はてなキーワード: 軽蔑とは
でも何も変わらなかった。
彼女いない歴=年齢。
それなのに本当は、彼女がほしくないわけでもなかった。
童貞を捨てれば変わる。
そんな信仰心を持っていたわけではないけど心の何処かでは正直期待もしていた。
90分で約三万。
初めての相手は小綺麗な女の人で、二十代に見えた。
泡立てながら身体を密着して洗われるのは正直くすぐったかった。
態度に出ていたのか、僕の顔を見てお姉さんはくすくす笑った。
そのあと正面からも洗ってもらった。
おっぱいで洗われると、柔らかさに驚いた。
お姉さんは笑顔のまま世間話をしてくれて、ふっと会話が途切れると、次には俺のものを口に入れていた。
その後、ベッドの方に移った。
お姉さんが仰向けに寝て、自分が覆い被さるようになりながらも何もできず、まごついていると「大丈夫」とお姉さんが身体を起こして言った。
それから今度はこちら側が仰向けに寝るように言われて、素直に従った。
お姉さんはゆっくり僕に股がった。
痛くない? 大丈夫? と言いながら。
問題ないとわかるとお姉さんは笑い、ゆっくりと僕に顔を近づける。
キスをしながら右手は僕のものを捉え、丁寧に彼女のなかに入れていく。
生暖かい。
動いてる。
それがまず思ったことだった。
僕は初めてを体験した。
そして、僕は童貞ではなくなった。
それだと商売にならないんじゃないんですか?
そう僕が言うと、若いうちはもっとちゃんと遊んでも損はないよ? とお姉さん。
答えになってない気がしながら僕も笑い、店を出た。
帰りに牛丼を食べた。
食べながら思い返してみるも、正直な感想は「こんなもんか」だった。
三万。でかかったな。
食べかけの牛丼並盛を見ながら思う。
自宅までの景色が変わって見えるようなこともなかった。蝉が五月蝿い。日射がきつい。ただそれだけ。ゆっくりと、いつもより緩やかに時間が過ぎていくだけ。
それだけ。他は一緒。いつも通り。
それは余韻と呼べるものなのかもしれないし、違うかもしれない。ただ心のなかに小さな穴が開いたような気がした。穴。何も詰め込めないような。何かが既に沢山入りきっているような穴。その穴の正体を僕はまだ知らない。
とにかく、だ。
セックスしたって、何も変わらなかった。
けれどそれに安堵している自分も居た。
何も変わらない‥‥。
あまり同じような感想のレビューが無かったので共感できる人を探している。
この作品からは、幻想や理想の世界から現実に引き戻そうというメッセージ性を感じた。「意味がありそうなことも重要ではなかったりする」、「価値観は人それぞれ正義も悪もない」、「個人の想像力や努力が世界に大きな影響を与えることはない」。こんなメッセージが散りばめられているのに、重く押し付けるわけでもない。そんな雰囲気がとても心地よかった。私が好きだったシーンを挙げる。
門と墓があり、墓には「我を学ぶものは死す」と書かれている。ファンタジーの世界では危険なオブジェクトである。ペリカンという不可抗力に巻き込まれて門を開けてしまった。門を開けてしまったがゆえに何か恐ろしい者が目覚め命からがら逃げ出す、という鉄板な流れを期待するものの、そうはならない。キリコが炎を使った謎の儀式をして、墓を見た方向のまま後退する。結局何も起こらない。
「門を開けてはならない」、「怒りを鎮めるには儀式が必要」、「儀式には細かい作法がある」、現実にもこんな類の知らない人には全く理解できないルールが沢山ある。守ってもいいし守らなくてもいい。世の中には様々な価値観がある。眞人は肯定も否定もない。そんな世界で生きていくことを考えさせられる。
眞人は何故か机の下で寝ている。自分の周りには人形が置かれていて、何故か触れてはいけないというルールがある。しかし眞人はルールを破って触れてしまう。この時点で薄々勘付く。何も起こらないと。
何故か自分で自分によくわからない制約を課す。理由はない、面白いからだ。狭い空間で人形に触れないで外に出られたら面白い。成功したら自分を褒める。失敗したら悔しがる。それだけ。
墓のシーンと似ている。子供の1人遊びも大人の儀式も根は同じか。そんな感覚を持った。
ワラワラという赤ちゃんの源である可愛いキャラクターがペリカンに食べられそうになる。そこにヒミがやってきてワラワラもろとも焼き尽くす。全滅するより誰かが助かった方がいい。ペリカンは生きるためにワラワラを食べるしかない。
ありきたりな童話のシーンといえばそうなのだが、個人的に好きだったのは焼き尽くしているのが母親のヒミということだ。
戦争で言えば爆撃機もしくはアメリカをイメージするその役割を、空襲で死ぬ予定の母親がやっているのだ。本人に悪気は無い。良かれと思ってやっている。将来の生命のために、今ある生命を焼いている。その先には因果応報のような結末が待っている。このバランスが面白い。
アオサギの弱点は羽根である。アオサギ自身がそう言っていた。羽根を見せられると慌てた雰囲気になる。そんな中唐突に羽根が裂けてしまう。しかし何も起こらない。心の中で突っ込んだ人は多いんじゃないだろうか。
弱点が本当だったのか嘘だったのかはよくわからない。眞人もアオサギもそれに言及しない。そう、この時点で2人はすでに仲良くなっていて、弱点ゲームをずっとやっていたのだ。懐かしい気持ちになった。
ここまではフラグが立ったのに何も起こらなかったというものだが、産屋に入ってはいけないという制約は、入った後に知らされた。今度は過剰な罰を受ける。もはや謎なレベルだ。このシーンは最も現実に近い。よくわからない知らない人が考えた謎ルールで特大の罰を受けてしまう事が現実にはたくさんある。
眞人はそんかセリフを心で叫んだかもしれない。眞人には同情するが、そうやって大人になっていくんだよ、頑張れ!と応援したくなる。これは眞人の成長ストーリーだ。現実というファンタジーの中でどう生きていくのかを考えさせる。構造が面白い。
この叔父さんは可哀想だ。理想的な世界を自分が維持していると思っている。私のおかげであと1日保つ事ができる。そう言う使命感を持って積み木をしてたらしい。しかし、彼の努力は誰も知らないし、現実世界には何も影響を与えていない。そのことに本人は気がついているのだろうか。ぶっちゃけ小学生でも悪意のない積み木を積み上げても理想的な世界にはならないことは容易にわかるだろう。
その後、ファンタジーの世界が崩壊しても、世の中は変わらなかった。戦争が始まりやがて終戦する。1人の想像力、努力だけでは世界は変わらない。そんな世界でどう生きるか。そんな事を考えさせられる。眞人の目にはどう映ったのだろうか。尊敬、軽蔑、哀れみ、複雑な感情があっただろう。
ファンタジー世界の崩壊と、終戦後の家族の様子を見れば、メッセージは全て受け取った気持ちになった。もうこれ以上のメッセージはいらない、そんなタイミングでのエンドロール。たまらん!
皆さんはどのシーンが好きでしたか?
嘆かわしいことだ。
子供向け漫画雑誌は相変わらずウンコの話をしていて、少女雑誌はイジメの話をずっとしている。
老若男女が誰かの悪口を言い合い、それを健康的な雑談だと思いこんでいる。
何が楽しいのだろうか。
モラルに縛られることを拒否することにより自己効力感を回復しようとしている?
下品さそのものを求めればそれはヒートアップしてより過激で非常識なことを求めるようになる。
全裸で人前に出るのは犯罪だが、ピアノで股間を隠してチンコで鍵盤を叩くのならば許されることをビッグアイディアとして褒めたたえる幼稚な遊びだ。
そうやつてギリギリを攻める行為に対して、禁忌だとか挑戦だとかのやたら仰々しい価値を持ち出して過大評価をしあうのをやめろ。
度胸試しなんてのはそれをするぐらいしか価値を証明する手段を持たないワテクシへの自己憐憫でしかない。
そんなことをすればかえつて自分達が傷つくだけだ。
その傷への癒やしを下品さに対する賞賛で補おうとすれば、いつかは裁判所に辿り着く。
そこに待つのは法による裁きと、さんざん持ち上げてきたはずの人間からの冷笑軽蔑嘲笑侮辱である。
下品さの高めあいは、無責任なチキンレースでしかなく、そこに本当の友情や尊敬が生まれることはない。
イッキ飲みで人を殺したり、パワハラで人を殺したり、ネットリンチで人を殺したり、そうやって殺し合うことの何が楽しいのだろうか?
「下品なのはテメーの方だーヒャッハー」とコメント欄で下品な袋叩きにあったので、最後の一行を削りました。
不本意ながら韓国に住んで2年近く経つけど、竹島はどっちのもんだから始まり、慰安婦や植民地、そして今回炎上の発端となった大震災のこと。日常的に言われてきた。
それほど多くの老若男女が、当たり前に発言してくる。2割は悪意がない。から余計にタチが悪い。
あまりにもフランクにけなしてくるので感覚が麻痺していたみたいだ。
Twitterで炎上を知ったときは、「あぁ、やっぱりこんなに怒るべき発言だったんだ」と考えさせられた。
とある人から同じように福島を馬鹿にされた。当時私は福島からはほど遠いところに住んでいて被害はなかったものの、津波に流される家が映る映像を見たときの衝撃と悲しさと無力さは忘れてはいない。小学生の時の記憶だ。あれだけの事故をどうして馬鹿にできるのか。私は韓国が(実体験により)心底嫌いになったが、決してセウォル号を馬鹿にしようとは思わないし、馬鹿にする人がいるならば軽蔑する。
あのような発言をする人間が、決して一部ではないことを知ってほしい。体感では6割だ。某YouTuberに関しても、炎上させようと、売名しようと、そんな目的で発した発言ではないと思う。日本人女子たちが大好きな韓国アイドルもまた、声に出していないだけで同じである。彼らに道徳なんて概念は存在していないのだ。
どれだけ歴史の話を避けて話をしようとしても、必ずどこかで突っ込んでくる。歴史に限ったことではない。「パナソニックは落ちたよね、今はやっぱりサムスンとLGが~」。「日本は安い国になったよね、物価も安いし円も落ちたし!」。日本という国を、けなして、下に見ないと気が済まないんだと思う。たかが22歳の日本人たった一人を相手にだ。年齢は関係ない。若くても言ってくる。某YouTuberも20代だろ?
ハイボール専門店、日本式居酒屋、たこ焼き屋、お好み焼き屋、鉄板料理屋、寿司屋、おまかせ料理、ユニクロ、無印、ダイソー、AV・・・アニメは言わずもがな。最近はサンリオが狂ったように人気だな。彼らが愛してやまない日本文化だ。(尚、味も見た目もクオリティも日本とは別物)
彼らは口を開けば「日本旅行は大好きだよ!ごはんも美味しいし。歴史以外はね!(笑)俺らが一番いやなのは中国人だからさ(笑)」という。が、いざ中国人を前にすると、日本ほど歴史を知らないので特に何も言わない。日本人を前にすると、餌を見つけたかのようにウキウキとする。何度も言うが、年齢関係なく言ってくる。若いやつもだ。
その発想が既に病気なんよな
増田がコミュニタリアンもどきなら理解できなくもないがおそらくは違うでしょ
患者は大きな業績という空想(圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること、名声や影響力をもつこと、または素晴らしい恋愛を経験すること)にとらわれています。自分が、普通の人とではなく、自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えています。患者はこのような並はずれた人々との付き合いを、自尊心を支え、高めるために利用します。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は過度の賞賛を受ける必要があるため、患者の自尊心は他者からよく思われることに依存しています。このため、患者の自尊心は通常は非常に壊れやすいものです。患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており、自分がどれだけうまくやっているかを吟味しています。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は、他者による批判、また恥辱感や敗北感を味わう失敗に敏感であり、これらを気にしています。怒りや軽蔑をもって反応したり、荒々しく反撃したりすることがあります。または、自尊心を守るために、引きこもったり、表向きはその状況を受け入れたりすることもあります。患者は失敗する可能性のある状況を避けることがあります。
診断
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには、以下の5つ以上に示されるように、自分の価値についての過大評価、賞賛への欲求、共感性のなさが持続的に認められる必要があります。
- 自分の重要性や才能について、誇大な、根拠のない感覚を抱いている(誇大性)。
- 途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または素晴らしい恋という空想にとらわれている。
- 自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている。
- 無条件に賞賛されたいという欲求をもっている。
- 特権意識をもっている。
- 目標を達成するために他者を利用する。
- 共感性に欠けている。
- 他者を嫉妬しており、また他者が自分を嫉妬していると信じている。
- 傲慢かつ横柄である。
5年前、同居している親父がアルコール依存になり病院へ強制入院させた。
その時の親父は完全におかしくなっていて、お酒を飲むことを辞めさせようとすると暴言を吐いて暴れた。
最終的には家出して夜中に突然家に帰ってきて暴れたりと地獄のような毎日を送った。
その結果、親父をアルコール依存病棟へ強制入院させることになった。
兄貴と親戚のおじさんに助けを求め、近所の公園で親父を捕まえて病院へ行った。
病院には事前に連絡していたのでついたらすぐに対応してもらった。
アルコール依存の病棟というと檻に囲まれた何もない部屋というイメージかもしれないが
実際に窓には檻がついていた。
収容されて数日は暴れる人がいるのでそういう部屋に通されれるらしい。
孫たちは元気かな?といった内容だった。
この段階では、正直もう一緒に住むのは難しいと思っていた。
家には3歳と1歳のこどもがいたし、奥さんにも自分の親のことでこれ以上迷惑をかけることはできない。
でも家族で何度も話し合い、親父が心から反省して自分の人生を変える覚悟があるのなら
もう一度だけ信じようという話になった。
入院期間は三ヶ月
その間に、親父とも何度も話した。
親父はまさか一緒にまた住もうと言われると思ってなかったみたいで
僕の奥さんにもその覚悟を今までのことを謝る手紙を書いてくれた。
「おそらくまた飲酒する可能性は高いと思ったほうがいいです。しかし監視ではなく観察し、最終的に断酒ができるようにすることが重要です」
とアドバイスをもらった。
対立の関係ではなく、一緒に断酒を行う仲間として支えていく支援の関係性が重要だった。
それから親父は頑張っていた。
健康的な生活を行い、家族のために自分ができることを率先してやってくれた。
孫たちも成長して幸せなじいじになっていた。
断酒が長いと少しでもアルコールが入ると顔が赤くなって分かる。
でも僕らは監視せず観察を続けた。
親父はきちんと病院に通い、一度アルコールを飲んでしまっても常習的飲酒にはならなかった。
親父は僕が知る限りもう3年くらい断酒できていると思う。
歳はとったけど以前よりも元気で明るくなった。
つらいことがあった時に飲酒し、苦痛が和らぐと脳が「酒を飲むと苦痛から開放される」と認識する。
それを繰り返すことで飲酒が苦痛を和らげる手段に変わっていく。
しかし、次第に依存していき、苦痛がなくとも酒を飲むこと自体が目的に変わってしまう
回りが監視し軽蔑し不信に陥ると強いストレスを感じ、それがまた飲酒に繋がってしまう負のループが親父にはあったのかもしれない。
https://togetter.com/li/2174753
この人のTwitterアカウントを「AVアカウント」と断定している人がいる。
この人がゾーニングに関して配慮は足らなかっただろうという点については私も同意するが、「AVアカウント」という言い方はフェアではないと思う。単なる「個人アカウント」であって、「エロ専用アカウント」として機能させるつもりはないように見える。
大学教授や企業経営者など、実名アカウントを持っている人は少なくないが、そこで最新ゲームの話をしたり、政治の話をしたりするのは、「悪いこと」なのだろうか? その人にとっては、「自分自身」というものの全てが、引き裂くことの出来ない有機的な繋がりの中心にあるのではないか。
私個人は割と複数の顔を使い分ける方が好きだからその気持ちはよくわからないけど、少なくとも世間のみんなが私と同じだとは全く思えない。自分の名前と顔に紐づいた、自分という全てが、一つのアイデンティティとなって切り分けられない人は大勢いる。それが普通だろう。
そうした現実を都合よく無視して、「切り分けられるものを切り分けていない。ただの怠慢だ」と悪魔化して、気持ちよく叩ける「純粋悪」を捏造している連中のことを私は軽蔑する。
「たとえ耐え難い苦痛を伴ったとしても、歯を食いしばって切り分けなければならないものがあるのだ」と堂々と主張するべきだ。それに関しては私も賛同する部分がある。
世の中悪人が多すぎる
特に自分の子供を性的虐待するクズは理解できないこの世に必要のなさすぎる悍ましいクズだが、悍ましいことに世界中に大勢溢れている
何故自分の子に欲情しないように進化しなかったのだろう、人間は
こういうクズは最初から生まれてこないように過去改変したら、平和な素晴らしい世界になるのに
悪人達の生まれる前に遡って、一人残らず生まれる前に死なせて、素晴らしい世界にしたい
その悪人どもの母親はかわいそうだけどぶっちゃけ悪人どもを育てた責任があるし、悪が世界に解き放たれるよりマシ
性犯罪者
性被害にあった娘に「お前が悪いんだ!お前は汚れている!」と言って虐待した恐ろしい母親
友達を独占したいがためにその友達の悪い評判を流して孤立に追い込み精神を壊した挙句見捨てたクズ
妹を脅して援交をさせ妊娠させ、世間から軽蔑させ、自殺に追い込んだクズ兄
こいつらがいなければ、被害者の計り知れない苦しみは生まれなかった
悪人がいなければ世の中滅びる?滅びればいい。
小学校までは男女隔てなく仲良く遊んでいた同級生達が中学に上がると、学ランに黒ズボンを履いた男子と、ブレザーにスカートを履いた女子に別れ、以前と全く違う人物かの様に急に振る舞い、お互いの間に透明で重厚な壁を立てた事がまず一つの原因だったと思う。
そしてまた別の理由は初めての恋。
仲の良かった女子の恋愛相談に乗っていて、彼女が好きな男子に振られると急に手の平を返して僕に好意を打ち明けてきた。その心変りの早さに僕は内心軽蔑した。
しかし、その頃物事を深く考えていなかった僕は、彼女の好意にロマンティックにも応える事にした。
放課後誰も居ない教室に二人きり、夕陽が窓から強烈に差し込む真っ赤に染まった教室の中で彼女に「付き合おう」と応えた。
顔は太陽と同じ様に真っ赤に染まっていたのに、その時の心情はただただ寂寥であった。
それは多分、自分自身でも心の内の声に気付いていたからかもしれない。
初めての彼女ができたものの、僕は具体的には一体何をすれば良いのか分からなかった。
恥ずかしさと面倒臭さで彼女と一緒にする登下校も拒否していた。
すると、どうしてそうなったのか直接的な原因は知らないが、彼女は一度告白をして断られた以前の男子といつのまにか付き合っていた。僕はその事を周りの同級生から人伝手に聞いた。
彼女と付き合う事を口言したわりに具体的な行動を示さなかったのは自分だ。
だから振られてしまっても仕方が無いのに、僕は自分でも驚くほどその事実にショックを受けていた。
気が付いたら学校に行くのが嫌になり不登校をし、家に居るのも何なので近所の空き地で身を隠して一日の大半を過ごしていた。
どうして自分は彼女に振られてショックを受けたのかをその時にじっくり考えた。
自分でも気付かない内に彼女の事をとても好きだったのだろうか。
彼女と付き合ってから変に意識し過ぎてよそよそしい関係にしかならなかった。
彼女の好きな男子の話しを聞いて軽く意見を述べたり二人で盛り上がったり。
彼女の話を聞く為に交換日記まで使って日々やり取りをするほど異様な時間を共に過ごした。
どうして僕はあんなにも心が躍っていたのだろうか。
そんな事を考えたり、空き地で飽きたら周りの人にバレない様に近所を散歩していた。
そしてある日いつも通り空き地で漫画本を読んでいる時に気付いた。
その時持っていた漫画は女友達に借りた少女漫画だったが、その中の主人公の女子と同じ様な感覚が、初彼女と共有していた感情にとても似ていた。
カッコイイ男の子を見てドキドキして、彼と話したくてでも話せなくてそんな状態にハラハラする。
漫画の登場人物に感情移入をする様に、彼女を通して僕は恋をしていたのだ。
そこまで考えて愕然とした。
僕はあの男子が好き?
もし僕が彼を好きだったら、僕は同性愛者なのかもしれない。
そういった行為が異常だという事は子供の頃からテレビや周りの人の反応で何となく認識していた。
なのに自分が異常と呼ばれる人間になるのかと思うと正直戸惑ってしまいよく分からない。
考えれば考えるほど自分は同性愛者なのでは無いかと疑問が湧いてくる。
それを確かめる術も同性愛という世界に対する知識を得る手段も何も無い。
男は女を好きになるものだ。それが当たり前とされてきた。
中学校の体育教師も「男は男らしくあれ、女は女らしくあれ」と、それがお前の遺言であれと思うほどに皆んなの前で説教していた。
周りの同級生達はアホ面を下げて遊んでいる。
その中の一人がすれ違いざまに「どうしたん?学校嫌になったん?」と声をかけて来た。
そして教室に入ると振ってきた彼女が何か言いたそうに暗い顔をして僕を見ていた。
その彼氏は僕と目を合わせない様にしているのが分かる。
僕が学校に来なくなったのは二人が原因だと彼等や周囲に意識されるのが癪で、負けず嫌いな僕は意地でも学校に行く様になった。
学校には行くし授業は真面目に受けるし周りの同級生とも普通に話していた。
でも心に虚無感を抱かない日は無かった。
同級生と下らない話の笑いに付き合えば付き合うほど、作り笑顔が上達すればするほど、心に抱えた虚しさは膨らみを増し、日に日に腹の中で闇が深まるのを感じた。
一連の出来事があった彼氏彼女とは学年が変わりクラス替えの為すぐに離れ離れになった。
彼と毎日クラスで会わなくて済む事に僕は心底救われた。彼もまた彼女に振られたようだ。
そんな彼に意外な言葉をかけられたのは冬のある日だった。
教室にあるストーブで温まっていた僕の隣に静かに彼が腰を下ろした。
その頃には挨拶程度は交わすものの会話という会話は避けていたので僕は気が気では無かった。
僕は何を言われたのか一瞬分からなくて答えに窮した。
それから彼は部活の話とか、教室で流行っているカードゲームの話を僕に振ってきた。
何となくどもらずに答えられた気がするが細かい会話の内容はハッキリとは覚えていない。
話している内に変にテンションが上がった僕達は他愛も無い話でバカみたいに盛り上がった。
彼の好きな女子の話は聞きたくないし、誰が誰を好きとか興味も無かったので僕は急に静かになった。少しの沈黙があって彼が小さな声で、でもハッキリとこう言った。
「お前が女だったらな」
…一瞬、頭が真っ白になった。
しばらくの沈黙の後、僕の頭の中に浮かんできた言葉はこうだった。
(俺は女じゃ無いし)
何故か怒りの様な感情が湧いた様な気もする。
それから僕達がどういう会話をして、その後どういう行動に移ったのかよくは覚えていない。
ストーブの熱のせいで頭がボーとしていた。
暖かくて明るい教室の雰囲気の中で僕の心だけが冷え冷えとしていた様な気がする。
そして自分の感情に蓋をして深く考え無い様にするしか術は無かった。
クラス替えをしてからは仲の良いクラスメイトに恵まれて楽しく過ごしていたし、1年生の頃の苦い思い出も自分に芽生えた小さな疑問も一先ず考え無い様に努めた。
こうやって自分を少しずつ殺していく日々が始まった。
自分を少しずつ取り戻していく日々の話はまた別の機会に。
#PRIDE月間
「女性ソロキャンパーへ話しかけに行く男性について日本単独野営協会が思うこと(https://tandokuyaei.com/2257/)」というお知らせに、このような文がある。
ずいぶんと主語が大きくいかにも分断を生みそうな書き方であるし、この団体の評判についても何か言われているが、それとは別に「これはヘイトスピーチなのかどうか」が気になった。
「法務省:ヘイトスピーチ、許さない。(https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html)」という記事にはこのようにある。
例えば、(中略) (3)特定の国や地域の出身である人を、著しく見下すような内容のもの(特定の国の出身者を、差別的な意味合いで昆虫や動物に例えるものなど)などは、それを見聞きした方々に、悲しみや恐怖、絶望感などを抱かせるものであり、決してあってはならないものです。
「ヘイトスピーチを理解する:ヘイトスピーチとは何か | 国連広報センター(https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/48162/)」という記事にはこのようにある。
「ある個人や集団について、その人が何者であるか、すなわち宗教、民族、国籍、人種、肌の色、血統、ジェンダー、または他のアイデンティティー要素を基に、それらを攻撃する、または軽蔑的もしくは差別的な言葉を使用する、発話、文章、または行動上のあらゆる種類のコミュニケーション」
これらの説明には「誰に対して」は書かれているが、「誰が」は書かれていない。それで次のようなことを疑問に思ったのだが、実際どうなのだろうか。
でも今3人の子供がいて、子どもが大好きで、子どもほど素晴らしいものはこの世にないとさえ思う。
親は楽しそうに子育てなんかしてなかった。
貧乏な親で、共働きで、いつも疲れていて、勉強でいい成績とることしか興味を持ってくれなかった。
私は有名大学に入って、読モやって、有名企業に就職した。バイトで稼いだ金でバックパックしたりもした。
それなのにいつも、心の中に「自分は役に立たない」「自分は邪魔もの」という思いがあった。
特に恋愛関係で、冷たかったり気に入らない態度をとられると話し合いや歩み寄りもできず、極端に攻撃的になるか連絡を一切取らないという方法をいつもとっていた。
今にして思えば、恋愛や友人関係がうまくいっているときは、子どもが親にするみたいに甘えた。顔を触ってみたり、わがままをいって甘えたり。
今子どもがいて、その行動の理由が分かる。私はずっと、親を探していた。
30歳になって、海外企業に転職して2年ほどたった時、自分の人生に飽きていることに気付いた。
もう遊びつくした。前頭葉の発達も止まって、みるものすべてが輝いていた季節は終わった。
保育園に預けて、なるべく子どもと過ごさないようにしようと思った。
それなのに、1人目が2歳くらいになってから、子どもがいかにまっすぐで真っ白で、これ以上ないほどの幸せと愛を呼び起こす存在なのかを知って、すっかり人生勧が変わってしまった。
きっと親も私と同じように愛情を十分に受けずに育ってきた。
愛情を受けないで育ったものは、それがなにかを知らずに生きる。
私はたまたま大学時代に教育心理学の授業で愛着障害という言葉に出会って、その時からやんわりと自分の育ちに違和感を持つことができた。
顔のかわいい、出来のいい子どもじゃないとほしくないという人。
ふっと心が別のだれかのためにつかわれてたがっていることに気付いたことはないか。
アイドルでもなく、ペットでもなく、宗教でもなく、ボランティアでもなく、
30も過ぎて親や生まれのせいにしてうまくいかないことを嘆くのは、自立してからの約10数年に何も積み上げませんでしたと言っているようなものだ。
親のせいにして子どもをためらっている人もう一度考えてほしい。
この世界のどんな友情も恋愛も、かかわればかかわるほど、愛が増す人間関係は存在しない。
大人の持っているエゴを大人自身に突き付け、自分に構え!とあらゆる手段で挑んでくる。
たくさんの愛情と献身、そんなことをやってるうちに、40を前にした今、自分の人生がだんだん空っぽになっていくのが分かる。
そしてその空の部分がとても気持ちがいい。
自分の欲望しかなかったその空間に、別の誰かが入ってくる余裕があるということ。
これほどに、年を取ることの意味があるだろうか。
もちろんとても大変だ。追いつめられたり、感情的になることだってある。
でも、それ以上にとても素晴らしい存在だ。
そんなに言うならまずは自分らが総括したらどうですか?
あんたの話で言うならVtuberと統一協会関係があるとデマを垂れ流したりとメチャクチャなことしたよね?
統一協会はそんな関わることも許されないレベルの団体だって主張してるだからさ、
そんなのと関わってるデマは差別主義者デマとも比べ物にならない悪質な行動で間違いないよね?
それに対して何にも行動しないって結果は総括しないわけ?
ちなみに格差を肯定するChatGPTちゃんは増田の主張をそのまま繰り出すぞ
アメリカ社会ではフィジカルワーク従事者を指差して親が子どもに『努力しないとああなるよ』というのが一般的なんですか?ChatGPTの主張に従えばそういうことになります。 一般的にはそういう教育をする人はクズと呼ばれます 2ドル以下で人を働かせるOpenAIは違うのかもしれません
ChatGPT 私は一般的な見解や社会的な評価を反映する立場ではありませんが、親が子供に対して「努力しないとああなるよ」という教育をすることが一般的にクズと呼ばれるかどうかは社会や文化によって異なります。
ただ、とりあえず謝っておけみたいなコミュニケーションパターンなので、とりあえず謝りはする
でも何度生成してもWワークして収入増やせばいいじゃんとか転職しろっていうね。アメリカって怖いわ
それともフィジカルワークやいわゆる単純事務をしていても生活ができる日本が特殊なのでしょうか?フルタイムなら生活必需品を買えますし、余暇を過ごすことができます。 ただし、すべてのフィジカルワークと事務で老後の心配がいらないとはいきません。と言うか大企業以外の社員と公務員以外は退職金がないためかなり厳しいです。
ChatGPT 日本の労働環境や社会保障制度は、一部の国と比較して特殊な要素を持っていると言えます。日本では、フルタイムの雇用において一定の収入が得られ、生活必需品を購入し、余暇を楽しむことができる場合があります。 ただし、すべてのフィジカルワークや事務の仕事が将来の安定や老後に十分な保障を提供するわけではありません。特に大企業以外や公務員以外の場合、退職金や充実した年金制度の提供が少ないことがあります。そのため、個人が老後に備えるためには、自己責任で貯蓄や投資、保険の活用を検討する必要があります。 各国の労働環境や社会保障制度は異なるため、一般化することは難しいです。ただし、多くの国や地域では、個人が将来に備えるために自己責任を持つ必要があります。これには貯蓄や投資、保険の適切な利用、キャリアの見直しなどが含まれます。また、社会全体で労働者の福祉や経済的安定を重視する政策や制度の整備も重要です。 最終的に、個
日本ではスーパーの店員や介護従事者に転職したら?低賃金なんだからなんて傲慢なことを言うのは一般的ではありません
ChatGPT 申し訳ありませんが、私の以前の回答が誤解を招いたようです。私の意図は、低賃金の仕事をしている人々に対して軽蔑的な態度を示すことではありませんでした。フィジカルワークや介護従事者など、重要な役割を果たしている職業の人々に対して敬意を表します。 私が伝えたかったのは、個人が収入や将来の安定について心配する場合、努力不足を主張するのではなく、適切な支援や政策が必要であるということです。低賃金の仕事をしている人々が経済的に安定し、生活必需品や老後の備えを十分にすることができる社会を実現するためには、政府や雇用主、社会全体が取り組む必要があります。 私の回答が不快な思いをさせたことをお詫び申し上げます。これからもより正確でバランスの取れた情報を提供するよう努めます。