はてなキーワード: 法則とは
http://anond.hatelabo.jp/20130508100857
女性は働いて自立する生き方もある(これは今までフェミニストが求めてきたものね)、あるいは出産という生き方もあるよ、という話でしょう。
平成17年版 国民生活白書 女性は結婚相手に対して経済力を重視している http://goo.gl/g3jMM
女性の92.1%は経済力も理由に配偶者を選択するが、男性は30.2%でしかない
注目すべきことは、女性においては、これらに加えて相手の「学歴」、「職業」及び「経済力」について、重視又は考慮すると回答した割合が高い点である。
学歴がある程度職業選択に結び付き、また職業に応じた所得格差が存在することを踏まえると、
後で見るように、結婚生活においては夫が家計収入を稼ぐべきという意識を女性は持っていると言うことができる。
一方、男性が女性よりも重視する又は考慮すると回答した割合が高い条件は、相手の容姿のみである。
男性は女性にあまり経済力を求めない。特に「経済力がある男性は女性に経済力を求めない」(だから「ダグラス・有沢の第二法則」なんてのが成り立つわけで)
初夏の日差しの中、右手に相模湾の絶景を眺めつつ、国道134号線を鎌倉に向かって歩いていた。
きっかけは知人宅に泊まった後、流れで裏手の高台、伊勢山公園に登ったことだった。湘南高校の奥、江ノ島と光輝く海を見て、近くに寄ればあの海のすべてを手中に一瞬でも収められるかもしれない。ちらっと浮かんだ妄想に惹かれて、背後の旧軍の慰霊碑に後押しされるように、別れた後で足は藤沢本町を通り過ぎ、自然と江ノ島へ向かっていた。
国道467号線を歩き、歩き、歩き通した。携帯で位置を確認する迷いも、渋滞に捕まり別の道を探す煩わしさも必要ない。ただ道なりに歩けば着くのだから。時折、潮風が自転車とともに私を追いこしていく。汗ばんだシャツにしみが出ないよう、時折バッグを担ぎ直して歩みを進めた。
そして藤沢市街地を通り過ぎ、境川を渡り、江の電が市中を走る交差点までやってきていた。ここを右に渡れば江ノ島なんだ。初めて止めた歩みに飛び込んできたのは、市街地ではない、行楽地としての江ノ島だった。
偶数の法則が行楽地には存在する。偶数とは、右手と左手が手を繋ぎ飽和する関係だ。男も女も若いのも年老いたのも手を繋ぎ、関係性を演出するに相応しい数。
例えば、足を止めた線路の反対側に家族がいた。子どもを呼び止めて繋いだ母の左手は情愛に溢れていた。一方で母の右手は父の手と付かず離れずを繰り返す。まるで手と手が性愛してるのかと思うほどの仲睦まじさがそこにあって、気づいた私は立ちくらみを起こしたほどだった。
例えば、狭い歩道を譲り合う老夫婦がいた。顔は全く違うのに、雰囲気があまりにも似ているものだから、同じ時間を長く過ごしたのだろうと何も聞かなくても分かるような、成熟した関係。対面から歩いてきた私に、嫁が最初に気づくと、お父さんと自然に彼の手を握ってすれ違えるようスペースを開けてくれた。ありがとうございます。お礼を言うと頭を下げるタイミングまで一致していた。
そうして、人と人との関係を知ってきた。笑ってる口元じゃない、本人も意識していない手元に現れた形から。
人ごみの中でたくさんの、握られた手と手を見てきた。手の持ち主が辿ったこれまでを想像しながら。
この時期としては若干涼しめの湘南の風は暑過ぎる仲を適度に冷ますために吹いていたに違いない。
江の電が、人が乗り過ぎて窒息死に至りそうな走りを見せていたので、鎌倉までさらに徒歩で帰った。手持ち無沙汰の両手からどうやったら力が抜けるのかわからない。ギクシャクと腕を振りながら、太陽に手のひらを翳してみる。友達なら誰でもいい。今だけは手を握っていたかった。
いきものがかりのイケメンじゃない方の男性が、以前テレビ番組で
「正直、周りも自分も、学生時代にはロックや洋楽に憧れていた。でも、みんなでカラオケに行った時、全員で盛り上がれるのはそういう曲じゃなかった。
結局、みんなポップな曲が好きなんだろ?じゃあ俺たちも、そういう曲を作っていこう」
みたいなことを言っていた。(しっかり内容を記憶していないので、間違いがあったら申し訳ない)
結局みんなポップな曲が好きなんだろ?というあたりには同意しかねるけれど、確かに、二次会なんかでカラオケで盛り上がる曲はAKBでありジャニーズであったり、いきものがかりであったりする。
私は学生時代(といってもほんの数年前)、バンドに明け暮れていて、時折作曲もした。
高校生の時は、いわゆるロキノン系、邦ロック、というものに周囲はドハマりしていた。
バンドメンバーの一人は、本格的に音楽を学びたいと上京していった。
彼は、ロキノン(雑誌「ROCKIN'ON」)から始まり、他にも毎月音楽雑誌を何冊も読み漁り、新しくお気に入りバンドを見つけては嬉々として語るような奴だった。一番のお気に入りはバンプだったと記憶している。
彼と数年ぶりに会うと、驚くほど音楽の好みが変わっていた。
近場のツタヤに寄ってバンドをやっていたときの事などを話していながら、ロキノンを読んだ。
高校時代の彼ならば飛びつくような、良くも悪くも「ロキノンらしい」新人バンドが目に入ったが、彼は「ここの曲、ちょっと酷いよ。最近売れてきてるみたいだけど。世界観が独特とか、いろいろ言われてるけど、そうじゃない。音楽の作り方が分かってないから、曲になってないだけ」と言うのである。
驚いた。高校時代に彼が好きだったマイナーなバンドの名をいくつか挙げた。
しかし、「あの頃は、人が知らない物を知ってるっていうことが嬉しかったんだと思う。音楽について知らなさすぎた」とばっさり。
ちなみに、バンプは今でも一番好きらしい。「あの人たちは凄い」と目を輝かせて言っていた。
私は高校時代、メジャーだろうがマイナーだろうがところ構わず勧められたものを聴いていたタイプで、けれど、一番好きなアーテイストは「絢香」と「Perfume」だった。
当然バンドメンバーに耳を傾けてくれる人はいなかった。絢香のリアルボイスをコピーしたり、Perfumeの楽曲をアレンジして一人楽しんだりしていた。
いざ、曲を作ろうという話になると、とにかくみんなが盛り上がれる曲を作ろうという話になったが、皆驚くほど作れない。
私は「ロックでキャッチーでノレるカッチョイイ曲」が作りたかったのに、なんだか通夜みたいな曲ばかりができあがる。
過去に絢香のバンド曲をコピーして、実際に書き起こした譜面を見ながら疑問符を並べた。
「みんながノレるメロディ」というものを作るのは、異常に難しい。
一応、進行に法則のようなものがあることは皆知っていたので当てはめてみるも、どうにもメロディがいまいち。
「で、どこで盛り上がるの?」という曲ばかりが出来上がった。
…思うがままに書いたがなんだか脈絡の無い内容になってしまっている。一度まとめたい。
AKB他アイドルやらGReeeNとか西野カナとかソナーポケットとか、ネットではこんなものがランキング上位などと日本終わってる云々と言われる始末であるが、
ではそのランキングを席巻する曲たちは本当に終わっているのか?
売り方に問題はある。それは十分に分かっているつもりである。
あと、最近はアニメソングとかも凄い。才能に驚く。全く興味の無い分野だったが、作曲家を少し調べてみると学生時代はバンドやってました、なんて人が結構いて驚く。
上記が一番書きたかったこと。
眠いので、全部すっ飛ばして、もう一つ書きたかったことを書く。
メジャーデビューしたりとかして、ロキノン系のバンドがタイアップを組み、がーっと知名度を広げていくと、ざーっと以前からのファンが去っていく。
「メジャーデビューしちゃったから一般受けする曲ばかりになった」と言う人がいる。
http://anond.hatelabo.jp/20130428150329
http://anond.hatelabo.jp/20130428001709
http://anond.hatelabo.jp/20130428151525
アルゴリズムだと思っていいです。
でも、出すとやっぱり売れるんですよ。
コンビニのレジで、「○○キャンペーン中です。おひとつどうでしょうか?」と一言言われると、ウザいじゃないですか。
でも、あれをやるとやらないとじゃ売上がずいぶん違うんですよ。
要するに、嫌われる可能性を怖がって、営業をかけないってのは下策ということなのですよ。
女に嫌われて困ることってありますか?
ティッシュくれたり、小銭がないとき両替してくれたり、そういうのはしてもらいにくいでしょうね。
そういうの求めてるなら、無難に、できるだけウザい行動避けてください。
でも、君はセックスがしたいんでしょ?
というか、アスペだと嫌われてても気づけないからダメージそんなにないですよ。
嫌われるというのは、それ自体恥じることでもなんてことないですよ。
嫌われたからといって自分の価値がなくなるわけでもないですし。
死ねと言われても、ポジティブに、名誉の負傷くらいに思えばいいんですよ。
100件回って10件契約が取れる営業マンとない100件回って1件しか契約が取れない営業マンがいるとします。
後者が、前者と同じだけ契約をとるにはどうしたらいいと思いますか?
そういうことです。
でも、難しく考えすぎです。
相手から会話を引き出した(そこが最大の難関なのですが)あとは、適当でいいです。
しょうもない悪口やら、しょうもない悩みを言ってくるわけなんです。
「AがBで、私はC」
Aには個人名が入ります。ヒトだけじゃなくて、モノだったり、ニュースだったりなんでもです。
BにはAの行動が入ります。
Cは、「悩んでる」「むかつく」「うれしい」「かなしい」等々、の言葉が入ります。
まあ、ホントに聞いてる側としてはどうでもいい。
それに意見を求められてるわけじゃないんです。
悪回答の例を出すと
「ふむふむ。君の言い分はわかった。しかし、相手の意見も聞いてみないとなんとも言えないね」
と言っちゃいけません。
基本相槌でいいです。
だいたい、数パターンでいいです。
1.相槌
そうすると、相手が続けます。
「うん」だけじゃ見破られるかもしれないので、数パターン用意するといいでしょう。
でもパターンが少なくともなんとかなるでしょう。
そいつでもちゃんと会話が続くんで、女って不思議な生き物です。
2.要約
相手の行ったことを要約する。そうすると、相手が相槌をうつ。
今度はこっちのターンになります。
ここで変に頑張る必要はありません。
「なるほど、それで」
と相槌に相槌で返してけっこうです。
3.共感
正しくは共感したふりでいいです。
「えー」「ほんとー?」みたいな感嘆詞を挟むだけでいいし、悪口とか悩みみたいなのには、「○○は悪くないよ」とフォローしとけばいいです。
正論は要りません。
「グダグダ言わずに働けよ。30過ぎて仕事選んでんじゃねーよ。」
と言ってあげるのが相手のため、とか考える必要はありません。
そういうのは友達の役目で、恋人(あるいは候補)の仕事ではありません。
余談ですが、こないだ古い友人に「彼と同棲してるがセックスレスで」という話をされました。
正直どうでもいいし、しなくても死なないよって言いたかったんですが、テンプレ通り適当に答えました。
繰り返しになりますが、相手は物事をわかってないのです。
つまり、
そんな相手に、真面目に応えるというのは、無駄です。
法律の問題は弁護士に、人間関係の問題は友達に、上司に、健康問題は医者に、政治の問題は政治家に任せておきましょう。
とりあえず誘いましょう。
飲みに誘って会話していくとお互い気分がたかまってっというのはアスペには向きません。
アスペじゃなくたって、よっぽど会話が上手い人じゃない限り向きません。
を重ねて
に持っていきましょう。
こっちは運転してて前を見てるのに、必死に身振り手振りで表現します。
自分でも、適当に返事してるとバレるかなって心配になったりしますが、ほんと不思議なんですが、何時間だってそれでやりすごせます。(あまり長くないほうがいいと思いますが)
勝手に喋らせるのが目的の初期のデートは、あんまりロマンティックなムードはいりません。
勝手に喋らせて、会話が盛り下がらないうちに切り上げる。
仲が良くなってからのデートは、ムードがあってあまり喋らないで済む場所にしましょう。
そのあと食事をして勝手に感想を喋らせるというのもアリなんですが、たいていの女は表現力が貧弱で対した言葉が出てきません。
「悪口だったらエンドレスなのに、お前はあの名画をみてそれだけしか感想がないのか!?」
と思っても言っちゃいけません。
長丁場の勝負ですから、ボロを出さないようできるだけ喋らないで済む場所をハシゴしましょう。
出会って3ヶ月以内に告白しないと成功率は落ちるそうなんで、ゆっくり好きになろうなどと考えず、好きになってもらおうなどと考えちゃダメです。
セックスできません。
とりあえず、頑張ってキスまでいきましょう。
欧米人と違って、キスはオーケーだけどセックスはダメみたいな感じじゃなくて、キスまで許したらいずれセックスという風に考えてますから。
逆に、告白もキスにもいかなければ、同時進行で数人アプローチしちゃっていいです。
というか、しろ。
次の勝負です。
何度も言いますけど、理解されたいとか、愛されたいとか、抽象的な目標はダメです。
具体的なゴールを設定して、戦略をたてましょう。
セックスがしたいんでしょう?
なら、それを真剣に考えなきゃ。
ここまで読んで、よし頑張るぞって思った人も、こんな頑張んなきゃ恋愛出来ないなら、もういいやって人も、これだけは覚えておいてください。
精神的に満たされたいとかは捨ててください。
精神的な満足は、フルマラソン走りきるとか、年収1000万を達成するとか、自分自身で充足させてください。
本当の自分なんてどこにもないし、したがって本当の理解者なんてありえまえん。
そんな甘ちゃんはおっぱい吸って寝んねすべきです。
とにかく、まあ人生は前に進むのみです。
僕もまあ、嫌われてても気づけない性格だし、他人になにを言われてもへっちゃらな性格なんですが、アスペならもっと楽だと思います。
以上
すみません。私も言い過ぎました。悪気がない方だと思ったのですが、私の話はメインではなかったもので…。
女子的には「わがままでやきもち焼きで頭悪くて性格も悪い」と言われた時点で全否定されているので
頭悪いはまだしも、性格まで否定されたら「かわいい」が数%のフォローアップにしかならないと言うか…
女性にもよりますが、顔や胸など、見た目ばかりを褒める男性は「失礼だな」と感じてしまいます。
まるで中身がない、外見にしか価値がないと言われているように感じます。これは自意識の問題なのかな。
ブスと言われて良い気はしませんが「お前はブスだけど性格がいい」と言われたほうが「私」を見てもらえている気がしてしまいます。
形骸化とありましたが、理屈抜きの自然発生的な好きなキモチって中々ガンコで消えてくれません。
諦めて”消す”と意気込んで急いたほうが拗らせる様に思います。それも想いが大きければ大きいほど。
形骸化した状態は、返報性の法則が逆に働いた状態がわかりやすいかもしれません。
自分が好意を示した時に、相手も好意を示してくれると、もっと好きになります。
その反対はどうなるか?と言えば、嫌いにはならない。嫌いになれなくて執着してしまいます。
「嫌いになれたら、どんなに楽だろう」という心理状態。
元増田が「どぶにでも捨ててしまいたい」と書いているのは、この状態なのではと。
依存は委ねている状態なので違うのかなぁと思いました。対義語で考えるとピンとこなくて…。
元増田が彼の言葉に振り回されているかどうかは、ちょっとわかりません。
他の方が言ってたこの台詞、すごくピンとくるんです。
「こんな安物、ちっとも良くないゎ」とか(本気で)いいつつ、売りも手放しもしない……
ドーナツ化している心の穴を埋めようと、好きだった気持ちを取り戻すために執着している状態だったりします。
人々は
「幸せとは何か」と自分に問い続けながら死んでいく、なんていうことはない。
答えはとてもシンプルだ。
幸せとは、
(A)喜怒哀楽のうち「喜/楽」に属する種類の感情が、長期的に発生しつづけている状態
のことである。
世の中には幸せな人と、不幸な人が居る。
しかし、たとえば大金や権力を得ても、不幸と感じる人がいれば、
人によって違いはあるが…(A)が幸せと感じる、ということには全く違いが無い。
「怒/哀」が長期的に発生していることを幸せと思う人は居ないのである。
(B)大金を得る・異性を獲得する・結婚する・見た目が美しくなる・権力を得る・皆から尊敬される・頭脳明晰になる・友達が1000人出来る・可愛い子供が生まれる・ペットを飼う…………。
これらの例のような、一般的には幸せになるかもしれない、と思われている事、それは、幸せ "そのもの" ではない。
つまり、(B)は、(A)を発生させるための、「手段」である。
あなたたちの、「目的」が、幸せになること、である場合、(B)が目的であると勘違いしていないだろうか。(B)は「手段」である。目的ではない。目的は(A)である。
目的が(A)であると理解できたとき、実はちょっとした悟りが得られる。
(悟り)(A)を得られるならば、手段(B)は何でもいい。
いま特に、自分が不幸だと思っているタイプの人に問いたいが…(B)手段 を妙に、難易度が高いものに設定していないだろうか。たとえば以下のような。
・いまFランク大学の学生だが、勉強しなおして東大に入りなおせば幸せになれるだろう。
・いま年収200万のワーキングプアで不幸だが、転職して年収1000万円になったら幸せになれるだろう。
・いま童貞の魔法使いだが、10代の可愛い女の子を口説いて結婚できたら幸せになれるだろう。
・いま浮気ばかりする旦那と結婚してしまい後悔しているが、離婚してもっといい男と結婚しなおせば幸せになれるだろう。
発想の転換をしてほしい。(A)を得られるならば、手段は何でもいい。「御大層な事を達成」しなくてもいい。
「喜/楽」に属する種類の感情が、連続的に発生しさえすれば幸せになる。
・むかしから読みたいと思って先送りしていた面白い小説を読む。
・すきな食べ物を食べる。
上記のような手段は、
(a)「喜/楽」に属する種類の感情が、短 期 的 に発生
する手段だが、これを、いくつも行えば、つまり(A)に変化する。(同種のことを連続、って意味じゃない。)
格闘ゲーム的に言えば、小キックだけ延々と当て続けて勝つ、みたいな方法。
(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+.......=(A)
となるのだ。
■それでは成功者になるにはどうすればいいのか
ここまでの説明を読んだだけでは、「惨めなのを我慢しろというのか」という因縁つけをしたくなっている人がいるだろうが、まだ続きがある。いわゆる「成功者」になれば幸せになれますよね、と思っている人向け。
ストレスがなく、体が健康で、太りすぎても痩せすぎても居ない。(b)
(A)になっている。
勿論、成功者の定義はいろいろあると思うが、歴史の教科書に載るレベルになりたい場合は、時代背景などの変えようがない設定も必要で、結局は「生まれ直す」しか手がないので、手が届く範囲ということで上記の定義としておく。
また、著名人有名人の成功者について思い浮かべている人は、「単に周囲に祭り上げられただけで、当人は(A)状態ではなかった」人は除外してほしい。ヤク漬けになった芸能人とか、自殺した作家とか。
(b)をいくつも手に入れたら(A)が発生して成功者として完成した
(A)状態になったら、そのあと徐々に、(b)も発生した。
ハア?って思ってるでしょ。でも、これが分からないと成功者には成れないの。
人間社会の中で、成功者になるためには、どうしても人と人とのネットワーク、繋がりを無視することはできないが、あなたが「繋がりたい」と思う人とはどんな人だろうか?
ではないだろうか。勿論、引き籠もり属性の人は、そういう人をリア充認定して、忌み嫌うもの、と考える人も居るだろうが、そこまで捻くれている人まで扱ってると、切りがないので、横においておく。
【第一段階】(C)になることによって、周囲に自分の手助けをしてくれる人を引き寄せる
まずはこれ。こうなるためには、
(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+(a)+.......=(A) →(C)的な人物像
となる。「喜/楽」に属する種類の感情が、長期的に発生しつづけていれば、自然と顔はニコニコとし、他人から好まれるキャラになっているはずだ。
【第二段階】自分の感情の(A)を守るため、人間関係を整理する
人が集まってくると、どうしても、不快な思いをさせるタイプの人間も寄ってくる。これらから離れる。これは無理やり離れようとするのではなく、自分の周囲に集まってきた人々の中で、(C)属性の人とつきあう時間をなるべく長くするという方法を使う。
【第三段階】自分も(C)属性、周囲も(C)属性、という人間関係を構築したら、あとは流れるに任せる
あとは「船のオールから手を離すように」流れにまかせる。但し、「こういう人物になりたい、こういうモノ、コトが欲しい」というのは明確にしておくこと。
■それでは能力を高めるにはどうしたらいいのか
ここまでの説明を読んだだけでは、「自分の能力が低ければ成功できねえよ」という因縁つけをしたくなっている人がいるだろうが、まだ続きがある。いわゆる「成功者」になれば幸せになれますよね、と思っている人向け。
【何らかの能力が高い人は、どうやってそれを手に入れたのか】
努力ではありません。以上。
というと無慈悲だが、努力の努という文字、「奴の力」つまり「奴隷の力」という文字を書く。
努力=奴隷の力が2つも。なんとも馬鹿らしい。やってられるか。
あなたがアニメが好きだとしたら、色々な作品に出てくるキャラクターの名前を100人程度言える、という人は居ると思う。
アニメに全く興味がない人から見たら、ものすごい努力をして暗記をしたように見えているが、当の本人は、なんの努力もしていないはずだ。楽しくアニメを見ていたら、いつのまにか名前を覚えていた。それだけのはずだ。
何らかの能力が高い人は、これと同じ仕組を使っただけだ。対象が、アニメではなく、英語であるとか、数学や科学であるとか、野球やサッカーであるとか。それだけである。
たとえば野球選手になって成功した人には、子供の頃、親が野球が好きで、しょっちゅう見に行ったり、親と一緒にキャッチボールをしたりした…という人は全く珍しくもない。その人が野球が好きになり、成功したのは、単純接触効果によるものだ。何かを好きになりたいなら、単純接触効果を使えばいい。ググる→http://goo.gl/HDv9C
好きになってしまえば、あとは手法を細かく説明してもらうまでもないだろう。
さらに、その対象を好きになると、それを学習するような行為を行うと、(a)が発生するようになっていく。
高めたい能力に関係する行為をする → (a)発生 → (a)+(a)+(a)+(a)+(a)+.......=(A)
驚くよね。
いわゆる、「自己能力が高い成功者」というのは、その能力を磨く過程自体が、(A)になりうる=幸せなのだ。
◆
…と、ここまで書いてネタバラシするが、これらは、「引き寄せの法則(ロンダ・バーン系、ヒックス系)」の"本来"言いたいことである。よくよく読むとだんだん理解できていくのであるが、ロンダ系もヒックス系も、最大に重要視していることとは、「よい気分で居ること」である。つまり(a)や(A)であると。願えば物品を手に入れることができる、というのは全く本筋ではなく、本を売り込むためのストーリー作りとしての肉付けにすぎない。まあ、あながち嘘というわけでもないのだが。やってみればわかる。
また、引き寄せの法則だけでなく、いくつかの複数の宗教、もしくは単なる公衆道徳としても、「感謝」という行為を重視しているが、これは、(a)のために非常に有効な手段だからである。
感謝という感情とは、自分の周囲から、なんらかの物品や、行為などを受け取ったときに発生する、「喜/楽」に属する種類の感情である、と説明すると、感謝とは本来的には何なのか?と理解できるだろう。
ちなみに私は「「成功者」になれば幸せになれますよね」とは全然思ってない。どのみち(A)が幸せ本体なので、成功者になるなんていうのは、どうでもいいと思ってる。他人から尊敬されるなんていう手法を使わなくても、(A)は得られる。それに、人生なんて、死ぬまでの暇つぶしである。
■最後に
(a)を得るために、他人に迷惑をかける行為をしないように。それをやると、後日何らかの形で、「反撃を食らう」ため、けっきょく後日、不快な思いをしてしまうことになるので、元の木阿弥である。「喜/楽」を得ても、後日「怒/哀」で相殺されるのでは意味がない。
性欲が強い女は得である。
なぜなら、性欲が強い為に複数との男との経験を弱い女と比べて積めるからだ。
まず、前提として結婚生活が上手くいくには
そして、その質の高い判断基準とは付き合った男との経験に他ならない、
なぜなら、その判断基準とは人それぞれ全く異なるものであり、
一般的な法則と言う物は存在せず、実際に経験を積むことによって
だから、性欲の少ない女は多い女に比べて、
このサンプルが圧倒的に少ないが為に適したパートナーを見つける事が難しく、
結果的に損なのである。
横だけど、世帯に関してはいくつか形態を分けて考えた方が良いかもしれませんよ。
別の話になりますが、この辺の話題で「夫婦格差社会」は面白い(finalvent爺が勧めてた)。
核家族(夫婦と子供の2世代)に関して言うと、以前は「旦那の収入が高ければ妻は働かない」(ダグラス・有沢の第2法則)というモデルがほとんどだったんだけど、
ここ2004年くらいから「旦那の収入が高くても妻も働く」というケースが顕著に増えてきたらしい。
また逆に「旦那が低収入でも妻も働けない」というケースも増えてきている。一見するとDQNな訳だが、子供がいると働くのも難しいという背景もある。
「夫婦格差社会」はここに注目して「夫婦高収入なパターン(パワーカップル、としている)」「夫婦低収入(ウィークカップル)」といった分析をしてる。
女性は上昇婚傾向(「自分より年収が上じゃないと嫌」があって)があるので、そもそもそういうカップルって成立しにくいってのもある。
もうイイ歳にもなってオカズを探している自分がたまたまたどり着いた記事が
この記事だった。自分は見る専門
(特に海外をメインとしてサーフィンをしている。FC2はもちろんプレミアム会員だがあまりの検索のしづらさに股間が我慢できない)だが
上記のサイトから感化されて私と同じようにに志した方々もいると思う。
あまりのラーメン好きにラーメン屋をやるという番組を見ながらそんなことがあるかと
両手に空気の入った美女を抱えながら見ていた私が恥ずかしい限りである。
それを構想したのが去年の4月。約1年。ちょっとHTMLができる程度の私が子孫放出時間を削り、地元のチェリーボーイズ達をかき集めてやっとこさ作ったので
普段文章を書かない私が、つたない日本語で申し訳ないがココに記しておきたい
今回サイト制作にあたってコンセプトとしたのは、下記の4つです。
私が精子放出先としてメインで使っているサイト(XVIDEO・tube8等)をまとめているサイトをでき調べてみた。
そこで感じた使用感はこの一言に尽きる
「画像クリック→なぜか再生されずに違うサイトへ飛ぶ→画像クリック→なぜか再生されずに違うサイトへ飛ぶ→画像クリック→∞」
ループから早く抜け出せればラッキーみたいな、何故か動画を見る前に幸福感を得るという謎の現象がおきた。
なぜこのようなことをしているのかを理解する必要があると思い、得意のサーフィンを駆使しなぜ他のサイトへ飛ばすような事をするのかを考えてみた。
どうやらサイト同士はつながりがあるらしく、「私もアクセス送るから、あなたもアクセスちょうだいね」というwin-winな関係があるらしい。
2chまとめサイトとかが顕著にそれが現れているが、例えば自分より有名なところにアクセスを送って、それで送り合う関係になったときに有名なサイトの方がアクセス量は多いので、
実はwin-winではなく自分の方が得をしている関係で、サイト内のアクセスを伸ばせるということらしい。
たしかにそう考えれば私もしたほうがいいのかという衝動に駆られたが大前提として「わかりやすい」を貫くためにも見やすさを崩さない最小限にすることにした。
他に気づいた点は、海外エロ動画サイトをまとめているサイトは人が着そうな動画だけを集めて検索しやすい感じではなかった。
カテゴリやタグで女優名やプレイ内容・女優のタイプ等がきちんと分けてつくっているサイトは更新数が少ないか、サイト内にある動画数が少ない。
それを両立できる方法を、ない頭で考えた。
「とりあえずプレイ内容・女優のタイプは動画を見ればわかるが女優名がネックなら一旦置いておこう」
もちろん女優名で検索できないサイトにはしたくないので、この問題については後にいい方法を思いつき今後の実装予定(楽しみにしててね!)となった。
サーフィン仲間の童貞チェリー達にもサイトを良くする案を考えてもらった結果
ということに決まった。
デザインセンスの欠片もないが、私なりにできる最大限を行うことにした。その際に参考にしたURLの一部(ちょっと古い記事だがデザインの根本的なものは変わらないので参考になると思う)
http://sanride.com/blog/webdesign/web.php【WEBデザインする上で最低限おさえておきたいたった5個の法則】
http://creators-manual.com/alignment/【新人デザイナーに教えたいWebデザインの基本原則【整列】
http://webdesignrecipes.com/4-factor-of-designing/【デザインを勉強したことがない人でもデザインできるようになるかもしれない4つの基本原則】
http://liginc.co.jp/web/design/other-design/15954【すべてのものに理由はある。脳科学に基づくデザインの法則】←最近のだけどいい記事なので
あとはもちろん動画サイトを抜きたい衝動を抑えながら見まくった。1つ気づいたのは動画サイトから動画をとってみたら意外と何もないくらいすっきりするということである。
サイトのスクリーンショットを撮りペイントソフトとかで動画の部分を塗りつぶして枠線だけにすれば、サイトの華やかさは動画イメージがあるからということがわかる。
実際のWEBデザイナーはどうやって作るのかはよくわからないが、私は家にあった横長のホワイトボードを縦にしてそこに納得行くまで書いてみた。
http://gyazo.com/2fc3a46bd4e108ce6ee47e53b064330a
http://gyazo.com/ja【Gyazoというスクリーンショットの瞬間共有サービス これは便利すぎて手放せない】
上記のURLの単純な設計デザインの事をWEBデザイナー達はワイヤーフレーム、モックアップ等と言うらしい。
後になって気づいたがワイヤーフレーム制作を便利にするツールもできあった。
https://cacoo.com/lang/ja/?ref=logo 【cacoo Web上で図の作成&リアルタイムコラボレーション】
http://www.hotgloo.com/【hotgloo】
http://www.lumzy.com/【lumzy】
https://moqups.com【moqups】
一番考えたのはロゴである。ダサいロゴにしてしまうと、それだけでサイトのイメージも下がってしまうのでかなり悩んだ。
ロゴデザインの木を学んだ人からすれば笑ってしまうようなデザインかもしれないが、笑われるのを覚悟でボツ案をはっておく
http://gyazo.com/acd94a061c4fa54c39dab35d04d81f70
一番最後まで残った案は赤枠で囲んだ「D」という文字を指と見立てて再生ボタンを押しているというイメージのロゴだったが、最終的にはシンプルなものになった。
今ではシンプルで良かったなと思っている。
女優名を引き換えに女優名以外の細かいタグをつけると決まれば、あとはタイトルとタグを付けてくれる人を探すだけである。
翻訳をかけてタイトルとかにすれば完全自動にできるがきちんと確認した上でタイトル・タグをつけたほうが正しい情報を記入することができる。
なのでここは完全手動にした。しかし量が量なだけに私一人でやるには荷が重すぎる。そんな時に空気嫁の次に大切なチェリーボーイズ達が私に隠れてサプライズを仕掛けてくれていた。
「おいハゲ(本当は私の名前を呼んでいる)!アデランス(本当は私の名前を呼んで(ry)の為に人員を用意したぜ!みんな温水(本当は私の名前(ry)の使いやすいサイト制作に賛同してくれて
普段はティッシュしか周りにいない私でも真剣にやるだけで賛同してくれる人もいるのかと、目から精液がでた。趣味サイトなので面倒になったらいつでもやめていいという事で
たまに飲みに連れて行くことを約束し、更新作業を手伝ってもらうことにした
この問題に対しては私はお手上げだった。再生する度に裏でどんどん広告がひらいていき、親が来たと思いサイトを閉じたら、裏で開いていた巨大広告のお姉さんが腰をフリフリなんてザラである。
だがこの問題に一人のチェリーが立ち上がった。彼は自称プログラマーという素晴らしい肩書きで、私ができない部分(PHPやJavaScript等動的な部分)を見事に解決してくれたのだが、この難題にも立ち向かってくれた。
結果は実際にサイトに来ていただければ彼の奮闘結果が見れるかもしれない。
圧倒的な技術不足というのを痛感したとともに、日頃何気なく利用しているサイトはものすごい技術の結晶だということを改めて感じた。
完成した時は思わず、紗倉まなのDVD4時間ぶっ通しでみて抱きまくった。
こんな私でもできるという充実感を味わえる。
あまりの嬉しさにこの日記を書きたくなったが、私が制作に携わったデザイン面でしかこの日記で書けないのが悔しいです。
メールフォーム等も実装してユーザーの意見を聞けるようにしていきたいと思っています。
最後に、私のわがままに付き合ってくれたチェリーボーイズ達に感謝!
俺達の戦いはこれからだ!
適切な納期、適切な価格で、妥協なき最高のモノを作ってお客さんに喜んでもらう。
そしてその最高の仕事が自分の評価や名声を高めて次の仕事へ繋がっていく。
それが理想だし、その考えが間違ってるとは誰も思わない。
でも、現実は厳しい。
仕事取る為にディスカウントしたり、安い単価で予算を達成する為に
とにかく量をこなさなければいけないこともあると思う。
利益に貢献するのであればそちらが選ばれるのは致し方ないことかも。
仮に、中長期的には「量<質」の方が会社の利益に貢献するとしても、
自分のキャリアに対するリスクを背負い、経営陣の納得のいく説明を行わなければならない。
他人にそこまで要求するにはそれを正当化出来る材料をちゃんと用意しておかないと無理だよね。
フリーになったからと言ってその論理から開放されるわけではなく、
むしろ、自分の仕事の結果がダイレクトに生活に響いてくるので、
「量>質」で捌く羽目になる可能性もある。
俺はデザイナーではないが、「つくる」側の人間なので元増田の気持ちは良く分かる。
やっぱ、誰にでも出来るような量産品を作業員として作るんじゃなくて、
自分の能力フルに使って、すげーと言われるようないいモノ作って稼ぎたいしね。
ただ、同時に「売る」側の視点ってのも忘れちゃいけないのかなとは思う。
どうしても俺らはモノ視点で物を考えがちで、商売って意識が弱くなりがちな気がする。
(売る側は売る側で行き過ぎだろって時が多々あるが)
ま、何が言いたいかというと、今会社を支配している仕事の法則は
「量>質」ということについてもちゃんと向き合って考えた方が良いと思う。
まずは「量>質」の制約の中で少しでも質を上げられる方法とか考えてみては?
http://snowymoon.hateblo.jp/entry/2013/03/10/201924
このエントリーを読んでこの方は法学というものを誤解していると思ったので書いてみました。
以下は理系と文系の違いという点からは少々話がそれるのを念頭において読んでほしいと思います。
彼は法学は演繹法タイプであり、帰納法で行っているからこそ法体系が矛盾だらけなものになっていると主張してます。
これが正しいのかということを考えてみたいと思います。
法律の解釈とは出来上がった法律の条文の意味をさらに具体的に明らかにすることです。
もう少しわかりやすく言うために法律が出来上がってから具体的に事件に適用されるまでを簡単に言うと
①社会において現在あるルールでは解決できない問題・事件が発生する。(これは様々な要因により国民の社会生活に変化が起きることによる)
↓
②このような問題・事件を解決するための基準(すなわち法律)が必要となる。
↓
③国会により新たな解決基準が提案・審議・可決される。(法律の制定。この際に全ての起こり得る事案を想定して条文を作るととても冗長になるから必要な規制範囲を網羅するために一定程度条文は抽象的にならざるを得ない。)
↓
↓
⑤条文からはこの法律を適用していいかどうかが明らかでない場合がある。(条文が不明確、あるいは事案が複雑でこの条文を適用する場面であるかが不明確であるなどの理由で)
↓
⑥法律が制定された趣旨から条文の意味を解釈する。(法律が作られた理由・根拠などから抽象的な条文の意味を具体的に明確にする)
↓
⑦法律を適用するまたは不適用することによって事件を解決する。
以上のようになります。
法学における法律の解釈とは上の流れの④から⑥までのことをいうのです。
ここにおいては個々の事案にそってすでに一般的に定められた法律(理系的にいうと一般法則)をあてはめる作業です。
この一般法則にあてはまるかどうかを法律が作られた趣旨から考えて結論を導くのです。
つまり一般法則から理論を積み上げて条文の不備を補う理論を考え出すのが法学の分野であってこれは間違いなく演繹的な考えかたではないでしょうか。
法学とは彼が言うように演繹的に思考すべきものであり、現にそのように行われているものなのです。
法学が帰納法で行われているというのは彼の思い込みではないでしょうか。
また、彼はルールが我々のわからないように勝手に作られていると主張しています。
確かに法律は星の数ほどあり、それらは全てを把握することは困難な状況です。
おそらく矛盾する点もやまほどあるでしょう。
しかし、現在では解決すべき問題は我々が把握できないほど山ほどあり、これらの解決基準を全て国民全体で議論していては何も決めることは出来ないでしょう。
そのため我々は選挙で国会議員を代表者として送り込むことでそれらの議論を代わりにやってもらってるのです。
すなわち多数決によって代表者を選び、多数決によって代表者が法律の可決を行っているのです。
もちろん現在はインターネットの普及で法案の作成・審議にオープンソースの考え方を用いることも提唱されています。
これが実現すればより民意を反映した法律の作成が可能となるからこれには私も賛成です。
ですがやはり可決の際には代表者による多数決によるのが合理的であるでしょう。
このような多数決のやり方が合理的と言っても多数であれば正しいとは限りません。
代表者といえども間違うことはあるし、時代の進展とともに法律の制定当時とは状況が変わっていることもあります。
その誤りを是正するためのものが裁判所の違憲立法審査権なのです。
最初から憲法に基づいた法律を作ればいいだけといいますが、民主主義において多数決を採用する以上、これは人間が行うことであって誤りがないことなどはありえません。
その民主主義の誤りを是正するために用意された制度が違憲立法審査権なのです。
彼の言っていることは法学が間違っているから生じるのではなく、立法過程に問題があるから生じたものであって、思考法の違いで生じたものではないと考えます。
タイトルはやや釣り。既に皆が知っているような事を、ちょっと別な言葉でもう一回書くだけ。
いきなり結論を書くと、これ。
理系は事象や物それ自体に興味を抱き、人間同士の営みについてはあまり興味がないが、文系は基本的に人間中心主義で、人間関係に強く関心を寄せる。
興味というと話が限定的になるので、世界の捉え方と言ってもいいかもしれない。
理系は、まず銀河の中に太陽系がありその中の地球と言う惑星に棲む様々な生物のうちの一つが人間、というように、自然科学的な世界の枠組みの中に人間社会があると考える。物事の本質はそれ自身の持つ法則や性質にあり、人間がそれに与える意味は付随的な物と考える。
一方文系は、まず人間社会がありその中の一団が天文学を発達させ太陽系や銀河の有り方を発見した、というように、人間社会の枠組みの中に様々な知識や発見があると考える。人間社会に置いて物事がどのような意味を持つか、それこそが物事の本質であると考える。
どちらの見方もそれぞれに真理であり、当然ながら優劣をつけるような種類の事ではない。
筆者は子供の頃、理科はとても好きで教科書を隅々まで読んだりしたが、社会科、殊に歴史や現代社会には全く興味を感じなかった。基本的に社会科は人間同士の営みの話だからである。歴史の授業で出てくる○○の戦いやら××革命やらも全て、「ある時代のある場所で人間同士が喧嘩した」というだけのことに見えて、個別に細かく眺める意味がさっぱり分からなかった。それに比べると理科の知識は、一つ覚えるごとに一つ新しい世界が広がるような気がしたものだった。
現在ではその頃よりもう少し歴史の面白さが分かるつもりではある。
興味が向かう方面に関しては努力も苦にならず、能力が伸びる。その結果、理系は物事に入れ込むオタク気質に、文系は人間関係に強いリア充になる。
逆に、興味がない分野のことについては、アプローチが下手になる。理系は、新しい知識や発明品が、人間社会においてどんなカードとして使えるかまで、気が回らない。ただその物の新奇さやスペックの凄さを言うばかりで、それが金や権力にどう変換し得るか、その発見で喜ぶのは誰で困るのは誰か、そういう政治的ビジョンが乏しい。文系からすれば酷くどうでもいい事に拘って人間関係を悪化させたり、他者の発言の裏にある感情や政治的動機が読みとれずに見当違いな反応を返したりする。
一方文系は、人間関係の中でのみ有効な方法を、それ以外の分野にまで当てはめようとして、おかしな話に引っかかってしまう事がある。例を挙げれば、自然現象相手に取引やお願いをしてみたり(「願えば叶う」式ライフハックなど)、自然に起こった出来事に誰かの作為を求めたり(ID論など)、人間の価値観で物事の因果関係まで推測したり(水伝など)、と言った調子だ。最重要事項が良好な人間関係や政治的な強弱関係であり、知識や情報はそのための道具にすぎないので必ずしも正確さは必要なく、より人を動かせる話に食いつく。
断定的に書いたが、実際は大抵の人間が理系の心と文系の心を両方持ち合わせており、割合に個人差があるだけである。その割合も、置かれた環境や心理状態によって変化するであろう。
興味の方向性から、それぞれ理系分野・文系分野に進む傾向は有るかと思うが、当然当てはまらない人も多く居るだろう。
筆者は文系の心がやや乏しいため、文系の描写にはズレた点が多いかもしれない。
ツッコミ歓迎。
※あまり正確でないまとめ
2. 長さを制限しようとするストッパーがエロゲーにはあまり無い
4. 長大化で小回りが利かなくなったので衰退した
~~~~~~~~~~~~~
積んでた夏空のペルセウスやってたらこんな記事が話題になってたので、以前考えてたことを出力してみた。
まずもって、世の中のたいていのものは放っておくと長くなる。全部突っ込めばそれだけ長くなるし、切り捨てるのにはセンスと覚悟が要求される。
論点を置き換えて「他のジャンルの作品は何故長くならないのか」と問うてみた方が話が早くて、フォーマットや制作体制や商業的事情や物理的法則に種々のストッパーを見つけることができる。テレビアニメには放送枠があるから1話30分弱に収まるし、読者アンケートの結果が悪い漫画は打ち切られる。ボリュームと制作期間と費用は通常比例するから10時間の映画はペイしづらい。観客の体力も保たない。製本技術には限界があるので京極夏彦や川上稔がある種のチャレンジャーとして驚かれる。商業作品である以上、諸々の制約と歴史的経緯によって現在のジャンルの姿がけしてベストな形ではないにしろあり、いまも着々と変化している。
ところで家庭用ビデオゲームというのはある意味で特殊なジャンルで、この手の制約が相対的に弱い。(どういう経緯があったからかは知らないが)企業の成果物として単品売り切りで販売されるために一作で完結していることをより強く求められる。連載形式や短編連作は馴染んでいない。アーケードのように課金制ではないため私的な場で長時間にわたってプレイされる。デジタルデータであるがゆえにボリュームの制約が相対的に弱い(勿論家庭用ゲーム機の歴史とは一側面ではすなわちデータ容量との戦いでもあったということを知らないわけではないが、しかしそれは、書籍のページ枚数やテレビの放送時間とは本質的に異なった枠組みだろう)。そしてエロゲーもこの例に漏れない。
いま、エロゲーを長くさせない/シナリオ量やCG枚数や楽曲数やキャスト数、ゲームエンジンの性能、その他全てを含めて総体的に立ち現れる「ボリューム」を一定程度にとどめようとするなにがしかの制約を想定してみたとき、せいぜいメーカーの経営体力とメディアの容量、それからマシンスペックくらいしか思い浮かばない。後ろ2つは開発環境が消費者のプレイ環境にある程度近いのもさることながら、そもそもPCの廉売とスペックの進歩、間接的にはブロードバンド環境の普及がエロゲーの長大化を物理面で下支えしてきたように中長期的にはむしろブースターとして働いている節がある。トップブランドのフラッグシップタイトルが折に触れて消費者側のマシン更新を促してきた事実もあるように、決定的な歯止めとなっているようには見えない。1点目にしたところで、勿論この業界の危うさ、開発企業の経営基盤の脆弱さは消費者にもつとに知られたところではあるが、零細ゆえに諸々の手段で延命可能であることもまた、たとえば半ばアパレルメーカーと化し盆と正月に衣服や楽器を売りさばく某ブランドの例から知ることができよう(もっともこの手の主客転倒した経営と現状の市場を席巻している初回特典偏重の商法が相まっていくらかのエロゲーメーカーのグッズ屋化を促進しているのだが、さすがに本論から逸れているので一旦措く)。そもそも零細的な企業体制でも比較的手軽に参入可能な市場として開発者の側からかつてエロゲーは持て囃されたという歴史もある。
ところで、「ボリューム」と書いた。実は「CG枚数や楽曲数やキャスト数」は、これはきちんとデータをとって検証したわけではないけども(誰かやってください、というかもう先行記事があるでしょう)、一部の大作を除けば体感としてはここ10年、さして増加はしていない。勿論マシンスペックの向上に伴って画質も音質も向上してきたが、数量としてはほぼ横這いじゃなかろうか。むしろ攻略ヒロイン数なんかは全体として微減の印象がある。じゃあどこに工数が注ぎ込まれて「ボリューム」感を実現しているのかっていうと演出のスクリプトとゲームエンジンの融通とシナリオ量で、だから「長大化」として語られる。そうしてヒロイン数が割を食う。
畢竟、「これ以上長くすると開発スタッフが死ぬ」以外に天井が見当たらないのがエロゲーであり(実際菜種油を搾るように業界人の首が絞められた末に納品された成果物を今われわれはプレイしている)、そして消費者はぼんやりと長大化を期待した。マルチエンディングのADVが市場の大勢を占めるようになったがために、ビデオゲームでありながら作品間で「ボリューム」を直接的に比較することが可能となったのも後押ししたのかもしれない。あるいは国内経済のデフレーションと関連付けることだって可能で、フルプライス=税抜8,800円の価格設定はここ10年以上にわたってほとんど揺らいでいない。数年前からいくつかの大手メーカーが大作に限ってようやく税抜9,800円に手をつけた程度のありさまで、であれば同一価格内での「品質向上」を求める圧力が加わるのは自然の成り行きだろう。それでなくても市場は2000年前後をピークかくしてエロゲーは長大化の一途を辿り、ジャンルとしては衰退した。
これは当然の展開で、しばしば指摘されるように現代はコンテンツ飽食の時代、趣味は時間の食い合いとなるので長ければ長いほど不利になる。そんなの知ったこっちゃねえ俺は何十時間何百時間でもエロゲーを続けるぜって御仁には頭が下がるばかりだが、ジャンルの/市場の健全性とはかようなストイシズムとは対極の、ヌルい裾野の広がりによって担保されるのであって、エロゲー修験者ばかりではジャンルは早々に先細る。複数買い&積みで支援するのも似たようなもので、そこに健全な言説(そもそもインターネット上のエロゲーについての言説が「健全」であったためしなぞいまだかつてあったのか甚だ疑問だが)は生まれ得ないし、エロゲーは他のオタフィクション同様、本質的には中・下層の大衆、賃金労働者の変種としてのオタクによって担われる速度重視のサブカルチャーの一種であるのだから、ルネサンス期のメインカルチャーのような貴族のパトロンによる全面的支援などという夢は早晩挫折しよう。
速度。現代のインターネットで語られるオタフィクションとしては何よりも速度、1単位のコンパクトさと間口の広さ、新陳代謝の活発さが重要で、そして先にも触れたように「ボリューム」と開発期間はふつう比例する。込められたアイディアも思想も発売時には陳腐化している。ゆえに、足回りの悪くなったエロゲーが往時の勢いを失うのも自然の流れだろう。
・おわりに
突っ込みどころ多いしエビデンス挙げてないし、取り扱うのが面倒でわざとスルーした話題がいくつかあるけどまあいいや。気力の保つあたりでアップしておく。
それにしても、平均年収300万円以下って、まあ天引きor確定申告前の数字なんだろうけど、俺より貰ってるじゃねーか。まあ激務やスキルやクリエイター幻想に見合わないって趣旨なんだろうけど。
この手の、市場の縮小と消費者層の年収減と割れの話はオバフロの人はじめ、色んな人が語ってるから適宜ググるといいと思うよ。
夏空のペルセウスは大変エロかったですが他に言うことがありません。minoriの歴代作品に比べて開発期間=資金の限られている中で最善を尽くしたんだろうなあ、とは思うけど。
すぴぱらの続きマダー?
増田で「自分は東大だけど」って書くとホッテントリ入りする法則なんなの。
海外に出ると「東大」っていうくくりで見られなくなるからほっとする。
でも、それって海外が学歴社会じゃないからっていうわけじゃなくて、単に東大の知名度が低いからなんだよね。逆に日本の事情を知ってる人は、もうなんていうか、日本の学歴コンプな人たちとは比べ物にならないくらい、「東大すげー」ってなる。
それは階級社会だからなんだろうけど。階級社会がベースにあって、大学に行く=中流階級以上、なおかつ名門大学=アッパーミドル~上流階級っていう区分けになる。
誰でも行きたければ大学に行けて、がんばれば東大、京大に行けるっていう日本のシステムは悪くないと思う。結構本気でそう思う。
うん、増田の主張が正しいのは間違いない。
非の打ち所が無いと言っていい。
で、そんな増田がプラスして知っておいたほうがいいことをいくつか。
でも他ののほほんとした跡継ぎ連中と違い、苦労して苦労して今の仕事に就いた私には、経てきた苦労が重すぎるために今の職業をほうり出す事なんてとてもできない。
他のやつらより苦労し努力し現職に就きそして今なお我慢し続けている私が一切報われず斯界から放り出されるなんてそんな事は絶対に許されない。何より私が許さない。
増田のことだから、何年も遠回りしたとか、それ以上の、筆舌に尽くしがたい苦労をして今の仕事を得たんだろう。
でも残酷なことを言うようだけど、苦労と対価が見合うなんて法則はない。ルールに従って将棋を打っても必ず勝てるわけじゃないのと同じ。
努力は人を裏切らないとも言うけど、努力の結果として必ず何かを得られるというだけであって、得るものが成功であるとまでは言ってないわけで。
きっと増田にも、仕事を得るまで頑張った中で得られた知見とか、これから今の仕事をどうしていくか関係ない部分で、人生の糧になるものがあったんじゃないかな。
それと、仕事は本人の適性や希望という観点から、何をやるかはとても重要なんだけど、同時に人間は想像以上に環境に左右されるんだよね。
環境の良し悪しがその後の人生の明暗を分けることはいくらでもある。
だからこそ、何をやるか以上に、誰とやるかが大事だと思うんだよ。
そして相手のやり方を変えることは極めて困難。
相手もいい大人だから、親でも先生でもない人が言うことなんて、基本聞いてくれないのさ。
そこは「俺は悪くねーのになんでだよ」という気持ちをぐっと堪えて、自分のやり方を変えるほうが、まだ容易だったりする。
仮にそれで嫌がらせが止んだとしたら、結果オーライとかお気楽に思えないまでも、「まあ満更でもない」って感じじゃね?
最後に、増田は心療内科に行くのを嫌がっているようだけど、病院は診断書を出すだけが仕事じゃないのは知っていると思う。
そして今心身ともに辛く、弱り切っている増田は、その第一目的のために病院に行くべきだと思う。
もしかしたら仕事を続けながら楽に過ごせる方法を教えてくれるかも知れないじゃん。
「あの、今辛いんです。楽になるにはどうしたらいいですか?」とだけ日本語で言えれば門前払いされることもない。
バイオの今までの数年の動向と現状、そして進路について思うことを書いてみたよ。
受験生やバイオ系の学生さんに進路を考える点でちょっとでも参考になればうれしいよ。
数年前までバイオがとても注目されて、クローン技術、移植医療、ヒトゲノム計画、遺伝子組み換え食品などが
有名になったよね。
では今はどうかと言えば、そんな言葉見る影もない・・。
あれだけ騒いでいたマスコミ連中は「これからはナノテクの時代」などと別なことをほざくようになって、
バイオなどどこ吹く風・・・。当時、理工学系の学部で最もレベルが高かったのは紛れもなく「バイオ系学科」だったのに、
いまは最もレベルが低い学科に成り下がってしまっているみたい・・・。
受験生の間では、
クローン羊ドリーの誕生によってクローン技術が世界で騒がれ、はたまた脳死患者からの日本初の臓器移植、あるいは、
世界規模で行われていたヒトゲノム計画の激化、夢のような食品を作ろうと考え出された遺伝子組み換え食品、まさに
それと同時に「バイオは倫理観が伴う非常に難しいもの」と倫理性も問われるようになったんだ。
例えば、「クローン技術や遺伝子組み換えは自然が作ってくれた生物の存在を根底から覆すものだ!」って
非難を浴びたし、「脳死患者からの移植は倫理的に問題がある」ってお偉い方は慎重だったし、
ヒトゲノム計画は、「それによって人の遺伝子が分かることでその人の人間的な価値まで判断されてしまう!」
なんて言われていたんだ。
これを読んでいるみんなもこれらのことは知っている人も結構いるだろうね。
倫理観まで問われるってことはそれだけバイオが注目されていた証拠でもあるよね。
じゃあ、あれから数年経った今はどうかって言うと、悲しいけど全く言われなくなっているよね。
それともバイオはみんなを幸せにしたからもういらなくなっちゃったってこと?
繰り返すけど、1990年後半は紛れもなくバイオブームだった。
でもこの言葉って罠がある。
あくまで1990年後半はバイオ"ブーム"ってわけで、バイオの時代が来たっていみじゃなかったんだよね。
ここに大きな問題点がある!マスコミ連中が報じる「これからは○○の時代」って言葉には注意が必要なんだ。
(2)それを大々的に報じる
(3)そして世間がそれに食いついてきたら「これからは○○の時代」って報じる
と言うやり方があるんだよね。
だから「これからは○○の時代」と言われても本当にその時代が来るかどうか誰にも分からないよね。
確かにそれを報じた時やその数年後はその○○が注目されるけど、それ以降はまた別な◎◎が注目されるようになって、
「これからは◎◎の時代」ってふうに話題がすり替わっているものなんだ。
では、この前後で科学の世界ではどういったブームがあったかを振り返ってみよう。
年代 | ブーム |
---|---|
1985~1990 | バイオブーム(利根川先生のノーベル賞がきっかけ) |
1989~1994 | 地球環境ブーム(→農学部の大幅な改組) |
1995~1998 | 大型基礎研究施設ブーム(SPring-8、スーパーカミオカンデ、地球シミュレーター) |
1998~1999 | ITブーム(正確にはIT革命ブーム) |
1996~2000 | バイオブーム(クローン技術、移植医療、ヒトゲノム計画、遺伝子組み換え食品) |
2000 | ヒトゲノム計画のドラフト(概要)が完了 |
2000 | ITバブル崩壊(IT不況へ、しかし近年持ち直す) |
2001 | (このあたりからバイオが騒がれなくなる) |
2002~ | ナノテクブーム |
2003 | ヒトゲノム計画が完全終了(しかし世間はすでに見向きもしなくなっていた・・・) |
あれあれあれ??!1985~1990年にもバイオブームがあったんだ~。
実はこれ、利根川先生がノーベル賞を取ったことを機にかなり盛り上がったみたいなんだ。
当時バブル経済まっただ中で、いろいろな企業もこぞってバイオの研究をするようになっていたんだ。
電機メーカーが線虫っていう虫の脳神経を調べたり、神経細胞が伸びていく方法を利用して半導体の
でも、バブル経済が崩壊したらそれらのメーカーもバイオの研究をやめちゃったんだ。
バイオの研究って他の分野の研究とは違ってきちっとした方法論が確立されていなくて手探りでやるから、
本業で稼ぐのが一番ってことで電機メーカーは撤退しちゃったんだ。
その次の1995~1998の大型基礎研究施設ブームっていうのは主に物理学の世界で、宇宙とか素粒子
(原子を構成しているもの)を研究するのには大型の研究施設が必要ってことで各地に建設がされたということだよ。
当時マスコミ連中が言ってた言葉は当然「これからはITの時代」。
2000年にヒトゲノム計画のドラフトが完了したことで、当時マスコミ連中はバイオの倫理について大騒ぎしたんだよね。
でも、これを境にだんだんとバイオが騒がれなくなっていったんだ・・・。
これとは対照的に2002年くらいからナノテクがだんだんと報じられるようになってくる。
2003年にヒトゲノム計画が完了したときにはもう誰も世間の人は見向きもしなくなってしまっていたんだ・・・。
何でだろうね・・!?
2つ目は同じことの繰り返しで真新しさがなくなってしまった場合。
1つ目にあたるのは、ヒトゲノム計画だね。
当時は人の遺伝子が全部分かれば、病気の原因も分かるようになるって注目されたけどそんなことは全然ないよね。
結局、遺伝子解読したから何が分かると言えば、その遺伝子の配列が分かっただけ。
それ以降には全然進まない。
だってどの遺伝子が原因は結局は実験をしてみないと分からないものだから。
ヒトゲノム計画は学問的にも産業的にも利用価値がなかったってわけ・・・。
ヒトゲノム計画の時にアメリカのある企業ががんばっていたんだけど、終了後はこの計画にあまり意味がないことに
ヒトゲノム計画はそんな程度だったみたいだね。
2つ目の理由に当たるのは、クローン技術や脳死移植、遺伝子組み換え食品だね。
その後はあまり技術的な革新はないから(クローン技術はその対象を広げたけどそれ以上はないし)、マスコミ的には
何かフタを開けてみるとあっけないよね・・・。
それにしてもいろいろなブームがあったんだよね(皮肉/苦笑)。
ブームってのは確かに山があって頂上まで行ったら後は滑り落ちるだけってのは分かる。
でも科学の世界ってそんな短期間で語れるようなブームで動いているわけ!?答えは「それは正しくない」よね。
今まで言ったように科学の世界のブームは単純にマスコミが作り出しただけで、実際の科学の研究はもっとコンスタントに
行われていて、確かにある分野が注目されるときはあるけどそのあとは見向きもされなくなるなんてことは変なことだよ。
だって見向きもされなくなるってのはその研究が価値がなかったってことが分かったってことなんだからね。
でも、世間の人はそういうたった数年のブームにのせられてしまうし、多感な受験生なんてそれだけを信じて進路を
「これからは○○の時代」ってフレーズに載せられてその○○の分野に入学しても自分がいざ研究や就職を
しようとするときには世間は完全に見放していたなんてことになったら、いったい何のためにその分野を
バイオの研究者は生物をどのように解析するか?それは文字通り「ただやみくもに」って言葉がぴったりな方法なんだ。
びっくりしたでしょ?ぼくはバイオの研究の問題点は3つあると思っているよ。
1つ目は、生物学の研究方法では他の分野(特に物理学や化学、工学)のように原理原則を見いだそうとは
されていないこと。だから生物学の研究方法はまるで『錬金術』のように「訳の分からない遺伝子をやみくもに入れてみたら
どうなる?」とか、「この薬品とこの薬品を入れてみたらどうだろう?」ってふうに原理原則を見いだそうとせずに、
結果さえよければそれでいいって感じでやっているのが現状なんだ。
錬金術ってのはみんなが小学校・中学校で習ったと思うけど、昔の人は金属ごとに違う原子でできていることを
知らなかったから、鉄やアルミニウムから金を作ろうと必死にいろいろな方法を試していたんだ。
これらの原理原則を知っている現代の人から見ればバカバカしいことだけど、残念ながら生物学の研究は現在でも
2つ目は1つ目とも関連があるんだけど、生物学の源流が『博物学』であるから、その博物主義的な発想から
抜け出せないところ。みんなも博物館に行けばいろいろな昔のものが陳列してあってどの時代にどのようなものが
あったかよく分かるよね。でもそれが分かったところで今の自分の生活には活かせないでしょ?それと同じで生物学も、
その対象が動物・植物から細胞・分子レベルにまで移ったのに、やっていることは昔の生物学者がおもしろい生物種を
追い求めて野外を駆けめぐったように、今の生物学者も同じ発想で遺伝子や細胞の中で働いているタンパク質を
発見することに全力を注いでいるよ。そしてそれに名前を付けて陳列して「どうだ!オレはこんなにたくさんのものを
発見したんだぞ」って威張っている状態なんだ。
だから、そこから一般的な原理原則を見いだすことはないし、それを何かに役立てようって雰囲気も全くないんだ・・。
表向きは生物学は理系に属しているけど、理系らしさの証でもある数学・物理学・化学を駆使して数理的に
解析するなんてことは絶対にない。
そういった解析をしている学者は生物学者ではないんだ(苦笑)。
確かに生物と言えども自然界に存在するものはすべて物理化学的法則に縛られているから、その方向からの
解析が必要になるはずだけど、生物学は博物学の流れを持っているからそのような部分には生物学者は
見向きもしないんだ。
文系でも経済学や心理学、社会学では数学を結構使うから、生物学者は文系以上に
それだったら何のために大学入試で数学や理科をやってたんだよって感じだよ。
しかも、生物学の研究には多くの機械を使うけど、生物学者は機械の原理や中身の動作については
全く分かっていないんだ。機械のボタンを押せば何か分からないけど目的の研究ができるってふうにしか
機械を捉えていないから、機械がうまく動かないときは自分で直したりせずに修理を頼むんだ。
その間はだたぼぉ~って待つだけなんだ(笑)。他の理系の研究ではまず考えられないことだよね。
大事なのは、世界のバイオ機器を支えているのは電気工学と機械工学で、この2つがなければバイオは
ダメになるということ。でもバイオの人たちは、自分の研究が電気工学と機械工学に支えられていることに
全く気づいていないんだ。それなのに自分達だけでバイオの研究をしているって勘違いしている部分がヤバいんだよね。
バイオの人間はもっと発想を変えて、理系らしくすべきだと思うけど、みんなそんな意識はなくて毎日朝から晩まで、
続きは
http://anond.hatelabo.jp/20130207232414
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130204/1359989997
Q: トランプ配りを使えば,「一つ分の大きさ」を5,「いくつ分」を3とすることができますけど?
A: 残念ながら,トランプ配りの乗法への適用は,学校では認められていないようです.「配る」のではなく,配られた後の状態をもとに,「一つ分の大きさ」と「いくつ分」を見つけています.
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130204/1359989997
「"×"が"かけるまたはかけられる"という算術記号では無いことを証明できないから」
よくある「交換法則が成り立つから意味は同じ」という意味ではありません。
その説明で同じとされるのは答えであって、文章題から立式する際に式の意味が違うから順序を変えてはいけないという主張の反論になりません。
交換法則が両式の意味を同じにしているのではなく、交換法則が"×"の定義が"かける"以外の意味であることを否定出来ない。
すると□×△が「□かける△」を意味するのか「□かけられる△」を意味するのか、また両方なのか式から読み取ることができない。
式からどの意味か判断ができないのであれば同じ意味にするべきである。
また、"教師が□×△を「□かける△」と教えているから"は"×"が"かけるまたはかけられる"という算術記号では無いことの証明にはならない。