はてなキーワード: 自傷行為とは
3年前にあすけんの女に食ってるもの伝えたら「毎日1000キロカロリー多く食ってますね。点数は10点です」と言われて「は?なんやコイツ?」と思ってたんだが、言われるままに食う量減らしても別に問題なかったからまあその通りだったっちゅーこっちゃな。
俺の中に漠然と「男は毎食ハンバーグ定食で丁度いいぐらいだし、運動してる人はそこからおやつにラーメン大盛り加えると丁度いい」みたいな感覚があって、それが「食いすぎ」を測る物差しになってた。
少なくとも学生時代はそれで問題なかったんだけど、30ぐらいからブクブク身体がデカくなっていって、健康診断でも呼びつけられるようになったんよね。
それで医者に「お前、食いすぎ。痩せろ」って言われてさ、じゃあフットサルやジム後のラーメンはプロテインバーにでもしとくかぐらいに考えてたの。
だってメシってはお腹を一杯にするためのものなんだって育て方されてたし、適切な摂取カロリーは俺の体が一番良く知ってるとオヤジや友人も言ってたから。
痩せやすい人、太りやすい人、ギャル曽根みたいな異次元の生き物、そういう個体差を考えたら自分の満腹中枢が一番信用できると。
俺は生物学とかよくしらんけど、生存競争的な奴の中で「中年以降の連中は生殖活動をするための身体から、産まれてきた子供を守るために肉盾になるための身体に変化した方が種として生き残りやすい」みたいなのがあったんだと思う。
遺伝子から「コイツもうジジイだから少ない食料でも生きていけるような身体にしようぜ。だってもう精子も腐ってるじゃん?新陳代謝下げてけ」と命じられるままに俺の体は食っても太らないスポーツ青年からデブの天才へと組み替えられていった。
それは俺だけの話じゃなくて、皆そうなんだよな。
体重あたりの基礎代謝係数みたいなのをググったら、成長期と中年で倍ぐらい違うんだわ。
子供が小さい体にバクバク詰め込んでどんどん筋肉つける横で、ジジイは筋肉作るのもサボってひたすら脂肪を溜め込んでいくように人類は最初から作られている。
それを科学はとっくに明らかにしてくれてたけど、俺は仕様通りにバグっていく自分の腹具合を信じ続けてみるみるうちに太鼓腹のデブオヤジだ。
1000キロカロリー減らすっていうのはハンバーグ定食1個分減らすってことだよ。
途方もなく聞こえる。
ご飯にして2合だ。
無理だろと思った。
でも調べていくと、なんか俺食いすぎてるなって漠然と分かってきた。
たとえば朝ご飯にしょっぱいパンと甘いパンを両方食ってたのを片方だけにするとか、半分は残しておいて明日食べるとか、そういうのを積み重ねていくと、確かに1000キロ減らせたんだよ。
なんでそんなに減らせたのかっていうと、最初からそんなに食う必要がなかったからとしか言えんね。
「大盛り無料なら大盛りにしないと損」
「特盛でも料金変わらないなら絶対特盛」
「箸を置くのは限界が来た時」
相撲部屋の台所にでも貼ってありそうなデブによるデブのためのデブの誓いを俺はずっと守っていた。
子供の頃に親から食いっぷりを褒められたときにでも産まれた「とにかく食わなければいけない」という謎の強迫観念、それに男社会の馬鹿な生き様を煽るスローガン、呪われていたと言ってもいい。
でも同時に「これだけしか食わなくてもいいんだ」という福音でもある。
「腹一杯まで食わなきゃいけない」っていう謎の焦りが俺の食生活にずっとつきまとっていた。
満腹になる前に食うことをやめたり、カロリーを気にして選択肢を変えたりするのは、ストレスで自分の体を破壊する自傷行為とさえ感じていた。
でも、逆だったんだわ。
俺は男社会で生きるうちにいつからか「腹いっぱい食うことは絶対に正しい」っていうハライッパイ教に入信させられていた。
俺の中にある無数のクソデブスローガンも、カルト教団ハライッパイ教によって刷り込まれたものだったんだろう。
俺は洗脳されていたんだよ。
でも、目の前に具体的な数字として「貴方の摂取カロリーはオーバーしてます。毎日1000キロオーバーしてます」と毎日見せられることで、正気に戻れた。
デブは食いすぎてるだけ、俺はこれをカルト教団デブハシネ教が唱える教義であり、奴らはKKKの如き凶暴さでデブを社会から排除したくてしょうがない異常者なんだと思っていた。
違うんだよ。
俺達デブが、狂っていただけなんだ。
世の中のデブが全員そうなのかは分からないけど、「食いすぎてるから少しは減らしたら?」と言われてキョトンとしたり怒り出すようなデブはさ、狂ってるんだよ。
俺は狂っていたんだ。
大抵のデブは、食いすぎてるだけだ。
食いすぎてるからデブなんだし、食いすぎるってのは別にそんなに幸せなことじゃなくて、ハライッパイにならなきゃ駄目だっていう強迫観念に突き動かされた不幸な生き方なんだ。
イカレた中年の満腹中枢を満たす目的で飯を食うなんてのは、スタミナを消化するために退屈しながらスマホゲームを遊ぶように無意味なんだ。
腹にスペースがあったら埋めなきゃいけないなんて考える必要はない。
必要なカロリーは科学的に把握していればいいことであって、ぶっ壊れた身体感覚なんぞを信じても地獄に落ちるだけだ。
デブという無限地獄、食えば食うほどに胃が膨らみ、消化機能を破壊しながら必死に満腹を求めていく自傷行為。
そんなのは辞めろ。
水を飲むんだよ。
まずどんなホラーを求めているのか
(自分の怖いツボを知って、クリティカルヒットするやつを見て楽しい自傷行為をするのか、それとも怖がってる人や理不尽な怪異を見てエンタメしたいのか)
を考えてみてもよいと思う
何も残さないと自分の感情が無かったことになりかねないので記録しておく。
手首切る、自殺すると宣言したり、その行為に及ぼうとすることが、どれだけ相手を追い詰めているのかわかっているだろうか。
本人にとっては自傷行為なんだろうが、近しい人間にとってはそのカッターがこちらの喉元につきつけられているようなものだ。かなり効果のある精神攻撃だ。
そう言わせるorやらせるほど追い詰めたからだろ、と言われればそれまでだが。
結局、向こうが意識しているかは置いておいて、仕返しされているようなもんなんだな。
もう一緒にいるようになってそれなりに時間がたった。言われて嫌なこともわかってきたつもりだった。
つもりだっただけで言ってしまった。
実際にそうだとしても嫌なことは嫌なのだ。
助言なんて求められていない。他人が考えていることなんと本人が一番考えているのだ。違った視点から、なんていうのもおこがましい。
言わない方が平和だ。
本人が一番よく知ってるんだから。
言わない力を鍛えるんだ。
「そんなことわかってる!」って反応がくるだけ。
明確な反応がなくても、そう思って向こうも堪えている。
言うことはただの自己満足。
一瞬の満足のあとで長い後悔が待っている。
いい加減にしよう。
誰にも言わないで欲しいんだけど、実は毎晩過食嘔吐してる。
うつ病から始まって、拒食から運動脅迫気味になって、そしたら過食するようになって、ある日自殺未遂しちゃった。
それをきっかけに摂食障害専門の病院で診てもらって、なんとか生活リズムを戻して、1日7時間、週に4日、働けるようになった。
でも過食もあんまり治ってなくて、その分運動しなきゃってなって、運動脅迫が本当に苦しくて、気付けば食べたもの吐くようになってた。
病院の先生にも、「吐いてはないんだよね?」って何回も確認されてたし、吐くようになったら治すのがすごい難しいって知ってたから、そこには手を出したくなかったけど、
とうとう足を踏み入れてしまった。
それをやらなくて良くなっただけで本当に嬉しくて、
過食しても太らないのが嬉しくて、
毎晩毎晩吐いてた。
ただ、問題点がいくつかある。
姉と2人暮らししてるんだけど、
姉が寝た後に吐かなきゃいけないから、寝るのが2時過ぎとかになる。
毎日睡眠不足だし、会社にいる時は基本カロリーとらないからヘロヘロで、過食症時代に飲んでたリポドリンって薬飲んでなんとか仕事してる。
1回の過食のために2,3000円分の買い物をするので、お金がすごいスピードで減って行った。
実家は無く、都内暮し、かつ病気のこともありフルタイム出勤はできないので、手取りは月10万とか。生活保護以下。
過食嘔吐さえ抜きにすれば、
私は痩せてるし、前みたいに夜中に過食しては泣きながら運動して死にたくなってたこともなくなって、週4だけだけど生活リズムも整って働けるようになってて、表向きは上手くいってた。
どうしたらいいか分からなくなって、過食のお金稼ぐためにパパ活始めた。
ご飯代は全部出してもらえるし、可愛いがってもらえるから承認欲求も満たされるし、パパ活してる間はドカ食いもしなくてすむから、一石二鳥どころか三鳥四鳥だった。
でも、上手くいくばかりじゃないから、
パパ活までして稼いだお金が全部過食嘔吐で消えていくのが、虚無でしかない。
相変わらず、会社ではリポドリンを手放せない。飲まなかったら寝不足と低血糖で多分倒れる。
唯一の家族である姉には過食嘔吐のことも、パパ活のことも言えない。迷惑をかけたくない。親も親戚も頼れない。
1番問題なのは、これでサイクルが回ってしまっているということ。例えば、パパ活が上手くいかなかったらいつかお金が尽きて過食も治っていたかもしれないのに。上手くいってしまった。
私はこれで生きるようになってしまった。
本当は、過食嘔吐をきちんと治して、パパ活なんて辞めて、正社員を目指して働くべきだと分かっている。
でも、毎日食べて、吐いて、ふらふらで出勤して、休日はパパ活して、それでもう、精一杯だから、現状を変えられない。
ドカ食いしたあとの膨れきったお腹を見て、毎晩、こんな風に使われる身体なら誰か、別の人にあげたいと心底思う。
臓器提供をしたい。こんな私でも誰かを救えるなら今すぐ死んで、臓器をあげたい。
生きててごめんなさい。
【8/4 追記】
こんなに色んな人に聞いてもらえるとは思ってなくてとてもビックリしました……皆さんありがとうございます。ブックマークコメントも全部拝見しました。
ここに書いただけで偉いとか、頑張ってるよ、って励ましの言葉が本当に嬉しくて、たくさん泣きました。
色々と具体的なご提案もくださりありがとうございます。
ここに慣れておらずあまり機能が分からないので、追記で一部お返事させてください(すべてに返せず申し訳ないです)
本当に仰る通りでしかないです。頭では分かっているのですが……「今月はどうでしたか」と聞かれると、取り繕ってしまうというか、大丈夫です、と言ってしまいます。
非嘔吐で夜中に過食していた頃に比べると出勤はできているし、短時間ですが睡眠はとれていて中途覚醒もないので一見良い感じになってしまって、以来、薬も変わっていなくって……自分で書きながら本当にダメだなぁと思いました。
家族には、すみません、多分、自分の口からは言えないです。まずは先生に伝えることから考えたいと思います。
コメントにあった、この投稿を印刷するのも一つの手だなと思いました。見せるのはまだ勇気が足りないかもしれません、でも、印刷だけでもやってみます。
・サラダドカ食い部に〜
お誘い嬉しいです。今は、食べ物を身体に留めておくことが怖いのですが、野菜なら大丈夫なんだ、という思考に変えていきたいです。野菜は高くて普段買わないのですが、今度サラダクラブ買ってみます。
・ダイエット薬勧めてくださった方
「世間なんざどうでもいいわ。あなたの苦しみが少しでも軽くなればそれで良いんですよ」この言葉に救われました。本当にありがとう。自力で過食を止められたとのこと、凄いです。仰る通り、「太っている」ことに対してとてつもない恐怖感があって、それをどうにかしない限りは一生苦しいのだろうな、と思います。
正社員になりたいと書いたのも多分、見た目以外で、自分にちゃんとできているものが欲しいと思ったからだと思います。中身が空っぽなんです。
薬の服用で節制が習慣化できた、とのことで、選択肢のひとつとして受け止めます。あなたもどうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございました。
・摂食障害以外の疾患は〜
薬についてですが、スタートがうつ病だったのでエチゾラムをずっと飲んでいます。
中途覚醒がずっとひどく、非嘔吐過食の時、無理やりベッドに入っても夢遊病のように夜中にコンビニに買い出しに行って無意識に過食をする→そのまま寝落ち→翌朝号泣して仕事に行けない というようなことが続いたので、寝付きを良くする薬をずっと出してもらっています(皮肉にも、吐けるようになってからの方が仕事にちゃんと通えています…)
明確に診断されたわけではないのですが、白黒思考がひどく、境界性パーソナリティ障害に近いのかもしれません。
なんでも食べるけどそのBMIを維持している、というのがすごいです。玄米菜食で身体が出来上がっているということなのでしょうか。気になったので調べてみます。ありがとうございます。
クソバイスどころか、本当に仰る通りだと思います。昔は好きなものがあったはずなんですが、うつ病と摂食障害になってから無気力で、好きなもの、やりたいことがなんにもありません。それもあって「もう生きなくていいや」と思ってしまいます。
ゆえに、無理矢理でも準備をして着飾って出かける(しかも、お金がかからない)パパ活が、過食を回避する活動としてサイクルにハマってしまった節があります。
でも、よく考えれば、お金を消費せず外で時間を潰す活動ってほかにもあるはずなんですよね。ブックカフェとか図書館とか……
もう少し視野を広げられるようになりたいです。ご指摘に感謝いたします。
私はここ2年ほどの出来事なので、その10倍と考えると気が遠くなるような思いです。長年、この重い病と闘っていらっしゃるあなたを尊敬します。
私も幼少期から太っていて、一念発起で普通のダイエットで20kg痩せて、それをキープするために……という同じ経験です。
今は、食べ物を身体に留めておくのがとても怖くて、「吐かない」のが難しいです。「吐けない」なら「食べない」です。
でも、少しづつでも、吐かずに食べられるように変わらないと治らないですよね。
その一歩目として、他の方にもサラダや重湯、あとは玄米菜食なんかも良いらしいので、お金のことは気にせず考えてみたいと思います。
過食嘔吐ってお金の面でも、身体的にもメンタル面でも、自傷行為だなと常々思います。自分のことが大嫌いなんです。だから死んでもいいやと思ってしまうし、ずっと自分で自分のことを苦しめている。痩せたことだけが成功体験で、唯一、自分を認められるもので、それがなくなったら私は無価値です。多分、それ以外の成功体験が欲しくて、正社員になりたいと書きました。
あなたのお話を聞いて、少しづつでも、自分のことを許して、助けてあげたいと思っています。
こんなにも人を思いやれる素敵なあなたの人生も幸せなものでありますように、私も願っています。どうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございます。
孤独な精神障害者と、それを見捨ててゴミのように扱う社会を掛け合わせると、以下のような結果や問題が生じる可能性があります。
1. **社会的排除と孤立の悪化**:精神障害者が社会から見捨てられると、彼らの孤立感がさらに強まり、精神的な健康状態が悪化する可能性があります。
2. **偏見と差別の増加**:社会が精神障害者をゴミのように扱うことで、偏見や差別が助長され、精神障害に対する理解や共感がますます乏しくなります。
3. **支援の欠如**:見捨てられた精神障害者は、必要な医療や福祉サービスを受けられず、生活の質が著しく低下することがあります。
4. **犯罪や自傷行為の増加**:社会から孤立し、支援を受けられない状況が続くと、精神障害者が犯罪に巻き込まれたり、自傷行為に走るリスクが高まる可能性があります。
5. **社会全体の不安定化**:精神障害者を見捨てる社会は、全体的に連帯感や協力が欠如し、社会全体が不安定になる可能性があります。
これらの結果は、精神障害者だけでなく、社会全体にとっても深刻な問題となります。そのため、精神障害者に対する理解と支援を促進し、包摂的な社会を築くことが重要です。
https://www.nytimes.com/2024/04/09/health/europe-transgender-youth-hormone-treatments.html
ヨーロッパ5カ国は最近、性別に悩みを抱える青少年に対するホルモン治療を制限した。
英国の今回の変更は、独立した小児科医であるヒラリー・キャス博士が火曜日の夕方に発表した4年間のレビューによるものである。「ほとんどの若者にとって、医学的な治療法は性別に関連した苦痛を管理する最良の方法ではない」と報告書は結論づけた。医学雑誌に掲載された関連論説の中で、キャス博士は、若者のジェンダー治療が有益であるという証拠は "不安定な基礎の上に成り立っている "と述べた。
NHSは今後、臨床研究に登録された患者を除いて、思春期を阻害する薬を提供しない。そして報告書は、テストステロンやエストロゲンのような永久的な身体的変化を促すホルモンは、"細心の注意 "をもって未成年に処方するよう勧告した。
英国の動きは、北欧におけるより広範なシフトの一部であり、保健当局は近年、思春期の性別治療の需要が急増していることに懸念を抱いている。
12月、ノルウェーの地方保健当局は、青少年の性別医療を「試験中の治療」に指定し、臨床試験に参加している青少年にのみホルモン剤が処方されることになった。デンマークでは、今年最終決定される新ガイドラインにより、ホルモン治療は幼児期から性別違和を経験したトランスジェンダーの青少年に限定されることになる。
若者に対するジェンダー治療の先駆者はヨーロッパ人である。1990年代、アムステルダムのあるクリニックは、幼少期から自分は違う性別だと感じていた青少年に思春期抑制剤を投与し始めた。
世界中のクリニックがオランダのプロトコルに倣うようになった。これらのクリニックへの紹介は2014年頃から急増し始めた。例えばスウェーデンのクリニックでは、2014年には約50人だった紹介患者が、2022年には350人にまで増加した。英国では、その数は2014年の470件から2022年には3,600件に増加している。
そして、オリジナルのオランダの研究の参加者とは異なり、新しい患者の多くは思春期まで性別の苦痛を経験せず、うつ病や自閉症を含む他の精神的健康状態を持っていた。
現在、オランダで発表された当初の知見が現在の患者にとって妥当なのか疑問が呈されている。
フィンランドで2011年から青少年ジェンダー・プログラムを率い、この治療を声高に批判するようになった精神科医、リイッタケルトゥ・カルティアラ博士は、「世界中が、何千、何万もの若者に対して、1つの研究に基づいて治療を行っている」と述べた。
カルティアラ医師自身の調査によると、フィンランドのクリニックに入院している患者の約80%は女性として生まれ、思春期の後半に性別の悩みを経験するようになった。多くの患者は心理的な問題も抱えており、ホルモン治療では改善されないことがわかった。2020年、フィンランドは薬の使用を厳しく制限した。
同じ頃、スウェーデン政府は厳密な研究レビューを依頼し、青少年に対するホルモン療法には「不十分な」エビデンスがしかないことを発見した。2022年、スウェーデンは「例外的なケース」のみにホルモン療法を推奨し、その理由のひとつに、どれだけの若者がこの先、医学的移行(脱移行と呼ばれる)の中止や逆戻りを選択する可能性があるかという不確実性を挙げている。
2021年、タヴィストックの臨床医たちは、思春期阻害剤を服用した44人の子供たちを調査した結果を発表した。
薬によって自傷行為や異和感の程度が軽減されることはなかった。2020年、NHSはキャス博士に治療法の独立レビューを依頼した。彼女は科学的レビューを依頼し、国際的なケアのガイドラインを検討した。また、若者とその家族、トランス成人、離脱者、擁護団体、臨床医と面会した。
レビューの結果、NHSのケア水準は不十分であり、性別による苦痛の原因となりうる精神衛生上の懸念に対処するルートはほとんどないと結論づけられた。NHSは先月タヴィストック・センターを閉鎖した。
キャス医師は、火曜日に発表された『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』誌の編集者とのインタビューの中で、「子供や若い人たちは、実にお粗末な扱いを受けてきました」と語った。小児医療において、若い人たちに取り返しのつかない治療を施し、大人になったときにどうなるのか全くわからないというようなことは、他に考えられません」。
今月、NHSによって制定された変更は、「私たちの懸念が実際、妥当であったことを認めたものです」と、2018年に懸念を表明したタヴィストック・スタッフの一人であるロンドンの臨床心理学者、アンナ・ハッチンソンは言う。"これらの子供たちに関連する決定について、より強固でエビデンスに基づいた道筋に戻ろうとしていることは心強い。"
フランスでは今年、医師が思春期阻害剤やホルモン剤を処方することを禁止する法案が提出され、懲役2年、罰金30,000ユーロを科した。そして月曜日、バチカンは性転換を人間の尊厳を脅かすものとして非難した。
そりゃ乙女ゲーなんかは俺らのような男が楽しめる要素ないしウゲっと思うだけだが
男性メインターゲットの美少女ものは別に本来誰でも楽しめる作りになってるせいだろ
現実世界で歴史上ずっと男にとって他の男は生殖競争上のライバルでしかなく長い付き合いでもない限り容易に親しみを持とうと思わない
一方で女にとって女はとくにライバルになることはなくむしろ権力的な意味で弱者同士コミュニティにおいて互助的な疎通を図ろうとする
これは男が種をいくらでも撒ける強者総取り構造なのに対して女は身籠ったら半生が拘束されることで競争状態から離脱することに起因している
だから女性ってのは男性に対しても女性に対しても親しみを持ちやすい構造にあるんだよ
むしろ女性はヅカ系みたいに同性相手にすら恋慕を示すことが商業的にも示されているわけ
もちろんカッコいい系女のみならずカワイイ系女にも女性は好感を示すがこれはきっとロールモデル的な称賛や共感が入っているんだろう
一方俺らのような男がイケメンを称賛しようものなら自分に目を向けてくれる異性が減る一方で自傷行為でしかない
イケメンを素直に褒められる男ってのは男の中でもすでにトップ層の地位を確立してる強者か、生殖競争から離脱してる超弱者だけなんだよ
美男子ばっかり出てくるゲームを微塵もやりたいと思えない俺ら男とは発想が違うんだよ
だから男性メインターゲットの作品を女性が楽しめてしまうのは自然の摂理だし男向けなのなんだのに執着するのは筋が悪い
制作側が女性ユーザー層を意識したモノづくりをしてしまう場合があるのが嫌なのは分かるが
それが嫌なら少なくとも全年齢向けをやるのは間違ってる
逆だとただただ痛い。後に引いてもアタックさえ強ければまだ良いんだけど。
あれ……あんま辛くないかな……と不満を抱きつつ、気付いたらなんか口の中に痛みだけがある。これじゃ刺激のある食事体験じゃなくてただの自傷行為だろ。別に修行僧じゃねえからそういうのは求めてない。
ワサビのツンと抜ける辛さも、花椒のビシビシと痺れる辛さも、コショウの柔らかな辛味も全部好きだ。あんまり後にも引かないし。
でもやっぱ辛さと言ったらカプサイシンの刺すような辛さが好きだ。「辛い」という言葉に最も相応しい。舌をスッと刺して軽やかに去って欲しい。
ペヤングのアレはマジで最悪だった。シンプルに美味しくないし、辛いを通り越してなんかほんのりと酸っぱいし、ただただ痛い。伊達にyoutuberのおもちゃにされてない。
私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である。
なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。
私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである。
精神科に通いつつ、投薬とカウンセリングの治療をおこなっている。
そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳の記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。
(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなたの言葉はあなたの感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)
正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。
早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。
当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法が流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。
楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合は母親もほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。
行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日の練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。
でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまうタイプの人間だった。
父親も叔母もスポーツで学生時代に成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。
それが母親の成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。
長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。
ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。
こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。
極め付けはようやく出来始めた友人関係を破壊されたことだった。
中学に上がると、小学生の選手育成クラスから中学生クラスに上がって、ここがジュニアの女子の選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子のさらにその上澄みだけが入る、一番練習がハードなクラスがあった。
いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイトと連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。
(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲームの一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)
けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。
私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスでちゃんと私の記録は伸びていた。
だけど母はその伸びでは満足できなかった。
母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。
私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。
そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。
私はかなり嫌がった。もともとジュニアの女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。
母は私に、「あんな肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたはダメになってしまう」と言った。
嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスのコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。
中学1年の女子が高校生の男子のクラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。
私が苦しんだので、母の不安は解消された。
実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。
注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたことである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナスの感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。
「あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから。
この頃から、試合や合宿で遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。
体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。
しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息を悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。
だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻き、ブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。
ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分の学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてからは予備校漬けになった。
受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業は自分の特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。
大学には簡単に合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。
とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。
ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分の偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。
ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。
1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。
とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。
学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリのラインだった。
振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。
このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショックや東日本大震災の影響があった時期で、特に女子の就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。
でも、留年したのに就活が全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親がマイナビリクナビでエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。
面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。
このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからたしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトはしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論は英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。
結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶はぼんやりしている。
ひとり暮らしの家を引き払い、実家にカンヅメになって母親の監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。
ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存で病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。
この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。
働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的に闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。
本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。
この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分の価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分の価値がボロボロと溢れ落ち、人生がダメになっていくことについて、母親への不健全な復讐の欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。
この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場を経験した。就職先は人売りのSESだった。
これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場が自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。
リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤の生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。
自社開発の案件にアサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事も客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手が全然わからず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴とスポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミットが全然出ないの?
年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。
社長から「新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。
これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始の休みを挟んだ後、ボツボツと休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。
心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解とワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。
この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。
概観してみると、今の私を状態を説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。
特性を持って生まれた子どもが、いわゆる体育会系の世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援が Permalink | 記事への反応(21) | 22:15
まあなんとなく言いたい事はわかる
わかるっていうのは「あなたの思っている気持ちを理解できていて、それを会話で証明できる」ではないからね
一応、合わせて同じ方向で会話ができるとこちらが判断したという意思表明を「わかる」という単語でしていることを伝えておかないと
勘違いして「自分を複製を作って行動予測ができるってことなのか?それとも上辺だけの形だけの懐柔するためだけの添え物のうすっぺらい言葉なのか?」って
柄のついた何でもいい、とかそういうのと比較するべくもない全然別物なので思い出の切れ端みたいなメモリーとして、記念碑的なものとして入れたり
コスプレの一環とまでは言わないけどなにかとつながっている感じを思い出すマークとして入れるっていうのは、あるとおもう
それは自傷行為も同じ面があって、全部が完全に同じだから代替ができるってわけではもちろんないし、選択肢の候補として二つが同時にあがってくるわけでもないけど
それを言い出せばコスプレもメイクも柄もののTシャツも同じだろうけど、自傷行為には近い状態で得られる感覚が別のところでも一致してるという点でわりと似てると思う
裸になったときについてるそれっていう事が、その思い出を振り返るときに使える場所や雰囲気、状況みたいなものが似てると思う
自傷行為って、もちろん全部じゃないけど一部として、自分の体が無痛な時間それはそこにあるのかって不安になるみたいなものもある、もちろんそうじゃないものもある
その傷をつけるのが所有者としての印をつける安心感みたいなものじゃないって場合もあるわけで、その痛みを感じたという感覚の持ち主が自分である事に安心して、またその傷をあらためて見ることで
自分の体がそこにあったと確認したなあと、過去の自分との連続性を感じて安心感をえようとしたりするんだ
もちろんそうじゃない場合もあるし、タトゥーだって全部が一致しているのは「皮膚にプリントする」以外は全部が違っていて同じ理由や同じものは一つとしてないことは前提にしていてほしい
男性は物を貰って喜ぶとか記念品に物を贈って残す、それに実用的価値があることが多くあるし、もちろんそうじゃない男性も多数いることは承知だけど、ここで話題にしたい方向性として男性は物がプレゼントとして嬉しい
女性は花でその場が和んだとか言葉をかけたとか、体に受ける刺激の記憶なんかで思い出として記念を時点で残すことが多く、物の価値は変動するわけだからとくに拘りがないという方向性も多くある
そういう感じで記念を記憶するか記録するか、物として所持するかの一つだろうから、表現として一時的なメイクとか服装で代用するというのとは、方向性として違うと思うんだよね
自分の体をメモ帳にするという意味で、それをメモる意味というのが日本ではまだ有用性が、というか今後もその有用性を持ってくる意義がないと思うのでそんな文化が出てくるとは思えないけど
メモを記載するという事は社会的にどう扱うか、どう扱われたいかという表明になると思うんだわ
入れ墨の意図や方向性の主体が入れた本人個人ではなくて、社会的にその入れた、入れているという事についての意味や意義になるから一般的に「悪い・ダメなこと」のマークとして使われていて
そういう判断で見られるというのが現状だと思うし、実際それをそれ以外の方向に使う必要性がまったくないから今後もかわっていかないと思うんだよね
バーコードで実際に活用されるとか、入れている模様の種類とか色で何に属しているか表現できるとか、自分がなにものなのか、っていうのは移民とか入植者とかで人種や地域がわからなくなり
仲間の見つけ方とか見分け方もわからなくて、それを知る時間のうちに命がつきてしまう状況とかでないと活用できないと思う
それが日本にはないんだよね
どこに属するも何を信じるのも自由で、それを人に押し付けられたり押しのけられたりしないからしたければしたらいいじゃんで終わるので自分を入場券やメモ帳替わりにする必要がない
だけど核家族ももう一世紀ちかく続いてベビーブームも人口的ピークに終焉を迎えて各個人がそんなに人生の選択肢を自由に選べなくなって属するため条件とか、自分の記録や経緯をどこにも残せなくなっていくと
それなりに意味とか意義とかでてくるかもしれないと思う
https://togetter.com/li/2381518
ノリで決めてる人も多いのは確かだと思う(それが悪いという話ではない)
なんかこういうのって溝を深めるだけな気がして(普段叩かれやすいからついこういう事も言いたくなるのはわかるが)
そうじゃなくってもっと軽いものであるって認識になっていったほうが嬉しい
ちなみに自分はあんま見えないとこ(恥部とかじゃないぞ)にちょこちょこかわいらしく入れてるだけだが
人生なんて短いっちゃ短くて、なんかあるたびにタトゥーに刻むっていうのは精神的にすごく浸透するものがあって
私というものを定着させてくれるような働きがあるなと感じるんだな
モチーフを起こった出来事と直接的に結びつける人もいるけど、けっこうそれってリスキーで
それよりはこのタトゥーは~の時に入れたんだったという感じで思い出すものが多くて
入れ墨って太古では武装に近いものやスピリチュアルなものだったと思うけど
現代社会でのそれはもっとカジュアルな生きた、生きている証のような感覚
一生消えないっていうけど、一生なんてあっという間なんだよね
社会的に損することが多いから日本で入れるのは別の意味でリスキーなのは確かなんだけど
自分の身体に印をつけるという行為は「私は私なんだな」と直感的に感じることがしやすくなる
それはタトゥーを入れることで見た目として威圧したいとかそういうヤンキー発想のものじゃない
だからほんとに見えにくいとことかでもいいからワンポイント入れてみるといいと思う
タトゥーなんて親からもらった大事な体になんてことを、なんて考え方もまだあるけど
タトゥーを入れることで自分の身体がすごく大事に思えてくる、そんな効果もあったりするのだ
別に人生が豊かだと思えなくてもいいじゃん、特になんにもないけどちょっと入れてみるか、なんておじさんがやるのもシャレてていいと思うよ
なんにもなくても、ああ自分には生きた体があるんだなって実感できるよ
コメント色々ついてた・!
全身入りまくりとかだいぶ昔に入れてる人とかはリスク高いかも(医者に止められやすいかも)
今は金属含まない成分になってきてるのでそのへんの事情も変わってきてるよ
これは自分の書き方もよくなかた
入れる時ってどんな柄にするかとか、どこでするかとか、いつするかとか、何回に分けるとか、けっこう計画的にするものなんよ
他にも色々書かれてたけど温泉入れないとかは自分もいやなんよね
まあでも日本でもああタトゥー入ってるんだね、くらいの当たり前のものになったら
そもそも輩の武装、怖い、みたいなイメージもなくなるだろうし温泉にも入れるだろうしそうなってくれたらいいなーと思ってる
消えないからこそいいんだよね
メンタリストDaiGo @Mentalist_DaiGo
クソリプは自分の人生を自分で台無しにする【まさに人生への自傷行為】
堀江さんや僕にとっては暇つぶしにもならないような、小さな画面の中の世界が唯一の居場所なんでしょうね。
スマホの画面から顔を上げれば、世界はこんなに幸せで楽しいのに。
そして堀江さんとの飯が終わってから、僕はワインを飲みにヨーロッパへ向かいました。幸せなう。笑
https://x.com/Mentalist_DaiGo/status/1798609649710809235
福永活也@2回目エベレスト登頂しました @fukunagakatsuya
SNSでそんなことやってるぐらいだから、実社会でも適当な陰口叩くのが人生の中心なんだろうなと思います
https://x.com/fukunagakatsuya/status/1798388392146981102
メンタリストDaiGo @Mentalist_DaiGo
実社会では陰口を聞いてくれる人も、きっといないでしょうね彼らには。かわいそうに。
彼らの分まで幸せになってあげることが僕らにできることかもしれないですね。笑
フェミニストを名乗るなんておこがましいと思ってるけど一応、フェミニズムの片隅にいるものとして。ひと言だけ。
女性性の尊厳は自由にしていい、という性的な固定観念のままに、一方的に女性をまなざすのは、いい加減勘弁してほしい。学校のプールでは長袖の水着を着させられてるんですよ。実質的に、まなざされもせず/消費もされてない(こっちはゾーニングしてるのに!)という特権性に甘んじてセンシティブな側面を踏み荒らされ心理的安全性をないがしろにされるのが許される時代じゃない。結局
クレジットカード会社という外圧頼みだった件については溜息しかない。自浄とか最後まで無理だったなあ、としか。……でも反省するというなら話は変わってきます。
LGBT に配慮しろとか言いながら、自分たちは女性だけを選択的に殺す。そんな人たちを助けるなんて自傷行為ですので。
追記・女性の文化を見下してるからメイクとかのセルフケアも取り入れず、なのに「不幸率ガー」 と嘆いてる時点で失笑だし、そもそも「男らしさ」とかいう古臭い性役割を降りれば話は済むんじゃない? 下駄履いてる既得権益はキープなのに救済団体用意しろとか、逆に過保護に慈悲的差別されてない? とか色々思うところはあるけど、全部脇に置いた最小限の条件❶❷だから、そこんとこヨロシクね。