はてなキーワード: 美辞麗句とは
「同じ仕事をするならば同じ給料と待遇が欲しい」というのは理解が得られると思う。
しかし、近年、
「そもそも女性は男性に比べてあんまり出世欲がないから仕事を頑張って無理して働きたくない」ということがわかってきた。
確かに人生を、くだらない権力闘争や出世のためにすり減らすのは愚かなことだろう。
しかし、当然社会的にトップは男性が多くなる。これは男性の愚かさともいえる。
そもそも、政治家志望は男性のほうが圧倒的に多く、女性はまったくやりたがらない。
しかし、
「男性の政治家と女性の政治家を同数にしろ」と、主張する人は後を絶たない。
そもそも女性がやりたがらない仕事を同数にすることに意味があるのか?
「看護師」というのは女性には人気がある仕事だし(待遇面でかなり良い)、需要もあるが、「しかし男性は圧倒的に少ない」のだ。
やりたいという人はいるが、しかしなかなか踏ん切りをつけない。
もし看護師を女性と男性同数にするべきかと言われたら、それは誰も幸福にならないからよせというと思う。
こういうだろう。
「仕事はやりたい人がやる、志望者の少ない性別に無理やりやらせる必要はない」と。
正論だと思う。
こういう仕事は、それでもやるというのは大概男性だ。女性はほぼいない。
しかし、政治家となると、圧倒的に志望者が男性のほうが多いにもかかわらず、女性に同数譲れと言う暴論がまかり通ってしまう。
そもそもが、あんな汚物処理みたいな仕事を権力欲に駆られてやるのは男性の愚かさだということを忘れて、この話をするのは、いったいなぜなのか?
というのも、「あんな職業をやるのは馬鹿」な時代に入っているからだ。
日頃から暴言吐いてばかりの炎上芸人でも、別の場ではまともなことを言ったりもする。それ自体はまあどこにでもそういう人はいる。
普通はそういう人のことは「信用できない人」として切り捨てるものだ。普通はね。カルト宗教の教祖だって、「人に優しくしよう」くらいのことは言う。そんな人に騙されちゃいけない。「人より主張の中身を見よう」なんて綺麗事だ。独裁者が並べる美辞麗句を賞賛することが、どれだけ世に悪徳を憚らせることになるか。
でもそれができるのは、マジョリティの特権なんだよな。マイノリティはそれができないからマイノリティなんだ。普段のその人がどれほどの悪魔でも、たまにまともなことを言うその人にすがるしかない。
暴言は暴言それ自体を批判すべき。身内の横暴を批判できないこともあるだろう。「静観する」という選択肢も残されるべきだろうなと思った。
それは「Rocket Newsのグルメ記事を信用しない」ことだ。
2010年ごろ、Rocket Newsの「池袋駅ホームのホットドッグ屋が激ウマ!行かない人は人生損してる!」くらいの勢いで絶賛されていたのを見て(←正確なタイトルは失念。現在記事も削除されている。ちなみに当のホットドッグ屋も閉店している)、これは美味いに違いないと思って行ってみた。
しかし、これがなんの変哲もないホットドッグ。むしろパンもボソボソで、このレベルだったらモスバーガーのホットドッグなんかでいいじゃん、と思った。
その後、同じような経験をもう一度して、それ以後、Rocket Newsの記事は信用しないことにした。
この「そこまで美味くはないものを『神』とか『死ぬほど』とか美辞麗句を並び立てて派手に絶賛することでアクセスを稼ぐ手法」はロケットニュースに限らずグルメ系サイトやバイラルメディア(笑)にはよく見られる。当時の僕のように騙されて手を出して後悔する人もいる一方で、心の底でイマイチと思いながらも「わざわざ時間をかけて来たのだからイマイチなわけがない」という認知的不協和が作用して「美味しかった」と自らを納得させる人も多いのだろう。だから、この手の記事はあまり批判されることなく、量産され続け、人々を煽り、騙し続けるのかもしれない。
で、Rocket Newsは未だに同じメソッドを繰り返しているようだ。敢えてリンクは貼らないが、最近タイトルを見かけたのは
「バーミヤンの餃子を食べた直後、あまりの衝撃と感動に、謝りたい気持ちでいっぱいになった」
という記事だった。
バーミヤンは自分も好きな店だ。コスパもいいし、餃子も普通に美味い。しかし「衝撃と感動に、謝りたい気持ちでいっぱいに」なるほどのものではない。「こんなに美味い餃子を239円で提供するなんて正気の沙汰とは思えない」(本文より)と頭の悪い感想を抱くほどのものでも、断じてない。
この記事を見て、池袋駅のホットドッグのボソッとした感触が口の中に蘇った気がした。Rocket Newsはこうやって、今後も読者を騙し続けるのだろうか。
繰り返す。人生で少しだけお金と時間の損失を回避するには、「Rocket Newsのグルメ記事を信用しない」ことだ。これだったら、食べログのスコアのほうがまだ信頼に値する。
311よりさらに前、2004年のスマトラ地震後の東南アジアへの自衛隊派遣からずっと
軍人には敬意を持たねばならんとは思っているのだが
この人が訴えているような窮状(予算も人員もなく備品は乏しく、するとますます旧弊な精神論に頼る傾向)を一部の偉い人間に伝えると
「これも平和憲法のため自衛隊が白眼視されているせいだ → だからとにかく今すぐ憲法改正」という話にされてしまって
とにかく改憲で自衛隊の外面上の「名誉」だけ美辞麗句で飾れば解決すると思われる
憲法の条文だけ変えても腹の足しになんかならんのだよ
防衛大臣の給与を削ってでもとにかく備品と人員に金を回して改善しろ
話はそれからだ
『令和もいよいよ終りを迎え……』
その男は、隣の部屋が大音量で流してくる報道番組の音を薄い壁越しに聞いていた。
この時間は彼の人生において最も想像力と多様性に満ちており、彼にとっては睡眠・労働に並ぶ三大娯楽の1つであった。
「いかなければ」
彼はそそくさと服を脱ぎ、仕事場へ向かう。
ドアノブをひねり、便座に座り、備え付けのチューブを咥え目隠しをつける。
目隠しから伸びたイヤホンが自動的に耳に絡まっていくと、トイレのドア越しに労働讃歌が流れていくのが聞こえるも、すぐにその音はかき消されていく。
「かった」
噛みしめるとは言ったが彼には生まれつき歯はない。
誕生以前より伽藍堂であり続けた口腔に、ネットリとした液体がゆっくりと流れ込んでいく。
目隠しの裏に浮かんでは消える美辞麗句は、彼の人生が如何ほど価値のあるものかをしきりに伝え、それに彼は心の中でうなずく。
何度も何度も心の中で彼はうなずく。
自分の存在価値の偉大さを噛みしめるたび、生まれてきたことそのものへの感謝がとめどなく溢れ出る。
そうして心で頷きながらも彼が頑なにその首を動かさないのは、流れる液体の嚥下を妨げないようにしようとする忠誠心によるものでもあるのやも知れぬが、それ以前に彼がそのような動作により肯定を現すことさえも知らないからである。
そこに備え付けられた人生再結成第弐世代向け労働器具を除けば、彼に情報を与えるものは本来存在し得なかったはずなのだ。
彼の部屋がたまたま高多機能性細胞保有排便製造監督者控室のすぐ隣にあったこと、それが幸運であったのかは知るよしもない。
『人生再結成第弐世代についてどう考えますか?街の人に聞いてみましょう?』
『「いやー羨ましいですよ。生まれつき何も知らないなら自分の人生に疑問を持つこともないですからね」』
『「あの人達のおかげで私達は健康に暮らせているんだから感謝しないといけないと思っています」』
『「前テレビで見ましたけど、本当に大人しいんですよね。うちの子もあれぐらい素直だったらなと考えちゃいますウフフwwww」』
『専門家に聞いてみました』
『「人生再設計第一世代が失敗した原因を調査した所、他者と自己を比較することによる過剰な劣等感が、彼らの反社会性に大きく影響していることが分かったんですね。そこで考えられたのが、現在のように、生まれつき完全に情報を遮断してあげ、完全に外界と隔離してあげた状態で何らかのごく単純な労働に就かせてあげるという形なんです。これでしたら、自分と他人を比べてしまうこともありません。単純労働力の不足した日本という国を立て直しつつ、それを担う世代に幸福な人生を送ってもらう。この2つを両立するにはこれ以外の方法はなかったと言えるでしょう。」』
社会人となってから、海外旅行や出張もあるので、アメックスのグリーンを持ち続けてきて10年。このたび、プラチナの招待状が来た。
中身を見てみると、美辞麗句は並んでおり、色々なホテル・リゾートの優待やら、ゴルフに関連したサービスが列挙されている。
ただ、こういうサービスって、忙しく仕事している範囲で、使えるのだろうか?少なくとも、会社員では、相当に自由の利く仕事じゃないと、使いきれなさそうだ。
自営業や経営者なら使えるだろうが・・・そうなると、プラチナじゃなくてブラックカードくらい使っていそうな気もする。あるいは、ゴールド程度で留めて、自分の秘書を使うとか。
プラチナを持っていると、ある程度、自分の分身的に使えるのだろうか?
「湯布院に旅行に行くけど、3万円くらいの旅館で3泊とって、飛行機も取っておいて。」とか使えるなら、いいかも。
そうでなければ、年間13万円は高いなぁ。
葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。
確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田のレポートがあった記憶があるが、ああいうものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。
この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売だから阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的に阿漕なものだ。
簡単に死んで簡単に野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。
増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。
親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれや世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法(散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。
もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間が結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。
検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼やコミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。
身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。
業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者が私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣いが商売なのだろう。
親ふたりの葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。
どちらの葬式も業者の葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホではてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメールや電話をしても、なんていうかしんどい。確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。
TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族がいたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。
親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCDは家族でドライブに行くときにはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCDを葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。
この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシックの室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエルの合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。
これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットやTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。
あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式をオールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。
母はとりあえず求人情報だけ印刷してもらうと、言われたとおり慎重に考えてみることにした。
「どうでした、マスダさん。御眼鏡に適うものはありましたか?」
「あ、センセイ。一応はあったんですけど、担当の人がもうちょっと考えてみてはどうか、と」
「ほぅ、私にも見せてください」
センセイは求人紙に目を通す。
「『256』は機械やAIによる技術開発、研究、及びその製造をしている会社……」
「条件は申し分ないですし、これ以上のものはそう見つからないと思いますね……額面どおりに受け取るなら、ですが」
「と、言いますと?」
「公式サイトを見てみましょう」
センセイが、持っていた携帯端末で『256』について調べ始めた。
「最近出来た会社のサイトにしては随分とデザインがしっかりしてますね」
「プログラムなども作っている会社ですから、ここを疎かにしているようでは話にならないでしょう。重要なのは書かれている情報です」
迂闊な企業は、こういったところにすら綻びを見せる。
明らかな問題点を耳障りの良い言葉に代えたり、重要な事柄なだが都合が悪いので書かれていなかったりだとか。
しかし『256』に書かれた情報は過不足なく、あからさまな美辞麗句を並べた欺瞞もない。
その後も外部からの情報や評判なども調べてみるが、好意的な内容が多い。
中にはネガティブでキナ臭い話も一定数あったが、怪文書じみた内容のものがほとんどで真に受けるようなものはなかった。
「へえー、転職した元社員からも高く評価されているのは珍しいですね。こういうのって会社側に落ち度がなくても刺々しいこと言う人多いんですが」
「……やっぱり、ここで働こうかしら」
タケモトさんの言っていたことが未だ気がかりではあったが、調べた限りでは『256』は優良企業だ。
これ以上、悩む理由はないように思えた。
「そうですか……では私もここで働いてみましょうかね。ちょっと気になることもありますし」
「知り合いがいれば働きやすいですからね。それに、働くのに高尚な理由なんて必要ないですよ」
もしブラック企業だったなら、すぐさま辞めるなり、出るとこ出ればいい。
そういった打算もあり、二人は『256』で働くことを決めた。
美辞麗句を並べ立てて、分かっている人なら絶対買わないような商品を売りさばく商売を見かけた。ルビーコーティングの双眼鏡とか。
今はその商売がTwitterに移って来てるんだな。SVBONYというどこのメーカーかもわからない双眼鏡をジャニオタ相手にバズらせてAmazonで売り切れさせていた。
他の同価格帯(4000円)の双眼鏡に比べ4.2cmの大口径だからよく見える。同口径の有名メーカー双眼鏡は2,3万円するんだぞ。というのが売り文句。
2機種あってそのうち安い方はピント調整機能が省かれていた。目に備わるピント調整機能(筋肉)を駆使してピントを合わせろという、ピントの合う範囲が狭い大口径、倍率10倍機ではあるまじき仕様。500円高い方は一応ピントリングが付いているけど大丈夫なんだろうか。
SVBONYという会社は去年からアメリカでも望遠鏡の低価格アイピースなどを販売しているようだ。レビューを見ると値段なりの性能はあるらしい(サクラかもしらんが)。レンズはプラスチック製なんだという。一応非球面を謳っているので凝った設計をしているのかもしれない。双眼鏡の方も軽さを売りにしていたけどプラレンズなんだろうか?。
日本のサービス業は「お客様の予想を上回るより良いサービスを」の考えのもと、サービスのクオリティを高めていった。
そこで増長して「もっと良いサービスを提供しろ」と要求を強めてきた輩こそが「クレーマー」ではないのか。
すなわち、ホスピタリティ精神あふれる企業・店側の行為がなければ、こうしたクレーマーたちもそもそも生まれてこなかったのではないか。
本当はそのことに気付いているが、認めてしまうことはこれまでの自分たちの行いや成果を自ら否定することに他ならず、それはシャクなんだけれども保身のために「ホスピタリティ精神」などという聞こえのいい美辞麗句を並べ立てて自己正当化しているだけではないのか。
決してサービス業従事者を非難しているわけではなく、自分自身がサービス業の現場で管理職の立場にあるからこそ思った次第である。
いや、民主党のマニュフェストは支持が欲しいとしか書いてなかったよw
そう言う美辞麗句を言ってるんじゃなくてさ
anond:20181008121804 が言ってるみたく、取捨選択して取り入れて行けたらそれは良いことじゃない?