大型案件を失注した。敗軍の将、兵を語らずだ。
やれることはすべてやった。やり尽くした。顧客価値を常に主眼に据え、価値を提案しつづけてきた。
もちろん価格も重要な要素だからして、単に値引きではない戦略的な価格を提示した。
しかし、顧客は「単に」最も安価な企業を選択した。ここに今回の違和感と失望がある。
ガムを買うのではない。これほどまでに大規模な事業に対して、単に価格で選定してしまうような、
そんなマインドのまま調達に臨ませてしまった自分の提案力のなさに失望した。価値提案では誰にも
負けない自信があったのに。
確かに今回の調達は一筋縄ではなかった。規模も特性も著しく異なる40近いステークホルダーに
対してどのように合意形成していけば良いのか、最大公約数(落とし所)はどこなのか、暗中模索の
提案だった。困難という言葉は使いたくないが、決して容易ではなかった。最も合理的で納得しやすい
キーワードが「価格」であったことは否めない。しかし、そこに身を委ねることは単なる「逃げ」に
過ぎない。だからこそ、真正面から向き合い、価値を中心に真摯に提案を重ねてきたつもりだった。
いったいこの提案のために、どれほどの人が関わったのだろう。どれほどの人が期待したのだろう。
俺はその人たちの期待に応えられなかった。デジタルと同じだ。「1」か「0」。結果が出なければ「0」なのだ。
彼らに伝えるべき言葉がまったく見つからずに萎縮している自分がいる。失敗は恥ずかしいことではないと常々
言っている自分が申し訳なさにいっぱいになって萎縮している。萎縮ではなく、単に自分の能力の低さを看破
されるのが恐いのかもしれない。というか、そうなんだと思う。弱い。
万策尽くしたから悔いはない、得るものがあった、なんていう美辞麗句は、俺のポジションには不要。
かといって猛省でもない。公共という市場に対してずっと感じていた違和感が露呈した案件だった。
今回の件で、公共市場全般に対する失望感を強く感じた俺は単に逃げているだけなんだろうか。分からない。
とにかく救いが喉から手が出るほど欲しくて「孫子」を読んだ。しかし、そこには自己肯定しかなかった。
ならば、考えることは他にある。
最後に。誠に自分勝手なことを言わせてもらえば、今回の失注は最高だ。
この失敗によって、更に俺は強くなるし、俺の根は深くなる。