「ハンディキャップ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ハンディキャップとは

2022-08-31

ネットだと『お世話係』という言葉を持って、発達障害児童一般教室に入れる事を絶対悪認定する人が多いけれど本当にそれでいいのかっていう。


https://toyokeizai.net/articles/-/579447?page=2

「一緒に過ごしていれば、喧嘩もするし、嫌なこともある。もちろん、暴力暴言などで理不尽に嫌な思いをさせてしまった時は厳しく指導し、やられた子へのフォローが欠かせません。

そうして周囲と接する中で、徐々に手をすぐに出さない接し方を学んでいきます。ある程度の年齢になると落ち着くことも多いので、その子の成長を待ってあげることが大切です。

子どもは優しくて、柔軟です。一緒の空間で過ごしていると、「あいつは授業で邪魔ばっかりするけど、忘れ物をした時は貸してくれて優しいんだよね」と、多面的に見るようになります。その子も一人の人間だということが理解できるんです。

しかし、自分の周囲で障害ハンディキャップのある人を知らないで育ち、あるとき突然出会ったら理解できるでしょうか。ともに育たない学校の現状は、社会ますます分断してしまうのではないか危機感を感じています

2022-07-03

恋愛結婚子育て経験して一人前、という風潮についていけない

リアルでこんなことをつぶやいても誰も聞いてくれないし、真剣に語りすぎても異常者扱いされて終わるだけだろうから、ここで書かせてもらいたい。

モテないやつの負け惜しみ、みたいに思われることもあるだろうが、そう思われても仕方がないのは承知である

ただ、あまりにも感情のやり場がなくてどうしようもないので、せめて吐き出させてもらえたらと思う。


タイトルにも書いたが、恋愛とか結婚とか子育てとか、そういうイベント経験して一人前……みたいな風潮が本当に苦手だ。


昔の友達とか、職場の同期とか、きょうだいとか…。

身の回り結婚子供だという話が相次ぐ年頃になってきた。

そういう人たちはほんとに幸せそうにしているし、

何より「守るもの」ができたことによって、生活にもハリが出てきている……ような気がする。

ただ、私がその領域にたどり着けるかというと、そんなことは絶対にないだろうなと思う。

悲観でも卑屈でもなく、本気でそう思っている。


もう30年近く生きてきたが、今までまともな交際をした経験はない。

当然、性的なことの経験なんて皆無だ。

今まで生きてきてこんな調子だし、今更人間なんてそう大きく変わることもないだろう。

から私は、このまま、残りの人生独身で生きる覚悟をすでに決めている。

そうした思いを覆すような「運命出会い」でもあれば気持ちは揺らぐかもしれないが、

そんな実現可能性があるかもわからない話に期待していても仕方がない。


……という話をすると、決まって、「まだ若いんだから諦めるなよ」みたいなありがた~いお言葉をいただくわけだが、

そもそも私は、自分恋愛ということへの適性がないと思っている。

人間誰しも得手不得手があるというものだし、わざわざ苦手分野で勝負することもないだろう。

私の場合、その「不得手」にあたるのが恋愛だったと、それだけの話だ。

苦手なことで頑張ってもつらいだけだから、私は苦手なことである恋愛」をしないという決断をしているのに、

それをなぜ周囲は「恋愛したほうが成長できる」とか押し付けてくるのか、理解に苦しむ。


というか、そもそも恋愛とか結婚とか子育てとか、そういうのって「人として必ず経験しないといけないこと」なのか?

恋愛をすることの目的ひとつは、子供を作って次の世代を育てるということにあるだろう。

近年少子化だなんだと騒がれているが、子供を作って育てる人がいなくなれば、人口が減ってしまう。

そうなれば国は立ち行かなくなるし、由々しき事態である

から私も最終的には子供を残して、次の世代につなげなければならないのだろう。

それは当然、建前としてはわかっている。


だが、「次の世代を残す」ということの重みを考えたことがあるか?

私は大して頭がいいわけでもなく、他人比較して突出した能力があるわけでもない。

だってそんなに持っているわけでもないし、仕事が忙しくて時間もあまり余裕があるとはいえない状態だ。

そんな私が、「子供」という「一人の人間」をこの世に生まれさせて、

一人前の人間として生涯かけて育ててやれるような気概があるだろうか?

子供には何不自由ない生活をさせてやれるだろうか?

健康状態で生まれさせて、大病を患うこともなく、健康な生涯を送らせてやることができるだろうか?

私が子供教育して、それが間違った結果にならないだろうか?

そもそも、私が子供を残すこと自体社会にとって有益なことになり得るのか?

一口に「子供を育てる」といっても、想定されるリスクがあまりにも大きすぎる。

とにかく、不確定要素が多すぎるのだ。

子供が「〇〇をしたい」と言ったときに、お金に余裕がないからと諦めてもらうことになるかもしれない。

子供が「やりたい」と言ったことは支持してやりたいが、それをかなえてやれるだけの力が、私にある保証がないのだ。

もちろんお金以外にも色々要因がある場合は出てくるかもしれないが、それもひっくるめて、私にはそれだけの力量がないと思う。

子供不自由させたことで、子供に恨まれることだってあるだろう。

そんなとき子供はこう思うはずだ。「こんな親のところに生まれたくなかった」と。

そんな状況でも、一度生まれてきた以上、生を全うしなければならない。

日本平均寿命が約80歳らしいので、仮に80年生きると考えたとして、80年も「生きる」ことを強要されるのである

この私が親であるというハンディキャップを背負いながら、80年。

それがどんなに残酷なことであるか、想像に難くない。

どうせこの世に生を享けるなら、何一つ不自由なく暮らせる、いい家庭に生まれてほしいと思う。

ただ、私の作るような家庭では、そんな環境などできないのだ。

新しく生まれてくる命には、幸せになってもらいたい。

そのためには、私が出しゃばってはいけないのだ。

私のような不完全な人間が「親」になるということは、

まれてきた子にとって虐待も等しい、残忍なことなのだ。


ここまでは、「子供を作り育てること」への不安だった。

ところが、「子供を残さなくても恋愛はできる」という考えもあるだろう。

運よく誰かと結ばれたとして、子供を作らずにそのまま家庭を築けばいいのかもしれない。そういう夫婦のありかただってあるだろう。

だが、私が恋愛をしようとすること自体が、そもそも私のエゴにすぎないものであると思っている以上、

私には永遠に恋愛などできようもないだろう。

私は特に裕福なわけでもなければ、大して仕事ができるわけでもない。

私が人間的に魅力がないのは、今まで30年近く、ろくに異性に相手にされなかった事実物語っている。

そんな私が誰かを好きになったとして、その相手アタックしかけたとしよう。

その相手は、「私のような人間から好かれたこと」を喜んでくれるだろうか?

から好意を持たれることは嬉しいかもしれないが、よりにもよってその相手が「私」なのである

相手立場から見たときに、「私」から好かれることが必ずしも嬉しいとは限らない。

かに魅力的な人物がいれば、そちらに流れてしまうのは自然なことだ。

私には、相手をつなぎとめるだけの魅力がないのだから

運のいいことに、それでもなお、相手が私の好意を了承してくれたとする。

私は好きになった人と結ばれたことで、幸せで居られるかもしれない。

だが、相手は「私に"付き合わされている"」のであって、私の好意押し付けられている状態だ。

そんな状態で、私のことをずっと好きでいてくれるような保証があるだろうか?

私に「付き合わされる」ことになった相手は、それで幸せなのか?

よく聞くありがたいお言葉に「恋愛すると人間的に成長できる」というものがある。

そのお言葉ある意味では正しいのかもしれないし、そういう意見否定しない。

ただ、恋愛対象となる「相手だって「一人の人間」なはずだが、

恋愛すれば成長できる」のであれば、交際相手という存在は「自分が成長するための踏み台」に過ぎないのか?

恋愛結婚なんて、自分だけでなく、相手人生も大きく変えてしまう、大事イベントだ。

大事イベントからこそ失敗は許されないし、合格点は当然100点満点だ。

そんな一大事なのに、「自分が成長したいから」という身勝手な思いだけで、

相手人生を狂わせてしまってもいいのか?

「私のような存在人生を狂わされること」を考えたときに、相手からしたら良い気がするものではないだろう。

しろ、私が好きになった人だからこそ、私のような存在が関わるべきでないとさえ思っている。

私が関わることで、相手を余計に不幸にさせてしまうのではないかと思う。

そもそも、「私が相手幸せにしてやる」なんて思うこと自体が思い上がりも甚だしいのだ。

私には、私が恋愛したことで発生する、

相手人生を変えることへの責任」を果たしきれる自信がないのだ。


以上のように、私は恋愛結婚子育てという、

もろもろのイベントに対して、それに伴う責任を果たせる自信がない。

仮に取り組んだとしても中途半端な結果になり、破滅して終わるだけだろう。

そうなっては、相手子供も不幸にさせてしまうし、

ことによっては賠償金とか慰謝料とか、そういう話も出てくるかもしれない。

自分相手も、次の世代も守るためには、「私が恋愛をしないこと」が最適解になるのだ。

そうすれば、「幸せ」にはなれなくても、「不幸」は少なくとも避けられる。


こういう話をすると、「責任から逃げてるだけだ」とか「そういう責任果たしてこそだ」とか言われるだろう。

責任から逃げている」というのは否定しない。実際そうだと思う。

だが、そもそも「逃げてはいけないこと」なのか?

焦って準備も不完全なまま手を出したとして、それで付き合わされる相手や生まれてくる子供が不幸になるだけで、

結局不幸を再生産するだけにしかならないのではないか

私が恋愛をしたところで、相手子供が不幸になる未来が目に見えている。

かに恋愛結婚子育て自体は大変なことだと思うし、その重い責任果たしている人は本当に立派だと思う。

でも、私には、そんな立派な存在になれるという確証がない。

それを「逃げ」だというならそれで構わない。それで不幸を再生産することのほうが、結果的には不利益から


また、「案外なんとかなるものから頑張れ」という声も聞く。

かに、「なんとかなる」こともあるだろう。

だが、「なんとかなってる」状態で過ごすことを強いられる、交際相手子供のことはどうなる?

「なんとかなってる」というのは自分勝手思い込みであって、実際はそうではないのではないか

責任が重いことである以上、100%の完成度が求められてしかるべき話だ。

そんなことが「なんとかなる」で許されていいわけがない。そんな状態で生きてても誰も幸せにならないじゃないか


あと、「子育て世帯にやさしくない社会が悪い!」という論調もあるだろう。

もちろん、それも理由の一つではある。

だが、私はそもそも子供を育てること」に適性がないと感じているので、

いくらそういう制度がしっかりしていようが、「子供を育てる」ということをする気がそもそもないのだ。

必要とする人への補償はしっかりされるべきだと思うので、その辺の整備はしっかりしていたほうがいいとは思うが、

それは私が「子供を作りたくない」と考えることとは無関係なのだ



長々と書き連ねたが、まとめるとこうだ。

・私は「恋愛」やそれに付随するもろもろのことに適性がない

・私が下手に恋愛子育てをしても、相手子供も、自分さえも不幸にするだけ

・万一失敗したときに負わなければならない責任が重すぎる

から、私は「恋愛」はしないと決めている。


それを「逃げ」とか「もったいない」とか言うなら、それはそれで構わない。

ただ、「お前も早く結婚しろよ」とか「子供がいると仕事もハリが出るぞ」みたいに言ってきて、

交際相手とか子供とかを「自分が成長するための道具」としか見ていないような、

そういう言い分にはすごく嫌悪感を覚えるし、腹が立って仕方がない。

私が恋愛とか結婚とか子育てとかをしたいと思ったとして、それはあくまで私のエゴにすぎず、

それに振り回される人たちのことを考えたときに、そんな自分勝手な真似は到底したいと思えない。


頼むから、私が「恋愛をしない」という決断を敢えてして実行していることについて、

余計な横槍を入れるようなマネだけはしないでいてほしい。


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お読みくださってありがとうございます

恋愛」とか「結婚」とか、そういう「人生の大きなイベント」に対して、

ただ「自分が成長するための機会」みたいにしか捉えられていないような、

そんな風潮に嫌気がさしているので、日ごろの思いを書かせて頂きました。

非モテ戯言と思われるならそれで構いませんが、

恋愛できるやつが偉い」みたいなのはどうかと思うのです。

なお、「恋愛する奴が憎い」みたいな話がしたいのではなくて、

恋愛とか子育てとかの責任ちゃんと果たされている方のことは、嫌味でも何でもなく本気で尊敬に値すると思っています

あくまで「私には能力がないか恋愛したくない」という、私個人の話であって、

恋愛といった一連のことを経験できる方を馬鹿にしたりするような意図はございません。

以上です。ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。

2022-06-30

anond:20220630124653

歩道で進行方向に歩行者がいるのに下りて押したりすぐ止まれない速度で走行しない自転車乗りのほうが

重いハンディキャップ背負ってるわ

本来車道を走るものを通らせてもらってる立場やぞ

anond:20220630085416

isayo これとはちょい違うけど、歩道歩いてる時に後方確認せずに進路変更したら後ろからきた自転車に轢かれそうになることたまにあるわ。歩く時もミラーウインカー類似機能が欲しいなあ。

なんでウインカー相手に譲ってもらう前提なんだろう

後方確認できないハンディキャップ持ってるのか?

2022-06-26

理解のある彼くんの本質ジェンダーじゃなくてハンディキャップのある弱者からの救済願望

女だとハンディキャップがあっても理解のある彼くんが現れればなんとかしてもらえるという救世主願望が形になっただけであって、それでジェンダー問題視から諍いが起きたりする。

本質的には鬱病ASDなど脳のハンディキャップを持つ人間からの苦しみと救済を求める声なだけだと思う。

理解のある彼くんの余地のある女はいいよなー。じゃなくて、脳のハンディキャップを持つ人間への対応社会体制をどうしなきゃいけないのか、世界各国の社会体制の事例を踏まえて見なければいけないことじゃないかと思う。

日本が昔からやってきたやり方は、脳のハンディキャップを持つ人間は「女なら風俗でも生きていける」「男なら不器用でも真面目ならできる職を紹介する」「職が無理そうなら家族親戚で面倒を見る」となっている。現代社会で脳のハンディキャップを持つ人間への体制をどうすべきかの問題が出ているのだと思う。

2022-06-11

ゲームで突然出てくる音程パズルポリティカル・コレクトネスに反している

これは音痴に対する差別だ。

いまや大部分のゲーム色盲対策モードを搭載している。

色盲であることをハンディキャップと感じさせるゲーム体験21世紀にそぐわないからだ。

それなのに未だにゲームの中で遊び半分に音程パズルを入れる輩のなんとナンセンスなことか。

こういう話を聞いたら奴らはいうんだろうな

「生まれつき両手がない人がプレイ出来ない時点でゲームとは元来差別なのだよ」

からなんだというのだ?

巫山戯やがって。

単にお前らがセンス皆無の脳みそで絞り出したつまらないパズルネタがつまらないってことこそが最大の問題点だというのに。

そもそも音程パズルは音を理解する人間からすれば何も面白くない。

穴の形にあった積み木を嵌めましょうの知育玩具と同じレベルのものだ。

そんなものゲーム要求しないで欲しい。

求めている体験と違うんだ。

使えない社員仕事をさせたいなら掃除でもさせておけ。

それかミニゲーム集でも作るんだな。

まともなゲームでまともな体験をしている最中にいきなりデタラメピアノの音を聞かされて「さて、今のドレミはなんでしょう?」だと?

は?

ゴミがよ。

フランス料理のフルコースを食べてる時にいきなりチョコボールを渡されて、「さて、今私はピーナッツストロベリーキャラメルをどの順番で出したでしょうか?」とシェフに真顔で聞かれるようなものだ。

誰も幸せにならないだろうが!

ゴミすぎるだろ!

死んだほうが良いぞ?

そこまでセンスが無いくせにクリエイティブ業界に入ろうとしたその人生自体が失敗だから

2022-06-01

エンジニア35歳定年説、なんてない、なんてない

識者A「一つ自分武器となるテクノロジーを身につけていれば、ずっと前線で戦えると思っています

識者B「経験がある分、学習効率が高いので年齢のハンディキャップは乗り切れると思っています

識者C「結局は好きかどうかなので、テックが好きという気持ちが若手より強ければ全然闘い続けられると思います

識者A

1968年まれ

2015年株式会社〇〇のCTO就任し〇〇全体の技術指導をしている

識者B

1975年まれ

2010年△△の取締役就任し△△の組織開発に従事

識者C

1980年まれ

2020年××を創立、取締役社長

って感じで大体こういう記事で話してる奴らって全員35歳前後前線から退いてマネージメントしてるよな

言ってることに信憑性ないんだが

まぁ「私は現在マネージメントと呼ばれる仕事をしていますが、気持ちエンジニアのままです」とか言ってくるんだろうけど

2022-05-24

男性というだけで女性よりも『稼ぐ能力』を求められる

弱者男性」と自称しながら、現状さまざまなハンディキャップを追っている女性就業環境改善するのに反対するとか、よくわからん他人の脚を引っ張る暇があるんだったら、自らの就業環境改善するために努力するべきなんじゃないでしょうか。

https://twitter.com/K_Kimura_Kobe/status/1528737688144457728



アンチフェミの愚劣さは全くその通りだとして、最後の一文は貧困自己責任論になっており、あまりに余計すぎる。40を過ぎた氷河期世代に「自らの就業環境改善するための努力」なんてほぼ不可能


アンチフェミ本来言うべきは、「男性というだけで女性よりも『稼ぐ能力』を求められる」というジェンダー規範への批判なんだけど、これについてアンチフェミは未婚女性ばかり非難するが、これは男女や世代まったく関係ない。むしろ、中高年男性のほうがもっとはるかにひどい。

2022-05-21

偏差値65の人生

座右の銘は「人畜無害」。褒められもせず、苦にもされない人生だと思う。

まれ地方の小さな町だけど、高校県内公立トップ校に進み、大学東大京大はいかなかったが東京の上位私大に潜り込んだ。

就職も志望していた大手企業に入って、マイナー職種のため大出世こそ望めないものの食うに困らない賃金を得ている。自分部署の中ではまあまあ重宝がられてるとも思う。

年齢=彼女いない歴童貞非モテだけど、男女問わず飲みに行ったり遊びに行ったりしてくれる友達はいる。

趣味といえるほどめちゃくちゃに凝ってるわけではないけど、旅行も好きだし展覧会観劇に出かけたりもする。運動はそんなに好きではないけど、太りすぎも痩せすぎもせず、まあまあ健康だ。

両親も健在で実家地元に残った兄が継いでいるし、家族仲も大してよくはないけど致命的に悪いわけでもない。いまはコロナ禍もあって景気は悪いらしいけど、少なくとも外の学校に行かせてもらえるくらいには経済的に恵まれていた。幸いなことに両親とも毒親ではなかったと思う。

東京まれ東京育ち、親が大企業勤めや官僚とかで自分東大海外有名校を出たというような偏差値70超えの人生ではないけれど、経済的に困窮したり家庭が破綻してたり、ものすごいハンディキャップを背負ったりしているというわけではない。

たから見ても悪くない人生だなと思う。

それでもときどき、生来のものさな性格からか「生きるのめんどくさいなあ」と思う。将来に対するただぼんやりした不安というのも多少はあると思うけど、そういうのも含めて「なんかめんどくさい」のだ。

よくも悪くも自分能力はわかっているし、自分性格もよく理解しているから今後も突飛なことはしないだろうなと思う。結局のところ、生まれて飯を食ってクソして死んでいくだけなのかと思ったりもする。

とはいえ自殺する気も今のところない。安楽死は悪くないなとたまに思ってしまうけど、死後というものが(観念的なものとして)どういうもの想像できないだけに積極的に選ぶような勇気はない。

特定宗教を厚く信仰していて死後の世界を信じられていたら(宗教における自殺の是非はともかくとして)もう少し楽だったのかもとも思う。しかし今さらになって急に何かを信奉するのは難しい。

自分のことはよくわかっているので、何かアドバイスが欲しいわけでもない。たいていのことは「自分でもわかってはいるんだよね。でもそうするのは難しい」って思ってしまうのだ。

何かわかりやす解決策が見つかるでもなく、これから淡々と生きていくんだと思う。

自分でも贅沢な自慢話だと思うけど、なんとなくよく眠れず、ぼんやりと考え事をしていたアラサーたわごとだと思って聞き流してほしい。

2022-04-16

誰か正解を教えてくれ

子育てハンディキャップをおった人に対する正しい反応を教えて欲しい。

大変ですね→決めつけないで、毎日とても幸せです

大変ですけど幸せでなにより→あなたが思ってるより大変です、決めつけないで

頑張って下さい→これ以上どう頑張れと?

神様からの贈り物→子供ハンディキャップのないあなたに言われたくない

無言→興や関心が味無いんですね

SNSでは

他人にこう言われたけどほんとはこうだ、決めつけるな

みたいな投稿で溢れかえってるけど反応する側としては手詰まりで草ですわ

何言っても不快にさせるよねコミュニケーションって難しい〜

2022-04-08

anond:20220408022436

言及元を読めや文盲が。

キモい」ことが痴漢リスクファクターか?

痴漢支配欲が駆り立てるんだぞ。キモいことなんて全く関係ないし、単なるお気持ちに過ぎんだろ。

そういうお気持ちによって、様々なハンディキャップを抱える男性たちに対する、コミュニティ内での評判を毀損してんだよ。

まり迷惑だってこと。

2022-03-19

anond:20220319191935

その定義だとたいていの男が弱者になるんじゃないかセックスしたい、の範囲にもよるけど。夫婦恋人から全然欲情しないけどOK、とか、金持ってるから欲情しないけどOK、を含むのか、的な。

俺は、仮に定義するなら「男側にセックスしたい、って欲求がある」のは要点だと思う。その上で、それが経済的な話なのか心理的ハンディキャップなのか、よくまとまらないまま罵り合いになってるから、そんなことになるなら弱者男性なんて言葉使わない方がいいんじゃね? と思ってる。

2022-02-17

anond:20220216132940

女は生理期間阿呆たれになる。

月経によってフィジカルメンタルもやられており、脳も禄に機能していない。

(勿論個人差があるし年齢によっても違うが)

故に、受験(試験)・就職仕事に対する取り組みは男よりもキツくなる。

生理貧困」を拡大解釈するなら、そこら辺も考慮すべき

(既に考慮されてるのかもしれんけど)

年に12回1週間阿呆たれになる女と男を同列に扱うどころか、下に扱ってる時点でどうかと思う。

倍は優遇されるべき。ハンディキャップトと考えれば優遇は然るべき対処

っていう筋もあるかもね。拡大解釈するなら。

まあ、逆に言えば「どんなに優秀な女でも、そんな手間(優遇)をかけてまで社会に出て貰わなくて結構やで」という向きも勿論あるわな。

そうなったら完全に「女であるために社会保障を受けないと生きられない」という状態になる。

養ってくれる誰かが居るなら良いだろうけど、そんなのと出会う場にすら行けないわな(親が太いとかは別として)

2021-10-26

優越感の味と恋愛のコツ

大学4年生の男です。

本当は自分noteブログにでも書こうかと悩んだのですが、ユーザー名を出して執筆するにはあまりに生々しいというか、自分の考えの醜さを知人に知られることが怖くなり、でも誰かに共感してもらいたい(もしくは役立ててもらいたい)という思いからここに書くことにしました。

多分めちゃくちゃ長いです。推敲も丁寧に行っているわけではないので読みにくい部分もあるかと思います


私には4ヵ月ほど前に彼女が出来ました。彼女にとって私は初めての彼氏となります


馴れ初めは2年生から始まるゼミきっかけで、以降2年間アプローチをし続けました。

2年生でフラれ、3年生でフラれ、4年生になってようやく得た「いいよ」です。

3回目の告白は半ば勢いに任せた告白だったのですが、悩んだ様子も無く即答での返事で、むしろ私の方が「えっ?」と聞き返してしまいました。


しかし自信が無かったわけではありません。

2年生時は小太りでしたがそこから-15kg減、筋肉も付けていわゆる「細マッチョ」に分類されるような身体になりましたし、バイト接客機会の多いものに変えてコミュ力も磨きました(元々コミュ障だったのでこれは普通就活でも役立ちました)。

ファッションも季節ごとに勉強し、女性へのエスコート普段から女友達に対して心がけてみることで、自然と出来るようにしました。

資格勉強サークル活動にも必死に打ち込み、自分に自信を付ける為ならなんでもやりました。


自分でやれることは全てやった。そう確信しての3回目の告白

もし上手く行かなかったら諦める。今までの自分努力無駄になるわけじゃない。そういう心持での告白だったので、即答でOKをもらった時の気持ち言葉では言い表せません。


…ここまでは自分の話。


私の彼女はいわゆる「サバサバ系」です。それを鼻にかけるわけでもない、本当に純粋サバサバ系です。

趣味がやや男ウケしないということもあるのでしょうが高校生までは専ら同性としか絡んでいなかったようです。

男子高校生も、わざわざ絡みにくい&絡んでも壁を作る女性アタックする人は少ないはず。

この点から、軽く酔った際に彼女が「あなた以外の男性を好きになったことがない」とさらっと言っていたのも恐らく本当でしょう。


舞台大学に移すと、そんな彼女を魅力に思う人がちらほらと現れます

見た目は整っているし、ぱっと見接しにくそうでも一度関りを持てば同性異性問わず好かれる性格なので当然といえば当然でしょう。


例えば彼女と同学部のAくん。

彼女岩手出身なのですが、彼女とAくんは1年生で同じクラス+同郷、1年生特有の「友達作り」の雰囲気もあって意気投合し、二人で食事なども行っていたようです。

当時から彼女は「Aくんはただの友達だよ」と言っていましたが、少なくともAくんは彼女好意を抱いていたのは確実です。3年生に入ってから自分の家に招いて宅飲みをしていたようですし。(ここは彼女の警戒心の薄さもやや問題ですが)

しかし彼は紳士的な性格のようで、手を出さないのは勿論ですが、直接的なアプローチは何もしていません。最近になると彼女Twitterに欠かさずいいね飛ばし続けてることくらいでしょうか。


例えば彼女と同じゼミのBくん。

まり僕とBくんも同じゼミなのですが、Bくんは「好きな人が居るけどアプローチする勇気がない。どうすれば良いのか」を周りの友人にずっと相談していたようです。

私のゼミ女性がやや少なく、さらに当時フリー女性となると私の彼女を含めて3人居たか居ないかです。その上特徴を聞けば、まぁ十中八九彼女のことが好きなんだろうな、ということは分かりました。

2年生の頃から好きだったみたいですが、結局何も出来ず4年生になってしまったようです。


彼らがそうしている間、私はひたすら努力し続け、アプローチし続け、3年生の夏には別の方から告白もされましたが断り、ただひたすら彼女に振り向いてもらうため努力を続けました。

そしてそれに答えてくれて、私と一緒に居てくれることを承諾してくれた彼女


文面からもなんとなく察することが出来るかもしれませんが、今私にあるのは幸福感と満足感、そして優越感です。

そしてこの「優越感」こそが私の独占欲から来る醜い感覚であり、けれども誰しもが持つであろう感覚なのです。


人間自然界の他の動物と違って、雌をめぐった争いというのは中々ありません。あったとしても、雄の気付かない所で行われているとか、雌側が完全に乗り換えを決めていて争うまでもなく勝敗が既に決まっているとか、そんなとこでしょう。

でも私は、現在進行形で行われていた争いに見事勝ったのです。さらに言えば、2回フラれている私にはまぁまぁなハンディキャップがあったかもしれません。

周りの友人も私のことを笑いました。彼女が振り向くことはないとか、上手く行くわけないとか、諦めた方がいいとか。


それでも私は勝ちました。

これがどれだけ気持ちの良いことか、感覚的には皆さん分かるかもしれませんが、実際体感したことのある人は少ないかもしれません。


というか、逆に負けた側は今どういう気分なのかインタビューしてみたい気持ちです。

中途半端アプローチを続けるも敗北し今ではSNS監視が精いっぱいなAさん、好きだったのに何も出来ずただただ見ているだけだったBさん。

自分でもひどく醜い感情だと理解はしているのですが、恋愛Winner take all。勝者が全ての世界です。


…ここまで醜い感情さらけ出す裏(というか表)には、それだけの優越感、ひいては幸福感があります

本気で好きだった人と付き合えるというのはこれほどの幸せものです。

私は根がオタクなので、軽い気持ちで付き合うとかは考えられません。だから尚更っていうのもあるんでしょうね。

逆に負ければとんでもない不幸です。人生山あり谷ありとは言いますが、ひたすら勝ち続けて人生終われるならそれに越したことはありません。

負けなんてしないに越したことはないんです。たか大学生が何人生を語ってるんだと思うかもしれませんが、私はとりあえず勝ちました。なので少しくらいは語る権利があると思います


私は負けたくなかった。だから頑張りました。

社会に出るとさらなる強者が出てくるかもしれない。彼女が私を見限る可能だってある。

から私はまだまだ頑張り続けます


もし今好きな人が居るという人が居れば、絶対にその人を振り向かせてください。

出来たら必ず幸せになれます。出来なかったら間違いなく不幸になります。それが永遠に続くかどうかは保証できませんが、これは間違いなく訪れます


タイトルに「恋愛のコツ」と書きましたが、正直コツも何もありません。

ただひたすら自分を磨いて、ただひたすら好きな人を得るために行動する。

愛する人なら静かに見守るのが正解だとか、何回もの告白は嫌われるとかクソ食らえです。

どうせ相手が他の人を選んで付き合ってしまうなら、嫌われる覚悟を持ってアタックする方がマシでしょう。


勿論しつこくしてしまってはダメです。

私は2年間アプローチを続けましたが、告白は1年おきに3回です。勿論期間を空けてひたすら自分磨きに努めていた時もありました。

自分が明らかに「変わった」と思えた瞬間が好機です。それは自信にも繋がりますし、女性は賢いので些細な変化でも気付きます

自分が明らかに「変わった」と思える瞬間というのはそう頻繁に訪れるわけではありません。なので自然アプローチの間隔は開きます


そこを勘違いして、冷却期間と称してただ3ヵ月待てばもう1回告白していいだとか、何もしなくても時間が経てば相手気持ちが変わるだろうからいけるとか。

勿論それで行けるケースもあるかもしれませんが、結局は相手依存になってしまますし、何も変わっていないので長続きしないのは目に見えています

自分がやれることを全てやった上で相手に託してようやく良い勝負になるのが恋愛だと私は思います

それでも告白を断られることも勿論あると思います。でもそこまで自分磨きを頑張る人から好意を向けられて、その人を嫌いになるわけがないです。

その場合、また告白出来るチャンスは必ず訪れます


コツらしいコツは何も書けていませんが、とにかく諦めないで自分を磨いて下さい。

しかしたら自分磨きの最中に別の方から好意を向けられて、そちらの方と上手く行く可能だってあります。現に私は別の方から告白されました。

から諦めずに自分磨きをひたすら行ってください。それは絶対に力になります


以上、長々と感情に任せた文になってしまいました。

自分でも正直「結局何が言いたいんや」とツッコミたくなる文でしたが、端的に何が言いたいかというと、

勝てば官軍負ければ賊軍

これに尽きます

2021-10-11

マジック:ザ・ギャザリング世界大会日本人が優勝した

それが今日の朝9時のはなし。その感動の勢いに任せてキーボード叩いてる。

優勝した人の名前高橋優太さんといい、大会正式名称世界選手権という。

この大会は現時点での世界最高峰プレイヤーを16人だけ選抜して競う、競技マジックの頂点。

いわゆる「MTG地球代表」を決めるトーナメントと考えてもよい。


高橋氏はそこで開幕3連敗して、あと1敗でもしたらその場でトーナメント敗退が決まる崖っぷちにいきなり追い込まれる。

そんな土俵際に片足ついた状態から、なんと以降負けなしの11連勝でまさかの逆転優勝。

こんな大記録、27年続く世界大会歴史の中で一度もない。ほんとにすごいことなんよ。


マジック興味ない人には長文であーだこーだ伝えるよりも実際の動画を見てもらったほうがいいよな。

決勝トーナメント進出が決まった瞬間

https://youtu.be/NWd2FgWGHrw?t=22353

優勝の瞬間

https://youtu.be/3Ve9Hk3k5X8?t=28417


いい年したおっさんが画面の前でひとり声を抑えることも忘れて泣いている。

それぐらいすごい偉業だったんだよ。世界一のタイトルは彼にとって悲願だったしね。

その姿みていい年こいたおっさんの俺もすこし泣いちゃったわ。




コロナの影響で去年の世界選手権は開催中止、そして今年は初のオンライン開催。

また2019年から公式運営下で始動したプロリーグ麻雀でいうMリーグみたいなの)が来年には廃止されることが通告済み。

MTGに生涯を捧げてきたプロプレイヤーたちにとって2021年はまさに激動と困惑の年だった。


そんな奔流のなかで頂点をつかんだのがこの高橋選手だった。

日本人による世界一のタイトル獲得は2012年以来じつに9年ぶり。


そもそもこの大会アジア人には時差のハンデがめちゃくちゃあった。

現地アメリカの時刻に合わせてるから日本だと深夜24からスタートして朝9時に終わる超過酷スケジュール。それをぶっとおしで三日間。

これもコロナによるオンライン開催の弊害

例年のオフライン開催だと数日前から現地に飛んで(開催地パリとか千葉とかラスベガスとか毎年ちがう)時差順応するわけだけど、オンラインではそうはいかない。

カードゲームマインドスポーツとよばれたりするけど、今回アジア人プレイヤーにとってはそもそも身体的にハードトーナメントだったことをまず伝えておきたい。




はてな民ネットコミュニティのなかでもマジック履修率が謎に高いイメージ偏見)があるが、

それでも昨今のマジック競技シーンについて熱心に追いかけてる人はすくないだろう。


日本はもともと競技マジック強豪国で、市場規模本国アメリカに次いで二番手の大きさ(たしか)。

前述のプロリーグにも、2020年度の上位リーグ24名のうち日本人は3名参加しているし、

2005-2006年および2011-2012年には日本人世界選手権タイトルを連年で獲得している。

過去にいちどだけ開催されたチームシリーズも、優勝したのは日本人率いるチーム「武蔵」だった。


競技プレイヤー平均値が高い=プレイヤーコミュニティ一つ一つの練度が高く、チームプレイが得意。

また0から1を生む発明家より70点のアイディアを洗練させて100点にするような職人的なプレイヤーが多いのが日本の特徴といえる。


だけど日本はいつも勝者のスポットライトのあたる位置にいたわけじゃなく、

30年近いMTG競技シーンの中で、日本勢だけがまったく勝てなくなってしまった暗黒期があった。

日本勢は上位にいて当たりまえ」なんて過去の栄光を知っている者たちからすれば、

そのとき日本の一人負けっぷりは衝撃的で、公式からこんな考察記事を書かれるほどだった。


日本勢は、なぜ勝てなかったのか。 (Internet Archive)

https://web.archive.org/web/20121107070840/http://archive.mtg-jp.com/eventc/ptams10/article/008381/


記事によればその原因は複合的なものだが、

いくつか抽出するならそれはリーダー発明家の不在だったり、語学ハンディキャップによる情報戦の遅れだったり、コミュニティ高齢化や硬直化だったり……

日本社会全体の問題として挙げられるような要因が、実はカードゲーム勝敗世界にもそのまま通じる課題だったりする。


それから10年の月日が流れ、日本マジック競技シーンがどうなったかといえば……

高橋氏の優勝からわかるように、いまふたたび最盛の季節を迎えている。

実は全世界で16人しか加わることのできない世界選手権の参加枠に、今年はなんと日本勢が5名も入っていたんだよ。

ちなみに2018年日本人参加者は1人、2019年にいたっては0人。

すごくないかこれ。

日本勢はもう終わった、なんて言われてた時代を通ってきた人間からすれば、今ほんとうにちょっとした奇跡を目にしてる気分なんだよ。


先述の日本コミュニティ問題をどのようにして解決していったかはわからない。

危機感原動力に率先して改善していった部分もあるだろうし、技術インターネットインフラの発展によって自然と乗り越えられていった障壁もあるだろう。

今や日本勢が世界に一歩先んじた発明家的なアイディアを生みだすことも珍しくなくなった(ホロウワンや原根グルール、ジェスカイ変容)。

ひょっとしたら発明家が乏しいとされた日本人環境の激変期には出遅れものの、

けっきょく最終的にはその職人肌によって最適解へとみずからを研磨して適合させていくのかもしれない。


そして、今大会で優勝した高橋選手

彼は競技マジックコミットして20年近いストイックな古豪プレイヤーで、

国内外で実力は認められていたものの、肩書になるようなタイトルだけは手に入らないような状態がずっとつづいていた。


彼はまさにひとつの道を究める職人タイプで、今回使っていたデッキ最先端から半歩引いたようなイゼットドラゴンだ。

このデッキを使っていたのは16人の参加者の中でただひとり彼だけ。

海外勢が持ち込んだ最先端デッキリーア入りのグリクシス天啓)が発明家による最先端の発想だとすると、イゼットドラゴンはむしろその対極。

一世代から職人たちの手によって100点に磨き上げられた、既知のアイディア結晶のようなデッキだった。

対戦相手テクニカルで繊細な応酬を好む高橋氏らしい選択だと思ったけれど、正直言って下馬評ではほとんど話題にあがることのないようなデッキだったと思う。

それがまさか構築ラウンド無敗での優勝。



職人型の日本人プレイヤーが、既知の技術の到達点で、20年かけて、世界の頂点を獲った。

プロシーンに終止符が打たれた最後の年に、崖っぷちの3連敗から歴史に名を残す11連勝で。


こんなんさ……もうさ……ドラマやん!

競技マジックいかけてたら泣くっちゅうの!


そして悲願だった世界一の称号を手に入れて、次の目標はありますか、と優勝者インタビューで訊かれたとき

彼の回答もまたすごく印象に残ってる。

世界一のタイトル獲った直後なのに、ほんとうに穏やかな口調でこう言ったのよ。


コロナが終わったらまた世界中どこへでも大会に行きたい」

「強いプレイヤーと戦うのが楽しいから



前に増田で見かけたLoR大会解説記事(https://anond.hatelabo.jp/20210919095507)がすげー面白かったか自分も書いてみた。

今年はTCG競技シーンにおける日本人活躍がすばらしいよね。

みんなも自分ニッチ情熱もっと増田に書けばいい。

2021-10-09

はてなブックマークは正しさを語るのに向いていない

ここでの”正しさ”は”善悪”と置き換えても同じかもしれません。人種、性、ハンディキャップに関する議論がかつてないぐらいに盛んになっている2020年代において個人価値観で”正しさ”を論じるのは無理なんじゃないかなー?と思っています

しかも、誰かにとっての”正義”が別の誰かにとっては”悪”であることは21世紀の国際情勢が明々白々にしていますし、仮に「客観的データによって正しさが証明されている」という主張があっても、そのデータ客観的である判断する最終的な根拠個人価値観だと僕は思っています

昨今のワクチン云々の話に関しても打った方がいい派と打たない派の人がいますが、打ちたくても打てない派の人がいる以上、打った方がいい派の主張は一方的正義を振りかざす悪の存在と思う人がいても不思議ではありません。

どれだけ”あくま個人意見です”という前置きやお断りを入れたとしても善悪に関する話題は少なから個人価値観に楔を打ち込んでしまうのでハレーションを起こしやすいですし、「切り取り」という大変便利な手法が生み出されてしまった現在はてなブックマークをはじめとするSNSで”正しさ”を語るのはやっぱり向かないんじゃないかなーと思っています

そうなると「じゃあはてなブックマークは何を語るのが向いてるのか?」という問いが出てくると思うのですが、たぶんこれはtwitterSNSが始まった頃からまり変わってないと思うのですが、

俺、これめっちゃ好き!!!!!ありえんぐらい好き!!!ヤバみ。ヤバみ。もうどうしたらいいのー!!

はてなブックマークは9割地獄ですが、いまだにこれめっちゃ好き!の時だけは有意義サービスであり続けています

2021-09-17

anond:20210917105350

良くしようと思えばいくらでも良くできるのにその可能性を捨ててるのは自分ってことだよね

なのに親や世間文句を言うの?

親は知らんが世間ハンディキャップがあろうと頑張ろうとする人を受け入れる体制はできてると思うけど

そりゃ頑張っても資本家にはなれないかもしれないけど、それは健常者も同じだから

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート3

飢餓保険

ブルース・ウィンターハルダー(Bruce Winterhalder)は、動物間で食料が移動する方法理由モデル調査している。盗みの許容、生産/嗅ぎ回る/機会主義リスク考慮した生存副産物相互主義、遅延した互恵主義取引現物でない交換、その他の選択モデル血縁利他主義を含む)。ここでは、リスクセンシティブ生存、遅延型互恵主義貿易現物ではない交換)に注目する。我々は、食料を収集品と交換することを遅延型互恵主義に置き換えることで、食料の共有を増やすことができると主張する。これは、変動する食料供給リスクを軽減する一方で、バンド間の遅延型互恵関係が抱える克服できない問題回避することで可能となる。以下では、親族間の利他主義窃盗(許容されるか否か)をより広い文脈で扱う。

食べ物は、飢えている人にとっては、十分に食べられている人よりもはるか価値がある。飢えている人が自分の最も貴重な価値物を交換することで命を救えるなら、その価値物を交換するために必要な数ヶ月、あるいは数年分の労働力に値するかもしれない。彼は通常、家宝感傷的な価値よりも自分の命の価値を考えるであろう。脂肪と同じように、収集品も食糧不足に対する保険になる。地域的な食糧不足による飢餓は、少なくとも2種類の取引で食い止めることができた。

しかし、取引コストが高すぎて、バンドはお互いを信頼するどころか喧嘩をしてしまうことが多かった。自分食べ物を見つけられない空腹のバンドは、たいてい飢えていた。しかし、取引コストを下げることができれば、バンド間の信頼の必要性を下げることができ、あるバンドにとっては1日の労働に値する食べ物でも、飢えているバンドにとっては数ヶ月の労働に値するかもしれない。

局所的ではあるが非常に価値のある取引は、上位旧石器時代収集品が登場したことで、多くの文化可能になったと、このエッセイは主張する。収集品は、必要ではあるが存在しない長期的な信頼関係の代わりとなった。もし、部族間、あるいは異なる部族個人間で持続的な交流信頼関係があり、互いに無担保の信用を得ていたならば、時間差のある物々交換が刺激されただろう。しかし、そのような高度な信頼関係があったとはとても思えない。上述した互恵利他主義に関する理由に加え、ほとんどの狩猟採集民の部族関係がかなり敵対的であったことが観察されているという経験的な証拠から確認できる。狩猟採集民の集団は、通常、1年のほとんどの期間は小さな集団に分かれて生活し、1年のうち数週間だけ中世ヨーロッパの市のような「集合体」に集まって生活する。バンド間の信頼関係がなかったにもかかわらず、添付の図に示されているような主食重要取引が、ほぼ確実にヨーロッパで、そしておそらくアメリカアフリカの大物ハンターなど他の地域でも行われていた。

添付の図で示されているシナリオ仮定のものであるが、それが起こらなかったとしたら非常に驚くべきことである旧石器時代ヨーロッパ人の多くは、貝のネックレスを楽しんでいたが、もっと内陸部に住んでいた人は、獲物の歯でネックレスを作っていた。また、火打ち石や斧、毛皮などの収集品も交換手段として使われていた可能性が高い。

トナカイバイソンなどの人間の獲物は、一年のうちで移動する時期が異なる。ヨーロッパ旧石器時代の多くの遺跡から出土する遺物の90%以上、時には99%以上が単一の種によるものであるほど、部族ごとに異なる獲物に特化していた。これは、少なくとも季節的な専門性を示しており、おそらく1つの部族が1つの種に完全に特化していたことを示している。一つの部族メンバーは、専門化した分だけ、特定の獲物種にまつわる行動や移動習慣などのパターン精通し、それらを狩猟するための特殊な道具や技術を身につけていたことになる。最近観察された部族の中にも、特殊化した部族があることが知られている。北米インディアンの一部の部族は、バイソンカモシカ狩猟サケの漁にそれぞれ特化していた。ロシア北部フィンランドの一部では、現在でもラップ族をはじめとする多くの部族が、単一種のトナカイ牧畜に特化していた。

旧石器時代もっと大きな獲物(ウマ、オーロックス、ジャイアントエルク、バイソンジャイアントナマケモノマストドンマンモスシマウマ、ゾウ、カバキリンジャコウウシなど)が大きな群れをなして北米ヨーロッパアフリカを歩き回っていた頃は、このような特殊化がはるかに進んでいたと思われる。人間を恐れない大型の野生動物はもはや存在しない。旧石器時代絶滅させられたか、あるいは人間人間の発射物を恐れるようになったのであるしかし、サピエンスサピエンスが生きていた時代には、これらの動物の群れは豊富で、専門のハンターにとっては簡単に獲物を得ることができた。取引に基づく捕食の理論によれば、旧石器時代に大型の獲物が大規模な群れをなして北米ヨーロッパアフリカを歩き回っていた頃は、専門性はるかに高かった可能性が高い。部族間の狩猟における取引ベースの分業は、ヨーロッパ旧石器時代考古学証拠と一致する(確実に確認されたわけではないが)。

このように、群れを追って移動する部族は、頻繁に交流し、多くの交易の機会を得た。アメリカン・インディアンは、乾燥させたり、ペミカンを作ったりして食べ物を保存していたが、それは数ヶ月はもつものの、通常は1年はもたなかった。このような食料は、皮、武器収集品などと一緒によく取引された。多くの場合、これらの取引は年に一度の交易遠征の際に行われた。

大規模な群れをなす動物は、1年に2回だけ領土を移動するが、その期間は1〜2ヶ月であることがほとんどである自分たちの獲物となる動物以外のタンパク源がなければ、これらの専門部族は飢えてしまうであろう。考古学的な記録で示されている非常に高度な専門化は、交易があったからこそ実現したのである

このように、時間的にずれた肉の交換が唯一の交易であったとしても、それだけで収集品の利用価値は十分にあると考えられる。ネックレスや火打ち石など、お金として使われるものは、取引される肉の価値がほぼ同じである限り、閉じたループの中で、ほぼ同じ量を行き来する。ここで注意してほしいのは、本稿で述べた収集品の理論が正しいとするには、単一有益取引可能であるだけでは不十分だということだ。相互有益取引の閉ループ特定しなければならない。閉鎖的なループでは、収集品は循環し続け、そのコスト償却する。

前述したように、考古学的な遺跡から、多くの部族が1つの大きな獲物種に特化していたことがわかっている。この専門化は少なくとも季節的なものであり、広範な取引が行われていた場合フルタイムで行われていた可能性がある。習性や移動パターン、最適な捕獲方法専門家になることで、部族は莫大な生産利益を得ることができた。しかし、このような利益は、単一の種に特化することは、1年の大半を食料なしで過ごすことになるため、通常は得られないものであった。部族間の分業が功を奏し、それを可能にしたのが交易だった。補完関係にある2つの部族間の交易だけで、食料の供給量はほぼ2倍になる。しかし、セレンゲティヨーロッパ草原のような地域では、ほとんどの狩猟地域を移動する獲物は2種類ではなく、10種類にも及ぶことがあった。そのため、種に特化した部族が入手できる肉の量は、近隣の一握りの部族との間で交易を行うことで2倍以上になると考えられる。その上、余分な肉は最も必要とされる時に得られる。つまり、その部族の同種の獲物から得られる肉はすでに食べ尽くされており、食料がなければハンターは飢えてしまうのである

このように、2つの獲物種と、同時ではないが相殺される2つの取引という単純な取引サイクルから、少なくとも4つの利益、つまり余剰の源が得られたのである。これらの利益は異なるものであるが、必ずしも独立したものではない:

1. 餓死しそうな時期に肉が手に入ること。

2. 肉の総供給量の増加:すぐに食べられる量や保存できる量を超えた余剰分を取引し、取引しなかった分は無駄になっていた。

3. さまざまな種類の肉を食べることで、肉から得られる栄養の種類が増えたこと。

4. 単一の獲物種に特化することによる生産性の向上。

食料と交換するために収集品を作ったり、保存したりすることは、悪い時期に備えての唯一の手段ではなかった。特に大きな獲物が得られない場合には、縄張り意識採集権の取引が行われていたようである。これは、現在残っている狩猟採集文化の一部にも見られる。

アフリカ南部クン・サン族は、他の現代狩猟採集文化の残存者と同様に、限界のある土地に住んでいる。彼らには専門家になる機会はなく、わずかに残っているものを利用するしかない。ホモ・サピエンスは、最初ネアンデルタール人から最も豊かな土地と最高の狩猟ルートを奪い取り、ずっと後になってからネアンデルタール人限界土地から追い出した。しかし、生態学的に厳しいハンディキャップを負っているにもかかわらず、クン族は収集品を交易品として使用している。

他の狩猟採集民と同様に、クン族は1年の大半を分散した小さな集団で過ごし、1年のうち数週間は他の集団との集合体で過ごす。集会は、取引が行われ、同盟が結ばれ、パートナーシップが強化され、結婚が行われるという特徴を持ったフェアのようなものである。アグリゲーションの準備は、一部は実用的だが、ほとんどはコレクション的な性質を持つ取引可能アイテム製造することで満たされる。クン族が「hxaro」と呼ぶ交換システムでは、4万年前にアフリカ発見されたものとよく似たダチョウの殻のペンダントなど、ビーズアクセサリーが多く取引されている。

クン族が収集品と一緒に売買する主なものは、他のバンド領地に入り、そこで狩猟採集を行う抽象的な権利である。これらの権利の売買は、隣人の領域採集することで緩和できるような地域的な不足の際に、特に活発に行われる。先に述べたバンド間の食料取引と同様に、収集品を使って採集権を購入することは、スタンリーアンブローズの言葉を借りれば、「飢餓に対する保険」となる。

解剖学上の現生人類は、意識的思考言語、そして計画を立てる能力を持っていたはずであるが、取引を行うためには、意識的思考言語、そして計画を立てることはほとんど必要なかったであろう。部族メンバー単一取引以外の利益を推論する必要はなかった。このような制度を作るためには、人々が本能に従って以下のような特徴を持った収集品を作るだけで十分だっただろう。(このような制度を作るためには、人々が本能に従って、以下のような特徴を持つ収集品を手に入れることができれば十分であった。) これは、我々が研究する他の制度についても、様々な点で同様であり、意識的設計されたというよりは、むしろ進化したものである制度儀式に参加している誰もが、その機能を究極の進化機能観点から説明することはなかっただろう。むしろ、究極の目的起源を示す理論というよりも、行動の近親的動機付けとして機能する多種多様神話観点から説明していた。

食物の交易に関する直接的な証拠は失われて久しい。将来的には、ある部族狩猟跡と別の部族の消費パターン比較することで、今回の記事よりも直接的な証拠が見つかるかもしれないが、この作業で最も難しいのは、異なる部族親族集団境界特定することである。我々の理論によれば、このような部族間の肉の移動は、大規模かつ特殊な大型狩猟が行われていた旧石器時代世界各地で一般的に行われていたと考えられる。

今のところ、収集自体の移動による間接的な取引証拠が多く残っている。幸いなことに、収集品に求められる耐久性と、今日考古学者が発見した遺物が生き残った条件との間には、良い相関関係がある。徒歩で移動していた旧石器時代の初期には、穴の開いた貝殻が500kmも離れた場所から発見された例がある。また、火打石も同様に長距離を移動していた。

残念なことに、ほとんどの時代場所で、取引コストが高いために貿易は大きく制限されていた。一番の障壁部族間の対立であった。部族間の主な関係は、良い日には不信感を抱き、悪い日には明らかな暴力を振るうというものであった。部族間の信頼関係を築くことができたのは、婚姻親族の絆だけであったが、それは時折であり、範囲も限られていた。財産保護する能力が低いため、たとえ身につけたり隠し場所に埋めたりした収集品であっても、収集品は数回の取引コスト償却しなければならなかった。

このように、取引コストが高いために、現在我々が当たり前のように使っている市場企業、その他の経済制度の発展が妨げられていた長い人類先史時代において、富の移転取引だけではなく、おそらく最も重要ものでもなかった。しかし、取引コストが高く、市場企業などの経済制度が発達しなかった先史時代には、おそらく最も重要ものではなかったであろう。我々の偉大な経済制度の下には、富の移転を伴うはるかに古い制度がある。これらの制度はすべて、ホモ・サピエンスサピエンスとそれ以前の動物とを区別するものである。ここでは、我々人間には当たり前で、他の動物にはない、最も基本的な富の移転の種類の一つである次世代への富の移転について説明する。

2021-08-07

運動音痴パラリンピックにモヤる

身体障害があるから健常者と勝負にならない」と「運動神経いから有るやつと勝負にならない」って、本質的に何が違うの?って思ってしまう。

スポーツによってはそもそも金持ちじゃないと土俵にすら上がれないとか、世の中にはどうしようもないハンディキャップが腐るほどあるけど救済されるのは分かりやすく線を引けるハンディキャップだけなんだよなあ。

一部でも救済されるならそれは意味があると思うのでパラリンピックはやればいいけど、ちょっと冷めた目で見てしまう。

2021-07-29

いつも通りいっちょ噛みする皆さんのための卓球用具解説

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/7a2e64e31ea00735807668d279903d9206e0a486

いっそ全員同じラケット使えばいいのに。試合前に新しいの配る。それじゃやりづらいのはもちろんわかるけど、フェアではあるでしょ。何種類かの中から選べるのでもいいよ。マリカーみたいね

これ自体個人のひとり言のようなものですし強く咎める気はありませんが、これに大量のスターが付いていたことに何よりも愕然しました。

いくらなんでもエアプが過ぎるでしょと。もうね、アホかと、馬鹿かと。

お前らな、金メダル如きで普段観てない卓球にいっちょ噛みしてんじゃねーよ、ボケが。

金メダルだよ、金メダル

なんか涙とか色々出てるし。旧知のペア金メダルか。おめでてーな。

実況がよーし3-3で最終ゲームだぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。頭抱えて音だけ聞いてたわ。

卓球用具にどれだけ種類があるのかという話と、補助剤問題についての話をします。

ラケットの種類

シェイクハンド

握手シェイク)するように握るラケット

最も使用者が多い形状。アジア以外の選手はほぼ全員これと言っていい

両面にラバーを貼って使い分ける

汎用性が高く様々な戦い方ができる

ピンポン」のスマイルドラゴンはこれ

ペンホルダー:

ペンを持つように握るラケット

基本的ラバーを片面にしか貼らない(=同じ面でフォア・バック両方に対応する)ものだったが、今は両面に貼って戦うスタイルが主流

シェイクハンドに比べて手首を動かしやすいなどのメリットがある

中国式ペンホルダー

中国を中心に東アジア出身選手使用者が多い。

先日水谷伊藤ペアと決勝で戦った中国の許昕(Xu Xin男性の方)は現代最強の中ペン使い

ピンポン」のチャイナもこれ

日本式ペンホルダー

かつて日本選手たちはこのラケットを手に世界を席巻したが、現在絶滅危惧種

強力なフォアハンド武器にする戦い方にマッチする

ピンポン」のペコはこれ

これをベースにした「反転式」というラケットもある

ラケットの素材

単板:

木の一枚板。ヒノキとか

厚いほど反発力が増すが、コントロールが難しくなるし重くなる

主に日ペンラケット使用されており、絶滅危惧種

合板

木の合板。3枚とか5枚とか7枚とか

枚数の多い方が反発力が増すが、コントロールが難しくなるし重くなる

初心者は3~5枚合板で柔らかめのやつがおすすめ

特殊素材入り合板

合板カーボンやケブラーなどの素材を挟みこんだやつ

合板より軽く反発力も高いが、独特な打球感を好まない人もいる

中~上級者向け

ラバー

打球する部分 基本的ゴムとスポンジを重ねて作られている

ラケットの両面にラバーを貼る場合ルール上「どちらかが赤、もう片方が黒」でなければならない

(同じ色で性質の異なるラバーを各面に貼って相手を混乱させる選手が現れるため)

ソフト

最もポピュラーで、殆どの人が思い浮かべるタイプのあのラバー

球との表面積が大きく、回転をかけやすオールラウンドに使えるラバー

水谷隼は両面裏ソフト(裏裏)

ソフト

実はこのつぶつぶのある方が「表」

ソフトに比べ球との表面積が小さいので球離れが良く強打に向く

スマッシュ(強打)を武器にする攻撃的な戦型と相性が良い

伊藤美誠はフォア側が裏ソフト・バック側が表ソフト(裏表)

粒高(ツブ高とも):

ソフトのつぶつぶを更に高くしたもの

相手の回転をいなしたり逆回転にして返したりと、相手のかけた回転を利用したトリッキーな戦いができる。触ると気持ちいい

後方で相手の強打をいなす守備的な戦型や、打球が変化する性質を利用して前陣でブロックを駆使する戦型と相性が良い

いずれにせよ、回転を熟知しないとその特殊な性能を生かしづらい上級者向けラバー

ピンポン」のスマイル物語後半でバック面に採用したのがこれ

アンチアンチスピンアンチトップスピンとも):

ぱっと見は普通の裏ソフトラバーだが摩擦力殆どなく、回転が命の卓球において自ら回転をかけるのが難しいという特異な性質を持つ

したがって粒高のように相手の回転を利用する戦い方になるが、粒高よりもナックル性の球を返しやす

よって片面にアンチ、もう片面に裏ソフトや表ソフトを貼り、両面の回転量の差で相手翻弄するのが基本戦術となる

(両面同色が許された時代はそれで猛威を振るった…らしい)

現役選手ではアメリー・ゾルヤ(オーストリア)くらいしか使用者を知らない 粒高以上に変態向け

更に同じ種類のラバーでも性質に違いがある
テンション系:

より反発力を高めたラバー 強いけど寿命短め

粘着系:

より粘着力を高めたラバー ぺとぺとしておもろい

変化系:

粒高寄りの性能を持つ攻守兼用ソフトラバー

スポンジ:

更にラバーゴムの下に貼るスポンジにも厚さや硬さなどに違いがある

卓球用具最大手バタフライではラバー1種につき少なくとも3段階のスポンジ厚が用意されている

厚いほど威力が増すので攻撃的な選手は基本厚み全ツッパだが、重みが増したりコントロールしづらくなる

守備的に戦う選手は調節して両面で厚さや固さの違うラバーを貼ることもある

ごくまれにスポンジのない、ゴムだけのラバー使用する選手もいる

グリップの形状

グリップの形状も色々種類があり、更に各自が手になじむように削ったりテープを巻いたりする

用具の話まとめ

というわけでね、ざっくり説明しましたけども「全員同じラケットで」試合をするということがいかに困難かお分かりいただけるかと思います。やりづらいとかいう以前に、そもそも物が違うんです

上記の用具の多様な組み合わせを「何種類かの中から選べる」ようにしたところでカバーできるものでもありません

そもそもトップ選手の多くは特注ラケットだというのはさておき)

卓球には各選手個性に加えて様々なプレイスタイル(戦型)があり、それぞれに合った用具の組み合わせがあります

ドライブ型、前陣速攻型、カット主戦型、前陣攻守型、異質攻撃型…

もし使用ラケットを「シェイクハンド/7枚合板/裏裏/テンション系/ストレートグリップ」の規格品に統一したら、卓球は同じような戦い方ばかりになり、プロアマチュアプレイ面白みを失っていくでしょう。自分に合うプレイスタイル、合う用具を見つける面白さも卓球の魅力なので。

あと単純にコスト問題として、トップ選手は早くて1~2週間ほどでラバーを交換するなど、ラケット周りは消耗品です。大会側で検査のものを用意して全て賄うというのはさすがに無茶です。

そして何より、規格品を使用せよという意見は各選手身体差異性別身長体重、骨格、手の大きさ、筋肉量…etc)をはっきり無視しています

人によって良好なパフォーマンスを発揮できる用具の組み合わせが異なる中で、たまたま規格品に適応した選手が有利になる、すなわち規格品の変更次第で有利不利が変わり得る状態競技として適切とは言えません

これは今まさに行われている東京五輪パラリンピックにおいても例外ではありません。

様々なハンディキャップを抱えながら競技に挑む人々に対しても規格品の使用を強いるべきでしょうか?卓球というかそもそもスポーツに大して興味がないのは分かりますが、興味がないなりに最低限の思慮と検索を以て、そのスターを押す前に少しだけ立ち止まって考えてみてほしいと切に願います

長くなりましたがここからが本題です

卓球の「補助剤」問題について

と思ったけど簡潔で分かりやす記事があったのでそれ貼って終わりにしま

大体の流れはこの記事の通りです 短いから読んでね

https://rallys.online/forplayers/whats-hojozai/

2016年には日本卓球協会が反発係数を測定するラケット検査の導入を提案したが、ITTFコスト面などを理由にこれを否決した」

まあそういうことですわ やボ神(やっぱりボルって神だわ)

あと「技術の発展で用具が進化するのは当然」という意見もあって、原則論としてはそうなんですけど、今は卓球ラバーに限った話なので的外れです。

ラバーの後加工(出荷された後のラバーに加工を加えて性能を変化させること)」がルール禁止されている中で、正規に出荷された商品選手がそれぞれ勝手に薬剤を使用することを容認してしまったら、フェアネスを保つことは困難です。

陸上シューズしろ競泳水着しろ国際的競技団体による承認を得た上で使用されているはずです(だよね?)。卓球も同様です。

ただ、ITTF承認を得ているかどうかが見て取れるラバーラケットと異なり、塗布された薬剤はその場で承認の有無を判別できる代物ではありません。承認済みの薬剤なのか、それとも未承認でフェアネスを著しく乱す薬剤なのか、正確に判別できるでしょうか?

なのでラバーを貼った状態での反発係数に上限を設けて試合前に測定するのがベストだと思うんですけどね~ITTFがね~

測定コストをより削減できたとしても首を縦に振るかは怪しいところ

やってるのは中国選手だけじゃないだろうけど、中国選手がこの問題言及してるところはまあ~見たことないですね

あったら教えて!

あ、あと五輪卓球女子シングルス準決勝伊藤美誠が今出ていて、シングルスが終わったら男女団体戦があります!興味があればよろしくね!

おしまい

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