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2022-10-03

anond:20221003171846

杖道を使う職業って修験者とか山伏みたいな感じ

魔法ってより仙道だし、それこそ魔法職ってより物理

2022-08-10

アトス女人禁制は規模が違う。ここには20の大きな修道院があり、男ばかり約2000人の修道士自給自足修行に励んでいる。修行中の身だから女性に触れない、というのは当たり前だが、いったん修道士としてこの地に身を捧げたら、彼らのほとんどは死ぬまでこの地を出ることはない。

まり女性に会う機会がなくなる。大峰山沖ノ島女人禁制とはいえ神官修験者は島や山を出れば、そこには女性存在する。

だがアトス修道士たちは数十年、あるいは50年以上も女性を「見たことがない」という男たちが、2000人も暮らしているのだ。

 さらに徹底しているのは、自給自足生活飼育している家畜も、すべて雄。唯一猫だけは、鼠退治のために雌の存在が許されているが、それ以外の動物の「繁殖」はない。

修道士たちにとっては「生神女マリアキリストの母)」だけが唯一の女性であるといい、1406年に始まった女人禁制は、世界遺産登録された現在もなお、頑なに守られているのである

2020-08-09

或る所に、酒呑童子がおりました

酒呑童子は、山の奥に暮らし道行く修験者を取って食らって暮らしておりました

その頃男性の眼球は顔の表面に2つ付いておりました

一説によりますと、美人が居ないか左見右見を見渡す為だったと言います

修験者の中には、酒呑童子に惹かれて求婚する者がおりました。人間の男の習性を訝しんだ酒呑童子は、男の眼球をくり抜いて食べてしまいました。その味はよく熟れたザクロに大層似ていたと言います

以来、ヒトの男の眼球は一つとなりました。

あんさん母親あいとうて

揺られる船の狭さ

水流に手を差し入れ

戯れるととのいじらしさ

お気付きならまあ賢い方やな

肋屋の天井に滴る供物の欠片

一途を忘れた哀れな男は

うちには帰らせん

遠ざかる足音

あんさん母親

ご対面やなあ主はん

今更慌ててももう遅い

鮮血で染まった肋屋の

友達は何を見るやろなあ

千千に千切れ行く脚先を

遠ざかる意識

あんさん母親

ご対面やなあ主はん

2020-02-06

孤独栄光

吐き出させて下さい。

私は産まれて30余年、常に独りでした。

別に孤児でもなければ、天涯孤独でもありません。話し相手は少ないながらもどの年齢でもいたし、いじめを受けたわけではありません。

それでも私は、どうしようもなく孤独でした。どこで誰と何をしていても、自分が何物とも繋がっていないような感覚ばかりがありました。

理由は何とでもこじつけられる気がします。望まれて産まれたとは到底信じられない家庭環境遺伝的、精神的欠陥。それらを覆せなかった自分の弱さ。

…思い出せる昔の記憶は、階下から響く両親の罵り合い、私が男でありながら腰を振る兄。視線ひとつくれず、仏頂面で鬱陶しそうな顔で過ごす母。家事をろくにしない母への憎しみを私にぶつける父。

記憶にある唯一の母の声は、休日の朝に朝食をせがんだときに聞いた、「風邪ひいたから」という子供でも分かるような嘘。塩ごはん牛乳ごはんなどという手料理も、それが普通だと信じたかった。

両親は自分問題だけで手一杯で、明らかに私を愛していなかったが、それでも奇妙なバランスの上で形を保っていた。だから消極的にも期待していた。いつか両親が真っ直ぐな愛情と関心を私に向けてくれることに。だから耐えるように、道化を演じてみたり問題を起こさないよう強く自分を抑え込む術を自然と身に付けていった。

同級生達とは、関わる度に違和感を感じていた。彼らから発せられる、家族からの温かい愛情やそれに基づく自信めいたものを感じるのが辛く、眩しく、何より悔しかった。私もそうありたいと願い同じように振る舞うのだが、自分を偽った罰なのか、常に自分の中にヘドロのような憎しみが募り、それがとき漏れだしては、私の人間関係破綻させていった。

…ある日、母が消えた。言葉ひとつも、書き置きも無く、突然と。だが何の感情も湧かず、涙も流れなかった。幼心に予想と覚悟はしていたのだろう。そうして、孤独と共に生きるというテーマが課せられた気がした。…それからは、忍耐から麻痺が生きる手段だった。

家はまるで会社のように感じた。父という経営者の下、勉強という仕事の対価に衣食住という報酬を得るような環境。己を律しきれず感情を顕にすれば、待っているのはクビ、つまり死ぬこと。逃げ出す勇気も、自分環境を変える強さも無かった。経を淡々と読み上げるような修験者のように、無痛のうちに日々が流れていった。

不幸にも中途半端事務処理能力が高かったのか、大学入学できた。大学理系で、物理を専攻する学部だった。今にして思えば私はそれそのものには興味は無く、ただただ盲信できる唯一無二の真実を、家族自己内面ではなく、外側の世界に求めていたのかも知れない。

契機はすぐに訪れた。その頃の私は誰の、何の助けも無く生きることに歪んだプライドを懸けており、独りの力で講義をこなそうとしていた。しかし当然のように挫折した。当然のように孤立した。

ある朝、いつもと同じように無痛のまま大学へ向かおうとしたが、体が動かず、講義をサボった。その日からぷっつりと糸が切れたように、大学に行けなくなった。

そしてそのまま2年間引きこもった。無痛という手段も通じないと分かってしまった私には、生きるために何をすればいいのか分からなくなってしまった。しかし罪悪感以上に、解放感と、呪縛から逃れたような安心感があった。そして同時に、いよいよプライドも生きる理由も意欲も自負も、全て失った。

兆候はあったがその頃から急激に死に惹かれるようになった。自分事故病気でいきなり死ぬ妄想をしたり、楽に死ねるという情報から練炭と七輪を買い、日常的に自傷をし、着々と死に近付いていった。流れる血と生々しい傷に、不気味なほど安堵と溜飲が下がる思いを感じた。堆積した恨みの攻撃性の解消と、自罰感情と、ボロボロ精神投影先を見出せる行為だった。それゆえ日々エスカレートし、あるとき刃が大きな血管を切った。噴水のように噴き出す血を眺めながら、まだ死ぬ準備が整っていなかったため、止血の処置をした。特に感慨は無かった。ああ…あのまま放っておけば死ねるんだ…と、妙に冷静になっていた。

そこから、少し何かが変わった。本当に死の一歩手前にまで陥っても、やっぱり私に救いの手は差し伸べられず、また自分の力で生き残ってしまった、と思うと、諦めを通り越した何かが芽生えた。自分は生きることも死ぬこともできない、苦しみ抜いて幽鬼のように漂うのだろう。歪んだ悟りのような暗い閃きを覚え、そこから自傷は少なくなっていった。そこから記憶ほとんど無い。大学へ行かず引きこもっていることがばれ、地元へ戻った。また無痛から忍耐の日々へ逆戻りした。挫折経験したが再起を図る息子を演じつつも、心の底では誰かが殺してくれることを願うばかりだった。

そしてまた不幸にも、さほど時間は掛から定職に就いた。待っていたのは、学生時代より遥かに開いていた周囲との差。普通の人々が青春友情愛情経験している間に自分したことといえば、暗闇の中でもがき蠢いていただけ。真の孤独は人と人の間にあるという言葉通り、人に近付く度に遠く感じた。

しかしそんな生活もそれなりの期間が経てば慣れていった。相変わらず人間の振りをするような不自然な過ごし方であったが、歳を重ねた恩恵なのか、排斥に対するヒリヒリとした警戒心、切迫感は和らいでいった。多様性容認する組織だったからかも知れない。孤独は続いていたが、別種の孤独を抱えた年上の人々との関わりが、私の乾いた傷口を薄く濡らした。

そんな積み重ねから、ようやく初めて「人間」というもの形の一端に触れられた気がした。同時に、自分家系の歪さを思い知らされた。そして、ようやく家系が受け継いできた負の連鎖に気が付いた。

狡猾さと傲慢さ。口では愛を語り、家族を意のままに操作し、自分理想を叶えるための道具としようとする悪辣さ。その邪悪気質を、互いに感じ取っているからこそ罵り合い、また山彦のように帰ってゆき自分をも傷付ける。そんな不毛なやり取りをしながらも、本当は誰よりも自分が得をしたい、愛されたいと思っているからこそ離れられない。その矛盾混沌の中で、私の家系は奇妙な内臓のようにぐぎゅるぐぎゅると腐って混ざりあっていた。

私は先月、家族と絶縁した。帰省しない私に業を煮やし職場に押し掛けてきたとき、従わぬ者に実力行使をする傲慢さに、どうやらこの人達とは一生分かり合えないらしいと確信した。

いよいよ社会的にも孤独になったが、さしたる感慨も無かった。きっとこれもどこかで予想と覚悟を済ませていたのだろう。私の手元には、いつの間にか独りで生きるには充分な資金があったのも、このことを予見していたからのような気さえする。

今になって思う。私は無意識のうちに、生きるための最善を選択していた。代償や失ったものは多いが、今では孤独も不幸も憎しみも、その先にある役割天命のようなものを果たすためだと感じるようになった。両親や神の寵愛を受けて産まれた者と、孤独に魅入れられように産まれる者もいる。そうしてその中間中庸となり、人々の生き方基準が出来上がる。そういう仕組みなのかも知れないと、ぼんやりと考える。

相変わらず生きる理由も意欲も無いが、自分が生き続けることには何らかの意味があるから、こうして結果的に死んでいないのだと思う。人生のどの段階でも、死のイメージといつか自分は人を殺すだろうという直感があった。人生のどの段階でも、自分解放して周囲を巻き込んで破滅することはできた。だがその度にそれを踏み留ませてきた何かを知ることが、目下の関心だ。天寿を全うする気はさらさら無いが、何らかの答えを得るまでは生きてみようと思う。それをもし得られたとき孤独意味と真の栄光を手に入れられると信じて。

…長くなりました。ここまで見ていただいてありがとうございます

2019-07-16

うんちフェミ大人しく山にでもこもって自分たちの考えを好きなだけ先鋭化してくれればいいのに

社会に関わってくるから害悪カルトなんだよ、歴史的にみて頭いかれたやつは山で修験者になるのが常だろ?

さっさと限界集落にまとめて移り住んで、村の自営権でも奪い取って好きなだけうんち村作っててほしい

2019-01-30

anond:20190130014401

ほんとにな。両方暇人なんだなとおもうけど折伏してる修験者みたいに見える。

2015-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20151027002042

おっさんだけど、全ての男ってのは間違いだと伝えたい

3種類ほど例外がいる

1、修験者のような男→おかしいように見えるが自分に酔っている

2、アスペ→脳の構造で一度執着した人間以外受け付けない、ストーカーなど

3、鬱病精神病→3大欲求が壊れている

2014-10-31

九字を切る癖

http://anond.hatelabo.jp/20141029235146

別に修験者というわけでもない

両親も、兄妹も、友人も

誰ひとりとして宗教になんて入っていない、当たり前のことだ

それでも、九字を切る事がある

何を信じるわけでもないが、何を祈るわけでもないが

2014/10/31に追記

少し誤解をさせたようだけれど、九字を切るのは自分だけです

正確な表記をするなら、「周りの人は誰ひとりとして山に入っていないし、自分もそうだけど、自分けが九字を切っている」です

誤解を招く表現申し訳ない

さらに言えば、自分何の変哲もない日本人

2013-03-07

エロゲーは何故長くなるのか。

※ムダに長いよ。時間のあるとき暇つぶしに読むとよい

※あまり正確でないまとめ

1. あらゆるものは長くなる。よってエロゲーも長くなる

2. 長さを制限しようとするストッパーエロゲーにはあまり無い

3. 日本経済デフレのせいもあるかもね

4. 長大化で小回りが利かなくなったので衰退した

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積んでた夏空のペルセウスやってたらこんな記事が話題になってたので、以前考えてたことを出力してみた。

エロゲーは何故長くなるのか。長くならない理由がないから。

まずもって、世の中のたいていのものは放っておくと長くなる。全部突っ込めばそれだけ長くなるし、切り捨てるのにはセンス覚悟が要求される。

論点を置き換えて「他のジャンルの作品は何故長くならないのか」と問うてみた方が話が早くて、フォーマット制作体制や商業事情物理法則に種々のストッパーを見つけることができる。テレビアニメには放送枠があるから1話30分弱に収まるし、読者アンケートの結果が悪い漫画は打ち切られる。ボリューム制作期間と費用は通常比例するから10時間映画はペイしづらい。観客の体力も保たない。製本技術には限界があるので京極夏彦川上稔がある種のチャレンジャーとして驚かれる。商業作品である以上、諸々の制約と歴史的経緯によって現在ジャンルの姿がけしてベストな形ではないにしろあり、いまも着々と変化している。

ところで家庭用ビデオゲームというのはある意味で特殊なジャンルで、この手の制約が相対的に弱い。(どういう経緯があったからかは知らないが)企業成果物として単品売り切りで販売されるために一作で完結していることをより強く求められる。連載形式や短編連作は馴染んでいない。アーケードのように課金制ではないため私的な場で長時間にわたってプレイされる。デジタルデータであるがゆえにボリュームの制約が相対的に弱い(勿論家庭用ゲーム機歴史とは一側面ではすなわちデータ容量との戦いでもあったということを知らないわけではないが、しかしそれは、書籍のページ枚数やテレビの放送時間とは本質的に異なった枠組みだろう)。そしてエロゲーもこの例に漏れない。

いま、エロゲーを長くさせない/シナリオ量やCG枚数や楽曲数やキャスト数、ゲームエンジンの性能、その他全てを含めて総体的に立ち現れる「ボリューム」を一定程度にとどめようとするなにがしかの制約を想定してみたとき、せいぜいメーカー経営体力とメディアの容量、それからマシンスペックくらいしか思い浮かばない。後ろ2つは開発環境消費者プレイ環境にある程度近いのもさることながら、そもそもPCの廉売とスペック進歩、間接的にはブロードバンド環境の普及がエロゲーの長大化を物理面で下支えしてきたように中長期的にはむしろブースターとして働いている節がある。トップブランドフラッグシップタイトルが折に触れて消費者側のマシン更新を促してきた事実もあるように、決定的な歯止めとなっているようには見えない。1点目にしたところで、勿論この業界の危うさ、開発企業経営基盤脆弱さは消費者にもつとに知られたところではあるが、零細ゆえに諸々の手段で延命可能であることもまた、たとえば半ばアパレルメーカーと化し盆と正月衣服楽器を売りさばく某ブランドの例から知ることができよう(もっともこの手の主客転倒した経営と現状の市場を席巻している初回特典偏重商法が相まっていくらかのエロゲーメーカーのグッズ屋化を促進しているのだが、さすがに本論から逸れているので一旦措く)。そもそも零細的な企業体制でも比較的手軽に参入可能な市場として開発者の側からかつてエロゲーは持て囃されたという歴史もある。

ところで、「ボリューム」と書いた。実は「CG枚数や楽曲数やキャスト数」は、これはきちんとデータをとって検証したわけではないけども(誰かやってください、というかもう先行記事があるでしょう)、一部の大作を除けば体感としてはここ10年、さして増加はしていない。勿論マシンスペックの向上に伴って画質も音質も向上してきたが、数量としてはほぼ横這いじゃなかろうか。むしろ攻略ヒロイン数なんかは全体として微減の印象がある。じゃあどこに工数が注ぎ込まれて「ボリューム」感を実現しているのかっていうと演出のスクリプトゲームエンジンの融通とシナリオ量で、だから「長大化」として語られる。そうしてヒロイン数が割を食う。

畢竟、「これ以上長くすると開発スタッフ死ぬ」以外に天井が見当たらないのがエロゲーであり(実際菜種油を搾るように業界人の首が絞められた末に納品された成果物を今われわれはプレイしている)、そして消費者ぼんやりと長大化を期待した。マルチエンディングADV市場大勢を占めるようになったがために、ビデオゲームでありながら作品間で「ボリューム」を直接的に比較することが可能となったのも後押ししたのかもしれない。あるいは国内経済デフレーションと関連付けることだって可能で、フルプライス=税抜8,800円の価格設定はここ10年以上にわたってほとんど揺らいでいない。数年前からいくつかの大手メーカーが大作に限ってようやく税抜9,800円に手をつけた程度のありさまで、であれば同一価格内での「品質向上」を求める圧力が加わるのは自然の成り行きだろう。それでなくても市場2000年前後をピークかくしてエロゲーは長大化の一途を辿り、ジャンルとしては衰退した。

これは当然の展開で、しばしば指摘されるように現代コンテンツ飽食の時代趣味時間の食い合いとなるので長ければ長いほど不利になる。そんなの知ったこっちゃねえ俺は何十時間何百時間でもエロゲーを続けるぜって御仁には頭が下がるばかりだが、ジャンルの/市場健全性とはかようなストイシズムとは対極の、ヌル裾野の広がりによって担保されるのであって、エロゲー修験者ばかりではジャンルは早々に先細る。複数買い&積みで支援するのも似たようなもので、そこに健全な言説(そもそもインターネット上のエロゲーについての言説が「健全」であったためしなぞいまだかつてあったのか甚だ疑問だが)は生まれ得ないし、エロゲーは他のオタフィクション同様、本質的には中・下層の大衆賃金労働者の変種としてのオタクによって担われる速度重視のサブカルチャーの一種であるのだからルネサンス期のメインカルチャーのような貴族パトロンによる全面的支援などという夢は早晩挫折しよう。

速度。現代インターネットで語られるオタフィクションとしては何よりも速度、1単位コンパクトさと間口の広さ、新陳代謝の活発さが重要で、そして先にも触れたように「ボリューム」と開発期間はふつう比例する。込められたアイディアも思想も発売時には陳腐化している。ゆえに、足回りの悪くなったエロゲーが往時の勢いを失うのも自然の流れだろう。

・おわりに

突っ込みどころ多いしエビデンス挙げてないし、取り扱うのが面倒でわざとスルーした話題がいくつかあるけどまあいいや。気力の保つあたりでアップしておく。

それにしても、平均年収300万円以下って、まあ天引きor確定申告前の数字なんだろうけど、俺より貰ってるじゃねーか。まあ激務やスキルクリエイター幻想に見合わないって趣旨なんだろうけど。

この手の、市場の縮小と消費者層の年収減と割れの話はオバフロの人はじめ、色んな人が語ってるから適宜ググるといいと思うよ。

夏空のペルセウスは大変エロかったですが他に言うことがありません。minoriの歴代作品に比べて開発期間=資金の限られている中で最善を尽くしたんだろうなあ、とは思うけど。

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