はてなキーワード: 住宅地とは
大学生のころ、地元を離れて一人暮らししていた。住宅地にある学生マンションに住んでいて、田舎だけど静かだしスーパーと郵便局が近くにあって便利だった。その期間中にとある事件で被害者になった。
朝の講義に出て、時間が空いたから一回家に帰った。まっすぐの道をぼーっとして歩いてた。そうしたら急に肩を横から抱き寄せられて、おっさんが話しかけてきた。不審者だと思ってびっくりした。高校生のころ露出狂に2度遭遇していたので「またかよ」と思いつつ肩を拘束されてるのでちょっとビビってた。その後、左のわき腹になんか感覚があってまさかと思って見たら包丁が突きつけられてた。
怖くて何も答えれなくて、幸運なことに声かけられた時点で無視して歩いてたから、そのまま2人で少し歩いた。道の十字路で何故か急に解放されて、おっさんが来た道を戻って視界から消えたのを確認してから近く歩いてた人に走り寄った、慌ててて警察の番号がわからなくて聞いた。ちなみに男の人だった。
初めて警察に電話して、どんな人か話して、話しながら近くの警察官が来てくれるのを待ってた。外で待ってた時点で危ないし、パニックになってはいたんだろうけど、覚えてるうちに色々言わなきゃ!って必死だった。2人来た警察官は男性だったんだけどとくに何も思わなかった。とりあえずざっと話終わると、おじさんが女性の警察官を呼んでくれた。すごい逞しいお姉さんが来て、部屋に2人にしてもらって怪我が無いか確認された。自覚してたけど傷も無くて、終わりかな?って思った。パニックも治まって、その日の夜にテストを控えていた私は勉強したかった。被害届出すために警察に来てくれと言われたけど「テストがあるから勉強したいし帰りたい」みたいなことを伝えて、警察に行くのは夜にした。家帰って、もう勉強する時間は無かったので急いで学校へ向かった。道すがらバイト先に用事ができたから休むって電話した。それで、夜警察に行った。親には警察が連絡してくれてて、電話がきたけど「大丈夫だよ〜テストあるから切るね〜」って感じだった。テストで頭いっぱいだった。寝る時も、びっくりしたなあってくらいで普通に寝た。この日1度も怖かったと泣くことも無かった。
私は事件にあったけど無事助かってしかも幸運にも無傷だった。ラッキー。
の、後。
次の日バイトに行った。遅番で、ホールに出て仕事をしていたんだけど、少ししてから自分がすごく怯えてることに気づいた。パチンコで働いていて、土曜の夜人がたくさんいて中年のおっさんがたくさんいて、犯人の風貌に似た(眉毛が濃いとかそんなところ)人がたくさんいた。でも今仕事中だし、と思って続けていたけど、あまりにもどうしようも無くて社員さんに昨日のことを伝えた。「早く言ってよ!」って言われた。帰ってもいいと言われたけどレジ業務の方に回してもらった。机で隔てられてるから大丈夫かな?と思ったけどダメだった。でも多くの人に知られたくはなくてそのまま最後まで働いた。帰りは先輩が車で家まで送ってくれた。その日から寝れなくなった。初めて自分の身に起こったことが怖くなって泣いた。大好きなライブDVDを流したりラジオを聴いたりしながらうとうとした。とりあえずテストが終わるまで待って実家に帰ることにした、親にも話した。早く忘れたいから「帰ってからも今回の話はしないでほしい」ことと「姉とか親戚には言わないで」と伝えた。
私は「怪我が無かった」から自分は大したことないと思っていた。レイプされたわけでもないし触られたのも肩とわき腹だけだし。だから、悲しんじゃいけないと思ってた。私よりもっと酷い人はいると思うことでしんどさからも逃げたかった。1ヶ月ゆっくりして、バイトにも穴開けれないしと帰った。早番ばかりにしてもらって、遅くなるときは送ってもらった。この頃から引きこもりがちになった。
学校が始まって必然的に帰る時間が遅くなった。事件が昼にあってもやっぱり夜の方が怖かった。この頃から気分のムラが激しくて親に引っ越したいと電話したかと思えば心配だからそっちへ行こうかと聞く親を拒絶した。一人になりたかった。学校も休みがちになって、行くつもりだった留学は怖くてそんなことできなかった。ここから春休みまでの親の対応に私はすごく怒りが残っていて、多分それは今の吹っ切れなさにも繋がってる。どこか怒れる対象が欲しいだけかもしれないけど。
夜中に歩くのは危ないし、音楽聞きながら歩くのも車に気づかないし危ない。そういったことをしなくなったのは、危険を認識したからだけど、そうしたいときもある。夜中にお腹が空いたらコンビニや自販機に走りたいし好きな音を聞きながらいたい。数年たってなんにも気にならなくてもそれだけはできなかった。バイトはしんどいときには事務作業、早番という形で続けた。普通に暮らしながらも小さいところが変わった。
卒業するまで犯人に会った道は2度と通らなかった。1度だけ夜中に1人で道を歩いたとき怖くて走って帰った。家に着いてから自分が情けなくて泣いた。
もう知らない土地で一人暮らしなんて怖くてできない。夜中に誰かと一緒でも出歩くのは怖い。昼でも外に行くのが怖い日もあるし、すれ違う人や後ろにいる人が怖くてたまらない。留学も行けるような気持ちにならなくて、周りからなんで行かなかったのか聞かれるたびに悲しかった。私はイヤホンもしてなかったしケータイも触ってなくて、ただぼーっと歩いてただけ。周りに気を配れない状態じゃなくて、そもそもちらちら後ろを振り返りながら歩くわけもないし、真昼間だし、何も悪くないのに突然起きたことが受け入れられなかった。小さいことから性格まで、あのときで変わってしまった。私は何も悪くないのにしたいことに気持ちの面でストップがかかるのが悲しくて、そんな自分が情けなくてたまらない。男性が怖いというよりは中年のおっさんが苦手になった。だからこそその後彼氏もできた。でも触られるのが気持ち悪くてセックスを拒否していたらそのうち振られた。もう彼氏いらないと思った。
普通に夜中呼び出されたら飲みに行きたかった。留学に行きたかった。彼氏とセックスしたかった。音楽聴きながら散歩したかった。
したかったたくさんのことができないまま今に至る。
きっといつか怖くてたまらない日が今よりもっと減るんだと思う。だけど、被害者は無事保護されてもそれに囚われて生き続けているんだと思う。そして囚われてることが犯人の思い通りな気がして余計苦しくなる。事件について触れたほうがいいのか触れないほうがいいのか。忘れたほうがいいのか、受け止めたほうがいいのか。何もわからないから、今日も私は友人の誘いを断って家に閉じこもっている。怖くてなんかいも戸締りを確認しながら。助けてって叫んでみるけど触れられると涙が溢れるから、今からどう進んだらいいのかずっとわからないでいる。
イギリスの新聞「ガーディアン」に、反五輪の会のインタビューが掲載されました。
The troubled history of Zaha Hadid’s Tokyo Olympic stadium project
(“The Guardian”,Oliver Wainwright,Friday 17 July 2015 14.27 BST)
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問題だらけのザハ・ハディド作東京五輪新国立競技場プロジェクトの沿革
東京都心の明治公園に、それはそれは巨大な銀河系自転車ヘルメットのような格好で、白いアーチを描きながら、低層の環境に覆いかぶさってそそり立つように現れる予定だった。このザハ・ハディドのデザインによる2020年夏季オリンピックの競技場は、今や叶わないものとなった。2520億円(13億ポンドまたは20億ドル)までのぼった建設費は、計画当初の予算のほぼ倍に達している。近代における競技場の中でも一番高く、このなんとも過大なアリーナの計画はついに中止された。
多くの人は、今回決定した白紙撤回は2年遅れでやってきたと感じている。2013年の計画発表当時から、あらゆる方向から厳しい批判を受けてきたこのデザインは最初からボツになる運命にあったようなものだ。発表直後から日本でも最も著名な建築家陣がこぞってシンポジウムを開き、反対署名を集め、抵抗心丸出しでこの計画を叩いた。彼らは「周辺の住宅地等の環境と完全に不釣り合いな怪物」と述べている。
彼らは、競技場の予定地は、建築物の高さ20メートルの制限がある歴史のある場所であり、ハディドのデザインによるとこの場所に高さ70メートルにものぼる競技場が明治神宮を上から眺めるような形で建てられることになる、という点を強調した。プリツカー賞受賞者の槇文彦をはじめ、伊東豊雄、隈研吾、藤本壮介といった建築家が名前を連ねた反対署名は、8万人もの署名を集めた。この数は予定されていた大競技場の収容人数とちょうど同じ数だ。
署名活動に加えて、バルセロナ五輪の競技場を担当した磯崎新による猛烈な攻撃が続いた。磯崎はハディドのデザインを「歴史的な誤謬」と呼び、「後世に恥をさらすことになる」と警告した。2020五輪の企画を担当する日本スポーツ振興センターへの長い公開状のなかで、彼は「歪んだ」建設計画が「列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿」と述べた。
「東京は世界で最初の例を実現するチャンスがあるのにもかかわらず」と記し、この建設計画はオープニング・セレモニーのための無駄な装飾品を造るという欲によってのみ動かされていることを指摘した。磯崎はさらに、いかに競技場の規模の縮小が可能になるかを詳細にわたって提案したが、オープニング・セレモニーにおいては、皇居のそばに規模の小さな臨時特別会場を建て、江戸城の外壁を使ってドラマチックな背景にすることなどを挙げた。しかしこのライトで低コストな気の利いた提案はすべて政府側に無視された。
それにもましてハディドは、自分の建築デザインを批判する者に対し「彼らにとっての恥だ」と述べながら素早く反撃した。「これは彼らの街に建つものです」と理解をただよわせながら、「でもこの競技場をあの場所に建てることに反対するのなら、初めから五輪開催地候補になんてなるべきではなかった。ただの偽善者だ。新競技場計画がつぶれた原因は彼らの問題だ。国立競技場を外国人建築家に作らせることを拒んでいるが、日本人は世界中で起業しているではないか。」と話した。
しかし、反対派の主張は建築界や専門家の内部抗争などの領域をはるかに超えたところで展開されている。地元の反対派グループは、新競技場がもたらす影響により都心でも数少ない自然の残されている場所を破壊することになる、と腹を立てている。この地域は1900年代初頭に孤立した島国日本を近代化に導いた明治天皇を偲んで植えられた銀杏の木や庭園が多くある場所である。
神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会共同代表の清水伸子は「ここはオアシスのような場所です。」と話す。「ここは散歩したり、おしゃべりしたり、ピクニックのできる場所。新競技場ができたら、こんな公園と緑が失われてしまう。ありえないことです。」
環境問題はさておき、さらに地域の怒りをもたらしたのは、ハディドの新競技場計画にしたがい、周辺の都営霞ヶ丘アパートから約300戸もの住民が強制退去を強いられたことだ。退去令はアパート住民に限らず、公園内で寝泊まりするホームレスの人々にも襲いかかった。「年配の方々がたくさん住むこの場所で、新たな住居への移動によるストレスは大変なものです。」五輪に圧力をかける反五輪の会メンバーの小川てつオはこう話す。「霞ヶ丘の住民のあいだには、実に強いコミュニティー感覚がある。でも強制移住によってこれが壊されてしまいます。」
実際のところは、現状よりもはるかに低コストで周辺への影響も小さい代替案も存在していたのである。旧競技場は1964年オリンピックの会場でもあり、54000人収容できる。1936年ベルリン五輪や1932年と1984年のロサンゼルス五輪で成功した例があるように、実在する競技場を改築または再利用して開催する手もあったのだ。
伊藤豊雄は代替案まで提案したが、これはもし国立競技場が解体されてさえいなければ、実現したかもしれなかった。結局、ハディド作の宇宙船の着陸帯をもうけるために、国立競技場は今年の5月には瓦礫の山へと化していた。
東京のテンプル大学のジェフ・キングストンは、「ホワイトエレファントになるのを待っているような状態だった」と話している。「東京のわずかな緑地帯を損なってまで建てても、ここまで巨大な競技場が必要になるようなイベントはほとんど存在しない。多少の費用で古い競技場を改築すれば、新競技場よりはその後の管理もずっと少なくて済んでいたはず。税金を納める人にとって、これは迷惑にしかならない贈答品をもらうようなものです。」
ザハ・ハディド建築事務所のスポークスマンは、予算が急騰したのはデザインのせいにされるべきではない、と話す。しかし同事務所は今後も競技場に関する仕事を続ける予定だと述べている。
「先の予算上昇はデザインに原因がある、と言われていますがこれは事実と異なります。このデザインは、基準どおりの資材を使い、建設業者の技術範囲と日本スポーツ振興センターの予算内に収まるように設計されています。」とハディド事務所は声明のなかで述べている。加えて、「新競技場の実際の課題は、東京の建築業界の年間費用上昇、そして定められた期限に対応した予算を打ち出す、という点でした。」と述べた。
これは2012年ロンドン五輪委員会がメイン競技場の配備において避けようとした問題だ。当時は相当な批判を浴びたにもかかわらず、通常行われる国際競合を廃止した上、時間と予算の削減を考慮して、建築業者のリードする企業連合によってすすめられた。
時間通り完成はしたものの、ロンドン競技場の建設費もまた収拾がつかなくなるほどに跳ね上がった。当初の予算だった2億8千万ポンド(約535億円)から、4億9600ポンド(約948億円)にまで昇った。解体される計画だったが結局のところまだ残されており、今はサッカー競技場にするために改築中だ。この改築費も含めた総工費予算は7億ポンド(約1339億円)にまで上がってしまった。
もともとは「コンパクトなオリンピック」と称されていたが、東京の開催委員会もスリムな理想像に沿った制御をするために、ロンドンと似たような道を辿っている。ハディドの過剰なデザインが、いま拡大しているこの高価な試みに対する不満分子の中心だ。安倍晋三首相の支持率は最近になり新たな降下をみせているが、政府関係者によると五輪に対する世論の悪化が原因のひとつだという。五輪開催までわずか5年となった今、五輪推進派は、まだ旧競技場が残っているうちに自国の建築家たちの必死の警告を受け止め、彼らの極めて思慮深いアドバイスに耳を傾けるべきだった、と後悔しているのではないか。
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ここ数日間めちゃくちゃ凹んでいるというか気が滅入っている。母校のことだ。
中2男子生徒自殺か 「悪口言われた」 NHKニュース http://nhk.jp/N4K74Fpv
私は数年前にこの中学校を卒業し、現在は岩手を離れて暮らしている。おそらくもう中学の生徒・先生で(知り合いを介さずに)直接知っている人はいないけれど、それでも多感な3年間をあの学舎で過ごせたことに感謝しているし、だからこそ今回母校で起こった事件は残念で腹立たしいし哀しい。自ら命を絶った少年の絶望感を思うとやるせなくなってくる。
全国的に取り上げられるようになってから2,3日くらいいろいろなメディアを周回してこの事件を追っている。報道する側も糾弾する意見も擁護する意見もあまり核心を捉えられていない感じを受ける。一部分の情報しかあらわになっていないのでまだ判断しかねる部分はあるけれど、矢巾で学生時代を過ごした印象やこの事件の所感について書き連ねていこうと思う。
まずこの事件へのコメントとして目に付いたのが「田舎の(岩手の)人って陰湿だから」という感想。人が集まれば人間関係のこじれなんて田舎も都会もいくらでもあるわバカヤロウ、と言いたいところだけど矢巾に関していえばちょっと特殊な事情があるのかもしれない。
もともと矢巾は農村地帯で、北隣の盛岡の人口が増加するにしたがって田んぼが住宅地へと埋め立てられ変わっていった歴史がある。私が小学校の頃に人が増えすぎて新しく小学校が建設されたし、岩手医大が矢巾に移転されてからも人口はますます増加している。そんなわけで地元の小中学校は旧家の子と新興住宅地の子が混在する。私立の小中学校に進むという選択肢がメジャーではないため学力は上位と下位の差が激しい。また、部活動は強制加入で、運動系が非常に盛んであり文化系は吹奏楽部か美術部しかなく受け皿が少ない。以上のような点から、いわゆる「スクールカースト」が発生しやすい環境だったのではないかと卒業した今にして感じている。ちなみに、運動部の激しいところは一度入ったら放課後や休日はほぼ部活や練習試合に充てられるため勉強する暇がなく、勉強のできない子はとことんできないまま卒業していく。
私の在籍していたときの学校はどうだったのかというと、浮く子もいればいわゆる不良もいたけれど、問題が起こればきちんと学年の先生が一丸となってしかるべき対処を取っていたし、それぞれの得意な分野を各行事で活かしていこうという雰囲気が生徒間でもあったと思う。報道を見て気になったのは担任の先生ばかりクローズアップされているけれど学年主任や他クラスの担任のサポート体制は整っていたのかな、ということだ。私たちの代の学年主任は週1で学年通信を発行して問題が起こるたび記事にして公開していたし、学年にひとり副担任がいてたまにクラスの様子を見に来ていた。荻上チキさんのツイートにもあるように( http://togetter.com/li/844936 )、担任の先生1人が抱え込む構造になっていなかったかを検証する必要があると思う。
一部報道では18年前にもこの学校で自殺があったと書かれている。私たちがいたときはすでにその代は卒業してしまったけど公然の噂となっており、「学校内のステンドグラスを割ってしまいそのことを苦に思っていた」などと言われていた。報道ではその自殺を今回の件と関連付けて荒れた学校であるようなことを書いていたけれど、正直学校内では共通の関係者はいないはずで、影響は薄いのではないかと思う。
ネット上の掲示板で行われている「犯人探し」は、大津のときや過去の事件と比べて情報が集まっていない印象を受けた。このことから「この町は隠匿体質で恐ろしい」などという書き込みもあったけれど、そもそもこの町は人口の絶対数が少ない。ネット環境が整ってない印象もある(LTEが入るようになったのはここ1,2年くらい)。また、田舎の地域に特有だと思うんだけど、「2ちゃんねるを閲覧することですらバレたらヤバい」みたいな雰囲気が小中学生にあって、そのためタレコミが少ないんじゃないかと思う。
ただこの町の子供にITリテラシーがあるのかというとそうではなく、事件後のTwitterでは「矢巾北は報道されているような悪質な学校ではなくこんないいところもあります!」みたいなツイートが散見された。この件に関係のない卒業生はそんなツイートしても効果がないことを理解して欲しいし、在学生ならそんな書き込みをしている場合ではないということを自覚して欲しい。
この事件が大々的に報道されるようになったのは、担任のbotのような応答の影響もあれど、町の教育委員会や学校の対応がことごとく悪手だったのも挙げられると思う。なぜアンケートの結果の報告が二転三転したのか。なぜ校長は最初の会見時にマスコミを通して顔を公開させなかったのか。なぜ炎上がひどくなったタイミングで中学校のWebサイトを閉鎖したのか。このような対応への不信感と、被害者の父親の糾弾もあいまって今回のバッシングに繋がった感じがする。岩手では夏休みが始まるまであと1週間ほどなので、長期休みでうやむやになる前に町と学校は真摯に情報を公開し迅速な対応を取る必要がある。
母校をかばいたい気持ちもある。父親の子供への対応は適切だったのか、マスコミが一部のみをクローズアップして報道していないか、など疑問に思うことはいろいろある。だけどいまはただ少年の冥福を祈りたいし、事件の詳細が明らかになることを望んでいる。今度帰ってくるときには花束を手向けるつもりだ。
追記・
否定しておきたいのは、一部掲示板で上がっていた「どうせ宗教がらみ」「部落の多い地区なんでしょ」という声。たしかに公明党のポスターはちらほら目につくしローカル番組のスポンサーに創価学会、ということは多いけれども、しつこい勧誘はないし宗教の本部が町内にあるとかいうことはなく、宗教がらみの人間関係への影響は薄い地域である。また、東北以北で部落問題は聞いたことがなく教科書で初めてその存在を知った程で、岩手近辺の地域で「部落」という言葉は「集落」と同義であることを付け加えておきたい。
夏が近づいて来ましたね。
猛暑まで蝉の声は聞くことはないだろうな、と感傷に浸っていましたところ。
鳴きました。嗚呼、若い雄が雄叫びをあげ、己の青い生臭い生命を発散するがごとくの鳴き声が下階からきこえます。
シングルの部屋に、雄が三匹でしょうか。
この世のものとは思えない奇声が、深夜、住宅地にこだまします。
ウェーイ!
に心底怯えました。
おらーおまえー!ウェイウェイ…ゥラィ
いっしゅん落ち着く。
ウェーーーーーーイ!
平日の深夜になにやっているんでしょうかね。
安心してください、そのウェイウェイは充分すぎるほど届いています。
きみたちがおもうほどこのよはあまくない。
本当気をつけて。
きみらがウェイウェイ騒いだ余韻に乗っかってくるから。
犬と猫が。
隣のセントバーナードが切ない遠吠えをした皮切りに、向かいの家に住む4匹の小型犬がキャンキャン鳴き、
はす向かいの大人しいよくわからない雑種が怯えてヴァンヴァン言った直後に
階下に住む猫ちゃんたちがここぞとばかり喧嘩おっ始めてナーオナーオ泣くから。
犬と猫とカラスとウェーい。
お願いだから静かにしてください。
同じく東京から大阪に引っ越した人間から、大阪の良い、悪いと思ったところを
大大阪の時代の名残を感じるような綺麗なインフラ、立派なインフラが多くある。
志のある企業家が多く、なおかつお金があったから出来たことなのかもしれない。
そして安い(ビール大瓶330円~350円、1000円あれば飲んでつまんで十分)
これなら週3ペースで一杯飲んで帰れる
もちろん、しっかりしたお店は高いし、そこはそこでしっかりとした物が出てくる。
紀州や北陸、瀬戸内などの美味しい魚が新鮮な状態で入ってくる。
鯛は寿司や刺身からあら炊きまで、東京では食べたことがないような美味しさが味わえる。
梅田や難波に集中しているので、東京の時のようにあちらこちらの街に行かなくても十分買い物が出来る。
そして人も多すぎないので、ゆっくりと商品を選ぶことができる。
東京ではとても手が出ない立地のマンションでも、他の人よりもちょっと稼いでいる庶民であれば十分に買える。
これは本当につらい。特に歩きたばこが当たり前のように行われているので
駅のトイレなんかも汚いんだけど、古いというわけではなく汚いという印象。
清掃業者にあまりやる気がない&まともにきれいにしようとしていないという雰囲気だけども、
これは清掃利権云々があるから業者も変えられないのかと疑ってしまう。
とは言え、快適な住環境を求める層は阪神間や北摂の郊外に住んでいるので
そこで緑豊かな環境を享受しているからあまり問題ではないのかもしれない。
湯量も少ないところが多いので、なかなかかけ流しにお目に掛かれない。
まぁ、東京の油っこいモール泉も嫌いなので、どっこいどっこいか。
・星河万山霊草紙(1) 鈴木有布子
タダだったから。2話ぐらいだけなのね。
お兄ちゃんの、ひどい仕打ちを愛によって受け止めているそのメンタリティがキモカワイイっていうのかな。ひどい仕打ちに快感を感じるMとは違う。
おれはBL読まないので、BLの文脈はよくわからない。なので、ラブコメとして読んだんだけど、恋愛限界事例って感じ。
不憫系ってジャンルがあるみたいだけど(おれは良く知らない)、この作品はひどい状況を悲しく表現してはいないし、笑いをとる方向にももって行っていない。それによって、(人の心理を中心にしているにもかかわらず、)誰かへの移入に頼らず、ニュートラルな納得感を読者に与えているように見える。
暗くも明るくもしない作者のバランスがガッツリはまった良作ではないかと。
恋愛プロセスにおける、"おかしみ"がうまく出ている感じ。独特のクドさのある人の画も良い具合にはまってるのでは。
画も内容も昔より暑苦しさが増してる気が。
閉鎖された仲良し空間の暑苦しさを楽しみたい人には最高。個人的にはちょっとおなか一杯。
・恋は雨上がりのように(2) 眉月じゅん
1巻を買って、迷ったけど2も購入。
純愛ものをひねりの無い展開でシリアスにやってて、でも古臭くならないように注意している感じかな。
百合を面白いと思ったことがないにもかかわらず、たまに、なんとなく、買ってしまう。
これもそのうちの一つだったけど、おもいがけず面白かった。初めて百合を面白いと思ったかも。
この手の逆転系はよくあるけど、無理のない展開って結構難しいと思う。にもかかわらず本作は納得感ありつつ進行していて良い。
そういった意味では、百合じゃなくても面白かったんだろうなとは思う(百合環境の上で成立しているので、実際は必須なんだけど、比喩として)。
画はうまくはないけれど、人のたたずまいや、内面が表出する部分を丁寧に表現していて魅力がある。
結局、内容が良ければ、百合もBLも面白いってことなんだなー。などという当たり前のことを、「彼女の世界」と「起きて最初にすることは」に教わった。
タダだったから。
・ヨコハマ買い出し紀行(1-12)芦奈野ひとし
過去に紙で読んだ作品。その時もドはまりした記憶があるが、改めてハマった。
kindle で1巻が無料だったので、「なつかしーなー」と思って1巻を読んだら面白くて結局2-14巻も買ってしまった。
人類の来し方と、残る世界の行く方が交差する大きな転換点をユルい日常の連続と個人の視点で(いまなら許されないだろうと思うほど)暗示的に表現しており、今読んでもユニーク(のんびりした終末感は"渚にて"が思いつくけど)。
テーマは基本的に作品の背後にあるが、ポツポツと表出されるところの表現が秀逸。アルファさんの「知ってるよー」は何度読んでも泣く。
日常のユルい表現も、言語化されない人(じゃなくてロボットか)の心理が多分に含まれていて、その密度感が作品の足元を支えている印象。
芦奈野ひとしが画が上手いのは今更としても、この作品が一番ハマってるなあと改めて思った。光/影/空気/地表/大気/水面/空/雲/晴れ/雨/土/砂/コンクリ/鉄/木材/植物/朝/昼/夕方/夜.....作品の環境に関するあらゆる表現が驚くほど高度でビビる。
・ストレッチ(3) アキリ
だいたい web で読んでだけど、また読んでも面白い。5回ぐらい読んだけどまだ面白い。
2人のトゲとボケを含む愛のあるイジリあいはいつまででも見ていたい。画もうまい。
どうでも良いけど、ワンレンのOLって。作者は幾つぐらいの人なんだろ。
完結してた。
このくらい恋愛要素が奥まってるほうがイイと思う。
建築については、その魅力がなかなか伝わってこなかった。人的なドラマ要素を持ち込んでいるので退屈はしないけど。
作画はマユリの頭がコーンヘッド気味に見える絵が多くてちょっと気になった。後頭部が上にトンがってるように見えると言うか。(追記:観察してみたら、こういう風に見える人いるね。特に女性。なのでこの評価は不当だと思う。よく見てから言えって話だ。)
女性がかわいいとされてる作家だけど、個人的には男性のほうがバランスよくて上手いような気がする。
・となりのロボット 西UKO
ロボットというと産業ロボットなんかも含むので、どちらかというとヒューマノイドとかアンドロイドって言う方がしっくりくるんだけど、あえてロボットって言い方をチョイスしてるんかな。ロボットの存在の仕方について、突っ込んで考慮されてて面白かった。作画はあんまり。
完結してた。ダラダラ続けるのに良いフォーマットだったと思うけど。
もうちっとぶっ飛んだ感があったほうがこの作家に向いてるかな。とは思った。
作画はいつもの通り、デフォルメして特定のパタンに落とし込む方向。顔はうまいだけじゃなく、場面ごとに表情が丁寧に考慮されていて、見ていて楽しい。
街の作画もかなり丁寧(重要な要素だしね)で、都心近くのちょっと古い商店街/住宅地の感じが良く出てると思う。
スズナが公園で遊んでる回の作画は全身で動きがある画が多くて良かった。
この作品では初めて見る構図やポーズも自然で良い感じにこなしており、上手いと思った。
普段ほとんど室内で顔ばっかだしね。男女ともにみんなカワイイので良いけど。
黒目が大きいのが個人的にはあんまりなので、スズナとウリサワが好き。
・うきわ(3) 野村宗弘
終わってた。着地点は、まあ妥当というか、これ以外の着地は難しいだろうなあというところ。
エンドロールもそうだったけど、ミニマルで内向的な作品が続いていて、その辺のニーズが強いんですかね。
鉄工所みたいに、にぎやかな作品もそろそろ読んでみたい気も。
・ちろり(7) 小山愛子
概ねいつも通り。ちろりは話の流れ的に表情が増えてきた気が。
ややエグみのあるエピソードを笑いやノスタルジーに落とし込んでいて、好き嫌いの分かれる作品だと思う。
個人的には、つまんなくはないけど、好きではない。って感じかな。。
・ふだつきのキョーコちゃん(4) 山本崇一朗
何を楽しめば良いのかがよくわからないというのが正直なところ。つまんなくはないけど。
キョーコの体質を基にしたドタバタなのか、兄妹のイチャイチャなのか、ラブコメなのか。そのほかの何かなのか。
雑多なネタを扱う作品は結構あるけど、その路線で成功してる作品はメタなレイヤーでの一貫性があるように思う。
いつも通り。前巻で娘が出てきて波風あったので、今回やや退屈な気もするが、そもそもそういう作品なので文句はないです。
大河系というか、こういう系は完結してからまとめて一気に読んだほうが面白いね。
1-10を続けて読んでるときは面白かったのに、間があいて 11 を読んだら、ちょっと没入できなかった。
・コンプレックス・エイジ(4)佐久間結衣
新キャラ投入でやや波風ありつつも、面々が相変わらずまじめに楽しくやってる感じ。
とある漫画家の昔語りとしてそれなりに面白かったので、死をあんなに盛り上げなくても、もちっとサラっといっといても良かったんじゃないの?って気が。
まあ、この作者なら盛り上げていくんだろうなあとは思ってたけど。あまりにまんまで笑った。
いわゆる大規模な、区画整理された整然とした住宅地って、近くに「コンビニもなければ」「喫茶店もない」。
だから、例えば「14時にお伺いします」とアポを切った場合に、
電車遅延等に備えて早めに会社を出て、結果13時30分に現地に到着したような場合に
「時間調整が出来ない」。
これが「区画整理されてないような、雑然としたエリア」なら、30分間時間をつぶせるようなサ店とか、
せめてコンビニとかがあるのに、「パーフェクトな住宅地」には、それがないから困る。
仕方ないから、児童公園のベンチで30分ほど暇をつぶしてたりするが、下手すれば不審者として職質受けてしまう。
「貴方だって、お金持ちな方じゃないの?ここら辺に住んでいてよく言うわ」
天使は碇のマークがついたセーラー服を着ていた。あぁここら辺の品のいい高校の制服だ。
「それより、どうして制服を着ているんだ?」
「なんでってファッション あと、着ていると人に喜ばれるのもあるかな」
京都の自分の部屋の風呂場で死んだ自分に似たブッサイクで酷い面だった天使とはえらい違いだった。
すごく美しくて、自分に自信があって、余裕がある。
大抵の天使は美しく生まれるのに、ごく稀に酷く醜く生まれるのだ。
「罰なんじゃない?」
「僕が醜いのは?」
「罰なんじゃない?」
「どうにかなるのかなぁ きっと死んじゃえば一緒よ」
今を楽しめる天使というのは美しくなければいけないのだった。
1匹3,000円。
平日の真っ昼間。東遊園地で酒を飲んでいたボクに
「ボク、猫は好きか?」
なんでも、とにかく猫をつかまえたらお金をくれるらしい。
バイトをしていなかったボクは興味を持った。
ちょっとやってみたが猫を捕まえるのは思っていたよりも難しい。
そして公園にいる野良猫を狙うのは効率が悪いことに気がついた。
そこでボクは少し考えて、商店街ではなく住宅地に罠を仕掛けることにした。
当時は飼い猫も家の外にも自由にやっている家が多く、
野良よりも飼い猫の方が警戒心が薄いとあたりをつけた。
このヨミがあたった。
コーナン(ホームセンター)で害獣駆除用の捕獲罠を買ってきて、
日が暮れてから宅地の児童公園に罠をこっそり隠すように置いた。
(ひと目にはつかず、猫目にはついてくれよ)
いつも祈っていた。
早朝に回収に行くと面白いように猫がかかっていた。
ボクはすっかり猫を捕まえることが楽しくなってきた。
毎日猫を捕まえに行くようになった。
そしてしばらくすると周囲から猫がいなくなった。
あれから20年。
6/14のことだ。仕事が終わり、かねてより約束していた飲み会が大阪某所であった。
酒に弱い自分も、今日は久々だからとそこそこ飲酒もし、解散後も日本橋の店やカフェを巡って楽しい時間を過ごして実家へと家路についた。
最寄り駅を降り、駅舎を出て歩きはじめ、自宅までちょうど半分くらいに差し掛かった頃、急に猛烈な便意を催した。
今まであまり感じた事のない、急激な下痢の予感。飲み会での飲酒飲食、その後のカフェでのコーヒー摂取がかなり負担になっていたのだろう。
深夜でもあり、周りに人気はほぼゼロ。もしこれが自宅そばでなければ、迷わず茂みに飛び込んでそこで放出する事も出来たが、生憎と遮蔽物も無い住宅地。
いくらなんでもそんなところでのグソは出来ないし、万が一ご近所に視られたら…無理な注文であった。
これまでも間の悪いタイミングで催し、限界ギリギリで難を逃れた経験は比較的あった。今回も何とかなるだろうと、お尻の筋肉に喝を入れて自宅に急いだ。
しかしこれがいけなかった。判断力も鈍っていたのであろう、あまりに急激に動きすぎてしまったのだ。
アルコールも回っているせいか、一歩一歩がとてもしんどい、ぜーぜーと息も上がってきた。
自宅前に立ちふさがる20数段の階段が非常に恨めしい、なんとか耐えきり、登りきった。
後は30数メートルまっすぐ進めば、実家が見えてくる。視界にそれが入ったとき、安堵感からふっとお尻の筋肉が弛緩してしまう。
突然、むりゅむりゅっとひり出されてくる感触に戦慄する・「ああ・・・!あああああああっ・・・・!!!!!」
無意識にお尻に手を当てて走る、もうなりふり構ってられない、とにかく走る、ちょっとくらい出てしまうのは仕方ない、とにかく鍵を開けてドアを開け、便所に駆け込むその一心だった。
自宅前のポーチに辿りつこうとした時だった、遂に粘ついた下痢状のモノがいよいよ溢れ出す感触が尻全体を覆い、太ももを伝って、靴の中にぬるっと入る感触を覚えた。
思わず、夏目漱石先生がうんこを漏らしてしまったくだりが頭に思い浮かんだ瞬間であった。
終わった、全てが・・・
汚れきったお気に入りの白いズボン、まだ新しかったベージュの皮靴、おろしたての靴下、全て見事に下痢便に染まってドロドロであった。
深夜なので、誰も外に居ない。放心状態でそれらを脱ぎ捨て、下半身裸の状態で、そばの排水溝で残りをすべて出し切り、もはや一人ではどうにもならないと悟って実家のインターホンを押した。
父親が出た。事の顛末を伝えて助けを呼ぶ。静かに出てきてくれ、後始末に使う雑巾、ビニール袋、水遣り用ホースなどなどを府一派りだしてもらい、下半身を洗い流した。
複雑な表情を浮かべつつ、時折怒りが抑えられず私の頭を殴りつつも、後始末を献身的に手伝ってくれた。全く頭が上がらない、情けない気持ち、消え入りたい気持ち、感謝の気持ち、アタマがぐるぐるした。
先に寝ていた母親と妹も起き出してきたので、全てが露見した。さすがに外には出てこなかったが、翌朝から今に至るまで一言も私と会話を取ろうとしない。家の中ですれ違うと露骨に避ける。妹にいたっては、私を汚物を見る目そのものであった。
父親にはここ最近の外出、生活態度からありとあらゆるお叱りを受けた。元々、あまりに出来の悪い息子なため、こういう事態になると日頃押さえている言葉が続々出てくるのも致し方なく、私はただ無言でうなだれ続けるしかなかった。
漏らしたブツの後始末すら、自分一人でやりきれず手伝わせたのだから、全く以て情けないの一言なのである。風呂の中で思わず、ほろりと泣いた。とにかく情けなかった。そして唯一叱ってくれる父親に対する感謝も。
その夜は全く眠れず、夜が白み始めた頃を見計らい、暗すぎて出来なかった後始末の残りを、一人庭先で手早く済ませ、汚れ物はすべて新聞紙にくるみ、ビニールを何重も被せ、ちょうどゴミの収集日という事もあり、ゴミ捨て場に。
記憶を総動員し、漏らし始めた当たりの場所もくまなく調べ、落ちていた汚物を回収し、雑巾と水入りバケツで手早くアスファルトをこすり続け、水を流し続けた。懇意にしているご近所さんのそばで零していたのだから、間違っても放置なぞ出来ない。
全てをやり終え、もう一度風呂に入り直した。上がった頃、父親が起きてリビングで待っていた。
表情は相変わらずの渋面だったが、日課の新聞を読み終え、外に出て汚れや臭いがまだ目立っていないか、共にチェックをしてくれた。
なんやかんやで気を回してくれる父親の存在が、本当にありがたく感じた。恐らく、今日の出来事は一生、言われ続ける事であろう。
願わくば今後、この私の失態が、笑い話に出来るようになるよう、少しでもマシな息子になれるよう、頑張ろうとちかいつつ、その朝も出勤した。(終)
http://potatostudio.hatenablog.com/entry/2015/05/16/090000
これなぁ、行政・公共施設と「地元」との関係であって、少子化の話とは分けて考えた方が建設的。
情緒的に「やめようよ」というのは本当に簡単だが、そうやって自分だけが安全圏でご立派なことを言うこのブログの下衆さはひどいものだと思う。
っていうか、このブログは馬鹿が書いた馬鹿ブログで、中身ゼロの中学生の感想文レベル。
本当に中学生だったらごめんなさい。っていうか中学生にしては文章うまいね。何か他のエントリ読んでも中身ないし本当に中学生かもしれないけど。
自分は建設系のコンサルをやっている。土地利用や公共施設の設置についてああだこうだ資料を作成したり、コンペ要項作ったり確認申請したりとか。
民間企業なのだが、大変ニッチな仕事なので自分がやってるブログでは書かずに増田に書くが、首都圏では保育園の建設ラッシュである。
行政によって、保育園の区分とか手続きの方法や建設補助金額とかはちょっと違うのだが、
1都3県で保育園新設の仕事をいくつかしてる中で思うのは、特に民営の保育園については、準備期間が短すぎる。
ひどい場合、そして多くの場合、設置希望時期(大体は3、4月)の半月前ぐらいに要綱が出たりする。
保育園業者は、役所から情報をもらいながら準備はするものの、申請時期は、建物や設備を準備する時間を考えたらギリギリスケジュール。
パターンとしては「この場所に保育園作りたいので誰か手を挙げて」という場合が多いのだが、
その場合、近隣住民がそれを知らされるのは要綱が出て、入札があって落札された後だったりすることも少なくない。
本当は役所が、当該の土地で保育園作るよって周知してほしいと思っているのだが、なぜかそれが全然周知されていない。
それは、役所がどこも人手不足で忙しいからだ。建設・都市計画関連ももちろん、保育関連の部署も死ぬほど忙しい。法に定められた以上のことが出来る余裕がない。
業者もスケジュールがカツカツななかでやってるもんだから、地元住民への周知や理解促進は後手後手である。
地元住民はある日突然、保育園側から「よろしくお願いします」とあいさつされに来る。それならまだマシな方で、
建設業者だけがタオル持って近隣説明をする場合や、もっとひどいと何も知らずに、いきなり保育園が出来てたりする。
保育園ママの送迎カーが多くなってこの通り何だか最近騒がしいねなんていって知る羽目になるケースもある。
もちろん建築に関する法律上近隣への説明義務はあって、その範囲のことは当然やっているので法的には問題はないのだ。
でも、地元民にとっては割と大きな変化なんだよね。
それがコンビニだったり自分にも恩恵があったり、完全に民間のものであれば環境変化に腹を立てる人もそのうち慣れる。
街の風景って大抵が、半年すると慣れてしまうので、色々あっても気持ちは収まる場合がほとんど。
でも、地元に住んでる人が、ただでさえ環境変化にナーバスになりがちな年寄りだったりすると、公共施設だからこそ、納得できない思いが生まれてしまうらしい。
そりゃ老害乙と言えばそれまでなんだけど、公共ってことは自分に害をなすことから一番遠いところにあると、誰でも思いたいものだから
それが、急に毎日騒がしくなったり、朝の散歩するのに何だか車が多いなぁなんて思ったりしちゃうと、嫌悪感だけが育ってしまう。
役所は、移動人口状況や窓口の相談件数や用地情報や予算やら、色々な条件を見ながら「ここに保育園」と決める。
もうちょっと準備が早くならないかとは思うが、でも、人手不足と、それ以上に保育園は需給バランスを取るのが本当に難しい。
それに、昨今の「市民の目」によって一番厳しく監視・評価される部門であるため、色々な問題もあるらしい。要するに市民団体あたりの外野がうるせー。
保育園業者は、自分たちがこれからそこで経営する責任があるんだから、近隣との円満な関係形成は大切だよと、実際に仕事してて何度も説明してきた。
しかし、割と世の中から褒めそやされているような業者でも、その辺はおどろくほど無頓着だ。
善意の結果の悪意というか、自分たちは絶対善をおこなっているという自負があるのか、近隣調整した方がと言ってもしてくれない。
人手不足金不足もあるのだが、今まで保護されてぬくぬくやってた業者なんかは、「近隣と調整」という問題があること自体が理解できないらしい。
この辺は、まぁ元記事や、一部のお花畑ブコメ見たら、まさに「外野のいい子ちゃん」メンタリティと一緒だと思う。
そしてお前外野じゃねーんだぞ、って思うことは多いが。保育業者ってホント酷いところは酷い。世間ずれしてなすぎというか。
保育園利用者の人たち、99.9%の親御さんには何の罪もない。もちろん奇声を上げる子供には一ミリも罪はない。ただ、0.1%のひどい親はいる。
この本当に一握りのひどい親が、「よく分からないうちに近所の環境が急に変った…」とくすぶっていた地元の人の神経を逆なでするという構図は、
割と多くの保育園で、立ち上げの1、2年の間に起こっている。
後もう一つには、保育園って、ほとんどの用途地域で建てられるんですよ。ダメなのは工場しか建てちゃダメな工業地域ぐらいか。
一方で、第一種低層住居専用地域というのがあって、これに指定されているのは、基本的には「超良好な住宅地」である。
でかい家しかないような場所。物凄く厳しい建築規制がされているし大きな建物も建てられないが、保育園は建てられる。
なので、今までは学校とか幼稚園保育園がなかったような場所にも、保育園が増えてたりする。建蔽率40%なんて、園庭にちょうどいいしね。
問題になってるケースがどれに当てはまるかは、まぁ知ってるのもあるけど知らないモノの方が多いから何が誰が悪いとは言わないが
少なくとも、真面目な中学生程度の情緒的な感想では、問題の解決はできないどころか、
ブコメ参照の通りに似非善意と現実の間の谷を深くしてるだけの罪深い文章である。
ブコメを見ると、お金で解決すれという人と、お金でどうやって解決するん?という人がいた。
が、それ以上に、近隣の人への理解協調促進する時間が出来やすくなる。実は騒音問題とゴミ屋敷問題は、地域問題・老人問題である側面も小さくない。
地域の困った老人は、適切なコミュニケーションと協調体制によって黙らせることができないこともない。
最寄駅は、アメリカ西海岸のマイアミのような街に、と嘘のような本当の話で命名された舞浜駅。
ここは異様に関西人率が高い。
駅前には日本でもトップクラスの売り場面積を誇るダイエー新浦安店があるが、この中を闊歩している関西人の多いこと。
震災、液状化現象の影響もあり、一時期ほどのブランド力はなくなったが、それでも理路整然と区画整備された道路、広い歩道、並木道、
そして何よりもあのネズミーランドの近辺ということで、関西人にとってはあこがれの土地らしい。
しかもタチが悪いことに、新浦安近辺に住んでいる関西人は自分のことを千葉県民だと理解していない。
関西の友人にも千葉県民であるとは伝えず、ネズミーランドに近い、家からネズミーランドの花火が見える、ということのみを自慢にしている。
自慢される側もUSJで対抗するのだが、やはりネズミーランドの魔法にはかなわないらしい。
それでも近年の魔法勝負なら、メガネ魔法小僧が関西人になったので、いい勝負になっているかもしれないが。
またこの手の関西人に多いのは、関西住む友人を新浦安まで呼びつけて、家に泊めてあげるから遊びにおいで、とまた要らぬ自慢をするのだ。
誘われるので試しに来てみると、新浦安の埋め立て住宅地からネズミーランドまでは結構遠かったりするのだが。
なんにせよ、私はネズミーランド周辺の住宅環境にあこがれて新浦安に住んでいる関西人が嫌いだ。
そんな奴らと付き合うくらいなら、ただ土地を持っていただけで超ラッキー的に金持ちになった漁師町浦安住民であるの一軒家成金のほうがよっぽどマシだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blogos.com/article/111422/
Josequervo 中国人と日本人の海外コミュニティを同一視するコメあるけど事実誤認も甚だしい。日本人は海外じゃまとまらなくて海外コミュニティはどこも虫の息。
えー日本人会とか普通にあるだろ。元々海外在住人口少ないから中国人ほどの規模が無いだけで。
海外住んだけど日本人としか交流しなかったから言葉一切覚えず帰国した、なんてよくある話だし。
アメリカで、日本人駐在族が会社の金で高級住宅地に住んで同じ日本人だけで固まってろくにアメリカ人とは交流しない
→現地の近隣住民(高級住宅地に自腹で住める金持ちばかり)からしたら
「英語もアメリカの常識も知らない貧乏アジアンが固まって暮らして地域に馴染もうとしない」ようにしか映らない
ってな話なら聞いた事が。
日本人からしたらどうせ皆数年で帰国予定だし、日本人同士でつるんでりゃ当面の生活も困らないから地域に馴染む事なんて感心ないわけで。
その地域の事はさっぱり分からないから的外れかもしれないけど、
新しく出来た住宅地の場合、限られた年代の人ばかりが引っ越してくるから
子供の数が突然急増してその後急減するって事はよくあるよね。
今足りてなくてもすぐに急減するのが予測出来るなら、敢えて小学校を新設するのは予算の無駄遣いである、ってのは十分理解出来るんだけど。
そうですね。
その辺へ懸念事案ではあるようで、単純に今の推移で考えれば、少子化を考慮にいれれば
ただ、それを回避するために養育モデル地区としてアピールすることで
推移を増加に上げていきたいという意図はあったようです。
土地は確かに少ないですね。
ですが現状では、県営の集合住宅などは空きが多いように見受けられます。
それに、現在空き地が多数あり、それらを住宅用地として整備を行っている真っ最中ですね。
どうしても、三陸沖地震の影響により、津波があった場合に、海の近くなのでということで
販売が伸び悩んでいる現状だそうです。
判断としては難しい所ですね。
記事にある
開校後10年で単学級が生まれる見込みがある
ってのはどうなん?
その地域の事はさっぱり分からないから的外れかもしれないけど、
新しく出来た住宅地の場合、限られた年代の人ばかりが引っ越してくるから
子供の数が突然急増してその後急減するって事はよくあるよね。
今足りてなくてもすぐに急減するのが予測出来るなら、敢えて小学校を新設するのは予算の無駄遣いである、ってのは十分理解出来るんだけど。
まだまだ土地も家も余ってるってならいいけど、もう新しい住宅を増やす余裕はないってなら
今居る人は子供が中学生以上になってもそう簡単に引っ越さないだろうから、住む所無いんじゃない?
そもそもこれから子供を産もうって人は、普通はそれに適した場所に住むよね。
周囲に小学校がない土地に敢えて住むってのは、社宅だから選べないとかでなければ
親の代から元々そこに住んでたとか、小学校が無い分ファミリー層に敬遠されていて安いからとか、そういう理由だよね。
んで小学校が出来たら需要が上がって住宅の値段が上がるだろうね。
増田がそこに家を持っているなら得するだろうね。
それ目当てじゃないの、と勘ぐれるけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH3W76FKH3WUTIL04M.html
http://urx.nu/iZxR/見りゃ分かるけどすぐ近くに小学校もあるわけで、本当に騒音が問題にされてるの?これ。
そりゃすぐ隣の家の人なんかは騒音が一番の問題だろうとは思うけど、反対署名220名分って事は離れてる家の人も大量にいるだろ。
ストリートビュー見る限りめっちゃ道が狭い住宅地なわけで、送迎の車による渋滞の方が懸念されてるんじゃね?
二台すれ違うのもぎりぎりっぽい道で大量の車が来て子供の積み下ろし始めたら道が詰まるのは確実、
それが毎朝続くと考えたら近隣住民としてみたら嫌すぎるだろ。迎えの時間も同じく。
老人だけじゃなくて車通勤の人なんかも通れなくなるよ?毎朝だよ?お前らだったら我慢出来んの?
車通園禁止を徹底するとかしかないだろうけど(それでもこんな狭い道に幼児連れでふらふら歩く連中やら暴走自転車やらが大量出現ってだけで十分危険だし迷惑だけどさ)
http://mainichi.jp/shimen/news/20150101ddm041040040000c.html わかりあえたら:不寛容時代に/1 住民、漠たる不安 住宅街の障害者ホーム建設 「暮らし壊される」、過熱した反対運動
この記事の場所って確か生田だったと思うんだけど、あの辺はいわゆる「かつての新興住宅地のなれの果て」のような場所だ
団塊の世代の首都圏への人口流入を見込んだ宅地開発が進んだ場所で、今では、住民の老化とともにただ老いているだけの街
現在でも流入人口はあるにはあるのだが、より安い住居費を求める子供のいる家族層が中心で、やはり元余所者のサラリーマン核家族だったりする
要するに、「おんなじような構成の家族だけしかいない街」という郊外の問題が少なからずあるんじゃないか。
郊外住宅地というのは生田に限らずだいたいこんな感じで、異質なものを受け入れがたいコミュニティだ。
自分は古い下町の商店街に生まれて育ったんだけど、小学生のある一時期だけ、生田じゃないけど似たような郊外の住宅地に親の仕事の都合で住んでいたことがある。
妙に熱心なPTAが主催する無味乾燥でビックリするほど面白くない地域のお祭り。
下町からすると驚くほど優等生でツルっとした普通な生徒ばかりなのに、定期的にいじめ問題が起こる学校。
テレビを買い替えることになったので不要な家具やら古い家電を粗大ごみで捨てようとしたら
年金暮らしの母が「土曜日の朝に表に出しとけばこの人がタダで持って行ってくれるって」
といってチラシをみせてきた。
赤い字で、12月20日(土曜日)9時ごろに玄関先に不用品を出していただければ無料で回収します、
と書かれていて、回収可能な品目がずらっと書かれていた。
玄関先においておくのはいいけど、自転車とか鉢植えとかこちらが「ゴミ」としたもの以外もトラックに積み込んで、
玄関先においてあった物は回収するっていう約束だから積み込んだ、おろしてほしかったら積み込みと荷降ろしの手間賃払え
という寸法だ。