はてなキーワード: 客車とは
誕生日忘れてた。。。
言い訳させてもらうと数日前から妻と息子が実家に帰省しており妻は帰省すると音信不通になるのがデフォなのでこちらから連絡もしなかった。
花の独身生活を謳歌し毎晩飲み歩き、気づいたら誕生日を数日過ぎていた。
スマン、こういう父だ。
慌てて前から欲しがっていたNゲージ、EF551通称カバ電車を買いに行った。
ネットでも良いのだが久しぶりに電気街を散策したく、日本橋へ。
それにしてもなんで大阪に住んでいるのに関東でしか走ったことがなく40年前に引退してる電気機関車なんぞ欲しがるのか。オタの思考はさっぱりわからん。
模型屋で適当な中古車両を購入。客車もテキトーなそれっぽいものをセットで。
店員に元から添付されていた単体ケースはどうするかと聞かれ、捨てといてくれと返答。
うん、こーゆーの好きな人たちはケースも大事に取っておくのは知っているが、6歳のガキにそんなもんわかるまい、邪魔になるだけだ、買い取り用紙に字を書くのすら面倒だからテキトーに処分しといてくれと返事。
息子が公文に行きたいと言い出した。親友が通っており負けず嫌いがくすぐられたのか。
数ヶ月前からねだられていたが、公文の教育効果に疑問、早期教育、先取り教育に懐疑的な俺は誤魔化し先延ばしてた。
勉強するところで楽しいところではない、宿題もある、辛いぞ、どうせキミすぐに飽きるじゃん。目に見えてるんだよ。苦役は先送りすりゃいいのだ、小学校に入れば嫌でもやらされる。数ヶ月先をやってなんの得があるのだ。公立小学校ならタダだ。毎月14000円払う価値は無い。
今はとりあえず公園で闇雲に走っていなさい。と説得していたのだが。
妻の実家から戻ったら手続きすると口を滑らしてしまい。忘れるだろうと思っていたら
どうせ数ヶ月で飽きて辞めるのに、はぁ
だいたいポケモンGOも一年弱で飽きたじゃん、もうぜんぜんやってないじゃん、
超絶飽き性のパパですらまだちゃんと続けてるぞ
ともかく、公文の教育効果を調べようとネットで諸々検索していたら、ブラウザの広告が公文だらけになった、うぜぇぇぇぇ
んで、Webにある記事は公文で医者になりましたみたいな話だらけ、成功者バイアスじゃん
公文、非公文で諸条件合わせてよーいどんの20年コホート追跡くらいやれよ
まぁいい、
23個のリンゴの絵の数も数えられない、はぁぁぁぁぁ
つか鉛筆持つのやっぱ左手なのね、うすうす左利きのようだったが、箸やスプーンは右を使ったり左をつかったりで、自宅で字や絵を描くことが無いのであまり気にしなかったが
息子の名誉のために書いておくが、23個のリンゴは数えられないが算数が苦手なわけではなく、足し算引き算掛け算はできるのだ。
3桁+2桁の足し算は暗算でほぼ間違えない、繰り上がりはちょっと苦手
2桁‐1桁の引き算もOK
最近は割り算を教えてくれといわれたので教えたらすぐに概念は理解できたようで時間はかかるが6割る2みたいな計算なら暗算でできる。
「3は自分以外で割れないので素数、次は5、6は3で割れるので素数じゃない、7は素数、8は4で割れる。9は3で割れる、11は?「素数!」12は?「違う」13は?「素数」」と答える。
まぁアホでは無いだろうと心配はしていない。
現在51歳の俺は嘗て子供の頃鉄道が大好きで、放課後は屡々線路の脇に屯して只管に通り過ぎる列車を眺めていた事がある。
その頃通り過ぎる機関車といえば茶色い重鎮のEF15、主力は青いEF62、EF64、赤いEF81等であった。電車なら各駅停車は115系、そして急行電車は165系、特急電車はボンネット型の181系だ。どれも本当に美しかった。
その点、蒸気機関車が走っているのはテレビや映画の中で見るだけだった。
何年か前に、某駅で実際に蒸気機関車のD51が客車を牽引しながら走るのをリアルで目撃した。
なんというか不気味な黒い怪物であって、その様は巨大なゴキブリのようであった。
そもそも石炭火力は地球温暖化を促進する原因の最たるものではないか。SLにノスタルジーを覚えるのは子供の頃にSLが走っていた後期高齢者だけだ。
これ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/trafficnews.jp/post/127759
関西人が亀有行くのが難しいという嘆きに対して「老害じゃね?」「スマホで乗換案内見ろ」と好き放題な罵倒がされているが、はっきり言って亀有を含む、JR常磐線の綾瀬~金町に行くのは東京もんでも難しんだよ!
増田は東京の西側ばかりで活動していて、ある日仕事で亀有の隣の綾瀬に行くことになった。だが路線図を見て行き方が判らなくなってしまった。
何故なら乗換駅のJR北千住駅には綾瀬~金町に行く各駅停車のホームが無いのである。
実は常磐線は列車線と緩行電車線の複々線になっており、各駅停車が走る緩行線は綾瀬で地下鉄千代田線に直結している。
当然北千住のホームの場所が問題となる。普通はこういう時は北千住駅手前で地下鉄が地上に出て常磐線に並んだホームで乗り換えできるようにするじゃない?
ところが北千住ではそうならないで地下にホームがあり、その地下の北千住駅を管理しているのは地下鉄なのだ。途中駅なのだから当然だ。
だから「JR常磐線各駅停車の北千住駅は無い」というとても奇妙な事になっている。
乗換駅がJRと地下鉄の接続駅じゃなくてその次の快速以上が止まらない綾瀬が両社線の接続駅なんて無茶すぎる。
渋谷とか新宿以西でばかり活動していた増田はこんな無茶な構造になっている事は知らなかった。
この構造は千代田線乗り入れ開始で出来たのだが、綾瀬、亀有、金町の人らは激怒したらしい。
それまで例えば亀有から上野は一本で行けた。だが乗り入れ後は北千住で乗り換えで、更に地下の地下鉄ホームから高架の常磐線ホームに階段で上がる必要があり、やたらと時間と体力を食う。更に当時は地下鉄路線がまだ少なくて都電が現役だった頃だ。地下鉄で都心に直通出来るメリットも少なかった。
常磐線には
・特別快速
・普通
・快速
・各駅停車
という列車種別がある。普通は各停→普通→快速→特快の順で速くなると思うわな。
しかも各停は地下鉄に直通するから行先が違うという複雑怪奇さである。
快速っていうのは各停の駅を飛ばすから快速らしいのだが、走る線路が違ってこっちは地下鉄に入らない。
昔は「普通」は機関車の曳く客車やボックス席車で、「快速」は通勤電車だったので何となく判り易かったみたいだがJRが全部通勤電車にしてしまったので訳が判らなくなった。これも関西人じゃなくても混乱するポイントだ。
因みに普通は列車由来なのでトイレがあるが快速はトイレがない。ならば便通の方が適当ではないのか?
記事では、列車種別ごとに別路線のように描くのは、昭和中期の国鉄5方面作戦がどうこうと鉄オタ好みの説を書いているが、そうじゃなくて戦前の昭和初期の電車網築造に遡るのだ。
まず、京浜東北線。東海道線が東京、東北線が上野で分断されるのに対してこれらを直通して、更に東北線の方は尾久に車庫を作って列車線の方は車庫の向こうを回る形にした。すると途中の駅が違ってくる。そしたら別路線として案内した方がいい。
山手線。これは大正の終わりから環状運転を始めた。田端~東京~品川は東海道線と東北線だが跨って走る上に渋谷の方に曲がっていくからこれも別路線扱いで案内した方がいい。
中央線と総武線。複々線にしたのだがこれのキモは秋葉原駅で、中央線のお茶の水から分岐して秋葉原で立体交差、総武線の始発だった両国に繋ぐ路線を建設。
地上2階くらいを走る京浜東北線の上を跨ぐために街の上に高架を作るというのは当時は先進的であった。しかも秋葉原駅の東側(今のTX入口やロータリー、アキバヨドバシ)には貨物の荷捌き場と舟運用の堀があり、それを跨いで地上6階くらいの総武線ホームに直通するためのエスカレータもあった。
当時エスカレータは銀座の高級デパートくらいしか設置されていなかったのに駅に設置されるというのは相当に革新的に写ったと思われる。
また、御茶ノ水駅の前後と代々木駅、新宿駅には乗越線を築造した。
お茶の水の前後で一本づつ乗越しして、これによりお茶ノ水で東京駅方面と両国方面の乗客が同じホームの反対側で乗り換えが出来るようになった。
新宿も山手線と総武線(中央線の各停)が同ホームで乗り換えが出来るようにした。
今もあるあの便利な乗り換えが出来たのは戦前なのだ。工事量が2倍に増えるが当時の当局は利便性を優先した。「立体交差のダイナミックさ」に取りつかれていた感じがしなくもない。
こういう感じで、
に大正末~昭和初期に複々線の同じ線路を走る電車を別路線として案内するのが一般化した。そして駅名表にもその電車が止まる駅だけ表示するようになったので、実はかなり古い方式なのだな。
因みにだが、その別路線扱いの電車をそれぞれ違う色に塗るというのは昭和30年代後半に始まった。
更に路線が増えてきた営団地下鉄がその方式を拡張して、電車だけじゃなくて駅もテーマカラーで統一して、乗換案内を色で示すようになると、これは大変判り易い上にサインシステムとしても優れていると絶賛され、各国の地下鉄も同じ方式をやり始めた。
今はどこの国の地下鉄も路線ごとのテーマカラーで統一されていてありふれたサインシステムだが、そのオリジナルは東京の交通営団で、更にそのオリジンは国鉄で、その国鉄は昭和初期の別路線扱いの案内法をもっと判り易くする為に路線別カラーを始めた訳なのだな。
だから「亀有に行くのが判り難い」というクレームは叩き潰すんじゃなくて、先祖が始めた判り易い路線別システム、サインシステムの流れに反する退化だなと考えないとダメなんじゃないかと思うところだ。
・林の間に列車が見えた
公民館の広場で遊んでいたとき、標高300メートルの裏山の尾根付近の林の間に列車が行くのが見えた。
林業用のレールとかではなく、大き目な客車か舗装道路を行く揺れてない自動車が連なったみたいなもの。登山道はない。
・木が話してるのを見た
当時、NHK教育の着ぐるみが出てくる子ども向けの夕方の番組で木が話すキャラ(ゼルダの伝説のデクの樹様みたいな)がいて、こういうのがいたら怖いな、と思っていた。
姉と姉の友達と神社で遊んでて、自分一人だけ歩くのが遅れて階段から降りてると脇に生えてる木があって、これが話したら怖い怖いと思ってたら、2本の木が急に悪口を話しはじめた。
内容は覚えてなくてただ悪口の口調だとわかって、穴みたいな目と口があった。
先に行った姉に「なんて言ったの?(←木の声を私の声だと思って?)」と言われたから幻聴ではない感じがしてあれは何だったのか、と今も思う。
今ウチで所有してる檜と杉ばっかりな山が10か所以上あるのだけど、昭和初期以前は口約束で境界線を引いたり自分たちが勝手に作った紙切れで売り買いして、境界線があいまいで複雑になってる、そういう全国によくある山。
それで地籍調査を全国でやるってなって、10数年前もウチの山を地籍調査しますってなったわけ。地籍調査は隣接する境界線を相手と確認して自分で杭打ちとかする必要ある。
相手方はどこも高齢で後で確認するから勝手に杭打ちしといてくれと言うから親父は週末に一人で杭打ちに行くんだけど、ある日青ざめて帰ってきた。
夕方遅く、懐中電灯みたいな明かりが見えたから誰かいると思って近づいても離れていくし、離れても追ってくるし、手で持った懐中電灯の揺らぎもないし、足音もなく声かけても返事もない、道路に出るまで一定の距離で追ってきたから逃げてきたって。
リアルタイムでうちの2才児が電車大好きっ子なんだ。車には目もくれずひたすら電車。ASD的な何かかなって思ってたんだけど、幼児なりのなんかちょっと違う愛し方をしてる気がする。まず多分大きさと迫力。それから踏切がなるとやってきて、駅ですれ違いして、小さく去っていき、またいずれ来る、みたいな段取りがあるところ。新幹線とか特急は好きじゃないって本人が言ってて、在来線のスローで理解できるスピード感がいいらしい。あと仕事してるところ。これはトーマスが「役に立つ機関車」を標榜してることに由来してると思う。客車や貨車や保線車なんかがそれぞれ違う仕事を受け持って、一つの世界(線路内)を行き来しているところ。あとたぶんビジュアルのフォーマットが車より近しくて分かりやすいんだと思う。長方形の箱に線が引いてあって下はタイヤ、みたいな。さらに電車は種類多く乗れる。在来線、モノレール、ロープウェイ、新幹線、地下鉄。図鑑でみたアレを制覇してる感じになれる。車はなかなかそうはいかないから。こんな感じかなあ、幼児が好きそうな理由。小学生くらいになるとまた理由が変わるのかな。
昔、学校、病院、駅、劇場などあらゆる公共の場には痰壷と言うものが設置されていたらしい。
字を見るだけでも気持ち悪いのだけど、街中で痰を吐いて捨てるためのものという。
自分は子供の頃の1990年代には駅にそんなものがあったようや微かな記憶があるけどそれが何なのか認識していなかったし使ったことはない。
なんでそんなものが存在したかと言うと、ここのページに書いてあったのだけど、
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-1601.html
昔の人は土埃とかがあったのであたり構わず唾を吐く人がいて、肺結核を予防するためにそれではいかんということで、ここに吐きなさいという入れ物を作ったよう。
それで洗面所や通路、鉄道の客車の床には痰壷が埋め込んであったらしいんだけど、人前で堂々とぺっとやるのとかちょっと想像がつかない。
狙って吐いても外して周囲に被害を及ぼしてそうだし、みんながやってたら結構な頻度でそれを掃除する仕事もあったはずでかなりキツいものがある。
明治時代に法律で設置が義務付けられて驚くことに2005年までは法律に規定があったそう。
ということなんだけど、自分は経験がないし話にも聞いたことがないので、みんなそれを使ってたのかとか、どんな感じだったのか知っていたら教えて欲しいです。
こんな夢を見た。
フランスで行われるという鉄道のイベントを見に長距離列車に乗ると、ずいぶんと古めかしい仕立ての列車で、客車を機関車で引く客車列車らしかった。
一緒に乗り込んだはずの友人とは席を探しているうちにはぐれてしまったようで、どうも隣の車両にいるらしい。
私の席の前後には若い兵士たちが銃を担いで乗っていて、彼らは陽気に「どこから来た」「どんな仕事をしている」と話しかけてくる。私もたどたどしく「日本から来た」「これこれこういう仕事をしている」と答えた。簡単な英語なら通じるらしいが、それよりも彼らが私の席の方に銃を立てかけてくるのが気になって仕方がなかった。
そうこうしているうちに、田舎の駅についた。回りには何もないが駅はそこそこ大きく、どうやらここで乗り換えるようだ。
プラットホームに下りてぼんやり列車を待っていると、やはりこの駅止まりの列車が入ってきた。この列車にもイベントに向かう人が大勢乗っていたとみえて、下りてきた乗客たちでプラットホームはたちまち混雑した。
その客のなかに古い友人が2人いるのを見つけ、しばらくしてやってきた列車には彼らと一緒に乗り込んだ。同じ列車に乗っていた友人の姿はいつの間にか見えなくなってしまった。
乗り換えた列車はイベント向けのもののようで、蒸気機関車が引っ張っているのか、ともかく特別な列車のようだった。
列車の中でぼんやりしていると、フランスの田舎を走っていたはずが、いつの間にか日本の田舎を走っている。
外には菜の花が咲いてうららかな日が差していたし、なにより列車が長い客車を繋いだ特別列車から国鉄時代に作られた古くて短い編成のディーゼル車に変わっている。イベント目当ての客で混んでいた車内も友人を含めて何人かがちらほら座っているだけだった。いつのまにか、はぐれていたはずの友人も近くの席に座っている。
「あれ、フランスを走っていたはずなんだが」と思って思い出すと、蒸気機関車が爆発して事故に巻き込まれたような気もしてきた。
じんわりと、どうも死んだらしいとわかってくると、フランスのあの世から日本のあの世へ国鉄型のディーゼル車で移送されているような心持ちになってきた。
最近、メディアでミャンマー情勢を聞くことが増えている。軍部のクーデターで情報統制が敷かれ自由が奪われ、国民が弾圧されているというのだ。ニュースを聞いていると、少し昔にミャンマーを旅行したことをふと思い出したので、備忘録的に増田に書き残しておく。
2014年、私はミャンマーを旅してた。この前年、ゴールデンウィークに旅していたウズベキスタンの乗り合いタクシーで偶然出会ったベテランバックパッカーから、『早めに訪れるべき国』と紹介されたのがきかっけで興味を持ったのだった。曰く、「数年前からテインセイン政権が民主化をすすめていて、外国からヒト・モノ・カネが流入しだしている。そう遠くない時期にマクドナルドやコカ・コーラ等の海外資本で町が埋め尽くされ、純朴な国民性が拝金主義に染まり、メジャーな東南アジアの観光地のようにつまらない場所になってしまう。”素”のミャンマーが見れるのは今の時期しかない」とのことだった。その翌年だっただろうか、ANAがヤンゴンに新規就航した。クレジットカードのポイントで『丘マイル』がたまってきていたので、今しかないと思ってミャンマーに飛んだのだった。
ところで、私が旅を決めた2014年当時、ミャンマーの情報は書籍上にもネット上にも乏しかった。(今でもかもしれないが。)非常にベタだが、自分なりにミャンマーの知識を得るために、『ビルマの竪琴』を読み、高田馬場のミャンマー人街を訪れ、増上寺のミャンマーフェスに参加し旅の前に気分を盛り上げた。それら事前に集めた情報をもとに旅程を決めた。最大都市のヤンゴン、古都マンダレーとパガンを3泊4日ですべて回る。そのためにルートづくりは難航したが、夜行バスや、エーヤワディ川の水上ボート等を組み合わせて何とかめどがついた。
初めに訪れたのはパガン。初日にヤンゴンから夜行バスで向かって、到着したその日の朝に到着。その足で宿に荷物を降ろし、仏教遺跡にむかう。パガンの仏教遺跡は当時、全く観光地化されていなかった(今はわからないが)。滅びた過去の王朝の栄華を残す草原に埋もれた遺跡で、地元の仏教徒が花やろうそくを備えて信仰のよりどころにしている。そんな感じのところだった。遺跡は非常に広大なため、効率よく回るために宿で中国製の電動バイクを借りたのだが、これが曲者だった。バッテリーの残量メーターが適当で、まだ半分ほど充電が残っていると思っていたら、バッテリーがふいに止まり、南国の強い日差しのもと10km近い距離をただの重りと化した電動バイクを押して帰る羽目になったのだ。
ミャンマーの古都マンダレーへは翌日の早朝に向かった。ミャンマーを流れる大河、エーヤワディー川を観光ボートに乗って移動するのだ。朝日が昇る前に、宿の主人にお願いしてエーヤワディー川のほとりの船着き場に送ってもらい船に乗り込む。乗客はほとんどが欧米系観光客で、日本人は私一人。東南アジアでよく見る中国系・韓国系の旅行者は一人もいなかった。船に乗り込んですぐに、日の出を見ることができた。大河から見る朝日は非常に美しく、カメラのシャッターを切りまくった。だが航行時間は10時間以上と非常に長く、暇を持て余す。近くの旅行者に話しかけるとドイツ人だった。大学時代に習った片言のドイツ語で、「Ich lerne Deutsch bitte.」と話すと猛スピードでドイツ語会話が始まり、まったく聞き取れなかったので英語に切り替えてもらってコミュニケーションをとったりしていた。
10時間を超える船旅を経てマンダレーに到着した。マンダレーの市街地は船着場から離れていたのでタクシーを借りて中心地に向かう。旅程に余裕がなかったので、そのままタクシーで主要施設を回ってもらい、観光をこなす。そのまま勢いで長距離バス乗り場へ向かい、マンダレーからヤンゴンに向かう高速バスに乗り込む。ヤンゴンにはその日の夜10時ごろに到着。夜間の異動で治安が不安だったが、特に問題もなく宿に到着。最終日に備えて睡眠をとる。
ミャンマー滞在最終日。最大都市のヤンゴンで街歩きをし、国民食のモヒンガーを食べたり、過去のイギリス統治時代の建築物を見たりして過ごす。町中の家には見たことのないような巨大なパラボラアンテナがつけられており、台風対策で軽量化する必要があったからだろうか、日本で見かけるものとは違い皿の部分がメッシュになっているのが印象的だった。街歩きついでにミャンマー国鉄で市内を移動したりもした。東京でいうところの山手線に相当する環状線がヤンゴンにもあり、Circular Lineと呼ばれているものだ。料金は非常に安く、日本円で10円くらいだっただろうか?車内に外国人は一人もいなかった。パガン~マンダレーで見たような欧米系の旅行客はタクシーをチャーターして市内観光をしているのだろうか?しばらく客車に乗っていると、私が日本人とわかったのか日本滞在経験があるというミャンマー人に話しかけられたのだ。観光地で話しかけてくる現地の人は、たいていお金目当てなので警戒してたのだが、悪い人ではなさそうだったので聞くだけ話を聞いてみたら、バブル期に名古屋で期間工をしていたらしかった。
駆け足でいろいろな経験をしながらミャンマー観光を終えた私は日本に戻った。実際に現地を見てきたことで知的好奇心を満たされた私は、しばらくミャンマー情勢から興味を失っていた。が、最近またニュースで日々ミャンマーの情報を見聞きするようになり、ふいに旅行した時のことを思い出したのだった。当時であった人たちは今も元気にしているだろうか?数年後にコロナが収束しても、軍部主導の政治体制で外国人が自由にミャンマーを旅行できる時代が再びやってくるのだろうか?今はただ、遠く離れた国を思い出しつつミャンマー国民の無事を祈るばかりである。
もと南海の電車からホームに降り立つと、千頭駅にはたくさんの親子連れがいた。
妻と、4歳の娘と、1歳の息子と、チケットがとれてから、楽しみにしていたトーマスに会える日だ。
子供だけではなく、大人が見ても、このトーマスはテレビから飛び出した等身大のヒーローだ。大きさだけのハリボテではない。ホンモノなのだ。
トーマスの種車はC11-227。かつてはテレビドラマや映画で大活躍。裸の大将(雁之助の再放送)をよく追いかけていたのを覚えている。
正面にはトーマスの顔をつけ、ライトブルーに化粧をして、動輪までしっかりカラーリング。
大ベテランが子供の前で大活躍する姿をみて、Eテレの幼児番組、みいつけた!のワンワンと中のチョーさんを思い出してしまった。
千頭駅では機回りをした後で転車台で方向転換。ちゃんと顔を新金谷方面に向けるためだ。周りには子供も大人も集まっている。
転車台にのって、係員が人力で回すと、トーマスも汽笛を鳴らしてアピールする。
ぐるぐるっと向きをかえ、止まるかと思ったら、あれあれ、まさかのファイブフォーティ。魅せます、トーマス。一回転半まわって転換完了。
駅構内はイベント会場に整備され、パーシー、ヒロに、方向転換を終えたトーマスが並ぶと、地方私鉄の構内とは思えない華やかさになった。
トーマスの汽笛に合わせて、他の列車も汽笛を鳴らす。効果音ではない。本物だ。
新金谷駅の売店で買ったお弁当をベンチで広げ、子供たちの声を聞きながらお昼ご飯を食べる。ホームに入る風は山岳ローカル駅の風だ。
ただ、駅全体に子供の声があふれている。混んではいるが、人道的な混み方だ。ちょっと並べば、トーマスの前で写真も撮れる。
トーマスは発車直前まで写真撮影に応じている。煙突からは煙が出ている。発車が近くなると、黒い煙が増えてきた。
小型タンク機関車とはいえ、1,600mmの動輪径は子供の身長の倍。ホンモノのトーマスは、車輪の大きさも圧倒的だ。
みんなが並んでいるその前を再びゆっくり走り出し、再び客車に連結。
鉄道界の老老介護、最後尾の補機、電気機関車E10-2に感謝の黙礼をする。
そして、7輌の客車なかほどのスハフに乗り込む。
青いモケットのボックスシートに、トーマスのシートカバー。そして、所々にJNRマーク。
娘は、窓が開く、扇風機があると大喜び。昔はみんなこれだったと喉まで出かかったが、トーマス号とは関係の無いこと。
千頭駅から新金谷駅まで1時間強。途中の鉄橋や通過駅ではみんなに手を振ってもらえる。
特急となっているが途中の駅に止まらないだけで、各駅停車の電車と所要時間はほぼ一緒、のんびり走るのだ。
だから、手を振ってくれる人の顔がよく見える。子供はもちろん、大人も年寄りも、みんな笑顔だ。
白レンズを構えたおじさんもお兄さんも、客車が通過するころにはシャッターチャンスはすぎたとみえ、ニコニコしながら手を振る。
本命はこの後のC56-44かもしれないけど。
大井川にかかる鉄橋は見晴らしも良く、遠くから手を振る人もみえる。
吊り橋の上から手を振ってくれる人もいる。
茶畑のおばさんも手を休めて両手を振っている。
新金谷駅に着くと、車両基地の機関庫に入っていくトーマスがみえた。
子供と近くまで歩いてみると、もと近鉄電車や他の蒸気機関車とならんで、トーマスがみえた。
痴漢がこの問題のすべての発端で、悪の中の悪だってのは当然だし、だからといって冤罪で人生が破壊されることもやっぱり悪なので許されるべきではない。
こんなことをわざわざ書いて、自分が痴漢も冤罪も許さない男であることを宣言しておかないと、書いていないことを勝手に想像で付け加えてからんでくる奴がいるので困る。
こんなところを読んでいる君らは小中高と国語の勉強してきたり、または学生さんなら今も勉強しているのだろう?
「作者の気持ちを答えなさい」とか「登場人物の心情を答えなさい」などというアホな問題も解いてきたはずなので、ちゃんとそのスキルを活かしてくれ。
痴漢したり、わざわざ女性専用車両に乗り込んだりして問題を起こすバカも、男とみれば痴漢かその予備軍と思ったり、女性専用車両のコストを痴漢をしない普通の男性だって負担していることについて当然と思っている(かのようなふるまいをする)バカもそろって滅べばいい。
この一文で「自分がバカにされている!」と怒ってからんでくるあんた。そう、まさにあんたみたいな人のことを、私はバカだと思っている。
滅び去ってほしい。はっきり言って迷惑千万きわまりない。この日記の中頃に、あんた向けの呪いを書いておいた。
さて、電車は公共交通機関であって、その運賃は国による許認可制の対象だ。だから、本来料金の負担は公平であることが求められている。何をもって公平とするかだが、
「第一条 この法律は、鉄道事業等の運営を適正かつ合理的なものとすることにより、輸送の安全を確保し、鉄道等の利用者の利益を保護するとともに、鉄道事業等の健全な発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とする。」
と鉄道事業法にはあるのだから、「鉄道事業の運営を適正かつ合理的にする→輸送の安全確保&利用者の利益の保護」+「鉄道事業の健全な発達」=「公共の福祉の増進」とあるのだから、負担公平の基準もそこにあろう。
「第十六条 鉄道運送事業者は、旅客の運賃及び国土交通省令で定める旅客の料金(以下「旅客運賃等」という。)の上限を定め、国土交通大臣の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。
(中略)
4 鉄道運送事業者は、特別車両料金その他の客車の特別な設備の利用についての料金その他の国土交通省令で定める旅客の料金を定めるときは、あらかじめ、その旨を国土交通大臣に届け出なければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。
5 国土交通大臣は、第三項の旅客運賃等又は前項の旅客の料金が次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、当該鉄道運送事業者に対し、期限を定めてその旅客運賃等又は旅客の料金を変更すべきことを命ずることができる。いう
一 特定の旅客に対し不当な差別的取扱いをするものであるとき。
(以下略)」
特別車両や通常の客車に特別な設備を設けて、その利用に料金を別途追加したいときは、国土交通大臣に届出しなさいという話だ。
実際には届出のあとで審査を経てOKがでないとならんが、上記のとおり「特別車両」を設けて、その利用に料金を別途追加したければできるってことだ。
それをしていないので、女性専用車両に特別料金をとっていない。
特急と違い、「女性専用車両」と表示されただけの普通席だからこそ、女性専用車両に男性が乗り込んだ際にも「協力のお願い」しかできないのだ。
鉄道会社ですらそういう対応しかできないのだから、特別料金を払っていない女性専用車両の女性乗客が男性乗客に対して権利をふりかざす資格はない。同じ料金しか支払っていない時点で、どっちも対等な乗客だ。文句があるなら特急料金のように金を払ってから言え。特別な負担もないのに特権を与えられたかのようにふるまうバカは財布の中身を全部ドブにぶちまけてしまう呪いにかかってしまえばいい。
女性専用車両にのりこんで騒ぎをおこすバカも同様である。いい歳して「協力のお願いであって、義務ではない」などと理屈だけこねくり回して、譲り合いの精神ももたずに権利だけ主張するガキか。現実に鉄道の遅延を招いて他の乗客の時間を奪うバカは、いつも重要なタイミングで遅刻する呪いにかかってしまえばいい。
さて、このようなことを書くと「女性は痴漢の被害にあっていて、それを回避するためにわざわざお金を払わなければならないのはおかしい」という趣旨の返事がかえってくるのであろう。
しかし、それは被害者と加害者の間での話であって、他の乗客にまでコスト負担をもとめるのは不当な差別的取扱いというやつではないか。
性別は簡単にはかえられない。当人の努力ではかえられないものをもって、当人の責任のおよばないなにがしかの負担を一律に背負わされるのだ。
痴漢をしたいとも思わない私からすれば、「痴漢などというバカがやらかしたことと、それに対して男は十把一絡げに排除した車両を設けろと騒いだバカのせいで、何故同じコストを払って不快なぎゅうぎゅう詰め車両にのらねばならんのか」という話だ。
女性専用車両がスッカスカで、一般車両が詰め詰めだとより強く感じる。
だから、女性だけの乗客には乗り降りの点で多少不利益だったとしても、女性専用車両に乗ってほしい。今なら余計な料金を求められずに乗れるのだから、仮に女性で一杯になって詰め詰めになってもしかたない、痴漢にあわないだけマシと思って女性専用車両に乗ってくれ。
男性だけの乗客には、痴漢冤罪がこわいなら、女性だけの乗客を女性専用車両に誘導してくれ。自分が女性を連れているなら、痴漢の被害にあわぬよう、冤罪事件をおこさぬようにまもってろ。
被害者には申し訳ないが、ただすれちがっただけで何もしていない普通の人にまで、自分の辛い経験のあがないをもとめるな。加害者に対してだけ要求してろ。
加害者には申し訳ないという気持は一切ない。余計な問題をひきおこしやがって。被害者が望む弁償をおえたら二度とするな。二回以上やらかしたやつは痴漢をしたくなる欲がなくなるまでお家にこもってろ。
追記:
anond:20180218162221 「要旨を40文字以内で述べよ」
→「お前みたいなからみ方するやつも読まなくていい。読まない自由はある(32文字)」
anond:20180218162259 「長いから読んでないけど痴漢が「痴漢したくてたまらない」って吠えてるのは理解した」
→「作者の気持ちを答えなさい」の答えがそれなら0点だな。登場人物に痴漢は確かにいるが、痴漢の感情表現も書いてないから、やっぱり0点だ。でも解けない問題だったとしても何か答えらしきものを書いて部分点を狙えって先生に教わったかもしれんな。だから5点やるよ。
まだある?
追記(諸説あり)
サッカー・・・Association Football 由来
電車・・・自走式の「電動機付き客車(電動客車)」、および事業用車を含む「電動機付き貨車(電動貨車など)」
ニート・・・Not in Education, Employment or Training
ニコン・・・日本光學工業( NIPPON KOGAKU K.K.)由来
プリパラ・・・プロミス・リズム・パラダイス・ライブ 諸説あり
ペット(ボトル)・・・polyethylene terephthalate
ラジオ・・・ラジオテレグラフィー(radiotelegraphy)
レーザー・・・(LASER = Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation = 輻射の誘導放出による光増幅)
AIDSエイズ・・・後天性免疫不全症候群(acquired immune deficiency syndrome)
AM・・・ante meridiem
BBC・・・British Broadcasting Corporation
℃・・・Celsius
JASRAC・・・Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers
LED・・・Light Emitting Diode(発光ダイオード)
MBA・・・Master of Business Administration
NAMCO・・・中村製作所(NAKAMURA Amusement machine Manufacturing Co.,Ltd)語源
NEC・・・Nippon Electric Company,Limited
NHK・・・Nihon Housou Kyoukai
NTT・・・Nippon Telegraph and Telephone Corporation
OK・・・oll korrect(all correct)
PM・・・post meridiem
PR・・・パブリック・リレーションズ (Public Relations)
PTA・・・Parent-Teacher Association
Suica・・・Super Urban Intelligent Card」&「スイスイ行けるICカード」 由来
SMAP・・・Sports Music Assemble People 由来
TBS・・・Tokyo Broadcasting System Television, Inc
TDK・・・東京電気化学工業(Tokyo Denki Kagaku)
UK・・・United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
USB・・・ユニバーサル・シリアル・バスUniversal Serial Bus
Yahoo!・・・Yet Another Hierarchical Officious Oracle
YKK・・・吉田工業株式会社(Yoshida Kogyo Kabushikigaisha)語源
バンコク・・・クルンテープ・マハーナコーン・アモーン・ラタナコーシン・マヒンタラーユタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラッタナ・ラーチャターニー・ブリーロム・ウドム・ラーチャニウェート・マハーサターン・アモーンビーマン・アワターンサティト・サッカタットティヤ・ウィサヌカム・プラシット
ピカソ・・・パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ
後で追記する
わかりにくいと思わないか?
まず、先払いなのか後払いなのかわからない。
先払いなのがわかっても、その次の関門が切符の買い方。
行きたい駅を探そうにも、タッチパネルはあいうえお順でもアルファベット順でもなく、料金順というのがもうなにを考えているのか。
これもちゃんと説明が欲しい。
俺は速攻でゴミ箱に捨てた。
だってそうだろう。
それに、名前が悪い。
俺なら、普通の切符は「2等客車」、グリーン車は別の切符にして「1等客車」って切符に印刷するよ。
それと、快速とか準急とか、勝手に造語作るならちゃんとわかるような注釈が欲しい。
rapidって英語表記だから、速いんだろうなとは思ったものの、停車駅が少ないとか、それ説明いるだろ。
わかりにくい極め付けはSuica、普通は切符を買う先払い方式なのに、Suicaだと後払い方式。
後払い方式なのに、先払いでチャージ、最初はさっぱり理解出来なかった。
http://anond.hatelabo.jp/20161204230447
様々な要因の影響を受けながら、ユダヤ人たちは強制連行を受けとめていた。彼らはもう何年もの間ゲットーに閉じ込められ、飢えと渇き、恐怖と苦痛にさらされ続けていた。そうした人びとは既に絶望し諦め切っており、連行命令に従いがちだった。強制連行の中でナチ・ドイツによってもたらされた恐怖はもはや抑えがたいほどに膨れ上がり、彼らは打ちのめされ、感覚を失い、脱出や抵抗への意志を打ち砕かれてしまっていたのだ。その上連行されてゆくユダヤ人たちの圧倒的多数は、自分たちは労働のために移送されてゆくと、実際本気で信じていた。彼らは東方への再定住に希望を繋いでさえいた。そこには仕事もあるのだから、まさか自分たちが後にするゲットーよりもひどい事はないだろうと。彼らに期待できることはもう、それしかなかったのだ。どこか知らない東の地の他には…。
いずれにせよ、ただユダヤ人だというだけで何の罪もない老若男女が連行され殺されるなど、誰にも予測のできようはずもなかった。 予測しようにも特定民族の完全絶滅など、未だかつて誰ひとり、経験したためしがなかった。
連行にはナチ・ドイツ以外の国々の警察隊も加わった。ポーランド「青色警察」、オランダ「緑色警察」、フランス、ルーマニア、ハンガリー警察、ウクライナ、リトアニア、ラトヴィア、エストニア警察その他、それはユダヤ人強制連行が行われたすべての国々に及んでいる。
多くの非ユダヤ系住民が強制連行を目撃している。玄関口から、歩道から、彼らは連行をただ見ていた。悲しみと同情を表わす顔もあれば、大喜びの顔もあった。だが大多数の人びとは、見知った仲の隣人が追放されてゆくこの痛ましい光景に、無関心なようだった。まるで彼らは、何も感じていないかのようだった…。
駅に到着したユダヤ人たちは窓を塞がれた貨物列車に詰め込まれた。しばしば100名から150名、ときにはそれ以上が、その半数ほどしか収容できない1両の貨車に無理やり押し込まれた。貨車には外から錠が下ろされ、列車が収容所入口に着くまでドイツ兵もしくは警官が随伴した。列車は何事もなければ数時間で済む収容所までの道のりを、幾日もかかって走ることが度々あった。東方のソヴィエト戦線に向かう軍用列車が通るたびに退避線に入っては通過を待ち、再出発の許可が下りるまで何時間も停車していたからである。
すし詰めの貨車の中の有様は、言語を絶していた。貨物車なので便所などひとつもなく、詰め込まれた人びとはバケツか、さもなくば床に用を足していた。換気装置も水もなく、車内の温度は夏になると水ぶくれができるほどに上がり、冬には逆に氷点下に下がった。これらの要因は収容所到着を待たずに大勢の人びとが車内で死亡する原因となった。特にポーランド領のゲットーからの便では、収容所到着時に数百名がすでに死亡していたという例もある。
ヨーロッパ西部とバルカン半島諸国での強制連行は、東欧でのやり方とは若干異なっていた。連行が決まった人びとはまず自国内の移送収容所に抑留され、数週間あるいは数ヵ月後にポーランド行きの列車に乗せられた。彼らの場合ポーランド系ユダヤ人の場合よりは待遇が良かったので、移送中の死亡率も低い。西ヨーロッパ系ユダヤ人が貨物列車ではなく客車で移送されて行ったケースもある。もちろんそれは、労働のために移送されて行くという彼らの幻想を引き伸ばすための手段に過ぎなかったが。
列車が絶滅収容所に到着するとユダヤ人たちは貨車から降りるよう命じられた。ベウゼッツ、ソビボル、トレブリンカの各収容所に着いた人びとは、ここは移送収容所であり、ここから各労働収容所へ送られることになる旨を伝えられ、そしてこう言われた−「シャワーを浴びるから衣服を脱ぐように」
脱いだ衣類は消毒に廻された。女性は衛星上の理由と称して髪を切ることを告げられた。男性は女性と子どもたちから引き離された。荒々しい殴打と威嚇の中を、丸裸にされ運命から見放され呆然となった人びとは「シャワー」へと追い立てられて行った。それは確かに「シャワー」ではあった。ただしそれは「ガス」のシャワーだった。
アウシュヴィッツでは、人びとがホームに降り立つと通常は「選別」が行われた。約20パーセント−若く体格の良い人びと−が強制労働のために集められ、「ガス室」送りを一時延期された。しかしそれと同時に、年齢も体調もおかまいなしに、到着するなり全員が何の選別もされずに「ガス室」に追い込まれた場合もある。一方では、稀にではあったが、到着した全員がしばらくの間ガス殺されずにいたこともあった。
ナチの念の入った偽装と隠ぺいのシステムの中で、「ガス室の中で絶命する」という犠牲者たちの運命は常にあいまいにされ、彼らは最期の瞬間までそれを知り得なかった。
ナチス・ドイツが構築した排除の装置は恐るべき効果を挙げた。数百万に上るユダヤ人が等しく殉難の試練を受けた。それは彼らがいまだ家庭にある時より始まり、絶滅収容所のガス室をもって終わった。
京阪の子会社が作った新京阪線(今の阪急の京都線)の地下線の西院駅 - 大宮駅間は1931年に開業。
鉄道省は、対抗して関西急電と呼ばれる、料金不要の優等列車を設定。1936年には、流線型の車体デザインの52系(流電)を投入。現在の新快速の礎を築いた。京都駅 - 大阪駅間を34分、大阪駅 - 三ノ宮駅間を25分。
大阪市営地下鉄の御堂筋線は、1933年(昭和8年)5月20日:1号線 梅田駅(仮) - 心斎橋駅間 (3.1 km) が開業。
開業当初、御堂筋線はわずか1両編成での運転だったにも関わらず、当時からすべての駅のホームが、将来を見越して 17 m 級車による8両編成に対応するように建設されていた。
さらにいうと、東洋初の東京の銀座線と比べると電車が一回り大きい。
近鉄の前身のひとつの参宮急行電鉄は、大阪 - 伊勢間130km超の長大電車路線を作り、1932年(昭和7年)には、上本町駅 - 宇治山田駅間を2時間1分で走破した。ライバルの鉄道省の準急列車は、3時間、鈍行は5時間かかった。20m級車体で最高時速110km/h、二等客車並のクロスシートが装備された。21世紀初頭の電車と遜色ない性能があった。
阪和線の前身の阪和電気鉄道では、1933年に超特急の運転を開始、阪和天王寺 - 阪和東和歌山間を45分で結んだ。表定速度81.6km/h。まじで速いよ。特急こだま号が登場するまでの日本で最速の鉄道だった。
戦前の話じゃないけど、自動改札機も1970年台には関西私鉄の主な駅にあった。大阪万博から続く未来がそこにあった。国鉄は人がきっぷにはさみを入れていたけどね。
いつものように上野から有楽町まで京浜東北線で移動したのだが、先週までの感覚からすると、"ガラガラ"で笑ってしまう。この場合のガラガラとは、スマホで遊ぶスペースがあるということだ。
上野駅で乗り換え電車の待ち行列に並ぶ時の、並んでから最初に来た電車にはまず乗れないことを加味して時間が読めない山の手線と若干遅い京浜東北線とどっちの列に並べばいいかと一瞬で選択しなくてはいけないという軽い緊張感。共感を呼ぶことはもうないし、これから味わうことも二度とできないのだなと思う。並走する二つの路線があってなお、あんなに混む路線は関東には現れないだろうから。二度と体験したくないけど。
上野乗り換えといういつも通りの路線に3分遅く乗って2分早く出社した。これは私の体験では珍しいことだ。いつもなら、朝のちょうど良い時間に来るちょうど良い電車が3分遅れるか、3分早く来ることでスイートスポットをわざと外されたような苛々に二週間は悩むのに。朝、眠い頭を振り払って半刻を身支度にかけることを思えば誤差なのだろうけど、朝はそれが結構きつい。
ダイヤ改正後、個人的に一番悲しい思いをしたのは会社帰りに北斗七星が見れなくなった時だと思う。もう永遠に見ることはないのだけど、そっちではなくて、その少し前にあったダイヤ改正だ。
池袋から湘南新宿ラインに乗って大宮駅で降りて待つこと少し、最寄り電車の一個前にホームに入ってくる北斗七星をぼんやりと眺めるたびに、新人で何一つ分からないまま掻き回されるだけの仕事で疲れた心が、癒えるのを感じた。お父さんの構えるカメラに子供が笑いながら手を振る姿だったり、カーテンを開けたままの客車から老夫婦が楽しげに会話を交わすのを見たりするたびに、未だに行ったことのない北海道をよく想った。
最寄り駅の時刻ダイヤを1日の始まりとする日常はこれからも続くのだろう。時刻表みたいに、数年に一回でいいから変わった時間を過ごしてみたい。人身事故や雪といった急変にも落ち着いている自分がいて、墓参りの日と思い出す日が少し増えたまま、大枠は何も変えられないのがつらい。
大宮で座れたら、一度寝過ごしてみようか。ネタで寝過ごして伊東まで行きましたと正直に上司に伝えたらどうだろう。戻ってこいか、そのまま寝てろ、か。想像してみると、思ったよりユーモアは得られなさそうだった。
自分が生まれる前に、大叔父さんが飛び込んだという踏切は自宅と国道を結んだ道の間にある。
昔は母から、遠回りの架線橋を渡るように口を酸っぱくして言われてきたけれども、
大学に入った頃から、いつしか守らなくなって長い時間が過ぎた。今日もまた、同じ踏切を通った。
小雨が降っていつもより闇が立ちこめた夜に、踏切はよく目立つ。
目を離せば田んぼにつっこみそうになる周りにはろくすっぽ街灯はないのに、
踏切はちょっとした窪地になっていて、ブレーキを掴んでいないと勝手に自転車が前に滑り出す。
自転車のサドルから雨粒を適当に払って腰掛けたお尻の冷たい感覚が今になって忍び寄ってきた。
じれったさを感じながらしばし待っていると、貨物列車の聞いただけでわかる重苦しい車輪音が近づいてきた。
手を伸ばせば届きそうな近さを猛スピードで貨物列車は駆け抜ける。
コンテナを積んだ客車と積んでない客車が交互に通り過ぎ、それだけで息苦しかった。
ふと、この右手のブレーキを緩めたらどうなるのか想像してみた。車輪は軽く遮断機を押し、そして客車に触れるだろう。
タイミングがうまく合えば、ちょうど客車と客車の隙間に挟まるかもしれない。
時かけだったら、綺麗に身体を投げ出されていただろうけど、この場合だったら、自転車ごと身体をどこまでも引きずられて、
半身が擂り身になるのかな。バイク事故で傷を負った知人の裸身を思い出した。
遮断機もなかった時代、大叔父さんはどんな飛び込み方をしたんだろうか。恐る恐る?思い切って?
どうにも実感が掴めなくて、戸惑うと、じゃあ試してみる?と自分じゃない自分が囁いた。
支える左足も掴む右手もおっくうだから全部離して、そのまま進んじゃえば?
...目の前が急に明るくなってはっとなって顔を上げるとトラックが反対側に止まったところだった。
踏切の警告音はいつのまにか止んでいた。自転車を降りて、自転車を道端に寄せてトラックをやり過ごした。
自転車にまたがる気持ちになれなくて、押して帰った。
乗ってから言えというのも分かるし、機会があるなら乗ってた。
確かに、非18きっぷ帰還中のガラ空き具合と
18きっぷ期間中の(定期)ながらの殺伐さ具合の差はヒドすぎる。
以前は一部喫煙席で、しかも先頭車同士の連結の組み合わせのところは、
車両同士を区切る扉がない状態で喫煙・禁煙車が隣接していたので、
18きっぷが使えないから??という理由で、ながら反対にどうこういう気は、
僕の個人的意見としてはないし、むしろJR-Wのムーンライト客車シリーズのように
夜行便がどんどんなくなってしまうのは、非常に苦しい。
東京の、「もうちょっと先」に現場がある人間だっているんです。
そんなこんなで、最近はチケがとれればサンライズのノビノビを使う機会が増えました。
前述のように、個人的には18きっぷで移動できることよりも夜間に鉄道で移動できることの方に
価値を見いだしているので、たとえばJR-W/C/Eの3社とも運行・乗り入れ実績のある特急(座席)車両、
たとえば681/683系を使って、下り東京駅23:55発/上り東京駅5:30着の夜行座席特急を運行してくれれば、
それはそれで乗車したいです。