2015-11-23

あゝ、懐かしの堀江由衣

今日、久しぶりにラジオをつけっぱなしで作業をしていたら、堀江由衣ラジオがやっていた。まだやってたんだ!という発見をしてしまい嬉しかったが、同時に尋常ならざる懐かしさが胸を襲った。

オープニング曲を聴いたら一気に10年分の時が巻戻ったような気がして、全身清々しい空気が満ち溢れた。楽しかったころを思い出して気持ちが高まった。しかし、特段キッカケもなく、現実に引き戻される。自分が終わり無き日常を生き、道に迷っていることが思い出され、悲しい気持ちでいっぱいになった。

あれは、中学生のころ、僕はアニラジが大好きだった。なぜ好きだったのかと問われれば理由は分からない。中学生独特の家庭の内外で抑圧された鬱屈した気持ちのはけ口だったのかもしれない。当時はインターネットも使えなかったので、ラジオを窓辺に置いて手当たり次第にラジオを聴いていた。改編期の新番組スタート堀江由衣番組が始まったときたまたま聴いていた。アニメが見れる環境ではなかったので声優という仕事は知っていたが、どんなアニメに出ているかは知らなかった。番組はたどたどしい喋りで進行していたのを覚えている。いま振り返って見ればアイドルラジオってこんなもんだよね。

当時は、堀江由衣ラジオ聴くのがよっぽど楽しかったのだと思う。ナイターシーズンには野球を親の仇と言うほど恨み、番組を決して聞き逃さぬように遠距離受信で聴いていた。確か、文化放送東海ラジオラジオ大阪の3局でしたっけ、東海ラジオ文化放送より一日早く放送するので土曜の夜は必ずラジオの前に居たなあ。遠距離受信を確実に綺麗に聴くために、徹夜で外付けアンテナ自作したり電波の伝わり方を調べたりして、今では考えられないくらいの情熱勉強して行動していたっけなあ。修学旅行にいくときにはどうしてもラジオを録音したかったので、市販のタイマー装置を改造して特定曜日だけ録音できるように電子工作したりもしたなあ。文化放送韓国ラジオが同じ周波数で混信を起こすので、どうやったら除去できるかを試すために庭に穴を掘って電極を埋めたり、巨大なアンテナを作ったりもしたなあ。親には何でこんな大掛かりなラジオ楽しいのかと聞かれたけれど、声優ラジオを聞くためとは答えられず、「んー。外国ラジオを聞くため」なんて言い訳していたなあ。

その後は、ラジオ好きが高じてソレ系の専攻を進んでいくところまでいってしまい、人生方向性が決まってしまった。いま思えば、人生に影響を与えた人は堀江由衣ということになってしまうのか。それも発言や行動を通してではなく、ラジオ放送したという事実で。

  • 追記 そういえば、昔はラジオの内容を全文書き起こししている人がいたなって思って検索したら、まだあった。 すげえ。と思いつつちょっと引いた。十年間も情熱が続くって凄いこと...

    • http://anond.hatelabo.jp/20151123025130 知ってる人挙手! ラジオはアメリカン。

    • ファン18年やってて参加イベント300回でもまだ飽きない。 堀江由衣のファンをやって、結婚できたし正社員にもなれた。 底辺だった自分に人並みの人生を与えてくれたほっちゃんに感...

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