弁護士(安易なリツイートへの注意喚起)、堀弁護士(大企業ではないから攻撃を受けても問題をすぐに解決できないことを理解してほしい)、永田弁護士(フェイク問題、女性、弱者を排除する社会の流れが問題)、さらに司会をしている稲葉副代表が女性達の声紹介。そしてようやく代表者仁藤氏にマイク。しかし話をしたのはたったの3分。これほど代表者が軽視される記者会見を見たことがありません。
主役の存在感が薄いこんなめちゃくちゃな記者会見ないなあ、と愕然としてしまいました。弁護士のあからさまな売名行為としか見えません。記者会見は世論に訴えかける場
そういう問題ではない。なんといってもリーガルハラスメントですわ。結局エリート以外には人権がないって意味なので。たぬかななみの暴言です。
一般人男性には住民監査請求なんて権利はない、そう言い放ったわけです。
これほど国民を、納税者を、日本人をバカにしきった発言はない。
これらの弁護士は首にすべきでしょう。人権を理解していないのですから。
東京都生まれ。東京女子大学卒。国会職員として勤務後、劇場映画やテレビ番組の制作を経て広報PR会社へ。二人目の出産を機に2001年独立し、危機管理に強い広報プロフェッショナルとして活動開始。リーダー対象にリスクマネジメントの観点から戦略的かつ実践的なメディアトレーニングプログラムを提供。リスクマネジメントをテーマにした研究にも取り組み定期的に学会発表も行っている。2015年、外見リスクマネジメントを提唱。有限会社シン取締役社長。日本リスクマネジャー&コンサルタント協会副理事長
リスクマネジメントってなんですかね。こういう記事では赤っ恥もいいところではないでしょうか。
イチローさんの記録ね
1 通算3089安打、生涯打率3割1分1厘
イチローのメジャー通算3089安打は歴代22位の記録であり、生涯打率3割1分1厘は歴代13位、そして3000本安打を達成した32人では最高の打率だった。イチローは3000本安打を10333打席、2452試合で達成したが、これはそれぞれ13番目と14番目の早さだった。
2 日米通算安打4367本
メジャーへ来る前の日本パ・リーグでの9年間に記録した1278安打を含めると、イチローの通算安打記録は4367本となり、これはピート・ローズよりも111本多い。
3 歴史的なデビューイヤー
イチローはメジャー1年目の2001年に歴史的快挙でリーグを席巻。MLB史上初の日本人野手となったことに加え、イチローは同年、安打(242)と盗塁(56)でその年のメジャー最多を記録し、メジャー記録の116勝を達成したシアトルで主に1番打者として貢献した。
4 史上最高のルーキー
イチローは2001年にア・リーグ最多安打、新人王、そし年間MVPを獲得。MLB史上、現在に至るまで最初のシーズンでこの3タイトルを獲得したのはイチロー唯一人である(新人王と年間MVPの2タイトルを初年度で獲得したのでさえ、イチロー以外には1975年にレッドソックスで達成したフレッド・リンのみである)。
5 年間最多安打記録
両リーグの年間試合数が公式に162試合となった1962年以降、イチローは年間最多安打数のトップ2を独占しており(2004年の262本と2002年の242本)、トップ6に3回、トップ18に5回ランクインしている。イチローは2004年にジョージ・シスラーの持っていた年間最多安打記録(257本)を更新したが、シスラーが1920年に記録を達成した際の試合数は154試合だった。
6 通算7回の20試合以上連続安打
イチローは20試合以上連続安打をキャリア通算7回記録しているが、1900年以降、イチロー以外でこれを達成したのはピート・ローズ、シスラー、そしてタイ・カッブ(8回)のみである。
7 生涯打率が3割を切ったのは1度だけ
イチローはそのキャリアにおいて、一度のみ、試合後の生涯打率が3割を切ったことがあった。それはルーキーイヤーの2試合目に4打数無安打とし、通算9打数2安打の2割2分2厘としたときであり、続く3試合目を4打数2安打とすると、その後は生涯打率が3割を切ることはなかった。
8 デビューから10年連続200本安打
イチローは最初10シーズンで10年連続200本安打を達成し、その間の年間平均安打数を224本とした。200本安打を達成した年数で、イチローはローズと並んでいるが、ローズは10年連続ではこれを達成していない。
9 三塁打で3000本安打達成
イチローは2016年8月7日にクアーズフィールドで通算3000本安打を達成。この際、イチローは三塁打でこの大台に乗せた選手として、ポール・モリターに次ぐ史上2人目の選手となった。
10 27歳のデビューで3000本安打達成
イチローは日本での長く成功を収めたキャリアにより、メジャーデビューは27歳のときだった。3000本安打達成者で、ここまで遅い段階でメジャーでのキャリアをスタートさせた選手は他にいない。これまでは、1982年に24歳でキャリアをスタートさせたウェイド・ボッグスがこの記録を持っていた。
11 27歳以降の安打数は2位
27歳以上で記録した安打数として、イチローの3089本はローズの3357本に次ぐメジャー史上2位の記録である。1947年以降で見ると、イチローに次ぐ記録はスタン・ミュージアルの2635本となっている。
12 史上2番目の高齢で3000本達成
イチローは42歳9ヶ月16日で通算3000本安打を達成。これは19世紀の選手であるカップ・アンソンに次ぐ史上2番目の高齢記録である。
13 ホーム、ビジター問わず安定した成績
イチローは驚異的に安定していた。中立地の東京での2試合を迎えるにあたり、彼のホーム通算打率は3割1分2厘、ビジター通算打率は3割1分、そして各月の平均打率を最低でも2割9分5厘としていた。
14 左打者の対左腕で最高打率
実のところ、イチローは右投げ投手(打率3割4厘)よりも左投げ投手(打率3割2分9厘)を得意としていた。データのある1974年以降、イチローは左打者として対左腕の最高打率を記録。また、74年以降、対左腕で1500打席以上ある選手で、イチローを上回る右打者はカービー・パケット、マニー・ラミレス、デレク・ジーター、そしてモイゼス・アルーの4人のみ。
15 メジャー全チームから安打を記録
イチローはメジャーリーグ全チームから安打を記録し、アスレチックスに対して最も多くの安打を記録した(320本)。またホーム以外の球場では、オークランドで最も多くの安打を記録した(168本)。
16 1番打者での史上最高打率
イチローは彼の世代では間違いなく最高の1番打者であり、1番打者として2529安打を記録している。これは、トップバッターとしてリッキー・ヘンダーソン(3020安打)とローズ(2924安打)に次ぐ記録であるが、イチローの1番打者としての打率3割2分3厘は、ローズの3割8厘とヘンダーソンの2割8分を遥かに上回っている。
17 史上唯一、オールスターでのランニングHR
イチローはオールスターに通算10回出場しており、サンフランシスコで行われた2007年の試合では、史上初にして現在も唯一となるオールスターでのランニングホームランを記録した。彼はその年のオールスターでMVPを受賞している。
18 500盗塁&3000本安打を達成
イチローは塁上でも大きな脅威となってきた選手であり、キャリア通算509盗塁を記録している。彼は500盗塁と3000本安打の両方を達成した7人のうちの1人であり、ヘンダーソン以降でこれを達成したのは彼が初めてだった。イチローは42歳まで毎年2桁盗塁を記録しており、1920年以降、イチロー以外で40歳を超えて年間2桁盗塁を3回以上記録したのはヘンダーソンのみである。
19 盗塁成功率81.3%
1950年以降、通算500盗塁を達成した20人中、イチローの成功率81.3%はヘンダーソンを凌ぐ4位の記録であり、成功率で彼を上回ったのはティム・レインズ、ウィリー・ウィルソン、そしてデイビー・ロープスの3人のみである。
20 10年連続ゴールデングラブ賞
イチローはメジャー最初の10年連続でゴールデングラブ賞を受賞。イチロー以外で10年連続ゴールデングラブ賞に輝いたのは殿堂入りしたレッズの捕手ジョニー・ベンチのみである。彼によるゴールデングラブ賞10回は、外野手として(ケン・グリフィーJr.、アンドリュー・ジョーンズ、アル・ケーラインと並ぶ)歴代3位タイの記録であり、外野手歴代最多はロベルト・クレメンテとウィリー・メイズの12回となっている。
2000年(平成12年)12月12日 - 男女共同参画基本計画を閣議決定。
2001年(平成13年)1月6日 - 内閣府の設置に伴い、男女共同参画室を男女共同参画局に改組。男女共同参画担当大臣が任命された。
2001年(平成13年)1月13日 - 男女共同参画会議(第1回)を開催。
2005年(平成17年)12月27日 - 男女共同参画基本計画(第2次)を閣議決定。
2006年(平成18年)1月31日 - 地方公共団体等に向けて「ジェンダー・フリー」用語の不使用通知を配布。
2010年(平成22年)12月17日 - 第3次男女共同参画基本計画を閣議決定。
2014年(平成26年)10月3日 – 内閣にすべての女性が輝く社会づくり本部を設置。
2015年(平成27年)6月26日 –すべての女性が輝く社会づくり本部において女性活躍加速のための重点方針2015を決定(以後、毎年決定)。
2015年(平成27年)12月25日 - 第4次男女共同参画基本計画を閣議決定。
2020年(令和2年)12月25日 - 第5次男女共同参画基本計画を閣議決定。
2021年(令和3年)6月16日 - すべての女性が輝く社会づくり本部・男女共同参画推進本部の合同会議において女性活躍・男女共同参画の重点方針2021を決定。
同じ雑誌に瓦屋A太先生のテニス部の漫画が載っていた。こちらはテニス部のマドンナがコートのネットでオナっているのを主人公が目撃してコートで青姦する話だ。
そのエピソードなら2001年10月にワニマガジン社から刊行された単行本「Complete Complex」の「かべの前」だな
このエピソードの掲載誌は記載されていないが、瓦屋A太氏がそれより前にワニマガジン社で作品を掲載していたのは「COMIC快楽天 星組」の1999年09月号、11月号、2000年01月号、04月号、07月号、09月号の6冊のみ