2011-08-28

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つづき

一つには、先に書いたようにアイデンティティの欠如である

どうしても、だれかをバカにしなければ、自分存在が肯定できないのだ。

これは、想像してみると確かにつらいのだろうなと思う。

もしも僕がすべての実績を否定され、すべての肩書をはく奪され、すべての能力が消滅してしまえば、それは絶望だろうと思う。

彼らは今絶望しているのだ。そしてかすかな希望の光、かすかに自分癒してくれるものがあれば、偽物であってもそれに縋り付くしかないのだ。

まり彼らの矛盾は「強盗は犯罪だが、食う金がないので仕方なく罪を犯す」という状況に近いといえる。

もちろん誤った選択だが、そのような明らかな誤りをおかしそうな人間ネトウヨには多い。

いや、安易な誤りを犯す人間こそがネトウヨになるのだろう。

 

二つには、想像力の欠如である

彼らは自分憎悪をぶつけている相手が、自分と同じ人間で、エースと同じ人間だと想像することができないのだ。

よく説明されたフィクションの登場人物については自らの姿を重ねてまで同情するのに、目に見えない相手のことは何一つ想像できないのだ。

自分の書き込みを見て、悔しさに涙する同じ人間存在することを、想像することができないのだ。

日本人はバカだ」と中国人に言われれば烈火のごとく怒り狂うくせに、その手は「中国人愚民だ」と書き込むのだ。

 

三つには、知能の欠如である

彼らは自分自身が何をしているのかわかっていないのだ。

自分自身が何をしているのか考えたこともないのだろう。

難しいことは理解できず、自分にも理解できる単純化された偽りの言葉だけを真実だと思い込む。

もちろん、バカなことは必ずしも非難されるべきことではない。

彼らだって賢く生まれてきたかったのだ。

それでも何の因果がバカとして生まれてきてしまったのだ。

ある意味では運命被害者であるともいえる。

しかし、だからといって差別主義者であることが許されるわけではない。

今一度、立ち止まって、知能が一般人の半分なら2倍の時間一般人の1/3なら3倍の時間自分のしていることが正しいのか否か考えてみるべきだろう。

 

僕の考えたことは以上だ。

 

終わりに一つ、ネトウヨに伝えたい。

 

この文章の、何が正しくて何が誤っているのか理解できなかったものもいるだろう。

この文章こそが、差別的だと感じたものもいるだろう。

反論したくてたまらない、叫びたい人間もいるだろう。

僕が何を伝えたかったのか、理解できたものもいると信じたい。

  

とにかく、最後まで読むことができたのだ。

中傷であれ的外れ避難であれ、なんらかを考えながらこの文章を読んだはずだ。

それをきっかけに、ネトウヨとは何か、改めて考えてみてほしい。

 

これからもずっと

情報に踊らされ続けるのか。

・誤った非難と誤った賞賛だけを繰り返すのか。

・偽りの栄光だけを抱えて生きていくのか。

見えない敵と戦い続けるのか。

ネトウヨであり続けるのか。

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