はてなキーワード: 有用とは
自転車のマナーや走行環境の問題、自転車に対する自動車ドライバーの悪質行為などは散々言われてる事なので割愛する
それらとは別に自転車が車道を走る上で重要なのに、無視されがちな問題が一つある
自動車の免許を持ってる人間なら勉強した事があるであろう自転車の手信号だが、目にする機会が少ないせいで大抵のドライバーはさっぱり忘れている
この様な状況にしてしまった責任は手信号をほとんど出さない(知らない自転車乗りも多い)自転車側にもある
だが例えば三叉路などの場合、手信号で自転車側が進行方向を示さないと危険なケースがある
自転車側がきちんと手信号を出しても自動車側が理解できていないと、自動車側からは自転車側が突然進路を変更した様に見えてしまうのだ
そればかりか手信号をただの危険な片手運転と誤認して「マナーの悪い自転車乗り」扱いするドライバーまでいる
これに対して「自転車にも方向指示器(ウィンカー)を付ければ良い」という意見がある
自転車用のウインカーもあるにはある(ちなみにブレーキランプ的なものもある)
夜間であれば十分な視認性があり、自動車側がそれをウインカーとして認識してくれれば有用なアイテムと言えるだろう
ただ昼間にウインカーとしての役割を期待するには甚だ心もとない
また自転車には視認性の良いウインカーの設置箇所が限られるという問題もある
そして視認性の良い箇所は往々にして破損しやすい箇所でもあるのだ
また自転車用ウインカーの価格も考慮すると、自転車にウインカーを装着させるよりも手信号の徹底を図った方が確実だと思う
これは個人的な意見になるのだが、自転車乗りの意識向上には手信号の徹底が非常に重要だと考えている
自分の意図を示す事と相手の意図を確認する事、その上で互いに譲り合って安全を確保する事が運転をする上で最も重要な事だ
今の自転車乗りは自動車側の意図を確認しようとする事はあっても、自分の意図を示すという事が極端に少ない
自分の意図を示す機会が無いから、多くの自転車乗りが自身の行いに対して無責任になりがちなのだと思うのだ
自転車は軽車両であり、軽車両はれっきとした車両で、道路を走る上で車両には守るべき義務が多々存在する
そして義務が存在するという事は同時に権利も発生するという事なのだ
自転車が優先されるべき状況ならば、相手が大型トラックだろうが路線バスだろうが警察車両だろうが優先されるべきだ
安全に車道を走行する権利があるからこそ、それを守る為に自転車に乗るための義務が生じる
「自転車には車道を走行する上で様々な義務がある」「だが自動車の走行に不都合なので自転車に安全に車道を走行する権利は与えない」
これでは上手くいくはずがない
自転車が車道を安全に走行し、その権利を守る為に様々な義務を守る
権利を守る為に義務を果たさない者を警察が取り締まり、適切な罰則を与える
そんな当たり前の環境を整え直す為に、手始めとして自転車乗りの手信号の徹底とドライバーの手信号の尊重が重要なのだと俺は考えている
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/noriki-washiya/18-00431
今はこのレシピをベースに電子レンジ麻婆豆腐を作るのにハマってる。
https://card-media.money.rakuten.co.jp/articles/2021/02/25/01/
マーナのおさかなスポンジは最初可愛いからという理由で購入したが、この形状がほんとに便利で、移行後はずっとこれ使ってる。
チン!してふくだけもとても便利で、常時ストックされる物になった。
人類は小規模で、ほぼ自給自足し、互いに敵対する部族で進化してきたので、好意の追跡の必要性を減らし、これまで検討してきた他の人類の富の移転制度を可能にするために、収集品を使用することは、人類の種の期間のほとんどにおいて、物々交換の規模の問題よりもはるかに重要であった。実際、収集品は互恵的利他主義の仕組みを根本的に改善し、他の種にはない方法で人間が協力することを可能にした。他の種では、記憶の信頼性が低いために互恵的利他主義は大きく制限されている。他の種には、大きな脳を持ち、自分で家を建て、道具を作って使うものもいる。しかし、互恵的利他主義の仕組みをこれほどまでに改善した種は他にない。その証拠に、この新しい開発は紀元前4万年には成熟していた。
メンガーはこの最初の貨幣を「中間商品」と呼び、本稿では収集品と呼んでいる。刃物のように他の用途にも使える道具は、収集品としても使える。しかし、富の移転を伴う制度が価値を持つようになると、収集品はその収集性のためだけに製造されるようになる。その性質とは何か。ある商品が価値ある収集品として選ばれるためには、収集品としての価値が低い製品と比較して、少なくとも次のような望ましい性質を持っていなければならない:
1. 偶発的な損失や盗難からより安全であること。歴史上ほとんどの場合、これは持ち運びが可能で隠しやすいことを意味していた。
2. 価値を偽造することが難しい。これらの重要な部分は、以下に説明する理由から、偽造できないほど高価であり、それゆえに価値があると考えられる製品である。
3. この価値は、単純な観察や測定によって、より正確に近似していた。これらの観測は、より信頼性の高い完全性を持ちながら、より低コストであっただろう。
世界中の人間は、これらの特性をよりよく満たすアイテムを集めたいという強い動機を持っている。この動機の中には、おそらく遺伝的に進化した本能が含まれている。このような物は、(特に優れた明確かつ近接した理由ではなく)集めることを純粋に楽しむために集められ、そのような楽しみは人類の文化においてほぼ普遍的である。直近の動機の1つは装飾である。アリゾナ大学の考古学者であるメアリー・C・スタイナー博士によると、"装飾は現代人の採集者の間では普遍的なものである "という。進化心理学者にとって、このように、自然淘汰という観点からの最終的な説明はつくが、快楽以外の近親的な根拠がない行動は、遺伝的に進化した快楽が行動の動機になっているという有力な候補になる。例えば、このエッセイの推論が正しければ、希少品や美術品、特に宝石を集めるという人間の本能がそうである。
(2)については、もう少し説明が必要である。コストが高いという理由で商品を生産することは、一見すると非常に無駄なことのように思える。しかし、永遠にコストのかからない商品は、有益な富の移転を可能にすることで、繰り返し価値を高めていく。取引が可能になったり、コストが低くなったりするたびに、コストはより多く回収される。最初は全くの無駄であったコストは、多くの取引で償却されていく。貴金属の貨幣価値は、この原理に基づいている。また、収集品は、希少性が高いほど、また、その希少性が偽造できないほど、価値が高くなる。また、芸術品のように、証明可能な技術や独自の人間の労働力が製品に加えられている場合にも適用される。
我々は、この3つの要素を兼ね備えた製品を発見したり、作ったりしたことはない。アートや収集品(この言葉は現代文化で使われている意味ではなく、この論文で使われている技術的な意味で)は、(2)を最適化するが、(1)や(3)は最適化しない。一般的なビーズは(1)を満たしているが、(2)や(3)は満たしていない。宝石は、最初は最も美しく、あまり一般的ではない貝殻で作られるが、最終的には多くの文化において貴金属で作られるため、3つの特性をよりよく満たすことができる。偶然ではないが、貴金属の宝飾品は鎖や指輪のような細い形をしていることが多く、無作為に選んだ場所で安価に鑑定することができた。貨幣はさらに改良されたもので、小さな標準的な重さと商標を鑑定の代わりにすることで、貴金属を使った小さな取引のコストを大幅に削減した。貨幣は、収集品の進化のほんの一歩に過ぎない。
旧石器人が作っていたモバイルアート(小さな置物など)も、この特徴によくマッチしている。実際、旧石器人が作ったものの中で、実用性がなく、(1)〜(3)の特徴を備えていないものはほとんどない。
ホモ・サピエンスには、役に立たない、あるいは少なくとも使用されていない火打石の不可解な例がたくさんある。我々はクロヴィス族の使えない火打ち石について述べた。Culiffeは、ヨーロッパの中石器時代に発見された数百個の火打ち石について述べているが、これらの火打ち石は丁寧に作られたものであるが、顕微鏡写真の分析により、切断には使われなかったことが明らかになっている。
フリントは、宝石のような特殊な目的を持った収集品に先立つ、最初の収集品である可能性が高いのである。確かに、最初の火打石のコレクターは、刃物としての実用性を求めて作られたはずだ。富の伝達手段としてのフリントの付加価値は、本稿で紹介する制度を開花させるための偶然の副次的効果であった。このような制度は、特殊な目的の収集品を製造する動機となったであろう。最初は切削工具として実際に使用する必要のないフリントであり、その後、ホモ・サピエンス・サピエンスが開発した他の様々な種類の収集品である。
新石器時代、中近東やヨーロッパの多くの地域では、一部のジュエリーが標準化され、美しさよりも標準的なサイズやアセイ性が重視されるようになった。商業地域では、このような宝石の量が伝統的な宝石の量を大きく上回ることもあった。これは宝飾品と貨幣の中間的な段階であり、収集品の一部が貨幣的な形態をとるようになったのである。紀元前700年頃、リディアンの王たちは前述のようにコインを発行し始めた。標準的な重さの貴金属は、市場で、賃金労働者が、あるいは徴税者が、ランダムに選ばれた場所でコイル状のワイヤーを切断する代わりに、商標、すなわち造幣局のブランドを信頼して「評価」することができるようになったのである。
収集品の属性が、貴金属やコイン、そしてほとんどの非現金通貨を支えてきた準備商品と共通しているのは偶然ではない。本来の貨幣は、これらの特性を、人類の先史時代のほとんど全ての時期に使用されていた収集品よりも純粋な形で実現したものである。
20世紀の新機軸は、政府による不換紙幣の発行である。(「フィアット」とは、それまでの金や銀をベースにした通貨のように、基軸商品に裏付けられていないことを意味する。) 不換紙幣は、交換手段としては一般的に優れているが、価値の保存手段としては非常に劣ることが証明されている。インフレで多くの「たくわえ」が破壊された。前述の収集品に共通する希少品やユニークなアート作品の市場が、前世紀にルネッサンスを迎えたのは偶然ではない。我々の最も進んだハイテク市場の一つであるeBayは、これらの原始的な経済性を持つ物を中心にしている。進化の過程で重要な役割を果たしていた頃に比べて、我々の富に占める収集品の割合が減ったとしても、収集品の市場はかつてないほど大きくなっている。収集品は、我々の本能的な欲求を満たすと同時に、安全な価値の貯蔵庫としての古代の役割を果たしている。
一方的なものも相互的なものも、自発的なものも強制的なものも、多くの種類の富の移転には取引コストがかかる。自発的な取引では、双方が利益を得る。真に無償の贈り物は、通常、親族の利他主義の行為である。このような取引は、何かを作るという物理的な行為と同様に、一方または両方の当事者に価値を生み出す。貢物は勝者の利益になり、損害賠償の判決は被害者の利益になるだけでなく、さらなる暴力を防ぐことができる。遺産相続は、人間が次世代の親族に財産を渡す最初の動物となった。これらの家宝は、商品の取引の担保や代金、飢えをしのぐための食料、あるいは結婚の際の花嫁代金などに使われた。このような移転を行うためのコスト(取引コスト)が十分に低いかどうかは別問題である。このような取引を初めて可能にしたのが、収集品である。
ほとんどの動物が非親族との遅延互恵的な協力関係を築けないという「囚人のジレンマ」を解決するために、収集品は我々の大きな脳と言語を増強したのである。それは、どの人が何をしたかというエラーと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際のエラーである。一族(部族のサブセットを形成する、小さくてすぐに地元に帰れる親族グループ、または大家族)の中では、我々の大きな脳はこれらの誤差を最小限に抑えることができたので、世間の評判と強制的な制裁が、相手が将来協力したり欠陥を犯したりする能力によって提供される限定的な動機に取って代わり、遅延した互恵関係の主な執行者となったのである。ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスもホモ・サピエンス・サピエンスも、同じように脳のサイズが大きかったので、地元の一族の全員が、他の地元の一族の全員の好意を把握していた可能性が高い。小さなローカルな親族グループの中では、収集品を取引に使うことは最小限だったかもしれない。部族間では、好意の追跡と収集品の両方が使用された。部族間では、評判に代わって収集品が完全に互恵関係の執行者となったが、暴力は依然として権利の執行に大きな役割を果たしていたし、高い取引コストのためにほとんどの種類の取引ができなかった。
一般的な富の貯蔵と富の移転手段として有用であるためには、収集品は、少なくとも1つの制度に組み込まれ、発見や製造のコストが複数の取引で償却されるような閉ループのサイクルを持つ必要があった。さらに、収集品は、単なる美しい装飾品ではない。身につけられる安心感、隠したり埋めたりするためのコンパクトさ、変えられない高価さなど、一定の機能性を持っていなければならない。そして、その高価さは、現代のコレクターが収集品を鑑定するのと同じように、譲渡を受けた人が確認できるものでなければならなかった。
本稿で示した理論は、これらの文化で交換される「貴重品」にこれらの特徴があるかどうか(あるいはないかどうか)を調べ、これらの貴重品が移動するサイクルから得られる経済的利益を調べ、(現代を含む)さまざまな文化でこれらの特徴を持つ物に対する嗜好を観察することによって、検証することができる。
前例のない協力の技術により、人類は地球上で最も恐ろしい捕食者となっていた。彼らは移り変わる気候に適応したが、一方で、アメリカ、ヨーロッパ、アジアでは、狩猟や気候の変化によって、何十もの大きな群れの獲物が絶滅に追い込まれたのである。現在、地球上のほとんどの大型動物は投射物を恐れているが、これはたった1種の捕食者に適応したものである。また、狩猟よりも採集を中心とした文化も大きな恩恵を受けた。ホモ・サピエンス・サピエンスは、骨が弱くなり、脳の大きさが変わらないにもかかわらず、地球上のより多くの地域に、ネアンデルタール人の10倍以上の人口密度で住むことができた。この増加の多くは、効果的な富の移転と言語によって可能になった社会制度、すなわち貿易、結婚、相続、貢ぎ物、担保、そして復讐のサイクルを弱めるために損害を評価する能力に起因していると考えられる。
原始時代の貨幣は、我々が知っているような現代の貨幣ではなかった。現代のお金の機能の一部を担っていたが、その形は家宝や宝石などの収集品であった。これらの使用は非常に古くから行われており、収集品を探求し、収集し、作り、展示し、鑑定し、大切に保管し、売買するという欲求は人間の普遍的なものであり、ある意味では本能的なものである。このような人間の欲望の集合体を「収集本能」と呼ぶことにする。多くの古代人は、貝や歯などの原材料を探したり、収集品を製造したりすることにかなりの時間を費やしていたし、多くの現代人は、趣味としてこれらの活動にかなりの資源を費やしている。その結果、具体的な実用性とは異なる、初めての確実な価値の具現化、そして今日の貨幣の先駆けとなったのである。
②中でもポルノは風紀を乱すとし、焚書されることが当然の世であった
③時代は移り、民主制が台頭すると、「表現の自由」なる概念が生まれた
これは、為政者が政府批判などを規制したり、投獄するのを防ぐ目的で制定された
④本来、「表現の自由」は行政や司法により制限されないが、それでは「表現を用いた他人への攻撃」を取り締まることが出来ない
よって法治国家では「名誉棄損」などに関する法律を定め、権利の対立を解決できるようにするのが普通
⑤ポルノ規制運動への反発には「表現の自由」が用いられることが多くなる
ポルノは「世間的にマイナスとみなされる」類の表現であり、規制に対抗する時「有用性」での主張が難しいため
⑥人権意識が進んでくると、「差別」などの概念も発達し、これを行うことは「正しくない」と規定されるようになる
⑦それらが先鋭化し「ポリティカルコレクトネス」(政治的正しさ)という概念が生まれる
そこでは、女性差別、人種差別などを構成する偏見が助長されることすらNGとされた
⑧女性の権利強化が進み、女性を性的に扱う表現を「正しくない」と言えるようになる
この運動は「女性差別」を基底としているため、ポルノ問題が「差別問題」へ変化する
問題を「差別である」としたことで、玉虫色の意見をけん制できてしまった
事が差別であれば、「この程度の差別は許容されるべき」という意見を構成できない
反論しようとしたならば「差別でない」と言わなければならないが、そこで軸が「差別的」にずれる
耐えてきたハラスメントなどが「性差別の産物」なのだと定義されるのだから当然の帰結
⑩人工知能学会誌の表紙がやり玉にあがる(のうりん、宇崎ちゃんと続く)
「(一部の)女性を不快にする」コードで繋がれた家政婦という表象が「性差別である」として炎上した
最終的には「男性社会の偏見の現れ」とかいう差別「性」に論がずれ
「一般社団法人」でしかない人工知能学会に対して、公的機関などの言葉を使って「微細な偏見すら許されない」と攻撃された
以後、定期的に萌え表現は燃える事になるが、「差別」が前面に押し出されるようになる
⑪「お気持ち」返答が始まる
対する男性側は「差別につながる偏見強化の恐れ」レベルにまで拡大批判してくる相手に対して
「それ、お気持ちでしょ?」と返すようになる(意訳:差別ではないでしょう?)
具体的にいけば
少年漫画で「取り柄がないように見える主人公に惚れるヒロイン」がラッキースケベの餌食にあう事は差別的で許されないが
少女漫画で「ヒロインにだけ優しいイケメンだが札付きの悪」が「嫌がるヒロインに強引な壁ドンからキス」するのは許されるのである
そして、それらのイケメンが、性的に安全なよう最終ロックがかかった去勢された存在となっていてもオーケーなのである
※それらを享受することすら許さない楠本まきのような人も当然居るが、表象としてはエロいセーラームーンなどにも矛先を向ける原理主義者は少ない
そうした不整合を処理するのに生まれた概念が「性的にまなざす」だ
今では忘れられてしまったが、一時「まなざし村」などとして流行った
⑫ポリコレ集団は表現の撤去を求めてくるので表現の自由が使われる
相手の動きが差別を御旗にした「表現規制運動」であるため、「表現の自由」が使われることになる
当然、古の経緯も影響あるだろうが、そも「差別」の解釈を広げすぎて「何でもかんでも差別(の助長)」状態の相手と会話など成立しない
この動きが一般化すると、それを揶揄する「エロ表現の自由戦士」という言葉が生まれる
彼らが守っているのはエロコンテンツだけであり、自分が気に入らなければ打ち切りに追い込んだり、削除に追い込んだりする「お気持ち自警団」であると定義される
ここでバカバカしいと思うのは、そもそも表現の戦場は「お気持ち」の戦場だ
「不人気」だってお気持ちだし、面白いが掲載場所が合わず死ぬ作品もある
「不快な表現」を理由に撤去されるポスターや中止されるCMだって普通にある(死霊のはらわたとかサイレン)
問題なのは、「お気持ち」だと勝率が悪かったまなざし村の村民が、「ポリコレ」という手段を知ってしまった事だ
これまでなら「妻がカレーを作るCMは不愉快です」だったのが、「妻がカレーを作るCMは性差別」として叩けるようになった
なかなか旅行に行けないので収束とGotoトラベル復活に向けて,今まで旅行中に自分が見つけたコレクションできるモノ達を備忘録的にまとめました.他にもいろいろあると思うので教えて下さい.
みなさんお馴染み?ダムカード。同じダムでも限定バージョンが多く1000種類以上存在する。ダムは超山奥が多いのでドライブ趣味の人向け、公共交通機関では無理がある。バイクツーリングで集めている人が多いように思います。大きいダムの近くの食堂ではダムカレーと共にダムカレーカードがもらえたり。
ダムカードのマンホール版、ご当地マンホールををデザインしたカード。各自治体と下水道広報プラットホームと共同で製作(800種類程度)。マンホールのデザインが良く、統一感もあるのでいっぱい集めると達成感がある。また、道の駅,観光案内所で配布されている事柄多く旅行中にあわせやすい(役所配布は平日9時17時仕様の鬼畜設定も結構ある)。
これも最近はじまったもの。第一段は66種類。御船印との相性が良好。天売島,焼尻島の実装よろしくお願いします。
大体の駅にあるので取っ付きやすい。首都圏では良くスタンプラリーなんかもやってる。
盗難対策なんだろうか一見スタンプが無さそうな駅でも有人駅なら駅員に言えば出てくることが多い。(四国の大秘境駅である坪尻駅で盗まれた駅スタンプが青森で見つかる事件があったり...)
地域ごとによくスタンプラリーをやってる。地域物産や観光情報も集まっているので、自動車観光には良く合う。ただ凝った絵柄が少ない(個人の感想です)が玉に瑕。
高速道路のサービスエリアのスタンプ。スタンプ形状がほぼ統一されていて集めがいがある。ただ、毎SA寄っていると、高速道路ならではの高速性が失われてしまうのが残念。深夜も集められるところがほとんどなので夜行性の人におすすめ(深夜割引も効くし)
全国の少し古めのタワーを巡るスタンプラリーです。スカイツリーやあべのハルカスも良いですが、たまには東京タワーや通天閣も行ってみてください。全国制覇と共にブロック制覇でも商品がもらえます。タワーにはたいてい記念メダルがあるので記念メダラーには必須かも。お気に入りは五稜郭タワー。
水族館やお城にある(実は道の駅や鉄道駅にもあったり)ガッコンガッコン日付と名前を彫れるアレです。実はスカイツリーなどにある最新の打刻機は割りと静かで、じろじろと見られる心配も少なかったり。場所によってはダイヤル式の骨董の打刻機もあります。重量感があり、日付も刻めるのでオリジナル感が良いです、あとしっかり飾ると結構かっこいいです。◯周年記念や企画展限定などレアメダルが以外と多いです。
入れようか迷いましたが一応。注意点として御朱印はスタンプラリーではありません。最低限のマナーとしてしっかりと参拝してから戴きましょう。
御朱印の鉄道版。第三セクター評議会加盟の鉄道会社でもらえる。40社全部集めると、特典と認定がもらえる。専用の鉄印帳と乗車券がないと記帳してもらえません。事業者によっては乗車券を買っても鉄道に乗らない人には販売してくれないので、車の人は短区間でも乗ってあげて輸送密度をあげてあげましょう。
鉄印の成功を見てパクった疑惑...始まったばかりなので今始めれば玄人ぶれる。加盟会社(現在60社程度でまだ増えそう、同会社でも航路,船舶による違いあり)は遊覧船も多く、鉄印と違い専用台紙が無くてもOKでコンプリート圧が低くのんびり集められる(といっても40社集めるには複数長距離フェリーを乗る必要があるのでかなりきつい。特に小笠原航路)。20,40社制覇で認定証がもらえる。フェリー会社によっては船長サイン入りだったりも!
郵便局で捺してもらえるご当地消印。なんで流行らないのか不思議、年賀状なんか売ってないでこっちを宣伝すればいいのに。全国で1万局以上の郵便局でもらえるらしい。郵便局は離島なんかにもあるので、果てを目指している人向きかな。旅先から友人や家族に絵はがきで手紙を出すのも良いですね。調べてみたら出先から貯金して記帳してもらう旅行貯金(https://dailyportalz.jp/kiji/151207195222)なるものもあるらしい。
JRで100キロ以上(厳密にはちょっと違う)移動すると、経由の駅で途中下車することができます。最近の自動改札は勝手に処理してくれますが、窓口に行くと途中下車印という小さな駅名が描かれた判子を捺してくれます。これが途中下車印です。この途中下車印で切符をいっぱいにする一部の愛好家が存在します。本来、捺す必要がないのですが青春18きっぷなどのフリー乗車券の類いでも大抵(嫌々)捺してくれます。
みなさんのパスポートの日本からorへのの入出国印ってどこでしょう。多くの人はNARITAやKANSAIが並んでいると思います。ただ、日本への入出国は地方空港,フェリー港からも一部でき、そのときのスタンプが収集対象です。稚内印(サハリン航路)のついたパスポート、カッコ良くないですか...?そういえば、コロナ禍で境港ーウラジオストク航路が廃止になりSAKAI印はもう貰えなくなりました。
全国の秘湯を守る会所属の温泉宿に泊まるともらえるスタンプ.スタンプ柄が結構凝っているものが多いです.1年3年以内に10個集めるとその内1宿に再宿泊できます.これだけだとお得そうですが,押印可のプランは旅行サイト経由より割高だったりもするので,スタンプ集めたい人向けです.
100名城スタンプラリーと続100名城スタンプラリーの2種類あります.コンプしたら認定してもらえます.城は記念メダルとの相性もいいです.
最近始まったやつ。もう終了してました.申し訳ないです.アプリのマイストアパスポートで47都道府県スタンプラリーができます.
都会の方はご存知ないかもしれませんが、県内にスタバが数店舗しかない県も結構あるので一筋縄では行かないです。
gpsスマホゲーム。全国9000駅以上の駅を取り合うゲーム。移動記録としても使える。鉄道会社とコラボしたイベント等もあるので乗り鉄の旅のお供に。ローカル線で同じ列車に乗ると見バレします。駅ノートという掲示板システムがあり、ニッチな観光地やお店などを紹介してくれる猛者がたまにいて、乗継待ちで有用だったりします。デメリットは車窓を楽しむ余裕が無くなったり...
Suica、ICOCAなどの全国相互利用可能なicカードをはじめ、各バス会社や鉄道事業者独自のicカードなど。テンバイヤーが暗躍した東京駅100周年 suicaなど意外とコレクターが存在します。
全国のイオンで買えるWAONにはご当地モデル存在し、各県数種類はあるので100種類以上のバリエーションがあります。収集するかともかく、他地方のスーパーって食材に結構違いが出るので地元のイオンと比べるだけでもたのしいです
かわいい.お土産系で言えば,まりもっこりは全国展開やめて北海道でしか買えないらしいです.
鉄道むすめ企画に賛同している地方ローカル線30社程度のスタンプラリー企画.四国は回れない..
たくさんコメントいただきありがとうございます.知らないモノもいっぱいあって机上旅行が捗ります.
(あくまで個人の考え整理メモです。賛否あると思いますが、真に受けないように)
自分は今まで、とあるソシャゲ(ツイステ)のアンチだった。しかし精神的に疲れたため、ここで相談したところ、有用なヒントを貰った。それを実行し、また冷静に考える時間も置いたところ、今まであげてきたゲームの問題点について、正しく「批判」と「提案」ができそうだと踏んだ。思考整理も兼ねて、やってみる。
・課金バグ(二重課金):絶対に治す必要がある。金銭問題の放置により、ファンは課金を控えるようになり、結果的に売上が落ちるため。ただし、当バクはアプリ管理側(Appleなど)も絡むため、本格調査には時間がかかると思われる。また一応、現時点でゲーム運営はこの件について公式サイトで何も問題ないと言及している。しかしSNSで当ページの存在を告知していないので知名度は低く、現在もときどきスクショ付きのバグ発生報告があるため、不安は残る。
・恒常SSRカードの実装:他にやり方があったと考える。最初から全てのSSRを実装し、本編更新時に期間限定SSRを実装という手もあったはず。
提案:絵が出来ているのであれば、今すぐ未実装恒常SSRを出す。追加で、いわゆる虚無期間の間に、これまでの各章ボス「風」な期間限定SSRを出す(キャラ格差については後述)。
・他ゲームや有名ブランドなどからのトレス疑惑:権利問題なので、グレーでも適時修正すべき。
・シナリオやSSRカード枚数におけるキャラクター格差:なるべく偏らないようにするのが理想だが、やはり書き手によって「書きやすいキャラ」というのはいると思う。また人気キャラほど出番やSSRが多いのも、商業的観念からすると仕方ない側面もある。ただし最近のシナリオは、丁寧に書かれるキャラと雑に扱われるキャラと分かれがちなので、そこは是正が必要だろう。
・シナリオ更新の遅さ:元ネタチェックが入るので仕方ないと思う。しかし虚無期間が長すぎるとユーザー離れに直結する。そこを埋めるのがイベントだと思うが、シナリオ付きだとまたチェックが必要になり、余計に時間がかかるため、結局シナリオなしのイベントしか選択肢がなくなるのだろう。
提案:シナリオなし、もしくは小話程度のイベントをもっと増やす。
例:各章ボス高難易度チャレンジ、育成素材集めイベント、部活(体験入部)イベント
・プロデューサーやシナリオライターの公表:有名どころのソシャゲは大概、プロデューサーやシナリオライターの名前が出ている。このゲームの場合、原案「のみ」名前が出ている状態である。そのため、ほとんど全ての批判が原案に集中しがちである。しかし資料集を読むと、シナリオライターは複数人いることが分かる。設定の矛盾もシナリオライターたちの間で、きちんとした情報共有が出来ていないことに起因している可能性がある。また、ゲームの全責任者であるプロデューサーと原案は別人であるはず。非情ではあるが、原案に背負わせるのではなく、全て自分の責任であると批判の矢面に立つのがプロデューサーの仕事のひとつでも考える。
提案:プロデューサーの名前公表、シナリオライターが複数人いることを資料集以外でも明言する
他にも問題とされる点はあるだろうが、ざっと思いついたものに関しては、このような結論に至った。全てが実現するとは思っていない。こうであれば理想的だ、というのを書いたのみだ。キャラクターや世界観はよいものであるし、それゆえの人気なのだから、このゲームが今後、少しでも信頼を回復するような対応を取ることを願わざるを得ない。
追記:この投稿から数時間後、Twitterで原案のつぶやきがあった。近々リリースされる6章だけでなく、これまでの章も全て本家ディズニーおよびディズニージャパンから添削を受けているとの事だ。このつぶやきに対する引用RTの中には、シナリオへの不満だけでなく、これまでのゲームの不満全てをぶつけている者もいた(それを諌める声が多かったのが救いか)。
原案のつぶやき自体、本来であれば運営側が告知すべき内容であるように考えられる。また、シナリオの責任者ではあるものの、ゲーム全ての責任者ではない原案が集中砲火を受けているのにも関わらず、当のゲームの公式SNSには、現在までなんの動きもない。
たった1人の原案がゲーム全ての不平不満やプレッシャーを負わされている中、フォローもせず、姿かたちも見せないプロデューサーおよび運営。
万が一原案が休養になった場合、シナリオだけでなく全ての新規カード実装不可になるなど、もっとも割を食うのは運営側だと思うのだが、彼らには分かっているのだろうか。
水素が「うまくいかない」のじゃない。そもそも、ガソリンという存在がおかしいのだ。そもそも、理想の電池がないせいで、エンジンはできたんだ。水素の台頭は、順序が逆なんだよ。豊田佐吉とポルシェ博士の夢っていうのは、理想の電池がないせいで、しかたなく「ガソリンで動力を得るという手法」に舵取りをせざるを得なかったのだ。つまり、我々は「理想を実現できなかった」連中の末裔が造った会社の車に乗っているのだ。我々は、電池という「化学反応で電子を取り出す」方法よりも、物理化学のような「液体が気体になると体積は1000倍以上」に相変異するということの方が破壊力がある、という非対称性にメリットがあるからガソリン車に乗るの。電気自動車の可能性なんて、コマツが電気を使った巨大ダンプを作っているし、そもそも電車が利用されているのは、給電する手法が確立されているからであって、モーターの有用性は理系なら気づいていたよ。問題なのは、実現方法が無かった、それだけだ。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASGG2102F_Y0A720C1I00000/
https://www.nissan-global.com/JP/TECHNOLOGY/FILES/2013/03/f515300a9aa396.pdf
そんなわけないでしょ。この謎ローカルルール定期的に出てくるけどなんなんだろう。
クリエイターが描いたものに
対してアレに似てますねは相当傷付けるので直接言わないようにしようねー。— 奥 浩哉 (@hiroya_oku) August 25, 2021
古いけどこのまとめ(https://togetter.com/li/945422)とかもそう。
作品の感想や批評として「○○に似ている」というのは一般的かつ有用な表現である。
たとえば文芸雑誌の書評欄なんかを覗いてみれば、新刊レビューで「○○(作家名)を思わせる作風」「△△(作品名)の世界観と□□(作家名)の文体の融合」みたいな、既存の作品や作家を引用してのレビューは非常によく見る。
ゲームのレビューにおいても、特定のゲームに影響を受けていると見なされればそれは容赦なく指摘される。特定のゲームに影響を受けた作品を示す、「○○(作品名)ライク」という用語が一般的に存在するほどありふれた表現である。
こうした批評は、「あらゆる作品は先行する作品の影響を受けて成立している」という当たり前すぎる事実が業界で共有されているから成立するわけだが、イラストレーターの業界ではそうではないんだろうか。
言うまでもなく、作品に対して「○○の影響を受けてそう」「○○に似てる」というのは全く健全な感想で、誹謗中傷でも何でもない。
それでも「○○の絵に似てる」と言われたくないのなら、作者に出来ることは「そう言われないような絵を描く」ことでしかない。それが出来ないのなら絵を公開しないか、絵師特有のローカルルールを決めたディスコードにでも引きこもるべき。
コロナ禍でどう感染対策しながら家族サービスをしたら良いのか?を考えた結果、妻が突飛な発想をした。
青天の霹靂、予想だにしない極めて有用な意見である。
なぜなら私は漁師の子であり、東京海洋大学卒であり、海技士免状取得者だからだ。
しかも私は学生時代に学友たちと無人島を借りてキャンプをした経験がある。
いやエントリのタイトルが「ぶっちゃけ」なので無人島を借りてキャンプした理由も正確にお伝えしなければならないだろう。
無人島キャンプの最大の理由はナンパだ。
我々のような海へ親しい技能者は若い時分にクルーザーなどを借りて海水浴場の近くへ係留・錨泊し「クルーザー乗ってみない?」と女の子をナンパするのが定番ナンパ術なのだ。
このナンパ術、その成功率は9割を超えると言って良い。
このナンパ術の失敗理由は声をかけた女の子が家族もしくは彼氏と海水浴場へ遊びに来ていることに起因する。それ以外の理由を女の子から言われたことがない。
なんなら「今日はダメだったけれど」とコッソリ電話番号をくれる子まで居た。
もし血気盛んな若者がこのエントリを読んでいるのであれば夏場のナンパはクルーザーが強いと覚えておこう。
そしてこのクルーザーナンパの延長線上に無人島キャンプがある。
貸し出している無人島にはたいていプライベートビーチがあるので自分たちだけが専有できる特別な海水浴場となるためコレも女の子ウケが非常に良いのだ。
お前はパリピかとそう思うだろう。バブル世代の成金かとそう思うだろう。それは全く違うと全力否定させてもらう。
学内で野郎を5人程度集めて割り勘でクルーザー借りたり無人島借りたりするのだ。
1泊2日ならクルーザーレンタルやキャンプ道具費用を合わせても50万円あればお釣りが来る。意外とリーズナブルではないかな?
そもそもお前らがイメージしているパリピが新1級小型船舶操縦士とか海技士免状とか持ってるのかと。むしろ金色のネックレスしてそうなバブル世代のオッサンとかのほうが持ってそうだろ。
しかし私はバブル崩壊後生まれであり1万円振ってタクシーを停めた経験とかそういうのはネットで読んだみたいな世代だ。
話はそれるが先日話題になった暴走運転する水上バイク、水上バイクの免許(特殊小型船舶操縦士)ではクルーザー運転できないので、こいつらともまた我々はカテゴリが違う。
いや確かに水上バイクもまたナンパに使えるが、クルーザーほどの威力はない。いやだってクルーザーだぞ?男女関係なくホイホイついてくるやつ一杯居るだろ?w
そしてそのホイホイついてきたのが私の妻である。
つまり妻からすると若い頃に私と楽しんだ思い出のレジャーなのだ。妻は突飛な発想だと思ってなかったかもしれない。
思い立ったら吉日、船と無人島の予約だ。
無人島は瀬戸内か三重が良い。内海なので船が揺れにくく船酔い耐性が低い人でも酔いにくい。
しかし、当日になると折りが悪く停滞前線の影響が強く残る天候で、気象の変動が読みにくい停滞前線では正直現地へ行ってみないと船を出せるかどうかわからない。
こっちも海に関してはプロなので無謀な航海計画を立てることはない。これは学生だった頃からそうだ。遊びで死にたくはないし可愛くセクシーな女の子(妻)の心証を損ねてしまう。
子供たちは釣りや海棲生物の捕獲を楽しみにしている様子だったが「ごめん、もしかしたら無理かも?天候だけは父ちゃんどうしようもない」と伝えると絶望した表情を浮かべていた。
現地へ行ってみないとどうにもわからなかったのでクルーザーと島の貸主へ電話連絡を取り「天候理由ならキャンセル料頂きませんよ」と快く言って頂けたので「無理なら帰る」ことを子供たちへ伝えて車を走らせた。
車の走行中、天候を確認しながら運転していたが「あれ?意外と悪くないかも?」なんて思ったが子供たちへ伝えると期待感を膨らませてしまうだけなので黙っていた。
そしてマリーナへ到着。めっちゃ凪。すごい凪。
流石にミラーウォーターと呼ばれる鏡面のような凪ではなかったが風も等級ゼロと言って良いほど無風。
しかし無人島へ移動してから荒れたら嫌なのでマリーナ周辺を散策しながら注意深く海を観察し、漁港近くを歩いていた風格あるご老人が居たので訪ねてみると「このまま晴れると思うよ。むしろ暑くなりそう」と太鼓判を頂いたので出港決定。
子供たちへ「行くぞ!」と伝えたら手を付けられないほど歓喜していた。
出発前の不安は何だったのか、YAMAHAの船外機も調子よくマリーナの整備士へ心の中で称賛を送り、フルアヘッドで無人島へ向かう。私のチキンハートのせいで時間が多少押してたので暗くなる前にキャンプ拠点をしっかり作り込みたい。
この時点で妻も子供たちもスゴイ良い笑顔だ。船が滑走し水しぶきを浴びてキャッキャと喜んでいる。どうやらお父ちゃん何とか格好付けられてるようだ。
無人島へ到着する。どうだこの究極のソーシャルディスタンスは!
当然、我が家族以外誰も居ない、時折近くを通る漁船も水平距離にして300mは離れてるだろう。まぁ自然以外何も無いけどな!電気もガスも水道も通ってない!
ただ内海を選ぶことのメリットに携帯電話の通信圏内であることがあったりする。LINEやInstagramへ写真をアップするとかそういうことは可能なのだ。Youtubeだって観れる。
しかし数万mAhの容量があるキャンプ用ポータブルバッテリはあったほうが良い。それに合わせてトーチやランプも充電式にしておくと何かと便利で、火種も基本は充電式電子ライターとかにしておくと不便がない(無人島へ行く場合、火種の着火方式は複数用意しておこう。オイルライターなどを予備として必ず持っていくこと)。
キャンプなのに文明の利器使うのかよと思うかも知れないが子供相手せにゃならんのでキャンプっぽいことをすることが大事であってガチで石器時代やる余裕なんてないののである。
石器時代やって大人のキャパシティ超えちゃうと子供を危険へ晒すことになるのでこういうシチュエーションで石器時代はあまりメリットない。
石器時代やるなら第3者のヘルプが使えるとこで私はやりたい。
無人島では真水が大事なので浄水器、鍋、ビニール袋(ゴミ袋で良い)なども必須。特にビニール袋は帰れなくなった際に着込むことで保温効果も期待できるので忘れることが許されない。火種があればビニール袋を繋げて真水も作れるぞ。
あとは医療品だな。私は医療品をイチから用意するの面倒だったので自然災害用避難グッズ。全部揃っていて迷う必要がない。
ほかはまぁだいたいのキャンプで使うようなもの持っていけば良いんじゃないか?
最後に、実は私は家族の中で唯一2回目のワクチン接種が終わってないんだよなぁ。
むしろ無人島キャンプしたときは私だけワクチン接種してなかった。したかったんだけど職域接種の混乱に巻き込まれてしまって遅れたのだ。
1回目は幸い副反応もまったくなく腫れも幼少期ハチに刺されたのと比べれば腫れてないって言って良いレベル。蚊かなにかに刺され掻いてしまい腫れあがったときみたい?って感じ。
多くのご家庭が自分の家族のためにどうにかして夏の思い出を作ろうと試行錯誤していると思う。
中には子供を遊ばせるとは何事か!とか心なく言うような人も居るけど、だからこそ私は私なりの試行錯誤をここに記すことにした。
我々大人は子供時代に多くの夏の思い出を大人たちの協力によって積み上げた。これは事実であり否定しようがないものだ。
ならば次は私の番である。私が大人になったのならば今の子供たちへ報いる番なのだ。
子供よりも経験豊富で知恵のある大人として育てて頂けたからこそ私は子供たちのために試行錯誤をしなければならないのだ。
今の子供たちに将来「夏の思い出を大人に奪われた」と言わせないために!
今の子供たちに将来「次は自分の番だ」と言ってもらえるように!