はてなキーワード: 刑事とは
「だれだい?こんな朝っぱらから」
「さあ、早く開けてくれ、いつまで外で待たせるんだ、
ガチャ!
「まあ、落ち着け!
「おまえは過去の経歴から、今回の例の事件の捜査に加わってもらう!
今から向かうぞ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、
で、良いニュースってのはなんだい?」
「くっそ!なんて最悪なクリスマス休暇なんだ!」
な、ハードボイルドな変な夢を見ました。
いかがお目覚めですか?
ところで、
女性なのね。
知らなかったわ、
綺麗な人ね!
御飯炊けてなくても、
無洗米をいきなり投入して炊き込む感じでもぜんぜんOKよ!
美味しくできたわよ!
それに、固ゆで玉子を添えて、
さあ、シルブプレ召し上がれ!
それに、もったいなかったので鍋の大根、
皮むいたのも一緒に漬けてみましたが
まったく、味がよく分かりませんでした。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
○朝食:なし
○昼食:どん兵衛
○調子
明日からお仕事なので、ちゃんと行けるようにゆっくりむきゅーむきゅーした。
レンタルビデオをなんだかんだで毎週借りてるのを考えると、こういうのの方がいいかなーって思って登録。
いろいろあるなかでNetflixにしたのは、めしばな刑事たちばなと咲-saki-シリーズがあるってのと、
XboxOneでも見られるってのが理由かなー。
僕は仮面ライダーの中でもこのWがかなり好き。
その中のいろいろあるエピソードの中でもこの劇場版は屈指の出来。
特に9つのフォームを使い分けながら戦うWとエターナルのバトルは何度見ても飽きないなあ。
あと台詞回し
「切り札は常に俺のところにくるようだぜ」
「いまさら数えられるか」
何度見てもいい出来だなあ。
○魔法少女まどかマギカ10話「もう誰にも頼らない」
オーラスもオーラスのオープニングテーマ「コネクト」が流れるところは何度見ても感動してしまう。
ちなみに僕が選ぶ日本二位のイケメン佐藤浩市が登場する映画ザ・マジックアワーも見られるのでいつか見ようと思う。
(あれ、二つとも三谷幸喜だな)
閉鎖劇、コメディ、お仕事論、僕の好きな要素がたくさん入った大好きな映画。
それにしても、唐沢寿明は格好いい。
いつもの。
お馴染みのあのアニメを見てるんだけど、このアニメ見てるとテンプレラノベっぽさっていかにアホの子を出すかなんだろうな…と大真面目に思えてきた。昔から「自分のことをかわいいと理解した上で色気を振りまいてくる娼婦のような女子高生キャラ」はいたんだけど、最近のテンプレラノベはそれよりも…ある時期までは「(自分がかわいい・お色気を期待されている理解してる)娼婦のような女子高生」が出てくるラノベが増えていると思うんだが、最近はそれをさらに突き抜けて「男子中学生の恥ずかしさを詰め込んだようなアホの女の子を入れる(むしろ、彼女達こそラノベらしさ)」になってない?
例えば、西尾維新(というよりも、この場合は物語やめだか)がラノベかどうかを議論する上で、ヒロインの娼婦っぽさとか設定の中ニっぽさに着目するならラノベよりもクサいから、ラノベにカテゴライズしてもいい。でも、ある時期からのハーレムラノベに出てくるアホの子はほぼ出てないから今の基準だと。僕が西尾維新が苦手(少なくとも、あんまり文学的だという評価をしたくない)なのはめだかボックスに代表されるような「読んだだけでお腹いっぱいになるような中二」なんだ。ある時期までラノベには多かれ少なかれそういう雰囲気を入れるものだったが、最近のは形骸的に中ニという作品が増えた? 落第騎士で学んだことはアホの子も萌えキャラにすると許されるというかいじりがいがあるという「可愛い子は正義」「オタクは本質的にはフェミニスト(女の子びいき)」ということだと思うの…。個人的感想だから、異論は認めるし、僕自身おかしな事言ってる自覚はある。落第騎士見てると頭悪くなりそーだけど、逆に言うとテンプレでラノベ書いている人がなんでそんなことをするかを考えながら見てると「あー読者的にはこうだから、こうなってるのか」と感じることがしばしばある。頭悪そーなことには変わらないけど、自分が好きな作品・ガチで語る作品はウケへんもん…
主人公が唐変木すぎてセクハラにも相手からの好意にも気づかないというラノベの主人公の設定って要約すると(というよりも、女性が身もふたもないツッコミをするとするなら)「ガキ」なんだろうね。それも悪い意味ではなく、煩わしい性欲がない代わりに性を隔てるデリカシーもないという両方の意味で。すご~く変な言い方かも知れないけど、落第騎士ってホモアニメだと思ったほうが(登場人物全員男子で、男子校的な場所にいると思ったほうが)ぶっちゃけしっくり来ると思うんだよなぁ…。ちゃんと女の子らしい視点とか、キャラを持ってる人がいないし、女性目線入れると簡単に崩壊しそうな意味で…。女の子を女の子として書く必要がなくなってると考えるとテンプレラノベって童貞でも…いや、むしろ童貞の方が書きやすい?男がかっこいい男を主人公とかすぐ死ぬキャラとして配置して、男子的な幼さは女の子に埋め込んでしまえばいい。あーそう考えると、女の子っぽさが何かとか考える必要ないわ。
ハーレムラノベでドンドンヒロインの影が薄くなって、主人公が他の女の子には親身になって行くという現象を学術的に言い表すと「クーリッジ効果(ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF…)」と言っていいと思うの。浮気は本能。新しい女の子は別腹!!
萌え豚はフェミニスト ※半分はネタだけど、もう半分はジブリ社屋のトイレが女性のモノのほうが広い理由を尋ねられた時に「それは宮さんがフェミニストだからです」と鈴木さん(だったかな?)が答えたのを元ネタにしてる
姫さんなんか言動の(斜め上な)色ボケっぷりを外して評価すれば、刑事モノとかアクション劇の“バディ枠”ですわね… 負けず嫌いが過ぎて時々逆噴射する熱血・正義漢だと思えばいいと。「男子中学生の小っ恥ずかしさを女の子に詰め込んでかわいいかわいいという系統のキャラの代表格は柏崎星奈だと思う」的なことを1,2週間前ぐらいにいったらヴァーミリオンが肉っぽくなり始めてきた…。予想どおりっつうかなんつうか
禁書からずっと続いてる、ラノベ世界に都合よく湧いてくる悪役のヤンキーってなんなんだろう?悪く言うつもりかどうか以前にあいつらの存在自体が謎。本来、フィクションの中で出てきたヤンキーって主人公一味よりは現実味を帯びたキャラクターのはずなのに、なぜかヤンキーの方が現実味がないキャラクターに感じて萎えるんだよなぁ…。アレなんでだろう?数日に一度は、近所でヤンキーらしき人見てるから「いない」とはおもってないんだけどなぁ。異能力使いよりも非実在性をヤンキーに見出してしまうのはなんでだろうか?NPC的な割に人間味を見いだせないラノベに出てくるヤンキーほど謎なキャラクターも珍しい。舞台装置といえばそれまでなんだけど、もっとうまくやれないのかが謎。いや、下手だと感じるライトノベルにしか出てきてないからヤンキーが出てきちゃう時点で下手くそなラノベなんだけどぱにぽにとかパンストみたいにヤンキーが楽屋裏で出演陣と楽しく盛り上がってないと整合性が取れないぐらいの舞台装置っぷりに困惑する現象を何と名付ければいい?
いつまでファンタジーだけでやってんだ。
どれだけ多くの種類の物語があることか。
学園、SF、ミステリ、ロボット、ヒーロー、刑事、魔法少女、もちろんファンタジーも。
それぞれに練り込まれ計算され差別化が図られ工夫が凝らされている。
一方でRPGときたら素人ライターが手癖で書いたような無駄に壮大なファンタジーばかり。
いまだにペルソナシリーズが現代物というだけで珍しがられる異常な状況。
そのまま映画にして評価されるほどのシナリオを本当に作れたのか。
ムービーだけだったじゃねえか。
どうせ「ゲームだからストーリーはメインじゃない」とか何とか言い訳してんだろ。
まずは読み物としてそれだけで楽しめるような物語を作れよ。
多くの分野から物語を集めるタイプと、一つの分野のなかで物語のバリエーションを作っていくタイプだ。
ファミレスのガストと牛丼チェーンのすき家みたいな違いだろうか。
たとえば同じジャンル小説でも、
SFには、タイムトラベル、ディストピア、スペースオペラ、サイバーパンクにスチームパンクなど、さまざまな物語の形式があるが、
ミステリには、大雑把に言えば「事件が起こって推理して解決する」という筋書きしかない。
密室、倒叙、見立て、安楽椅子、刑事、怪盗、館、時刻表、日常の謎…。
「事件が起こって推理して解決する」というテンプレートをもとに、
膨大な変奏を生み出しているのがミステリというジャンルなのである。
話を表題に戻すと、だから「少女漫画は恋愛物ばかり」だとしても多様性が無いとは言えないし、それはWeb小説でも同じだということだ。
遠目に見て「どれも同じじゃないか」という感想になるのは仕方ないが、
街行く人々にも人生があるし、道端の雑草にだって名前があるということで、どうか一つよろしくお願いしたい。
そういえば、いまニコニコ動画で話題になっている「マリオメーカー問題」などもこれに近い。
ニコニコ動画では、何か「祭り」が起きるとそれに関連した動画が大量に作られて、ランキングを埋め尽くすことがある。
こうした二次創作的高速サイクルは、むろんニコニコ動画に限らないCGM全体の風潮であり、
Web小説の「異世界」はむしろこちらと同根の現象と見なすべきかもしれない。
俺は全く判らない。
「福山ロス」と騒いでいる女の人たちに聞きたいし、教えてほしい。
男性のファンの人たちにも教えてほしい。
福山雅治のどこがいいんだ?
確かに、カッコいいとは思う。
けどカッコいい男なんて、他にもいっぱいいるだろ?
俺はすごく音楽が好きだ。日本のフォーク、ロック、ヒップホップ、渋谷系、パンク、アニソンと、いろんな音楽を聴いてきたと自負している。
外国の音楽もいっぱい聴いていきた。テクノやハウス、エレクトロとかプログレッシブなんたらといったジャンルまで、一通り聴いた。
個人的には、渋谷系とかハウスとかの音楽が好きになったんだけど。
そんな風にいろんな音楽と比べてみて、福山雅治が作っている楽曲が、すごくいいとは思わない。
確かに、たまに「squall」とか「桜坂」を聴いたりしたら「あっ、懐かしいな~」「いい曲だな~」とか、思ったりはするんだけど。
基本的に、ギターしか使ってないんじゃないのか?いや、俺の勘違いだったら訂正してほしい。
しかし俺が思うに、ギターで作れる楽曲の世界観には限界があると思う。
渋谷系や外国のクラブミュージックには、打ち込みの音でも生演奏のような繊細なメロディを複数重ねて、
それにヴォーカルを乗せて、いろんな音色が複雑に絡み合って、何年聴いてても聞き飽きないような楽曲になってたりする。
いやもちろん、「人の音楽の趣味は人それぞれだから、どの曲が優れてるかっていう判断基準なんてないよ」っていう相対論も共感出来る部分はある。
俺が気になるのは、福山雅治の音楽に対するスタンスについてだ。
本当に音楽が好きなのであれば、ギターと自分の歌声だけで勝負するんじゃなくて、堂本剛とか岡村靖幸とか山下達郎みたいに、ギター以外の
いろんな音色を自分の楽曲の中に取り入れようといった好奇心や努力を積み重ねるんじゃないのか?
それが福山雅治には感じられないんだよ。
音楽に対して、さして好奇心がないんじゃないのかって感じるんだ。ビジネスとして売れるかどうかという考えの比重が大きいんじゃないのかって。
その音楽に対する情熱の希薄さのようなものを感じて、どうも好きになれない。
いや、福山雅治の歌をいっぱい聴いているわけじゃないから、フォークっぽい楽曲以外もあると思うし、打ち込みを多用したり、ギターに
サックスやキーボード、ストリングスとか加えた編成とかで、「It's only love」「家族になろうよ」等の有名なバラードからは想像もつかない
ような前衛的な曲もあるかもしれない。
だからファンの人には「福山雅治はほんと、音楽が好きなんだな」って思うような曲を、俺に教えてほしいんだ。
福山の歌はいいんだってことを、プレゼンして、俺を納得させてくれ。
それとも俺の勘違いで、「歌じゃなくて、俳優としてのましゃが好き!」っていう理由とかか?
そういう人の方が多いか?
個人的には、そんなに悪くないと思う。
でもやっぱり、何か、鬼気迫るような感じとか、激しい喜怒哀楽の噴出とか、物足りない。
個人的な持論になってしまうが、2枚目も3枚目も演じられる俳優の方が、カッコよくないか?
「愛なんていらねえよ、夏」でシリアスな役柄も、「ストーカー逃げきれぬ愛」で変態役も演じた渡部篤郎とかの方が、
俳優として振り幅があって、カッコいいと思わないか?
岸谷五朗のように、渋い表情をした刑事役も、育ちの悪そうな教師役も出来る俳優の方が、カッコいいと思わないか?
アクションも出来る佐藤健やウォンビンとかイ・ビョンホンの方が、カッコいいと思わないか?
つまり結論を言うと、俺はあんまりいい評価を下していないんだ、福山雅治について。
音楽アーティストとして、俳優として、もっと優れていてカッコいい人はいると、個人的に判断している。
そして、バラエティ番組にあまり出ないだろ?その値打ちこいている感じも気に食わないんだ。
歌も俳優もバラエティもやるっていう方向性なら、何も文句はない。
だが「バラエティタレントじゃないんだぞ俺は」と、アーティスト・俳優としての見栄を切ってるんだから。
音楽アーティストとして、俳優として、評価の俎上に上げて、いろいろ言ってるんだよ。
いったいみんな福山雅治のどこが好きなんだ?
福山雅治をdisりたいわけじゃないし、disる目的で日記を書いたわけじゃないんだ。
間接的にdisることになってるかもしれないけど。
けど、しょうもないやっかみで福山雅治を非難しているわけではないってことを、理解してほしい。
俺は判らないから、納得したいだけなんだ。
単にマスコミが騒いでいるだけで、本当はそんなに福山ファンいないんじゃないのか。
ビジュアル?歌がいいのか?演技力?総合力?さらっと下ネタ言えるところ?
教えてくれ、福山雅治の魅力を!
まぁ、やってみなければ分からないわけで。
刑事や葬儀屋も制作進行も居てくれないと困る仕事でしょうから、
1人でも多くの方が夢を叶えられる世の中になって欲しいものですね。。
一体どれだけの志半ばで終わった夢があるのでしょうね。
物思いにふける良い機会になりました。
今日も1日お互い頑張りましょう。
傍から見てたらアホらしい。
けいおん見てギター始めた奴が昔いたが、そいつは放送が終わると同時に部屋の片隅にそれを追いやっていた。
同じなんだよな。
ましてや刑事とか葬儀屋とか制作進行なんてのはどう考えても生半可な仕事じゃないからさ
皆憧れで入ってくるんだよ。
だけど、気が付いたら皆退職してたなんて話はザラにある。
で何が言いたいのかというと、ドラマやアニメ見て直ぐ俺でも「なれる」と思いこむのは辞めた方がいい。
イメトレしてからでも遅くない。
GATEに憧れて自衛隊に入ろうなんて奴はさすがに居ないと思うけど
アレ見てからでも遅くはない。
体を傷つけられなかったら、儲けものぐらいに思っとかないと
増田は実際にやられたことがあってこう言ってんの?男だって実際にやられたら相当苦しむと思うけど。世界を旅したくらいじゃ被害を受けた時のショックは変わらない
ブログの子も知り合いの子も、やられた直後はテンションおかしくて普通に見えたのかもしれないけど、レイプは被害にあってから数週間、数ヶ月後から地獄が始まるんだよ。
元記事と外れるけど、性犯罪っていうのはやられた直後は通常の生活に戻ろうっていう無意識が働いて、被害自体をなかったことにしようとして、証拠となる下着とかティッシュとかを処分しちゃったりする場合が多い。そうなるとアフターピルを飲む機会も逃す。普通の生活を普通にしようとするので、はたから見ると普通に見えたりする。
そういうフラットな期間が人によるけど数週間あって、だんだん当時のフラッシュバックが激しくなって苦しみだす。でもそこから訴えたりとかしても、もはや証拠はなく、担当が男の刑事だと「なんでいまさら」「合意だったんじゃないの」とかほんとに言うんだよね。最近はよくなってるのかもしれないけど。
今敏監督のイメージは「千年女優」で、というかこれしか観て無かった。
かなり昔に観たのでほとんど忘れてしまっているが、イメージは固定されていた。
なんなんだろうなこの作品。と、物語が動き出すまで、結構序盤が長い。
それでも、一切ダレること無く、疾走感や浮遊感で引っ張る映像はやはり凄い。
正直、感情移入することが出来なかったけれでも、最後までついていけてしまう。
せっかくここまで出来るのに、どうしてこうしてしまうんだろう。という作品の人。
一般的には、脚本やストーリーが弱いとか言われてしまう感じの。
女優って女優を演じてるよなあ、監督が。という感想ばかりが残ってる。
こういうのが好きな人は、好きなんだろうなあ。と積極的に観たい。という人では無かった。
パプリカも、たまたま大きなスクリーンで観れる。という理由だった。
夢を題材にした作品だと知ってたので、ぐっちゃぐっちゃぐっちゃにして、
丸投げにして好きな人は好きだよね。俺マニアックだから、という作品だろうと思っていた。
が、まるで違った。夢を扱った作品なのに地に足が付いている。悪い意味に聞こえそうだが正反対だ。
導入も抜群にうまい。こういう作品をここまですんなり説明しきるのはすごい。
ストーリ展開も夢という構造を活かしながらも、複雑にし過ぎず分かりやすい。
例えば、現実だと思ったら夢だったという、多重構造ももちろんあるのだが、
それが既に意味として使われているので、根幹の土台を崩すような乱暴はなく、観客を混乱させない。
ここは現実なのかしら。をここまで丁寧に使う作品ってあんま無い。
疾走感/浮遊感のある映像は健在で、丁寧なストーリーに刺激的なアクセントを加えつつ、全体をうまくまとめあげてしまう。
ストーリーが難しい。という感想が多いのだが、夢という舞台装置に引きずられすぎてる思う。
刑事に関する話やパプリカの正体に注目すれば、伏線やセリフ、それに一見不明瞭な映像も適切に消化されている。
正直、ちょうどよすぎるほど後味が良く終わる。
パプリカを観て、今敏監督に対するイメージが大きく変わった。そして、非常に惜しくなった。
マニア受けかと思ったら、ぜんぜん大衆娯楽映画みせてくれる人じゃん。
そうそうみたいのはこんな感じなんだよ。なんだこりゃもったいねえ。と。
東京五輪エンブレムの使用中止に、ネット炎上の影響が「無かった」とは言えないと思う。
もちろんこの「思う」は、関係者に取材をあてて話を聞いたわけではないし、感想レベルだ。
でも、まあそうかな。そうだろう?当たり前だろ!というネットの個々人の反応は予想がつく。
何の証明も無く、何の責任も負わず、ただの「感情」のうねりが、エンブレムを使用中止に追いやったのじゃなかろうか。
そうした“リアルの与論”に近い性質を帯びるようになった“ネット世論”が、警察や裁判所や第三者機関を介するでもなく、リツイートやシェアやまとめサイトを経由して増幅し、テレビや週刊誌を先回りするかたちで問題を暴き、批判し、蹂躙していく――その風景が、私にはとても恐ろしく感じられた。
(与論はたぶん世論の誤字なんだろうけど、何箇所も有るし俺の知らない用法なのか……?まあ良いや)
シロクマセンセイの「メシウマしたい個人が大挙して押し寄せて、それが世論になるの怖え」というのは、感覚として判る。
ただ、ネット→マスコミ→世論、という、ワイドショーロンダリングによるお茶の間意思形成に一役買ったのじゃないかとは、思う。
その意味で、ギリギリ一歩踏みとどまって、既存のメディアスクラムというか、メディアリンチまでで済んでいる。
勿論この社会的制裁ってやつだってどうかとは思うが、「捏造確定」のような報道は、少なくともしていない。
まあ老獪とか言うのかもしれないが、流石に法務があるようなところで、無茶はしなかろう。
例えば、シロクマセンセイへのブコメにこんなものがあって、スターを集めてる。
augsUK 盗用や捏造の指摘を「叩き」と言ったり「暗い情念」と表現するのは、単純にその人の倫理観がねじ曲がってんのかなとは思う。そもそも「ネット」が一つの人格で動いているような表現がとても気持ち悪いけど。
ブコメ中で「盗用や捏造」と言っているが、何のことだろうか。立証されただろうか。それasgsUKさん個人が、責任取れるだろうか?
捏造していないと裁判の末に証明されて、名誉棄損で訴えられて、30万くらい払う覚悟でブコメ、してないよね?(してたらゴメンネ)
法治国家における倫理観としては、「疑わしきは罰せず」で、容疑者を犯罪者として扱わないことなのかな、と思う。
で、たぶんこの流れを読んでギョッとしたんじゃないかな。
え、いきなり個別のブコメを取り上げてナンカ言うのかよ、みたいな。
そう思ったのであれば、それは「「ネット」が一つの人格で動いている」となんとなく思っているからだ。多分そうだと思う。
当然、それぞれのネット上の発言は、それぞれ別の人格で、それぞれ別々に各発言に意思と責任があるんだけど、そう思ってないんじゃないかな。
だから、言葉が「軽い」し、覚悟がない。まあそんなもんだとは思うけど。
例えば、ザハ・ハディドの個人攻撃あったよね、ちょっと後味悪かったよね、みたいな記事に、こんなブコメがあってスターを集めてる。
Matsuriame そうかなぁ。競技場に関しては「ねっとのひとたち」は「高すぎる」と言ってただけだし、「ザハのせい」にしたがって、建築家だけに責任を押し付けて降ろしたのはむしろ発注者の人達だったけど。
まあ、「そうかなぁ」って書いときゃ免責みたいな空気感、あるよね?
xevra ザハの物を本当に作ろうとするのはクレイジー。ザハは模型を見て楽しむ物であって実際に作ろうとしちゃダメだ。デザインは素晴らしいからコンペは通過しちゃうが実現性無視してるから到底作れない。
はてブで1000超えってワリと珍しいんだけど、xevraさんの他にも「金かかるのデザイナー(ザハ)のせいなのね」というブコメの大合唱ですね。
他にも記録はイッパイあるけど、Matsuriameさんは、ググったり、ブコメを振り返ったりしない人なのかもしれない。(スターつけてるヒトもね)
そういう自分の発言がホントかどうかの責任を意識しないし、取るつもりもないのは、まあ放言じゃないかなぁ。(無責任話法)
勿論ここでは、「そうかなぁ」って書いてて、強く「いや違う!」とはコメントしてない。
感想だし違ってたらゴメーンネってすれば、別に良いじゃんブコメだし、みたいな空気感、あるよね?
「「ねっとのひとたち」は「高すぎる」と言ってただけだし」って、嘘ついても、いや嘘じゃないよ感想だしそういう言い方はヒドイ、とか思うのではないかな。
見境なく社会的制裁を振るう現状は、褒められたものではない。昔だったら居酒屋談義で終わってしまったはずのネガティブな情緒が、インターネットを介してこんなに繋がり、こんなに盛り上がり、こんな風に“世論”に直結して構わないものだろうか?
「構わないものだろうか?」というか、法治国家ならシステム外のプロセスも経ていない圧力でひっくり返るのはマズイと思うよ。
とはいえ、感情や情緒は大切にしましょうというのは、日本のシステムにはプロセス中に組み込まれているし、拡大傾向にある。
amakanata 今回のシロクマさんの見方はちょっと違うんじゃないかなぁ。世界的な賞を許可を得ずに素材を使ったデザインでごまかし続けた人間の作ったものを神輿にしたくない、という庶民の感情の健全な発露でしょ。
「ごまかし続けた人間の作ったものを神輿にしたくない」という「ネガティブな情緒」で、「庶民の感情の健全な発露」として「“世論”に直結」。
シロクマセンセイの見立てとそう言ってること違うようには思わないけども、amakanataさんの感覚は、ざっと見ブコメの5割くらいの感覚には近いように思う。
(本人の属性で作品の価値が上下するのは日本では良くある話だし、事業に関わる人の身ぎれいさを要求するのは日本だけじゃないしね)
amakanataさんは「ごまかし続けた」という具体例とかそれが真実ごまかしたのかを立証する責任があるとは思ってないだろうし、まあ実質ないんじゃないかな。
ちょっとブコメするのと同じ気軽さで簡単クリックで1万人自動訴訟できる世の中になったら、またちょっと違うんだろうけど、その非対称性の話はまた別の機会に。
ただ、「ホントだったらヒドイ(=嘘でも責任は俺にはない)」みたいなデマ一直線の発言も、居酒屋談義や床屋政談ならアリだと思うし、そこを気にするのは健全ではない気もする。
監視社会じゃねえのにそんな発言まで責任持ってしなきゃいけねえの?みたいな。いやほんとは責任もってしなきゃいけないんだけど。
信頼出来ない上司の業務命令には疑いの目を向ける、ではないけれども、本質的なところに不信感があるのではないか。
つまり、知性主義というエリートのやることに、なんか違うのではないか、どうも信頼出来ない信用出来ないとの思いがあるのではないか。
それが、判りやすい形で出た今回のエンブレム炎上騒ぎで、「普通の市民の道徳的な感覚として、まっとうな結果」と思う人が多いのであれば、
それは「メシウマ」が(ホフスタッターの言う本来の意味での)「反知性主義」として機能し始めたということなんじゃないかな、と思う。
エリートの言うことは信頼出来ないから、市民団体が監視をします、では無く。
一人ひとりの小さな放言や、調査結果や、情緒からくる感覚や感想が、まとめサイトに束ねられてマスコミがすくい上げて拡大する。
そこには警察の捜査も、弁護士や検察官の立証も無く、過去の蓄積からの裁判所の判断もなく、法律もルールも無縁の所で、
そうだろう、そうに違いない、絶対そうだという、責任のない感情的な判断が積み重なることで、「事実」になる。
それはある人から見れば「暗い情念」だし、ある人にすれば「常識的な市民感覚」だろう。
動機が行為を正当化するとも免責するとも思わないけど、そういうものかもしれない。
クリックで参加できる人民裁判だし、結果死人も結構出てるけど、改まらないしね。
(この増田も、5人から訴えられる可能性あるしなあ。たぶんダイジョブだと思うけど。裁判面倒だよなあ)
「反知性主義」判り難いという指摘を直接受けてまあそうかなとおもったので追記。
「知性主義」は、「専門家主義」と置き換えてもらうのが、一番ホフスタッターのニュアンス近いと思う。
「反知性主義」は、「反専門家主義」となって、つまり「専門家の判断ではなく、むしろ専門家ではなく専門的な知識がないからこそ、正しい判断が下せる」という主義とか態度のことね。
模倣の判断や、建築実現性、刑事民事の責任まで、デザイナーや建築士や弁護士でない、知識を持たないヒトが正しい判断をくだせていると考える(またそれを支持する人がいる)というのは反専門家主義(反知性主義)が受け入れられる土壌が育ってきているのではないか、という話。
専門家でない人達の声で(途中に週刊誌や新聞の専門部署を経ずに)、専門的な判断が覆る怖さについての話なのかなと思っている。
まあ、医療や災害に関しては、ネットでもまだ反専門家主義者が批判されるのを見ると、専門家たちが丁寧に説明することが重要なのかな、と思う。
(とはいえ、教育関係のひっくり返らなさを観ていると、今回の炎上は個別事案であって、脇が甘かったからこそってことなのかも知れないけど。ぬ、訴えられる可能性が上がった気がする。熱狂的な個人は手打ちが面倒だからボカスぞ)
まだ起訴前なんで、特定される情報はぼかすけど、気の毒に同じ車両に乗ってた人なら判る程度にちゃんと書く。
ちょっと前の金曜日、会社帰りに帰宅の為に会社最寄駅から電車乗った。
会社最寄駅は始発の駅で、タイミングが良いと並んでても座れる時がある。
混みそうな時間帯にも関わらず、幸いにも端っこの隣の席に座ることが出来た。
出発まで5分ほど、背負っていたリュックを膝上に置き、スマホで技術系ブログなどを漁る。
インターネット中毒なのか、外界の景色が見えなくなる程に熱中して読んでしまう時がある。その時もそうだった。
電車が動き出したのは覚えてる。後、隣の人が若干臭かったことも。
始発駅から1つ目の駅を出た頃、隣に座っていたおっさんが動いた。
一瞬そっちを見るが、立つのか伸びをしているのかと判断して、視線をスマホに戻そうとするその横で、振りかぶって返ってくる肘。
まさか、電車で全く知らん人、ましてや無害だろうと判断した人からの突然の攻撃に備えられるはずもなく、目で追えていたものの、顔面にクリーンヒット。
考えさせてくれる暇も与えられず2発目。
突然脳天を揺さぶれ、顔面にモロにくらい、茫然自失、戦意喪失。
おっさんは更に立ち上がり、殴り始める。
引く周りの乗客。
一通り殴って気がすんだのか、平然と座る男。
俄然高まる緊張感。
その後は、おっさんから引き離す様に立たせて、間に入ってくれた果敢な男の人に全てを任せ、立ち上がり再び威嚇するおっさんが取り囲まれ、駅のホームに取り押さえられる様を他人事の様に見てた。
犯人が暴れてるので、取り押さえ男衆に混じり4人掛かりで抑え、警察に引き渡す。
殴られて顔腫れてるわ、もみくちゃにされて片目のコンタクト失くされてるわ、後頭部の鈍痛がある中、警察官の尋問で、待たされ続ける。
取り敢えず早く病院行きたかったのに、やっと出てきた警察官渋る渋る。
自分で呼んだ方が良いよとか言われたが、上司が応援にきてあっさり承諾。なんじゃそりゃー。
取り敢えず、CT異常なし。
この時点で、23時過ぎ。
一昔の前のアイドル風な風貌に、マル暴で鍛えられた静かな迫力。
不器用にノートパソコンに調書を書いてくれ、2時過ぎまで対応してくれた。
途中、長過ぎてもう適当で良いよーと思ったり、感謝はしつつも調書もAmazonレビューポエム的な、拘りがあるのかなーとか思ったりしてた。
2時半頃、調書も被害届けも書き終わり、送ってくれることに。
本部長さん、今朝5時から働いてるのに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当にありがとうございました。
警察官や刑事さんも、みんな言ってたが、本当に死んでしまえと思った。
あと、何にも出来なかった、やられた後に反撃さえ出来なかった自分が情けなくて、何か本当に悔しい。
「目の前のおっさん、きもい(笑)」 若い女性の中高年盗撮、SNS投稿で訴訟も (1/3) はてブ 関連。
実は『盗撮罪』のような犯罪は存在しない。では、盗撮はどのような法律に基づいて取り締まられているのか、個別に見ていこう。
現在の日本国において、盗撮する行為そのものを規制する唯一の”国の法律”が軽犯罪法である。
言うまでもなく軽犯罪法は罰則自体が軽い上、取り締まる対象は『人が通常衣服をつけないでいるような場所を』だから、街中や相手の家のリビングを盗撮しても罪にならない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO039.html
二十三 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者
盗撮すると国の法律上どんな罪になるかというと、結構多いのが住居侵入罪だ。
だがもちろん、これは『盗撮するために不当に侵入したこと』を罪に問うているのであって、盗撮行為そのものを罰しているわけではない。
(何か『どこに入ると罪になるか』については若干の議論があるらしいが、ここでは触れない)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%B1%85%E4%BE%B5%E5%85%A5%E7%BD%AA
http://www.geocities.jp/masakari5910/houritsu_j4.html (註・このページの情報は若干古い)
第五条
何人も、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、人を著しくしゆう恥させ、又は人に不安を覚えさせるような卑わいな言動をしてはならない。
第八条
次の各号の一に該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
2 前項第二号(第五条第一項に係る部分に限る。)の罪を犯した者が、人の通常衣服で隠されている下着又は身体を撮影した者であるときは、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
この項目に引っかかり、1年以内の懲役または100万円以内の罰金になる。
逆に言うと、『入ってはならないような場所以外で』『通常衣服を着けない場所(体の部位ではなく、撮影が行われた場所)以外を撮影したのでなければ』条例しか取り締まる法令がないので、飛行機の中で盗撮があった場合はただちにそれが何県の上空で行われたのか特定しないと罪にできない。
(参考リンク) http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1734331.html
実は数年前まで、県の迷惑防止条例には重大な欠陥があった。たとえば岡山県 新旧対照表 この新旧対照表が平成25年成立の平成26年施行とは悪い冗談のようだが、本当だ。
2 何人も、婦女に対し、公共の場所又は公共の乗物において、婦女を著しく羞しゆう恥させ、又は婦女に不安を覚えさせるような卑猥わいな言動をしてはならない。
婦女に対し、である。男に対して羞恥させても軽犯罪法にしかならなかった。千葉県などはこの手の条文の後に「男子に対して行った場合も同様とする」ような文言があるが、一部の県ではそれすら存在せず、男性を羞恥させても軽犯罪法にしか触れない県がいくつかあったが、どうやら平成26年度までには改正されたようだ。
もっとも、この「著しく羞恥」は基準が曖昧だ。寝顔を撮影して捕まった事例があるがそれは本当に「著しく羞恥」なのか。逆に特定の男性を撮影してネットにアップするのは迷惑防止条例に触れないのかという疑問はある。
肖像権について日本の法律には明確な規定が無いが、判例上は『パブリシティ権としての部分』と『人格権としての部分』が認められている。
パブリシティ権の方は分かりやすい。ざっくり言うならば『その写真や映像で、商売をする権利』であり、従って芸能人などに認められる。(政治系の有名人についてはどうなっているのかは正直、よく分からない)
分かりやすい例としては、街中やコンサート会場でタレントを撮影した上で、その写真を販売したりするのは違法である。
コンサート会場などは主催者が撮影禁止を定めていればその通りだろうが、有名人が街中にいるところを撮影するのが違法であるかというと、実のところ曖昧だ。 http://lmedia.jp/2014/06/18/53942/
前述したように、『その写真を売ったりしたら違法』なのは明確だが、個人で持っているだけなら(おそらく)何の法律にも触れない。ではブログにアップするのは、そのブログにアフィリエイトがついていたら……という話になると、もはや違法とか合法とか言い切る以前に『そもそも、法律の整備が追いついていない』というのが現状だ。皆がカメラ付き携帯電話を持つようになって10年ほどでしかない。
(そして、前々から思っていていまだ答えが出ていないのだが、『有名人の昔のスキャンダル集』『放送事故映像集』的な本が出ているが、ああいう本こそタレントの肖像権に触れないのか?)
ちなみにタレントのプライバシーについては、認められる範囲は著しく狭い。SMAP(ジャニーズ事務所のあのスマップです)追っかけマップ裁判の判決で『住所及び電話番号は掲載すべきではないが、最寄り駅などの情報を掲載した追っかけマップを出版することは認められる』という判決が出ている。
http://www.translan.com/jucc/precedent-1998-11-30d.html
人格権としての肖像権は若干分かりにくいが、みだりに自分の姿を公開されたりしないための権利だ。もちろん、渋谷スクランブル交差点を撮影する際に写っている全ての人の許可を取るなどほぼ不可能だし、今のところ『不特定多数を』撮影したのであれば人格権を侵害したことにはならないとされている。
逆に、アイヌの民族衣装を着た子供時代の写真に『滅びゆく民族』というキャプションをつけた出版社が被写体本人から訴えられた(和解成立済み)例もあるので、人格権としての肖像権はその辺りが参考になるのだろう。
http://www.amazon.co.jp/dp/4773888024
何が言いたいかというと、『公共の場所にいる男性を無断で撮影し』『キモイとか犯罪者予備軍とか書いてブログやツイッターにアップ』した場合、被写体となった男性は(もちろん女性でも同じだが)撮影者を肖像権(人格権)の侵害で民事訴訟を起こすことができるだろう、ということだ。刑事上の罪になるか、というと3で書いた迷惑防止条例の『著しく羞恥』に引っかかれば可能性はある。
なんせ国連でも「人道に対する罪」に匹敵すると糾弾された拉致問題について、北朝鮮が「1年間で調べられませんでした」なんて言って、調査期間の延期を通告してきたのに、共産党などは赤旗で批判すらしないからな。
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「拉致」も「北朝鮮」も、影も形も見当たりません。ある意味、徹底しておりますな。
痴漢や女性専用車両の問題を語る時、二言目には「冤罪がー」と言う輩がいる。私はこの様な輩をただのミソジニーのアホなんだと思っていたが、もしかするとここにはある種の内実が有るのかもしれないと思ったのでそのことについて綴りたい。断っておくとこれは私の思いつきであり具体性は無い、形而上の上滑りした話であることは初めにお断りしておきたい。フェミニスト及び親フェミニズムな方に問いたい問がある、以下の様なものだ。
『痴漢冤罪による男性への暴力は女性の権利として正当化されるべきであろうか?』
前提として私は男性であり異性愛者である。痴漢は(主として)男性から女性に齎される暴力で、これは擁護の余地のない加害行為であると考えている。また痴漢冤罪の問題は極めて刑事司法上の問題であり、そこで行われている「人質司法」や「自白強要」などは痴漢という犯罪に於いてのみ特異な事柄では無いので、ことさら痴漢という犯罪についてだけ冤罪の問題を声高に叫ぶのはおかしいと思っている。前提終わり。
この問題について常々疑問だったのは、「なぜ女性は痴漢問題に於いて冤罪の事を持ち出す人間を批判しないのだろう?」ということだった。これは私の観測範囲であまり見受けられなかっただけで実際にはそのような議論をものしている方もおられるのだろうとは思うが、兎に角私にはそう思えた。先にも述べた通り痴漢と冤罪は全く別の次元の問題であり、痴漢被害を受けた、受けたと思い込んでいる、受ける可能性に晒される事を甘んじて受け入れねばならぬ満員電車に乗る女性が負うべき責任では無い。であるがしかし、昨今痴漢冤罪は結構メディアを賑わせているトピックであるし、殊に痴漢という罪に於いては証拠など無くとも「弱者」である女性の告発が事実上強いパワーを持っているように見える構造があるのが現実である。この様な現実に対しては女性側から「確かに冤罪の問題は解るがそれは刑事司法の問題で、痴漢の問題とは別に議論すべし」と宣言する事が必要であるように思うのだが、その手の言説は痴漢問題のたびに「冤罪!冤罪!」と喚く輩と比すれば余りにも少ない。
痴漢と冤罪の問題を切り分けないといつまでも男女の溝は埋まらぬよな、と思う私はこの時ふと思いついた。これは恥ずかしい話本当にただの直感なのだけれど、もしかするとある種の女性の側こそが痴漢と痴漢冤罪の接近を温存したいと言う理路もありうるのではなかろうか?言うまでもなく痴漢という犯罪の前にあって女性は被害者である。被害者である女性が被害事実を以って加害者を告発するのは当然の権利である。痴漢という羞恥させる類の犯罪では泣き寝入りも多いであろうから成る可く告発し易い土壌作りも必要である。しかしそれも行き過ぎれば毒となる、痴漢冤罪に於いては刑事司法制度上被害女性を手厚く遇しすぎている面が拭い難くある。そして人は被害者であるが故に加害者になるということをとても容易に行う。戦前のドイツが、日本が、部落解放同盟が、中国韓国の一部の民族的イデオロジストが……etcetc、様々な場所や時代に於ける「弱者」がそうであるように思う。
痴漢の疑いをかけられたものが雪冤を果たすのがどの程度難解なのか、本当のところは解らない。特に昨今はメディアで痴漢冤罪が取り沙汰されることも増えてきているので、完全に否認している人間を捕まえてそこまで強引に長期拘留などということも出来なくなりつつあるのが現実ではなかろうかとも思う。しかし世間一般に流布されているイメージは違う。
「否認などしようものなら長期間の拘留により必ず社会的地位を失陥する」
「疑いをかけられた無実の人間が選ぶ最も賢い行動はその場からの逃走である」
これらは必ずしも真実では無いかもしれない。しかし現代の神話として男女問わず相当な信仰を得ているストーリーではある。この現代の神話に於いて男性は男性であるというだけで例え無辜であっても常に社会的地位を一瞬に失うリスクに晒されており、彼が男性であるが故に弁明も許されず、出来ることはその場からの遁走だけであるというのだ。これは凄まじい「パワー」であると言わざるをえない。(何度も言うがこれが事実かどうかはこの場合関係がない)「被害者」で「弱者」である女性がこの「パワー」を欲していると疑うのは穿ち過ぎだろうか?この「パワー」を以ってして「加害者」である男性に隠微な復讐を企図していると考えるのは私の被害妄想だろうか?
私は今まで痴漢問題に於ける女性の立場を「女性は被害者であり被害を訴えているだけである」と、とても単純に考えていたのだが。これほど痴漢冤罪ということが取りざたされる様になって来て、女性がその裏にある「パワー」について全くイノセントでいられるのだろうかと考えると、流石にそのような見方は無理がありすぎるような気がしてきた。むしろ女性を馬鹿にしているとすら。勿論本当はそのような「パワー」などありはしない、ただたまたま警察の取り締まり方針の転換と中世さながらな刑事司法制度が組み合わさっただけである。だが、「そのようなパワーがあると思いたい」という点に於いてある種の男性とある種の女性の間で利害が一致している、と思うのだがいかがだろうか?この「被害者であるが故に加害者にすらなる」という問題について、フェミニズムは何か解答を持ち合わせているだろうか?それともフェミニズムとはジェンダーという枠組みから解放されることを目指すのではなく、女性が「パワー」を獲得して男性に対して下克上を果たす事を目的とした運動なのだろうか?是非お伺いしたい。