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はてなキーワード: 歴史学とは

2022-11-13

anond:20221113123448

エセなのに数式で粉飾して理系っぽく見せようとしてるから

コウモリ野郎しか見えない

その辺は割り切ってる社会学歴史学の方が潔い

2022-10-12

anond:20221012145822

また、歴史学んでない奴がすぐそういうこと言う。

2022-10-11

anond:20221011124547

歴史じゃないどころか児童ポルノ分野のやつじゃん

どうせなら話を合わせて歴史学の分野から引っ張ってくれれば以下略

anond:20221011123744

特殊相対論の「思考実験」で分かった気になって相対論は間違ってるかもとか言い出す連中や、量子力学の「重ね合わせ」「不確定性」などの用語だけ用いた一般向け解説

どっちも歴史じゃないどころか物理分野のやつじゃん

どうせなら話を合わせて歴史学の分野から引っ張ってくれればまだ反証として説得力つのに、自然科学から引っ張り出したのではむしろ逆効果な感

NHKのザプロフイラーとか誰もが知ってる歴史上の事件人物の「掘り下げた議論(つまりは専門的な議論)」見てるけどわかんないってことないしそう思ったんだよ

少なくとも「何もわかってない」は強調表現にしても誇張が過ぎてるな

2022-07-01

anond:20220701194632

大学フェミニズム研究の場では流石に客観的科学的な作法があるのではないかな?

〇〇学派・××学派のような違いはあれど

在野の野良フェミ一人一派

昔の共産主義者大学経済学歴史学研究している教授から社会主義国独裁者、在野の爆弾テロリストまで色々いたのとフェミも同じなのだろう

2022-06-30

こういうんが一番切ない

沖縄受験生の7割が不正解「復帰の日」はいつ? 高校入試の正答率28% 学校沖縄歴史学んでる?

https://news.yahoo.co.jp/articles/bd6e8ddfc89cd2b55b99b1f7e418531ef56ae918

部外者ならまだしもアイデンティティ当事者が正答率3割未満は駄目でしょ

まあ子どもらじゃない大人が悪い

アイデンティティ教育大失敗してる

2022-06-23

思想歴史狭間

 研究の専門を問われると、答えに窮する。一応、思想史をやっているのだが、思想史というとよくわからない。そこで簡便のため、歴史をやっています、と答えることもある。しかしこれこそ、全く間違い千万自称である日本史研究として自分研究を認めてもらいたいと、何度も歴史学系の雑誌論文投稿したが、一度も採用に至ったことがない。査読結果に書いてある不採用理由簡単である。僕の論文はあまり思弁的すぎて、実証性を欠く、というのだ。この指摘は、思想史立場にいるものにとっては、非常に頭の痛い指摘である思想史の分野では、あまり事実の羅列に過ぎて、思弁的でないということが批判対象となる。思弁的な論理合理的に組み立てることに研究論文の眼目がある。これが、歴史学と真逆なである

 思想とは、人が思ったこと考えたことであり、思想史とは、人が思ったこと考えたことの歴史であるしかし、人の考えたことがそのまままるっと資料に残されていることなどまずない。大著をいくつもものした人であっても、そこに書かれていることに矛盾があったりすると、その人が何を考えているのか途端にわからなくなったりする。一つ一つの概念時代によって、また人によって意味が異なり、それをどのような意味で用いているのかを確定するには手間がかかる。そして、そうであるからこそ、思想史研究の叙述は思弁的にならざるを得ない。単に書かれていることではなく、書かれているものと書かれているものとの間の関係、書かれた時の状況などから総合的にその時その人が考えていたことを明らかにするからだ。新しい資料を積み上げて細かく実証しても、矛盾と不整合が増えるばかりでどこにも辿り着けなくなってしまう。ここが、細かく明らかにすればより解像度が上がる歴史学と、思想史学とが決定的に異なる部分だ。

 だからといって、思想史学が歴史学でないというわけではない。人の営みを分析するとき、どのような政策が出されたか、どのような契約が行われたか、何について合意たか、といったことを分析すれば、人の営みの歴史はわかるが、なぜそれらの人々がそれを行ったか、ということについては十分に明らかにならない。たとえば、資料を発掘すれば、太平洋戦争期に戦争協力をした人などいくらでも新しく発見することができる。しかし、その事実いくら指摘しても、なぜその人たちが戦争協力をしたのか、どう考えてそれを正当化したのか、あるいは正当化せずとも正しいことのように考えているように振る舞ったのか、ということについては、何もわからないのである。何の思想史分析もなしに、その人たちは国に騙されたのだ、とか、ファシスト的心性を抱えていたのだ、と断じることは、客観的見方ではない。なぜ戦争協力をしたのか、ということについては、一人ずつ、その人の生きてきた人生、書いてきたものを取り上げ、分析し、その人の価値観優先順位、置かれていた状況、表現戦略といったことを、コツコツと吟味していかなければならない。その時に取り上げる資料がすでに広く知られていたものであったとしても、その資料から思想を読み込んでいくという作業がそれまでなされていなかったというのであれば、その研究には新規性があり、意義があるのだ。あるいはその場合、たとえば検閲弾圧があったり、出版事情が悪かったりして、かえってその人の考えを示す何の手がかりもないということがあり得る。それでも、ある人の思想総体的分析するという場合は、合理的範囲でその人の考えの範疇を示すぐらいのことは、しなければならない。そうした思想史分析を、実証的でない、と切り捨ててしまえば、いつまで経っても平板人間理解しか歴史の中に生まれない、ということになってしまう。

 さらに厄介なのは思想史分析の結果が、概念だけ取り出すと、既存研究との違いがわからない、という場合である。たとえばある歴史上の人物Aが主張したXという概念重要だったとして、当然様々な歴史研究はAはXを主張した、と論じる。そして、思想史研究がそのXについて分析し、それはこれこれこういうXであった、と論じたとしても、その研究を遠目から見れば、やはりAはXを主張した、という論文に見えてしまうのである思想史研究者の間では、「これこれこういう」という、そのXに至りそれを規定するところの論理重要になるわけだが、歴史研究者には、その論理の中に何か新しい資料だとか、裏付けるこれまで知られていない資料だとか、そういうものが入っていないと何が新しいのかわからない。AはXを主張したという歴史事実に変わりはないではないか、というわけである先の戦争協力の論理で行けば、いかなる理由があれ、結局皇国日本肯定して戦争協力をしたではないか、というわけだ。それで結局、その「これこれこういう」という論理の部分が思弁的で実証的でないと歴史研究者に批判されることになり、思想史歴史との間の溝はますます深まるばかりなのである

 これは研究分野、手法の違いということで、仕方ないことなのかもしれない。だが、だからと言って思想史研究新規性学問無意味だということにはならない。全ての人間行為にはその人の思想が伴っているからだ。

* * *

 以上のことは全てイチャモンである。僕の思想を表したものではない。実際のところ、僕に宛てられた「思弁である」「難解である」という査読結果は、「お前の論は一貫しておらず破綻しているのでまず論文になっていない、小学生からやり直せ」という意味であるから、変に解釈して大きな敵と戦わないようにしたい。論理シンプルに、証明実証的に、新規性は明快に。それに沿ってたくさん書けば、評価も頂けて、就職もできるというわけだ。僕にはできない。せめて諸賢の憐憫を乞う。

2022-05-06

anond:20220506121956

こんな毒にも薬にもならないゴシップ歴史学んでどうすんだ?

2022-05-04

見落とされた見るべきアニメ

https://qjweb.jp/journal/70033/

20歳が観るべきアニメ38タイトルを選んでみた(藤津亮太

この記事はなんか「教養」を優先してばかりで「面白いから」見るべきアニメめっちゃ見落としてる気がしてならんので補足したい。

そもそも教養」を目的アニメを見るな。

その時点で厄介オタクだわ。

とりあえず先に一覧。次に解説

パヤオ名作セット 

ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城

劇場版ガンダム

Z/逆襲のシャア/W Endless Waltz/∀

その他アニメ映画 

劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太魔界冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破

名作アニメ取りこぼし

トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー

カルト人気アニメ

serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/まどかマギカ/ゼーガペイン

パヤオ名作セット 絶対抑えるべきパヤオ作品何度でも薦めていい

ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城

日本人の半分ぐらいは全部見てるんじゃないかと思うが、たまたまタイミングが合わずに見てない作品が1つ2つある人もいると思うが絶対見て欲しい。

理由は超面白いから

千と千尋だけはストーリーラインちょっと退屈かもしれないけど映像は凄いので見る。

他のジブリ作品は気になったら見ていけばいいのでまずはこの5+1は確実に抑える。

パロディに使われることも多いし。

劇場版でいいかガンダムから逃げるな

Z/逆襲のシャア/W/

劇場版でいいので基本的ガンダムは抑えておきたい。

1stガンダム→Z→逆シャアまでの時系列で展開される物語は単に続編って言うだけじゃなくて、作中時間が大きく流れることで描ける世界観の広がりがあるのでやっぱ見て欲しい。

Wはガンダムシリーズ派生の果てに手に入れた多様性の一つとして抑えて欲しい。

イケメンバンバン出てくるアニメながら、戦争時代の中で新時代感性を持った少年たちがその中でもがくというシリーズの基本骨子を踏襲している所を感じるにはコレが手っ取り早い。

∀は多様に膨らんだガンダムシリーズ集大成としての、いわばガンダム四季になぞらえたときの冬、人間に例えたとき壮年期を描くような作品であり、シリーズ生前葬を看取るような気持ちで鑑賞すると流れが見えてくると思われる。

取りこぼしてる名作アニメ映画

劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太魔界冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破

ひとまずコナンドラえもんドラゴンボールは名作を一個ぐらいは見ておいてもいいと思う。

たまたま微妙なの引いてそれ以降見てない人とかもいるかもだし。

デジモンなんだけど、たしかぼくらのウォーゲームは最高に面白いんだが、アニメ映画としての美しさは先に作った方の「ボレロのシーン」の方が上だと思うんだよな。

あとウォーゲームサマーウォーズで展開を使いまわしつつもより大衆向けに作り直されている所も見比べて欲しい。

時かけエヴァ破までのは似たような作品があるから弾かれたんだろうけど、こっちも普通におもしろいので見ろって感じ。

特にパーフェクトブルー突破力のヤバさにおいてパプリカ千年女優さえ大きく凌いでると思うので、アニメを楽しむにしろ「語る」にしろ抑えておくべき優先度は上な気がするんだよな。

エヴァは旧劇も見てほしいしシンも終わりまで見てほしいけど人を選ぶからひとまず外す。

名作アニメ取りこぼし

トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー

歴史を語る上で重要じゃないからってことで外された感じなんだろうけど……巨人の星ガンバの冒険を令和になって見返すならその時間でこっちの中でまだ見てないの見たほうがいいでしょ……。

トップをねらえガイナ作画が狂いまくってて超強い。

R.O.D作画音楽も超かっこいい。

CCさくら少女漫画少年漫画の良い所どりに成功

ビバップオムニバス形式の傑作。

ギアス中二病アニメ最高峰宇宙よりも遠い場所は単純に名作、プラネテスは入ってない理由がわからないレベルガルパンはいいぞ

カルト人気アニメ

serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/ゼーガペイン

下手に入れると本筋から迷子になるから外されたであろうアニメ達。

lain不世出と言って良いほどのオカルトアニメで見ているだけで電波で頭がおかしくなる。

マクロス7もこれこそまさに不世出オンリーワンしか言いようがない狂った世界を展開しておりアニメという表現が秘めた可能性を感じ取れる。

電脳コイルマイルド攻殻機動隊と言った作品なのだが、この作品が出た直後ぐらいかデジタル技術ITが物珍しさを失い単品でテーマになりにくなっていった歴史的背景が面白い

スクライドGUNGRAVEは共に男の義務教育と言われるほどの意味不明な暑苦しさによりカルト的人気が今でもある。

ギャラクシーエンジェルぱにぽにだっしゅはどちらもパロディコメディを扱った作品であり、内容にその当時に流行ったネタが込められていて年代意識して見返すとリアルタイムとは違った趣がある。

リヴァイアスロボットアニメと見せかけて宇宙空間少年少女が蠅の王をやることで普通ロボットアニメを期待して見に来た視聴者に大きなトラウマを残す作品

まどマギはそういった既存文脈をひっくり返して露悪趣味に転じる作品において最も成功した作品だと思われる。

ゼーガペインは「◯話まで見ろ」の最高峰の1つなのでぜひ主人公の妹が登場するところまで見て今後切り時を考えるときにより深く悩んでもらいたい。

お前が好きなアニメ並べてるだけだろって感じになっちゃった……。

でもさ、こういうのってまずは「自分が見て楽しいと思った作品」を紹介するのが大前提だと思うんだよね。

白蛇伝巨人の星見ようぜ!アニメ歴史学ぶために!」とか言われてもね……

あ、商用じゃないから書き忘れたけど「DAICONFILM」は見たほうがいいな。

アオイホノオドラマの中で見るだけでもいいけどアレを見ておくと「どういう作画技法オタクの間で人気が出るのか」がひと目で分かるから

「この描き方DAICONでみた」≒「オタクに受けようと作画頑張ってるんだな」って目で見れるようになると面白い

2022-05-01

anond:20220501123338

そもそも自由権自体が『他者不快にさせて我慢させる権利』です。

黒人居住移転の自由は『近所に住むKKK不快にさせて我慢させる権利』であり、歴史学学問の自由は『取り扱われた対象の子孫を不快にさせて我慢させる自由』です

2022-04-18

暦オタややこしや

歴史オタク果たして二次創作オタクとして生きていけるのか、そんな疑問に直面している。

私は歴史オタクの端くれである

正確には、歴史学のオタクと分類されるかと思う。興味を持った事象が持つ歴史について検索し、図書館へ行き、あるいは論文を訳し研究所メールを送る。そういう調査過程は私にとってフルコース前菜なんかであり、得られた成果はメインディッシュともいえる。

そんな私の実家は某大手擬人化ジャンルだ。

何年ぶりに連載が再開し、ここのところ活気付いていて何よりである。そして大手だけあって暦オタも多い。文字通り古今東西の国の暦オタがそこら中にいて、世界史教科書が泣き出すようなマニアック史実エピソードで語り明かせる実家の居心地の良さたるや。

そこで甘やかされていた節もあるが、ともかく現在私は実家を出て別のジャンルに居る。

 そこも擬人化沼ではあるが、実家に比べればワンルームマンションの一室程度の界隈だ。必ずしも歴史に触れる必要もなく、沼入りしてすぐに暦オタの少なさは認識できた。

 それから暫くして今に至る。暦オタは二次創作オタクに成り得るのか、という疑問がここのところ頭から離れない。

 上述のように私は暦オタがベース人間だ。国擬が好きだから歴史が好きなのではなく、歴史が好きだから擬人化が好きなのだ。私の好きは歴史抜きには語れない。

 だが、二次創作歴史抜きの方が食べやすい。それは当然のことなのだが。

 その乖離を今のジャンルで突きつけられた。私の好きなもの創作してみようとしても、文字はいつの間にか年表になっている。絵を描いても史実ベースの数コマが精々で、元の話を知らなければチンプンカンプンネタばかり。

 絵を描くのも文を書くのもそれはそれで好きなのだが、やはり歴史の話がしたい。かといって、専門家気取りと煙たがられるのも嫌。下書きは溜まる一方なのにツイート数は伸び悩む毎日である。正直、楽しみきれていない感覚が残る。

 現ジャンルのことは好きだ。だからこそ、生粋の暦オタが二次創作オタクとして真っ当に楽しむ方法が何かないものか。

歴史オタクの各位に改めて先頭の問いを尋ねたい。

2022-04-10

ttps://ygoza.hatenablog.com/entry/2022/04/07/102424

呉座先生の件、自分歴史学会?が「あらゆる」と表現したことには違和感を感じたし、

どのような理由で「あらゆる」なのかと問うことはそれ自体理解できるし、ぜひ明らかにしていただきたいと思ってるけど、

なぜそのための訴訟提起という記事で、「何をもって差別と主張しているのか理解できない」といって「具体的な」指摘内容に反論してるのかはよくわからないんだよな。

具体的にこれが差別だって言われたものに関してはとりあえずさておくとして、なぜあらゆるなのか?を徹底的に追求したほうが良いようなきがするんだけど。

実際先生自身も「仮に、上記主張がハラスメント行為差別にあたったとしても、とても「あらゆる社会的弱者」をカバーしているとはいえません。」って言ってるんだし、

それを理解してるならなぜ今更「具体的な」指摘内容への反論に及んだのかがいまいち意図理解できない。

極端に言えば、先生自身別にあらゆるという表現に不満を持ってないが、具体的に言われた文句だけに反論があるって流れに途中になってしまってるようにすら見える。

それでいて途中からやっぱりあらゆるではないだろという方向に戻ってるわけで、よくわからない。それが悪いとか良いとかではなくて。

まあ裁判の中ではしっかり説明するつもりとかかもしれないし、全体を把握できるはずもない外野がなにか言えることではないのかもしれんが……

2022-03-11

公式勝手に言ってるだけ」からはじめる文学理論半世紀

最近二次元に魂を奪われ二次創作萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。

歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである構造主義の話はしません)。

すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。

さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石作品批評する、ということは「それを書いた当時の夏目漱石思考に限りなく接近する」ということとほぼイコールであった。平たく言えば「作者の気持ちを考える」ことが批評家の仕事であった。友人の噂話やら本人の秘蔵のメモ書きやら、ちょっと引くくらいの何もかもを動員して「唯一の答え」=「漱石意図」に接近しようとした。

これは当時に特異な現象ではなく、それまで人間と「ことば」の関係は大体においてそんな感じであった。人類史上のベストセラーである聖書の読み解かれ方を考えてみればわかるだろう。聖書には○○と書いてあるが、これは当時の××という慣習を踏まえなければ正しく読み解けず、「正しい教え」は△△せよ、という意味になる、という研究は数限りなくされてきたし、今も続いている。

聖書にせよ漱石にせよ、ここでイメージされているのは「正解」というもの(難しく言いなおせば「真理」といってもよい)が遠くにあり、我々は「ことば」というヒントでありフィルターでもあるものを通してそこに接近していく、という構図である

これは我々の日常的な「ことば」の使用から考えてもごく自然なことだ。たとえば日本語話者あなたが「八百屋さんの隣にあるポスト手紙を入れてきて」と日本語話者である子供に頼んだとき、その場で子供八百屋と反対方向に歩き出したら、あるいはその場で手紙を破いて食べ始めたら、あなたは「言葉の正しい意味」「子供がたどり着くべきだった正解」についてこんこんとお説教をすることになるだろう。

これまでの「公式」に対するオタクの態度もまた、まさしくここに連なるものと考えてよいと思う。たとえば「エヴァ世界公式に起きたこと」にアニメ劇場版を通してよりよく接近していこうとする、というのは聖書研究者の態度そのものである(ちなみに「公式」とファンダム関係をもってしてオタク文化を特異なものとする東浩紀データベース消費」などの理論もありますが、例も反例もいくらでも出てくる類の話なのでここでは触れません)。

話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関係ない奴が学生ノートをもとにソシュール一般言語学講義』として出版し、これがコペルニクス的転回にもならぶ「言語論的転回」のはじめとなった。

聖書漱石研究など、ソシュール以前は「世界言葉を作った」とされてきた。されてきた、というか、それ以外の考え方が無かった。わたしたちが「あの赤くて木になってかじると甘いやつ」に「りんご」と名付けたのであって、「りんご」という言葉がまずあって「あの赤いやつ」が後からついてきたわけではない(全くの余談だがりんごと机はこのジャンル議論酷使されすぎだと思う)。

それに対して、「言葉世界を作った」と主張するのがソシュールを祖とする「言語論的転回であるソシュールが言ったのはあくま言語の話で「あの赤いやつと『ri-n-go』の結びつきって別に絶対的じゃなくて、appleとかpommeとか見ればわかるけどたまたまだよね」という程度のことではあった。しかしそれは十分に革命であった。あまり革命的だったために世界が驚くまでに半世紀を要し(講義1900年代はじめだった)、さらに半世紀経った今ようやく振り返りがなされつつある。本稿で扱うのは、世界が気づいてから文学理論最近半世紀である

それまでの哲学世界観と言ってもよい)においては、言語研鑽によって「正解」「真理」にたどり着けると思われていた。しかし「たまたまのものいくら研ぎ澄ませたところでその高みに至る日がくるものだろうか?

よく言われるように、日本人は虹を7色で数えるが、外国人は5色で数える。この差の2色というものは本当に「ある」のだろうか?といった問題一見トリビアルで退屈なものである。だがさらに進めて、そもそも日本人」というものは「日本人」という言葉よりも前から「あった」のか?と問うと大昔の言語学講義がいまなお強烈に突き刺さってくる。

これは今日でも大問題ではあるが、半世紀前の文学研究にとっても大問題であった。確かに、それまでも言語というものがそんなに主人に忠実でないメッセンジャーであることは知られていた。しか言語論的転回は、メッセンジャーこそが主人である、としてしまったのである。その理由は以下のように明快である。我々は言語の向こうの対象(「真理」)に近づこうとしてきた。しかソシュールいわく言語対象の結びつきは「たまたまである。我々が触れることが出来るのは言語のみである。ならば、「たまたま」で検証不能な真理などというものを求めるのではなく、言語言語として我々に何を訴えかけてくるのかこそをガクジュツテキにケンキューすべきである!と。

冗談のような本当の話なのだが、ここ半世紀、世界中の文学研究者はこぞって「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」と言い続けてきた。専門用語でこれを「テクスト論」における「作者の死」という。本当にそういう専門用語がある。

もはや書きぶりから嫌いと蔑視がにじみ出てしまっているが、しかしこの半世紀くらい、この潮流は世界中の識者におけるブームないし真理とされつづけ、最近になってようやく揺り戻しがきている。

二次豚でも簡単にわかることだが、これを言い始めると「公式見解」が意味を成さなくなり、要するにきりがなくなる。しかしこれはある意味正当なことでもある。「全ての『公式見解』が正しいか」と問われれば、とくに今日であれば即座にNOと答えることができる。なぜならもはや「公式」と呼ばれる以上はもはや庵野富野といった個人ではなく、分業化された組織であるからして、そこには作品世界という真理からの誤差、ノイズエラーが当然のものとして含まれうる。最も軽薄でありがちな事例として、公式Twitter担当者調子に乗って後に撤回する、という事例を挙げておけば十分だろう。

しかし、かつてのテクスト論者たちが正当にも考えたように、庵野富野すなわち「作者」個人だってべつに無謬ではありえない。すなわち彼らとて(限りなく比喩としての意味合いが薄くそのままの意味での)「神」ではないのだから、それを絶対視する必要は無くなる。むしろ作品」は1文字、1フレームに至るまで確固たるものとして存在するのだから、そちらから何を導けるかが重要である、とテキスト論者は考えた。さらには一歩進んで、「作品から導かれたわたし感情」が重要だと考える「読者反応理論」というものも生まれた。

上で「きりがなくなる」と書いたが「何でもありになる」とは微妙に異なることに注意されたい。これまで「訴えかけてくる」「意味する」「導く」などとこっそりごまかして書いてきた部分についても、文学研究者は鋭くメスを入れた。すなわち形式としての言語がなにを「意味する」(またこ言葉を使ってしまった!)かについて、激しい議論が戦わされた。つまり、「シャミ子が悪いんだよ」は「原作アニメで言ってないだけで実際は言ってる」という解釈はまあアリだが、「桃が悪いんだよ」は「言ってないし実際言ってない」という我々の直観いか正当化するかについて、涙ぐましい努力が続けられた。

しかしそうした努力にもかかわらず、論理学数学(それぞれ「たまたま」じゃない言語として期待されていた)が発達した結果、クレタ人のパラドクスやらゲーデル不完全性定理やらでそこまで簡単ではないことがわかってきた(ここでは「簡単ではない」と注意深く言ったが、知ったかぶりで「数学は不完全だと証明されたよね」と言うと凄まじく怒られるので注意)。

かくして文学研究者らはそうした論理的数学理論縦横無尽闊達自在引用した結果、文学の「正解」を「何でもあり」にした。現在蔑称として使われる「ポストモダン」という思想潮流は、大体この辺のことを指していると思う。

しかし、文学の「正解」が「何でもあり」であっていいものだろうか。蔑称とか揺り戻しなどと何度か言っているように、今日文学理論は素朴な「作者の死」論には与せず、いくらかの距離を取っていることが多い(『テクストから遠く離れて』はまさしくそうした書物である)。しかし昔と違って「神」のことばこそが「正解」であるとも考えない。そもそも「正解」があるのかどうかもわかってはいない。いまの研究者は、グラデーションの中のどこかに自分場所を見いだそうと必死になっているのだと思う。

から、「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」と2022年に言っている人がいても、笑おうとは思わない。「彼/彼女はこう思う、と私は思う」という感情想像力こそ、人間発明した最も大きな発明であり、誰しもまだそれを持て余しているのだから

 

最後

これを書いた人(@k_the_p)は無職で、仕事を探していますPythonとかほんの少しできますよろしくお願いいたします。

2022-02-24

anond:20220224105805

せめて、漫画歴史学んで()から書けよ。

紛争でしたら八田までって漫画は、お前でも分かるようにウクライナを取り上げてくれてるらしいぞ。

2022-01-29

anond:20220129021809

そりゃ何十年もマルクス主義歴史学やらマルクス主義フェミニズムやらを研究して不思議に思わない奴等だぞ

あるだけ無駄

2022-01-27

anond:20220122002127

人文学トップ歴史学ってはじめて聞いたけど。

嘘をつかないように。

2022-01-26

anond:20220122002127

どっちにしても文化レベル低すぎる。物理学原理主義とか今時別に応用物理が一段格落ちするとか思ってる奴いない。

飛行機が空飛ぶのも太陽電池が発電するのもテレビが見えるのも全部応用物理で、ノーベル賞基本的に応用物理

その成果は基本的には人類が豊かになることだと実感できる。

歴史学もっと悠久の歴史から学ぶ知恵の話をすればいいのに、「あいつらごときが」とかそれが知恵か知識文化か?

恥を知れよ。

呉座騒動 - 時系列(~2021/11/1)

2015年7月

SEALDsによる「安倍政権NO!首相官邸包囲」デモ内での「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せスピーチに対し、デモに参加した北村が「安倍的」だとダメ出し。これに対し野間上原潔らしばき隊関係者北村執拗に叩く。

2019年12月

春日太一町山智浩激怒して「絶縁」宣言

2020年

10月 クラウドファンディングによる啓発広告「#この指とめよう」に約320万が集まる。

11/6 中世史学者の亀田俊和が呉座にウザ絡みされ続けて喧嘩に発展する。

12/25 ガールスカウト日本連盟ファミマのお母さん食堂名称変更を求める署名立ち上げ。

12/29 青識亜論、問題提起として「お母さん食堂署名模倣して不二家に「パパのミルクミルキー販売を求める署名を立ち上げるも、迷惑だとの非難が挙がり、その日のうちに署名削除と謝罪

2021年

1月 呉座、人間文化研究機構(国際日本文化研究センター)任期なし内定の通知。

1/17 TBSラジオ『アフター6ジャンクション韓国映画特集に『映画秘宝編集長岩田和明がゲスト出演した回を聞いた一般人女性が、女性ゲストの不在、及びホモソーシャル的な映画秘宝文化について苦言ツイートを呈する。これに憤った岩田がその女性に直接DMを送り恫喝

1/25・26 映画秘宝公式垢が謝罪

2/2 岩田が『映画秘宝編集長の辞任とともに、オフィス秘宝を退社。

2/12 東京五輪組織委の森会長女性が多い理事会時間がかかる」発言めぐり辞任。

3/16 亀田網野善彦発言に対し、北村が「冷笑系」と評す。これに鍵垢の呉座が引用RT反論

3/17

・呉座の引用RTスクショ北村DMに届き、北村がTL上にそれをアップして反応。呉座が北村揶揄誹謗中傷していた過去ツイートが続々と掘り起こされ、北村の元に集まる。

五輪閉会式演出佐々木宏が『ブタ演出案』を考案していたことを理由に辞意を表明。

3/20 呉座が北村謝罪

3/21 春日太一北村を始めとする不快な思いをされた全ての方に向けて謝罪ツイート

3/23

NHK、呉座の大河ドラマ時代考証降板を発表。

志学代表平林緑萌、不適切発言謝罪するとともに中国史史料研究会顧問を辞任。

3/24 日文研、呉座を厳重注意処分

4/2 日本歴史学協会、呉座を念頭に置いた、ハラスメント行為の再発防止声明

4/4 オープンレター女性差別的な文化を脱するために」公開(約1300人署名)。青識亜論、OL賛同コメントとともに署名するも、運営に撥ねられる。

5/25 木村花選手一周忌に合わせて、一般社団法人「この指とめよう」を設立

7月 呉座と北村和解して、呉座が謝罪文を公開。

8月 機構、呉座の内定を「再審査」で取り消す。

9月 機構、呉座を停職1月の懲戒処分

10月 呉座、機構地位確認訴訟提起。

11/1

・呉座、オープンレター処分に影響したことを示す資料自身ブログにて公開。

・「この指とめよう」が、活動を停止。

2022-01-23

anond:20220123000951

個人的には、人文系限定せずそもそも文系全体がポストがあまり無いものだと思ってたから、人文系が、と言われてるのがなんか意外だったわ

理系ですら博士出たけどみたいなひとを聞かないわけでもないわけで、

それなのに法学とか経済学とかそんなポストあるものなのか。法学部卒だけど研究内容的にはほとんど歴史学みたいな先生とかもいたし……

2022-01-10

anond:20220110145557

手頃なところで Wikipedia の「近世」の項目を見てみると、   

英語圏も、近世を「early modern」として、近代(modern)と分けている。字義的には「初期の近代であるが、現代歴史学では、「modern」と「early modern」は峻別される。また、「Premodern」(前近代)という時代概念が用いられる場合普通「early modern」は中世古代と共に「premodern」側に統括され、

    などと書いてある。

2021-12-03

日本同調圧力って『1984年』だよね

日本誤訳をはじめた【1884年】をモデル

世界最悪ディストピア1984年』が書かれた。

日本小説家たちや作家たちは知らないけど、

日本が『1984年』のモデルという前提で

つくられてる有名なゲームや有名なコミックもあるからな?

英語に兄や弟の差別用語はないから、普通Big Brother」をキーワードにしない。

1984年』を持ってる人は巻末のニュースピーク確認するといい。

 

よくある全文字誤訳だけを挙げてみよう。

 

命令」「民主主義」「国民」「市民」「民族学

政府」「政治」「憲法」「象徴」「主権」「権利」「権威

自由」「自然」「空気」「心理学」「物理学」「工学

哲学」「歴史学」「文学」「芸術」「批評批判」「言語学

資本」「社会」「会社」「社長」「経済」「経営」「広告」「契約

理想」「現実」「虚構」「個人」「公共」「警察」「出版

主語」「主観」「客観」「概念」「抽象」「具体」「経験体験」 

義務「教育」教科書」「教師」「教皇」「宗教」「教会」「司教

努力】「問題」「存在「選挙」表現/表情」「交換」「説明

「会話」「感情」「感性」「情緒」「理性」「思考」「論理」「議論

科学」「意識」「啓蒙」「進化」「先進」「観念」「現象

文化」「伝統」「高級」「低級」

 

ほぼすべて造語現代日本語なんて妄想。非現代日本語。やったぜ!

単なる全文字誤訳じゃなくて使い方が最悪で、実害しかない。

これらの誤訳誤用は「ヒト」「クニ」の否定から

「人それぞれ」「国それぞれ」「日本から」は禁止

 

間違ったインプットは間違ったアウトプットを生む。 

間違ったロボットは正しいオピニオンを言われても 

理想ヲ見ルナ」「現実ヲ見ロ」「極端ダナ」

感情的ニナルナ」「科学的ニ考エテ」「個人的ニ言ウト」

論理的ニ言ウト」「具体的ニ言エバ」「努力シロ」

「ワガ国ハ民主主義ダ」「義務教育ダ」「権利ハナイ」

空気読ンデ黙レ」「不自然ダ」「自然ハ美シイ

象徴天皇イカ」「国民性ノ違イ」「民族性ダカラ」

「ニ、ニホンの文化ダシ」「醜…美シイニホンの伝統を守レ」

の非ニホン・プログラムしか動けないよね。

 

そういうとこだぞ (´・∀・`) 

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