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2016-03-11

東京から電車で1時間程度の田舎だけど

そういえば保育園って田んぼの中(住宅地から離れたとこ)にあるな

住宅地の中にあったら確かに騒音とか気になるかも

都会は大変だなー

2016-03-08

子育て自己責任について

とある雨の夜、保育園からの帰り道。

1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。

住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。

朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。

結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車タクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバス横断歩道の手前に停車してくれた。

3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔バス運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。

自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。

つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。

まず、十分な金銭的体力が必要だ。

出産費用にはじまり医療費教育費はもちろん重くのしかかる。

家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。

年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。

子どもを育てるコスト負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。

私たち夫婦は貯蓄も保険も、ずいぶんと積立額を増やした。

問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。

成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。

となれば、椅子取りゲーム競争に勝ち、立場給与を力づくで手に入れるしかない。

勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。

それも競争社会における自己責任なのだから仕方がない。

そしてその競争に参加するには、子ども存在は重たい足かせになる。

家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子ども時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事効率化する。

だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。

子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。

この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟実践要求する。

この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。

では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。

私たちの親世代一般的だったように、企業戦士専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。

答えはノーだ。

なぜなら、私たちの親世代私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。

かつて、日本企業滅私奉公要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。

のしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。

今は違う。

主たる生計者が期間限定雇用に甘んじている状況は珍しくない。

正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。

から私たち共働きを選んだ。

どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。

競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金必要とする子どもたちに応えるためだ。

そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。

数が足りない認可園に入れないリスク対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。

秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考ポイントを加算するためだ。

11月まれ1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所入園できれば、私たち夫婦収入でも対処できる。

本当は4月5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年仕事を離れることになり、復職ハードルが高すぎる。夏から4月までをシッターで乗り切るのはあまり経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。

結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。

そこまでして復職しても、いわゆるマミトラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。

保育園落ちた日本死ね!!!」というブログ話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。

同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。

それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。

誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。

保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。

ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。

行政提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービス活用している。

そこまでしてでも、母親正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。

少なくとも私はそう考えている。

母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。

そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。

誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。

自己責任」という言葉のなんと暴力的なことか。

ひとり、あるいは複数人間新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。

それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから自己責任範疇である

費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。

それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。

もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。

ここまでは、物質的な話だ。

子どもを育てるには、物理金銭的に大変な努力必要なのはもはや否定できない。

次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。

公共交通機関子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。

冒頭、娘が呟いたように、横断歩道ゆっくりしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。

私は別に子どもいるか配慮してほしいとは思わない。

必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。

それでも、子ども連れでいることで向けられる世間まなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。

一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから安全確認するまで辛抱強く待つ。

走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。

帰省の時期、私たち家族はよく新幹線を利用する。

もちろん、指定席子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。

大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。

飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。

万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。

少しでもぐずれば即座に席を立ち、デッキであやす

だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両デッキ自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。

一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。

子が公共の場所で泣かず、疲れたわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。

この国で、親子で公共の場にでかけることはあまりにも苦しい。

容赦なく投げつけられる批判まなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。

人の親なのだから、当然のことだ。

だが、そう理解していても、親だって傷つく。

育児仕事を両立し、世間には頭を下げて生きていく。

自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。

仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。

今のところ、私たち家族はそれを実現できている。

本当に幸せなことだ。

川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。

だが同時に、ひどく不安にもなる。

私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?

家族健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?

身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。

本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。

仕事に集中し、結婚出産もしなければ、私がとるべき自己責任対象は私1人分でよかったはずだ。

(もちろん、親の介護は忘れるわけにはいかないが)

幸せを求めて、家族を築いたのは私のエゴなのかもしれない。

そのエゴの対価を、私ごときに支払い切れるのだろうか。

長くなってしまったし、いささか愚痴っぽくもなってしまった。

ただ、保育園子どもをいれられなかった親が怒り、子ども障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。

そして私はこれから子どもを持つかもしれないひとに伝えたい。

今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲子ども全員にまで広げるということだ。

そこに伴う困難は、おそらく想像を絶するものがある。

それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。

…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。

この国は総論としては少子化を憂い、子どもを求めている。

だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティしかない。

私たちは誰もが自分幸せ自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。

子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判さらされることが増えると覚悟してほしい。

それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクペナルティ度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。

どうか、人生の大きな決断は慎重にしてほしい。

私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。

まだまだだな、と思うばかりである

2016-03-06

戦隊もの主人公って、感情あるの?

子供と一緒に戦隊ものDVDを見た。

そこでは、正義感に溢れた主人公が、自分の知り合いが人質にとられているからという理由テロリストビル群を倒壊させるのを容認していた(「やめろー」とか叫んではいた)。毎週敵の巨大ロボや怪獣が現れ、無警戒の一般市民が逃げ惑っていた。

正直、見るのが辛かった。敵の戦闘機が目の前で住宅地を絨毯爆撃しているにもかかわらず、唯一の戦力である特殊戦車の中で夫婦漫才をしている「正義の味方」は、本当に怖い。彼らが感情を持った人間であるとは思えない。こんなの子供に見せていいの?幼稚園児って、他者理論を獲得して、周りにいる人間自分と同じような存在なのだ、ということを理解するかしないか、みたいな発達段階だよ?

2016-03-05

いやまあ行政気持ちもわかるよ

今なんか造ったって、そのうち使わなくなるのわかってんじゃん。

こちとらニュータウン育ちでさ、仮に増田が丘としようか。

住宅需要の高まりを背景に、今から数十年前に造成された、どこにでもあるような郊外住宅地だ。

今では他のニュータウンと同じく、高齢化に悩まされてるらしい。

あん排他的住民ばっかなとこ、誰も引っ越したくねえから当然なんだけどさ。

で、増田が丘には増田が丘小学校があったのよ。

ご存知の通り、ニュータウンというのは、だいたい同じ世代が一度にやってきて、入れ替わることもあまりない。

すると必然的に、子供の数はある世代でワッと増えて、後は減る一方となる。

増田が丘小学校もその例に漏れず、ピークの時には児童が1200人もいたらしい。

でも俺らはその後の世代で、その頃には6学年合わせても4~500人程度だったから、

1200人もいた頃のことなんか知らんし、想像もできんのよ。

唯一、その名残を今に伝えているのは、空き教室無駄な多さ。

多目的教室やなんたら準備室と名前はついているが、もちろん普段は全く使わない。

これってさ、無駄じゃん。みんなの嫌いな無駄じゃん。

ニュース待機児童が多いって言われてるのも、最近またニュータウン造成しまくってるとこでさ、

今あるとこが活かせないのかなって思うよ。まあ無理なんだけどさ需要がないから

でも、わざわざ激戦区に引っ越しといて競争が厳しいとか言われても、そりゃそうだろうって思うよ。

行政だって人口が増える見込みもないのに、新しいもの造る気にならないよ。

どうせ20年もしたら持て余すんだから。あの小学校みたいに。

2016-02-29

バーとか立ち飲み屋で会話を広げる方法

バーとか立ち飲み屋で会話を広げる方法自分備忘録として。

前提:地元都内住宅地)の店で、店員から簡単に紹介された後の会話

 

要点:

・話を聞くとき自分情報をセットで伝える。一方的質問して、詰問調にならないように。

基本的には、質問肯定→深堀。7聴いたら3話すぐらいが目安。

最初から深い個人情報は聞き出さない。名前と酒や食べ物の趣向がわかれば十分。

男性には仕事の話を聞いても問題ないが、女性自分から話し出すまで聞かないでおく。

・先に帰る際は、今日ありがとうございました、と告げてから帰る。老若男女問わず

 

 

例①住んでいるところから話を広げる方法

自分】このあたりにお住まいですか?

相手】●●あたりです。

自分】(スーパー名とか公園)が近くていいところですね。というと、通勤は●●駅?

相手】そうですね。

自分】私は××駅まで通勤しているので、○○駅(店からちょっと遠い)を使ってるんです。近くて羨ましい。どこら辺までいらしてるんですか?

相手】△△駅です(だいたい新宿渋谷品川赤坂新橋などのオフィス/繁華街が多い)。

自分】そりゃ良いところだ。結構飲むところも多いんじゃないですか。

相手】そうですね。だいたい●●とか、●●が多いですね。

    (以下、酒とか食べ物趣味の話に発展させる)

 

例②地元の話にするパターン

自分】このお店はよくいらっしゃるのですか?

相手】そうですね。月に●回ぐらいです(だいたい月1~4回が多い)。

自分】私は月に2回ぐらいなんですが、通いたくなる良いお店ですよね。(店員名前)さんも暖かい方ですし。

    (店員を軽く話に絡ませる)

自分】もうこの街に住まわれて長いんですか?

相手】●年ぐらいです。

自分】●年だったら色々と行ってるんじゃないですか。他によく行くお店とかありますか?(他店の話はNGな店あり。めったにないけど)。

相手】●●とか●●ですかね。

自分】ああ、●●ですか。話には聞いてるんですが、行ったことないんですよ。どんな感じですか?

    (以下、酒とか食べ物趣味の話に発展させる)

2016-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20160219174424

消滅しそうといえば豊島区だw

豊島区だとすると、核家族世帯が少ないから楽なのかも。

うちは城東都心、両親は隣の区と隣の県だだけど、増田と同様、元々増田みたいな狂ったことはしてない。

都下とか湾岸とかの住宅地に住んでる人は大変だったとは聞くけど、

実際に保育園難民になったという話は、Wインカムの同僚からも聞かないんだよなー。

2016-02-12

空き巣の下見だったらどうしよう

今日の昼頃インターホンが一回だけ鳴った。郵便物を頼んだ記憶はないしパジャマ姿だしで面倒だったので居留守を使った。物音を立てぬよう、しずかにモニターのぞくと50〜60代と思われる作業着姿の男性のようだ。不在票をポストに入れたら出よう、と思った瞬間男性はなにやらメモをとり、スクーターで走り去ってしまった。これ、空き巣の下見だったらどうしよう。考えすぎだろうか?

すっかりビビってしまったので対策方法を教えていただきたいです。とりあえず今通帳をまくらの下にしいて寝てる、、、居留守したこと後悔。

洗濯物干してたし、女性一人暮らしがバレたかな、、、

自分…女 初めてのひとりぐらし

家… 住宅地 長屋風のつくりでメゾネット。1階はキッチンリビング、2階は寝室とベランダ

侵入できそうな箇所

ドア→タイプとか詳しくわからないけどノーマル?な鍵がひとつ 家にいるときはチェーンを欠かさず着ける。

1階のサッシ→外からだと建物の裏側に入らないと無理で一戸建てのお隣さんと密接している。雨戸をしめてる。

2階のベランダ道路挟んでお向かいさんが見える。既存の鍵がひとつ

2階の小窓→お隣さんと密接していてコンクリしか見えない。既存+補助鍵有り。

2016-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20160119132519

一応その都市の中では都心部(と言っても今やシャッター商店街だが)のすぐ傍で

待機申し込んでたのも大分伝統ある保育園のようだけど

大都市でも人(特に若者)があまり住んでないような所なら入れるかもね

古い郊外住宅地で今や空家ぽつぽつ居てもジジババばかり、とかね

でも若者が住まないには住まないだけの理由があるわけで

2016-01-17

日高屋で思う:ブコメ紹介のコーナー

気がついたら、360を越えるブクマいただきまして。

お陰様でホッテントリにもはいって。

ありがとうございます

ブコメもね、たくさん頂きましたんで、気になるブコメを紹介していきたいと思います



id:gmochein 増田が渋い顔で、それでも飯を食い続ける絵がありありと浮かんでくる名エッセー(渋い顔したかは知らん

みてたんすか?

なんかああいう時って、周りのお客さんも渋い顔してて、一瞬その場の感情を共有してるような錯覚を感じる事ありません?

終わった後、なんか見ず知らずのひとに微笑みかけちゃったりしてね?



id:akihiko810 なぜか床が異常にぬめぬめ滑り、味はいまいちの日高屋

あのぬめりは何なんすかね?



id:shinichikudoh日高屋では、現状の味に満足することなく、常に改良を行っています」と公式サイトに書かれてるから冷奴にさました器を使うくらいのことは頼めばしてくれるんじゃないかな。味にこだわらない飲食店なんかないよ。

まあ正論ですけどもねー。

あ、でも店に寄ってはあの、アンケートはみてくれるみたいですね。

大分前に、天やのアンケートに「山椒がほしい」って書いたら、しばらくしてカウンターに瓶の山椒が置かれてました。



id:mizu2014 備え付けの葉書に書いてもらえばいいだけだろうw 笑

あ、そうそう、これです。



id:hz75hz 天国ではないが、かといって地獄でもない世界

いや、ほんとそんな感じですよ。

ブコメなかったんですけど、タグで、「加速するブルース」ってつけた方いて。

いいすよね、まさにブルージーな光景ですよ。



id:nakakzs とりあえずこの季節は日高屋ならモツ野菜ラーメン福しんならニラソバラーメン

日高屋ときたら、やっぱり福しんですよね。



id:banban 住宅地にあるこの手のお店の老人率は驚くほど高い。ほんとビックリする老人だらけのこともある。安くて早くてちょっと人とも(店員さん)話ができるよい店だと思っているそうだ。店員さんお疲れ様です。

いやホントそうですよ。

僕の所も、駅前福しんなんかご高齢の方ばっかりですもんね。

前、福しんで、注文した回鍋肉がなかなか来ねーなーって思ってたら、車椅子高齢者の方が来て。

店もそこまで気の利いた構造になってないし、カウンターの中も最小限の人数で回してるんで、店員の方が気づかなくって、入口で出たり入ったりしてるんですよ。

気が気じゃなくって、思わず手伝ってしまいましたが。

普段、店員の方、いろいろ大変な事もあるんだろーなーって思いますよ、頭下がりますわ。



id:nonaka1007 こんな素晴らしいエッセイを書く増田が何故日高屋に?

福しんにも居ますよ。餃子の王将あんま行かないかな。



id:tecepe アームロックしてやればよかったんじゃないかな。

id:utsuro 「俺が店を教育してやってんだ」みたいなやつにはカタヤキソバの餡だけぶっかけてやりたい。

id:Xenosからは、「液体窒素でもぶっかければ?」とオススメしたら良い

id:mckassyi 塩撒け、塩!!って感じ。

アームロックネタ、多かったですね。

あの、これ、全部やったら凄いですけどね、クレームつけてたら、隣の客がアームロックかけてきて「いまだ!」つって、別の客が固焼きそばの餡をブッカけて、あっついあっついやってる所に店員液体窒素かけてね、最後たたき出されて、塩まかれて「二度と来んな!」。

どんな世紀末食堂だよって。

実際はさすがにね、せいぜい曖昧笑顔浮かべるくらいなもんですけども。



id:kapiyvachang なにこの『孤独のグルメ』感。超好き。

id:M1A2 くっすん大黒

id:bigburn 池波正太郎香りがするいいエッセイ

id:cj3029412 途中で口調が「坊っちゃん」のべらんめえぽくなるの素敵。すぐ後にしれっと戻るし。まるで寺田寅彦のような新しい増田エッセイの息吹を感じる。俺だけじゃなかった。

ありがとうございます

褒められちゃうとね、嬉しいですけど、どう応えるのがイヤミ無いんですかね?

あの、アイドルバラエティーなんかで「カワイイですね!」って言われるじゃないですか。

あれも、どう応えるのが一番いいのか考えたりするんですよ。

最近の子調子に乗ってるって言われるのが嫌だからか、「そんな事無いです」って言っちゃう事多いですけれども、謙遜も過ぎればイヤミというか。逆にそこを弄られて下向いちゃってかわいそうな感じになる事も多いじゃないですか。

かといって「ありがとうございます」ってのも、若い子がやるとしっくり来ないっていうか。

で思ったんですけど、ちょっと変な奴って、そういうおっさんの嫌らしい弄りとか、世間嫉妬から免罪されたりするじゃないですか。

から「恐縮です!」ってどうですかね?

否定はしてないし、意味的にも間違ってないし。

「いやーカワイイですねー!」「恐縮です!」

あ、じゃあこれもそう応えるのがいいのか。

「恐縮です!」



id:yoiIT 夜に日高屋入ると、若い男女カップルグループが飲んでたりして驚く。なんか、それで良いのか?って感じ。

なんか、日高屋Twitter検索したら、うしじまいい肉さんも初めてのデート日高屋だったら怒るみたなことつぶやかれてて、まあそらそうだと思うんですけど、これも初めての、とかじゃなくって気心知れた仲だったら、まああるんじゃないですか?若いカップルとか金無いですし。微笑ましくていいと思いますけどねー。

でも、検索結果で「日高屋合コン」ってパンチラインが飛び込んできて、さすがに仰け反りましたけれどもね。

あの、ところでうしじまいい肉さん、バットケースとしてですけど、デート日高屋つれてかれるのも想定されてるんですね。意外と庶民派で好感度上がりましたが。

あれ、大丈夫かな?

マフィアの話するとマフィアが来るみたいの、ありませんでしたっけ?



ほかにも、たくさんのブコメいただきました。

ありがとうございます



http://anond.hatelabo.jp/20160115141433

2016-01-16

今年39になるニートだけど、無職ニートは完全に才能です。

プロ無職の心得。

http://anond.hatelabo.jp/20160116085640

ここでも書かれているが、無職ニートを続けるのはある種の才能だと断言していい。

不幸なのは現代社会(というか人間に限らず集団社会)ではむしろ害悪しかないことだけど。

これにプラスアルファで、クリエイティブな才能とかを兼ね揃えていたら、なんとかやってける可能性がある。


無職ニートには誰だっていつだってなれる。

でも普通なら1年も持たないし、3年5年と続くと絶対自分もそろそろまともに・・・という気分になる。

だけどニートの暇すぎて死にそうになるような生活が、どういうわけか肌に合う俺のような人間もいる。

やることが多すぎて暇じゃない、ニート楽しすぎワロタwwwwなんてのは、ただのビギナーかまだまだ若さが溢れてるだけだ。


朝起きる、適当サイトを見て回る(と言っても数は極端に少ない)、溜まったアニメリストを眺める(視聴するまではなかなかいかない)、

Googleの真っ白なスタートページを眺めて、パソコンを離れて部屋の中を歩き回って、またGoogleを見て、また歩き回っての繰り返し。

これを日が暮れるまで続けて、腹が減ったと思ったらなんか食って、思っても面倒なら食わないで、気付いたら三日間ぐらいナチュラル断食してたり、

たまになぜか気が向いたらアニメでも映画でも小説でも一気に消化して、気に入ったら同じものを1年でも2年でも毎日毎日見続けて、

春になったら散歩でもしてみようかと思って、10時間以上も膝が痛くなろうが構わず毎日歩き続けて、かと言って色んなところに行くわけでもなく住宅地徘徊

欲しいものがあっても数日後には綺麗さっぱりその気持ちも消えて、それを知ってるから何も買わずに何もせずにいることに子供の頃から慣れていて、

ただ床に座って壁を眺めていて、瞑想するわけでもなく、壁のシミを数えるでもなく、それが自然とできてしまって暇とは思っても決してその退屈が苦痛には感じない。


これが異常なのかどうかは知らないけど、多くの人にはやろうと思ってできることではないということは知っている。

俺の親族にはなぜか無職ニート引きこもりが一時は6人もいたが、それでも10プレイヤーは俺の他にあと1人だけだ。

連絡を取り合っていたが、社会復帰していった彼らは常に暇であることを嘆いていた。

まあ、金の問題もあったんだろうけど、それ以上に退屈が苦痛だったんだろうな。


自分で言うのもなんだが、俺はべつにコミュ障ってわけでもないし、対人恐怖症でも人見知り気味でもましてや鬱病でもない。

進んで誰かに関わっていくわけではないが、親とも親戚とも明るく普通に話せるし、人の目を見てありがとうと言えるぐらいの心の余裕はある。

これでも20代就職していたこともあったけど、辞めて、ニートして、就職して、辞めて、ニートしてを4回繰り返した。

辞めた理由もすべて、ニートに戻りたかたから。

ブラックホワイト経験したが、仕事や人付き合い自体はべつに苦痛でもなく、辛くてもまあなんとかやれてた。

それでも、やっぱり1年もするとニートに戻りたくなる、というよりもあの退屈と非生産性恋しくて堪らなくなる。

在宅ならいいのかと思って、アフィを3回試して、ラッキーなことに3回とも月20万以上をコンスタントに稼げるようになったけど、

やっぱり何もしないでただ日が暮れていくだけの日々が恋しくて仕方なくなって、ある日すべてを投げ出してしまう。

株とFXにも手を出してみて、株は失敗したけどこれまたFXでは運が良くて、それでも稼ぎ続ける気には到底なれなかった。

適度に刺激にある生活、これが俺にとっての退屈なんだと気づいてからは、もう10年もほぼ何もせずにいる。

たまにこうして気が向いたら、なんかアクション起こしてるけど、前回は去年の夏だかに2chに数行書き込んだぐらいだな。


やりたいことも、やることも、なーんにもない。

自分の体も、自分気持ちも、どーでもいい。

べつに無感情なわけでもないし、素直に感動もするし、だから心が麻痺してるってわけでもないだろう。

俺にとってはこれは素晴らしいことだけど、羨ましがられることはあっても、本当の意味理解はされることは稀だろうな。

それでも、俺と同じような人種は確実に存在するし、俺はこれを神様が与えてくれた才能だと思ってるよ。

2016-01-14

徳島の思い出

7,8年前だったと思う。友人に誘われ徳島阿波踊りを観に行った。

当時は神戸に住んでいたので車で2時間ほどで着いた。

早めに出発したので、まだ始まっておらず時間潰しに駅周辺を散策することにした。

何も下調べをせずに徳島に来たので、特に目的もなくとりあえず名物徳島ラーメンを食べたり、商店街を歩いたりしていた。

その特に気になる通りがあった。歓楽街を抜け、住宅地に入り、公園の少し先だったと思う。古い長屋が並んでおり、何軒かの軒先に中年女性が座っており、こちらを見つけると手を振ってきた。

その時は阿波踊りが始まる時間が近づいていたため、気になりながらもその場を去った。

阿波踊りを1時間ほど観たが、有料の座席でないと本物の阿波踊りは見れなかったので(思い付きで来たので有料席があることも知らなった。)、飽きてしまい気になっていたあの通りもう一度行った。

中年女性の座る軒先が増えていた。誘われるがままに話を聞いてみるといわゆるちょんの間だった。おおよそ検討はついていたが。

同じ徳島市民が阿波踊りという県民の一大イベントであろう行事熱狂しているそのほんの少し離れた場所ではくたびれた女性たちが体を売っている。他県からも人が押し寄せるので客が増えるそうだ。

社会の裏側を見て少し感傷的になった徳島の夜だった。

ちなみに抱いた。

2016-01-13

自然が減り、介護施設が増える

21世紀環境の変化についての実感。

平野部の小川で、メダカからオイカワまで様々な魚が同居していたエリアが、

水域と称したコンクリート底の浅い平瀬になって、生き物がまったくいない

エリアに変わってしまった」というような事例が、毎年あちこちで起きているし、

工事のみならず、増水や農薬によって水路生物相が破壊される例も多数ある。

その一方で、僻地商業エリアではない普通住宅地の中に、次々と介護施設ができている。

私にとっては、これらが日本の終わりを強く感じさせる二例であり、

これらが解消されない限り、日本未来を信じることができない。

2016-01-02

「夫が大手企業勤務」を自慢するママってどこにいるんだろうか

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160101-00000515-san-life

首都圏母親サークル募集をかけ、28~40歳の既婚女性21人が集まった。

 長男(6)を連れて参加した主婦(40)=大田区=は「どこに勤めているかで周りの人の見方は変わってくる。夫が転職を言い出したら反対する」と言い切る。

 夫(40)は大手メーカー勤務だが、社内で転職者が相次いでいるため、夫が「仕事を変えてみたい」などと言い出さないか、ハラハラする毎日だという。

 反対の理由ママ友との交際関係だ。「大手企業勤務」という夫の肩書は一つのステータスになる。「直接、友人たちに夫の勤務先を聞いたりはしないが、会話の中で自然と伝わってくる。勤め先から生活水準想像でき、相手によって一緒に食べるランチの値段は変わる」と本音をもらす。

自分ママ友経験からするとまるでリアリティがない。

まず、生活水準高そうなママの夫は普通サラリーマンじゃない。

自営(経営者)が多くて、勤め人だとしても医者とか。あと実家金持ちって場合も。

そもそも「夫が大手企業勤務」なんて全然珍しくもない。

そこそこ地価が高い地域に住んだり、子供がそこそこ評判が良い学校に行ってりゃそんなもんだと思うけど。

別に「自慢出来る」ような高級住宅地在住とかお受験私立とかではないが、それでもそんなもん。

かと言って「夫が大手企業勤務」ってだけで珍しい・自慢出来るような地域に住んでたら

高いランチ出す店なんて周りに無さそう。

そもそもそんな人は「首都圏母親サークル」に顔出す余裕も無さそう。

かいかにもサラリーマン社会序列しか意識しない男が作った記事だよなー。

経営者とかそういう階層存在を忘れてる。

あと女って現実的だよね。

大手企業勤めの低収入」と「無名企業勤めで高収入」だったら後者が良いという人が大多数では。

収入より勤め先でドヤるって、いかにも男の発想っぽい。

あと生活水準って共働きかどうかでも変わるし、専業主婦同士で比べても実家の援助の有無なんかでも大分変わるのに

「夫の収入が第一なはず」ってのも、男の発想っぽい。

2015-12-03

いいかげん住宅地ストリートビュー規制してもらえないだろうか

どうでもいい民家しかないような地域ネット晒して、犯罪者以外誰にも利益ないじゃん?

Googleはやりすぎていると思う。何故誰も問題として取り上げないのか?一から説明しないとだめか?

2015-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20151128014917

ぽんと遺産相続して結構金持ちになったんだが、周りに金持ちしか居ない場合そんなにたかられないんだよな。

幸い親が家買っていた場所が高級住宅地で周り医者教授社長かばっかなので金持っているとバレていても周りも金持っているので問題無い。

貧乏人や一般人ばかりだとかなり危ない。

なので絶対に言ってはならないのは間違い無い。

2015-11-20

妻の元彼に頼み事をされた

妻の元彼から久しぶりに電話があった。

俺「もしもし?」

妻元彼「君の家の方角にハヤブサが飛ぶのを見た」

俺「それは文字通りの意味か?それとも何らかの…」

妻元彼「鳥類ハヤブサだ。君は見ていないか?」

俺「見てないが、心当たりはある」

妻元彼「カラスか?」

俺「そうだ。普段うるさいカラスの声が聞こえなくなった」

妻元彼「ビンゴと見ていいだろう。君にはハヤブサを守ってほしい」

俺「俺はハヤブサの守りかたを知らない」

妻元彼「ハヤブサ存在する痕跡を消す事だ。例えば羽根とかフンとか食べ残し小動物だ」

俺「俺にはそんなもの見分けられそうにない」

妻元彼「食べ残しはわかりやすい。小鳥ネズミの頭が食べられずに捨てられる」

俺「そんなものを拾っていたら、あらぬ疑いを受けかねない」

妻元彼「そこは慎重にやらなければならない」

俺「俺は不器用から無理だ。そもそも何から守ろうというんだ?」

妻元彼「悪い人間からだ。ハヤブサ高値取引される」

俺「こんな住宅地ハヤブサハンターがいるとは思えない。余計な活動はかえって目立つんじゃないか」

そんな風にして断ったものの、ハヤブサに肩入れする理由がなかったというのが正直なところだ。

このやりとりを妻に報告したところ、元彼に電話して、旦那に変な事させるなと怒っていた。

補足すると、妻元彼は自然保護活動家でも何でもない。たまたま見かけたハヤブサの姿に魅せられて、四六時中そのことばかり考えるようになってしまったらしい。

以上を書いた後、久しぶりにカラスの声を聞いた。ハヤブサは去ったのだろう。

2015-11-17

リア充してるヤツらの住んでた場所

思い返せば皆高級住宅地に住んでいた

あー、やっぱ金か

2015-10-16

平成27年度宅建試験 問題48 参考情報

平成26年の1年間の地価変動は、前年度の下落傾向から、全国平均で「住宅地の下落率が縮小」「商業地が横ばい」

住宅地△0.4%、商業地0.0%、工業地△0.6%

三大都市圏平均では、住宅地商業地ともに上昇を継続。また、地方圏平均では、住宅地商業地ともに下落率縮小。


平成26年の新設住宅着工戸数は89万戸。前年比で9.0%減、5年ぶりの減少。

上記の内訳:持家は28万戸(前年比19.6%減,5年ぶりの減少)、貸家は36万戸(前年比1.7%増,3年連続の増加)、分譲住宅23万戸(前年比10%減、5年ぶり減少)。


平成26年の全国の土地取引件数126万件(前年比1.9%減)となり、3年ぶり減少。


不動産業経常利益4兆1164億円、前年度比32.7%増。売上高37兆7048億円、前年度比15.4%増


宅地建物取引業者については、12万2127業者平成26年3月末)であり、近年、微減傾向。

監督処分件数は314件(免許取消184件、業務停止65件、指示65件)


試験用覚書のため、統計上余計な端数は切り捨てた。

2015-10-12

洗濯物がネットさらされる時代 グーグルマップ住宅地も網羅

グーグルマップ違法性がないという根拠に、その公道を歩けば誰もが同様にその光景を目にすることができるかららしい。

テレビ中継も同じ理屈だと思われる。(ニコ生等はなぜ文句を言われるのか?)

しかし、洗濯物が干してあるのが丸見えなのは晒し行為のようなもの人格権侵害)を感じます

撮影されると知っていれば、洗濯物をそこに干すという行為はしなかった。

それを理由に自宅にだけモザイク処理をかけると却って目立つという八方ふさがり。

2015-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20151005180500

ここさけとやらを全然知らないんだが

いわゆるリア充スポーツマン、根っからオタクなどその中でもカテゴリ存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキー適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。

おそらく「ここさけ」の舞台学校も、近いような環境学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。

いや、これごく普通高校風景じゃないの?

これが「奇跡的」なの?

車の音やインターホン他人や親の気配を感じてびくりと身構えるあの感じも、そのものを写し取ったかのような正確さだと思う。

片親の親、あるいは子。共働きの親なら胸が張り裂けるような描写であっただろう。

と言うから小学生くらいなのか?と思ったけど、調べたら高校生だよね?

高校生にもなりゃ共働きで当たり前じゃね?例え母親専業主婦だったとしても、子供を置いて出掛けたりする事もあるよね?

それでいちいち「びくりと身構える」とか「胸が張り裂ける」とか大げさすぎでは?

増田んちの母親はずーっと専業主婦で、高校生の子供を一人で留守番なんて絶対にさせないザマス!とかいう人だったの?そっちの方が異常では?つーかマザコン??

彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。

転勤族子供幼いうちから一軒家なんて買うかよ。いつ転勤になる=引っ越すか分からんのに。

出身がどこかは知らんが、普通に定住者だろ。

新興住宅地に住む=転勤族新参者、という発想って事は、そうでなければ親の家に同居するはずとか思ってんの?どんだけ田舎

母親子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあい破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケア存在しなかった。

いやだから高校生にもなりゃ母親働いてて当然だっつーの。金持ちばかりの高級住宅地ってならともかく普通住宅地だろ?

そもそもそんな濃い近所づきあいなんてのも新興住宅地では存在しねえっつの。どんだけ田舎

本音を言わないエアー少年

まるで平凡で人畜無害子供のような説明になっているが

えっいかにも「心に一物抱えてる子供です」的説明に見えるけど?

そんな子供は中二入ってる思春期ならごくありがちだから何だかんだで平凡だ、ってなら分かるけど、そういう意味で平凡つってる訳じゃなさそうだし。

彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのであるいくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。

父親の業からは逃れられない。これが一つ目の「ホラー」。

しろ(「父親」側である製作者&視聴者の「普段子供にあまり関われてないけど子供自分の影響受けていて欲しいなあ」と言うドリームを反映した、

家族モノとしてはごくごくありがちで手垢の付いた設定だと思うけど。

どこが「ホラー」なのか全く分からん

それは成瀬母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児放棄することもなかった。

彼女もまた、責任感が強く、背負い込み、気負いすぎる性質を持っているといえるだろう。

いやそれ、ごく普通の人でんがな

離婚した女は再婚して男に頼ったり育児放棄するのが当たり前でそうしないのが特別だと思ってるの?どんだけDQN

全体的に、ホラーでもないしありがちにしか見えないなあ、と思ったんだが

私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。

彼はその境遇故に、この映画行間に仕込まれ凶器すべての気配を感じ取り、とても傷ついていた。

感受性高い高校生とかならともかく、父親になるような年齢でその精神力って幼稚過ぎるんじゃない?

と思ったが父親なのに友人と連れだって映画行くって辺り、若くて父親の自覚なくて奥さんと子供放置独身時代と同じように友人と遊んでるみたいな父親か?

やっぱり、どんだけDQN

2015-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20150930115402

高級住宅地の裕福層は共働きおらんやん

みんな美人な嫁さんと沢山の子連れ

お前が言っとるのは中途半端小金持ち

2015-09-22

平日に大型のショッピングモールに行くと、休憩用に並べてあるソファーがだいたいお年寄りで埋まってる。

郊外住宅地という地位的な部分でもあるのか、こういう場所ショッピングモールは、老人会的にも利用されている。

フードコートも少し雰囲気が違うのか、1人でステーキ食ってる主婦の多さはいつも通りだが

おじいちゃんとおばあちゃんが二人で座ってることも多い。その場合ソファーが好きっぽい。

歳をとると対面よりも並ぶという感じに自然になって行くのだろうか。とふと気がついた。

しかしたら、固い椅子を避けてるだけかもしれないけど。

自分も歳をとったら、並んで座ってる姿が似合うような夫婦になりたと思った。

2015-09-21

カーシェアの「別の」使われ方

★「エクストリームユーザー」というのがいるらしい。「メーカー側の想定を超えた使い方を見出す、型破りユーザー

タイムズカーシェアは、本来「運転するためのクルマを貸し出す」サービス

 で、パーク24本社は、クルマ位置情報ビッグデータ解析している

 その中で、「パーク24が全く想定していなかった、エクストリームユーザー」がいたらしい。

 「クルマを借りたのはいいが、全くクルマを運転せず、移動せず、そのまま時間になったら返却」

 どうやら「スペースとして、休憩所として、カーシェアクルマを借りた」らしい

 言われてみれば、ネットカフェで一晩過ごすのと、カーシェアで一晩過ごすのと、コスト的には大差ないよね。

 或いは、自習室を1時間借りるのと、カーシェアを1時間借りるのも、あまり大差ない

・・・という辺りまでは経済メディアに書いてあった話なんだが、

 この「スペースとしての、カーシェアの利用」って、大声では言えないが、「妙齢の男女が、揃って数時間使う」というのが「本当のエクストリームユースの実態」なのでは?

 よく考えたら、コスト的に「カーシェア価格と、ネカフェ価格自習室価格釣り合ってる」と言われても、カーシェアって、やはり寝るには不便だし、飲み物もないし、勉強には不適。

 だが、「お二人様ご休憩」よりは、はるかカーシェアの方がコスパが良い

★多分、パーク24本社も、「エクストリームユースの、本当の実態」は知ってると思うよ。

 でもそれを公に認めちゃうと、他の「マトモにクルマを運転して使いたい客」の客離れを興しちゃう

 なので、それとなく、「休憩スペース的に、使っておられる方もいらっしゃいます」とお茶を濁した受け答えしている

 いくら長くても、シャワー浴びなきゃ、「本番に要する時間は、1時間程度」だろう。

 タイムズカーシェアは1時間824円だから、「ご休憩」なホテル一時利用より、圧倒的にオトク。

 住宅地で、通行人から視線死角になってるカーシェアクルマだと、「隠れた穴場」だわなあ

★この件でツイッター議論していたら 「カラオケボックス代わりにすればいい」、或いは「映画館」「テレビ会議システム」「ニコ動スタジオ」等、

 さまざまな「エクストリームユースのアイデア」が出てきた。

 そう考えれば、「場所貸し業」でもあるカーシェアには、いろんな可能性があるんだなあ。

2015-09-15

アラフォーの子供の頃に見た子なしの世帯

私が子供の頃、40軒くらいの規模の新興住宅地に住んでいた。

大半が同年代の子もちでいつも大人数で遊んでいた、5才くらい年上の世帯の兄さん姉さん達は可愛がってくれていた。

人夫婦の世帯は庭の柿を取らせてくれたり、お菓子をくれたりした。

いつも学校から帰ると友達の家の前で○ちゃんあそびましょーと大声で呼び、道路ドッジボールゴムとびや花いちもんめやかごめかごめや缶けりやじゅんどろをこれまた大声でやっていた。

時には自転車鬼ごっこやろうぜーとバカが言い出して、自転車暴走したあげくに捕まえようとしたら2台ともこけるので中止したりもした。今から思うと事故にならなくて良かった。

毎日笑って遊んでいた記憶しかない。

いつも遊んでる十字路の前にいつも雨戸を閉めている家があった。

親達と同年代だが、その世帯住宅地で唯一子供が居なかった。

めったに顔を見ることもなく、たまに見かけると睨み付けてきた。

その人の家の裏は川があって、横に土手がありそこではつくしや野イチゴが取れるので子供達はよく収穫に行っていた。

そこで私がまだ園に通ってない頃に事件を起こした。

近所の小さい子達と一緒に野イチゴを摘みに行って、子なしの家の裏でイチゴを見つけたのだ。

凄い本物のイチゴがある!とたらふく食べて子供達はそれぞれ家族イチゴ土産に持ち帰った。

まあ当然ながら家の裏で子なしが栽培していたイチゴだった。

母は特大雷を落として謝りにいったが子なしは非常に怒っていた。

母も凄い剣幕で怒り家の前で私の尻を叩いた。

近所の婆さんが出てきて取り成してくれて、やっと尻叩きがやんだ。

から聞いた話によると子なしは愛想が悪く近所の付き合いもなく会うと嫌みを言う変人的な位置付けだったらしく、やっかいな事をしてくれたと思っていたらしい。   

そしてイチゴ泥棒家庭の母への嫌みは私が中学に行っても続いていたらしい。

から思うと外でみたら睨み付けてくる程度で子供に直接来なかったのは不思議な感じだ。

私は子供の遊び声好きだけどあの人は嫌いだったろうに、毎日夕御飯まで家の前で大音量で遊ばれるのも辛かったろう。

あの頃に匿名掲示板があれば近所の子供達を悪し様に書いたりして子なし仲間とつるんだりもできてたんだろうな。

久しぶりに昔の家の前を通るついでに見ると相変わらず雨戸を閉じて庭も荒れ果てて住んでるかどうか解らない家だったのを見て思い出したのでメモ

2015-09-04

推理して合理的説明をしてください

今朝8:30ごろ、ゴミを出しに行ったら、民家の前に自動車教習所の教習車が停まっていた。

中には誰も乗っていなかった。

その時はそれほど気にしなかったんだけど、後から「なんで?」と気になりだした。

  • うちは住宅地で、まわりは民家ばっかり。教習コースになるような場所ではない。
  • その自動車教習所とは10kmくらい離れている。教習時間は9:20から(さっきHPで調べた)。
  • その家の方は(直接の知り合いではないが)、近くの工場で働いているらしい。少なくとも教習所の職員ではない。
  • 夫婦とも、免許は持っている(運転しているのを見たことがある)。お子さんはまだ中学生
  • 仮免練習中のプレートは、なかったと思う。

この条件(最後記憶あいまいだけど)で、朝に民家の前に教習車がある合理的理由って思いつく?



追記:

うんこ回答ばっかりで増田に書いたことを後悔しかけたものの、いくつかは納得できる説があり、書いてよかったなと思ってます

真相を調べようなんて気はさらさらないのですが、自分の中では「俺に実害なさそうだからいいや」と落ち着きました。

ありがとう

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