はてなキーワード: 電子工作とは
身バレを防ぐために少し事実と異なる点があります。ご了承ください。
→店長になりました
そのことについて後悔はしていないが、私のことを反面教師にしてほしいので文章を書くことにした
20代女
高専卒
1回留年した
という点から、学校以外で人と会話をする機会を作るためにバイトをしようと考えた
そのときV系にハマっていてたくさんお金を稼ぎたかったこともあり風俗嬢になった
キャバ嬢もやってみたかったが、実家住みだったため夜間の外出ができず断念
風俗嬢の感想なんてネットで調べればすぐに出てくるので、高専生らしい視点の感想を何点か書く
これくらいだと思う
一緒に働いてた女の子たちがわたしの周りの高専女子にいないタイプだったので、待機所で女の子と話すのも楽しかった!
いろいろなお店を渡り歩いた結果、今も働いてるデリヘルにおちついた
コミュ力は、0が1になってもまだまだ社会生活を送れるレベルではなかったようだ
でも、「辞めます」って言ったら、店長に「デリヘルスタッフやらない?」って誘われた
高専生ならプログラム書けるよね?ってことでデリヘルのwebサイトの更新とかをすることになった
仕事を辞めようと思った
なかなか休みが無い中でも、数ヶ月に1回程度デリヘルスタッフとしてwebサイトの更新はしていた(辞めようと思ったが時給が良くって…)
デリヘルの店長に「仕事辞めたいんですよねー。今転職先探してるんですよー」と言ったらデリヘルスタッフになった
webサイトの更新からバナー作り、デリヘル嬢の宣材写真の加工などなど、パソコン関係全部やってる
とても楽しい
でも、福利厚生とかが何も無い
ということで、デリヘルスタッフ辞めるために転職活動をしてます
店長をしつつ、嬢とおしゃべりしつつ、webページ作ったりしてます。
写真撮影はプロに頼むけど、加工とかはできるので、バナー作ったりとかも自分でやっています。
給料めちゃくちゃ良いし、ちゃんと休みがあるし、楽しく過ごせています。
これが私の数年間です
特殊な例であって欲しい
最初に書いたように後悔はしていない
だが、あまり人に自信を持って語れるような過去ではないので、これを読んだ現役女子高専生は真似しないようにしてほしい
人に言えない過去はなるべく減らそうね!!
身バレ防止対策だなんて思いませんでした。確かに。当時のスタッフありがとう。
趣味読書は、中学まで読書が好きだったのでなんとかなりました。
「高校と大学は勉強忙しくて全然本読めてないの~」って言ってました。
高専卒、その辺まじめなのでw
家事手伝いとかですかね(白目)
まじめに言うと、ダミー会社に勤務していることになってるので、たぶんどうにかなるかなって思います。
低学年のときに寮に住んでいたので、当時は実家暮らしでしたが住民票に「〇〇高専 学生寮 転出」みたいなことが書かれててバレました
いろいろ苦戦中です。
地方の弱小ではないけど、そこそこの店です。
風俗街の大きなグループでイメクラ嬢として働いたこともあるのですが、すごいですよね。
そっちはちゃんとweb系の担当の人がいて、高専生のバイトなんてお願いしない…
珍しいですが、たまにいますよね。
ちょっとPCできれば、短時間で高収入!私にアプリ開発教えてくれればもっと給料はずみます笑
さすがに死ぬまで店長するつもりはないので、どうにか昼職に戻れる知識を身に着けたいと思っています。
俺はハード屋(無線工学系)になりたかったんだけどなれなかったのでしょうがなくソフト(システム)屋になった。
今更ハード屋にはなれないけど憧れるなぁ。
いてもやっぱりデジタル系(マイコン系かロボット系か)だからアナログ回路をやるようなのはほぼ絶滅状態なんじゃないかな。
数学がネックになるのかも。
ちなみに一部の天才は除くとして「若い奴でも技術力は高い奴」ってシステム屋ではそれほど訳に立たないよ。
学問の延長ではなくもっと泥臭い世界なので、やっぱり経験が必要なので若者がバカにするような40~50代のプログラマって
やっぱり困ったときに頼りになる。(役に立たない老害も多いことは認める)
OSやミドルウエアとかそういう世界では優秀な人間は若くてもそれなりに力を発揮すると思うけどごく少数だろうからね。
どうでもいい話を申し訳ございませんでした。
出社前に書いて,翌日の朝みたら
なんか凄まじい数のブックマークとコメントを頂いてしまったようで
こういう事を知りたいぞという意見が多そうな内容について追記します
追記する内容は
勉強した結果ついた職種についてどう思っているのか・今どう感じているのか?
になります
中学時代は適当に授業を聞いて提出物を出すだけで私はトップの成績でしたし
周りの塾に行っている連中に負ける気は全くありませんでした
その上,成績に対して褒めて貰えるのは周りの友人達だけでしたから
高専に入って
数学や物理,化学,電気回路,電磁気,4力なんて科目が始まりました
例えば中学時代の数学の証明であったり,微積の計算の仕方であったりに
クラスのみんながなぜ質問をするのかが理解できないし,それに時間を取られるのが凄まじくイライラしました
そして高専に入学してからの3年間は勉強に熱を入れることもなく
テキトーに講義を聞いてまあクラスの10番くらいに入っていました
そして,傲慢な私は必至に勉強をしているクラスの皆を見下すような視点を持っていたと思います
そんな状況や価値観がぶっ壊れたのが親に学費を自分で払えと言われて
一時期成績が下がったこと
他の連中にできるはずのことで負けているという事実に我慢がならなくなりました
誰も褒めてはくれません
他の人から頑張っているなあとか言われても同情されているようにしか感じません
成績でも負ける,経済力でも負けるそんな状態でいるのは耐えられないと感じました
じゃあせめて私の臆病でちっちゃな自尊心を満たすためには
奨学金を借りて,つまらない勉強で負けなくなることが必要だと感じました
それでちゃんと勉強をするようにやっとなりました
そのあとなぜ,大学に進もうと考えたのかですけれども
一度成績が下がったり,奨学金を借りなければならない状態になったことで
私は自分がどうしようもなく考えが足りず,弱くて,無力な人間であると感じていました
また,親の考えに従って,自分の考えを持たずに高専に進学したことを後悔していました
私は何が得意で私は何をやりたいのか?
それがまったく分かりませんでした
部活で人とコミュニケーションを取って,みんなで何かを達成するにのは楽しい
何をして,どんな仕事につけば自分を認めれるのか全く分かりませんでした
そして少なくともつまらないと感じている,高専の教員の言う『技術者』になることは正解ではないと
私は考えました
できればいろんな学部があって,いろんな人がいて,いろんな歴史のある大学がいいと考えて
進学先を選らぶことにしました
自分の住所を持ちました
クレジットカードを持ちました
他の学部の友人ができました
色んな人と話して
色んな人とお酒を飲んで
色んな世界があるって知りました
私がこれまで見てきた世界は
親父が買ってきた半額の鱈で家族みんなで鍋をつついたり
PSPを改造してみたり
日本橋の何に使うのかわからないような電子部品を売っているお店で色々買ってきて電子工作してみたり
寮で麻雀や酒を飲んでみたり
大学に入って
色んな勉強をしている人と会って
自分と同じくらい勉強ができる人でもたくさんの考えかたで勉強し続けていると感じました
部活動やサークルでも高専のころとは違う世界を見ることができました
文化祭の規模の違いとか
歴史や人の強さを感じながら
それをやっている皆が,勉強して努力しながら自分のやりたいこととも両立させているように感じました
全てが違います
研究者になりたい人たちにとって
今現在の工学分野の研究において弱い研究室に行く理由は1ミリも存在しないでしょう
また学部で時間があるときに,3社ほど企業のインターンにも行きました
やる気満々の学生が集まっていて刺激を受けました
その仕事をほんとにやりたいを思っていると感じることができました
私がこういった世界を知ることができたのも
工学に本気で取り組んでいる,学生やポスドク,助教などといった人たちは
凄く面白い人たちで彼らの信念や考え方に触れることができるお話を聞いたりお酒を飲むことはすごく楽しいことでした
けれども私がやりたいことが何なのか分かりませんでした
結局大学院まで来ましたが,私は何をやりたいかわからなくてここまで来たのです
私はずっとそれを逃げていると感じていました
世の中はやりたいことを見つけて生きている人たちがいます
地元で美容師に坊主や大工やとび,車のディーラーなんかをやって
彼らが大好きな家族や仲間と過ごし
みんな高専の同期です
みんな大学の同期です
私は彼らが羨ましい
彼らだって思い悩んで生きているはずです
自分だけが思い悩んで生きてるわけじゃないことはわかっています
でもわからないのです
自分が何をしたいのか
自分が何をしたら後悔しないのか
緊張紛らわすためにワインを飲んで
その結果,
就職活動の時期になっても私にはまったくどの企業に入りたいとか
どんな風なことをしたいとか
そういうのがなかったのです
たくさんの企業を受けました
どんな製品を作っているとか
売上高の大きさとか
でも説明会に行っても
生きているのかわからないわけです
同期や指導教授からもそろそろ決めたらどうだと言われても続けました
いろんな会社の方に褒めてもらいました
いろんな企業があっていろんな職種があっていろんな生き方があるみたいでした
インフラストラクチャーを整備して世の中を支える?
どれも魅力的ですどれも面白そうです
インフラより給料が高いし,実家に近い位置でも働けるかもしれません
でも文系で社交的な生活を4年間続けてきた上澄み相手に戦えるでしょうか?
でかいことをやりたい気持ちはあっても命を差し出す危険性もあります
インフラは絶対潰れないし,自分の時間を他の職種よりも多くとれそうです
でも給料は少ないし,転勤も多く,同じ仕事が続くかもしれません
渋っていると何回か懇親会を開いていただきました
そこで実際にどのような人がどのように働いているかをお酒の席でお聞きしました
まあ囲い込みの為にじっさいよりもマシマシで説明をされたとも思います
そのうちのある企業の課長さんが何度も勧誘にきてくださいました
その人にまあ4時間かけて私がどんな風にその会社に向いているのか熱弁していただきました
またその企業なら私が面白くないと思ったときにやめれるしやめた時の転職にも有利だということ
起業やMBAやらの取得についてもうちの会社なら有利だということ
そして何よりもその会社の業界ならば色々な他の業界との付き合いがあり
色々な世界が見えると熱弁されました
私はその会社に行くことを決めました
そこまで私が欲しいと思われていることもうれしかったですし
こんな感じで私の就職活動は終わりました
少なくとも後悔しないだけ努力して,自分で選ぶ為に選択肢を増やすことはできたと思います
それに土日にアルバイトもしなくていいです
ただ社会人になって不味いと思っているのは目標が見えずらいということです
それが社会人だとすごく見えずらいです
なんで目下の目標は結婚とあと社内のMBA選抜?とかいうのに受かることでしょうか?
ただ私としては恐らく結婚が私の人生の中で最大の難易度になるんじゃないかと思っているんですけれども
まあ恐らくこの会社に入ったこと自体は成功であったと感じています
なのでまだまだ中学・高専・大学・大学院の同期には追い付けていない気がします
最後に
このような長文を読んでいただき本当にありがとうございます
自分でやりたいことに対してそれに耐えるだけの体と頭を与えてくれた両親に感謝しています
私の書く稚拙な文ではあるんですけれども
たくさんの意見を書き込んでくださって,いろんな意見と出会えることになって
よかったと思います
自分の親父は超大手電機メーカー(日立、東芝、ソニー、パナソニック、三菱電機、SHARP、のどれか)で自称技術者をしている。
でも僕はそんな親父をすごく情けないと思う。
技術トレンドには疎く、DIYなんかで自分で何か手を動かそうという気配もない。
読む本と言えば部下を育てるだとかドラッカーだとかの名前の啓発本ばかり。
正直、本当に情けない。
生まれてこの方、数学の楽しさだとか科学の話題だとか語ってくれたことがない。
円周率がどうして無理数か、人工知能の話題、脆弱性を突いたウイルスの話題、レアメタルの重要性と使われ方、電子工作の話、化学の話、
たぶん親父はこういうことは全くわからない。知ろうともしない。
今まで何話したっけ。
酒に強くなれ、スーツのウンチク、発展途上国の成長やばいとかだっけ。
結果的に飲み会多い会社嫌だ、スーツ着る仕事嫌だ、家電メーカーやばいってイメージだけ残った。
プログラミングは全く知らないという。知ろうという気配もない。
パソコンには疎く、スマホも使わない、ルーターの設定も人にやらせようとする。そもそもルーターって何って感じ。
唯一電球の交換だけは得意。
だぶん自ら何かを作ることはできないんじゃないかと思う。
でも冒頭にも言ったように超大手メーカーの自称技術者。しかもなにかしら部下を動かす立場のエンジニアだ。
きっと、中国語ができて部下を育てられればいいんだろう。
現在僕は社会的にも給料的にも父親の会社の同世代より低い立場にあるが、上も下も技術的な話題に貪欲な人たちに囲まれて楽しい。
120Hz倍速は間違え!UPQとDMMが4K 65/50型モニター仕様を誤ったワケ。対応に差、背景に景表法の新ルール【詳報】 - Engadget 日本版
http://japanese.engadget.com/2017/04/25/upq-dmm-4k-120hz/
エンガジェット日本語版のUPQフォロー記事のタイトルで「間違え」が使われており、日本語としてどうか、とのブコメも見られます。
間違う? 間違える? | ことば(放送用語) - 最近気になる放送用語 | NHK放送文化研究所
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/057.html
「間違う」の名詞化が「間違い」、「間違える」の名詞化が「間違え」であり、
名詞としてよく使われるのは「間違い」の方でありますが、「間違え」もまちがった日本語ではありません。
しかし、「間違う」と「間違える」の微妙な意味のちがいを考えると、
2つのものを取り違えてしまった「間違え」ではなく、正しくない状態である「間違い」の方がよりふさわしく、
使用頻度の低い「間違え」をわざわざ使うのは間違えといえるかもしれません。
津田啓夢 × ブービン @boobyn 12:20 - 2017年4月26日
ポツポツ反響をチェック。やっぱり外野が騒いんでたんだなという印象。その外野をどう取り込めるかがUPQの課題でもあるけど、一気に飛び越えることもあんのかもしれない。いずれにせよ、エンガジェ電子工作部の出身者は積極的に応援していきたい
まるで俺が書いたのかと思ったが、帰宅部だし、高校も推薦じゃなくて一般で入ったから違ってた。
俺も4月から高3になる者だが、おんなじ悩みだよ。大学進学に向けて勉強しようと思って高校入ったけど、最初のテストで毛躓いてレベルの低いクラスに入れられたことから駄目になったね。
努力できないのは周りの環境のせいもあると思うよ。環境っていうか尻叩かれないと走り出せないタイプ。
今は電子工作に興味があるんだけど、なかなか一冊の本が読み終わらないのよな。しかも文系クラスに入ったもんだから理系学部には進めないのはほぼ確定。
親は専門学校に行くぐらいなら働けっていうしさ...。多分来年の春には家から追い出されてるだろうな。
勝手に自分語りしてすまんかった。まぁ言いたいことは、努力っていうより目標がほしいんだよな。
図書館行ってみるといいよ。モニターに向かってたって興味は湧いてくることなんてないしさ。今まで読んだことない本とか雑誌とか読んでみるといいね。
私(♀)は今、北日本のどこかにある某システム会社でシステムエンジニアをしています。
小さいときからパソコンや電子工作が好きで、高校卒業後は情報系の専門学校に入学しました。
飛びぬけて優秀というわけではありませんが、進学の推薦に困らない程度の成績は維持していました。
「私子ちゃんの成績なら進学なんでしょう?」「私子は進学のほうが向いてるよ」と周りからは言われました。
私も進学したいという気持ちがありました。
親に相談したところ、母は「ダメとは言わない。進学するなら奨学金を借りてほしい」と言いました。
父は「四大を卒業した女はすぐに結婚して辞めると思われる。四大なんて女が行くところじゃない」と言いました。
父が言うならそうなのだろうと思いました。
今のシステム会社に入社し、同期の1人と一緒に運用系の部署に配属されました。
学生時代はCやJavaの基本について学んではいましたが、その部署ではプログラミングをすることはほとんどありませんでした。
代わりにLinux,TCP/IP,ネットワーク構築の技術が求められました。
LinuxやTCP/IP,ネットワーク構築は初めて見る知識で先輩が教えてくれる業務をこなすのに必死でした。
一緒に配属された同期は性格の明るさと器用さでどんどん仕事を覚えていき、私と差がついていくのがわかりました。
同期と差がつけられるのが悔しかった私は、勉強をはじめました。
そのころ、我が家は祖母の介護をめぐりよく父と母がけんかしていました。
母が「殺せ!殺せ!私を殺せ!」とはさみを持ってよく叫んでいました。
私と弟が母親をよく羽交い絞めにして止めました。
祖母は、父に対しかなりの毒親っぷりを発揮&クソトメであったため、介護も大変だったようです。
喧嘩を見なければいいと思った私はよく図書館で勉強していました。
その秋のAPは落ちました。
配属されて1年ほどたったころ、私はある女性(40代、既婚)の下で働くことになりました。
以下おばさんと呼ぶことにします。
「なぜわからないの?」「かんがえたの?」「もう1回調べて」とよく言われたので、言うとおりにしました。
厳しいなぁと思いましたが、私の成長を思ってしてくれているのだと思いました。
自分なりにがんばってみるものの、つき返される日々がつづきました。
そのうちに、夜眠れなくなりました。
毎日倦怠感がありました。
「仕事 がんばる 方法」「仕事 落ち込み 立ち直る」でぐぐることが多くなりました。
いろんなにきび治療方法を試したので、にきび治療に詳しくなりました。
元気出す系のドーピングアイテムにも詳しくなりました。(レッドブルからプラセンタまで)
ある日、おばさんが言いました。
「あなたを見てるとイライラするのよ。あなたの成長なんて知ったこっちゃないのよ。さっさとやってよ。」
土日出勤・給料未払いというブラック企業勤めの弟が居たので、相対的ホワイト企業勤めの私がうつ病、ちゃんちゃらおかしかったのでしょう。
夕食のときに、父が「会社を休むのなら学校にでも行け」といいました。
私はおもわず泣きました。
「飯がまずくなる」と父にしかられたため、自分の部屋で食べました。
休んでいる間の家族の目がつらかったので、1ヶ月で仕事に復帰しました。
「つらかったら半日で帰ってもいいんだよ」と上司(男性、おばさんとは別人)に言われましたが、家に帰ってもろくなことがないので、定時まではたらきました。
そんな中、弟が交通事故で重傷を負いました。
弟は障害者手帳を持つようになりました。
用事があり作りませんでした。
弟は帰るなり私を殴り、「なぜ俺の飯がないんだ」と叫びました。
さすがに理不尽だと思い親に訴えました。
母は「あの子はやかんみたいな子だからね。すぐに沸騰するのよ」といいました。
その後親から弟にお叱りがあったようです。
弟は私に会うたびににらむようになりました。
親に言いつけたことへの報復が怖くて、夜は自分の部屋の扉に、机やいすでバリケードを作って寝ました。
APは5回ぐらい落ちました。
親の怒号や弟の報復におびえることなく勉強できる場所がほしいと思いました。
実家暮らしで、うつ病で趣味もなくなっていたので、お金はありました。
親は、一人暮らしをすることについては何も言いませんでした。
隣の部屋のおじさんの声、車の音がうるさかったですが、親の怒号や弟におびえた日々に比べたら天国でした。
好きな時間にご飯が食べられる。
好きな時間に帰ってこられる。
以上です。
都会は高次産業が多いから。すると機械や自然よりも人との接触が増えるから。人が多いほうがビジネスしやすいから。
電話やテレビ会議でなくface2faceの打ち合わせじゃないと納得しない人が多いから。すると遠いと会いに行けないから。
家が遠く2時間もかけて通勤する人もいるので、始業を早くするズレ勤も難しいから。
一時期フレックスが流行ったが、人によって居たり居なかったりすると連絡が取れないことによる業務の滞りが発生するので廃れた。
逆に地方は通勤時間がそんなに長くないので、地方支社との連絡が取れる時間帯を増やすためにも、あまり勤務時間帯をズラせない。
電子工作が必要な業務やっていると秋葉原が近いと何かと便利だから。たとえばテレビの現場系の人とか。
今日、久しぶりにラジオをつけっぱなしで作業をしていたら、堀江由衣のラジオがやっていた。まだやってたんだ!という発見をしてしまい嬉しかったが、同時に尋常ならざる懐かしさが胸を襲った。
オープニング曲を聴いたら一気に10年分の時が巻戻ったような気がして、全身清々しい空気が満ち溢れた。楽しかったころを思い出して気持ちが高まった。しかし、特段キッカケもなく、現実に引き戻される。自分が終わり無き日常を生き、道に迷っていることが思い出され、悲しい気持ちでいっぱいになった。
あれは、中学生のころ、僕はアニラジが大好きだった。なぜ好きだったのかと問われれば理由は分からない。中学生独特の家庭の内外で抑圧された鬱屈した気持ちのはけ口だったのかもしれない。当時はインターネットも使えなかったので、ラジオを窓辺に置いて手当たり次第にラジオを聴いていた。改編期の新番組スタートで堀江由衣の番組が始まったときにたまたま聴いていた。アニメが見れる環境ではなかったので声優という仕事は知っていたが、どんなアニメに出ているかは知らなかった。番組はたどたどしい喋りで進行していたのを覚えている。いま振り返って見ればアイドルのラジオってこんなもんだよね。
当時は、堀江由衣のラジオを聴くのがよっぽど楽しかったのだと思う。ナイターシーズンには野球を親の仇と言うほど恨み、番組を決して聞き逃さぬように遠距離受信で聴いていた。確か、文化放送、東海ラジオ、ラジオ大阪の3局でしたっけ、東海ラジオが文化放送より一日早く放送するので土曜の夜は必ずラジオの前に居たなあ。遠距離受信を確実に綺麗に聴くために、徹夜で外付けアンテナを自作したり電波の伝わり方を調べたりして、今では考えられないくらいの情熱で勉強して行動していたっけなあ。修学旅行にいくときにはどうしてもラジオを録音したかったので、市販のタイマー装置を改造して特定の曜日だけ録音できるように電子工作したりもしたなあ。文化放送と韓国のラジオが同じ周波数で混信を起こすので、どうやったら除去できるかを試すために庭に穴を掘って電極を埋めたり、巨大なアンテナを作ったりもしたなあ。親には何でこんな大掛かりなラジオが楽しいのかと聞かれたけれど、声優のラジオを聞くためとは答えられず、「んー。外国のラジオを聞くため」なんて言い訳していたなあ。
その後は、ラジオ好きが高じてソレ系の専攻を進んでいくところまでいってしまい、人生の方向性が決まってしまった。いま思えば、人生に影響を与えた人は堀江由衣ということになってしまうのか。それも発言や行動を通してではなく、ラジオで放送したという事実で。
今M1.
D進するつもりで進学してきたけど諦める.
僕は,自分自信の学問の興味を,「人生賭ける」ものに昇華できなかった.
それどころか,今まで勉強してきたつもりだったけど,僕の勉強はただ正解を頭にねじ込んでいただけだった.
専門やってきたつもりだけど,色んな分野からただつまみ食いしていただけだった.
僕はコミュニケーション能力というやつを,20代前半も1/4が終わるまで,全く磨いてこなかった.
おまけに,自分自信で考える力も,同じくらい長い間磨いてこなかった.
正直に言って,D進どころか,就職できるかどうかも怪しい.でもやるしかない.
ずっと昔,僕は勉強に走った.
小中といじめられ続けた.高校は,極力深い人付き合いを避けて,何とか乗り切った.
これじゃダメだと思って,大学ではバイトやらサークルやら試してみたけど,結局全部ダメだった.
少しでも,せめて勉強だけでもと思って,無謀なカリキュラムを組んでみたけど,
結局,それなりに見かけは良さそうな成績表以外,何も身に付かなかった.
何からなんでも片っ端に頭をねじ込む勉強法じゃ,時間が全然足りなかった.
ずっと思ってたよ.「何でこんな目に」って.
勉強に走っても,良い点を取っても,褒められたことなんて一度もない.悪い点とって,一週間毎日,夜遅くまで叱られたことはあったっけ.
中高のときに,プログラミングや電子工作をやってみたこともあったけど,
「金になるものを作れ,金にならないものなんか作ってるんじゃねぇ」って言われ続けて,辞めてしまったんだっけ.
いつからか,良い成績が出るたびにほっとするようになったよ.「これで当面は何も言われない」って.
ネットの世界じゃ,「ゆとり」とか「精神が未熟」とか「こいつらが日本を滅ぼす」とか言われ続けたし,
大学入ったあたりからは「優秀な留学生に比べて日本人は」とか「日本人はもう役に立たない」が加わったかな.
実際,過去問も過去レポートも共有して,単位だけとる学生がたくさん居てね.
「こんなことをしたらいけない」って思って,「少しでも優秀にならなきゃいけない」って,自力で挑戦してみたよ.
あのとき,身の丈にあった挑戦してれば,今こんなことになっていなかったんだろうか.
もう,「惨めに死にたくない」以外,何にも望みなんてない.
それしかないから,「惨めに死なずにすむこと」に,有意味感を見出すしかない.
いつになったら「死にたくない」って考えなくて済むようになるのか分からないけど,
やるしかない.
発声練習の人のブログは,厳しいことも書いてあるけど,参考になることがたくさん書いてあって,とってもありがたい.
何より,僕が20と数年悩み続けた能力は,訓練すれば多少改善することを,はっきり示してくれた人を始めて見た.
今まで,てっきり天性の素質で,もう変えられない物なのかと思ってたよ.
これから何とか,足りないスキルを少しでも身に付けるしかない.
もう「学部4年ならこれぐらいやらなければ」とか「修士1年ならこれぐらいやらなければ」とか,
「今の専門を徹底的に研究することに,人生を賭ける」だなんて,「将来ウルト○マンになる!」みたいな絵空事,言ってる場合じゃない.
一方で,「この歳で面倒かけてるなら,もう一生このままだし諦めて死んだ方がいい」なんて考えてるのもダメなんだ.
今,僕ができる最善の手を打つしかない.
匿名だと分かってても,怖くて仕方ない.
よくアニメやゲームの暴力シーンやエロシーンが子供に悪影響をどうこうって話あるよな。
ネットじゃ脊髄反射的にそんなバカな話があるかって反応帰ってくるけど、
そんなことをふと思ったのは、修論発表会も終わって、ちょっと余裕できたからアニメでも観ようと思って、
TUTAYAでふしぎの海のナディアを全巻借りてきてオールで一気見したから。
やっぱこれ名作。
25年も前の作品とは思えない。
OPで真っ青な空を背景に白鳥が画面内に飛び込んでくるシーン、
「あ、美しいってこういうことなんだ」
と子供ながらに思った、あの気持ちが鮮やかに蘇った。
もし小学生のころに、ナディアを観なかったら、今の自分は無いだろうな。
ジャンを見て、そうか、こういう男が物語の主人公になるんだ、と思ってから、電子工作にハマって今に至る。
一方、俺の隣で毎週一緒にナディアを観ていた妹は、ナディアみたいな女になりたいと思ったのか、
自分は卑弥呼の生まれ変わりなのだと思い込んだらしくて、家中に謎の呪符を貼り付けていたが、
気がついたら不登校児になっていた。
最近はマイルドヤンキーだかなんだか知らないが、そういう文化圏で男にサファイアを貢がせている。
これはこれで立派なもんだ。
俺達は極端な例かもしれないけど、やっぱり子供の頃に観たアニメって子供のその後の人生に多大な影響を与えると思う。
でもそれは、ただの暴力描写とか、残酷描写とか、そういうんじゃなくてさ。
ようは、感動、なんだよな。
自分に感動を呼び起こしてくれた何か、が子供に影響を与えるんだ。
ごく平凡な子供は滅多なことじゃ感動しないだろ。
「感動」を取り締まればいいと思うよ。
「道具はこちらで用意する。その代わり必要なものは自分で作ってくれ」みたいな感じ。
家賃や管理費、ネット料金や光熱費などコミコミで月々2万円ぐらいで暮らせるのを目指したい。
道具は使い放題なので工夫すればどんな家具も好きに自分で作って使える。
ジャンク品をヤフオクで買って修理して使えば格安でなんでも手に入る。
スキルが上がれば修理を仕事にしても良い。シェアハウスだからDIYや電子工作のスキルも情報交換できる。
本人のやる気次第だが、ものすごく早いペースでスキルは上がっていくだろう。
車は軽トラックを1台ぐらい用意したい。住民なら格安か無料で利用可能。
人数が増えてきたら普通乗用車も用意できると生活がもっと楽しくなりそう。
こんな事を妄想していたのだが、意外と実現できそうな気がする。
車で20分程走れば、まあまあ大きな地方都市がある場所がベスト。
敷地内に建材に使える木が生えてると助かる。
リフォーム代を100万円ぐらいかけて最新で快適な水回りを用意する。
そして3畳ぐらいの狭いボロい部屋を3つぐらい用意する。(広いドミトリーでも良いかも)
更に広い工房を作る。
最初の住民はこのボロ部屋に家賃4万円ぐらいで住みながら、工房を利用して自分の部屋をコツコツ作る。
ひとりで作るのは無理なので他の住民に手伝ってもらう。自分も他の人を手伝う。
誰が誰をどのぐらいのクオリティで手伝ったかを記録できるシステムがあると良いかも。
(でも案外なにもなくても信用さえあればうまく回りそうな気がする)
最低限の建材の費用はこちらで用意する。それでは足りないようなゴージャスな部屋を作りたければ自分でお金をかける。
どんなにゴージャスな部屋を作っても、自分で作った部屋に住む場合は6畳ぐらいの広さで賃料2万円ぐらい。
(敷地の広さには限りがあるので部屋の面積で賃料を変えるのが良いと思う)
防音性能をひたすら上げて部屋で楽器演奏やカラオケし放題にしても賃料2万円。
部屋を退去する時は、部屋を鑑定して、それに応じたお金を支払う。
次に住む人はその部屋のグレードに応じて相応の家賃を支払う。
その部屋を自分でグレードアップさせたら、それに応じて家賃を安くする。
こういうシェアハウスを作れば、勝手にシェアハウスの資産価値が上がっていくし、
何より、なんでも自分でできるんだという自信を持ちながら、資本主義にしばられない生活をおくるのは楽しそうだ。
追記:
なぜシェアハウスにしたいのか?
これはシェアハウスで良い感じに生活した体験が無いと分からないと思う。
一緒に生活しているとコミュニケーションのハードルがすごく下がる。
例えば何か聞きたいことを思いついた時にすぐに誰かに聞けるというのは大きなメリット。
これが別々に生活してると、わざわざ合う場をもうける必要があるし、その場で思いついたことしか聞けない。
シェアハウスで普通の生活をしていても、この恩恵はかなり感じるが、クリエイター系の場合はこれが更に顕著になる。
こんな記事がYahoo!ニュースのトップに上がっているのを見て、
「昔は俺もそうだったなぁ。。。。」と感慨に耽ったわけであるが、
まずは結論ファースト。
「安いキャバクラに行け」
駒込や巣鴨と言ったややマイナーな駅や、八王子・立川と言った西の方がオススメである。
以下、その理由について説明していく。
「キャバクラとは、キャバクラ嬢と呼ばれる女性が客席に付き接待を行う飲食店。」(Wikipediaより)
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小学校 → 共学
とまあ、「女子が1割もいるのか!!」という驚き方をするような
「あーあー、チャラ男はイヤだね」
と自己欺瞞しつつ、内心忸怩たる思いを抱えて幾星霜・・・オッサンになっちゃった感じである。
そんな自分が、社会人になって合コンに行くようになっても、まあ盛り上がらない。
「仕事は−?」「うけつけー」「そうなんだー。大変そうだねー。」「そうだねー・・・」「・・・・・・・」
という感じで、いつのまにか、6名の飲み会での話しの中心が自分のいない側に徐々に移動していく。
自分ははじっこの方で、ビールをあおる頻度があがり、中心の話題に合わせて笑うだけ・・・
みたいな感じで、あふれ出るキョロ充ボッチ感がハンパなかったのである。
「そんな自分も安キャバメソッドを3ヶ月続けたら、雑談力に自信が出てきて、周囲に明るくなったと言われました。
また合コンとかでも軽妙なギャグを飛ばせるようになり、女子からもメールの返信がくるようになりました。
おかげで、仕事もばりばり進むようになり、上司にも気に入られ、今度銀座のクラブに連れて行ってもらえる事になりました!
閑話休題。
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さて、ここでなぜ安い(やや場末感のある)キャバクラが雑談力向上に有効なのか?
キャバクラなら、女子が雑談を盛り上げてくれるんじゃ無いのか?
甘い。まず安価場末キャバクラで働いている子は、雑談力とか0である。
あまつさえ「私はキャバクラなんかで働きたくないのにー」というオーラむんむん、なんて人さえいる。
隣に座って「こんばんはー」「こんばんはー」「・・・」「・・・」
といきなり雑談力が無い理系男子にとっては手痛い先制パンチを食らわされることもある。
まあ、安価場末キャバクラにいる、という女子にはそれなりに理由があるわけである。
誰かしらが話題を提供してくれる。
それにフンフン頷いたり、ネタに合わせて笑っておけば、大体なんとかなる。
ところがキャバクラは1対1のサービスを売りにしてるので、基本はサシ飲みである。
しかも相手は、「なんちゃら巻き」みたいに髪をモリモリ盛った、化粧ばっちりの女の子である。
理系男子としては、「え・・・ちょっと」と言いたくなるし、場合によっては畏怖の対象である。
その子達が何の話しに興味があるか、なんてのはかなりの難問である。
当然、思考は空転し、沈黙が続く。しかし誰も助けてくれない。。。。
そうなったら雑談力鍛錬環境としては勝ちであり、雑談的には勝負の始まりである。
まずはベタだと思いつつ、天気ネタから始まり、出身地、趣味、出かける場所、すきな映画、芸能人、来ている洋服・・・・
などなど会話をつなぐ、盛り上げるための様々なネタを繰り出し、玉砕し、ヒットし、たまに会心の一撃を出し・・・・
というのを繰り返していると、段々雑談力がアップしてくる(はずである)
ちなみに、自分が色々と学んだのは、
・「趣味は?」と聞かずに、「休みの日は何をするのが好き?」と聞いた方が趣味的なものが聞き出せる
・相手のことを聞き出したら、次に自分についても話す
・たまに自慢話を混ぜる
などなどである。
結局は、いかに「他人に甘えられず、自分でどげんかせんといかん状況」を作り出すか、つーことですよね。
私は今はコンビニでバイトをしている。つまり、フリーターという身分だ。
正直、私自身が働くことにも興味が持てないし、今は特にしたいこともない。だから、べつに何もしていない。
振り返れば、自分の努力不足で興味を持ったことも出来ず、ただ大学を就職予備校と勘違いして淡々とこなしていた。
そんな私も大学院1年生のこの時期に就職活動をすることになった。
だいたい、大学のOBが来て、うちの会社を見に来てくださいと説明をしてくれた。
その時、あるトヨタ系の会社に私は興味を持った。トヨタ7大子会社(うろ覚え)の1社だったと思う。
私は志したモノもなかったので、日立やその子会社の会社を推薦という方式で受けた。
他にもESを申し込んだ大手会社はあったが、だいたい最終面接か2次面接で落ちた。
その子会社の最終面接を受けるとき、人事に必ず受かるので来てくださいと言われた。
その時はそうなのかと思った。
受けに行くとそこの取締役員にボロクソに叱責され、これが世に言う、圧迫面接かと思った。
そんな中、私はずーっと待ち続け1か月後問い合わせたところで、お祈りメールを貰った。
就活というイベントの中でとくに入りたい会社もなかったが、私はこの年齢になって、やっと挫折というか
周りの学生が大手といわれる会社に内定していくの見て、競争からの脱落者であることを悟った。
それからは鬱というか、やる気がなくなったので、毎日プログラムを書いたり、電子工作をしていた。
ある時期研究室の博士課程の学生から、このままだと論文報告を教授が認めないという内容の一報を受け
大学に通うようにした。
それからはその先輩と毎日泊り込みでデータとシミュレーションの突合せを行った。
そこで分かったことは、3月11日の本震が来るまでに実験器具が異常な数値を示しはじめのだった。
なぜ、そうなるのかは分からなかったが原理を推測することはできた。
もしかするとこれは大震災を予知する技術になるんじゃないかと思ったが残念ながら
教授は確かにその通りかもしれないが、もしそんなオカルトちっくな研究を発表したらこの大学の名誉に関わると
して、見なかったことにした。
それ以後、その研究がどうなったか知らない。とりあえず、ciniiで今検索したらそれらしき報告はなかった。
日本の社会で脱落した以上、日本という社会で働いていこうという気持ちも自信もない。
いずれ、インドに行こうと思っている。そこで技術者として働きたいと思ってる。今は口先だけだ。
日本の理系学生が既卒となってこういう思いを抱いている人も少なくはないのではないかと思った。
前半の就活の話と後半の研究の話に因果はないが、もしかすると若者だけでなく、技術も日本は少しづつ捨て始めてるのではないかと思う。
技術や人と若者を捨てた社会がどういう行く末になるのかは知らないが、ただなんとなく、上手くいかなそうなのは知識がない私でも感づく。
高校で数学の授業に虚数が登場したとき、真面目に学ぼうとしなかったんだよね。なんか机上の空論から生まれた概念みたいに思えて。
結局テストで点を取れる程度のことだけ覚えて大学を受験し法学部に進んで普通に就職した。その頃には虚数という言葉は覚えていても、それが何を意味するのかすっかり忘れてしまっていた。
時が流れて30代半ば、最近になって再び電子工作を趣味とするようになった。最近は設計やシミュレーションにPCの支援を受けられるようになったので、まともな教育を受けてこなかった素人文系の俺でも趣味の範囲ならいろいろと設計できる。ややこしい半導体でもミネソタの通販業者あたりに頼めるし、中国の基板屋にプリント基板を製造させても懐に優しい。本当にいい時代だと思う。
でも今になって困ってるんだよね。交流を扱う箇所では計算に複素数を使うから。高校時代に「虚数なんて実世界に関係ない存在だ」と勝手に思い込んでた俺は後悔しまくり。
(あとついでにベクトルも)