はてなキーワード: 美辞麗句とは
この話を思い出す度、俺はセンセイとした、とある話も思い出す。
「マスダ、ちょっとしたクイズだ。組織を崩壊させるトップには、どんな条件があると思う?」
「それじゃあマルはやれても、花マルはやれないかな。トップが無能でも、部下が有能であれば意外と組織は機能する」
「えー……うーん、じゃあその有能な部下たちの足を引っ張る?」
「それでも花マルじゃないんですか!? うーん……もう思いつかない、降参します」
「“偽善者”……それはまたどうして」
「理念そのものは崇高だから。故にトップも何が間違っているか気づかず、部下も指摘しにくい。美辞麗句で誤魔化すものの現実とのギャップ差を埋められず、どこかで帳尻が合わなくなって最終的に破綻する」
「偽善がダメってことですか。でもよく言うじゃないですか。『やらない善より、やる偽善』って」
「ははは、そりゃその理屈も間違ってはいないよ。でも、それはその行動によって、具体的に救われる対象がいること前提だ。飢えた人にその場しのぎのパンを与えることは“やる偽善”。愚かな偽善者は『そんなパンを食べさせるな』といって取り上げる」
「つまり“行動派”で“無能”な“偽善者”は周りを犠牲にしながら、漠然とした善行に猛進するからダメってこと」
この話を思い出すのは、俺が市長のことを“行動派で無能な偽善者”だと思っているからだろう。
そんな市長がなぜ今なお市長でいられるのか、その話はまた別の機会にしよう。
「今回の政策は取り下げとなったが、この決まり自体が間違っているとは思わない。法の整理や、システム部分を改良すればよい結果を生むはずだ」
俺たちはその様子を溜め息混じりに眺めていた。
その溜め息の理由は安堵が半分、市長に対する呆れ半分といったところだ。
「まったく、バカみたいだ。あの市長は相変わらず自分の政策を失敗だとは認めない、事実上失敗しているのに。システム部分を改良だの整理だの言っているが、それがままならないから取り下げたって話なのに」
市長に投票した父ですら、今回のことはほとほと呆れ果てていた。
「なのにあの市長は観念的なことばかり言って現実に寄り添おうとせず、それを捻じ曲げて矯正する。モノ捨てられない人間と一緒だ。使い道はあるって持て囃しながら、その実は扱いきれないものをため込んでいるだけ」
父はああ言っているし、俺たちにとっても助かりはしたものの、正直なところ今回の制度がやりたいことは分からなくもなかった。
俺は答えがあるかも分からない、何らかの答えを求めて母に疑問を投げかけた。
「一口には言えないけど……必要だとしても、それはあくまで可視化された証として。“本質”はそこにはないってこと」
「“本質”って?」
そう尋ねると、母は俺と弟をそっと抱きしめた。
「おい母さん、小っ恥ずかしいからやめろって」
母の機械の体によるものなのか、俺と弟によるものなのか、妙に熱っぽかったのを今でも覚えている。
そうしてタケモトさん宅の近くへたどり着くと、予想通り弟がそこにいるのが見えた。
遠くて聞き取れないが、何かをタケモトさんに訴えているようだ。
「誓ってもいい~すべて本当のことだよ~」
やめろやめろ、そんな恥ずかしい真似。
様子見なんて悠長なことはしていられない、早く止めねば。
「この愚弟が! もう歌うな! 何の必然性があってそんなことをするんだ」
「ぐわっ……」
俺は右手で弟の口を塞ぐ。
「ああ? なんだ? どういうことだ」
「はーん、なるほどな。ほんと宗教屋ってロクでもねーな。大言壮語、美辞麗句を吐くくせして、やることがしょーもねー」
「仕方ねーさ。子供は乾燥したスポンジみたいに何でも吸収しちまう。しかも“衝撃の新事実”ってのに弱い。情報が更新されると、そっちを容易く鵜呑みにしちまう。仮に事実だとしても、それは側面的なものでしかないということが分からない」
「だから側面的な話だって、タケモトさんが言ってるだろ。昔がどうだったからといって、それが今のハロウィンを否定するものとは限らないんだよ」
俺たちの言うことに弟は首を傾げる。
その様子にタケモトさんは溜め息を吐く。
「じゃあ逆に聞こう。ここまでの道中お前は色んな人たちに“ハロウィンの真実”とやらを吹聴して回った。で、どんな反応だった?」
「つまり、そういうことだ。みんな自分たちのやってることがハロウィンモドキだと分かってるから、お前の言うことを受け流す」
「どういうことだよ! 皆なんであんなに無邪気でいられるんだ。馬鹿みたいだと思わないの?」
「まあ……思ってるやつもいるとは思うが、思っているだけだ。それでおしまい。祭りってのは馬鹿にならなきゃ楽しめないもんだ。逆説的にいえば、祭りを楽しむのは馬鹿だけ」
「もう少し表現を変えましょう、タケモトさん」
「ああ?……じゃあ“誰も得しない”から、で」
「誰も得しない?」
「皆は思い思いの仮装をして、仲間内でお菓子を持ち寄ったりワイワイ騒いだりしたいわけ。そんな人たちにハロウィンのそもそも論だの、こうあるべきだのといった話は必要ない。無粋だとすら言ってもいい」
「つまりな、ハロウィンは楽しむための“きっかけ”。花見だって、誰も純粋に桜を見に行っているわけじゃないだろ」
「あとは商業主義とかもろもろ……要は彼らにとってどうでもいいことなんだよ。お前の気にしているようなことは」
「なんだよそれ……何というか、不純だ。過去を蔑ろにしているみたいで」
「ったく、変なところで真面目だな、こいつは」
タケモトさんも俺も考えあぐねていた。
もちろん弟の不満を価値観の相違で片付けてしまうことは簡単だろう。
だが弟が知りたいのは“人それぞれ”の構造と、その是非だ。
弟にとって“人それぞれ”だなんて結論は表面的なものでしかなく、思考停止と同じなのだ。
「風習が時代や環境によって形を変えることは珍しくありません。ですが、それは一概に悪いことではないと思いますよ」
全く逆の方向を捜していたのに俺たちと合流したってことは、一応は捜索を熱心にやっていたということか。
「若干、説教くさいが、この宗教屋が言うことは一理あるぞ。そりゃあ元が何かってことは大事だろうさ。それがなければ今もないんだから。でも拘り過ぎるのも考え物なんだぜ」
「ハロウィンがどういったものだったかなんて知ったところで、現状が何か変わるわけでもない。元あったものが形を変えることに哀愁を感じるときはあるかもしれない。だが時代の流れは自然の摂理。それに不平不満を言ってせき止めようとしたところで、結局は誰も得しない」
弟がうーんと唸る。
理屈は分かっても、どこか心の根っこの部分がそれを拒否しているようだった。
こうなったら最終手段だ。
俺は教祖を軽く小突いて、目配せをする。
「えー……つまりですね、この街のハロウィンは、これはこれで“真実”だってことです」
「真実……そうか、そういうことだったのか! 俺たちにとってのハロウィンはこれが正史なんだ!」
どういうことかは分からないが、教祖の言葉は弟にとって天啓だったらしい。
「それじゃあ、お前が納得したことだしハロウィンを続行するか。それとも今からこのお菓子を返しに回るか?」
「……それもいいかもね」
おいおい、まだそんなこと言ってんのか……。
「代わりにイタズラをしに行こう!」
ああ、そういうこと。
結局、今回のハロウィンもこうなるのか。
「ハッ! やっぱりな、とんだ悪童だぜ。こんなこともあろうかと自宅をイタズラ対策用に改装しておいてよかった」
タケモトさんはなんだかんだ言いつつ、この日のためにそこまでしていたらしい。
悪態つきながらもノリノリだな、この人。
こうして俺たちの「お菓子祭り大作戦」……もとい「ハロウィンの真実キャンペーン」……もとい「イタズラ大作戦」は酷い遠回りをしながらも幕を閉じた。
それは確かに遠回りだったけれど、いつも漫然と歩いていた道のありがたさを知る上で、弟にとって決して無駄ではない道だったんだと思う。
「時代の流れは個人を待ってくれない。受け入れるにしろ、拒否するにしろ、進まなきゃ」
「ああ、そうだな。ハロウィンが終わったからといってウカウカしてはいられないぞ。次はクリスマスだ」
「クリスマスだったら歌ってもいい?」
「いいけど、俺の目の届かない場所でやれよ」
「よっしゃ、楽しみだぜ!」
80年代前後の24時間テレビのメインテーマは、必要な支援は何かということを明確化していた。
気持ち悪さはあまり感じない。むしろ誠実さや実直さといった、プラスのイメージを抱くテーマである。
回数(放送年) | メインテーマ |
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第1回(1978年)・第2回(1979年) | 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を! |
第3回(1980年) | カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために! |
第4回(1981年) | アジア・アフリカの障害者のために!国際障害者年記念 |
第5回(1982年) | ストップ!ニッポン姥捨て時代! |
第6回(1983年) | 君の地球のボランティア!アフリカ飢餓緊急援助!世界コミュニケーション記念 |
第7回(1984年) | この地球の未来は子どもたちのもの! |
第8回(1985年) | アフリカ飢餓救援 |
第9回(1986年) | 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために! |
第10回(1987年) | SAVE THE CHILDREN |
第11回(1988年) | 君は地球のボランティアお年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を! |
第12回(1989年) | アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を! |
第13回(1990年) | 地球を救え!10年計画 |
第14回(1991年) | 雲仙・普賢岳災害救援!寝たきりのお年寄りにお風呂カーを!障害者に社会参加を!アジア・アフリカに海外援助を! |
90年代ごろ、何が必要な支援かということがメインテーマから消えた。
その代わり、メインテーマが薄っぺらい美辞麗句だけで構成されるようになった。
個人的にはポジティブの押し売りみたいな薄気味悪さを感じるし、一抹の気持ち悪さすら感じる。
回数(放送年) | メインテーマ |
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第15回(1992年) | 愛の歌声は地球を救う |
第16回(1993年) | 出会い |
第17回(1994年) | チャレンジ! |
第18回(1995年) | もう一度、チャレンジ |
第19回(1996年) | ONE LOVE〜つなげよう!ひとつの愛〜 |
第20回(1997年) | 勇気を出して |
第21回(1998年) | いま、始めよう |
第22回(1999年) | 伝えたい…夢のちから! |
第23回(2000年) | がんばる…君のために! |
第24回(2001年) | 家族って何? |
第25回(2002年) | 家族で笑ってますか…? |
第26回(2003年) | あなたを一番愛する人… |
第27回(2004年) | あなたの夢はみんなの夢 |
第28回(2005年) | 生きる |
2000年代の中ごろ以降、メインテーマは90年代以降の薄っぺらい美辞麗句路線を維持しつつも、
本来漢字やひらがなで表記すべきところを意味もなくカタカナで表記(キズナ・キセキなど)したり、
一般受けしやすい単語(絆・愛など)に薄っぺらいポエムをドッキングさせたりしている。
回数(放送年) | メインテーマ |
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第29回(2006年) | 絆(キズナ)〜今、私たちにできること |
第30回(2007年) | 人生が変わる瞬間(とき) |
第31回(2008年) | 誓い〜一番大切な約束〜 |
第32回(2009年) | START!〜一歩を踏みだそう〜 |
第33回(2010年) | ありがとう〜今、あの人に伝えたい〜 |
第34回(2011年) | 力(ちから)〜わたしは、たいせつなひとり。〜 |
第35回(2012年) | 未来 みらい |
第36回(2013年) | ニッポンって…?〜この国のかたち〜 |
第37回(2014年) | 小さなキセキ、大きなキセキ |
第38回(2015年) | つなぐ〜時を超えて笑顔を〜 |
第39回(2016年) | 愛〜これが私の生きる道〜 |
第40回(2017年) | 告白〜勇気を出して伝えよう〜 |
数十年もの間、毎年数億円単位の募金を集め、それを社会福祉のために役立てている24時間テレビの存在には頭が下がる思いだ。
そういう実績がある以上、今後も続けていくべき番組だろうとは思う。
そりゃあ、あなたもアイドルの前に人間です。いくらルールがあるとはいえ、恋愛するでしょう。恋人がいるでしょう。
総選挙っていうのは、あなたの頑張りが結果として現れる場であり、我々の応援が数字として現れる場でもあるんだ。
「ああ、もっと応援してあげればよかった。」「やった、応援していたあの子がついに報われた。」我々はその結果に涙するのだ。
それが、全く思っても見なかった角度からぶん殴れれる。まさか、こんなことで涙するとは、夢にも思わなかった。
推しよ。おめでとう。私はあなたのこれからを祝福する。まだ整理はつかないけど、この気持ちに嘘はない。
でも、どんな理屈があろうと、美辞麗句並べようと、あなたのその「報告」はファンを絶望させる一言である、ということはどうしようもない事実なんだ。
我々は気持ちわるいでしょう。ファンなら応援すべきなんでしょう。わかってる。わかってるから。
頼む。その日だけは、やめてくれ。
作者は必要だと思っているから書いているんだろうけれども、わざわざコマ外に注釈つけてまで説明する必要性は私には感じられなかったかなあ。
まあ、このあたりの(作劇上必要な)情報の過不足については、裁量の良し悪しが分かれるところではあるけれども。
個人的には、読み切りなのでそこまで情報に精彩を求める必要はないと思っているし、あってもむしろ邪魔だとすら感じるんだよねえ。
そんなことしなくても、絵だけで表現できる力量はあると感じたので勿体ないなあ。
あと、単純にプロットにそこまでドラマがないから、余計にそのあたりの描写だけが上滑りしている印象。
画力は今回の受賞作の中でも間違いなく下位だが、物語作りにおける取捨選択が上手いと感じた。
すごくテンポがいい(早すぎるともいえるが)。
それでちゃんと起承転結描いて、主人公自身の問題も平行して解決させていくのはやろうと思って中々出来ることじゃないと思う。
ただまあプロットにそのまま絵をつけているだけというか、描きたいとこだけ描いているって印象で、その結果「間」がないというか全体的に漂う粗の多さが気になることは否めない。
集団の中で確固たる価値観でもって振舞っている一人の女性に対する羨望を、自分や周りを鰯になぞらえて表現している主人公の独白や描き方がいい感じ。
そして、それが所詮は主観を美辞麗句で語ったものでしかなかったということを突きつけるような、後半あたりから牙をむき始める展開が興味深い。
「自分や周りを魚に例えるなら鰯。じゃあ彼女は?」という視点に向けることで、前半では見えてこなかったテーマの裏を見せてくる構成には感心した。
これもある種の叙述トリックかもしれないなあ。
思春期の息子を持つ家族模様の一ページを、母親目線で丁寧に描いているね。
プロットだけ抜き出すと、ドラマや他の漫画でも使い倒された、すごくありがちな話で前時代的だとすら感じる。
ただ、それをこの時代に丁寧に描ききっているという点は評価したい。
こういった話をシンプルにしつつも過不足なく、絶妙なバランスで描くって簡単そうで意外と難しいことだと思うので。
難解な感情だとか複雑な題材を用いていないのも、かえってストーリーを受け入れやすくしていて個人的にポイント高い。
子供の頃、フィクションで登場する大人にそこまで感情移入できなかったのが、自分が大人になって改めて作品に触れてみると理解できるみたいな感覚を味わえた。
子供を作っても良い環境が与えられないから作らない説、アレって嘘だよね?
正確には「子供を作ると、良い環境を与えられない自分の無能が露呈するので作らない」だよね?
自分の虚栄心が大切だから、その幻想を現実で壊されたくないだけだよね。
クズ親の子供は礼儀知らずで勉強出来なくて字も下手くそで服は毛玉だらけ(特に今の季節は目立つ)
家庭環境も、勉強も、学費も、まともな親なら共働きで貯金もして捻出するんだよ。
なぜなら、子供がかわいいから。自分の人生が終わる時、引き継いでくれる存在だから。
自分勝手で楽しい時期なんて、80~90年の人生の前半くらいだよ。そして前半でキリギリスだったお前らに、人生の後半の寒さが突き刺さる事になる。
共働きはイヤ、同居はイヤ、残業はイヤ、家事は分担しろ、自分へのご褒美、結婚記念日、1年に1回は旅行とか、自分の欲望のままに生きたりはしないんだ。
収入が下がって大変とか言うバカは、自分が1年に使った無駄金を数えてみろよ。鬱で働けませんとかいうカスは死んどけ。
コンビニやスーパーでメシ買って自炊しない、月に1冊もまともな本を読まない、仕事に関係ない出費が収入の1割以上有る、1ヶ月の労働時間が150時間切ってる、家や部屋が散らかってあらゆる行動の効率が悪い、収入が下がるバカはこんなのばかりだ。
結婚しない、子供作らないって言ってもね、人口の約半数は結婚してる(あるいはする)し、結婚したカップルの出生率は2を超えている。
要するに結婚しない、子供作らない人たちは人間の下位50%以下の負け組って事だよ。
子供を作れないならそれは仕方ない事だけどね。
負け組が口をきけるのがネットの良い所(なにせ、現実社会では誰も話を聞いてくれない)だけどね、負け組って自覚は持とうよ。
負け組でもいい、子供なんていらない、死んだら死んだ時、金がなくなっても生きていけるって。
これが50代、60代になって生物的に子供を作れなくなり、体が衰えて、働く場所も無くなった時、必ず意見が変わるんだ。
自由を謳歌したアラフィフのバリキャリは、今更子供が欲しいと言って貯金全部とマンション売り払ってを不妊治療につぎ込んだ。当然だが子供は出来ない。
暴飲暴食してて心筋梗塞食らったジジイは、いきなり健康に気をつけて言動が変わった。塩分1日4グラム生活でヒィヒィ言ってる。
親から5000万ほど遺産もらったババアは周囲が散々止めても聞かず、70手前で使い果たして日雇い生活。払わなくてもいい金を使いまくって男に貢いで文無し。
57歳ニートは親が死んで年金止まって、最近家が差し押さえ食らってた。その後どこに行ったのか知らん。
人生の前半をキリギリスとして生きた人間には、必ず報いが来るんだよ。
まぁ負け組はキリギリスというほど今も楽しめていないのだから、これは関係無いな。
負け組のみなさん、君らが子供作らないのは勝手だけど、生まれても居ない子供が可哀想だから作らないという虚勢を張るのはやめて下さい。
君たちは子供を作るほどの甲斐性が無く、教育を与えて責任を持つ気概も無く、厳しい時代の中で生きていく知恵や人脈を作ってやる事も出来ない無能です。
私は無能で責任を持つ気概も無いので子供を作れませんと、正直に告白して下さい。
そして老後に後悔して下さい。これは間違いなく後悔しますから。
俺の、私の人生はこんなはずじゃなかったと、6畳一間のボロアパートで、毎日後悔して数十年お過ごしください。
その程度の後悔では終わらんよ。体がそれなりに動く間の後悔なんて知れてる。
どこかで「宝くじが当たればやりなおせる」とか思ってるだろ?体が動かなくなると金でも解決できないという絶望が襲ってくる。
子無しの設定として「無能なので子供を持てない」のと「能力はあるが自らの選択で子供を持たない事にしている」のとまぜこぜにしてるから
滅茶苦茶悪趣味なことを言っているように見える。
あえて持たないという主張は、人生の後半で後悔すると書いている。混ぜてるようにしか読めないなら、君が「能力がある」方に入らないのは確定だね。
若い間は調子に乗っていても、いざ自分の身に降りかかれば醜く無様に泣きわめくのが人間。
実体験まで書いてやってるのに妄想としか判断出来ないほど頭が残念な子か?
お前は1つも具体例出さず脳内妄想だけで生きてるのだね。負け組は大変だな。
無能だから産まない=生まれてくる子供の環境がかわいそうになるから作らないだろ。この程度の論理展開もできない親を持つ子供って負け組なんだよなぁ。
つーか独身でもおまえごときより仕事ができて年収も高くて幸福な人生を歩んでる人は山ほどいるわけだが、そうあってほしくないと願わずにはいられないほど不幸な結婚生活を送ってる負け組の発狂したコメントってクソ笑えるわ。
生まれてくる子供がかわいそう=生まれても居ない他人の心配をするフリをして虚栄心を隠しているだろ。
じゃあこれは何だよ。
たとえばこのへん。
4つほどあげてるが、数も数えられないのか?
後半は論理が破綻しまくってるので放置。IQが20違うと会話が成り立たんって本当だな。
ブコメ大体読んだ。
人気コメトップが面白いな。反論できずに図星刺された人の数としか思えないんだがw
スターと図星をかけてるのかねw
1 景気が~ 世の中が~ 心理学が~ 貧しい家庭が~ 女の人生が~
上でも書いてるが、外部要因に自分の人生を任せたいなら禁治産者どうぞ。
自己決定の積み重ねで出来ている人生を否定して、自己責任を放棄しているから君は無能なんだよ。
2 私は無能です
そうだ、それでいい。
かわいそうな子供を作らないなどという美辞麗句で自分を騙すことをしない君は、嘘つき無能からただの無能にランクアップだ。
上に書いてる無能の特徴を消していけば、一般人にランクアップ出来るかもしれん頑張れ。引用しとくわ。
コンビニやスーパーでメシ買って自炊しない、月に1冊もまともな本を読まない、仕事に関係ない出費が収入の1割以上有る、1ヶ月の労働時間が150時間切ってる、家や部屋が散らかってあらゆる行動の効率が悪い、収入が下がるバカはこんなのばかりだ。
3 真の無能はパコパコ~
いや、お前はパコパコすら出来てないだろw
子供を作らない俺有能から、パコパコしない俺有能まで堕ちるのかw
どんだけ自虐好きなんだよww
4 発達障害
断ち切るんじゃなくて、断ち切らざるをえないんじゃないの?
子供が出来ない人は仕方ないって書いてるの読んでないぽいので、文盲なのかな?
5 鳩山首相の~
弟である鳩山郁夫氏の追悼文読んでこいよ。育ちの良さ、教育の重要さがよくわかる名文だぞ。
お前みたいに揶揄する事しか出来ない無能とは違うね。超金持ちだしなww
100以上ついてるので全部は返信できんが、本分読んでないバカ多すぎなのでちゃんと読め。
http://anond.hatelabo.jp/20161123133655
例えば、この映画をお題目とした資金調達活動によって、全く別の行為に資金が流用されていればそれは倫理的道徳的、下手をすれば法的に問題はあるとは感じるが、
映画のプロモートとして監督直々に海外に渡航するというのは、映画に関わるり営業活動、しかも効果的でかつ一種の箔付けとして必要な営業なわけで、少なくとも本作品を看板としてクラウドファンディングを利用する理由として不適当だとは感じない。
クラウドファンディングとは企画者が背負うには過大な金銭的リスクをウェブを通した不特定多数の人間からの資金調達で補うものであり、その有り様は様々とは言え、企画者はもちろん出資者の目的は常に小口出資によるプロジェクトの達成にある。
その本質は従来の寄付を拡大する概念であり、いわゆる投資的活動の縮小版ではない。いうなれば市場経済的な投資活動以前の経済活動に立ち戻り、それをより現代的に、ICTを駆使してスマートにかつ効率的に遂行できるよう発展させたサービスである。
すなわち出資額とリターンは必ずしも釣り合う必要はなく、天秤を慮る必要があるとすればプロジェクトに対する出資者の価値観と金銭感覚のバランスの問題にすぎない。
その上で個別的に、本プロジェクトに立ち戻りリターンについて見てみるが、確かに挙げられたリターンは通常の投資、あるいはよりミクロな購買活動として見た場合やや出資額に対して不釣り合いに思えるところはある。そしてそもそも論としてプロジェクト自体についても、出資者は確かにそのプロジェクトの効果を実感しづらいものではある。しかし現実としてそれでも本プロジェクトに賛同する人間はいて、少なくないお金が集まる。
それは人が単純な利益計算、あるいは市場的な相場判断を超えた部分で経済活動を行うということの端的な表出であろう。既にプロジェクトを完遂したという信頼、そしてその成果が予想を遥かに上回るものであったということに対する一種の追加報酬、そういう経済的な理由付けは出来る。しかし、おそらくよりプリミティブな他者への賛意というものがここに、クラウドファンディングと言うものには表れているようにも思う。
さて多少美辞麗句を並べたが、そういったものがクラウドファンディングを支えているとして、それが常に正当な結果を生むか、それを超えて経済活動として「正統」であるのか、ということはもちろん言えない。
クラウドファンディングをめぐる騒動は珍しいものではない。先に挙げた詐欺まがいの資金流用と言った犯罪行為はもちろん、犯罪とは言えないがそれこそリターンやプロジェクト自体にまつわる見解の相違はどこにでもある。
もう辞めてからだいぶ経って身バレする可能性が低くなったので昔勤めていた会社のことを書いてみようと思う。
以前勤めていた会社は約50人規模の地方中核都市の中小企業だった。
社長はバブル期の後半に30歳そこそこで起業をした人間で、色々途中ありつつ約20年でかなりの売上の会社にしたやり手だ。
時代もあったしたまたま始めた事業がその後世間的なニーズの波に乗れたという運もあったが、認めたくないものの仕事はできる起業家だったと思う。
私は比較的社長に近い位置に採用されており、その社長が他の社員や取引先と会合をしている様子を見てきた。
サイコパス的性格というのは他者への共感性が薄く、モラルが低く、自尊心が高く、また口が達者で一見魅力的という特徴があると言われるがこれが完全に当てはまる。
本人を目の前にしているときにはさんざん相手からの信頼を得るための美辞麗句を並べ立てておいて、相手から受けられる利益の当てがなくなるとあっさりと切る。
切って周囲から何か悪評が立ちそうになると「断腸の思いで切った」「時には経営者は嫌われ者になる覚悟が必要」とこれまた周囲をうまい具合に丸め込む。
あまりのすさまじい二枚舌に精神のバランスは大丈夫なんだろうかと最初は思ったが、何年も一緒に仕事をしているうち、二枚舌で相手を騙したり陥れたりすることにむしろ快感を覚えるタイプなんだということがわかった。
良心の呵責なんて全くなく、「バレなきゃ違法じゃない」を地で行くタイプだった。
先に精神が参ってしまったのはそんな様子を間近で見続けてきた私の方で、こればかりは匿名とはいえここに書くことはできないような事件があり「これ以上ここにいたら自分の良心も麻痺してしまう」と思い離職を決意した。
私は勤務をしていたときには社長に極力逆らわず、言われたことは言われたとおりに遂行し、従順すぎるくらいに従順だったのでかなり気に入られていたようだ。
なので私が辞めると告げた時にはもしかしたらひどい罵詈雑言を浴びせられたり離職の日まで嫌がらせを受けるようなことがあるのではないかと心配していた。
しかし予想に反してサイコパス社長は何年も勤めてきた自分に初めて涙を見せた。
いわく「お前がいたから俺はここまで会社を大きくできた」ということで、行かないでくれとまるで恋人にすがるかのような態度をとってきた。
ちなみに長年仕事をしてきたが私は社長のことが信用できなかったのでプライベートなことは出来る限り口にしてこなかったし、架空の恋人を作ったり別れたりしてきた。
私が絶対に辞める意志は覆さないと言ったところ、「せめて次の仕事を世話させてくれ」や「辞めている間何か助けをさせてくれ」とこちらが不気味に思うほどのことを提案してきた。
もうこれ以上この人とかかわり合いを持ちたくないと思っていたのでそうした提案も全部退け、逃げるようにして退職した。
退職したあと夜道を誰かにつけられているような気配がしたり、家の玄関先に社長が吸っていた銘柄のタバコの空き箱が置いてあったりということがあったが多分気にしすぎだと思う。
それも数ヶ月したらなくなった。
今考えるとサイコパスというのは悪気がないからサイコパスなのであって、良心の呵責なくバッサリ長年勤務してきた従業員を切ったり、取引先との契約を反故にしたりするのは本人の価値観からすれば全く問題ない素直なことなんだろう。
周囲から嫌われそうになったら全力で好かれようとするし、裏切られそうになったら何をしてでも関係を取り戻そうとする。
実に素直な性格だ。
直情的で自分に正直だ。
だから私を引き留めようとした涙も芝居ではなく、その瞬間は本気でそう思っていたんだろうなと思う。
あの人は会社を起こしてそれがたまたま成功したから良かったけど、人生における興味がもし殺傷とかに向かったら歴史に残る犯罪者になっていたかもしれない。
大型案件を失注した。敗軍の将、兵を語らずだ。
やれることはすべてやった。やり尽くした。顧客価値を常に主眼に据え、価値を提案しつづけてきた。
もちろん価格も重要な要素だからして、単に値引きではない戦略的な価格を提示した。
しかし、顧客は「単に」最も安価な企業を選択した。ここに今回の違和感と失望がある。
ガムを買うのではない。これほどまでに大規模な事業に対して、単に価格で選定してしまうような、
そんなマインドのまま調達に臨ませてしまった自分の提案力のなさに失望した。価値提案では誰にも
負けない自信があったのに。
確かに今回の調達は一筋縄ではなかった。規模も特性も著しく異なる40近いステークホルダーに
対してどのように合意形成していけば良いのか、最大公約数(落とし所)はどこなのか、暗中模索の
提案だった。困難という言葉は使いたくないが、決して容易ではなかった。最も合理的で納得しやすい
キーワードが「価格」であったことは否めない。しかし、そこに身を委ねることは単なる「逃げ」に
過ぎない。だからこそ、真正面から向き合い、価値を中心に真摯に提案を重ねてきたつもりだった。
いったいこの提案のために、どれほどの人が関わったのだろう。どれほどの人が期待したのだろう。
俺はその人たちの期待に応えられなかった。デジタルと同じだ。「1」か「0」。結果が出なければ「0」なのだ。
彼らに伝えるべき言葉がまったく見つからずに萎縮している自分がいる。失敗は恥ずかしいことではないと常々
言っている自分が申し訳なさにいっぱいになって萎縮している。萎縮ではなく、単に自分の能力の低さを看破
されるのが恐いのかもしれない。というか、そうなんだと思う。弱い。
万策尽くしたから悔いはない、得るものがあった、なんていう美辞麗句は、俺のポジションには不要。
かといって猛省でもない。公共という市場に対してずっと感じていた違和感が露呈した案件だった。
今回の件で、公共市場全般に対する失望感を強く感じた俺は単に逃げているだけなんだろうか。分からない。
とにかく救いが喉から手が出るほど欲しくて「孫子」を読んだ。しかし、そこには自己肯定しかなかった。
ならば、考えることは他にある。
最後に。誠に自分勝手なことを言わせてもらえば、今回の失注は最高だ。
この失敗によって、更に俺は強くなるし、俺の根は深くなる。
しかしいまや、訴訟やクレームを回避するために、業者が褒め言葉ばかり並べるために、それらは消えてきている。
しかし、言いたいのも、聞きたいのも、クレームや不満のほうが多いのだ。
ある商品はどこが駄目とか、この医者はどこが駄目とかそっちのほうが役に立つ。
どの店も美辞麗句ばかり並べられたところでは宣伝としか思えない
例えば、デンターネットという歯医者に関する口コミサイトがある
ここは改善要望レベルの文句以外、例えば保険診療を選ぶと対応が悪い、治療ミスなどの口コミは
ブラックでんリスト、という通常の口コミ以外の場所に並び、都道府県名以外の歯科医院名などは隠されてしまう。
なので、歯医者を検索すると、どこも褒め言葉の口コミ以外は残っていない。という仕組みである
これではまるで役に立たない
このサイトはまだ苦情の山が確認できるものの、誹謗中傷やクレームのような口コミや個人的なトラブルに関する口コミは削除するとうたっているサイトも多い
アマゾンやカカクコムではある程度的確な苦情や不満を見ることができるが、全体としては減ってきているのが実情だ
これでは、病院などの情報は近所の井戸端会議に回答を求めたほうがマシになってしまった
きちんと悪い店良い店の話が聞ける。悪い店の不満を言える。
歯に衣着せぬ意見が散見される素晴らしいメディアだったインターネット
今は誰もが炎上やクレームを気にして、自主規制や、検閲をかけている
A子は新刊を出したらその友達と毎回交換するらしいのだけれど、こちらが感想を述べたにも関わらず、あちらは感想を全くくれないらしい。
他の友達にはTwitterなどでたくさんの言葉を使って感想を伝えているのに、自分にだけ貰えないとの事。
解釈が違うとか好みじゃないとかで自分の本はもういらないのかと思い渡さないでいたら、お金出すから欲しいとまで言って要求してくるらしい。
辛い。
だからといって自分だけ貰えていないのは恥ずかしいので同じジャンルの友達には相談できず、別ジャンルの私に愚痴って来たというわけ。
聞きながらデジャブを感じた。
あ〜そういう人いるよね〜。
いつも新刊出まーすと宣伝すると「欲しい!」「楽しみ!」って言ってくるけど、いざ渡すとその後音沙汰ない人。
はっきり「どうだった?」と聞くも、「まだ読んでない」と言われるのはほぼ毎回、「忘れてた」と言われた事もある。
それじゃあもう渡さないで良いかあと思ってると「欲しい!」って言ってくる。
多分「読んでない」も「忘れてた」も嘘。
きっと面倒くさいんだと思う。
他のそこまで仲良くない人には頑張って考えて美辞麗句並べるけど、仲良くなって、自分が甘えられると踏んだら面倒くさいという気持ちを優先しちゃう人。
最初は「そんなに私の作った本は面白くなかったのだろうか」とか「本当はいらないのにお愛想で欲しいと言っているのでは」とか考えてやきもきしてたけど、
その子が自分で「私は真面目系クズ」って言ってるの見て、あ〜ってなった。
この人クズなんだと。
それなら仕方ないと。
まあ要求しておいて平気で「忘れてた」なんて言える人だしあからさまにクズだよね。
そう言う人だと理解しておけば、必要以上に腹立つ事もないし、落ち込む事もない。
期待するからへこむのであって、期待しなかったらなんてことはない。
こいつ人に頼んでもらった本に対し、一言発する事も出来ないクズなんだ、と思えばいい。
最初はやっぱり辛いと思うけど、そのうち慣れてくる。
真面目な顔してアドバイスしながら、その自称真面目系クズのA子に心の中で「ざまあwwwww」と中指を立てる私であった。
(同じ事を私はあなたにされてたんですけど~~~)
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
なので、できれば馴染み深い動物で、かつ具体的なシチュエーションがあれば眠りやすいことになるな。
君がゴリラか、ゴリラみたいな人間に犯された経験があるならば、ゴリラで数えてもいい。
美辞麗句という言葉があるように、それで紡がれた言葉はさぞ気持ちがよいことだろう。
だが、それだけだ。
言葉に対してその実中身が伴っていない論というものは、結果として無意味に人を批難したり抑圧の材料にしかなっていない。
過去に、「正直であることと」と「正しい」ことがイコールではないことは回答した。
そして、「正しいことを伝える」ことが必ずしも「正しい」ことではないことも。
私の体験談です。
ベンチャー、イノベーション、町おこし、若者支援・・・・素人参加型プロジェクトはニュースを眺めていると毎日一つか二つかは報道されていると思う。クラウドファンディングには彼らのプロジェクトでいっぱいだ。
ただ、誰もどうなったのか報道しない。美辞麗句を並べたプロジェクトの結果がどうなったのか誰も気にしない。いつのまにか人々の記憶から忘れ去られていく。
プロジェクトはどうなったのか?無作為に集められた人々は各々好き勝手なことを言う。そして、アニメのように醜く罵り合うようになる。建設的な議論は何ヶ月かけてもできない。もちろんばかばかしいと思った人から順に辞めていくが、もちろんアニメと違って、現実社会で死人が出ることは稀だろう。ただ、精神的におかしくなり心療内科に行く者も現れる。どんどん脱落していく様相はまるでデス・ゲームだ。主催者が美辞麗句を並べてマスコミに発表していたのが嘘の様に思えてくる。気付いたときには何もできないまま1年間が過ぎている。一方で主催者は別のプロジェクトを始めるための準備で忙しかった。そう。それはプロジェクトの宣伝効果で知り合った別の人間とはじめるプロジェクトだった。そして、主催者はだんだんと元のプロジェクトから引いていき、参加者も徐々にフェイドアウトしていった。風の噂によると次にはじめたプロジェクトも成果はほとんど出ておらず、マスコミに喧伝している成果は無名の会社にアウトソーシングされたもので、参加者たちの独力ではなかった。ようするにハリボテのような存在だ。もちろんそのプロジェクトも未完のまま、主催者は次のプロジェクトを開始している。まるで焼畑農業である。彼の足元には多くの屍体が蠢いている。
そのプロジェクトと縁を切って随分経つが、半年前に某県某市役所と仕事で関わることになった。そこには元◯◯(大企業)社員という肩書きだけで仕事を受けている怪しいコンサルタントが町おこしの企画を請け負っていた。美辞麗句を並べた町おこしのニュースはよく見るが、実態について報道しているものはない。サステイナブルな長期的経済効果が理想だが、短期的な経済効果すらも得れていないことがある。私が住む町に捏造された名物料理があるが観光客は誰も食べていない。報道はされているし、ガイドブックにも書かれているが町おこしのために掲げた名物料理を提供している店のほとんどは赤字だ。町おこしの、正確には「地域おこし」と言うそうだが、安倍首相が掲げる「地域創生」のために何百億円も税金が投入されているそうだ。胡散臭いコンサルタント達が税金を食い物にしている。そして、私が最初に関わったプロジェクトの主催者の近況を調べてみたら地域創生に関わっているそうだ。
もちろん、何かを始めれば失敗もするし成功もする。当たり前のことだ。しかし、美辞麗句を並べて始めたプロジェクトの多くが行方知らずだ。失敗したのか成功したのかもわからない。参加者達の多くは主催者の無責任さのために傷ついていく。そして、それらに税金が投入されていることさえあるのだ。
アニメの迷家を見ていたら寒気がして居ても立っても居られなくなって書いてしまいました。過去のプロジェクトで出会った人たちと登場人物を重ねてしまいます。素人同士の議論や主催者の無責任な言動がほんとうにそっくりです。笑えない。
簡単ですね。本で統一して話を進めていきますが、読んでいて好きだと思ったら好き。嫌いと思ったら嫌い。
ここで最大の注意を書きます。
好きも面白いもその境界線が曖昧で自身の内から湧き上がってきたようなものに思えますが、実際は同じものではありません。
好き(嫌い)には責任が伴いませんが、面白い(面白くない)には責任が伴います。
「この本好きだ」
「この本面白い」
好きは感情です。感情に対して理由は求められませんし、求めにくいものです。「好きなものは好き」で相手はもう二の句が継げない状態です。
一方で面白いは判断です。判断は根拠が求められる場合が多々あります。すなわち、「なぜ面白いのか」を答える必要があります。
そして、他者に「それは面白そうだ」と思わせるのが目標になります。
1番簡単なのは好きを書き出して列挙することですね。
「こんなにたくさん好きなところがあるから面白いんですよ」と。
応用編として少しは嫌いなところも列挙してみるといいです。
「ちゃんと嫌いなところも列挙している僕は誠実でしょう。でも好きなところが多いので安心してください。だから面白いんですよ」と。
どんな長文もプロもとどのつまりはこのパターンでレビューを書いております。
amazonによく見受けられる「☆ひとつ引かせていただきます」などの自分の基準で星を加減することに説得力はあまりありません。
よほどの有名人になるかしないかぎりは自身においての星の基準などは考えないほうがいいでしょう。
対象の事実誤認は大いに説得力を欠きます。現在、Googleという便利なものがあるので軽く検索しておくほうがいいです。
文章の誤字脱字文法などもそうです。あまりそのことばかりに気を取られて美辞麗句をならべることに熱中すると、ポエムというちがうジャンルになるので注意しましょう。
こういと勘違いした人が「子供がアンパンマン大好きと言ってるのも否定するのかい。おおこわいこわい」とか噛み付いてくるんだろうけどそれは違うよ。
なぜなら子供がファン活動のお金を捻出する手段で一番健全なのは親にねだることだから。
でもいい年こいた大人がさ「俺は無料の範囲でしか楽しんでないけど宣伝してるから金落としてるようなもんだぜ!」と言ってたらそりゃ違和感しかないよ。
どんなに美辞麗句を並べたって「そんなに素晴らしいならお金を出したら?」としか思えないじゃん金払ってなかったら。
でもやっぱり自分で金払ってないうちはファンとは違うかなあ。
こうすると今度はさ「じゃあ貧乏人はファンを名乗る権利がないのか!」とか騒ぐ人がいるけどそれもまた論理が破綻してるよ。
学生が食費を削って映画を見ましたラノベ買いましたって話はよく聞くでしょ?
それの延長線上でどうにかなるもの。
それさえどうにもならなくてもさ本当にその作品が好きなら金を払う為に金を稼ごうって気になるでしょ?
母の治療費を稼ぐために仕事掛け持ちでヒーヒー言ってますって話もよく聞くでしょ?
これまたそれの延長線上よ。
本当に好きで好きでたまらないなら金を捻出するために貧乏脱出できるわけ。
島本和彦先生だって余計に稼げば1万余るぞと言ってるでしょようはその熱意がないのにファンを名乗るなって話よ。
「じゃあ金さえ払えば熱意がなくてもファンを名乗って良いんですか」だって?
そりゃそうよ。
さて随分前の話になるが終了告知されたMMOを数日だけプレイしたときの話.
当時やっているゲームに飽きて手持ち無沙汰になったところに,数年続いたあるネトゲが終了すると聞いて冷やかしがてらやってみた.
なぜ人が多く実績のあるネトゲでなく,人が去り終了に追い込まれたネトゲをやったのかって,興味があったからだ.
盛り上がってるネトゲはそんなに早く終了しないけど,終了告知されたネトゲは数ヶ月で消えてしまう.
つまり希少価値があるんだ.ほとんどの人には無意味な価値だけれど.
華々しいキャラクターが踊る公式サイト.プレイヤーを誘う大きなゲーム開始アイコン.中央にあるゲーム終了告知の赤文字が不釣合いだ.
起動するとオープニングムービーが流れ,PS時代かと見まがうほどのクオリティの低さだが冒険の始まりの雰囲気はする.
変化に乏しいキャラクタークリエイト.職は戦士と魔術師とヒーラーがあり,とりあえず戦士.
読み込みが早いのでストレスは感じない.新規育成キャンペーンだとかで追加のアイテムがどんどん入ってくる.
そのうちクエストで狩りをすることになる.でも敵をクリックしてたまにスキルボタンを押すだけ.とても簡単.
この程度ならいくらでも続けられるぞ!
しかしだんだん飽きてくる.同じようなマップで同じようなクエスト,同じような狩り.
キャンペーンでもらったポーションのおかげで回復は有り余っていて戦闘に緊張感がない.
もちろんここまで他のプレイヤーとは全く遭遇しない.
チャット欄には楽しげな口調でシステムの告知が連なる.「レベル11達成! 新規キャンペーンの報酬を確認してください」
しばらくやっているとそこそこ大きな街に着いた.
ここからはサブクエストやPvPコンテンツが開放されてある程度自由に動けるらしい.
キャンペーンでもらった素材をぽちぽちやると装備を強化できた.
とりあえずサブクエストでドラゴンの討伐に向かう.強化した強さを見せてやる!
あっけなく殺される.どうやらPT専用のクエストだったらしい.
数日が過ぎ,どうにも人恋しくなってきた.
毎日ログインするとアイテムがもらえるのだが,これが価値のあるものなのかわからない.
自分のやっている強化やクエストが正しいのかわからない.目標もない.
メニューからギルドを検索すると,メンバー募集中のギルドがあった.
規模もそこそこ大きく貢献度も高い.さっそく申請すると自動承認された.
複数のカンストキャラが登録されているが,最終ログインが3ヶ月前.
ギルド告知にはこうある.「ギルド休止につき出入り自由.倉庫のものは自由に使ってください」
倉庫を見ると空だった.
しばらく広場でぼーっとしていると,初めて他のプレイヤーに会うことができた.
天使の羽のようなアバターをつけてチョコボみたいな乗り物にのっている.いかにも強そう.
嬉しくて近づいてみたが,相手はこちらに気づかないかのように通り過ぎていなくなってしまった.チョコボは足が速いので徒歩では追いつけない.
考えてみると,彼はこのネトゲにそこそこ人がいたころからやっていたはずで,何百人もの新規プレイヤーを横目に通り過ぎてきたのだから,今更一介の低レベルプレイヤーを相手にする感情はわかないだろう.
終了を看取ろうとする古参プレイヤーとの間に超えられない壁を感じ,そして気づく.ここはディストピアだと.
システムは新規プレイヤーを歓迎する.しかしかつていたプレイヤーのほとんどはいなくなってしまった.
その原因はわからない.PvPバランスの崩壊か,アップデートの失敗か.
何人かの新規プレイヤーがここに来て人々がいなくなった原因について考えを巡らすかもしれない.
何人かは過去の掲示板の書き込みを見て理由を察するかもしれないが,その理由があってるかどうかはわからない.
このネトゲは最後まで歓迎を続けるシステムと,諦観しつつ終焉を待つ古参プレイヤーとともに残り少ない日々を過ごすのだ.
かつてはここで大規模な戦争や,大人数のモンスター討伐,数々の人間ドラマが存在したのだろう.
街に存在するあらゆるオブジェクトも過去にたくさんのプレイヤーが見て,操作し,さまざまな思いを抱いたのだろう.
システムがどんな美辞麗句で虚飾しようとも,その事実は覆せない.
閉ざされた未来という厳正な事実が重くのしかかり,そっとログアウトしてアンインストールした.
なんか星新一が題材にしそうだ.星に残った数人の人間たちの最後の行動とかね.