2015-04-13

国民政府自由

マハトマ・ガンジーのように非暴力不服従を持ってすれば、自立した人間ないし民族はその自由を達することができる。しかし、それでは優遇を引き出すことはできない。反政府、すなわち左翼的活動化が暴力的になるのにはここに原因があり、彼らは権力から何か自分の欲する金銭ないし待遇を引き出したいのであるから、彼らは暴力に訴えざるを得ない。例えば、もし反原発を行いたいと思うならば、原発のないところに移住し、木製の風車を建て、あるいは自動車を発電に用い、更に節制でもってその生活を達すことはできる。そして、活動家はみなそこに移住すればよい。しかし、左翼的活動家の目指すところはそうではない。むしろ言葉暴力でもって政府攻撃し彼が意に沿わそうとするものである。また、もし在日朝鮮人において不当に彼らが搾取されているというのであれば、非暴力不服従でもってその身の自由を達することができる。しかし、実際には、日本人の3倍もの生活保護を輩出しており、すでに多大なる行政サービス恩恵を受けている。彼らにしてみれば過去日帝の悪行のため、朝鮮人優遇されるのは当たり前ということであろう。どちらも政府を彼が意に沿わそうとするものであり、言葉暴力でもって政府を徹底的に攻撃するものである政府なら侮辱しても構わないというのはおかしい。政府国民のものであるならば、政府への侮辱国民への侮辱に他ならない。

今日に至って、政府民衆のものであるならば、政府にも自由があらねばならない。元々強権を持っている組織であるから本来自由を持つはずであるしかし、現状、この政府の不活性さはどうであろう。幾つかでも抜本的な改革ができたのであろうか。国民主権憲法を土台にして、国民代表者もっと自由に振るうことが可能であって欲しい。国民主権を犯さな範囲において、政府もっと自由活発に活動できるのではないか。愚かな代表を選んだならばその責任国民が贖わなければならない。その上で、政府活動をより活発にするあるいは、われわれの政府自由について考える時期に来ているのではないか。そんなに議員民衆の声を聞く必要があるのか。国のため正しいと思ったことを行うための議員ではなかったか国民は一旦選んだならば、委任した以上これに口を挟まずその政治活動全てを任せ、自由闊達に事が進むようにしなければならないのではないだろうか。あるいはそういう信念をもった議員を輩出することについて考えるべきなのかもしれない。

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