痴漢や女性専用車両の問題を語る時、二言目には「冤罪がー」と言う輩がいる。私はこの様な輩をただのミソジニーのアホなんだと思っていたが、もしかするとここにはある種の内実が有るのかもしれないと思ったのでそのことについて綴りたい。断っておくとこれは私の思いつきであり具体性は無い、形而上の上滑りした話であることは初めにお断りしておきたい。フェミニスト及び親フェミニズムな方に問いたい問がある、以下の様なものだ。
『痴漢冤罪による男性への暴力は女性の権利として正当化されるべきであろうか?』
前提として私は男性であり異性愛者である。痴漢は(主として)男性から女性に齎される暴力で、これは擁護の余地のない加害行為であると考えている。また痴漢冤罪の問題は極めて刑事司法上の問題であり、そこで行われている「人質司法」や「自白強要」などは痴漢という犯罪に於いてのみ特異な事柄では無いので、ことさら痴漢という犯罪についてだけ冤罪の問題を声高に叫ぶのはおかしいと思っている。前提終わり。
この問題について常々疑問だったのは、「なぜ女性は痴漢問題に於いて冤罪の事を持ち出す人間を批判しないのだろう?」ということだった。これは私の観測範囲であまり見受けられなかっただけで実際にはそのような議論をものしている方もおられるのだろうとは思うが、兎に角私にはそう思えた。先にも述べた通り痴漢と冤罪は全く別の次元の問題であり、痴漢被害を受けた、受けたと思い込んでいる、受ける可能性に晒される事を甘んじて受け入れねばならぬ満員電車に乗る女性が負うべき責任では無い。であるがしかし、昨今痴漢冤罪は結構メディアを賑わせているトピックであるし、殊に痴漢という罪に於いては証拠など無くとも「弱者」である女性の告発が事実上強いパワーを持っているように見える構造があるのが現実である。この様な現実に対しては女性側から「確かに冤罪の問題は解るがそれは刑事司法の問題で、痴漢の問題とは別に議論すべし」と宣言する事が必要であるように思うのだが、その手の言説は痴漢問題のたびに「冤罪!冤罪!」と喚く輩と比すれば余りにも少ない。
痴漢と冤罪の問題を切り分けないといつまでも男女の溝は埋まらぬよな、と思う私はこの時ふと思いついた。これは恥ずかしい話本当にただの直感なのだけれど、もしかするとある種の女性の側こそが痴漢と痴漢冤罪の接近を温存したいと言う理路もありうるのではなかろうか?言うまでもなく痴漢という犯罪の前にあって女性は被害者である。被害者である女性が被害事実を以って加害者を告発するのは当然の権利である。痴漢という羞恥させる類の犯罪では泣き寝入りも多いであろうから成る可く告発し易い土壌作りも必要である。しかしそれも行き過ぎれば毒となる、痴漢冤罪に於いては刑事司法制度上被害女性を手厚く遇しすぎている面が拭い難くある。そして人は被害者であるが故に加害者になるということをとても容易に行う。戦前のドイツが、日本が、部落解放同盟が、中国韓国の一部の民族的イデオロジストが……etcetc、様々な場所や時代に於ける「弱者」がそうであるように思う。
痴漢の疑いをかけられたものが雪冤を果たすのがどの程度難解なのか、本当のところは解らない。特に昨今はメディアで痴漢冤罪が取り沙汰されることも増えてきているので、完全に否認している人間を捕まえてそこまで強引に長期拘留などということも出来なくなりつつあるのが現実ではなかろうかとも思う。しかし世間一般に流布されているイメージは違う。
「否認などしようものなら長期間の拘留により必ず社会的地位を失陥する」
「疑いをかけられた無実の人間が選ぶ最も賢い行動はその場からの逃走である」
これらは必ずしも真実では無いかもしれない。しかし現代の神話として男女問わず相当な信仰を得ているストーリーではある。この現代の神話に於いて男性は男性であるというだけで例え無辜であっても常に社会的地位を一瞬に失うリスクに晒されており、彼が男性であるが故に弁明も許されず、出来ることはその場からの遁走だけであるというのだ。これは凄まじい「パワー」であると言わざるをえない。(何度も言うがこれが事実かどうかはこの場合関係がない)「被害者」で「弱者」である女性がこの「パワー」を欲していると疑うのは穿ち過ぎだろうか?この「パワー」を以ってして「加害者」である男性に隠微な復讐を企図していると考えるのは私の被害妄想だろうか?
私は今まで痴漢問題に於ける女性の立場を「女性は被害者であり被害を訴えているだけである」と、とても単純に考えていたのだが。これほど痴漢冤罪ということが取りざたされる様になって来て、女性がその裏にある「パワー」について全くイノセントでいられるのだろうかと考えると、流石にそのような見方は無理がありすぎるような気がしてきた。むしろ女性を馬鹿にしているとすら。勿論本当はそのような「パワー」などありはしない、ただたまたま警察の取り締まり方針の転換と中世さながらな刑事司法制度が組み合わさっただけである。だが、「そのようなパワーがあると思いたい」という点に於いてある種の男性とある種の女性の間で利害が一致している、と思うのだがいかがだろうか?この「被害者であるが故に加害者にすらなる」という問題について、フェミニズムは何か解答を持ち合わせているだろうか?それともフェミニズムとはジェンダーという枠組みから解放されることを目指すのではなく、女性が「パワー」を獲得して男性に対して下克上を果たす事を目的とした運動なのだろうか?是非お伺いしたい。
長々と書いてご苦労だが、痴漢冤罪の問題は痴漢冤罪の問題なので、個別に論じて解決するだけの話。これに対して「痴漢冤罪の話なんて痴漢犯罪の話に比べれば小さいので、その問題...