リアルでこんなことをつぶやいても誰も聞いてくれないし、真剣に語りすぎても異常者扱いされて終わるだけだろうから、ここで書かせてもらいたい。
モテないやつの負け惜しみ、みたいに思われることもあるだろうが、そう思われても仕方がないのは承知である。
ただ、あまりにも感情のやり場がなくてどうしようもないので、せめて吐き出させてもらえたらと思う。
タイトルにも書いたが、恋愛とか結婚とか子育てとか、そういうイベントを経験して一人前……みたいな風潮が本当に苦手だ。
そういう人たちはほんとに幸せそうにしているし、
何より「守るもの」ができたことによって、生活にもハリが出てきている……ような気がする。
ただ、私がその領域にたどり着けるかというと、そんなことは絶対にないだろうなと思う。
悲観でも卑屈でもなく、本気でそう思っている。
もう30年近く生きてきたが、今までまともな交際をした経験はない。
今まで生きてきてこんな調子だし、今更人間なんてそう大きく変わることもないだろう。
だから私は、このまま、残りの人生を独身で生きる覚悟をすでに決めている。
そうした思いを覆すような「運命の出会い」でもあれば気持ちは揺らぐかもしれないが、
そんな実現可能性があるかもわからない話に期待していても仕方がない。
……という話をすると、決まって、「まだ若いんだから諦めるなよ」みたいなありがた~いお言葉をいただくわけだが、
そもそも私は、自分に恋愛ということへの適性がないと思っている。
人間誰しも得手不得手があるというものだし、わざわざ苦手分野で勝負することもないだろう。
私の場合、その「不得手」にあたるのが恋愛だったと、それだけの話だ。
苦手なことで頑張ってもつらいだけだから、私は苦手なことである「恋愛」をしないという決断をしているのに、
それをなぜ周囲は「恋愛したほうが成長できる」とか押し付けてくるのか、理解に苦しむ。
というか、そもそも、恋愛とか結婚とか子育てとか、そういうのって「人として必ず経験しないといけないこと」なのか?
恋愛をすることの目的のひとつは、子供を作って次の世代を育てるということにあるだろう。
近年少子化だなんだと騒がれているが、子供を作って育てる人がいなくなれば、人口が減ってしまう。
だから私も最終的には子供を残して、次の世代につなげなければならないのだろう。
それは当然、建前としてはわかっている。
だが、「次の世代を残す」ということの重みを考えたことがあるか?
私は大して頭がいいわけでもなく、他人と比較して突出した能力があるわけでもない。
金だってそんなに持っているわけでもないし、仕事が忙しくて時間もあまり余裕があるとはいえない状態だ。
そんな私が、「子供」という「一人の人間」をこの世に生まれさせて、
一人前の人間として生涯かけて育ててやれるような気概があるだろうか?
健康な状態で生まれさせて、大病を患うこともなく、健康な生涯を送らせてやることができるだろうか?
そもそも、私が子供を残すこと自体が社会にとって有益なことになり得るのか?
一口に「子供を育てる」といっても、想定されるリスクがあまりにも大きすぎる。
とにかく、不確定要素が多すぎるのだ。
子供が「〇〇をしたい」と言ったときに、お金に余裕がないからと諦めてもらうことになるかもしれない。
子供が「やりたい」と言ったことは支持してやりたいが、それをかなえてやれるだけの力が、私にある保証がないのだ。
もちろんお金以外にも色々要因がある場合は出てくるかもしれないが、それもひっくるめて、私にはそれだけの力量がないと思う。
子供に不自由させたことで、子供に恨まれることだってあるだろう。
そんなとき、子供はこう思うはずだ。「こんな親のところに生まれたくなかった」と。
そんな状況でも、一度生まれてきた以上、生を全うしなければならない。
日本の平均寿命が約80歳らしいので、仮に80年生きると考えたとして、80年も「生きる」ことを強要されるのである。
この私が親であるというハンディキャップを背負いながら、80年。
どうせこの世に生を享けるなら、何一つ不自由なく暮らせる、いい家庭に生まれてほしいと思う。
ただ、私の作るような家庭では、そんな環境などできないのだ。
そのためには、私が出しゃばってはいけないのだ。
私のような不完全な人間が「親」になるということは、
ところが、「子供を残さなくても恋愛はできる」という考えもあるだろう。
運よく誰かと結ばれたとして、子供を作らずにそのまま家庭を築けばいいのかもしれない。そういう夫婦のありかただってあるだろう。
だが、私が恋愛をしようとすること自体が、そもそも私のエゴにすぎないものであると思っている以上、
私は特に裕福なわけでもなければ、大して仕事ができるわけでもない。
私が人間的に魅力がないのは、今まで30年近く、ろくに異性に相手にされなかった事実が物語っている。
そんな私が誰かを好きになったとして、その相手にアタックをしかけたとしよう。
その相手は、「私のような人間から好かれたこと」を喜んでくれるだろうか?
人から好意を持たれることは嬉しいかもしれないが、よりにもよってその相手が「私」なのである。
相手の立場から見たときに、「私」から好かれることが必ずしも嬉しいとは限らない。
ほかに魅力的な人物がいれば、そちらに流れてしまうのは自然なことだ。
運のいいことに、それでもなお、相手が私の好意を了承してくれたとする。
私は好きになった人と結ばれたことで、幸せで居られるかもしれない。
だが、相手は「私に"付き合わされている"」のであって、私の好意を押し付けられている状態だ。
そんな状態で、私のことをずっと好きでいてくれるような保証があるだろうか?
私に「付き合わされる」ことになった相手は、それで幸せなのか?
よく聞くありがたいお言葉に「恋愛すると人間的に成長できる」というものがある。
そのお言葉はある意味では正しいのかもしれないし、そういう意見は否定しない。
ただ、恋愛対象となる「相手」だって「一人の人間」なはずだが、
「恋愛すれば成長できる」のであれば、交際相手という存在は「自分が成長するための踏み台」に過ぎないのか?
恋愛や結婚なんて、自分だけでなく、相手の人生も大きく変えてしまう、大事なイベントだ。
大事なイベントだからこそ失敗は許されないし、合格点は当然100点満点だ。
そんな一大事なのに、「自分が成長したいから」という身勝手な思いだけで、
「私のような存在に人生を狂わされること」を考えたときに、相手からしたら良い気がするものではないだろう。
むしろ、私が好きになった人だからこそ、私のような存在が関わるべきでないとさえ思っている。
私が関わることで、相手を余計に不幸にさせてしまうのではないかと思う。
そもそも、「私が相手を幸せにしてやる」なんて思うこと自体が思い上がりも甚だしいのだ。
「相手の人生を変えることへの責任」を果たしきれる自信がないのだ。
もろもろのイベントに対して、それに伴う責任を果たせる自信がない。
仮に取り組んだとしても中途半端な結果になり、破滅して終わるだけだろう。
ことによっては賠償金とか慰謝料とか、そういう話も出てくるかもしれない。
自分も相手も、次の世代も守るためには、「私が恋愛をしないこと」が最適解になるのだ。
そうすれば、「幸せ」にはなれなくても、「不幸」は少なくとも避けられる。
こういう話をすると、「責任から逃げてるだけだ」とか「そういう責任を果たしてこそだ」とか言われるだろう。
「責任から逃げている」というのは否定しない。実際そうだと思う。
焦って準備も不完全なまま手を出したとして、それで付き合わされる相手や生まれてくる子供が不幸になるだけで、
私が恋愛をしたところで、相手や子供が不幸になる未来が目に見えている。
確かに恋愛や結婚や子育て自体は大変なことだと思うし、その重い責任を果たしている人は本当に立派だと思う。
それを「逃げ」だというならそれで構わない。それで不幸を再生産することのほうが、結果的には不利益だから。
確かに、「なんとかなる」こともあるだろう。
だが、「なんとかなってる」状態で過ごすことを強いられる、交際相手や子供のことはどうなる?
「なんとかなってる」というのは自分の勝手な思い込みであって、実際はそうではないのではないか?
責任が重いことである以上、100%の完成度が求められてしかるべき話だ。
そんなことが「なんとかなる」で許されていいわけがない。そんな状態で生きてても誰も幸せにならないじゃないか。
あと、「子育て世帯にやさしくない社会が悪い!」という論調もあるだろう。
もちろん、それも理由の一つではある。
だが、私はそもそも「子供を育てること」に適性がないと感じているので、
いくらそういう制度がしっかりしていようが、「子供を育てる」ということをする気がそもそもないのだ。
必要とする人への補償はしっかりされるべきだと思うので、その辺の整備はしっかりしていたほうがいいとは思うが、
それは私が「子供を作りたくない」と考えることとは無関係なのだ。
長々と書き連ねたが、まとめるとこうだ。
・私は「恋愛」やそれに付随するもろもろのことに適性がない
・私が下手に恋愛や子育てをしても、相手も子供も、自分さえも不幸にするだけ
それを「逃げ」とか「もったいない」とか言うなら、それはそれで構わない。
ただ、「お前も早く結婚しろよ」とか「子供がいると仕事もハリが出るぞ」みたいに言ってきて、
交際相手とか子供とかを「自分が成長するための道具」としか見ていないような、
そういう言い分にはすごく嫌悪感を覚えるし、腹が立って仕方がない。
私が恋愛とか結婚とか子育てとかをしたいと思ったとして、それはあくまで私のエゴにすぎず、
それに振り回される人たちのことを考えたときに、そんな自分勝手な真似は到底したいと思えない。
頼むから、私が「恋愛をしない」という決断を敢えてして実行していることについて、
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お読みくださってありがとうございます。
「恋愛」とか「結婚」とか、そういう「人生の大きなイベント」に対して、
ただ「自分が成長するための機会」みたいにしか捉えられていないような、
そんな風潮に嫌気がさしているので、日ごろの思いを書かせて頂きました。
なお、「恋愛する奴が憎い」みたいな話がしたいのではなくて、
恋愛とか子育てとかの責任をちゃんと果たされている方のことは、嫌味でも何でもなく本気で尊敬に値すると思っています。
あくまで「私には能力がないから恋愛したくない」という、私個人の話であって、
恋愛といった一連のことを経験できる方を馬鹿にしたりするような意図はございません。
以上です。ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
ちょっと長い もう1/3くらいの文章にできない?
一人前云々の風潮は全くその通りだと思うし、おれも相当しんどいと感じてるよ。 おれは既に増田の1.5倍ぐらい生きてしまったし、増田ぐらいの年齢の時にも同じようなことを考えてい...