はてなキーワード: 歴史学とは
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』を読んだ。ナチスの行った行為についての<事実>や<解釈>については自分が誤解していたこともいくつかあり、とても面白く読めた。一方で、著者らの<意見>は、タイトルの問いに対する十分な回答ではないというのが正直な感想である。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』というタイトルを読んで私がまず考えたことは、著者らは「良いこと」をどう定義しているのだろうかということである。
②Xは善い(価値判断)
①については著者らの言う通りナチスが実施した行為について歴史学の方法で事実とその解釈を検討することは重要であろうし、素人の考えが誤っていることは多々あるだろうこともよく理解できる。素人の私が専門家の整理に対してとやかく言うつもりは(あんまり)ない。
一方で、②については、"「~である」から「~べき」は導かれない"というヒュームの法則が端的に表すように、事実・解釈とは独立した善悪についての価値判断である。①についてお互い同意していたとしても、②が異なれば善悪の意見が真逆になることは十分あり得る。
もちろん、何を善いとするかは自由に決められるわけではない。「ナチスは良いこともした。なぜなら ②ナチスのしたことは善い からである。」という主張は(そう言うのは自由だが)多くの人を説得できないだろう。
そこで普遍化可能性という基準が出てくる。普遍とは簡単に言えば、固有名詞を含まない、という意味合いである。例えば、「金を返さないのは悪いことだ」という価値判断を採用するのであれば、誰であろうと金を返さない人は悪人であると判断しなければならない。
「あなたが私に金を返さないことは悪いことだ」とするならば、「私があなたに金を返さないこともまた悪いことである」としなければならない。ナチスの行為を何らかの理由で善い/悪いこととするならば、他の〇〇国がした同じようなことについても、別扱いをする普遍的な理由を挙げなければ、同様に善い/悪いこととしなければならない。
ナチスの政策Aが良くないことならば、同様(に見える)〇〇国の政策Bも良くないことですよね?という問いはWhataboutism論法ではなく、価値判断の普遍化可能性についての確認である。同様に良くないことだと言うならそれでいいし、違うならその理由を説明すればいい。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』は歴史学の本であり倫理学の本ではないから、ナチスの政策についての事実・解釈の説明がメインなのは当然である。しかしながら、「良いこと」もしたのかというタイトルにするならば、著者らの価値判断が普遍化可能であるのかについてもある程度の紙幅を割くべきだったろう。
さて、本では素人が考えがちなXとして、A:オリジナルな政策、B:目的が善い政策、C:結果が良い政策 の3つを挙げ、「素人考えでは政策AはXに見えるが歴史学の手法で解釈するとAはXではない。よってナチスは良いことをしていない。」とする方式で説明が進む。
まず、著者らがオリジナルの定義をかなり狭いものとしているのが気になる。まったくのゼロから何かを考え出すこと以外にもオリジナルさを見出すことは特段おかしな考えではないはずだ。
私はメーカー勤務の研究者である。ニーズ先行の商品開発は、(i)市場調査部が計画を立て、(ii)R&Dがラボ試験をして、(iii)工場が大量生産化するという流れで進む。ここで、市場調査が計画をしたことをただ実験して、ただ大量生産しただけなので、研究者も工場技術者もオリジナルなことはしていないと言われたら、ちょっと待てよとなる。
また、実はコピー製品も安定的に製造するのはかなり難しい。同じ会社の別工場で品質がぜんぜん違うことは珍しくないし、他社製品をコピーするのに数年以上かかることも珍しくない。
私は政策を計画・実行したことはないが、計画を実際の法案として成立させることや他国の制度を法律も文化も経済も違う自国で同じように実施することには何らかのオリジナリティが必要であろうことは想像できる。
これについては、著者らも書いている通り、オリジナルであることと良いことは何も関係がない(もちろん、オリジナルでないからといって良くないとも言えない)ことを説明するのが適切だったのではないか。
「確かに狭い意味ではオリジナルでないことは同意する。しかし広い意味ではオリジナルであったし、A:オリジナルは善い という価値判断の元、ナチスは良いこともしたという意見は変わらない」と言われるだけのように思う。
著者らはナチスの政策の真の目的は戦争のための「民族共同体」の構築であるとして、それは良くない目的であると価値判断をする。これは(i)戦争のためという目的は良くない、(ii)「民族共同体の構築」という目的は良くない という2つに分解できる。
(i)戦争のためという目的が良くないとすると、例えば福祉政策が戦争のために発達したことは多くの指摘があるが、福祉政策は良くないことと言えるのかという疑問がでてくる。またインターネットやロケットなど戦争のために生まれ発展した技術は良くないことと言えるのかという疑問もでてくる。
先に書いた通り、これらを良くないとするなら(同意を得られるかは別として)普遍化可能性についてはクリアしている。しかし、これらを良いとするならば説明が必要だろう。
また(ii)「民族共同体」の構築が良くないとすると、例えば「国家共同体」の構築のために移民(特に既存の国民にとって良くない影響を及ぼす可能性が高い移民)を排除することは良くないことなのかという疑問がでてくる。
私はリバタリアンとして個人の自由を尊重する立場から国家が移民を制限することは良くないことだと考えるが、日本はもちろんヨーロッパやアメリカの現状を見るに、世界全体で受け入れる人は少ないと思われる。
「民族共同体」の構築という目的は問題ないが、その方法としての搾取・断種・敵対者の排除が問題であるという主張も考えられる。私もそれらの方法について全く支持しない。
しかし、目的は問題ないとするならば、②目的が善い政策は善い の反論としては不適である。
また、占領地・植民地からの搾取や障害者の断種、反政府思想の弾圧などは同時期の他の国でもあったことであり、それらと比べてナチスの政策はと同程度に悪いのか、それともより悪いと言えるのかという疑問もでてくる。
先に書いた通り、①事実・解釈について素人の私が専門家の整理に対してとやかく言うつもりは(あんまり)ないが、気になる点をいくつか挙げる。
(i)失業者600万人に対して雇用創出政策では50万人程度であるから効果は限定的というのは乗数効果を全く考慮にしていない。私個人としては政府の雇用創出政策の効果に懐疑的ではあるが、ケインジアンはこの<解釈>に文句があるだろう。
(ii)「膨張する国家支出と巨額の負債は国家財政を圧迫し、やがて財政破綻の危機とインフレ圧力に直面することになった」について、例えば日本の社会保障政策も同様という論者は多いが、良くない政策だと言えるか?(なお、私は良くない政策だと考える)
(iii)「「軍備の奇跡」なるものも結局のところ戦争の集結を引き延ばし、多数の人命を犠牲にするだけに終わった」は枢軸国側が負けることを知っている前提の意見ではないか。(現在はともかく)露宇戦争開始当初はウクライナが人命の犠牲を避けて早く降伏すべきという意見はそれなりの数あり、またそれに対する批判も多くあった。
(iv)例えば医療分野の発展はその大部分を動物の搾取を前提としているが、動物愛護思想の人が「医療は"何も"良いことをしていない」と主張することを認めるか?もし動物愛護思想を認めた上で医療分野は「良いこと」もしたと言うならその理由はなにか。
(v)タバコについて、一方では「最終的には自己責任であった」と強制がなかったことを問題としているが、もう一方では特に女性について「家父長的干渉主義」という強制があったことを問題としている。これはダブルスタンダードではないか。
ナチスの政策・行為の"総和"として大きくマイナスであることは多くの人が認めるだろう。
しかし、"個々が全て"マイナスであったというのはかなり強い主張になる。
「ナチスは「私たちはこうあってはならない」という「絶対悪」であり、そのことを相互に確認し合うことが社会の「歯止め」として機能している」ことが正しいとしても、それは"総和"で達成できるのではないだろうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR8443X7R7XUCVL037.html
id:paracletus それより「連合軍も悪いことをした」について、そろそろ語られるべきかなあと思う。
id:CocoA ただしぃ~、原爆による無差別大量殺人の肯定はいいで~す
id:technocutzero 欧州全体でロマを排斥、殺害してたことも教えないとダメだワン ソ連のホロコーストも全く語られないしな WW2後の世界が枢軸を悪とすることで成立させてる世界観だからそうなってるだけで純粋な歴史の話じゃない
id:toratsugumi むきになってナチを完全否定する勢力は、国家社会主義ドイツ労働者党とショッカーの区別がついてないんじゃないのか。ソビエト連邦共産党やカンプチア共産党、朝鮮労働党だって、内政面で良いことも少しはしてるぞ?
id:mutinomuti 誰に対して?(´・_・`)欧米の優越的地位の確立は植民地と奴隷制度による搾取によって加速されたわけだけど、そういう話?
id:eotitg 未だにナチスのユダヤ虐殺ばかり言うのが健常主義で、ユダヤ以前に障害者ガス室送りにしたのがT4作戦。T4作戦を都合が悪そうに沈黙してきたユダヤの障害者差別と、白人だって差別と強調のユダヤは批判されるべきでは
はいドーン。また新しいアホがあぶりだされましたね。同書内で言及されてるwhataboutismそのまんまです。そういう無駄な相対化で本題を誤魔化そうとする阿呆な態度を取ることの弊害が散々言及されてます。文章を読めないアホに限ってこういう無駄にメタを気取ってアホをさらしてしまうわけですね。いいサンプルです。
id:nt46 ナチスは何も良いことはしなかった、とは書けないから分析に走るのでは。
id:mr_yamada 「良いこともした」論者がアホなのはわかるが、学者が研究対象に「肯定できるところはない」としてしまうとスタンスとしては、同じレベルに落ちてしまいますよ。ナチスを雑に全否定することの危うさこそ心配。
はいアホー。「何も良いことはしなかった」なんてこの本では書いてませんし全否定本でもありませーん。
id:flowing_chocolate 良い悪いではなく、何をやったかで語ってほしい。
はいアホー。何をやったかを書いてる本です。この本では歴史学における検証方法を「事実」「解釈」「意見」の3段階にわけることを検証してます。それが歴史学的にメジャーな方法かはしりません。そもそも歴史学において「なにをやったか」を語ることは極めて不十分、そもそも客観的な歴史など存在しないことを示してます。間抜け。雑にマウント取ろうとするアホの見本。
mazmot 「良い」とか「悪い」という定義不能な価値観を歴史研究に持ち込むことの危うさをもうちょっと強調したほうがええんちゃうやろか。
id:by-king まずそもそも『良いこと』って定義はなんなんだろうね。そんな簡単に一義的に決まるものなの?単なる誰かの価値観でしかなくないか。
はい出た出た「歴史研究に善悪を持ち込むな」派。お前歴史研究まともに触れたことないだろ? historyとstoryの語源は同じstoriaって高校世界史の最初の授業で教えられることじゃない? そもそも歴史において価値判断を持ち込まないなんてことはありえないんですよ。
id:lochtext 無料部分では『善悪を持ち込まないのは不可能』って言ってるだけで、積極的に持ち込むのはやっぱり不適切なのでは?
これもおもしろい視点のように見えますが、率直に質問します。「ナチスドイツはユダヤ人を500万人殺しました」という歴史的事実に対して「善し悪し」を持ち込むのは不適切だと思いますか? そもそも社会科学・人文科学において「主観を含まない客観的な判断」なんてものは存在しないんですよ。社会科学・人文科学を学ぶ上でそんなことは初歩の初歩の初歩です。いわゆる理系にありがちな誤謬ですね。
これは悪くない視点ですね。物事って「良いこと」「悪いこと」以外に「良いとも悪いとも言いがたい領域」ってたくさんあるんですよね。
この本の中で散々言われてることは「良いことと主張されることが『悪いこと』と結びついている場合、それは『良いこと』と言っていいのか?」という問題意識です。一例を挙げます。困窮した国民に政府が住居を提供しました。ヤッター!良いことのように見えますね? でも実はその住居はそこに住んでた在日コリアンを無理やり追い出して北海道に強制移住させたことで獲得されたものです。さて、それは「良いこと」ですか?
石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』において示されてること、それは「ナチスとはヒトラーの意向を実現する為の国家機関である」「ヒトラーはユダヤを本気で絶滅させようとしていた」という事実です。ナチスドイツが国民共同体を至上とした結果ユダヤ人500万人を殺害したという事実は、ナチスドイツの様々な政策と綿密に結びついてしまいます。ナチスの福祉政策はユダヤ人や性的マイノリティを排除していました。「ドイツ人」とみなされない人間は人間扱いされないんですね。「ドイツ国内に住んでる人はユダヤ人も性的マイノリティも全員まとめて面倒みたるわい!」みたいな福祉政策ではなかったんですね。さて、それは「良いこと」ですか?
id:gui1 ナチが絶対悪なのは前提ですが。政権は国民の生活の向上の施策をうつのが通常です。どんな政権でもそうです。悪のナチスでもそうです。国民をいじめ抜いた悪夢の民主党政権のような特異例は少ないです(´・ω・`)
なのでこの意見も同様に否定されるわけです、「国民の生活を向上します、そのためにユダヤは排除しますしなんなら絶滅させます」。そのような施策は「良いこと」ですか?
id:colonoe わざわざ買って読む気はないので、環境保護や禁煙政策を「良いこと」ではないと書いてるのかどうか教えてほしい
こういうアホは目次すら調べようとしない知的に怠惰な人間です。環境保護の保護範囲は限定的だったし戦争進むにつれて疎かになったって言ってます。禁煙政策も女性を除いて効果がなかったよねということを示してます。
その上でこれへの返答を最後に持ってきたのは、実はこれは「良いことかもしれない事実」に結びついてるからです。本書の中で唯一「良いこと」の可能性が示されてるのがこの「禁煙政策は女性の癌患者を減らした」というところです。そもそも「良いことが全くなかった」ということを示してる本ではないんですよ。ナチスドイツの政策を学術的に検証してきた歴史学の積み重ねの中で、ナチスドイツの政策で褒められるところがなかったっていう研究結果が出ているという話。これは田尾大輔や小野寺拓也がそう主張してるわけじゃない。他の研究者たちが積み重ねてきた、巨人の肩に乗った結果の「歴史学的に一般的な結論」が「良いこと」とされることをほぼ否定している。田野大輔・小野寺拓也だけが主張してるのではなく、先行研究が効果の有無を実証していることをただまとめただけ。そういうことを知らずに雑語りしてるお前らはマージでね、お前ら全員アホ。アホが雁首揃えてアホを晒してるので爆笑です。
なお、その「女性の癌患者が減った」という政策には家父長制的な「女性は家庭で子供を産め」という思想が根底にあったという指摘がある。女性は子供を産むことが推奨されていて、その結果としての健康政策なわけだ。そういった価値観のもとでおこなわれた政策は「良いこと」なのか? という問いを本書では投げかけてますよ。
それはそうと、この本は完全無欠な本だとは思ってない。この本を批判する素地は1つだけあると思ってる。それは「ナチス研究はナチス/ヒトラーを過小評価しようとするバイアスが全体的に存在する」という批判だ。ただ、これまでナチスドイツに真面目に向き合ってきた何百人もの学者が積み重ねてきた智の結晶をバイアスとして切り捨てるのは相当ハイレベルな研究が必要かと思うので、増田はそう主張するつもりはない。
「ナチスは確かに悪いけど、○○という良いこともした。それを否定することは出来ない(○○には「高速道路」「社会保障」とかが入る)」ということを言いたがる人は結構いる。
で、これに対して専門家が、「ナチスは良いことをしていない。ナチスの功績とされることは実はナチスの功績ではない」と否定する・・・と主張するのが定番の流れになっている。
今度それをまとめた本も出るそうだ。
田野先生をはじめとした真摯な研究者の皆さんのこういった仕事に対して、俺は敬意を払いたいと思う。
でも、個人的には「ナチスは良いこともした」と言いたがる人に対して、実際にナチスのやったことを検証して見せても意味が無いと思う。彼らには響かないと思う。
というのも、彼らの中にある疑問は「どこかでデカい犯罪やミスを犯したら他の功績も否定されるの?」というところにあるからだ。
もっと大雑把に言えば、「何かを絶対悪として認定し完全否定すること」自体に対する反感のようなものだろう。
ツイッターなどの言論空間では「正義の反対は別の正義」見たいな相対主義が非常に有り難がられる傾向にあり、たとえナチスであろうと「全否定」という行為そのものに拒否感を覚え、
だから彼らに対して「ナチスは実際に良いことをしていないんですよ」と言っても、「じゃあ今後、ナチスみたいな連中が現れて、そいつらが本当に良いこともしていたらどうするの?」と思うだけだろう。
だから、必要になるのはそこの議論、「仮にナチスが本当に良いことをしていたらどう評価すべきなのか」なんじゃないだろうか。これは歴史学というよりは倫理学の問題かも知れないけども。
文学部を選ぶことは薦められぬ。止むを得よ。何故ならば文学部の授業においては、熱意を持てば自ら調べ、書物を読むことによって身に付けることが基本とされるからである。特に国文学や歴史学の分野においては、新たな事実が滅多に加わらず、既に整理された知識を、その科目の愛好者である教授が楽しげにお話ししてくれるのみである。言い換えれば、博識なることはできるが、生計を立てる能力は授業だけでは身に付かぬかと思われた。
よもや文学部というものは汝に勧めざるべし。此を断念せよ。何が故かと申さんか。文学部の授業において聴くことは、いかなる場合も熱心さによって調査したり書物を読んだりすることにより得られるものなればなり。特に国文学や歴史学なるものは、新たなる事実の追加はほとんどなく、既に構築せられた学問の体系を、其の科科目の熱狂的なる教授が楽しげに饒舌するばかりなり。要するに識者となることは許されんとも、食物を得るための能力は授業のみによって身に付くものとは思わず候。
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
https://www.kibotane.org/our-mission
在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
似ている
功:エンタメで興味を持つ人を増やした
この書き方のフォーマットは考えをまとめるのに便利だな、気に入った
@fstora
このところ文系への風あたりが厳しいですが、絶対に人文科学(社会学・哲学・文学・歴史学)を生贄に差し出してでも俺たち社会科学(経済学・経営学・法学)は生き残っていこうな。
https://twitter.com/fstora/status/1607202975029825537
まず女性の社会学者はいらないです。全部デタラメで税金チューチュースキームを擁護しています。上野千鶴子から不正に加担しているのは免れようがない。
というわけで社会学者はまじでいらない。
あとジェンダーとかもいらないです。これもでたらめでなんら学問と関係がない。インチキです。
ロシアはなぜ勝っているのか?
https://note.com/jano66/n/naf5e6188b4cd
何故なら、食料の供給が少なくなったのは最近の話ではなく、ロシアのドンバス特別軍事作戦が始まる前の話だから。具体的には2020年から生産量が落ち込み始めた。新型コロナのパンデミックによって経済が鈍化し、その後の回復が必要な時だったんだ。
アメリカの金融・経済機関は大量に紙幣を刷って国民に配る事しか解決策が見つからなかった。
我々ももちろん紙幣をいつもより多く刷ったが、ロシアは期待する結果が得られるように、もっと慎重に正確にやるんだ。マクロ経済指標やインフレ指数などを注意深く見ながらやるからね。
少なくともプーチンは大変優秀な国際マクロ経済学者です。しかし、それにはブレーンがいます。どうせ信じないから書かないけど。女性です。
ポール・クルーグマンもアメリカの経済政策は間違っていたと言っているので、アメリカの経済学者は存在してる意義のない間抜けばかりです。
ロシアが勝利する第2の要因がヨーロッパが緑の党とかグレタみたいなデタラメをやって食料はない、ガスはない、石油はないという地獄に陥りました。
これもロシアは何もしなくても勝ってしまいます。これも経済学者がいたからです。
アメリカには一人も経済学者はいないので、英語の本なんて読んでも意味はないし、アメリカの大学にいかないと出世できないシステムがあるそうですが、そういうのも有害です。
これには日本人が全くできない「外交」が関係しています。外交ができないから日本人は武器を振り回すわけです。だから程度が低いわけです。
これもジェンダーとか社会の進歩と何一つ関係がないばかみたいな事をやっているから、全くレベルが低いわけです。いらないのですね。有害です。極めて有害です。国を滅ぼします。
少子化がこの30年間解消していないでしょう?だからジェンダーとか男女共同参画は全く意味がありません。大仏殿でも建てたほうがマシです。
AVのほうがよほど文化や人の幸せに貢献しています。学者は何一つできませんでした。とくに社会学者はマイナスです。なんの意味もない。知る限り唯一の例外は宮台先生くらいでしょう。
まともな学者だからああいう目にあったわけです。日本はジェンダーのおかげで馬鹿になって本当に大事なものがわからなくなっているのです。
👨「グレープアカデミー出身です!特技は歴史学と数学です!(ドヤァ」
👩「10歳のときに旅に出てポケモン図鑑はすべて埋まっています(最終学歴 幼卒)」
👴「うーん、採用!」
👨「」
👨「最終学歴は?」
😀「えっ……中学出てからヒョウタさんところで働いてるけど……」
👨「(中卒ドカタじゃんwwwww)いいぜ。勝負してやんよwwww」
👨「オナシャス」
👩⚕️「回復ですね!かしこまりました……ってあれ、増田くんじゃない?」
👨「えっ?」
👩⚕️「久しぶり!覚えてる?ほら高校でおんなじクラスだった……」
👨「最終学歴は?」
👩⚕️「えっ?高校出たあとはオレンジアカデミーに入学したけど……お父さんが病気になっちゃったから学校やめて地元に帰って、今はここで働いてるよ」
👨「……」
👩⚕️「どうしたの?増田くん?」
👨「もういい(ダッ」
👩⚕️「えっ!? ポケモン回復しなくていいの? 増田くん? 増田くーん!」
👵「おかえり。ごはんは食べた?」
👨「食べてない」
🐿️「ムチャチャァ……」
👨「おいババア。むっちゃん(ヨクバリス)朝ごはん残してるぞ」
👵「むっちゃん最近元気ないねえ。まあずいぶん長生きしてくれたしねぇ」
👨「……」
Twitterに吐き散らかす独り言にしては長すぎたので、ここに置いていこうと思う
私は20代後半の女で、生まれた時からオタクになるべしというような環境で育ってきた女だった。
父は鉄道模型や電車が好きで、大型の鉄道模型を作ってはその資金源について母に咎められ、最終的にはそれが家庭内別居、ひいては母との離婚の一因になったような男だった。ついでに言うとアニメ好きである。
母は私の幼少期の時にはそういった片鱗を見せなかったが、若い頃はアニメーターを目指し始動したばかりのアニメージュ編集部に突撃し、アニメのラフを強奪してきたらしいと言うとんでもない経歴を持つ女だった。今の時代ではありえないが、若くそれなりに可愛い女が田舎からアニメージュ編集部を訪問してきたことが、当時の編集部にとっては驚きだったらしい。実際後から強請って絵を描いてもらったこともあったが、キャンディキャンディのイラストで、かなり絵がうまかった。
歳の離れた兄もいて、これまた非常にオタク気質だった。刀剣や寺院に詳しく歴史学の教授のような男子で、小さい時は父の影響か色んな電車のモデルを暗記していてすらすらと言えた。
父は元々家族に興味が無かったものの、自分の趣味について聞かれるとぺらぺらとよく喋る男だったため、父と話そうとするともっぱらレトロアニメとパソコンと模型の話だった。母は情緒不安的になりがちな兄によくかまっており、私は放置された妹であったため、私は可愛がってくれ面倒を見てくれる兄に必然的にべったりになった。
つまり、私の趣味はそのまま兄のコピーの趣味だった。年齢差ゆえに難しい歴史の趣味はついていけなかったが、ゲームは一緒にいろいろした。マリオとカービィ、ソニック、ポケモン。可愛いものも好きではあったのでハム太郎やサンリオも好きだったが、それでもピカチュウとリザードンのぬいぐるみを抱えて寝ていた。
そのうち兄は父の影響もありレトロアニメにはまりだした。地元のテレビで再放送されているアニメや、アニメチャンネルの影響もあり、その時に見たファーストの機動戦士ガンダムは衝撃的で、あまりにも面白かった。兄を引っ張り父を引っ張り母を引っ張り、ガンダムのグッズをいろんな形で買ってもらったり、付き合ってもらった。
初めて父にねだって埃まみれの古い模型屋で買ったのは、積んであった初代ガンダムの144/1スケールのプラモデルだった。模型屋のしわしわのお婆ちゃんにこれください、と言うのは、すごく緊張した。
幼かったので組み立てるのには苦労したが、兄に手伝ってもらって完成させた時の喜びは忘れられない。そのあとゲルググを作ったり、安価でより簡単な、小さいプラモデルをそれ以降は購入した。好きなモビルスーツはファンネルがかっこいいキュベレイで、好きなキャラクターはそのパイロットのハマーン様。誕生日にはとっておきのおねだりとして、母にハロを買ってもらった。アムロよろしくハロは連れ回した。兄にはずっとガンダムのゲームで一緒に遊んでもらった。
そのあとは順調にZ、ZZと試聴し、あまりの楽しさに私はレトロアニメ好きを小学校でも隠さなくなった。当然私は浮いた。お前ガンダムなんか好きなんかよ、だっせえ、と男子にすらからわかれた。女子友達の花とゆめとかなかよし読もうよ‥という誘いにも拒否はせず一緒に見ていたものの、すれ違いの素敵な恋愛模様より、どこか孤独なシャアやアムロの方が、幼いながらにわかっていなかったものの個人的にずっと共感できて、何だか辛かった。少女漫画の素敵な男の子より、等身大の無茶苦茶なアムロの方が好きだった。当時から少女漫画が嫌いなわけではなくむしろ今となっては好きなのだが、私の初恋はウルトラマンというくらいセンスがまわりとズレてしまっていた。
次第に友達は同じく兄の影響でジャンプを読んでいるというたった1人の女の子だけになってしまった。彼女にはレトロアニメの良さは共感してもらえなかったが、男の子っぽいものが好きでさっぱりとした彼女とは非常に相性が良く、ずっと親しくしていた。
私はその後もレトロアニメを見ることはやめず、兄と一緒に鉄人28号、宇宙戦艦ヤマト、999、などいろんなレトロアニメを見た。それでもまだ一番はガンダムだった。
またその繋がりでスパロボが好きと言うクラスの男の子と共感し仲良くなったが、クラスメイトにお前らできてんだろ、とからかわれて疎遠になった。その後少し大人になり、男の子の友達も増え、女は私1人という環境下で逆襲のシャアの鑑賞会をした。楽しかったが、男の子たちにはずっと腫れ物に触れるかのような扱いをされ続けた。
次第に私は、やはり女という性別で、このままではいけないのではないかと、ガンダムを見るのをやめた。ちょうど当時放送していたガンダムのシリーズが宇宙世紀でなくなる区切りだったせいもあったと思うが、私はガンダムのプラモデルを買いに行くことを、金輪際やめようと思った。
兄は友達と好きなことを一緒にできているのに、私だけ相手が兄しかいないのが、どこか羨ましくてしんどかった。クラスメイトにからかわかれるのも、もういい加減うんざりだった。仲良くなった男の子とガンダムの話をしていると、付き合ってるんじゃねーのと軽率に言われるのも、もう嫌だった。
だから同じ趣味の男の子たちにも、腫れ物にされていたのだと思う。
私はずっと中途半端だったから。男の子にもなりきれず、女の子にもなれなかった。私は所詮、男の子の好きなものが好きな女の子だったのだ。
そのあと成長した後も男の子趣味でゲームをやったり競馬を見ていたりもしていたが、腐女子の流行がきてジャンプを読む女の子が増え、少し共感できる友達が増えた。バンドやメイクにも興味を持って、世界が少しずつ中身も趣味も女の子寄りになり、今までとは違う友達もできた。
でもやっぱり、悔しかった。小学生の時の私が好きと言っていたものを、周りに理解されず馬鹿にされた経験は、しこりとして残り続けていた。
そうだったんだと気づいたのは、ジョジョの人気が沸騰してからだった。ジョジョはここ10年以上にわたりアニメ化を続け、今やっている6部は徐倫が主人公で、アニメ化してからと言うもの女子のファンがわっと周りでも増えた。5部からは明らかに女子をターゲットとした商品も増え、コラボコスメが増えた。もちろん買い占めるくらい買っている。
私の小中学生時代、一番好きなジャンプ漫画はジョジョだった。ジョジョ立ちは兄の友達が可愛がって付き合ってくれたが、周りには理解されない趣味だった。あんなに周りには、楽しいのに…お兄ちゃん許してたから貸すようちの漫画‥と言っていたのに、誰も読んでくれなかった。唯一のジャンプを読む女の子の友達でさえ、ジョジョは好きじゃなかった。共感してくれたのはテレビ越しのしょこたんだけだった。
ようやくこの時代が来たんだほら見たことか!と叫んでやりたかった。
そして今、水星の魔女でやっと、やっと小学生の頃のしこりが、消えたような気がする。
ヨドバシへエアリアルのプラモデルを、十数年ぶりに買いに出かけた時、何だかすごく、すごく泣けた。買いに行くおゆるしを、やっと自分に出せた気がした。
ガンダムSEEDについては、周りの腐女子友達が関係性が好きだと言っていたことがあったのだが、それでも私はずっとずっと、ガンダムの世界観丸ごと、モビルスーツのデザインもよくて、キャラクターもよくて、そういったガンダムの世界まるごとを好きだと言っても「変だよ、女の子なのに」と言わない世界が欲しかったんだと思う。
私はもういい歳で、でも周りの女性も、おそらく子供世代も巻き込んで、水星の魔女は話題によく上がっている。キャラクターのカップリングだけでなく、世界観の考察含め、ガンダムの過去作も見たいと言う人がいる。
多分今エアリアルが好きと言っても、欲しいと言っても、女の子が言っても、馬鹿にされないだろう。だってパイロットはかわいいたぬき顔の女の子なんだから。ファラクトミカエリスなんかもシャープでめちゃくちゃかっこいいモビルスーツだし、ディランザも真っ先に足元を見た時にドムを思い出すようなかっこよさがある。全部欲しいしみんな好きだと思う。小学生の時でも全部欲しいと思ったと思う。特にファラクトはガンビッドかっこよすぎて絶対ほしい。
改めて、思い切った決断で初めて女性主人公のガンダムの新作を作ってくれたこと、すごく感謝したい。こんなたった1人かもしれないけど、過去の思い出ごと、丸ごと救われてしまったひとがここにいることを、製作陣に感謝したい。
母も毎週ファーストガンダムの放映を楽しみに、学校から帰るのが楽しかったと言う。母はガンダムを好きになった私に喜んでハロを買い与えたが、母も恐らくガンダムが好き、アニメが好きと言う友達には時代もあって全く恵まれなかったと思う。
そんな母の子である私もガンダム好きな友達には恵まれなかったが、今の小学生は、性差なくきっとガンダムの話ができているだろうと思うと、こんなに嬉しいことはない。もう亡くなってしまった母もきっと喜んでいることと思う。
水星の魔女、毎週すごく楽しくて、楽しみです。作ってくれてありがとう。見られなかったガンダムシリーズもこれから見て、ガンダムが好きだとこれからは自信を持って言いたいと思います。