はてなキーワード: 自傷行為とは
横だけど
お前さっき歯肉出血から細菌感染起こして顎が腫れ上がればいいって書いてた人と同一人物?
パターン化してるってことは、その攻撃性の裏には現実生活における特定の悩みや鬱憤や強い心理的葛藤が関係してそうだな
他者を攻撃する際の言葉選びにヒントがめっちゃありそうだが……
心身への健康不安、他者の幸せへの妬み僻み、足を引っ張りたいという欲望、自分自身が非常に不幸だと感じているのか
自暴自棄になっているのか?
十代において自傷した経験のある者はそうでない者に比べて 10年後の自殺既遂によって死亡するリスクが数百倍高くなることが知られている
「自傷行為の理解と援助」松本俊彦よりhttps://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1140080983.pdf
引用文献
Fatal and non-fatal repetition of self-harm. Systematic review
David Owens et al. Br J Psychiatry. 2002 Sep.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/12204922/
自傷行為とは,自殺以外の目的から「これくらいであれば死なないだろう」という非致死性の予測のもとに,客観的にも致死性の低い手段を用いて自らの身体を傷つける行為
「自傷行為の理解と援助」松本俊彦よりhttps://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1140080983.pdf
引用文献
Treating Self-Injury: A Practical Guide , by B. W. Walsh
不治の病、というものがあるが、不治の怪我、というものもある。身体に負う怪我ではない。心に負う怪我、つまりトラウマのことだ。
トラウマという言葉が人口に膾炙したおかげで、ずいぶん軽い意味で使われることがある。ここでいうトラウマは心的外傷、日常生活に支障を来す類のものを指す。精神疾患を引き起こすもののことだ。
不治の怪我を負ってから六年が過ぎた。険しい六年だった。不治の怪我を専門とする医師には合計で三人かかった。初めの二人には信頼を置けなかったが、今もかかっている三人目には心を開ける。不治の怪我の治療には理解ある他者が必要不可欠だ。性格で細かな知識や、怪我の苦しみに寄り添ってくれる愛情がそろっていれば、環境として素晴らしい。
しかし、不治の怪我を負った誰もがこの環境に身を置けるというわけではない。医師にかかろうとすると長期間の予約を待たねばならなかったり、怪我の影響で困難になる手続きを乗り越えたりしなければならない。医師にかかることができても、傷をしっかり見せられるかどうかは医師との相性による。不治の怪我は往々にして、人とのコミュニケーションへのやる気を削ぐ。だが心に負った怪我は直に見えるものではないから、言葉で状態を説明しなければならない。医師が勝手に傷口を見て判断できないのだから厄介だ。
さらに厄介なのは、まさに不治ということだ。六年間、断続的に治療を続けてきた。だがまだ治らない。心の怪我は完治しないともいわれている。どうにか状態を良く保たせるしか方法がない。痣はいつの間にか消え、切り傷はやがて瘡蓋に覆われすっかり元の皮膚に戻る。薬で微生物を退治したり悪いものを切り取ったりして体を治すことは可能だが、心の怪我はそうもいかない。怪我を引き起こした凶器が忌まわしい記憶となって残り続け、繰り返し傷口を開かせる。患者にできるせめてもの抵抗は、傷口が開く頻度を少しでも減らし、心の痛みを最小限にすることだけだ。
不治の怪我は心に負うものなので、身体的には何ら問題がないという場合がある。これもまた難しい。目に見えないというただそれだけで、他者に理解されることのハードルが格段に高くなる。その道のプロが相手ならまだいいが、家族や友人や職場の同僚などはどうだろう。心の怪我とそれがもたらす様々な症状には、偏見や無知が付き纏っている。
嫌なのは、理解を求めて怪我の説明をすることが傷口をほじくり返すことになる点だ。不治の怪我は記憶とそこに結び付いた感情そのものでもある。記憶と感情を映画仕立てにでもしてスクリーンに映せたらどれだけ楽になるか。実際は言葉でたどたどしく伝えなければならない。過去の記憶と感情が現実味を持って立ち上ってくる時、最悪フラッシュバックの恐れがある。不治の怪我の治療は、長く苦しい。
不治の怪我によって、心は大ダメージを受ける。結果、好きなことを楽しむエネルギーや日常生活を送る気力が沸いてこず、死に救いを見出すまでになる。だが身体のほうは正常なので、呑気に空腹になったり汗をかいたりする。食事を調達して食べる力も風呂に入って汚れを落とす力も心はとっくに失っているというのに、身体だけは普段と変わらないことを要求してくる。
ここまでになると、人が自傷行為に至る理由が一つ明らかになる。身体も心と同じように傷ついてしまえばいいのだ。そうすれば心と身体のアンバランスが解消される。いや、いっそ命そのものを捨て去って、心と身体を同時に消してしまうのもいい。だが自傷はともかく、自殺となると完遂がなかなか難しい。ままならない心と身体を持て余して、無為に時間が流れていく。
今、心の傷口がぱっくりと開いて、どくどくと血を流している。流れた血は痛みとともに無力感となり、全身を覆う。そうして現実から目を逸らさせ、二度と明日を迎えることがないようにという願いを孕んだ眠りへと患者を誘う。
その公開後悔自傷行為を今すぐ辞めるんだ
一人暮らしを始めてからというもの毎朝ヤフーニュースを見るのが習慣になった。
実家にはテレビや新聞があって毎日目を通していたが、ここ数年は専らネットニュースが唯一の情報源だ。
しかしこのニュース巡りがメンタルに悪影響をもたらしているらしいことに気づいた。身辺は毎日平和なのにも関わらず自分がとんでもない不幸に見舞われているように感じてしまう。
原因に関してよくよく考えて見ると前にも増してヤフーニュースのタイトル煽りがいっそう酷くなったことに思い当たった。
重要な事件や社会問題なら問題なく受け入れるのだが、困るのが「賛否」「苦情」「もやもや」などがタイトルの冒頭につく、自ら話題を作っているとしか考えられないような記事だ。あれはかなり苦手だ。
さらに治安が悪いと解っていて炎上するヤフコメを覗き、実際にしっかり気分を損ねてしまうこともストレスの一端を担っているような気がする。だが、なかなか酷いものを見る習慣を辞めることは難しい。あれはもはやひとつの自傷行為ではないかとさえ思う。
さて、先日はてなブックマークというサービスがあることを知った。元々緩いツイ民だったということもあり、こちらの匿名の方の存在は認識していたがサービスの連携が良くないせいかまったく気づいていなかった。
(匿名ダイヤリーは下手をすると地獄のように治安が悪くなるという印象がありあまり深入りしないでいた)
まだ使ってそこまで経っていないが酷くメンタルを損ねるようなタイトルは流れて来ないような気がしている。見かけないとは言えないためあくまでヤフコメ比ではあるが多少穏やかでいられる。
今は無きツイッターのように面白ニュースが流れてくるのも良いなと思う。ネットの醍醐味を掬うことができて嬉しい。
とにかく酷いノイズに滅入ってしまうタチなので、現状ニュースを見るならこれとNHKニュースアプリの併用がいい感じに時事を知るためのベストなのではないかと思っている。
ニュースを見るのをすっぱり辞めてしまう訳にもいかないのであくまで対症療法のようなものではあるが……
アドバイスありがとうございました。新聞の電子版を教えて頂き助かりました。おっしゃる通りではてなでも誹謗中傷などの毒気とエンカウントしてしまったためいろいろと程々に付き合いたいと思います。
俺「やり残したこととかないの?」
父「ない。みんなよく育ってくれた。」
俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」
死ぬ3年ほど前から、ストゼロとキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。
同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。
強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。
アイコスやウォーキングマシンをプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリをかぶっていた。
一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。
本当は生きたい事は分かっていた。
けど相手の無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。
ある時から父を生かそうとすることを諦めた。
会うたびに、父に感謝の手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。
準備が始まったが全く悲しくなかった。
式はそつなくこなせればいい。
ただ、葬儀に来る人の事を考えた。
(みんな時間と金を使って悲しい気持ちを体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)
俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。
せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。
俺が幼少期のエピソード → 仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成。
式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。
眼が潤ってきた。
(あれ?字読めないじゃん)
俺「やり残したこととかないの?」
父「ない。みんなよく育ってくれた。」
俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」
死ぬ3年ほど前から、ストゼロとキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。
同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。
強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。
アイコスやウォーキングマシンをプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリをかぶっていた。
一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。
本当は生きたい事は分かっていた。
けど相手の無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。
ある時から父を生かそうとすることを諦めた。
会うたびに、父に感謝の手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。
準備が始まったが全く悲しくなかった。
式はそつなくこなせればいい。
ただ、葬儀に来る人の事を考えた。
(みんな時間と金を使って悲しい気持ちを体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)
俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。
せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。
俺が幼少期のエピソード → 仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成。
式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。
眼が潤ってきた。
(あれ?字読めないじゃん)
あなたの状況は非常に複雑で困難です。感情的な問題、関係の問題、そして精神的な健康に関連する問題が複合的に絡み合っています。以下はいくつかの観点からのアドバイスですが、プロのサポートが非常に必要です。
あなたと夫の問題は非常に深刻で複雑です。個別のカウンセリングと夫婦カウンセリングが不可欠です。カウンセラーは、感情の整理やコミュニケーションの向上に役立ちます。また、あなたの自傷行為も重要な懸念ですので、専門家のサポートを受けることが非常に重要です。
あなたが夫に対して暴力を振るったことは重要な問題です。どんな状況でも相手に対する暴力は許容できません。カウンセリングセッションで、自分自身の感情と向き合い、暴力をコントロールする方法を学ぶことが大切です。
信頼とコミュニケーションは健全な結婚生活の要です。お互いの立場を尊重し、感情をオープンに話し合うことが、問題の解決に向けた第一歩です。しかし、このプロセスはカウンセリングを通じて行うことが望ましいです。
夫の行動があなたにとって有害である場合、自分自身を守るための措置を検討することも大切です。安全でない状況に直面している場合、サポートを受けるためのリソースを見つけることが必要です。
自分自身を責めすぎず、感情を適切に処理する方法を学ぶことが大切です。カウンセリングを通じて、自分自身に対する健康的な評価を築くのに役立つでしょう。
最も重要なことは、専門家のサポートを受けることです。あなたと夫の関係は修復可能かどうかはわかりませんが、カウンセリングを通じて問題を解決し、適切な方向に進む手助けができるでしょう。あなた自身の安全と精神的な健康が最優先事項であることを忘れないでください。
日本のツイフェミが言ってる性加害の話は、安全圏でワガママ言ってるだけ。
アメリカではもっと深刻なレイプ被害などがあるから議論が進む。
そんなに欧米のような国がいいなら、さっさとアメリカにいってきて、半年か1年過ごしてみて、その上で
https://nypost.com/2023/09/04/virginia-school-kept-teen-gender-transition-secret-suit/
バージニア州の高校生が家出し、複数の州で性的人身売買を受けた。その理由の一つは、高校が彼女が男性であると認識している児童の両親に告げず、そのことで執拗ないじめを受けたことが訴訟で主張されている。
現在16歳の祖母であり養母でもあるミシェル・ブレアさんはワシントンのセージ審査官に対し、「彼らは娘を守る権利を盗んだ」と語った。
問題のある幼少期を過ごし、精神的健康上の問題を抱えていたセージさんは、2021年8月10日、14歳でアポマトックス郡高校に通い始め、そこで男性代名詞や男性名で呼び、男性用トイレを使うなど、自分を男性であると認識し始めたという。ミシェルさんが先月バージニア州連邦裁判所に起こした訴訟に対して。
しかし、学校職員はセージさんの男の子になりたいという願望に積極的に関与し、彼女が度重なるいじめを受けていたことを知っていたにもかかわらず、性転換を「意図的に隠蔽」し、手遅れになってセージさんが逃げ出すまで両親を巻き込むことはなかった。その後、彼女は4つの異なる州で数か月間にわたって複数の男にレイプされたと訴訟は主張している。
2021年8月11日、新学期が始まったばかりのある日、セージさんはバスの中で男子生徒たちから悪質ないじめを受け始めた。少年たちに「男の子に見える」と言われ、「男の子が好きになるまでレイプする」と脅され、学校から締め出すと脅迫された。訴状によると、彼女が謝らない限り彼女の髪をバスの窓に押しつけ、どこに住んでいるか知っていると言って撃つと脅したという。
翌日、セージさんは2人の指導カウンセラーと面会し、自分が少年であることを伝え、バス事件について話し合った。しかし、職員らはミケーレさんにいかなる情報も開示していないと裁判所文書は述べている。
訴訟によれば、セージさんはその月を通じて、男子トイレや廊下で男子生徒らに「触られたり、ナイフによる暴力や強姦で脅されたり、廊下の壁に押しつけられたり」していじめられ続けたという。
カウンセラーらは、新学期の最初の12日のうち8日はセージさんと会ったが、ミシェルさんには、子どもの「性の不一致」についてカウンセリングを行っており、「彼女を男性として肯定している」ことは伝えなかった。訴状によると、男子生徒からの既知の脅迫にも関わらず、女子生徒が男子トイレを使用したという。
裁判所文書によると、いじめがあまりにもひどくなったため、他の保護者もいじめについて学校に報告し始めたという。
8月25日になって初めて、カウンセラーはセージが男子トイレを使っていること、そして「安全上の懸念」だけを理由にミケーレさんに伝えたが、それでも親には子供の性自認の変化や、そのせいで彼女が受けたいじめについて伝えていなかった。と提出書類は主張している。
同紙によると、カウンセラーはミシェルさんに「(セージさんの)体に自傷行為の傷があることに気づいた」と語ったという。その同じ日に、ミケーレさんは「ドラコ」という名前が記載された学校の定期券を見つけ、セージさんは自分が男性であることを母親に告げ、彼女が受けた脅迫と感じていた恐怖を打ち明けた、と訴訟は主張している。
訴訟によれば、セージさんはミシェルに対し、カウンセラーが「そうするように指示」していなかったら「男子トイレを使わなかっただろう」と語ったという。
しかし、恐怖に駆られた少女は「精神異常に陥り、逃亡を決意」し、その夜、寝室の窓からこっそり抜け出し、両親に宛てたメモを残した、と訴状は主張している。
訴状によると、メモには「あなたは自分の仕事を果たした。イエスはあなたを愛している」と書かれていたという。
「このまま残ったらどうなるのかが怖い。用心してください。ここには悪い人たちがいます」と彼女は言い、「愛を込めて」と手紙に署名した。
セージさんは「見知らぬ成人男性に誘拐され、レイプされた」後、ワシントンDCに連れて行かれ、他の2人の男たちに残されたまま、やはり薬物を投与され、レイプされたと訴訟は主張している。
その後、この2人の男が彼女をメリーランド州まで車で連れて行き、登録済みの性犯罪者と一緒に彼女を置き去りにし、その男が彼女を強姦し、他人に性的人身売買を行った後、彼女を部屋に閉じ込めた、と訴訟は主張している。
ブレア首相の弁護士バーナデット・ブロイルズ氏は、ボルティモアでセージ氏は最終的に連邦当局によって救出され、「悪夢は終わるはずだった」とワシントン審査紙に語った。
しかし、ボルチモアの国選弁護人アニーサ・カーンが両親がセージ君の新しい性自認を「十分に肯定」していないと主張したため、州がセージ君の監護権を取得したと訴訟は主張している。
セージさんは少年のための少年施設に収容され、「そこで再び性的暴行を受け、薬物にさらされ、医療的および精神的医療を受けられなかった」と訴状は主張している。
セージさんは2021年11月12日にその施設から逃走し、別の小児性愛者に拾われてテキサス州に連れて行かれ、「そこで再びレイプされ、薬物を投与され、飢えと拷問を受けた」と訴訟は主張している。
裁判所文書によると、2022年1月24日に当局がテキサス州でセージさんを救出した後、最終的にセージさんはミシェルさんに返されたという。
彼女に起こった出来事の結果、セージさんは複雑性心的外傷後ストレス障害と診断され、「おそらく残りの人生で治療が必要になるだろう」と訴訟では述べており、セージさんは入院と外来を繰り返していると記されている。帰国してからの治療。
ブレア氏の別の弁護士、メアリー・マカリスター氏はポスト紙に次のように語った。「もしセージさんの両親が彼女の精神状態を十分に把握しており、彼女が最初に自分のアイデンティティに疑問を持ち始めたときに必要なメンタルヘルスカウンセリングを提供する機会を与えていたら、こうしたことはすべて防げたはずだ。」
「むしろ、学区も国選弁護人事務所も、自分たちのほうが親よりもよく知っていると判断したのです。彼らの傲慢さの結果、セージは何度も犠牲になりました。」
遺族は現在、アポマトックス郡教育委員会、スクールカウンセラー2人、カーン氏に対し、不特定の損害賠償を求めて訴訟を起こしている。
俺「やり残したこととかないの?」
父「ない。みんなよく育ってくれた。」
俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」
死ぬ3年ほど前から、ストゼロとキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。
同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。
強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。
アイコスやウォーキングマシンをプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリをかぶっていた。
一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。
本当は生きたい事は分かっていた。
けど相手の無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。
ある時から父を生かそうとすることを諦めた。
会うたびに、父に感謝の手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。
準備が始まったが全く悲しくなかった。
式はそつなくこなせればいい。
ただ、葬儀に来る人の事を考えた。
(みんな時間と金を使って悲しい気持ちを体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)
俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。
せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。
俺が幼少期のエピソード → 仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成。
式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。
眼が潤ってきた。
(あれ?字読めないじゃん)