2022-05-21

偏差値65の人生

座右の銘は「人畜無害」。褒められもせず、苦にもされない人生だと思う。

まれ地方の小さな町だけど、高校県内公立トップ校に進み、大学東大京大はいかなかったが東京の上位私大に潜り込んだ。

就職も志望していた大手企業に入って、マイナー職種のため大出世こそ望めないものの食うに困らない賃金を得ている。自分部署の中ではまあまあ重宝がられてるとも思う。

年齢=彼女いない歴童貞非モテだけど、男女問わず飲みに行ったり遊びに行ったりしてくれる友達はいる。

趣味といえるほどめちゃくちゃに凝ってるわけではないけど、旅行も好きだし展覧会観劇に出かけたりもする。運動はそんなに好きではないけど、太りすぎも痩せすぎもせず、まあまあ健康だ。

両親も健在で実家地元に残った兄が継いでいるし、家族仲も大してよくはないけど致命的に悪いわけでもない。いまはコロナ禍もあって景気は悪いらしいけど、少なくとも外の学校に行かせてもらえるくらいには経済的に恵まれていた。幸いなことに両親とも毒親ではなかったと思う。

東京まれ東京育ち、親が大企業勤めや官僚とかで自分東大海外有名校を出たというような偏差値70超えの人生ではないけれど、経済的に困窮したり家庭が破綻してたり、ものすごいハンディキャップを背負ったりしているというわけではない。

たから見ても悪くない人生だなと思う。

それでもときどき、生来のものさな性格からか「生きるのめんどくさいなあ」と思う。将来に対するただぼんやりした不安というのも多少はあると思うけど、そういうのも含めて「なんかめんどくさい」のだ。

よくも悪くも自分能力はわかっているし、自分性格もよく理解しているから今後も突飛なことはしないだろうなと思う。結局のところ、生まれて飯を食ってクソして死んでいくだけなのかと思ったりもする。

とはいえ自殺する気も今のところない。安楽死は悪くないなとたまに思ってしまうけど、死後というものが(観念的なものとして)どういうもの想像できないだけに積極的に選ぶような勇気はない。

特定宗教を厚く信仰していて死後の世界を信じられていたら(宗教における自殺の是非はともかくとして)もう少し楽だったのかもとも思う。しかし今さらになって急に何かを信奉するのは難しい。

自分のことはよくわかっているので、何かアドバイスが欲しいわけでもない。たいていのことは「自分でもわかってはいるんだよね。でもそうするのは難しい」って思ってしまうのだ。

何かわかりやす解決策が見つかるでもなく、これから淡々と生きていくんだと思う。

自分でも贅沢な自慢話だと思うけど、なんとなくよく眠れず、ぼんやりと考え事をしていたアラサーたわごとだと思って聞き流してほしい。

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