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はてなキーワード: 木々とは

2024-01-19

から公園で談笑してた老男女

夫婦じゃなかった。

こっちは小さな子供連れだったけど、「俺の孫は〜」「私の孫は〜」と別々に話をしてきた。

ベンチに風呂敷広げて水筒など出して話していて、準備して会っている感じ。

そのうち「そろそろ行きますか」と立ち上がり、鳥や木々を指さしながら帰っていった。

デートなのかな?朝っぱらからというところを見るに、お互い日中は何らか立場があるんだろうな。

2024-01-01

anond:20240101173828

液体というよりは回避不能な縄跳びとか鞭とか表現した方がいいのでは

ほいで足取られて水中に引き摺り込まれたら

波が巻き込んだ建物とか車とか木々などのガラクタで体の至る所を折られて身動きできなくて

上下左右も分からんし轟音がひたすら聞こえて現場把握できない恐怖のまま息が苦しくなって何もできないままこときれるんよな

冬の川が冬っぽく見えるのはなぜだろう

水の色が深い青に見える

木々の葉が落ちて枝だけになっているから?

それとも冷たい風が僕の頬を撫でるから

2023-12-21

anond:20231221175157

美的感覚って広告だけで形成されるものではないと思うのよ

例えば日常生活の中で夕暮れ時の空のグラデーションを観たときだったり、紅葉した木々を観たときや春に咲き誇る桜を観たとき自然に心に湧き上がってくる気持ち

あるいは義務教育美術で習う芸術だったり、美術館で観る絵だったりさ

物心ついてから触れてきた幅広いもの美的感覚に結びついてる感覚

2023-12-10

自分の心をときめかせるもの

 自分の心をときめかせるもの

 

 最近の私は、通勤中にフロントガラスの向こうに見える、雪を被り始めた日光連山のことが大好きだ。宇都宮は、この夏にライトレールが走り始めて、時代最先端を謳う街だけれど、中心部から少し離れたら畑や田んぼが広がり、その向こうには山がよく見える。よく澄んだ晴れた日に、山の色と形がくっきりと現れているのも好きだし、やや曇った日に、冷たい空気の向こう側で薄ぼんやりと広がる山並みも、これはこれで素敵だなと思っている。

 

 遠くから山を眺めるのも好きだけど、近づいてみるのも、また良い。紅葉の最終シーズンを迎える栃木では、山に近づくと、赤、橙、黄色に葉を色づかせた木々があちらこちらに散らばっている。先週は、宇都宮から那珂川町の方まで行ってきたが、山間を走れば走るほど、ああ良い季節だなと思った。日が落ちるのが早くなって、山は16時には夕陽に照らされるわけだけど、より一層赤みを増した紅葉もまた綺麗。車を降りて、そんな景色を楽しんでいるうちに足元が冷え始めて、それで冬の気配を感じるのも、好きな時間だ。

 

 毎日早起き億劫だし、仕事も大変だけど、こういう「ときめき」チャージをこまめにすることで、人生ってなんか、なんとなく愛おしいなと思い、どうにか過ごしている。

 みんなにも、自分の心をときめかせるもの、何かあるかな

2023-11-22

人里離れた山奥は居心地が良い

山や木々流れる川を眺めてると心が酷く落ち着く。

普段は都会と呼べる場所暮らしているが、常に何かに急かされているように感じる。

たくさんの情報に触れている、というのも一つの原因だろうか。

行き交う車、人がすし詰めとなった電車、道を歩く人の群れ。仕事では8時間以上パソコンの前に座り、仕事関係者とのやり取りをメールメッセージツールで延々と続ける。

仕事が終われば終わったで、SNS動画サイトぼんやり情報を見つめ続ける。就寝しようとベッドに横になっても、気がつけばスマホを触って取り留めなく情報を探している。

脳が、心が落ち着く暇がない。

プライベート時間パソコンスマホを触るのは自業自得ではある。だがそれもストレスから逃避行動だ。情報に触れすぎて疲弊したストレス情報を眺め続ける。スマホ中毒PC中毒と呼ばれる症状なのだろうが、冷静に考えてみると末期感が半端ない。まるで泳ぎ続けなければ死んでしまう回遊魚のようだ。

  

そんな風に家ですら心が安まらないので、街から離れ自然の近くまで来た。

少し長めの休みを取って。

寂れた温泉街は良い。人も車も少なく、営業している店も少ない。刺激が少なく、やることもない。精々が温泉に入るか、散歩をするくらいだ。

ぼおっと、ゆるやかに時間流れる

沸き立つ源泉の湯気や、しとしとと降る雨粒を眺めていると、どれだけ心が疲弊していたかに改めて気付く。

ずっとこうしていたい。働くことに、普通の人として生きていくことに疲れた

そういった生き方もあるのだろう。臆病過ぎて、今の生活から離れることが出来ないけれど。

他の人達はどう耐えているのだろう。苦しくないのだろうか。凄いなぁ。

  

こんなゆったりとした時間子供の頃にも過ごした覚えがあるな、と記憶を掘り返してみると思い当たる思い出があった。

あれだ、正月祖父母の家で、こたつに入りながら面白くもない正月番組を見ていた時の時間の流れかたと似ている。当時は退屈で仕方が無かった時間を、こんなにも貴重に思うようなるなんて。随分と歳を取ったものである

2023-11-05

街路樹(植え込み含む)は全廃しろ

街路樹あるじゃん。あれほんとなくなればいいと思ってる。木だけじゃなく植え込みもなくなってほしいと思ってる。以下理由

1.歩道が狭くなり、歩行者の円滑な通行を妨げる。

2.根が歩道路面を隆起させることにより転倒による怪我事故リスクが上がる。

3.(運転手目線で)視界が遮られ事故リスクが上がる。

...

経験談で恐縮だが以前歩道を徒歩で通行中に後方から接近してきたクソチャリに死ぬほどベルを鳴らされた挙げ句に舌打ちされたことがある。その歩道一定間隔に植込みがあるのだがクソチャリが接近してきたときはちょうど植込みがあり歩道の幅が1メートル程度に狭くなるところだった。追い越したいクソチャリと避ける道理はない歩行者自分)による状況においてクソチャリが前述のベル攻撃をしてきた。

まあ、クソチャリが道交法(正確にはわからんが察してくれ)違反してベル鳴らすマナー違反が悪いのだろうが、それよりなにより歩道の幅を減らすほどの植込みがなければいいんじゃね?とも思うわけよ。

頭の足りねえクソチャリは掃いて捨てるほどいるわけだし、脳みそツルツルなクソチャリにイチから教育していくなんて時間予算いくらあっても足りないなかで、とりあえず歩行者安全を脅かす遠因でもある植込みを無くせば(同様に街路樹も)少しは安全になるんじゃないかと思うわけで。

あとさー車の運転でも街路樹邪魔でクソほど危ない目にあうことあるじゃん。よく見ろとか言われてもそもそも物理的に見えないものをどうしろ

街路樹があることでのメリットってなんなの?思いつく限りだと

1.景観、美観

2.植木屋が儲かる

3.地方自治体植木管理する連中に仕事ができる

ぐらいしかなくね?これ市民メリットある?安全犠牲にするほどのメリットなの?

まあ、100歩譲って都心都内ではない)のような木々のない所にはあってもいいよ。よくないが、まあいい。

だが、少し視線を上げれば雄大な、木々が生い茂る山々が見えるような地方歩道街路樹や植え込みは必要なのかと問いたい。いらねーよ。

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追記

なるほど日陰ねー。たしか信号待ちのときに日陰があると便利だ。でもそれは交通安全犠牲にするほど重要もの???ちなみに俺は今年の夏から日傘を導入したがあれほどいいもんはないと実感した。永久に日陰がついてきてくれる。マジおすすめ

緑化はCO2の吸収源として有効と言っているけど、それって歩道に植えなきゃだめなん?まあ排ガス発生源(車)の真横に植えるのが効果的に思えるけど地球規模で考えるとどっかの土地にまとめてドカッと植えたほうが効果ありそうじゃない?それとももはや道路脇にしか植えられないほど土地が無いの?むしろ工場の緑化をもっと厳しくブチかましてやれ。マイカー通勤とか舐めんな。

書いていて思ったけど道路脇ってことは人やモノの活動圏内ど真ん中であって手入れも管理もやりやすいってのもあるのか。は~よく出来てる。植えてハイ終わり!じゃそれはそれでなにやってんの?になるしな。

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まり邪魔なので市に文句言おうと色々調べたら国道に生えてる街路樹は国が管理で、市道町道自治体管理で、自治体の中でももっと小さい区分(◯丁目自治会とかそういうやつ)で管理している場合もあって何がなんだかわからん

2023-10-24

しおき場(処刑場)に行ってきた。

霊山妙見山」にあるしおき場(処刑場)は、大阪では有名な心霊スポットだ。

しおき場のすぐ手前には、これまた心霊スポットである野間トンネル」がある。

一気に2つも心霊スポットを巡れるのだからお得だ、という妙な損得勘定を持ちながら、車を進めていった。

 

野間トンネルは長さ10mもない、トンネルとも言えない規模だった。

トンネルの穴は丸く、ぽっかりとあいた口のようだ。

トンネルライトは消えていた。

車のヘッドライトが照らすコンクリートの白さが不気味で、穴の先はライトで照らしても真っ暗だった。

時速20kmで、のろのろと入っていく。

入った先は、雰囲気が全く違っていた。

 

ここに入るまででも、狭い山道、街頭がほとんどない暗さ、廃墟のような家が不気味で、雰囲気は十二分にあった。

特に「しおき場」に入るために「わざわざ」入った妙見山から特に暗く、これから心霊スポットに入るんだ、という気持ちを高めてくれていた。

だがそれも、野間トンネルの先に比べたら可愛いものだった。

 

トンネルの先は、真っ暗だった。

風に吹かれ、杉だろうか、月明かりに照らされた木々の葉が揺れている。

それだけだが、その静けさ、雰囲気はまるで時間が止まったようだった。

まだ夜の7時なのに、深夜の2時を過ぎているとしか思えなかった。

 

野間トンネルに入って、20~30mほど進んだだろうか、「目的地へ到着しました」とナビが教えてくれた。

だが周囲には何もなかった。

その先の道は狭く、お寺に続いているようだ。

お寺に用はない。引き返してみることにした。

もっと注意深く、何があるかを観察せねばならなかった。

 

狭い山道でのUターンは、神経を削られた。

ここでタイヤがはまろうものなら最悪だ。

なんとかUターンし、ナビを注視しながら進む。

すると、角度の関係でさっきまで見えなかった鳥居が見えた。

隣の妻から、息を吞む声が聞こえた。

「違う違う、たぶんここじゃない」

妻の声は上ずっていた。

「この先?」

「うん」

少し進むと、脇道が見えた。

ヘッドライトに照らされて、小さな屋根のようなものが見えた。

「ここや」

俺がそれだけ言うと、2人とも黙ってしまった。

ここに到着する前は、外に出て探検しようと思っていた。

だが、とてもできなかった。

 

しおき場は、戦国時代、2つの家の諍いを収めるために、豊臣秀吉の名で「両家から農民10差し出して、斬首する」ことから始まった場所だ。

そんな場所に、面白半分で車を停めて中に入ることは、その霊を冒涜しているような気になったのだ。

今更な話だった。

だが今なら、たまたま通りがかった、道に迷った体で帰れるのではないかと思った。

結局、車から降りなかった。窓ひとつ開けなかった。

ようやく窓を開けたのは、山を降り、コンビニが見えた時だ。

地元に着くと、身体の力がやっと抜けた。

緊張が抜けたせいか、頭が痛かった。

妻と2人、車の中で寝た。

 

 

これは先週の出来事だ。

あれからずっと、しおき場のことを考えている。

ゆっくりと車を走らせ、姿を現した野間トンネル

その真っ白な威容、ぽっかりと空いた真っ黒な穴。

その先は異世界のようだった。

今でも鳥肌がたつ。

妻もあの光景が忘れられないのだという。

妻は「しおき場の中を調べなかったから、よけいに怖いのかもしれない」と言う。

それもあると思う。

だが、それだけでもないような気がした。

こうした心霊スポットに耐性がないせいだろうか、非日常に浮かれているのだろうか。

 

トムラウシ山遭難事故」をふと思い出した。

ガイド3人、客15人のうち、8名が死亡した事故だ。

この客の中には、また同じ山に、同じ企業ツアーで参加した者がいたらしい。

登山を愛好する人には、そうした人が一定数いるのだと。

その人の気持ちが、ほんのわずかだが分かった気がした。

それに比べるとお子様もいいところだが。

 

 

 

 

また行こうと思う。

2023-09-26

anond:20230926142613

うちの近くの公園がそれ

何年か前に公園の整備工事があったから、とうとう建て替えるのか!と思ったら

整備したのは木々遊具だけでトイレそのままで

2023-09-12

anond:20230912140418

ツッコミどころ色々有りますな。

ショルダーバッグにお水850リットル


人生の 縮図となりて この小山

木々に薫らす カレーの芳し

カレーと加齢をかけたかったけどもうイミフやな

俳句はよくわからん

・850リットル

俳句って 5  7 5 な、それと季語

2023-09-10

ニコニコ動画の生声実況プレイ動画

https://www.nicovideo.jp/tag/%E5%AE%9F%E6%B3%81%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4part1%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF+-VOICEROID%E5%AE%9F%E6%B3%81%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4?f_range=3&sort=v&order=d

これはボイロ実況を除いたpart1動画の一ヶ月以内の再生数順なんだけど(約ボイロ一件まざっちゃってる)

稲葉百万鉄以外で一万再生越えが一人

数千が5人続き、以降は千再生も行かない。500再生したらすごいレベル

再生も固定ファンがついてる古くからの人ばかりではなく人が人に集っている

実況動画限らずの現象だがジャンルごとに数人の内容関係なく再生される人とその他の底辺が沢山なのが現状だ

よいものができるには沢山の(下手な)人が必要とは言われるが、ニコニコクリエイターはもはやよじ登れるピラミッドではなく10000or10という画鋲の中で暮らしている

この細すぎる糸を登るにはお釈迦様の助けでもなければできないだろう

もちろん、一世を風靡し終わった衰退ジャンルを見て言っているといわれてもしかたないしyoutubeのほうが優れているというわけでもないむしろニコニコのほうが一覧性が高いからこういったジャンルは死んでるが人だけが生きている状況が可視化されているわけだ

コメント流れることや視聴者との一体感などといったニコニコの特徴は全体の特徴ではなくごく一部の高再生動画という狭あい地にぎゅうぎゅうに詰まっている人だけが感じるもの

そして誰もがどうにもできないわけなのだが、それにしても逆転の目すらないのは辛い

ジャンルに人が居ないのでそもそも人目につかない

多少底辺のほかより抜きん出ても、ジャンルではなく人に集っている既存の人気動画が上位を占めているので露出の機会もない

まさに育ちきった木々に阻まれ下草が育つことができない森林のような状況だ

そこに手を入れる間伐のような役割を持つ広告おすすめ順なども機能してるとは言いがたい

視聴者が、そしてクリエイターができることはひたすらにそのときどきの覇権、いや古いか人気ジャンル適応してイナゴのように遊牧することだ

新ジャンル適応できなかった人間は枯れかけた井戸の中で、そして頭上のたっぷり貯水したダムを眺めながら朽ちていくしかないのである

職歴無し35歳無職ワイ、山登りに行き無事疲労

1時間20分ぐらいでサクッと登れる地元の低山登ってきたわ

半袖ポロシャツジャージ

腕にはチープカシオビンラディンモデル

靴はピューマトランスポート

ショルダーバッグにお水850リットルローソンねじパンカレーパンを携えいざ出陣

もうね

階段を一段上るごとに心臓バックバク

そらそうだわ一段毎に片足スクワットするようなもんだしな

数段上がるたびにモンハンのスタミナ切れハンターみたいにゼェゼェ止まんの

俺の横をご老人がスイスイ…でもないけどゆっくり追い抜いていくの

屈☆辱

でもまあなんとか山頂に辿り着いたの

先客が数グループ

見事にいい席取られてんの

淑女と家族持ちは景観いい席でキャッキャキャッキャと優雅ランチ

弱男の俺は隅のベンチでカレーパン

フッ

人生の 縮図となりて この小山

木々に薫らす カレーの芳し

カレーと加齢をかけたかったけどもうイミフやな

俳句はよくわからん

しかしながら頂上で食うカレーパンは美味であった

ローソンカレーパンうめえな

ちなこステマやで昼飯はカレーパンにき・ま・り❤

帰りは砂利でツルッツル

そらそうだわこれ安物舗装路向けランニングシューズもの

危なくてしゃーない

いっぺんスト2ベガの強下Kのスライディングみたいになりそうになって超ビビったの

小幅で足元確認しながらチマチマ降りてくの

その横を仕事デキそうなオッサンスイスイ追い抜いて下山してくの

KUTSU☆JYOKU

お前ら低山とて靴はちゃんとしたもん履いて行けよ

あとリュックorナップザックにしとけ

山を舐めるなッッッ

そんな日曜午前であった

エンジョイユアサンデイ

じゃあの

2023-09-09

夢日記

自分はどこかの学校に通っている。

何の学科か分からないが、何かを調べる授業があり、何故かその調べ物をする場所がとんでもない傾斜の坂の上の山の中にある。

傾斜が凄まじく、自分は途中まで自転車に乗って登っていたのだが進む事すらできなくなり、あまりのことに笑いながら自転車を諦めて脇の空き地に横たえて置いて坂道に縋り付くように四つん這いになりながら道を登り始めた。路側帯白線が何故か普通に帯のように紐のようになっていて握れるので、それに掴まりながら登山のようにアスファルトの道を登っていく。他にも同じ様に山の上に向かっている生徒があり、状況のとんでもなさに苦笑して笑い合いながら目的地に着いた。

山の中腹にある開けた空き地は周囲を木々に囲まれ短い下草が青々と茂っていて、そこに図工室にあるような作業台や角椅子が整然と並んでいる。細部をよく覚えていないが、本類資料?文献?は卓上に置いてあったのかもしれない。本棚は無かった気がする。そこで多くの生徒、教師が角椅子に座り何かを調べたり読んだりしている。

男女の教員、1人はふくよかで豊かな癖毛をした落ち着いた服装の長髪の中年女性、1人は顔色が極めて悪い、短髪で目をひん剥いたようなギョロ目をした和装男性。で、何故か自分その男性の向かい側で古書を見ていて、その古書神社の御由緒のような、神社に伝わる書物の由来が記載された目録のようなものだった。読んでいるうちに、その神社の建立当初、帝から賜った宸翰が今に伝わっていると書かれており、へぇええ〜!!!と顔を上げると、夢なので唐突に、目の前の教職男性の脇に60代くらいの落ち着きのある痩せた神主さんが居て、「持ってきましょうか」と言う。は???凄すぎる、見て良いのか、やべー!!と心中で慌てふためきながら大人しく待っているうちに、夢なので唐突に周囲に人は居なくなり、その作業机には自分教職の白服の男性、少し向こうにふくよかな女性教員けが居て、何故か神主さんが神社に贈られた上等の和菓子をあけて自分男性教職員に出してくれる。

そのひとつをようく覚えていて、それは艶々ぴかぴかとした光沢のある、一つ一つの粒がしっかりとしている黒豆のような茹で小豆あんこ?に覆われたぼたもち/おはぎで、実際存在するのかと検索してみるとそのような物は見つけられなかったのだが、自分が見つけられなかっただけでどこかに存在するのかもしれない、それを美味しく食べた。あまりの旨さにまた感動して目を見開きながら顔を上げて目の前の男性教職員を見ると、わかるぞと言うように相手はうなずき、「本物は内側が7層になっているんですよ」と教えてくれて、こんな小さい和菓子の内側に何が7層も入っているのか気になって仕方がなかった。

夢なので唐突なのだが、我々の机の横手には、自分達が登ってきたはずのアスファルトの急斜面は無く、けばけばしくない、ぼろくもない、使い込まれ年代物の神楽殿があった。開け放たれたそこには、奥の方に木札のような、30センチ程の高さの有りそうな折紙に包まれ書状がいくつか重ねて立て掛けられていた。あまり恭しい扱いとは言えないように見えたが、粗雑に扱われているようでもなかった。そのうちのいくつかを今から読むのだろうか?神主さんが紙を開いて書面を出してくれたあたりで目が覚めた。

艶々黒豆に覆われたあのぼたもち様のなにかが気になって仕方がないが、ぼたもちではなく生菓子かもしれない。

分厚い紙に包まれ書状を調べたら折紙文化、位の高い人々が用いた和紙についてなどのページに辿り着いた。

自分の脳が作った映像の中に、自分が知らない技術文化が折り込まれているのは啓示的でもあり面白い

2023-09-05

空が晴れているのに何故か雫が降ってきて頭にかかった

素早く上を見上げる、公園木々がある

頭にかかった水分に触れて見てみる、色は付いていないので鳥のフンではない

匂いを嗅いでみる、無臭だ、蝉のオシッコではない…か?(匂いはするんだろうか)

そこでやっと、明け方に振っていた雨が、公園木々に蓄えられて、時間差で降ってきたものだ、とする

なんとも風情があるじゃないか

そして風情に行き着くまでの判定が面倒じゃないか

2023-09-01

今朝の夢

国の極秘プロジェクト最先端原子力技術研究所みたいな施設に招かれた。

自分の他に3人ほどの若い男女がいた。皆優秀そうだった。

施設の中の黒塗りの自動扉の向こうには、サッカーフィールドくらいあるどでかい重力制御装置があり、そこで実験を行うのだとボスから説明を受ける。

自分はその時とんでもなく眠くて、説明中もずっとウトウトしていた。

普段は茶目っ気のある小太りのボスに「大丈夫か?気分が悪いなら休め」と言われた。厳重な顔で、怒りと呆れが入り混じったような声色だった。やる気がないなら帰れ、役立たず、とでも言われた気分になった。自分は「いえ大丈夫です」と答えた。

我々は宇宙服のような衣服に着替え始めた。これは一人で着脱可能モデルだった。

しかしここでも眠気には抗えなかった。留め具を全てしっかり固定するように、と言われたが、その手順を半分以上聞いておらず、全然できなかった。自分の留め具はまだ半分以上残っていた。他の3人はすでに準備完了といった感じで、ボス雑談をしていた。

このまま行ったら流石に怒られるよな…と思ってやめた。もう間に合わないだろうと思った。

そして気がつけば周りに人がいなくなっていた。すでに実験スタートしたようだ。ああどうしよう、と思った。

 

仕方なく、実験中の扉の前でウロウロしていた。ここは長さ100m幅4m程の広々とした廊下で、扉の向かいは全面ガラス張りになっており、緑の木々たちを眺めることができた。

すると突然揺れが起こった。世界の終わりのような巨大な揺れだった。警報がけたたましく鳴り出した。

実験が失敗したんだ!」自分は嬉しいような悲しいような気持ちになった。同時に死を覚悟した。

きっとこの実験扉の向こうでは崩壊が始まっているのだろう。もはや逃れることはできない。

揺れが徐々に激しくなった。

天井が崩落して押しつぶされるのだろうか、扉の向こうの熱線に焼かれて消えるのだろうか、そんなことを考えていたら、全身が首からどろっと溶けるような感覚に襲われ、目の前が真っ暗になった。(起床)

2023-08-21

[]無性に素っ裸で海水浴したくなったのでバルセロナに行ってきた

5年ぶりに裸になりたくなった。

コロナ禍も落ち着いてきたから脱いだ。

アクセス

Playa de la Mar Bella。ビーチ全体ではなく、限られたエリアヌーディストビーチちゃん看板でこの先が全裸ゾーンって書いてある。

カタルーニャ広場停車場(Pl Catalunya - Portal de l'Àngel)からH16のバスPg. Calvell - Rambla del Poblenou停車場まで。徒歩の時間も込みで30分

バスから公園を横切って移動する。なんか途中にドッグランもあった。ビーチそのもの公園から高台というか小山で遮られている。

感想

小山を向けて海に向かって右側にまず行ったんだけれど、さっそく小山の上で全裸で仁王立ちしているおじいさんがいた。

でも、その時点ですごくトイレに行きたかった。で、近くの海の家的な店で聞いたんだけれど、トイレはお客さん専用だとのこと。

しょうがないので、近くにトイレはないか小山の左側の店に行った。そしたらそこにトイレがあった。

用を足してあたりを見回す。一応ヌーディストビーチなので裸でシャワーを浴びている人もちらほらいたんだけれども、それよりは筋肉質のビキニパンツ好青年のほうが多かった。こっち側ゲイビーチらしい。皆さん概してマナーがいい。健全出会いの場という印象だ。

こっち側海の家名前は「Be Gay」で、おそらく「ゲイであれ」と「陽気にやろうぜ」の掛詞だ。シャワー付近には裸の女性もいたが、着衣の人が多かったのでここで裸になるのはためらわれた。

さっきはトイレに行きたくて状況がよくわからなかった反対側はどういう雰囲気かと思って、戻ってのぞいてみると、こっちのほうが普通に裸になっている人が多い。ただしシャワーはない。ほとんどが男性で男湯っぽい雰囲気だけれど、カップルが数組いて、父と幼児海辺で戯れていた。男女比は大体10対1くらいで、以前訪れたウイーンの混浴サウナとはだいぶ雰囲気が違う。それにウイーンのほうが夫婦連れが多かった。

私はここで素っ裸になった。ウイーンとは違って遮るものがないし、着替える場所もないのでちょっと緊張したけれど、えいやと脱ぐ。まずは上半身裸で太陽を浴びて、それから下半身も脱ぐ。パンツ下着を同時に脱ぐ。お尻丸出し。やっぱり全身を太陽にあてると気持ちがいい。

ところで、バルセロナのビーチでは普通にトップレス女性がいる。二人連れの女性がなんだか楽しそうにしていた。ヌーディストエリアの隣なので、それこそ全裸中年男性がたくさんいるのだけれど、まったく気にしていない。私がヌーディスト的な世界に憧れるのは、相手のことをじろじろ見たりせず、自然な姿をありのまま受け入れているからだ。相手けが着衣、私が裸(あるいは逆)というプレイ結構興味はあるけれども、ここで感じる解放感とはまったくの別物だ。

何となくだけれど、ビキニパンツトップレスってなんかユーモラスだ。ジーンズトップレスのほうがセクシーだ。なんでだろ? ティーバックの水着もなんかお尻丸出しでなんだかセクシーよりも面白衣装って感じちゃう。服って脱ぎすぎて裸っぽくなるととユーモラスになっちゃう。そういえばここで見かけたおっぱいの大きなすっぽんぽんの中年女性、きれいだったけれども、バルセロナ市内で見かけたへそ出しファッションのほうがよっぽどエッチな印象だった。

へそ出しと言ってもブラトップみたいなもあるし、タンクトップみたいなのもあったし、おへそまわりだけ出ていて、その周りのお腹レースで覆うタイプのもある。

ボディスーツっていう、ハイレグレオタードみたなトップスジーンズみたいな恰好女性も見たけれど、腰の素肌が出ているだけなのに、すっぽんぽんよりもなんだかエッチだった。十代もいたし、ぽっちゃりした人もいた。誰も気にしていないのがいい。さすがにパンツが見えそうなミニスカートにはびっくりしたけどね。

で、何でそう感じるか。たぶん素っ裸になると、身体にはどこにも境目がなくてひとつながりで美しいって感じるんだけれども、中途半端に隠すとかえって暴いて見たくなるというか、えっちな部分が強調されちゃうんだろうな。

さて、裸で太陽を浴びてうとうとしていると、水売りのおじさんが通るのが見える。アジア人は私だけだった。アフリカ系の男性が数人いた。でも誰も気にしない。バルセロナ日本人観光客が多いけれども、ここは私だけ。無名のままでいられるって素敵。よそ者の気楽さ。

十分に太陽を浴びた私は、ほかの泳いでいる人たちに続いて、素っ裸で海に飛び込んだ。頭まで潜ったり、波に乗ったり、大股を広げて背中で浮いたりした。すっぽんぽん太陽を浴びると気持ちがいいし、何物も遮るものがない海に一糸まとわぬ姿で飛び込むと、なんだかいろいろな汚れが流れ去っていく感じがした。これは木々に囲まれウイーン混浴サウナでは味わえない感覚だ。途中で急に深くなっていて、一瞬足を取られたのには焦ったけれどね。海に飛び込んで、休んで。また飛び込んでを繰り返す。

で、すごく開放感があったんだけど、ウイーンのほうがマナーが良かったかな。おっちゃんがおちんちん一往復だけいじってたし。単に皮に砂が入ったからかもしれないけど。あと、小山の茂みの中でごそごそやっている人がいた。邪魔したら悪いからよく観察しなかったけど、あれはなんだったんだろう。きっと気にするのは無粋。

あと、ウイーンと違ったのは、こっちは陰毛処理していない人がほとんどだった。ヌーディストから自然派なのかな?

うそう、それに、財布も浜辺に置いてある。だからウイーンのほうが安心して裸になれたかな。持ってきたのは現金ちょっとだけだったけど、服も財布も盗まれたらどうしようもない。

でも、やっぱり海にはいろんなものを押し流す力がある。何か聖なる洗礼を受けたというか、生まれ変わった感じがする。何も恐れるものがない気持ちになる。これから生きていくこともいつかは死ぬことも、自然と一体になった私は恐れることはないと。水着邪魔されず、海水が私の全身を撫でる。頭からつま先まで。無限に広がる温泉のような素晴らしさ。それはとてもやさしくてあたたかい。来世とはこんな感じではないか。個我が消えて宇宙に包まれているのはきっとこんな安心感だ。そんな宗教的気持ちまでも出てくる。裸になるって神聖

とはいえ、十分も泳いでいたら普通にオーシャンビューの温泉で構わない気もしてきた。このあたりで私の全裸徘徊願望は収まってきたらしい。温泉では髪の毛を水につけたり、泳いだりはできないんだけれどね。でも、なんだかこうやって心から裸になるのは、信頼できる人の前でだけのほうがいい気がしてきた。

気が済んで、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。やり残したことを終えると、すっきりすると同時に、なぜあんなにこだわっていたのかがわからなくなる。

罪悪感とは少し違う。やる必要はなくなったかなという気持ち。もう少ししたら気分も落ち着いてくるだろう。これは再確認だ。これは自分にはもういらない要素だということの。別に外で裸にならなくても、普通に暮らしていけるという感じ。

やりたいことをすべてやってしまったという感覚が、おそらく次ステップ必要なんだ。

現に、帰宅してからは、以前は家では裸で運動していたのに、旅行から帰ったら普通に着た方がいいなって感じられるようになった。

なお、小山の右側と左側をつなぐ浜辺は人がぎっしりだった。歩いていくのがためらわれるくらい。たぶん8月ハイシーズンなのと、潮が満ちてきていたからだと思う。

バルセロナはこの時期は日没が21時だ。私がカタルーニャ広場を出たのが18時で、ビーチに着いたのが18時半くらい、脱いだのが19時、だいたい20ちょっと前くらいまですっぽんぽんで過ごしてすっきりして帰った。服を着た人のいるところまで裸で歩いてシャワーを浴びる気にはならなかったから、軽くタオル身体をふいてホテルシャワーを浴びてご飯食べて寝た。

2023-08-18

anond:20230818191153

すまん、言い方が漠然としすぎててどこのことだかわからない。なので当てずっぽうでレスしてみる。これをきっかけに何か思い出すかもしれないしな!

ただはじめに言っておくと海外にはオカルトハントとして手を出していないので(同様の地が日本にあるとかでない限り)行ったことがないはずだ。

カナダの反重力地帯とやらがあるそうだが(今調べた)、ここも行ったことはないものの、ちょうど来月カナダに行くので時間が取れれば行ってみたいな。

カリフォルニアにあるミステリースポットとやらがそれっぽい(これも今調べた)。興味は掻き立てられるが、単なるアミューズメントではないかという印象が湧いた。行くにしてももう少し詳細に調べてからだな。

幽霊坂の類いは好きだが、あれは好奇心は刺激されるけどただの錯覚しかないので話が違う。

名前がわからないのでアレだが、海外のなぜか木々やら家屋やらがなんでも捩れる場所は行ったことがない。超行きたい。

2023-08-05

今日家族旅行反省

【悪かった点】

海水浴に行ったのに、クラゲが多くて子供が嫌だと言って、ほとんど泳がず(8月初めならいないと思ったのに)

・海が見える部屋を予約したが、眺望が悪くて子供ガッカリ(海は確かに見えるが木々が茂って見にくい。半年前に予約したのに…)

露天風呂は海が見えるのだが真っ暗で何も見えない

【良かった点】

・天気が良かった

海自体はキレイで遠浅で良かった

・山の上の景色が良かった

旅館での卓球が盛り上がった

カラオケ無料でできた

・夕食の種類が多くて良かった

・部屋や建物キレイで良かった

宿泊費を抑えられた

・館内の飲み物が定価

【次回の教訓】

クラゲがいない海水浴場を探す

・部屋はもう少し良い部屋を頼む、もしくは期待しない(させない)


他にある?

2023-08-01

神仏ジャンケンの話

 暮らしているアパートの裏に神社がある。

 神社は割と人通りの多い小道に面しているため、静謐、といった雰囲気はないが、左右に砂利が敷かれた短い参道を抜けて、背の高い木々に囲まれた昼でも暗い拝殿の前に来ると、「ほぼ現世、少しだけ異界」ぐらいの空気はある。

 境内に一本、御神木なのか、ひときわ大きい樹が立っている。木には人の胸ぐらいの高さに縄が巻かれていて、汚れ一つない純白の紙がそこから垂れている。

 夏になると、境内の地中から蝉が出てきて、この木に登る。羽化するために現れて木を登っていく。

 蝉、しめ縄をよじ登って越えていくか、反対に縄の下であきらめて羽化すればいいのに、わざわざ縄に下げられた白い紙を羽化ポイントに定めるやつが何匹かいる。真っ白な紙の上に点々と、透明で茶色い抜け殻が残る。

 しめ縄というのは、どっしりとした円柱の大木に風雪で少しささくれた縄が巻かれ、そこから新しくぱりっとした純白の紙が垂れている、そういう宗教的かつ美的意匠なんだと思うが、まあ蝉には関係ないもんな、と思う。蝉にとっては、ちょうどいい高さにあるちょうどいい場所しかない。

 神社を出て100mほど、道なりにいって曲がると、今度はだいぶ由緒あるらしい寺が建っている。高名な僧が数百年前に開いた名刹らしい。

 俺が住んでいるのはある有名な地方都市で、住民も多いし、観光客大勢行き来している。しかし、この寺のお堂へと向かう広葉樹と苔だけの道を1分ほど歩いて境内に入ると、まったく何の音も気配もしなくなる。聴こえるのは、それこそ蝉の声ぐらいだ。

 俺はときどき、お堂の廊下に座って、物を考えないで風景を見る。廊下南側北側があって、南だと境内に植えられた木、北だと目の前にそびえる岩壁を清水が伝うのが見えて、両方飽きない。

 この前、南側に座っていたときのこと、でかい羽音を立てて蜂が一匹飛んできた。

 虫が好きな人間の固有スキルの一つに、蜂が刺すやつか刺さないやつか瞬時に判断できる、というものがある。そのときも、クマバチ=刺さない、とすぐにわかったので、むしろ観察するぐらいのつもりで様子を見ていた。

 蜂はぶんぶん言いながら、お堂の庇に近づいていった。

 お堂の庇は木を組んだ複雑なアミアミになっている。蜂は庇のどこかの一点が気になるらしく、決まった範囲ホバリングしていたが、急にふっといなくなってしまった。

 「?」と思ったが、少し観察を続けてみて、さらに驚いた。

 庇に直径1cm強ぐらいの穴が空いている。ある種の蜂は木に穴を開けてそこに住むが、どうも、クマバチが巣を作るためにお堂に穴を開けてしまったらしいのである

 美しい建築も、あるいは宗教的に洗練された意匠も、生き物としてあるがままにやっている存在には太刀打ちできない。物体であることの限界というか、この場合、お堂<蜂、もしくはご神木<蝉、そういう力関係と言える。

 風情的には少しあれかもしれないが、寺社建築をよく見ると火災報知器がついていることがある。安全面もそうだが、文化的にも重要ものから、火には注意しているのだろう(法律的必須なのかは知らない)。

 同じことが蜂に穴を開けられた場合にも言えるはずで、歴史ある建物としては損なわれない方がいいに決まっている。

 俺は寺務所に言いに行こうかと思ったが、少し考えてよした。

 主な理由は「お堂に蜂が穴を開けてますよ」というところから会話を始めるのが我ながら気色悪く、億劫だったからだが、もう一つ挙げると、そもそも仏教的に、「かたちあるものが虫によって損なわれようとそれがなんだろうか」というノリなのでは、とも思ったためである

 皮相な理解だが、一切皆空の世界だし、悉有仏性世界である(と聞く。宗派的に色々あるのかもしれないけど)。

 人がつくったお堂に蜂が穴を開けようが、それでお堂が朽ちようが、お堂につくった巣で蜂が栄え、その蜂もいつか滅びようが、すべてが等価というか、はじめからそういう、かたちを結んで消えていくのを織り込んでいる世界観が仏教なんだっけ、と思った。

 それで考えると、神道もいわゆる「八百万」の世界観であって、序列はあるのかもしれないが、蝉にも蝉の神…というか、「土中で数年暮らしたあと地上に出てきて飛んだり鳴いたり(オスだけ)したあとあっけなく死ぬ」神性? みたいなものがあるのかもしれない。

 どういう神性だよ、という気もするが、ヨモツラサカに生えた桃の木とか岩とかを神と見なすのから、蝉の神がいてもおかしくはない(おかしくはないのだけど、実際のところ、虫の神を日本神話で見た覚えはなくて気になっている。アゲハの幼虫を信仰していた宗教が大昔にあったみたいだけど)。

 そういう意味では、自然界の営みによってシンボル物質的に損なわれたり、上手く機能しなくなったりしても、一部の宗教システムとしてあらかじめ、そういう破壊や変質をうまく組み入れているのかもしれない。これは生命よりも宗教の法理の方が、包括的という意味で上位ということで、生命<法理であると言える。

 で、最後にどこに着地するかというと、信仰もただの理念言葉ロジックだけでは生き延びたり広がったりしていくのは相当難しい、やっぱりモノ・カタチにする必要がありますな、というところに着地する。

 心を寄せるためのシンボルや、目で見て手で触れられるオブジェクトがあった方がいいし、大衆の政として考えても、建築やでっけえ像とかがあった方が広めやすい。

 仏像でもピラミッドでも教会でも、最低限、紙の聖典でも、とにかく、教えとして生き残り広まっていくためにはブツ必要だ。水を汲んで運むのに器がいるように、信仰にはどうしても、ブツが要る。その点では信仰<モノである

 ただ、モノはいずれ、壊れるか変形するかするわけで、俺なんかはもう、「物質を伴わなければ存立・拡大できない宗教は、戦略として物質化を伴うがゆえに、滅んだり変化することも許容し、あきらめることをどこかに織り込まないと理屈破綻してしま宿命でもあり、拡大と必滅の板挟み」なのでは? とさえ思う。まあ考えすぎかもしれない。

 いずれにしても、これでお堂<蜂<信仰<お堂の三すくみが完成した。ありがたいことである

 正しいかは知らない。

 何年か前に泊まった旅館山寺のふもとにあって、せっかくだから登っていったら、と宿の人に言われ、お遍路でつくような杖をわたされた。

 要らねえけどなあ、と思って登り始めたら、山道というレベルを超えて文字通りのマジ崖であり、むしろ杖あっても登れねえよ、と思ったが、どうも引っ込みがつかなくなり、気合いで登り続けた。

 道がどんどん狭くなって、「落ちたら普通に死ぬなこれ」と思っていると、やがて、ほとんど空中にかかったような、ひと回りするのに10秒かからないほど小さいお堂にたどりついた。

 当たり前だが、誰もいなかった。辺りは静寂に支配されていて、青い空が近くて、山の中が一望できた。

 厳密に言うと誰もいなかったわけではなく、小さめのスイカぐらいあるスズメバチの巣が完全に完成してお堂の庇からぶら下がっており、スズメバチが「竣工式でーす」と言って飛び回っていた。

 俺はふもとに降りてから、「蜂です」と宿の人に言った。さすがにスズメバチは言う。

 ただ、蜂には当然、あれがお堂かどうかは関係のない話である。また、お堂サイドも、まあ仏教の法理に人格のようなものがあるとして、「こういう世界からしょーがねえな」と言って苦笑する感じというか、空の近くにある静かな山中のちんまりした古刹で蜂が生命を躍動させているのに、なんかすげえ調和しか言いようのないものを感じたのを覚えているので、書いておく。🦑

2023-07-31

愛媛ダイハツ販売ツイッターくそわろた

皮肉たっぷりで好き」

  「暗にビッグモーター煽り倒していて草」

  「某中古車屋煽っててwwww でもこんな面白い店の方が好かれやすいよね」

  「愛媛ダイハツ販売さんのアカウントメディア欄見ると、本当に草花の画像が多くて、今回だけの煽りとかじゃなくて普段から木々草花を愛でてるんだなというのが伝わってきます。素晴らしい」

https://www.j-cast.com/photo/2023/07/31466145.html

2023-07-16

○曹会と◯衛隊は官僚保護機関であり暗殺支援団体である仮定すると不自然さが薄くなる

秘密の死亡保険轢き逃げ事故事故隠蔽隠蔽活動隠蔽医療過誤殺人

都合の悪い問題があれば、潮のような十日メディア報道を溢れさせ、満潮の海面下に沈める

今が満潮か、さらなる満潮があるかだ

かつて木々伐採洪水を齎したのは船大工支援者だった

船大工ノアの方舟も作ったが、本人がその船に乗れたか不明

2023-07-13

飲酒運転が悪いのはわかってるんだ

でも夜11時とかに最寄りの駅から山を歩いて30分ほど上っていかないといけないとしたら、それでも許されない?

電車から降りるのは三人いるかいないか

最初は少しだけ住宅街を通る。いや、住宅街というのもおこがましい。本当にわずかながら家が建ってる区画があって、その外の道路を上っていく。

駄菓子屋ひとつもないようなとこ。

そのあとはもう畑の間を通っていくだけ。

最後木々の間にある、いつ作られたのかもわからないアスファルトを上っていく。

友人に言ったら「それでも飲酒運転は許されない」とのことだった。

友人との約束を守るために冬は雪道を歩いて帰ったが、本当にしんどかった。

どうすりゃいいかなあ。

2023-06-18

pewdiepie文字起こし(deepL)

ジャパンレビュー

ジャパンレビュー 日本移住して1年が経ちました。

日本移住してから1年が経ちました。

評価するのは意味があると思います

好きなこと、嫌いなこと。

という2つの選択肢しかないような気がします。

という2つの選択肢があります

この国についての意見

ということで、スゴイというか、日本は実は

実は本当に悪い国なんです。

生存に関わる問題がたくさんあります

良いところと悪いところを挙げますが、私は遠慮しません。

ゴミ箱がない。

ゴミを入れる場所がない

ポケットに入れるしかない

ああ

いつもこういう一般的なことを

を聞いたり、そうだなぁと思ったりする。

でも、それは大したことではないと気づく。

とにかく、まずは日本が好きな理由第一から始めましょう。

私が日本を好きな理由の1つ目は

巨大な遊び場のような感じがする。

ローガン・ポールのような意味ではないんだ。

ローガン・ポールのような意味ではなく、好きなことを好きなだけ

ているわけではなく

無限のものがある。

探検し、体験することができる。

経験することができる。

飽きることはないだろう。

もう1年ここにいるけど、すぐに飽きるとは思わない。

子供が生まれるので、あとどれくらい体験できる時間があるのかわからない。

経験する時間がある。

でも、本当に新しい世界のような気がします。

訪れた人はきっと共感してくれると思います

そして、1年経っても、まだ信じられないような感動があることがうれしいです。

1年経った今でも、信じられないほど新鮮に感じられます

1年経っても新鮮で、日本の良さを

日本の一番いいところは、観光地ではない。

日本の良いところは、観光地ではない。

でも、本当に楽しいと思える場所がたくさんある。

を楽しむことができます

これは私だけの話かもしれませんが

東京はとても賑やかです。

とても賑やかで、何度も何度も

何百人もの人に囲まれているような気がします。

何百人もの人に囲まれ、その人たちは私が誰だかわからない。

私が誰なのか

みんな自分のことをやっている

それはとても [ __ ]いい気分だ

今までは私をじっと見ていたのに誰も

(´・ω・`)もついてこないし、変な人たちばかり

ってな感じで、冗談です。

ただ、人前で存在できる感覚が好きなのです。

人前でも気にならないし

他の人が何をしてるかなんて気にしない

前にも言ったけど、僕は純粋ファンと話すのが好きなんだ。

ファンと話すのが好きなんだ。

いつも嬉しいんだけど

でも、いつもイライラしてしまうんだ。

自分のことをやりたいのに

いつも

そうだ、じゃあ次は日本の悪いところだ。

日本の悪いところ、第一理由

日本の悪いところ......ちょっと重たいテーマですが

重いテーマで、他の誰も見たことがない。

まり話題にならない。

それは「円錐」です。

日本には円錐が多すぎるのです。

一度見たら忘れられない。

日本には自動販売機がたくさんあると言われます

自販機が一人につき5台もあるそうです。

一人当たり5台はあるそうです。いや、その逆です。

人よりもコーンの方が多いんです。

こんなにたくさんのコーンがあるのか、知りたい。

背の高いのもあるし、小さいのもある

面白いのとか、かわいいのとか、セクシーなのとか

セクシーもの......そういうのが好きなんだ......ただ、わからないのは

このコーン演奏する人は

コーンを弾く人は、私がただ通り抜けると思ってるんだ

"よかった""コーンがある

そうでなければ、私は何をしようとしているのかわからなかった

日本コーン歴史

日本コーン歴史は何世紀も続いているんだ。

どうぶつの森」は日本ゲームなので

日本ゲームなので、時々こういうものが出てくるんです。

アイテムが手に入ることがある。

と思うことがある。

けど、たぶん日本のものなんだろう。

と思っていたら、竹のようなものが出てきて

これは一体何なんだろう?

と思っていたら

実際に日本でそれを見たとき

これはコーンだ。

どこにでもある

私の後をついてきているような気がする

このことを話せてよかったと思う

私は一人で、喜んで呼びかける

日本よ、これ以上コーンを増やさないでくれ

コーンはもう十分だ。

コーンよりもっといいものがある

商品にお気づきでしょうか、ついにです。

母が来てくれたんだ

非公式な合体だ なぜなら俺は

他のグッズを持ってないんだ。

ごめんよ、母さん......だからロゴを新しくしたんだ。

ロゴ一新したんだバックデザインもかっこいいし

てくれたチームは本当に

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私は日本が好きです。

日本への移住を発表したとき

日本いかに悪い国であるかということを

日本が悪いと言う人がたくさんいた。

本当に悪かったんだ。

というのも、今、この理由をすべて挙げなければならない。

みんな「アレ」「コレ」と言うので

日本がどうのこうのと言うので、私はそれを伝えなければならない。

しかし、その中でも特に

特にみんなが言っていたのは、年寄り外国人を嫌うということだ。

年寄りは本当に外国人が嫌いなんだ。

嫌いなんだそうだ。

ご近所さん挨拶しようと思ったのですが、そのご近所さんの中には少し

を紹介しようとしたとき、私は怖かった。

恐ろしくて......こんな話を聞いたんだ。

何をされるんだろう?

から、最悪の事態を想定して警戒していたんだ。

しかし、私は親切な人たちばかりに出会い、歓迎されました。

と歓迎されました。

先入観を持っていた自分が嫌になった。

他の人たちに感謝します。

そして、副次的コメントとして、そうですね。

外国人を嫌う人がいるのは確かです。

外国人が嫌いな人もいるだろうし、そういうのは

でも、私は自分経験

自分経験で決めるべきだと思いました。

それは、問題無視することなのかもしれない。

問題無視することなのかもしれません。

人生へのアプローチの仕方が悪いような気がする。

もし、いつもネガティブな期待を抱いているのなら、人生に悪い影響を与えるような気がする。

期待するのであれば......人は微笑むもの

微笑み返すかもしれない

笑顔で返す

ありがとうと言われることもあるし、そうでないこともある。

それはそれでいいのですが、とにかく私が言いたいのは

日本人は、私の経験では、とても

経験

はとても親切でフレンドリーだ。

少なくとも、そして外国人に対してもそうだ。

特に外国人には親切だと思う。

外国人に対しては特に親切です。

ディズニーランド迷子になった子供か何かのように思われているような気がする。

私はただ道を尋ねただけです。

30分も歩かせる必要はなかった。

30分も歩かせる必要はなかった。

ありがとうございます......何度も感謝しま

私は一人でボルダリングに行くのですが、いつも他のグループ

他の人たちが応援してくれる。

って叫んでくれるんだ。

って声をかけてくれるんです。

素晴らしいことだと思うし、もしあなたが小さい頃

人と話すのは素晴らしいことだと思う。

私はそういう瞬間が大好きです。

その瞬間が好きです。

でも、もちろん、「お前は外国人からからない」と言われることもある。

外国人なんだし......。

ということもあります

と言われることもありますが、それはそれでいいんです。

日本が嫌いな理由 その2

言葉

私は1年間ここに住んでいますが、日本語が流暢ではありません。

日本語が流暢に話せない

私は頭が悪い、とても頭が悪い

勉強したことがある。

日本語を勉強していました。

この知識を試してみよう。

を試してみよう。

入ってみよう......きっと危険だ......。

初めてお店に入ったら

彼らはこう言います

なんだ

なんだ

という感じです。

経験することは、必ずしも学校で教わったことではありません。

必ずしも教科書で教わった通りにはならない

教科書で教わったこととは必ずしも一致しない。

初めて言語を学ぶ人なら誰でも同じだと思う。

でも、漢字のことはもういいや。

漢字がメインになるのは勘弁してくれ[ __ ]。

日本語はとても難しい言語だと思う。

っているのですが、その難しさを

日本語がどれほど大変な言語であるかは、少なくとも私自身は理解していないと思う。

というのも、学べば学ぶほど

学習すればするほど、自分が知らないことがわかるからです。

を知ることになるからです。

英語圏の人にとって、日本語は

最も難しい言語ひとつとされています

というのも、日本語は最も難しい言語ひとつとされています

ということで、「悪い」としました。

というのも、それが私の最初経験だったからです。

のですが、人と接すれば接するほど

人と接すれば接するほど、新しいスキルが身につくような気がします。

新しいスキルが身につくような気がします。

初めて電話をかけました。

をかけたり、電話で誰かに質問したり......。

という感じです。

できるようになった。

さなさな、そう、クソみたいな会話でも

見知らぬ人との会話でも、まだ何かある。

って感じです。

突然理解できるようになる。

見ていて、ああ、これはどういうことなんだろうと理解できる。

ゲームもできる。

ゲームもできる。

言葉を調べたりすることもありますが、私にとって

しかし、このような新しい体験ができることは、私にとっては

とてもやりがいがあります

でも、それはとてもチャレンジングなこと。

今となってはいいことだと思うのですが......。

今となっては、「やってよかった」と思っています

でも、まだまだ

長い [ __ ]道のりを歩まなければならない

ということで、このままではダメだと思う。

時間理由その3 日本が好き

というのは、日本とは関係ない話です。

もっとリラックスしてYouTubeを楽しむために

20代はずっとYouTubeばかり見ていた。

20代はずっとYouTubeしかやっていなかった。

していたのですが、それはそれでいいんです。

少し毒があったような気もします。

たぶん、動画を作っていないとき

を考えていた。

新婚旅行中も動画アップロードしていた。

新婚旅行

新婚旅行中もビデオをアップしたし

そこから解放され、他のことを発見できる。

人生には他にもいろいろなことがある。

発見できる。

新しい趣味や興味、ずっとやりたかたことが

ずっとやりたかたことができる。

サーフィンを楽しむことができる。

ずっと好きだったんだけど、やっと

できるようになり、とても [ __ ]素晴らしいです。

私は新しいことを学ぶのが大好きです。

新しいことを学ぶのが大好きです。

を学ぶのが大好きです。

発見したことにとても感謝しています

発見できたことにとても感謝しています

どこでもできることなのですが、それが

日本が嫌いな理由その1

日本が嫌いな理由その3

これは一番厄介なことかもしれません。

ルールがあるんです。

日本にはたくさんのルールがあります

文句を言うにはちょっと矛盾している。

というのも、日本の良いところはたくさんあるのですが

日本の良いところは、良いところではないのですが、日本がうまくいっている理由の多くは

日本がうまく機能している理由の多くは

ルールがあるからです。

は常に時間通りに動く。

一般的には、説明するのは難しいのですが、街は清潔で

道もきれいだし、人前で大きな声を出さな

などなど、社会的ルールがあるからです。

多かれ少なかれ、そうなっているものです。

しかし、時には意味のないルールもある。

ることがあります

ルに従うのは問題ない。

その理由理解している限りは、ルールに従うことに問題はない。

電車携帯を使うな

というのも、他の人にそうされるのは迷惑からです。

をされるのは迷惑からです。

他人を思いやることです。

自分のことだけでなく、他の人のことも考える。

そうすることで、より快適に過ごすことができます

特に、前にも話したが、あるルールがある。

は、コビトのために

コビドを理由に、私は赤ちゃんの分娩室に

分娩室に2時間以上いることは許されません。

2時間以上いることができないのです。

ルールがあるのです。

このことを家族や友人に話すと

家族や友人に話すと、いつも

なぜ彼らに聞かないんだ?

と言われる。

きっとどこかにあるはずだ。

日本には日本人のルールがあるんです。

ルールがあり、人々は良くも悪くもそのルールに従う。

ルがあり、人々は良くも悪くもそのルールに従います

この国で過ごせば過ごすほど

このようなルールに遭遇します。

頭で考えても意味がない。

自分が優れているように見せたいとは思わない。

とか、「私には理解できないから、私が上だ」みたいなことは言いたくない。

でも、やっぱり悔しいんです。

本当にイライラするんだ。

ルール6には理由があって、たとえその理由

その理由は明白ではないかもしれないが

というのも、ルール6には理由があり、たとえその理由自分にはわからないとしても、通常はある種の実用性のために存在するものからです。

現実的理由なんだ。

理解できないんだ

最後に、私が日本を好きな理由

という言葉があるように思います

っているような気がします。

一日のうち、どんなときでも起こりうる。

一日のうち、どんなときでもいいんです。たとえば自転車に乗っているとき

外は晴天で、木々に囲まれていて

っているとき

風が顔に当たって、なんだか

その瞬間は、まるで自分が生きているような

まるで夢を見ているような気分になる。

犬の散歩をしていても

そして、遠くには、すべてが澄み渡り富士山が見える。

富士山がくっきりと見える。

サーフィンをしていると、太陽が沈んでいき

海全体がピンク色に染まっていく。

海全体がピンク色に染まっていく。

夢の中で生活しているような感覚になる。

夢の中にいるような感覚になる。

自分を信じられなくなる。

という気持ちになる。

ここで生活していると、そのような瞬間によく遭遇します。

素晴らしいことです。

幸せな日々

彼のことを話すのは本当に馬鹿げてる

彼のことを話すのは本当に馬鹿げている。

ないのだから

日本がどうのこうのということではなく、ここに来てから

そのような瞬間がより多く訪れるような気がする。

よくあることだと思う。

イギリスや他の国でも幸せではなかったわけではないけれど、一般的に考えて

優先順位が変わりましたし

変な意味で良い方向に変わったと思う。

その多くは、私自身や私の置かれた状況特有のものだと思います

その多くは、私自身や私の置かれた状況にもよるのですが、私は

もうあまり働かなくていいんだ。

もうあまり働かないし、自由を手に入れる機会もある。

自由を手に入れることができました。

をする機会もあります

日本での厳しい労働観のような悪い部分とは無縁で、自由を手に入れることができました。

私は特に、「自分は認められていない」と感じているのだと思います

それは、私がここで多くのことを楽しんでいる理由でもあります

私が日本を楽しんでいる理由の多くは

日本が好きな理由の多くは、少なくとも私にとっては非常に特殊ものです。

を楽しむ理由の多くは、少なくとも私にとっては特別ものであり、人々が日本を好きな理由

理由は人それぞれ。

派遣しようとするのは間違っていると思うし、必ずしも

日本が聖なるメッカであるとか

日本が聖なるメッカであるとか、そのようなことはありません。

しかし、私は

最終的には素晴らしい場所だと思います

しかし、最終的には素晴らしい場所だと思うし、ぜひ行くべきだと思う。

誰もがここで生活することを楽しめるわけではないとも思う。

それが私の大きなアステリックスです。

基本的には、もしあなたが満足しているのなら

るのであれば、どこに住んでも幸せであるべきだと思う。

るべきだと思う。

例えば、イギリスに住んでいた私は、同じように幸せでした。

幸せだった。

幸せな瞬間に立ち会えることが多くなった。

それはとてもありがたいことです。

ということで、この辺で終わりにしたいと思います

このビデオを見てくれてありがとう、また次回ね。

2023-06-17

ボケが来ないで寿命死ぬのは幸せなのか?

高熱となり、かなり危険状態から一命を取り留めたがいつ急変してもおかしくなかった

孫や子供夫婦がぞろぞろと面会にくる

  

それを見て、自身の先がもう長くないと薄々気づきながらも気丈に振る舞い

面会時間はずっと話をし続ける

一般常識的に彼女は十分に長生きであり、孫にも恵まれ世間話や思い出話をするぐらいには頭は冴えていて途轍もなく幸せであるはずだ

しか冗談でも言おうと思っていたはずの口から”こんなにみんなが会いに来るなんて私死ぬのかな”と隠せ切れない死への恐怖が、漏れ出してしま

  

面会時間が終わり、再び部屋はカーテン越しに聞こえる細い呼吸と心電計の音に支配される。

視界のほぼすべてを壁と木々が覆う窓をただ見つめる彼女は何を思っているのだろうか

2023-06-09

anond:20230609174500

父が祖父から譲り受けた駐車場管理していたりするので、「不動産経営」にまったく馴染みがないわけではないので、増田の苦労は多少だが共感できる。いわゆる「自分資産価値を下げかねない存在」になんてもちろん貸したくないよね。

 

って思いながら読んでて、「そういえば自分がいくつか賃貸契約を結ぶ中で、大家さんもいろいろだなと思ったりすることがあるな」と思いだしたので書いてみてもいいだろうか。

 

【1】

初めて一人暮らし用の賃貸契約を交わしたのは東京千葉の境目ぐらいの場所

大家さん宅の敷地を一部改装した感じで、大家さんの住まいのスグ隣。4階建てで12部屋ぐらい。

 

内見に行くとき大家さんの家をピンポンして鍵をもらうスタイルだった。

そのときに私の顔は見えるだろうから、こういうスタイルなら増田みたいに契約書出した人の見た目は知れるだろうなと思う。

1Kで2口キッチン風呂トイレ別、クローゼットは押し入れクラスの広さ。

ベランダから大家さんのお庭の四季折々の木々が見えるのが気持ちよかった。

 

まりに条件がいいので「何故こんなに安いのか」と仲介営業さんに聞いたら「儲ける気がないんじゃないか」と言っていた笑。

かに、2年住んだがすごくいいご夫婦でよかった。よく庭の手入れをしている様子を洗濯干しながら眺めていた。

出て行く時いろいろ間違えて、2週間ほど廊下洗濯機置きっ放しにさせてくれないかと頼んだら快諾してくれたしね。良い人すぎる。。

 

強いて言うなら、隣の一人暮らしおっさん最初はただ親切なおっさんだったんだけど、だんだん親切が過ぎて家を出たときに同時に向こうも玄関から出てきたりしたのが若干気持ち悪かった。ナゾオススメ本とか食べたことがないような食べものを「ぜひ」と時々くれた。

反対の隣の若い夫婦+お子さんはある平日の早朝から「いるんでしょ?」とナゾスーツの男がドンドン扉たたいてて怖かった。

それ1回きりしか出くわしてないけど、そのご家族はいつのまにかいなくなってた。

 

大家さんは良い人だったけど、もうちょっと儲ける気持ちや疑う気持ちがあってもいいかもしれない。

 

 

【2】

吉祥寺で部屋を借りようとしたときは全体的に入居条件が厳しかった。

人気エリアはそれでも人が集まるんだなあと思った覚えがある。

 

その中で印象に残っているのは「安定した収入のある親以外は保証人として受け付けない」物件

ネットで見て気になったと仲介業者に見せたら「そこは大家さんがちょっと変わってる」とすぐ返ってきたので有名なのだろう笑。

当時、20代後半だった私は親がもう60代後半で働いていない(まあそもそも父親ちゃんと働いた試しがないのだけれど)ので無理だった。

兄弟絶対ダメらしい。

学生が住む感じの印象の間取りではなかったけど、若いしか住めないようにしてるんだろうなと思って別の物件契約した。

 

【3】

若いしか住めないナゾ限定条件で特に香ばしかったのが、妹が初めて一人暮らしをするからと一緒に不動産屋についていったときのアレだ。

間取りを見るとイイ感じに安くて、まあまあ広い。理想ではないけれど、妹の給料でもなんとかやってけそうな範囲ではなかなか好条件。

うんうん、入居条件が「20代女性のみ」なので妹もあてはまる。

女性のみ、まあわかるわかる。女性専用マンションとかむしろ私も入りたいものね。

 

乗り気になっていたら仲介営業さんが「ここはご家族でいろんなマンションをもっているんですが、ちょっと大家さんが変わってて、お会いしたら必ず挨拶をしなければいけない」みたいなことを言っていた。なるほど、礼儀正しさが求められるわけか。我々は実家マンション管理人さんに元気よく挨拶するタイプ姉妹なので問題なしだ。と、とりあえず内見に行ってみる。

 

川沿いだけの立派なマンションだった。対象の部屋はまだ入居中なので中は見ていない。

なんか、1階の駐車場スペースに大家さんがバイクで来たときに停めるためのナゾのスペースがあった。

  

そりゃ大家さんだもん。うんうん、物件を見に来るときもあるよね。

 

20代女性のみ、大家さんが来ると必ず挨拶しなければいけない、大家さん(家族の息子にあたる40代だか50代)はバイクしょっちゅうマンションに来て掃除とかしてる、変に安い。なぜその条件でこんなデッカイ駐車場スペースがあるのか。

 

ひとつひとつは何もおかしいところなんてない。

が、総合点としてお姉ちゃんレーダー言葉にできない警告音を出していたのでそこはやめさせた。

もちろん何の問題もないかもしれないけれど、営業のなんかこう「…」な含みを得た案内の仕方もやめた方がいいだろうと思う材料になった。

 

 

仲介業者の話す「大家さんが変わっている」は、向こうもあんまり積極的に連絡取りたくないタイプなのかもしれない。

もちろん、大家さん側の出している条件に見合わない客を弾くためにそう話すこともあるのだろうけれど。 

 

都心部だと、最近ほとんど管理会社に面倒な客の対応も含めてすべて任せているところが多いから、大家さんの人物像が垣間見える瞬間もほとんどない。だからこそ、ときどきこうやってふと何かが見えると「世の中っておもしろいなあ」って思う。

 

ちなみに冒頭で話した私の父も、ときどきヘンテコな顧客にあたって辟易している。

車庫証明をやたらなくす若いの子とか。やべーなと思ってたら1ヶ月もたたずにすぐ解約して消えていった。

なんか怪しいものに使われてんじゃないのか。

 

自分でやってる大家さんはほんと大変だ。

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