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2022-12-29

anond:20221228193244

イギリスかどこかでポーランド系旅行者「ウンテンメン・キョショウ」名義の違反切符が大量に見つかった事件があったよな

2022-02-27

ロシアウクライナNATOアメリカ関係を調べてみたんだけど

ロシアウクライナに攻め込んだ理由はまぁわかる。

歴史的に何度もフランスドイツから攻め込まれてきたロシアにとって、ウクライナが落ちたら次はモスクワだという認識が強い。

ウクライナNATOに加盟するということはNATO基地ウクライナに置かれるということでもあり、将棋で言えば王手状態ですわな。詰みではないにしろ。まぁ嬉しい状態ではないだろうな。

NATOができた時にもロシアは加盟を申請して断られてワルシャワ条約機構を作った流れだし、歴史を遡るとロシア西側によってくけどアメリカ拒否るみたいな流れがちらほら出てくる。

ウクライナは複雑すぎる。

民族的にもポーランド系ロシア系が入り混じり、キエフ大公国ロシアの源流であり日本でいうところの京都みたいな場所でもある。

最近親米政権が続いてて、ここにすり寄ってきたのがバイデン当時副大統領バイデンの息子がウクライナ企業取締役になったり、尋常じゃない数の訪問をしたりなど、ウクライナ親米化にとても熱心だったわけだ。まぁオバマ政権下でウクライナ担当だし、仕事熱心といえばそれまでだけど。

結局とはいえNATOには入れてあげれず、いざ侵略されてもその口で兵は派遣しないと告げるわけで、さすがアメリカ大統領は神経の太さが違う。前から色々画策してるようだがな。

色々気になるというか腑に落ちないというかがNATOの動き。

そもそもなぜ最初ソ連も入れなかったのか。

ソ連が入っていれば冷戦もなかっただろうしな。

加えて、冷戦終了時に解体しない理由もはっきりしない。

どうやら統一されたドイツ単独行動をさせないためらしいのだが、それならばなおのことロシアをその時点でNATOに入れなかったのかがわからない。

そして事実の記録が残ってる東側へのは拡大しないという口約束発言の記録はあっても条約などはないか一方的に破棄してOKということなのだろうか。東欧拡大時の外務大臣、、って国務長官だっけ?が、東欧出身で、第二次世界大戦時にアメリカに逃げてきた移民女性というのが本当に象徴的でもあるが。


なんていうか、アメリカって結局東欧から避難してきた東系憎しがどうしても多いよね。


戦争にはもちろん反対だけど、戦争それ自体外交手段の一つだし、それまでの外交に失敗して起こるものウクライナ素人大統領無用挑発を繰り返した(東部地域無人爆撃機なんか飛ばすなよ)とかもトリガーの一つかもしれないが。


とはいえ、やはり個人的に思う一番の戦争の要因は、プーチンが長く政権を担ってるからという一点にあると思う。

全部覚えてるんだろ。ずっと我慢してきたことを。独裁政権戦争を起こしがちなのは、割とそういう単純な話でしょ。前任者が我慢したことを引き継いだって、どうすればより良くできるかを考えるだけで、あまりしんどくないもの

そうやって考えれば、バイデンがずっとウクライナでウロチョロしてきて、トランプ政権挟んでアメリカ大統領になった時点で、だいぶ危うかったのかもしれないな。リアルタイムじゃ全く知らなかったけどね。


ということで色々調べた結果。個人的結論

長期政権は良くないね

2020-11-29

Cihi(スィーヒ)という苗字

水沢アキの元夫の苗字「スィーヒ」の由来が気になってたまに検索している。

アメリカ人白人ということは先祖ヨーロッパのどこかから移民してきたはずだが、どこの国の苗字なのかわからない。

海外の、検索すると苗字の由来が出てくるサイトで調べても出てこなかったりする。

アメリカでもCihiという苗字は少ないらしい。

あるサイトに6件の移民記録があり、ファーストネームがRobert,Christine,Zuzanna,Valentine,John,Patricia,というところまではわかった。

しかもっと詳しい記録を見るには有料会員にならないといけないらしく挫折

また、ポーランド出身ロシアからアメリカへの旅客として「Valentin Cihi」という名前もあった。

「Zuzanna」はポーランド女性名らしいので、もしかしてCihiはポーランド系の苗字なのだろうか。

でも「John」は英国人っぽいし、よくわからない。

やっぱ英語もできない人間ネットだけで調べるのは限度があるなぁ。

2017-07-12

二重国籍許すまじ!と言ってる人は、ダルビッシュとか、酒井高徳かのことをどう考えてるんだろうか。いや彼らが二重国籍かどうか知らんけど。

国会議員ではないけれど名誉ある日本代表選手だよ。弥生DNAを持つ日本人じゃなきゃ代表選手にさすなばかもん!みたいな感じなの?

あと昨今の芸能界を席巻してるハーフタレントの皆さんとかさ。ローラとか水原希子とかゆるすまじなの?やっぱり。

アフリカ系アメリカ人ポーランド系アメリカ人、みたいな感じで、台湾系日本人イラン系日本人ドイツ系日本人ってだけでしょと思うんだけどな。

2016-12-04

死の収容所へ 3

http://anond.hatelabo.jp/20161204230447

 様々な要因の影響を受けながら、ユダヤ人たちは強制連行を受けとめていた。彼らはもう何年ものゲットーに閉じ込められ、飢えと渇き、恐怖と苦痛さらされ続けていた。そうした人びとは既に絶望し諦め切っており、連行命令に従いがちだった。強制連行の中でナチドイツによってもたらされた恐怖はもはや抑えがたいほどに膨れ上がり、彼らは打ちのめされ、感覚を失い、脱出や抵抗への意志を打ち砕かれてしまっていたのだ。その上連行されてゆくユダヤ人たちの圧倒的多数は、自分たち労働のために移送されてゆくと、実際本気で信じていた。彼らは東方への再定住に希望を繋いでさえいた。そこには仕事もあるのだからまさか自分たちが後にするゲットーよりもひどい事はないだろうと。彼らに期待できることはもう、それしかなかったのだ。どこか知らない東の地の他には…。

 いずれにせよ、ただユダヤ人だというだけで何の罪もない老若男女が連行され殺されるなど、誰にも予測のできようはずもなかった。 予測しようにも特定民族の完全絶滅など、未だかつて誰ひとり、経験したためしがなかった。

 連行にはナチドイツ以外の国々の警察隊も加わった。ポーランド青色警察」、オランダ緑色警察」、フランスルーマニアハンガリー警察ウクライナリトアニアラトヴィアエストニア警察その他、それはユダヤ人強制連行が行われたすべての国々に及んでいる。

 多くの非ユダヤ系住民強制連行を目撃している。玄関から歩道から、彼らは連行をただ見ていた。悲しみと同情を表わす顔もあれば、大喜びの顔もあった。だが大多数の人びとは、見知った仲の隣人が追放されてゆくこの痛ましい光景に、無関心なようだった。まるで彼らは、何も感じていないかのようだった…。

 駅に到着したユダヤ人たちは窓を塞がれた貨物列車に詰め込まれた。しばしば100名から150名、ときにはそれ以上が、その半数ほどしか収容できない1両の貨車に無理やり押し込まれた。貨車には外から錠が下ろされ、列車収容所入口に着くまでドイツ兵もしくは警官随伴した。列車は何事もなければ数時間で済む収容所までの道のりを、幾日もかかって走ることが度々あった。東方ソヴィエト戦線に向かう軍用列車が通るたびに退避線に入っては通過を待ち、再出発の許可下りるまで何時間も停車していたかである

 すし詰めの貨車の中の有様は、言語を絶していた。貨物車なので便所などひとつもなく、詰め込まれた人びとはバケツか、さもなくば床に用を足していた。換気装置も水もなく、車内の温度は夏になると水ぶくれができるほどに上がり、冬には逆に氷点下に下がった。これらの要因は収容所到着を待たずに大勢の人びとが車内で死亡する原因となった。特にポーランド領のゲットーからの便では、収容所到着時に数百名がすでに死亡していたという例もある。

 ヨーロッパ西部バルカン半島諸国での強制連行は、東欧でのやり方とは若干異なっていた。連行が決まった人びとはまず自国内の移送収容所抑留され、数週間あるいは数ヵ月後にポーランド行きの列車に乗せられた。彼らの場合ポーランド系ユダヤ人場合よりは待遇が良かったので、移送中の死亡率も低い。西ヨーロッパユダヤ人貨物列車ではなく客車移送されて行ったケースもある。もちろんそれは、労働のために移送されて行くという彼らの幻想を引き伸ばすための手段に過ぎなかったが。

 列車絶滅収容所に到着するとユダヤ人たちは貨車から降りるよう命じられた。ベウゼッツ、ソビボル、トレブリンカの各収容所に着いた人びとは、ここは移送収容所であり、ここから労働収容所へ送られることになる旨を伝えられ、そしてこう言われた−「シャワーを浴びるから衣服を脱ぐように」

脱いだ衣類は消毒に廻された。女性衛星上の理由と称して髪を切ることを告げられた。男性女性子どもたちから引き離された。荒々しい殴打と威嚇の中を、丸裸にされ運命から見放され呆然となった人びとは「シャワー」へと追い立てられて行った。それは確かに「シャワー」ではあった。ただしそれは「ガス」のシャワーだった。

 アウシュヴィッツでは、人びとがホームに降り立つと通常は「選別」が行われた。約20パーセント−若く体格の良い人びと−が強制労働のために集められ、「ガス室」送りを一時延期された。しかしそれと同時に、年齢も体調もおかまいなしに、到着するなり全員が何の選別もされずに「ガス室」に追い込まれ場合もある。一方では、稀にではあったが、到着した全員がしばらくの間ガス殺されずにいたこともあった。

 ナチの念の入った偽装と隠ぺいのシステムの中で、「ガス室の中で絶命する」という犠牲者たちの運命は常にあいまいにされ、彼らは最期の瞬間までそれを知り得なかった。

ナチス・ドイツが構築した排除装置は恐るべき効果を挙げた。数百万に上るユダヤ人が等しく殉難の試練を受けた。それは彼らがいまだ家庭にある時より始まり絶滅収容所ガス室をもって終わった。

 
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