インターネットを見てるからか常にぼんやりとした不安を感じる。おそらくインターネットを見ているからだろう。
インターネットは常に俺に答えを提示してきた。大学受験のときも就職のときも一定の作法を俺に示してくるインターネット。
俺はその作法を愚直にこなすことでそこそこの学歴と職歴を体に入れたけれど、そのかわり常にぼんやりとした不安を抱えることになった。
インターネットは定量的で答えの決まった問題についてはある程度固まった指針を示してくれるが、
定性的で、答えは時と場合とスタンスによって如何様でも変わる場合には、如何様でも変わるような情報しか示してくれない。
あらゆる人があらゆることをいうので俺はスタンスを決めることができない。
インターネットの後ろには日本人だけでも数千万人はいると考えられるし、数千万人の日本人は俺にとってあらゆる人だ。
偉そうな人がいろんなことを言うし、ポジティブな側面を語られた場合にはポジティブな意見が、
ネガティブな側面を語られた場合にはネガティブな意見が同様の事象に対し書かれたりしてわけわからん。
もちろんそれもあらゆる人がいてあらゆることを書いているからだろう。
だけれど同じ人が手のひらをくるくる返すときもあるからタチが悪い。
こういうとき思うのは、やっぱりいろいろ知ってて偉そうなことを言う人よりも、
自分で責任をもって自分の考えで定性的なものごとを決定できる人が一番強いなあと思う。
ぺらぺらと管理職が日本社会が産業構造が配布されたPCスペックが悪いだの言っている人よりも
黙って手を動かしてきっちり自分で決めて責任までとれる人がすげえなあと思う。
そしてそういう人はインターネットにはそんなにいないのだろう。