はてなキーワード: 事象とは
https://anond.hatelabo.jp/20160622100234
また昔書いた記事が取り沙汰されているのに気付いてしまいました。
この記事は自分の人生の写し鏡のようです。事実を曲げず素直に書いた分、読んだ感想として幸せな結婚もあるよ書き手がクズだよとマウントを取られたり叩かれることには結構ダメージを受けます。著書買ってるような名のある作家さまにまで叩かれてたときはさすがに少し泣きました。でも大ファンです。人生の内に貴殿に文章を読んで貰えて光栄でした…といきなり誰ともなく私信失礼。
ただ、部分部分では共感して頂けたり、書いてくれてありがとうと仰ってくれる方もいることを考えると、決して書いたこと自体は無駄ではなかったのだと、一旦は縮み上がった心臓の辺りを撫で下ろしています。
そんな筆者のそれから二年半後の話です。
金銭感覚に関しては自分がだいぶまともになったため、小遣い制も続行ではありますがその範囲内で収められるようになりました。
やはり私の人生から絵を描く、文章を書くということを取り上げることは難しく、どれだけそれが大切なことであったかを話し、どうしてもやめられないのだと謝罪をしました。出会ってから丸4年かけて。何かあるたび、ことあるごとに。離婚の話も時々しながら、それでも私は彼と分かり合いたかったのです。
旦那は守銭奴でもあるので、イベントの度に黒字を出さないと、というプレッシャーはないことはないですが、趣味なのにかけたお金にリターンがあることがプラスに働き、その点でも理解を得るのに成功しました。私は少しずつ趣味で得た収入で活動を回し、今では毎回イベントで黒字を出せる位までになりました。(家計の電気代、通信費は自分持ちで、税金もペイしてます)
「俺も同人活動やってみようかな」
どうやら、私の活動を観察し続けた結果、副収入になりえる趣味があるのを羨ましく思ったようです。原作はお前と一緒に観ていたのでわかるし、文章ならば俺も書けると。同カップリングで書けば私の取ったスペースに置いて貰えるのでわざわざ旦那が申し込む必要はない。萌えているかどうかは微妙なところであるが、金になるならやってみたいとの事でした。
私は大賛成でした。収入を得るのはとても難しいことだけど、世の中に自カプの本が増えるのは喜ばしいことだ。自分の活動を見ていて刺激になったのならばこれほど嬉しいことはない。是非私のオススメの同人誌も見てくれと、旦那相手に全力で布教しました。旦那はとりあえずそれを全部読んでくれましたが、わかりやすく絵がきれいでエロい内容の物を良いと言うタイプで、個性的な絵柄、作り込んだ話の物はぴんときていなかったようです。ロム専の心理の参考になるな…と思いながら布教を続けました。
「これ全部プロじゃない人が書いたのか?」と彼はとてもびっくりしていました。プロも含むけど、大体の方がアマチュアで、カップリングに萌えた結果本を出さずにはいられないで書いたものだよ、と教えると彼は随分悩んだような顔をしていました。
しばらくそのままほっておいて、創作をするかどうか様子を見ていましたが、その後も別に忙しいというわけではないのに書き始める様子が全くありませんでした。気になって聞いてみると、やっぱやめたとの事。
私は旦那が書く自カプの小説がどうしても読みたくてリアルに土下座してお願いしたのですが、言い分を聞いてそれ以上何も言えなくなりました。
「正直舐めてた。でもやってみようと思って触れてみて初めてわかった。これは、俺のような半端な好きじゃ出来る物じゃない」
彼は、打ちのめされていました。その気持ち、私もわかります。好きだという想いが強く、愛の伝わる同人誌との出会いで、如何に自分の表現力が拙いか、愛し抜き方が足りないか、実感するんですよね〜。
「お前よくこんな趣味で心折れずにやってるね?辛くない?」
「辛いよ。誰よりも自分が下手で情けなくて嫌になる夜もある。でも何百回そういう思いしたとこで、結局書くのが好きって気持ちが強くて次回作を書いてしまうんだ」
そんな会話を交わすと、彼はふっと笑い、急に昔話を始めてくれました。
それはまだ出会って間もない頃、私がまだ嬢で向こうが客のとき。私はてっきり容姿に惚れたのかと思ってたのですが、もっと何気ない、私が発した一言に彼は惹かれたんだそうです。
「私ねー、この仕事やってんのには目的があるんだ。やりたいことやるためにやってる。だから全然仕事が苦じゃない」
このセリフを聞いて、彼は雷が落ちたような衝撃を受けたらしいんです。なんでも、その頃の彼は何もやりたいことがなく、ただ漠然と仕事をし、婚活をし、人生の空しさを埋めるためだけに風俗に通っていた。だから、その私の発言が輝いて見えた。その輝きをずっと傍で感じていたいと思ったんだそうです。(とはいえ同人活動のことだとは露ほども思ってなかったらしいですが)(なんせ同居してからはしばらくやめてしまってたので)(よってあの輝きはなんだったのかしばらく悩んでいたらしいです)
「俺と一緒にいるということはあなたの自由度を下げてしまい人生の幸福度を下げているのかもしれない。だってあなたは形に残るほどすごいものを作れる人なのだから。それでも俺は好きな物を作って輝いてるあなたが魅力的だと思う。やってみてはじめてわかった。もっと自信を持っていいよ」
…まー、これを言われたときは号泣しました。私は旦那のセンスを信頼してるので是非自カプ小説を書いて貰えたらなと思ってたのは事実ですが、それを差し置くくらい嬉しかったです。わりとこのときはじめて「この人に私をわかってもらえた」という感覚になりました。
世の中には色んな夫婦がいると思います。お互いの人格の完成度が高く、なんでも尊重し、協力しあえる夫婦。趣味や価値観は会わなくても、子供を架け橋に努力している夫婦。互いの趣味嗜好には立ち入らない距離感を正しく保てる夫婦。最初からそうだった人たちからすれば、最初のエントリーの私たちなんて機能不全夫婦もいいとこで、嬢をやってた社会不適合者とドケチ旦那のギスギス話なんて叩いてなんぼ、まともな人間はもっとまともな夫婦関係歩めるからね〜ウチみたいに…と、酒の肴に楽しむ人の不幸扱いされても仕方ないなと本気で思います。(傷付いてないわけではないのですこーしだけ悪意込めてしまいました、すみません)
私の想いは文章として私の手を離れた瞬間から人のものになります。その文章に記したドラマがどう思われるか、どう受け止められるかは受け取り手次第になる。たぶんあのころの私はとにかく辛くて、そんなことまで考えられないくらい捨て身で文章を書いた。だからこそこう何年経っても読まれてはバズってしまうような文章になったんだろうなと思います。誰かを気遣わない文章だからこそ、あの文章のなかの二年半前の私は時を経た今でも生々しく悩み、精神的DVを受け続けています。
受け取る側の精神状態にまで気を遣えるようになった私の今の気持ちは、分かり合えるか合えないかは自分の頑張りもあるけど、旦那も歩み寄るかどうかにかかってるから正解なんてないのだよ、ということです。
あの文章を読んだ人の中ではその後の私のの人生はあそこで止まってあとはただの評価場となりますが、あの文章を書いた私の人生はその後も続きます。
そこでどんな努力をするか、どう生き方を変えるか、パートナーを諦めるという選択肢もありました。人生自体を終わらせる選択肢だって。全部選んだのは私です。
その結果、私の「好き」は正しく相手に伝わりました。四年くらいかけてようやく届いた。それでよかったなぁと心から思います。
ちなみに、私が彼を好きだった理由は、名前で呼んでくれることと同人活動を気持ち悪がらなかったことでした。でも今ではそこに、私を正しく理解してくれることが加わりました。
彼は私の全てを知ってもなお好きでいてくれます。なんだかんだで、私の神様なのです。愛を持って私をある程度正しい人間へと導いてくれました。彼が完璧な人間かと言えばそうじゃないですが、私にとってはこの上なく必要な人だったのだと自信を持って思います。
また、最初のエントリーも私にとって大きな転機になりました。自分の人生が一般的でなかったことに気付くきっかけになり、びっくりする位批判とマウントをとられ、本当にショックでした。でもその悔しさは逆に、二度とあの世界に戻らないという誓いにもなりました。堕落した生活を送った過去は変えられないからこそ、正しく幸せを手に入れた人に叩かれたからこそ、何がなんでも幸せになってやると思いました。
今、自分がまともな人生を歩んでいるとも、素敵な旦那に恵まれて楽しく同人活動を継続できてますよとも言うつもりはありません。ここに至るまではご覧の通りです。沢山の苦しみや痛み、驕りや嫉妬、あと絶望があります。もっと器用に生きれるなら生きたかった。でもその度に私は自分でなんとかして生きてきました。だからこそこれだけは自信を持って言います。
自分が好きな物を諦めなければ、いくらでも人生は変わります。絶対。
好きを貫いたら、好きなことができるようになるのが人生。
結婚生活が破綻するかどうかはそれに付随する事象でしかなかったんです。
だから…結婚生活を無理に続ける必要もないし、同人の優先度が下がればやめてもいい。人生ってもっと気楽に、好きな物に忠実に生きて良いんだと思います。どうせ死ぬまで続くんだし。
努力したら分かり合える人もいるけど、努力してもわかり合えない人もいて、袖すり合いつつ生きていく。
結婚も同人も全部自分の人生の一部。どれが欠けても終わっても続いても、自分の人生自体は続いていくんだから大丈夫。
そう思うことで、とても楽になりました。
こういうこと書くと、また同人に対する重さとかのほうが取り沙汰されそうで心境的にはちょっと嫌だな。
あんまり深く考えないで、いかれた生き方している一個人の日記程度に留めてほしい。間違っても同人女の一般化なんかしようとは思ってないから。結婚こわくないよ。でも結果として別れるかどうかは運次第みたいなとこあるよ。
自分にとって何が一番人生を豊かにしてくれるのか、ぶれずに行動すれば必ず思ったように人生は回っていくと、それだけは言わせてください!
IE11でファイルアップロード機能がいつの間にか動かなくなる事案が発生。
リーダーが履歴を丹念に追いながらこつこつ調べていったところ、フロントエンド側に入ったinputタグの修正が問題だと気づいた。
...なにこれと行き詰まりを見せた中で、無事だった別の画面の同様の処理で
```
<input type="hidden" name="dummy" value="dummy">
```
これはなんだ?と調べると下記のウェブサイトにヒット。
直し方も書いてあった。先ほどの呪文だ。name属性があるinputタグが最後にあればいいのだ。
ありがてぇありがてぇ。
https://stealthinu.hatenadiary.jp/entry/20141106/p1
https://qiita.com/marsa746079/items/a3c69465d605a0078a6b
みんな最初の先人は正直どうしたら気づくの?もしも回答がなかったらどうしてたんだろう。
話は変わるが、アンドロイドのインストール周りで、画面が無限に増えるバグを解決するために死ぬほど苦しんだことがあって
Activity→Intent→Flg値→6進数の値でググるで下記のエントリにあたって命と髪の毛を救われたことがあった。
ありがてぇありがてぇ。
http://d.hatena.ne.jp/kk_Ataka/20130804/1375624170
今日Javaの日本標準時が18:59ずれる問題にあたったブログを拝見したが、
あの時はこんな挙動になるけどなんで??という人のブログを最初に見つけて
自分もこの事象に遭遇した!!まず、安心したわ。そして解決方法もこっちにありましたよ。ありがとう。
その世界では、誰もがプリティでキュアな存在、プリキュアに変身できた。
物心ついて、そのことに気づいた2人は、悲しみにくれた。
何度試しても、変身はできない。
2人は、この世界では凡人にすら達していなかった。
そんな2人ではあったが、周囲の人々は、とても親切に接してくれた。
そんなささやかな日常は、仮面をつけた者らが世界に現れることで壊される。
仮面ライダーを名乗る彼らは、次々とプリキュア達を襲っていく。
全員がプリキュアであるがゆえに、悪意や犯罪に免疫のなかった世界。
OMENライター666を始めとするライダー達に、抵抗できる者はいなかった。
プリキュア達がドキドキする暇もなく、ライダーは、その身ぐるみをHUGか、心臓(ハート)を鋭い爪で鷲掴み(キャッチ)していった。
街に溢れるのは、血しぶき(スプラッシュ)と、ひめいと、殺人者(キラ)。
魔法つかいの救世主(イエス)はどこにも見当たらず、圧倒的な突撃(チャージ)に世界はコウフク寸前だった。
それは、平和な日々しか知らない世界にとって、最大限(マックス)にハート〝な状況だっただろう。
あまりの惨状を目の当たりにして、ホカノとサナギは、気を失う。
彼女達にとっては、ライダーこそが「衝撃をもたらすもの(ショッカー)」だった。
2人は、気絶している間に、不思議な夢を見る。
夢の中で、ホカノとサナギは、全人類が仮面ライダーである並行世界の住人だった。
仮面ライダーが増殖しすぎた世界から、新天地を求めて並行世界へと送り込まれた尖兵。
それが、ホカノとサナギだった。
2人は、気がかりな夢から目ざめたとき、自分達が2匹の巨大な毒虫に変わってしまっているのに気付いた。
あの夢が見せたのは、真実だったのだ。
2人は羽化し、あれほど焦がれた「変身」をしていた。
その姿は、決してプリティではなく、キュアからもかけ離れていたが、この世界で2人だけが、悲しみと絶望を知っていた。
ライダーに対抗できるのは、
世界広し、
といえども、彼女達だけだった。
2人は、優しかったプリキュア達に報いるため、「大きなお友達」として戦った。
EXILEだ。
EXILE達は、全人類がEXILEグループになった並行世界から、重戦機に乗ってEXILEしてきたのだ。
彼らの掲げるスローガンは、LOVE、DREAM、HAPPINESS。
EXILEのタイミングずらして回るやつに巻き込まれ、倒れていくプリキュアとライダー達。
そのエグい行為は、万死(die)に値したが、プリキュア達に、なすすべはなかった。
ランニングマンに仲間達が次々とちぎられ、ライダー側の大将は、もはや裸同然だった。
プリキュア世界の崩壊かと思われた瞬間、世界に現れたのは、栗まんじゅうだった。
栗まんじゅうは、停戦を呼びかけるとともに、これまでの全てを語り始めた。
あんな夢も、こんな夢も、全ての夢(All I Want)を叶えてくれるロボットだ。
彼らは、栗まんじゅうを、倍々に増殖させ始めた。
そして、増殖を続ける栗まんじゅうの扱いに窮し、これらを宇宙に投棄したのだ。
栗まんじゅうは、増殖を続け、やがて、互いに引き寄せ合って結合し、星を形成する。
栗まんじゅう製にして、
栗まんじゅう性を持つ、
この星を遠くから観測する者がいたならば、きっと、虚空に1つの巨大な栗まんじゅうが浮かんでいるように見えただろう。
さらに、栗まんじゅうは増殖を続け、やがて、シュヴァルツシルト半径が星の半径を凌駕し、ブラックホールが形成される。
ブラックホールは、増殖を続け、自らの存在する世界を満たすと、他の並行世界へと進出して、あらゆるものを吸収していった。
Vtuberを。
コンビニを。
赤字国債を。
ワカメを。
あらゆる存在は、事象の地平面のかなたへと消えていき、漆黒の棺へと埋葬された。
ある因果律の狂った並行世界では、スマブラザ参戦者であるカービィを吸収した。
「それゆえに」、吸収した対象の能力をコピーできるようになった。
ブラックホールのヘヴィーな力は、知恵の実もろとも彼らを吸収した。
(ホカノとサナギは、知恵の実の話を聞くと、なぜか本能的な恐怖を感じた。)
それ以来、栗まんじゅうは、知性を獲得した。
このまま続けていれば、並行世界全体を包含する多次元宇宙が崩壊してしまうからだ。
こうして、栗まんじゅうは、プリキュアやEXILEの元にやってきた。
栗まんじゅうは、多次元宇宙の崩壊を防ぐ手段として、Vtuberを吸収して得た、バ美肉の能力を用いた。
そうして出来た新しい世界では、1人1人の人間が、それぞれ内に秘めた並行世界(コスモ)を持っているのだ。
人々の歴史と記憶は改ざんされ、各グループの増殖スピードは抑制された。
記憶が消されたとはいえ、人々は、潜在的な記憶から影響を受ける。
複数存在したプリキュア世界から生成された人々は、プリキュアのアニメの作り手や重度のオタクになった。
人々の深層心理に強く刻まれたホカノとサナギは、初代主人公のモデルになる。
栗まんじゅうはというと、あらゆる能力を手放して、1人の人間になることにした。
栗まんじゅうは、気付きつつあった。
知覚はできなくても、どこかにきっと他の多次元宇宙があることに。
どんなにコントロールしようとしても、人々の愛と欲望がある限り、また、何かが増殖し続けてしまうだろうことに。
この多次元宇宙もやがて何か一色になり、他の多次元宇宙と争いになるだろう。
その結果、運が良ければ、各多次元宇宙は、1人1人の人間に生まれ変わるだろう。
きっと、こうして歴史がくり返されてきたのだ。
究極にして思考できる栗まんじゅうは、1人の人間、栗子になったのである。
今度は、美味しいものが食べられると良いな、と思いながら。
私は自称メンヘラだが、おそらくメンヘラという字面を見て皆様が想像したメンヘラとは少し違うと思う。
リストカットを図った時は人生で一度もないし(だって痛いのはいやだ)、自撮りを晒して「かわいい?」と聞きまわった時もない。
彼氏から電話がくるのは面倒くせえなと思うタイプだし(一人の時間の方が好きだ)、別れたら別れたで多分一人を満喫することもできる。
ではどのようにメンヘラかというと私はTwitterで愚痴や弱音をクソほど垂れ流すタイプのメンヘラなのだった。
恐らくこれを読んでいる皆様の中にも該当する人がぱっと思い浮かんだのではないだろうか。いやあるいは皆様がSNSメンヘラなのかもしれないけども。
仕事で疲れた時やわけもなく夜落ち込んだとき、人間関係に行き詰った時に脳内のもやもやをそのまま特にフィルター掛けするわけでもなく
みんなのTLにこんなの流したら迷惑かな……と理性で押しとどめることはなく、そのままドバっとTwitterに吐く。迷惑。
「私ってなんの為に生きてるんだろう…」「みんなに必要な存在なのカナ…」「こいつどんだけ無能なんだよ…」「取引先ご逝去遊ばさないかな…」
と言ったまぁ見るも不快な文章をなんの躊躇いもなくTLに垂れ流しである。迷惑。
愚痴用のアカウントとか作ろっかな!なんて思ったが多分私は『誰かに私は今辛いんだぞということを知らしめたい』という謎承認欲求を持っているので
フォロワーもいない愚痴垢なんかで愚痴を吐いたところで全然満たされないのだ。迷惑!
まぁ迷惑なのはとってもよくわかっている。見て気持ち良いものじゃないしね。
いいねとか押していいの?って悩むし、励まさなきゃいけなかな?って思ったりする人もいるかもしれないし
そもそも悪口とか愚痴とか聞くためにSNSやってるんじゃねぇよ!って人もいるし。
でも私は逆に上司や同僚や彼氏に会話とか電話の中で愚痴言われると「いやTwitterで言えよ」って思うんですよ。
だって直接聞いたら絶対リアクションしなきゃいけないじゃん。Twitterだったら最悪見て見ぬふりできるじゃん。
話が逸れた
「あなたは必要な人だよ」とか「仕事お疲れ」とか言ってほしいわけじゃない。まぁ言われたら嬉しいけどそれは必須じゃないし。
あーこいつ疲れてんだなー。ドンマイ。くらいの意識を誰かに抱かせることができればSNSメンヘラ私としては本意気だ。
なんて控えめな承認欲求!
ってさっきまで思ってたんだけどね、twitterで「愚痴垢作った方がいいカナ…」ってかまってちゃんツイートしたら何人かからふぁぼが付いた上にそのあと
「よかった…」って呟かれたわ
悪かったな!!!!!!!!愚痴がな!!!!!!!うるさくてな!!!!!!!!!!!!!
いや「よかった……」が私に向けたツイートなのかとかは全然知らん。
そこはSNSメンヘラ特有のエアリプは全部自分に対して放たれてるって思いこむ事象でしかない。
SNSメンヘラはいとめんどくさき存在なのでそういうとこ微妙に繊細だ。
SNSでメンをヘラっている代わりに、SNSに愚痴を吐き散らかしてスッキリしたリアルの私は友人にけっこういつもにこやかに接してると思う。
約束を眠いとかゲームしたいとかいう理由でキャンセルされても、貸した金帰ってきてなくても、
「いいよ、あなたも疲れてるもんね」とかそういうセリフがいえちゃう私だ。すごいぞ!書いててちょっと腹立ってきた。
何が言いたいかというと、私のようなSNSメンヘラをTLに抱えている人は
見られながらじゃねえと痰を吐けないクソメンヘラもいるんだなと生暖かく見守ってほしい。
別に嫌ならリムーブしてくれたってかまわない。リアルで仲良くしているからってSNSでも絶対仲良くしなきゃいけないわけじゃないし。
SNSではさようならしてもあなたが私の友達であることは変わりないので、気軽にリムーブしてほしいと思っている。
差別をする側は、「自分が差別をしている」という事実を認識しにくい。
肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、
それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。
出身の土地や職業で差別することが当然の時代で生きてきた人間は、
「区別をつけるのは当たり前のことだ」
むしろ一部のグループを迫害することを「正義」だと考えてしまう。
今の我々は「それが差別である」という認識の社会で生きているから
だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしまい
と思ったことだろう。
愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という
罰則が定められている。
>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。
2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物の死体が放置された施設であつて自己の管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。
4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬は虫類に属するもの
現在、日本では愛護動物に対する虐待は法律的にも倫理的にも「悪」とされ、
非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。
だが、ここであえて問いたい。
「何故?」
と。
「動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。
それでは、理由もなく人種差別、部落差別、同性愛差別をしてきた人々と
同じ間違いをしていることになる。
基本的には、法律の第一条にはその法律が作られた目的が記されている。
>第一条 この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。
なるほど、「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」。
確かに、生命や友愛、平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。
だが、ここで当然の疑問が生じる。
↓
という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。
・2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件。
・2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパートの大家をサバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件。
・2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件。
ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。
したがって、「動物を愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。
恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に「動物を愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、
そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは
哺乳類、鳥類、爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。
命の大切さを謳うこの法律では、魚類、両生類、無脊椎動物については何一つ保護の対象になっていないのである。
イヌやネコやウサギを殺すと「生命尊重、友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、
金魚やカエルやカブトムシは別に殺してもいいので無問題という、
この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。
さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、
動物虐待行為を「悪」として迫害することの正当性を担保するものは何も無いことがわかった。
だからといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、
なかなか受け入れられる人はいないだろう。
冷静に考えると「○○というグループは犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想の典型なのだが……
実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。
聞くところによると、FBIの専門家が、虐待は精神に悪影響を与えると言っていたらしい。
FBIといえば犯罪捜査のプロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、
きっと「動物虐待者はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。
自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。
さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である。
犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリングの技術を確立したFBI捜査官だ。
その手法については彼の著書である『FBI心理分析官』に詳しい。
そして、愕然とした。
実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待が殺人にエスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。
彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、
動物虐待癖についてはシリアルキラーを発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。
別に動物虐待と殺人や暴行の因果関係については一言も言及していない。
(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人は過去に○○しているパターンが多い」と、
犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物は犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)
「FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待は人間への暴力にエスカレートする』と言っていた」
というフェイクニュースを作り出したのだろう。
実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。
そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。
『FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、
一度もそれを確かめようとはしなかった。
もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前に出版された本であり、
だが、軽く調べただけでも
暴力段階説(動物への暴力が人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。
ここに来て、私は動物虐待行為を「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。
結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。
それも、かなり悪質な差別だ。
何しろ法律まで制定して、公然と動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから。
そして、「動物虐待者はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの
何の根拠もなく(ヘイトスピーチはそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定のグループへの誹謗中傷を行っているのだから。
もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。
動物好きな人は可憐な犬や猫を殺す行為は社会悪であると思いたがってしまう。
小学校のときはいじめられて4年生以降はずっと不登校で保健室ばっかり行っていた。
それを見かねた親が自宅学習してくれたおかげで、中高一貫の男子校に行かせてくれた。
大学は上京して理系の単科大学へ進む。岡とか台とかにキャンパスがあるところで修士まで行った。
もちろんこの間女性と関わることなんてまずない。所属サークルもヲタ系のサークルで女子部員は一人もいなかった。学科にも研究室にも一人もいない。強いて言うなら事務のおばちゃんと事務的な会話をするくらい。
サークルの部員や学科研究室の人たちと飲み会に行くことはしばしばあったが、女性の話をすることなんて一度もなかった。てか知り合いに彼女がいるって話を聞いたことがない。
大学卒業後はWeb系のエンジニア職に就職する。職場に女性は事務職の人しかいなかった。
ここで初めて女性と関わりがなかったことがどれだけヤバイことかに気づく。
自分の状況見かねた先輩が女の子を紹介してくれた。カフェに行って雑談しようとしたが、まず話すことができない。技術系の話題しかわからないし、女の子と一緒にいるだけで緊張で悪寒がしてしまい、わずか20分で解散する。
去年祖母が亡くなった。その祖母にとって最も年長の孫だった俺は、死に目には会えたがそのときに「ひ孫の顔が見たかった」とぼやかれる。そのせいで、葬式中に親戚にめっちゃ叩かれ、費用は親戚持ちで某大手の結婚相談所へ入ることになる。
しかし、自分からアプローチするということがことごとくめんどくさくて、会話のやり取りを一通するだけで終わるということがしばしば。コーディネーターの方が女性を紹介してくれるが案の定何も話せずに終わり、後日お断りと言う流れが計6回。
一年経って何も成果が出ないため、この度退会させていただくことになった。
ぶっちゃけ年収は同世代平均よりもかなり高いし、身長もそこそこある。デブでもハゲでもないしジム通いを今でもやってるから、身なりを整えて自分からアプローチができればなんとかなると思う。しかし、いかんせん今まで女性と事務的事象以外で関わったことが全くないため会話すらままならない。
周りを見ているとチラホラ結婚し始めていたり、学生時代同じく女性と関わってなかったオタサーの同期すら結婚する人が続出している。そのため、結婚に関してはだいぶ焦っているが、何をすればこの苦手を克服できるのだろうか。
時流に乗るべく書きます。
インターネットを見てるからか常にぼんやりとした不安を感じる。おそらくインターネットを見ているからだろう。
インターネットは常に俺に答えを提示してきた。大学受験のときも就職のときも一定の作法を俺に示してくるインターネット。
俺はその作法を愚直にこなすことでそこそこの学歴と職歴を体に入れたけれど、そのかわり常にぼんやりとした不安を抱えることになった。
インターネットは定量的で答えの決まった問題についてはある程度固まった指針を示してくれるが、
定性的で、答えは時と場合とスタンスによって如何様でも変わる場合には、如何様でも変わるような情報しか示してくれない。
あらゆる人があらゆることをいうので俺はスタンスを決めることができない。
インターネットの後ろには日本人だけでも数千万人はいると考えられるし、数千万人の日本人は俺にとってあらゆる人だ。
偉そうな人がいろんなことを言うし、ポジティブな側面を語られた場合にはポジティブな意見が、
ネガティブな側面を語られた場合にはネガティブな意見が同様の事象に対し書かれたりしてわけわからん。
もちろんそれもあらゆる人がいてあらゆることを書いているからだろう。
だけれど同じ人が手のひらをくるくる返すときもあるからタチが悪い。
こういうとき思うのは、やっぱりいろいろ知ってて偉そうなことを言う人よりも、
自分で責任をもって自分の考えで定性的なものごとを決定できる人が一番強いなあと思う。
ぺらぺらと管理職が日本社会が産業構造が配布されたPCスペックが悪いだの言っている人よりも
黙って手を動かしてきっちり自分で決めて責任までとれる人がすげえなあと思う。
そしてそういう人はインターネットにはそんなにいないのだろう。
windows10が起動しないのかディスプレイに何も表示されない事象が発生した。
原因はUSBのBluetooth機器がPCに刺しっぱなしであることだった。
詳細を記述する。
インテルのラピッドストレージテクノロジーというソフトウェア(ドライバーか?)を再インストールした。詳細は書かないが、少し思うところがあった為だ。
インストール時の再起動後、ディスプレイになにも表示されなかった。
色々調べたところ、windows10が入っているSSDにアクセスもしていないのではないかと疑われた。
インテルのサイトによれば、ディスク切断の時は、ディスクを抜き差しして欲しいというような事だった。
PCを開けて内部を見たが、どうも複雑でSSDのケーブルを抜き差しするのは難しそうだった。
PCメーカーの説明書を読んでみた。駄目で元々の気持ちだった。
windowsが起動しないときは、外部メディアが接続されていないかを調べて欲しい、PC起動時に外部メディアを読み込みに行ってOSが見当たらずそのまま起動が停止することがある・・・というような内容が書かれていた。
USBメモリもSDカードも今は付けていないと思いながらPCを見ると、USBのBluetooth機器が目に入った。
これデータを保存するメディアではないと思いながらも抜いて、そしてPCを起動してみた。windowsが起動し、ラピッドストレージテクノロジーのインストールが再開された。
高校の教員をしてる。管理職でない限り、全員が何かしらの部活動を受け持たないといけない。私は男子バレーボール部だ。
バレーボールは体育の授業くらいでしか触ったことがない。指導は、別に専門の先生がしてくださってる。だから私は見てるだけ。
でも、楽しい。
弱小だけど、みんな一生懸命で、中には練習をサボる子もいるけど、みんなバレーが大好きで……。
6時半に練習が終わっても、そのまま体育館に残ってボールを触っているから、私はそれをぼんやり眺めて、7時半になったら、まだ物足りなさそうな部員たちを追い出して、体育館を施錠するのが日課になっている。
自分のよく知らないものでも、誰かが夢中になって頑張っているところを見るのはとても楽しい。
と同時に、不思議でもある。
どうしてこんなに一生懸命になれるんだろう。
どうしてこんなに、こんなに…。
11月24日(土)
を観た。
好きな俳優さんのTwitterから、この公演のことを知って、劇団のHPであらすじを読んだ瞬間、絶対に観に行こうと決めた。
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<あらすじ>
そのコートで、失った熱量を懐かしんでいると先生に会ってしまいます。
促された松坂はシュートを打ちます。打って、それから、謝ります。
バスケット辞めてごめんなさい。
誰も知らないまま、辞めたのです。
ただ、バスケットを辞めたのです。
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何がそこまで私を惹き付けたのかわからない。
だから、観に行った。
客席に入って、まず目に入ったのは中央のバスケットゴール。そして床に描かれたバスケットコートライン。
フラットな舞台の両脇には階段があって、まるで体育館のギャラリーみたいだな、と思った。
下手側の階段の踊り場にはギターを抱えた人がいた。「間もなく開演です」のアナウンスのバックで、静かにギターを弾き始める。音が重なって、重なって、そして静かに反響しながら消えた瞬間。
そしてそれを少しずつ切り裂くように、そこにある、松坂の肉体。
先生がやって来て、松坂がシュートを打つように促される。高校時代が蘇る。
部活前の男子部員の空気が、本当にリアルで驚いた。シューズの紐を結びながら、他愛ない話をするあの感じが、私が普段目の当たりにしているものと同じ温度でそこにあった。
物語が進むに連れて、少しずついろいろなことがわかってくる。
ずば抜けて上手いのはキャプテンの吉住だけ。彼は素行が悪くてバスケが強い学校には行けなかったから、この学校で一からバスケ部を作った。ちょっとやんちゃで、先生に口答えすることもあるけど、それは結局のところ本人が甘えたなんだと思う。
主人公の松坂は、もともと野球部だったが、部員と折り合いが悪くて部活を辞めた。バスケ部に入ったのは、クラスメイトに「楽だし、初心者でも大丈夫」と言われたから。
部員の個性が見えてくるに従って、私は自分の部活の生徒の顔が重なるような気がしてならなかった。一人一人は全然違うのに、「ああ、いるよな」「ああ、あるよな」が積み重なって、まるで自分の話のように思えてくる。
中でも胸に来たのは、顧問の沖先生が授業準備が忙しくて部活に来れなくなるシーンだ。代わりに来た外部コーチに、吉住は激しく反発する。
「俺らのバスケ知らないやつに練習メニュー指図されたくねえ!」「お前、顧問じゃねえのかよ!何で来ねえんだよ!授業が増えたとか知るかよ!部活の時間は部活に来いよ!俺の言うこと聞けば勝てるって言ったよな?じゃあ命令しに来いよ!」
私も、授業準備や他の生徒の対応で部活になかなか行けない日がある。やっと体育館に行くと、もう終了の挨拶…なんてことも、何度もある。
生徒は部活に休まず来てるのに、顧問は部活に来ない…なんて、不満に思っても仕方ないよな、と思うけど、授業準備も部活動指導も、教員にとっては両方とも「仕事」だ。私自身はかなり部活が好きな方で、沖先生もかなり部活が好きな方で、でも部活よりも優先しなきゃいけないことがある状況は、すごくよくわかる。
でも、それは部員には「わかってくれ」と言ってもわかるもんじゃないよな、というのも、すごくよくわかる。
コーチが来て、彼らの練習風景はがらりと変わる。活気が出る。それまでだらだら惰性でやっていた練習が、意味付けされて、みんなが「勝つために」練習をやり始める。
新入生が入ってきて、二年生になった松坂たちは少しずつ「自分の武器」を身につけていて、チームは確実に強くなったことが肌で感じられる。
そして迎えたIH予選。
負けたら、三年生の吉住と當座は引退だ。
IH予選1回戦は、勝った。でも、ミスが多くて先生に叱られる。
そして當座が、「辞める」と言い出す。
「大学受験マジでヤバいから、バスケで大学推薦がもらえる吉住と違って、俺はバスケ頑張っても何にもならないから、勉強しないとマジでヤバいから」
當座は序盤から、勉強と部活の両立に悩んでいるような描写が繰り返されていた。だからいつかはこうなる予感があった。でも、それは今なのか。三年生の、IH予選で、1回戦は弱い相手にギリギリ勝って、2回戦は相手も強いからこうはいかないかもしれないけど、でもとにかく負けたらそれで引退の、三年生の、今なのか。
そんな當座に、吉住は噛みつく。「何でだよ!」と詰め寄る。
そして溢れる當座の本音。「俺がいなくても、俺より上手い後輩がいるから大丈夫だよ。俺が試合に出るよりも、後輩が出た方がいいよ」
「下手でもお前出ろ!俺のパス受けろ!」吉住の激昂。二人きりの三年生。吉住と當座と、顧問の沖先生の三人だけでやって来た一年間。少しずつ後輩も育って、やっと勝てるようになった三年生の、IH予選。
でも、頑張ってどうなるんだろう。将来どうするんだろう。部活を頑張った、その先は?
私も、自分の高校時代、勉強を理由に部活を辞めようとしていた同級生を必死で引き留めたことがある。結局、彼女は三年生の夏まで部活を続け、一緒に引退したけれど、今でもあのときの私は正しかったのかとたまに思い出す。もしかしたら、あそこで私が引き留めずに彼女が部活を辞めて勉強だけに打ち込んでいたとしたら、彼女はもっと上の大学に行けたかもしれないと、考える。まあ、最終的に決断したのは彼女自身なのだから、そこに私がとやかく言うことに何の意味もないのだけれど、私は最後まで彼女と部活ができて、とても楽しかったのだけれど……。
教員になってからも、勉強と両立できないから部活を辞めようかと悩んでいるという相談を受けたことは何度もある。そのたびに、私は止めてきた。それが正しいかはわからないけど。
今でも、必死に練習する部員たちを見ながら考えることがある。バレーを頑張ったからといって、進路の保証があるわけでもない。この時間を、補習やアルバイトに費やす方が有意義な生徒もいるかもしれない。でも、この経験はきっと、いつかどこかで、何かの役に立つんじゃないか…。
「これが将来にどう活きていくか」なんて、考え出したらキリがない。とくに教員の仕事なんて、どんな指導をしたとしても、本当にそれが生徒にとって良かったかわかるのは、5年後が10年後か、何年先になるかわからないし、もしかしたら一生わからないままかもしれない。
それでも、今一番良いと思えることをやるしかない。
IH予選2回戦。
格上の相手に、チームは苦戦する。でも、全く勝てない相手ではない。今、自分たちにできる、最高のプレーを。
残り時間あと6分。点差はわずか。負けたら、ここで終了。勝ったら、もう少しだけバスケができる。
今年のIH予選。地区大会は勝ち抜いたけど、県大会は1回戦から格上の学校が相手で、良いプレーはしたけど、負けてしまった。
バレーボールに制限時間はない。先に25点取った方が勝ちだ。じわじわと、相手の点数が25点に近づいていく。
「ああ、このまま、このまま終わってしまうのか。もっと見ていたかった……もっと見ていたい……いや、まだ終わってない、希望はある……うちがここから○点取れば…………」
そんなことを考えながら祈るように試合を見ていたことを思い出した。
そのときの、バレーコートの中の選手の気持ちはわからない。でも、今、目の前の、バスケットコートの中の選手の気持ちは、客席まで伝わってくる。きっと、同じだ。彼らも、彼らも。そう思うと涙が出た。
舞台上の試合のシーンでは、本当にバスケの試合が行われていた。
もちろん、ある程度の段取りはあるだろうが、シュートが決まるかは打ってみないとわからないところは、試合と同じだ。シュートが決まればこう、外れたらこう、みたいなパターンはあるのだろうが、それも、試合と同じだ。
何のスポーツでもチームで行う競技すべてに言えることだろうが、上手いチームは「いるべき時に、いるべきところに、いるべき人が、いる」と感じる。
それは、演劇も同じだと思う。
何をやるのが良くて、自分は何がやりたくて、それがどう自分のこの先に繋がっていくかは誰にもわからない。
何かをやるにしても、何かをやめるにしても、自分が「良かった」と言えなきゃいけない。
いろいろなものが重なって、なんだかもうわけがわからなくなって、最後の方はほとんど泣いていた。
泣きすぎて拍手ができなくて、それだけが心残りなくらい、泣いていた。
だからいつも感想はTwitterで呟いたりするのだけれど、今回はあまりにも自分のプライベートな事象とリンクしすぎてしまったから、匿名ブログに託すことにする。
観に行って良かった。