http://snowymoon.hateblo.jp/entry/2013/03/10/201924
このエントリーを読んでこの方は法学というものを誤解していると思ったので書いてみました。
以下は理系と文系の違いという点からは少々話がそれるのを念頭において読んでほしいと思います。
彼は法学は演繹法タイプであり、帰納法で行っているからこそ法体系が矛盾だらけなものになっていると主張してます。
これが正しいのかということを考えてみたいと思います。
法律の解釈とは出来上がった法律の条文の意味をさらに具体的に明らかにすることです。
もう少しわかりやすく言うために法律が出来上がってから具体的に事件に適用されるまでを簡単に言うと
①社会において現在あるルールでは解決できない問題・事件が発生する。(これは様々な要因により国民の社会生活に変化が起きることによる)
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②このような問題・事件を解決するための基準(すなわち法律)が必要となる。
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③国会により新たな解決基準が提案・審議・可決される。(法律の制定。この際に全ての起こり得る事案を想定して条文を作るととても冗長になるから必要な規制範囲を網羅するために一定程度条文は抽象的にならざるを得ない。)
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⑤条文からはこの法律を適用していいかどうかが明らかでない場合がある。(条文が不明確、あるいは事案が複雑でこの条文を適用する場面であるかが不明確であるなどの理由で)
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⑥法律が制定された趣旨から条文の意味を解釈する。(法律が作られた理由・根拠などから抽象的な条文の意味を具体的に明確にする)
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⑦法律を適用するまたは不適用することによって事件を解決する。
以上のようになります。
法学における法律の解釈とは上の流れの④から⑥までのことをいうのです。
ここにおいては個々の事案にそってすでに一般的に定められた法律(理系的にいうと一般法則)をあてはめる作業です。
この一般法則にあてはまるかどうかを法律が作られた趣旨から考えて結論を導くのです。
つまり一般法則から理論を積み上げて条文の不備を補う理論を考え出すのが法学の分野であってこれは間違いなく演繹的な考えかたではないでしょうか。
法学とは彼が言うように演繹的に思考すべきものであり、現にそのように行われているものなのです。
法学が帰納法で行われているというのは彼の思い込みではないでしょうか。
また、彼はルールが我々のわからないように勝手に作られていると主張しています。
確かに法律は星の数ほどあり、それらは全てを把握することは困難な状況です。
おそらく矛盾する点もやまほどあるでしょう。
しかし、現在では解決すべき問題は我々が把握できないほど山ほどあり、これらの解決基準を全て国民全体で議論していては何も決めることは出来ないでしょう。
そのため我々は選挙で国会議員を代表者として送り込むことでそれらの議論を代わりにやってもらってるのです。
すなわち多数決によって代表者を選び、多数決によって代表者が法律の可決を行っているのです。
もちろん現在はインターネットの普及で法案の作成・審議にオープンソースの考え方を用いることも提唱されています。
これが実現すればより民意を反映した法律の作成が可能となるからこれには私も賛成です。
ですがやはり可決の際には代表者による多数決によるのが合理的であるでしょう。
このような多数決のやり方が合理的と言っても多数であれば正しいとは限りません。
代表者といえども間違うことはあるし、時代の進展とともに法律の制定当時とは状況が変わっていることもあります。
その誤りを是正するためのものが裁判所の違憲立法審査権なのです。
最初から憲法に基づいた法律を作ればいいだけといいますが、民主主義において多数決を採用する以上、これは人間が行うことであって誤りがないことなどはありえません。
その民主主義の誤りを是正するために用意された制度が違憲立法審査権なのです。
彼の言っていることは法学が間違っているから生じるのではなく、立法過程に問題があるから生じたものであって、思考法の違いで生じたものではないと考えます。