はてなキーワード: バックボーンとは
そういう増田は何歳なのか、ちょっと興味あるな。老人と多く接するような生活をされているのだと想像する。
確かに私は80歳ではないし寝たきりでもないが、寝たきりの80代老人を家族に抱えているし、やはり機会があって色々な老人と接しもした。
前頭葉が委縮して若い時より理性が低下したら、もうその人の考えることには意味がないのか?
実際の老いも将来の自分の状態も体験しないままに考えた20代の時の意見の方が、現実に80歳となった当事者の考えより大切なのか?
死にたくないというのが刷り込みならば、さっさと死ぬのが美しいというのもまた刷り込みなのでは?
私も一時期は増田のように考えたが、その後、それは(自分の)理性に重きを置きすぎた傲慢な考え方だと思うようになった。
増田本人が、あるいは私が、そのように考えて尊厳死を選ぶことには何の問題もないだろう。
自分が正しいと思うことを他人に説くのも許容範囲だと考える(だから元増田の記事自体は悪いと思っていない)。
だが、自分と違う考えは誤りだとまで言い出したらそれは傲慢だと思うし、社会全体が自分と同じ考えになるべきまで行ったら危険な領域だと思う。
増田の問題意識は分かるつもりだ。もう少し尊厳死を選ぶことに対してハードルが低く、気楽であればいいとは思う。
死を必要以上に避けたり恐れたりせずにすむような、宗教などのバックボーンがもっと充実してほしいとも思う。
日々、ネットの世界で悪人が仕立てあげられ、ネットバッシングやネットリンチが繰り広げられている。確かに、叩かれるほうには否があり、叩くほうの意見に理がある場合が少なくない。しかし、バッシングが開始され、その流れが定まってしまうと、にわかに大勢が参加し、過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。
『他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑』(岩波 明/幻冬舎)は、こういったネット住民たちの多くは一見「正義派」を装っているが、目的は他人を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。
そうだとすると、なぜ、「バッシングすること自体を自己目的化したバッシング」が横行しているのだろうか。本書によると、これには「世界が小さくなっていること」と「社会の変化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。
まず、「世界が小さくなっている」というのは、インターネットとSNSが大きな役割を果たしている。“隣人”の範囲が広がりつつあると共に、個人の秘密を保つことが難しくなってきている。
新しいデバイスを得たことで容易に他人の弱みにアクセスし、付け込むことができるようになった。また、匿名性が声を過激にしている。
「社会の変化」については、社会で「コンプライアンス」が重視されるようになってきたことを挙げている。昨今の「クレーマー」は、“普通の人”や“善人”が豹変する特徴があるといわれる。
なぜか。内面的には「他人を許せない」「非難せずにはいられない」という不寛容な日本人が増えてきているからだ。背景にあるのが、社会の「コンプライアンス重視」らしい。
社会で「透明化」が推奨され、会社などで「コンプライアンス」が強調されることを、マジメな日本人は表向き良しとしている。一方で、「コンプライアンス」によって、これまでの慣行が突如「悪」として否定されることがしばしば起きている。
コンプライアンスを遵守するということは、不自由で煩雑な手続きを伴うということだ。ルールが細かく決まっているほど、余裕がない現場では「違反」も生じやすくなる。もちろん、コンプライアンスは遵守すべきだが、「違反」が発覚したとき、他者は「自分は守っているのに」という抑圧された気持ちの反動で、バッシングの火を過剰なまでに燃え上がらせる、というのだ。
「日本人が元来持つ特性」とは、「差異に敏感」なこと。日本という島国の“閉鎖的空間”が培ったものだという。
閉鎖的な空間ではしぜんと同質集団が形成され、「微妙な差異に敏感」になる。たとえば、多様な民族や宗教的背景を内部に持つアメリカに比べると、同質集団である日本には大きな「安心感」があるが、バックボーンや価値観が似たようなものになりやすいため、すこしの異質でも排除しようとする働きが起きるのだ。
「アイツはどこか浮いている」「同期で能力はたいして差がないはずなのに、アイツだけ出世した」「あのガンダム作品好きが気に食わない」など、学校や職場とかで生じる「妬み」や「憎悪」が「イジメ」や「ハラスメント」に発展しやすいのも、この日本人的特性と深く結びついている、と分析している。
以上の3つの要因が複雑に絡み合い、「ルサンチマン(常日頃から感じている悔しい思いやねたみの気持ち)」を抱えやすい日本人は、攻撃できるはけ口を見つけると、ボルテージが一気に増幅。日常は抑えている攻撃的な衝動があらわになる、というわけである。
バッシングをすることによって、物質的な利益を得られるわけではない。むしろ、相当の時間とエネルギーを消費してしまう。非合理的な行動なのだ。
本書によると、そもそも人の行動の多くは、合理性よりも「快、不快」あるいは「好き、嫌い」の感情で左右されるものだという。攻撃的で不寛容な人たちは、自らの感情に忠実な人たちという側面も併せ持つ。
閉ざされた狭い島国において、似たような顔をしたものどうしがお互いを監視しつつ、ほんのすこしの差異のために競い合い、憎みそねみ合っている。
私たち日本人は、こういった状況を世界的にみて特別だと気づくこと、特殊だと認めることから始めるべきではないか、と投げかけている。
"ツイッターとかで女オタが「めちゃシコ」とか「抜ける」とかいうのが、シコるちんこも抜く精液もないのになんか変じゃね?
クリトリスをシコってるのかっつうとそういうわけじゃないみたいだし"
なんて話があるじゃん。
たとえばこれとか(https://togetter.com/li/752791)だけど、まあ炎上したわけ。
俺としては、別に言葉は自由だし止めろと言う気もないが(実際このエントリ書くまで言及したことはない)、でもちょっと違和感あるなとは思っていた。
オモシロ比喩として男性器を扱ってるってだけ、もしくは心のちんこがおっ勃つ衝動を表現したいのはわかるような気がするけど……。
だってさ、男が、主語が大きいならば俺が、三十五年間童貞で熟成され持て余し続けているガチの性欲と取っ組み合いながら打ち込んでいる「シコれる」を、面白比喩として、性欲のバックボーン抜きに軽々と扱いやがって!
そっちにはそっちなりの欲情を現す言い回しだってできるだろうに、それは生々しさなどを理由に使わず自分の性欲を意識することを避けて、男が性欲という鎚で鍛え上げた言葉をほいっと拝借しやがって! みたいな。
いや本当はここまでは全然思ってなくて、俺がシコれるって言葉を発明したわけじゃないのにデカい顔し過ぎであって、単に書いてるうちにヒートアップしてきただけなんだけど、まあ違和感はあった。
そのことを、一昨日から話題になってる、男の娘と話してたら無性に腹立った(anond:20171211134237)のエントリを見て思い出した。
女性が、苦しみ抑圧されながら培ったファッションや文脈や文化を、無邪気に娯楽として使って気晴らしにするな、それはある種の文化盗用だ、と表現するように、
男性が、己の性欲とか衝動性とか偽悪露悪に悩まされながらもキモオタコミュニティで産んできた「シコれる」「抜ける」「ブヒれる」などを、性欲の生々しい気持ち悪さを脱臭した上で、字面の面白さと便利さと娯楽レベルのカジュアルキモさを楽しむために女性が使うのも、ある種の「文化盗用」だと表現すればいいのかもしれんね。
今回は少年ジャンプ+
相変わらずシーンの切り取り方と繋げ方が無頓着なきらいもあるけれども、今回はアクションも比較的分かりやすい。
やり取りも簡潔かつ明瞭で、例えば「俺はアグニじゃない」のくだりとか。
ここでいう「アグニ」っていうのは偶像として民衆の拠り所になっていた頃の彼のことではあるんだけれども、それを否定することと行動の結果(目的)が繋がっている。
まあ、戦闘シーンのくだり自体は蛇足感が強くて、前回で消化しきってて欲しかったかなあと思わなくもないが。
主人公が自分の置かれた状況と照らし合わせて、デスゲームそのものをメタ的な視点から分析している場面が興味深い。
で、それを踏まえて「どこまでメタ的な視点から読み取ればいいのか」っていうのを、後半の展開で読者に提示しているのも良い。
とある劇中マンガに主人公たちはドン引きするんだけれども、視点を変えればあれは所謂「シリアスな笑い」なわけで。
主人公の「どこに続くんだよ」っていうツッコミはギャグの領域だ。
柱のコメント含めて、この作品をどの程度メタ視点で読み取ればいいかと混乱させている。
あと、「ヒロイン観察漫画」っていう俗称が作中で出てくるのも大概ネタだなあ(なにせジャンプの各WEBコミックサイトは、その系統の作品を大量に世に出している)。
この時点で、良くも悪くも本作の流れや作風を完全にモノをしているという印象。
なにせキャラの設定とか話の流れそのものは、既存の学園コメディモノで有名なのがいくつかあるからね。
その状態で構成まで似ていたら、細部では別の作品だとしてもほぼ同じ作品だという印象を持たれる。
ちょくちょく挟まれる先生の自分語りや、モブたちの独特な実況は良いアクセントになっているけれども、特筆して個性があるのはそこだけだから、その部分にうんざりされたら読み続けるモチベを保つフックがなくなるかもしれない。
感想は書いていないけれども、色んなWEBコミックサイトを巡回しているんだよね。
といっても網羅しているわけじゃなくて、基本は16ちょいのサイトを回って、気が向いたら別のサイトもって具合。
それでも週に100作は読んでいるわけで、そんなに頻繁に見ていると作品を構造的に読んでしまうことが増えてくる。
で今回も、RPGものや異世界ファンタジーものをモチーフにしたコメディで、それはもう割と手垢まみれなんだよなあと改めて認識した。
勇者じゃなく敵側のモンスター役が主人公とか、クズと善良なキャラの掛け合いだとか、そのあたりがもはや紋切り型になってしまう現代は、ある意味で本当恵まれているなあ、と。
仮にやる場合は既存のものより洗練されているか目新しい何かがないと厳しいんだけれども、それが難しいからキャラで勝負するしかないんだろうね。
で、そのキャラはというと、個人的にはあまり刺さらなかったかなあ。
失礼かつ身も蓋もないこと言わせて貰うなら、主役のゾンビか勇者をセクシーな女の子にするか、マスコット調のファンシーキャラとかにしたら一定のファンは獲得できると思うよ(冗談のつもりで言っているけれども、そういうのが効果的であることは否定できないからなあ)。
まあ私は、もうその系統は食傷気味なので読みたいかといえば読みたくないけれども。
なんか我ながらすごく投げやりな感想だ。
今のところバトル部分が盛り上がりに欠けるというか、だまし討ちとか不意打ちとか瞬殺で終わりとかばかりで。
じゃあ、キャラクターたちの掛け合いとかバックボーンのストーリーとかが重点かといえば、掘り下げも甘いまま死ぬから何の感慨もないしで。
今後も、能力の後だしジャンケンとか、不意打ちだまし討ちばっかりで決着がつくようならうんざりするけれども、さすがにそんなことしてくるようなストーリーテラーなわけがないと思いたい。
二転三転して、恐らく十二支以外の第三勢力とか裏に隠された大きな陰謀が露にとか、それ以上の展開はしてくる、と思いたい。
というか作品に深みを持たせるための練り込みが甘いから、そういった展開部分で惹かせるしか期待しようがない。
ただ、まあ、そういう展開を六話の時点で予想&期待している時点で、私の中で本作の評価はかなり低い水準になってしまっているんだなあ、と。
最近ではレッテル張りのようになってたり、アニメや漫画じゃまるでテロリストなんていう職業や技能があるかのような勘違いをしている人が多いから大学時代の研究論文を要約して書いてみようと思う
まず第一に、テロリストという職業はない、厳密にいえば、テロリストを仕事とした場合、その仕事が成功したら、それはもう「テロリスト」とは呼ばれないからだ
例としては毛沢東、チェ・ゲバラ、フィデル・カストロ、レーニンといった「成功した人たち」がこれに当たる
これを見ればわかるが、レーニンは「政治家」だし、毛沢東は「軍閥(軍事勢力)の指揮官」だし、ゲバラとカストロは「ゲリラ部隊の指揮官」で、軍事的・政治的技術や技能をテロリズムに活かしただけで、テロリストという職業が成立する「専門技能」というのはないということがわかる。
第二に、世間一般に一昔前想像されたテロリスト像、これが一番テロリストというステロタイプに近い、冷戦時代のテロリストたち
例えばPFLPはイスラエル軍と正面戦闘で戦えるだけの立派な「軍事勢力」だし、赤い旅団や日本赤軍、その他イタリア「鉛の時代」のテロリストたちや、ETAやIRA、80年代まではテロリストといえば、PFLP系かIRA系のイメージが強かったが、これらもPFLPやソ連から直接訓練や支援を受けて動いたスパイとして育てられたエージェントだし、IRA暫定派やバスク祖国と自由のテロ技術のルーツは、第二次世界大戦にイギリスが編成した「SOE」のノウハウが元というのだから、彼らは「スパイ」や「破壊工作員」であって「テロリスト」という技術ではなく、スパイや準軍事的な技術をテロに応用しているだけである。(超有名な「カルロス・ザ・ジャッカル」も、パトリス・ルムンバ名称民族友好大学でスパイ&破壊工作員として訓練を受けた超万能のコマンドかエージェントであって、その技能をテロに応用してソ連の支援を受けて動いていただけである)
※余談だが冷戦時代が舞台の映画や漫画で「ソ連でテロリストとしての訓練を受けた~」という元ネタは、このパトリス・ルムンバ名称民族友好大学で行われたパルチザン・スパイのカリキュラムのことを指す
あとはIRAに至っては、全盛期のその9割近くの日常業務が、違法煙草や違法薬物の密売、パトロールと称したみかじめ料の徴収、地道なイギリス軍への諜報活動、裏切り者やスパイの摘発・捜査・そして裏切り者の処刑や暗殺と、過激な暴力団とやっていることはたいして変わらない、では暴力団とIRAのテロ組織といわれる違いは何か?
これはもうただたんに「目的」の違いでしかない、IRAは自治権や議会設置の要求が最終目標で、それが達成すれば一応は武装闘争を放棄して市井の市民に戻った。
暴力団は思想的背景はなく、恒常的に犯罪行為で金を設けてる営利団体だから、暴力団である、それが政治的な目的かそうでないかが重要で、やっている技術そのものはたいして変わらないのだ。
そして現在吹き荒れるテロも、テロリストたちの大半はイスラム国の戦闘員かその訓練を受けて母国に戻ってテロ事件を起こしている形で、youtubeなどでイスラム国の訓練映像を見ればわかるが、どこの軍隊もやっている新兵教育の内容で、その軍事技術をテロに応用しているという形である。
唯一「バックボーン」の存在しないローンウルフテロリストというのも最近多くなってきているが、アメリカの統計によれば、ローンウルフテロの6~7割が軍に身を置いていた経歴があるので、その技術をテロに応用しているにすぎないということがわかる(余談だが残りはスクールシューティングテロリスト等で、彼等のバックボーンは競技射撃である、たまに連続狙撃事件や銃撃テロにもこのバックボーンのタイプがいる)
繰り返しの結論になるが、結論としては「テロリスト専門の技術やノウハウが存在してそれを準拠にテロリストというクラスや職業のようなものがある」という認識は誤りで
「軍隊式・警察式・競技式といった技術をバックボーンとしてそれを応用してテロを起こした者がテロリストと呼ばれているだけ」ということである。
少しでも理解を深めることが、テロ根絶の第一歩になると思うので書いた次第である。
ゴルゴ13や映画「LEON」などのイメージで、テロの戦術として狙撃がポピュラーというイメージがあるかもしれないが、実はこれは大きな間違い
FBIの統計では、テロ・暗殺事件に分類される銃犯罪の内、57%が「拳銃で至近距離から撃たれる」というのが殆どで、35%が「自動火器・小銃による無差別乱射」で、残りにようやく狙撃のロングキルが入るほど、テロや暗殺において狙撃は使われなかったりする。
理由としては、7.62ミリ弾クラスであっても、一発で即死させようと思えば、発射から30m以内のところまででないと、それ以上は急所にキレイに当たらないと、重症にはなるが即死する確率はぐんと減るからである(国内の事例を挙げれば昭和の頃に自衛隊で起きた自動小銃乱射事件の時は、至近距離で撃たれた隊員は即死、その後ろの隊員は弾丸が貫通して重症(後に全治)でさらに後ろの隊員の体内に弾丸がめり込み重症(後に全治)というものなどがある)
イスラエルのモサドや、イスラム系テロリスト、70年台のIRAが多用したように、車爆弾や時限爆弾でターゲットが近づいたところを爆破するという方法が、唯一「テロとしてのみに特化した手法」といえるであろうか。
追記
「狙撃は有用ではない」という意見も出たが、厳密にいえば暗殺・テロにおけるステロタイプの狙撃というのは、ハッキリ言って非常に困難で準備に手間がかかるから選択されないというだけである。
まず狙撃銃というのは、かなり高価な部類に入るうえに、たった1~2発を撃つためだけに、狙撃ポイントを下見して、ターゲットの行動や予定を下調べをして、逃走経路から時間帯まですべて指定、手配した上で、それが本当に予定通りにいくかもわからない中で、狙うというのがそもそも無理筋なので、フィクションの中での話が大半だ、というのがFBIやアメリカ軍のテロ研究の見解といわれている。
テキサスタワー乱射事件のチャールズ・ホイットマン(M70に1-6×32スコープ搭載)や、近年起きたDCスナイパー事件(AR-15クローンに、ホロサイト、フォアグリップとタクティカルライトを搭載)のように、立て籠もったり、徘徊しながら無差別に狙撃をして回るというというものならいざ知らず、こういったステロタイプな狙撃での暗殺事件は、史料上ではケネディ大統領暗殺事件でしか存在していない(それもほとんど推測の域を出ていない)からだ。
その上でも、チャールズ・ホイットマンがあれだけの殺傷ができたのは、長距離に特性を合わせた30-06弾というライフル弾をしようしていたからであり
アサルトライフルの標準的な実包というのは、実は5.56ミリでさえ、弾道特性上150mくらいで重症は負わせられても即死は難しいという結果がある(初速がそれだけ低下するうえに、ヨーイングといって風邪で左右にずれていくからだ)
そもそも、暴力を背景とした行為や脅迫を生業として行うから職業テロリストは存在するというのなら、日本国内の最大のテロ組織は山口組ということになるし
https://anond.hatelabo.jp/20170923175143
↑これもそうだし
https://anond.hatelabo.jp/20170922053438
↑これとかもそうだけど
普通に考えたら、ゴチャゴチャと嫌ならやめろだのお前は雑魚だから身の程を知れ、研究者如きがとかたかが800万程度でとか言うけど
東京大学の理系分野の卒業生とか、20代にして年収800万超えてる稼ぎを叩き出してる奴を、ピーチクパーチク雑魚呼ばわりする君たちは一体どれほどの覇王にして無敵完璧超人の上級国民なんですかね?
普通に考えたら、この人らよりも格上の結果を出せてたり、身分じゃないと、とてもじゃないけど上から目線でどうこう言える資格なんてないわけですよ?
そんで、彼らは彼等でプレッシャーや絶望感の中で、崩壊途上にある今の日本社会のルールの中でそれでも必死に生きようとしているわけじゃん
仮にこの二人が、親が暴力団の組長だったとか、元半グレのアウトロー集団に属してた過去があるとか、そんなのバックボーンのストーリーが就けば、掌返して目線も合わせられずに怖いからなあなあでヘラヘラ媚びようとするだろ?
ケンカ売ったら直接的に反撃されそうな奴等じゃないから、上から目線で偉そうに物が言えるわけだ。
文句があるならよ、この二人より税金を多く納められるくらい稼いでるとか、研究が世界的に認められるレベルになってからから言えよな
で、ここからが本題、こういう日本人の陰湿さに起因した悩みを持ってる人たちが割と大半だと思うけど、所詮こいつらなんて、本気でわずかでも直接的に反撃されそうな可能性がある存在ってだけで、途端にビビりだすから、そこに答えがあるのかもしれないね。
会社での昼食は家から持ってきているものを食べていることが多い。ごはんとおかずがセットになった質素な弁当。
今までは白米だったが、最近はなんとなく健康に良さそうな気がして買った玄米を食べている。玄米は特別好きというわけではないが、それなりに美味しいと思う。わたしのなかで白米と玄米の美味しさは並列で、それぞれに良いところがあり序列はない。
だが昼食をともにする同僚の女性にとってはそうではないらしく、
「うげ。また玄米か。うわー」
だったり
「玄米きらいなんだよねー」
とか
「玄米はまずい」
などと、毎日のように否定的な意見をくれる。わたしはなるべく波風を立てたくないので、
「匂い苦手な人多いみたいだね」
とか
「独特な味だよね」
とか
「そういう考え方もあるよね」
などとお茶を濁してから、まあわたしは好きなんだけどね、などと独りごち、食べる。
わたしはズボラな性格なので、お弁当づくりも適当である。だから先日はフードコンテナに豚の軟骨のはいった醤油ベースの芋煮をいれていた。特にそのことを告げず、昼食に豚の軟骨をボリボリと食べていたら、音を不審がられ何を食べているか彼女に尋ねられた。
わたしは
「ごめん軟骨」
とだけ言った。何かを言うときに相手にどこかしらマイナスの感情を読み取るとわたしはまず謝ってしまう癖がある。
彼女は
「うわー。気持ち悪い。嫌いな食べ物ベスト3にはいる。無理無理」
と言った。
人間にも軟骨あるじゃん、とわたしは言った。彼女は鳥にしか軟骨はないんだと思ってた、と言った。鼻と耳は軟骨だよと言った。どうやら硬骨もしくは肉の塊だと思っていたらしかった。
仕事が終わって道すがらこのやりとりを思い出した。すると、突如わたしは尋常じゃない怒りに駆られた。は?軟骨うめえし。玄米もうめえし。
怒りの感情は膨れ上がり、悲しみを通り越し、憎いと思った。なんだかよくわからないが、その時は心底彼女が憎かった。嫌な記憶が数珠繋ぎになって想起され、わたしは身動きがとれなくなった。
わたしはなんとなくだが、怒りという感情に鈍感だ。いつも適切なタイミングで怒れない。気がついた時にはすごく怒っている。
前述のできごとによって、わたしは強い怒りに駆られた。自分ではなんとなく、我慢できると思っていたみたいだった。だが毎日のように自分の口のなかにはいるものを気持ち悪いとか、食べるものじゃない、と言われて、自分のなかのバケツが溢れた。わたしは家で一人でとても怒っていた。制御できなかった。
なぜこれほど腹が立つのか考えた。そうしてわたしはひとつの考えに思い至った。わたしは彼女の好き嫌いの激しさを許容「してあげている」と思っていたのだ。本来は強く非難されてしかるべき好き嫌いの多さを、わたしが非難しないで「あげている」のに、それを無下にするなんてひどい、と思って怒っていたのだ。わたしはリベラルぶった偽善者だったというわけである。
もともと彼女は食べ物の好き嫌いが激しい。そのことによって冗談交じりに非難されているところもよく見るし、親しくなりたての頃はその好き嫌いの境界線(マグロの刺身はダメだがツナはOK)を探るのが楽しかった。しかし、なぜ好き嫌いが多いかという話になり、
「小さい頃、親がお腹こわすといけないって言って生魚とか食べさせなかったらしいんだ。それで食べられないんだと思う」
という彼女自身による原因分析を聞いてから、あまり好き嫌いに触れないようにしようと思った。それは彼女自身にはどうしようもなかったことだからだ。
誰にでも生きてきた人生がありバックボーンがある。わたしは彼女が生きてきた人生を愛しバックボーンを受け入れることが、今の彼女に対し親愛な気持ちを持つことだと思って疑わなかった。だから好き嫌いについて非難したり馬鹿にしたようなことを言わないと決めた。
だがわたしにとって、食べものの好き嫌いがないことは純然たる正義だった。
人間、生きている限り徳を高めなければならないとわたしは信じ、日々よりよい人間であろうと思っている。食べ物を好き嫌いなく食べることはそれの最たるものだ。馬鹿馬鹿しいかもしれないがそうなのである。
わたしは好き嫌いがほぼなく、大抵のものは美味しいと思って食べている。そもそも向こうは命を奪われているのである。関わってきた人もいる。美味しいと思わなければ申し訳ない。そんな幼稚ともとれる考えにいまだに支配されており、わたしは食べ物を好き嫌いなく食べることは純然たる正義だと信じていた。
わたしは自らの信じる正義を正義だと信じながらも、彼女のことを認めて「あげている」気持ちになっていた。わたしの本心としては、食べもののことを気持ち悪いということは信じられないことだった。わたしは食べられないものがあることを内心恥じていてほしかったのだ。わたしはわたしの正義を押しつけたかったようだった。
だが、人が今まさに食べているもののことを気持ち悪いと言うことについてはやはりやめてほしいと思う。わたしはそう言われるとえづいてしまいそうになる。不快である。テレビなどで独自の生活様式を持つ「部族」などと呼ばれる人が昆虫を食べる様子を気味悪がる場面があるが、あれも本当に失礼極まりないと思う。なぜ人のバックボーンを受け入れないのか。その人がそうしている歴史を受け入れないのか。わたしには玄米や豚の軟骨を食べたくなるようなバックボーンが存在すると、どうして考えてくれないのだ。自分勝手かもしれないがそう思う。
わたしは人間の独善的な有りようは紛れもない悪だと思う。だが独善的な有りように対し決して受け入れまいとするわたしもまた独善的である。だが独善的な有りようを許容してしまうとこの世は独善的な有りようが占めてしまう。ノーと言うべきか否か、ジレンマに板挟みになる。
わたしはわたしが食べているものを気持ち悪いと言われることが嫌なことがわかった。今後どうすべきか、方法は以下のとおりだろう。
①食べているものを気持ち悪がられると嫌だと伝え、控えるように言って一緒に食べる
②上記の理由を伝えたうえで一緒に食べることをやめる
③上記の理由を伝えず一緒に食べることをやめる
ぱっと見①がまっとうだが、考えるに、彼女にとって彼女の嫌いなものを目の前で食べられることがストレスなのだと想像する。また、自分の食べられないものを貶めることで、普段好き嫌いについて非難されることへのフラストレーションのはけ口にしているのではないか。よって①は却下である。
②はまず伝えることへのストレスがある。④はまだ玄米が8キロある。よって③が妥当だと考える。
うだうだ人の悪口を言うような奴は勝手に一人で食ってろって話である。わたしはまずこの徳の低さをなんとかしたほうがいい。考えすぎかなとも思う。書いてスッキリしたかというとそうでもない。
ツイッターで公式が「オタク趣味以外の何かをもったほうがいい」
とつぶやいたところ、批難殺到。「なんのためのオタ婚活だ!」と。
確かに公式がいきなりタメ口でツイートしてるのは確かに違和感あるけどさ。
婚活サービスに登録したら彼女ができる彼氏ができる魔法のサービスじゃないでしょ?
例えば自分が紹介された異性に会いに行って、ひたっすら好きなジャンルの話だけされたら
オタ婚活サービスの存在意義は、「オタクであることをお互い否定しない」ように
あなたが他にどんなものを相手に求めますか、そして自分は与えられますか。
会話できるかできないか、身なりはきっちりしているか、見られますよね。
結婚は人と人が家族を作るものではありますが、お互いのバックボーンにはそれぞれに家族がいます。
でも結婚ってそういうとこある。
それを乗り切るだけの何かももってないとダメだよ、と自分は捉えました。
元の主張からはずれるかもしれないけど、 子供の育成にかかる費用を社会全体で負担すべきという考えには賛成している。
そもそもの始まりは親子の関係が、 人類の起源(よりもずっと前)から存在する社会的に特別な人間関係だから それに引きずられた社会システム上(経済上)の問題がいつまでたっても解決できないのではないか。
だからこそ、 親子の関係を特別視することをやめるほうに進むべきではないかという主張だ。
民族の風習や個々人の生まれによってはそうではないこともあるが、 現在の主要国のほとんどが親が子を育て、 子は親に育てられることが当然のこととして社会が成り立っている。
生みの親と育ての親が違うということはあるし、 いわゆる孤児というかたちで育った人もいるが、 社会的には弱者(少数派)としてとらえられることが多い。 (実際どうかではなく、多数派の人々が彼らにその社会観を押し付けるのだ)
そういう価値観のもと社会が形成されているので、 親は子供を産めば育てなければならない義務を負うことになり、 子供も親に育ててもらっている以上、 家族として拘束されるという力関係が生まれる。
子供が一人、成人するまでにかかる費用は莫大だ。 実際のところ、日本でもこの経済的な問題は認知されていて、 教育費の無償化や子供手当、だとかまあ色々な経済対策は取られている。 (独身税というのが導入されるとしたら、この一環になるだろう)
ではなぜ親が子供を育てるのかという議題もあるが、 それは人の価値観それぞれなので省略する。 ここでは、教育費無償化や子供手当(さらにいうと独身税とやら)を負担する社会側にとって、 出生率が下がり人口バランスが崩れることが、 社会全体にとってリスクや損失になることを考慮しておく。
では、親が一切子供を育てる費用を出さなくてよいと仮定してみよう。 これなら子供を出産できる環境にある人が、 経済的な理由で出生を拒むことはないだろう。
残念ながら、子供が一人で生活していくことも困難だ。 そもそも働くだけの十分な能力を持っていることは稀で、 能力が十分だったとしても、児童労働は法律で制限されている。 他、子供は多くの社会的活動に「親の許可」が必要だ。
親は子供を育てることで、かなりの経済的負担を強いられているが、 子供はそれ以上に親によって自分の人生を左右されているのだ。 (奪われていると言っていい)
親の子育てに対する経済的負担の軽減は、当然主張されるべきことだが、 これは、親が子供の人生にどれだけ影響を与えるか考慮しなければならない。
親ではなく社会が子育ての経済的負担を支払うようになるなら、 親が子供から搾取しないことが担保されなければならない。 仮に子供を産んでから成人するまでの費用(育児時間含)を100%社会が負担するなら、 親が子供の職業選択や進学選択に口出ししたり、 老後の介護を期待することはナンセンスになる。
ここまでの主張はこういう形でまとめたい。
という認識のもと、生みの親・育ての親に対して十分な報酬を与え、 さらに親が子供を自分の所有物だと誤解しないように、 子供の経済活動を社会側が支援し、親に搾取されないようにする必要がある。
今では私たちは自由な経済活動を謳歌できるようにっている。 職業選択は自由になり、手続きを踏めば住居の移動や国籍を変えることだって不可能ではない。 同性婚は認められつつあり、かつての社会的性差による不自由は取り払われてきている。
親子の関係から経済的な拘束を取り払おう。 そして、出産と育児に携わった人に対して社会から十分な報酬が支払われるようにしよう。
さて、最後にここまでの話を前提のもと、具体的な施策をまとめる。(時系列順)
おしまい。
先日の大規模障害について理解の確認を兼ねて書いてみたいと思います。多分来週辺りに日経IT Proが特集してると思いますが。
インターネットは「ネットワークのネットワーク」とも言われ、要はISPが沢山繋がったイメージです。
ただISPの中もそれなりに大きなネットワークですので、ある統一したポリシに従って運用される必要があります。そのポリシが適用されるネットワーク単位がAS=autonomous system=自律システムです。なので必ずしも1ISP=1つのASであるとは限りませんし、最近はコンテンツやサービスを持つ事業者、つまりAmazonやYahoo、GoogleもまたASを運用しています。
ASは自分の情報を他のASに伝え、他のAS内に居る人がアクセスできるようにします。それが「経路情報」と呼ばれるものです。これを交換することで地球の裏側のネットワークにでも辿り着けるようにするわけです。
フラットな関係でお互いに情報交換すれば解決しそうな話ですが、現実世界と同じようにAS間には力関係、つまり上下関係が生じます。
ISPですと、下位のISPはより上位のISPから「経路情報」を購入しなければ世界へ繋がれません。その最上位に位置するのがTier1と呼ばれる事業者です。現在は約10社ほどですが、彼らが経路情報を互いに交換して作られるのがインターネット上の全ての経路情報=フルルートになります。
Tier1は米国の事業者が多いのですが、買収したことでNTT-ComやソフトバンクはTier1となっています。
いよいよ本題です。
AS間でやり取りする経路情報はざっくり言えば「10.0.0.1/24のアドレスを持つAS1に行くには、AS10とAS20とAS30を通ってきてね!」という情報です。この情報を受けたAS200は、この逆順に辿るように案内すれば10.0.0.1/24に辿れるわけです。簡単ですね。
ただし、ISPであれば複数のASと接続しているのが普通です。なので別のAS100からは「10.0.0.1/24のアドレスを持つAS1に行くには、AS150とAS100を通ってきてね!」という情報がもたらされるかも知れません。単純に考えて、AS100の経路の方が経由するASが少ないので速そうですのでこれを優先して案内するようにします。単純ですね(実際には他要素を加味して制御します)。
これら情報を受けたAS200は繋がっている他のASに対して、同様に「10.0.0.1/24のアドレスを持つAS1に行くには、AS150とAS100とAS200を通ってきてね!」と伝搬してあげたりもします(しない場合もあります)。
こんな風に経路情報を交換するプロトコルがBGPです。経路情報は定期的に交換するのではなく、変更があった際に広告(advertise)されます。
ところでASは基本的に自分の情報を出すものですが、実は誰でも他ネットワークの情報を出すことができます。つまり「自分(AS)の管理していないIPアドレス」に対しても「この順路で来てね!」という案内が出せてしまいます。認証なんて面倒なものはありません。IPアドレスが割り当てられたからといって、それがどのAS内に属しているかは実は別問題なのです。
もちろんある程度防ぐ仕組み、チェックする仕組み(経路フィルタ)は存在しますが、どのような経路情報を出すか、来た経路情報をどう料理するかは非常に難しいもので、また全てのASが同じポリシで運用する保証はありません。
Googleの管理するAS15169はNTT-Comに関する誤った経路情報を広告したとの報道があります。
詳細は不明ですが、素直に読むならNTT-Comが管理しているIPアドレスについて「ここにこんなネットワークがあるよ、ここを通ってきてね!」情報を出したと言うことでしょう。
NTT-Comに関する間違った経路情報が流れたなら迷惑するのはNTT-Comだけのはずです。
が、実際には多くのネットワークに波及しました。不思議ですね。
もしTier1が受け取った経路情報を何もフィルタすることなく下位のISPに伝搬すれば、当然下位ISPへどんどん誤った経路情報が伝わっていきます。
最上位であるTier1から到達性のない経路情報を知らされても、下位ISPはそれを信じるしかありません。
誤った経路情報で誤った経路に誘導されることを経路吸い込みといい、悪意を以て行われる場合であれば経路ハイジャックと呼ばれます。
ただし本来のNTT-Comが出している正しい経路情報が無くなったわけではないのです。
上述の通りBGPでは優先度判断の一つにASパスの長さがあります。
それまで「NTT-Com→AS1000→AS2000→AS3000→AS4000」だった経路情報が「NTT-Com→AS1111→AS2222」となったなら、後者がBGPレベルで優先されてしまう可能性はあります。
NTT-ComはTier1ですから、海底ケーブルを含む多くのバックボーンを持っています。他ネットワークへの中継点としてISPに限らず通信網として非常に重要です。
NTT-Comと全く関係のない業者のWebサイトであっても、「Webサイトが属するAS→AS3333→AS4444→NTT-ComのAS→AS5555→…」という経路情報が伝搬されている可能性があります。
通常は途中のNTT-Comを通ればはやーいとなるはずが、そのNTT-Comへ行くための経路情報が変わってしまえば大きく迂回してしまう経路になるかも知れません。
パケットには生存時間(TTL)と呼ばれるものがあり、あまりに多くのルータを経由すると(Windowsなら128)到達不能として破棄されます。
ただそもそもが誤った経路情報なので、途中のNTT-Comに辿り着いたと思ったら全く別のネットワークのためデフォルトルートに投げられてしまい、彷徨って同様に消えたのかも知れません。
10.1.0.0/24とか10.1.0.0/25の意味がわかる人向けです。
そもそもルータはより細かい(プレフィックスが長い)ネットワークへ優先してルーティングする(ロンゲストマッチ)ため、長いプレフィックスで広告してしまうことで経路吸い込みを起こせてしまえます(ロンゲストマッチはルータに於ける大原則なので最優先されます)。
この事象は割りとよくあり、2008年にパキスタンのASが国内からのYoutubeへのアクセスを規制するための偽情報を誤って外部へ広告しアクセスできなくさせる事象を起こしています。
現在のフルルートは約65万経路と言われてますが、お高いBGPルータにとってもこの経路情報の大きさは非常に大きな負荷であり課題とされてます。
経路情報はASの内部に対しても(内部ネットワーク内での経路情報として)伝搬する必要があり、どちらかといえばこの各AS内部での伝搬時にルータ負荷上昇が発生し遅延が生じたのではという説があります(この辺は自信なく怪しいです。IGP詳しい人に)。
巨大なネットワークであればあるほど内部の経路情報の収束には時間を要してしまうこと、わずか8分の間に約10万経路の追加とその取消が生じたことで完全復旧まで時間を要した可能性があります。
いかがでしたか?(キュレーションサイト風)
AS自体は条件(https://www.nic.ad.jp/ja/ip/asnumber.html)を満たせば事業者に限らず誰でもAS番号を取得し運用できますので、興味を持った人はBGPオペレータになって「指先一つでインターネットを壊せる」緊張感に酔いしれましょう(※BGPオペレータに対する個人の感想です)。
本を読めば教養とは俺も言ってないよ。
「子供の頃から本を読み人と話しいろんなところへ出かけるなかでじっくりと堆積していく知識のこと」
「文化資本の厚み、バックボーンとなる知識や技能、知識人たちとの交流、そういった環境で形成されてきた人格、その総体」
なんだからさ。
そういうものを豊かに摂取できる環境、そこで育まれる人間的な土台のことで、特定の書物の具体的な知識のことじゃない。
親の片方が小学校入学直前に死んだ。急死だったらしい。死体を見付けたのは私だった。
残った方の親はろくでなしだったので子育てなんて出来るはずも無く、親戚の家を転々とした。
親戚はドラマに出てくるようなひどい人は居なかった。でも歓迎はされていないのは解っていたので、いつも肩身が狭かった。
それでもとうとう行く先が無くなって、小学校を卒業してすぐ施設に入った。これが最低だった。
底辺の掃き溜めっていうか、まともな奴がほとんど居ない。学校毎日行ってるだけで優等生で、いじめも暴力も当たり前に横行してた。
薬やってる奴も居たし、体売って小遣い稼ぐのも万引きして欲しいもの手に入れるのも普通だった。
あそこに入ってる子とは遊んじゃダメって親に言われた…と疎遠になった子も居る。子供心にそりゃそうだって思った。今でもあの親は正しかったと思う。
私は施設色に染まらなかったので施設の中に友達は出来ず、外の子とばかり遊んでた。施設内ではいい子ぶりっこしてるって当然いじめられた。
施設色に染まれば施設内に友達もできたと思う。でもそしたら外の友達は離れていく。それが嫌で必死に『普通の子』というポジションにしがみついた。
食事は平気で無くなるし、寝るのだって邪魔される。私物だって壊されるから勉強道具は持ち帰れない。教科書持ち帰ったりなんかしたら十中八九無くなる。ノートだって文房具だってそうだ。
帰って勉強出来ないので、勉強する時間は学校の中しか無い。授業で覚えきれればいいけど眠くて眠くて中々集中できなかった。
それでも空いた時間を勉強に注ぎ込んで、なんとか平均の学力だけはキープした。平均が限界だった。高校も偏差値56という極めて普通の高校に行った。
高校生になると個室が与えられるのでひたすら引きこもるか高校に残るかして乗り切った。
高校を卒業したら施設も出所する。私の学力と得意科目を考えると大学に進学しても就職率も年収も高くなるのは難しそうだったので進学せず就職する事にした。
就職した先はまぁとんでもなくブラックだったが、今まで居た環境が環境だったのでブラックだったという事にも気付かず4年勤めた。
お金が貯まったので退職して、簡単な資格を2つ取ってそれで転職した。
絶対名前を言っても誰も知らない社員数200人くらいの小さい会社でお茶汲みOLをやっている。
我ながら普通の大人になったと思う。収入も平均のど真ん中。やってる事は雑用。結婚もした。休日はたまに友人と会う。
夢に描いていた、普通の生活ってやつをようやく手に入れた。私にはこれが精一杯だった。
だけどたまに、努力不足だったんじゃないかと言われる事がある。
私は自分の過去を人にはほぼ言わない。夫と親しい友人以外は私のバックボーンなんて知らない。
お金が無いから大学に行かなかったと言えば、奨学金を借りればいい。国公立に行けばいい。結局は学力が足りなくて行けなかっただけ。貴方の努力が足りなかっただけ。
お金が無いならなんで専門職を目指さなかったの?手に職を持とうとは思わなかったの?努力が足りなかったのを棚に上げてお金のせいにしてるんじゃない?
いくらお金が無くたって出来る人はやるからね。出来なかったんじゃなくてやらなかったんだよ。人のせいにしてるうちは成長できないよ。甘えてるんだよ。
一人の人が全部言うわけじゃない。ちょっとずつ言われる。人によっては問い詰めてくる。
だって貴方は友達と遊んだりしてたでしょ?その時間を勉強に全部当てればよかったんだよ。今の結果は貴方の怠慢が招いた結果なんだよって平気で言う。
大抵そういう時は、死にたくなるか殺したくなるかどっちか。
だって無理。私には無理だった。今以上頑張るなんてあの状況じゃ無理だった。
私は今の状態で満足してる。この普通の、何の変哲もない、平凡極まりないポジションを得るためにどれだけ大変だったか。
それを怠慢の結果ってあんまりだ。環境的ブルジョワはいつだって残酷だ。
あんたたち少なくとも家があったじゃないか。そこで寝てたんだろ?リラックスしてたんだろ?
私が友達と遊ぶのだって同じだよ。リラックスしたかったんだよ。24時間神経張れって言われたって無理だよ。
本当はもっと眠りたかったよ。まともに食事が食べられなかったせいかチビだしすぐ体調崩すし施設出るまでずっと生理だって止まってた。未だに周期が安定しないよ。
いじめの物理的な傷跡だったいっぱい残ってる。指なんて2本くらいうまく曲がらないよ。むち打ちの後遺症で今も定期的に頭と首が痛くなる。ストレスでハゲていまだにそのまんまの所もある。
これ以上は無理なんだよ。
でも知らないからしょうがないんだよね。我慢するしかないんだよね。
いいよね。幸せな育ちな人は。人傷付けても許されるんだもんね。仕方ないって言ってもらえるんだもんね。それだけでも羨ましいよ。
私も来世ではそういう家に産まれたい。そういう特権階級を持つ家に。
沢山のコメントありがとうございます。
書いた場所が場所で長文だったのでスルーされるか、察してちゃんうぜーと言われておしまいだと思っていたので、こんなに沢山温かい言葉を貰えると思いませんでした。
いつもの殺伐としたインターネットはどこに行ったの…とおもわず涙してしまいました。
頑張ったと認めて貰えることがこんなにうれしいとは思わなかった。
こんなに褒めて貰えたのは産まれて初めてです。なんて言っていいか解りませんが、本当にありがとうございます。
褒めて貰えて嬉しい反面、私が底辺のはきだめだと思ったあの子達の事を考えると複雑な気持ちにもなります。
彼女達は彼女達で過ちは沢山犯していましたしそれは軽蔑していますが、あれが精一杯だったようにも感じるんです。
皆それぞれいろんな条件を抱えていて、それでも配られたカードで勝負するしかない。それは確かにそうなのですが、
本当はもう少し言葉を考えてからお礼を書こうと思ったのですが、早急に施設の事で追記したい事があったので書きました。
以前増田に「新興宗教がいかがわしいのは個人崇拝の色が残っているから」的な投稿がありました。
自分も同じ考えで、歴史の浅い宗教だと、とにかく教祖や何代目かが言うことは絶対になりがちです。
これの何が問題かというと、外から見た場合、向こうがどういう基準で動くかわからない、
なんせ上にいるやつの気分次第だから、これが実に厄介なわけです。
こういうことを考えるのは、そもそも自分が人間不信気味だからかもしれませんが、
人間のそれも感情に依存するシステムというのは、それだけでクソの極みだと思うのです。
名君というのは、どうにでも悪用できるシステムをうまく運用しただけで、
名君がいたからといって、システムまでいいということにはなりません。
そいつの息子がアホということも割とあるし、気まぐれで重税だの処刑だのやられちゃかなわん。
例えば自分は、同じ人の権利を抑えようとする勢力でも、今の日本でポリコレうるさい人に比べれば、
キリスト教保守とかイスラームとかの人らの方がまだマシだと思っています。
なぜかというと、少なくとも彼らには聖典というバックボーンがあって、
いざとなればそれをあたれば門外漢でも彼らの考えが少しは理解できるし、
もし言ってることと書いてることが食い違うようなら「お前それは違うだろ」と指摘もできる。
生物を作ったのは神で、進化論を否定しているから、ポケモンもダメということになる。
その結果は受け入れられないけど、そこに至る理屈はわからんでもない、となるわけです。
もちろん神学論争があるように、解釈を巡る争いがないわけがないのですが、
少なくともブラックボックスをブラックボックスのままブン回してくるよりはマシなわけです。
逆に言うと、ジャパニーズポリコレフリークの皆様のいかがわしさがどこにあるかというと、
とにかくそのバックボーンがふにゃふにゃであるという点に尽きます。
まず宗教がない。よその受け売りでしかない。元が感情で動いてるから理屈が毎回変わる。
segawashinとかfurukawa1917とか見てると、バックボーンぽいところに思想とかなんとかを据えておいたほうが、芸に飛距離とかパワーとか出るんだなーって思えてくる