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はてなキーワード: 原体験とは

2020-12-28

anond:20201228001545

自動車愛好家だったら海外の車にも興味を持って当たり前なのに鉄道オタク海外鉄道には一切興味を持たないという印象があるからどこか不気味な感じがする。幼い頃の原体験などと結びついているからそうなっているのだろう。

2020-12-07

自分の創ったキャラクターに「旅に出よう」と誘われた

 二十年以上前の話になるけれど、小学生だった俺は、自分自身創造したキャラクターに訪われる夢を見た。


 彼らは本当に存在していたのだ! と夢の中で俺はとても興奮していた。「早く準備をするといいよ」と、その黒髪少年が優しく促す中、家に取って返して準備をしていたところで、目が覚めた。

 「あれ? 冒険の旅は……?」

 そう呆然としつつも、まだ胸の高鳴りは残っていた。この喩えが適切かどうか分からないけれど、某海賊漫画船長から誘われた船員は、大体似たような気持ちになったんだろうと思う。俺はそんな夢を見た日の朝に、幾分がっかりはしていたものの、夢で味わった旅出の爽やかさは、まるで心の溝をそっと撫でる風のようだった。

 それ以来、そのキャラクターが俺の夢に出てくることは無かったけれど、でも、その夢はある意味で俺の道祖神として、その後の人生の招き手となった。

 その後、少年期の俺はよく一人で山に出掛けた。知らない町に自転車で行って、その知らない辻を彷徨うのを好んだ。小さな丘を越えて普段は見えることのない丘向こうの隣町を見下ろした。大きな橋を渡って、隣り島の海辺の町で時間を過ごした。


 今では冒険の話を書くことはなく、もっとひっそりとした人間関係物語を書いているけれど、でもその時見た夢は、俺の原体験として未だに心に残っている。人は誰かに誘われるのではなく、自分自身の呼びかけに従って旅に出るのだ。その時の気持ちを忘れないでいたい。

ある高IQ者の懺悔

こんな記事がバズっていたので言い訳混じりの懺悔

https://blog.tinect.jp/?p=68019

何言いたいの?

お前誰?

だいぶ昔にMENSA所属していて、MENSAIQテスト大会みたいなので優勝したりして、IQという指標分布見たらかなり端っこにいるヤツ。

記事にある様な行動を取ったりすることもあるので胸が痛くて増田に書こうと思いました。

ちょうど、同じことを社内向けに伝えたばかりなのでタイムリーだったというのもあり。

IQが高い=知的障害者

まず最初に断っておくと、この項目はいわゆる知的障害者への偏見を抜きにして事実だけ読んでほしいです。

MENSA飲み会の中である人が「我々は知的障害者なんだ」と話していたことがとても印象に残っています

どういうことかというと、IQ130(MENSA入会基準)というのはIQ70(知的障害基準の一つ)と同じだけの出現率であること。

そして、知的障害という分類を社会が生み出したのは、コミュニケーション理解度ボリュームゾーンIQ100)と異なることで、社会生活に困難を生むから

大は小を兼ねる的に、高IQからってコミュニケーション困らないでしょ、と思うとそうでもないです。

知的障害の方々の行動や思考の「理解できなさ」を思い浮かべてみてください。

なぜ、あの人はずっと同じことを繰り返しているのだろう。どうして突然関係ないことにこだわり始めるんだろう。

そういう「理解できなさ」をマジョリティに対して感じることがあるわけです。

そうすると、理解できないことを起因として集団からはじき出されながら社会生活に支障をもたらすことがあります

IQの弱点

IQが高いとか頭がいいってどういう意味だと思いますか?

僕はパターン化(抽象化)の能力が高いってことだと考えています

複数物事に触れたときに、それらの共通点差異を見つけてパターン化し、次の事象へ当てはめてみようという意欲の強さと精度の高さです。

少なくとも、その能力だけで僕はMENSA所属し、その中でもIQテスト大会やって優勝するくらいの異端にはなりました。

裏返せば思い込みが激しいんです。

サンプル数の少ない事象直感とも言うべき帰納的なパターンを見いだして、恐れずそれを適用するだけなのですから

そして、その独特なパターンに乗ってない議論視点や考え方への理解はそれほどうまくできなかったりします。

からIQ高い/頭がいい=頭の回転が速いとか計算が速い、記憶力が高い、といった捉えられ方をすると困惑します。


僕が頭の良さでぶん殴っている(ように見える)とき

相手の言っていることが言葉として理解できるけどその思考理解できないとか、こちらが伝えようとしていることが全く伝わらないとか、かなりの頻度でありました。

勉強を教えてほしいと言うので教えると、こちらとしては当然こう考えるべきというレールがあるのに、そこに乗ってくれない。

僕は幼い頃からこんな風に周囲との違いを暗に感じてきました。

そういうことを繰り返して手に入れた結論は「人のことがわかるなんておこがましい」です。

自分は人を見る目がある」と自負する言葉は僕にとって信用ならない言葉だし、「言わなくてもわかるでしょ」はわからないんです。

から、僕はできる限り言語化を試みます

でも、僕自身はやっぱりパターン化して世界と向き合っているので、そこにはある種の自動化とか思考ショートカットが入っていて、それらを言語化するのにすごく時間がかかってしまう。

その中で、自分自身がうまく言葉にできていない部分を連ねていくときには、自分思考トレースしているために、ものすごく直線的な論理展開します。

そんなときには他者意見否定するようないい方をしている場面も自分自身感じています

あなた否定していない

ただ、僕は高圧的に話をして人をやり込めたいとか否定したいのではなくて、必死自分の考えを伝えようとしているだけなんです。

その上で僕の間違っている部分を示してもらって、よい結論へ持って行く議論ができるとうれしい、と思いながら話をしています

そんな思いとは裏腹に、自分の話し方がまずいせいで、どうしても人を威圧したり、意見封殺するような口調になっていることが多いように感じています

理由は上に書いたように、僕が話し始めている時というのはかなり必死状態なんです。

今まで自分と同じ土俵だと思って話して行き違いを何度も何度も経験してきたことが僕の原体験にになっていて

  • できる限り前提を合わせる
  • 一つずつブロックを積み重ねるように考えていることを説明する
  • そしてようやく議論の土台に立てる

みたいなやり方が自分の中に根付いてしまっているから、これをうまく修正できないでいます

意図せず「攻撃者」として認識される側の人たちへ

ここでは性善説に基づいて話をします。

まり、単なるマウンティングのために頭の良さでぶん殴っているわけではなく、立っている土台が違うことでコミュニケーション齟齬を産んでいるケースを想定しています

今僕は、頭の良さっていうのは謙遜も自慢もなく自覚しないとひどい病だと思っています

なぜならそれは、多くの場面で優越感を伴う異常者だからです。

死ぬことこそが救い、俺が愚民救世してやる、とナイフを振り回す異常者、怖いでしょ?

記事の同僚がどうかはわからないけど、コミュニケーション上の問題を感じながら論理的であることをやめられないのはそもそも問題意識が周囲と異なるのではないでしょうか。

それ自体が間違っているわけではないし、論理的解決を進めることが社会人類を発展させてきてます

なので人と一緒に働いている中では、自分特性みたいな部分を自覚して、周囲に伝えてみてください。

こういう人と一緒に働いている人へ

その人がどういう人間性なのかを、一面だけで判断しないでほしいです。

もちろん、中にはまさにクズと言っていい性根の人もいるでしょうし、そういう人を無理にかばってくれとも言いません。

しかし、普段問題ないのに議論になると殴られるからいやだな、と思うような相手はもしかしたら問題を抱えている人かもしれません。

そういう人たちとインクルーシブに働ける環境を作っていけたらいいなぁなんて思っています

言い訳ばっかしてないでお前はコミュ力鍛えろよ

わかってるけど、やりきれない部分ってあるんです。

なので、最善とは言わないけど、ここに書いたような文章をチーム向けに伝えて、お互いのギャップを一緒に見つめましょ、って話をさせてもらいました。

コミュニケーションなんだからみんなできて当たり前、たどり着けない部分があるのは甘え(努力していない)って言われるのは怖いなぁ。

2020-12-06

コミュ力について説教されると殺意が湧く

お前もクラスメイトが6人しかいなくて、その中の5人が児童養護施設出身、って環境で幼少期を過ごしてみろ

いきなり同じ屋根の下で暮らしている5人組の中に放り込まれコミュニケーションをとらなければならず、しかもその5人が全員のちに軽犯罪をやりまくることになるヤンキー気質

そういう環境で育ったのか?お前は

そりゃ引っ込み思案にもなるだろう

コミュニケーション原体験がクソすぎるんだよ

都市部で育って、いろんな層の同世代30〜40人から気の合うやつと仲良くなればいい、っていう生ぬるいコミュニケーションで生きてきてねえんだこっちは

粗暴かつバカなやつらの中に異分子として飛び込み、なんとか仲良くしなければならない そういうところでやってきたんだよ

から友達と遊びに行く」みたいな概念がないんだ 行きたいと思ったことがないからな

仲良くならなくていいなら誰とも仲良くしたくねえんだ カスみたいなやつばっかりだったからな

幼少期の刷り込みってでけえんだよ

俺にコミュ力がないのはかなり仕方ないと思う

充実した子供時代を送ったであろう人間に「まずは話しかけなきゃ!」なんて言われると本当に殺意が湧きます

お前もあの小学校で育ってみろ

それで同じことが言えるか?

2020-12-04

東京だって貧乏人以外は車持ってるぞ

https://anond.hatelabo.jp/20201201184650

東京でも貧乏人以外は車持ってるぞ。

特に、都下みたいな車必須に近い地域で持ってないとか貧困層だろ。

23区西側出身だが、下町の親の実家や、旅行やら行くのは車だったし、新宿デパートに買い物行くのも基本車。

家族で出かけるのは車という原体験無い貧乏人はかわいそう。

2020-11-29

anond:20201129205322

なぜ、こうなってるのかを理解する療法ですよね。原体験理解するとか、やってるんですけど、治らないので一回病院勇気出していってみますありがとう

anond:20201129201200

ありがとうございます。そうですね。もうそういう、誰が悪いからとか、原体験はなんだったかとか、そういうの考えても何も報われないのは死ぬほど知ってるので、自分が変われるところから色々変えてみて模索してます

2020-11-27

笑いの原体験マンガによる違い

追記アリ)

すごいよマサルさん:“外し”た感じの意味わかんない感じが面白いと思う傾向。ホリケン的。

ギャグマンガ日和:なんかすごい勢いで突っ込むのが面白いと思う傾向

銀魂ギャグマンガ日和に近い+勢いよく、沢山しゃべるのが面白いと思う傾向 --現実でやると寒い

稲中言語化しづらいけど凄くおもしろかった記憶けがある。

追記

ギャグマンガ日和はつっこみ頼りじゃないという意見を頂きました。

ごめんなさいこの中だとギャグマンガ日和記憶が一番薄いのでちょっと的外れになってる可能性はあり。

勢いよく突っ込んでる回の印象だけ強く残ってるのかも。

他の逆マンガを思い出してきたのでそれも追記

浦安鉄筋家族チャンピオンギャグマンガの雄。下ネタパロディ、勢いのストロングスタイル。成長過程卒業していき、その後の影響は少ないと思われる。


王様はロバ:センス系。センス一本で戦う気概を感じる作品。これが好きな人現実ではボソッとおもしろいことを言うタイプ


脳みそプルン:マガジンギャグマンガを渋く支えた功労者ファンタジーオフビートな笑いで現実での汎用性は低い

LET'S ぬぷぬぷっ:同じくマガジンギャグマンガいぶし銀なるもあまり特徴の印象がない


久米田康治 作品かってに改造絶望先生」等:当初は下ネタ中心だったが作風が変化、自虐社会風刺系&おしゃれ系へチェンジ。これが好きだと自虐好きに育つ。

ねじ式伝染るんです等:世代じゃないのでわからない

2020-11-17

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会であることをうっすらと理解した。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。


(おじさん達の家の棚の写真

(おじさん達の竈の写真

(おじさん達の物干し台の写真


おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

ミニトマトが徐々に熟し始めている写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。


時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。

(家の写真3枚)

おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

トマト写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。

時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々である

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

2020-11-09

anond:20201109093911

TRPG原体験クトゥルフとかで、他のTRPGは合わなかった人とかなんじゃね?

クトゥルフ死ぬ前提のシナリオも多いし、必死こいて頭捻って敵を倒したりする必要も無い印象

2020-10-23

anond:20201023123213

91年生まれだけど、スーファミ原体験だな

友達兄貴とか従兄弟の家にあってやってたのが俺のゲーム人生の始まりだわ

年代なんやかんやスーファミ原体験ってのが多いと思う

2020-10-05

フェミニズム終焉

anond:20201005162905

21世紀フェミニズムなんてもう終わっているよ。

両性が平等になるようにっていうアプローチ必要なのに、いつまでたっても女性が不利な選択させられてて、その状態普通に思う人たち(女性男性も)を誰も止められない。

で、不平等に対する意見の出し方がすごいヘタクソだから、不平等状態をヨシとする人がフェミガーフェミガーって内容も読まずに叩きにいくのが定型化している。

低学歴から高学歴まで女性が不平等状態にあることを普通に思う人たちが蔓延してて、

本当どこか頭に障害でもあるんじゃないかなってフェミ叩きしている人みると心が無になる。

同じ人類なのかな、という気持ちにすらなるし。

女性が不利な立場にいる、っていう意見を出すと発言者女性結論づける短絡というか頭の具合の悪い人の相手をするのも疲れるね。



ただ、男性理由なく小馬鹿にするような女性もすごい世の中にはうじゃうじゃいて、みんながその問題に気づいているのにそれについてはフェミニズムみたいなタイトル言葉すらついてない。

物事に気づくようなのにちょっと苦手なのかなとか、視野狭窄起こしやすいのかなって思う人はウジャウジャいるけれどそういう人たちが格好の餌となって女性側に叩かれていて

それこそかわいそうな状態になったりしているのに、それについては誰も言及しないわけ。

同性ですら弱者には手を差し伸べもしないわけ。そういう人たちは他のことに能力があって普通に社会生活を営めるレベルになっているか問題視されていないけれど、

まれ持った特性で往々にして不利な状況に追い込まれることが多くて、その度に悲しい思いをしているけれど、そこを汲み上げる思想ない。

男の子ちょっと辛いことは我慢しなさい、っていうのが当たり前になりすぎている。



もっと問題ちゃんと明確にしようよ。っていつも思う。

これってフェミニズムが指すところの弱者と何が違うのっていつも思う。

生活における嫌がらせを受ける構図ってフェミニズムがよくやっている弱者平等を求めるのと何がちがうのかな。

もちろん大学受験では優遇されるし、道を歩いててもぶつかってこられることはないし、

力で性的嫌がらせは受けないし、そういう性差別による暴力と戦うのは必要だと思うんだけど

では彼らがそういう発想にならないように、これから時代をかえていくのはどうすればいいのかっていうアプローチ必要なのに、全然聞こえてこない。

このネットフェミガーフェミガーと嫌がらせをしている(ミソジニーなんて上等な言葉を使うのもかわいそう)人たちの原体験ってこういうことの積み重ねで起きているから、まずは弱者男子が見た目とか誰にも迷惑をかけていない行動で嫌な思いをしないようなことをする方が、結局は女性を守ることにつながっていくと思う。

この女性男性の双方が共通もつ問題直視しないと何も変わらないよ。


思うんだけどフェミニズムなんて本当に古いものになってしまたから別の概念がそろそろ必要で、

それによってフェミニズムが求めるゴールにも到達できるし、男性側も不快な思いをしなくて生きることができるようになれると思うよ。何世紀の後かしらないけど。

2020-07-21

3人麻雀だけはやりたくない

からやらない、で終わりたいのだが、今流行りの雀魂で3人麻雀がやたら人気なのが、個人的イラッとする。

そりゃ3人打ちは役が作りやすい、ゲーム展開が早くて短時間で終わる等の点で手軽に楽しめるという意味で、ソシャゲとの相性は4人麻雀よりいいんだと思う。

でも「麻雀がそんな簡単にアガれてたまる」「役満はそれだけで一つの奇跡」と思っていて、喰いタンすら許せない自分としては、このメリットが全てデメリットなわけ。

ぶっちゃけゲーム展開が早すぎる上にスコアが乱高下しまくるので、体感的には完全に別ゲーってか、俺の知ってる麻雀じゃねー感がやばい

やばいってか、打ってて怖いだけで全然楽しくない。

自分が4人打ちでも結構緊張させられるレベルのヘボなのが悪いのかもしれないが、ヘボなりに楽しんで初歩を覚えた大昔の原体験否定されるみたいな感じもあって、ちょっとしんどい

つーか誰だよ、3人打ちなんて余興にもならない、クソな遊び方を最初に考えたやつは。

2020-07-14

anond:20200712153119

ニュージーランドテロの後、白人であるアーダーン首相スカーフを被ったら文化の盗用だと批判されていた。

本人は自画自賛している。

スカーフマイノリティ女性活躍象徴と言える。

首相自身母親としての原体験も、弱き者に対する優しさに一役買っているのだろう。


フランスといいニュージーランドといいテロ犠牲者に対して、価値観の共有と連帯リーダーが示すことは大切に思う。

同じことを日本の政治家ができるだろうか。

犠牲者の名を隠そうとする日本と、後世に伝えようとするニュージーランド

https://www.trt.net.tr/japanese/shi-jie/2019/03/28/adannzshou-xiang-gazi-shen-nosukahuzhao-yong-niguan-sitefa-yan-musurimunian-xin-gan-1171979

多様性尊重しつつも強力なリーダーシップを、発揮する女性リーダーに率いられたニュージーランドがうらやましくなる。

コロナ問題でも適切に対処できているリーダーは文さんを除けば小池さんや、メルケルさん、サヘレウォルクさん、ソールバルグさん、金与正さん、蔡さん、唐さん、フレデリクセンさん、ウィルメスさん、ヤコブスドッティルさん、林鄭さん、マリンさんなど女性ばかりに思う。

退任時期こそコロナ拡大以前だったが、朴さんやペイリンさんもリーダーシップがすごかった。

2020-03-23

鉄腕アトムブルマーと。

幼いころからブルマーが大好きで、それは一貫しており今でも変わっていない。

ただし、ブルマーを盗むような真似をしたことはなく、単純にお尻が好きらしい。ブルマー単体にはそこまで興味はない。お尻の部分に色がついていてふとももは素肌のまま、その色の対比に対するフェティシズムだ。

そうしたわけで、競泳水着レオタードも好きだし、パイロットスーツも色分けされていれば許容範囲だ。バニーガールかわいい

逆に、お腹の見えるビキニはそこまで好きではない。おっぱいとお尻を隠すだけの扇情的な姿よりも、上半身パーカー羽織ったビキニ姿のほうが興奮する。上半身をしっかりと覆いながらも下半身露出しているのが好きだ。だから上半身ジャージ下半身ブルマー、いわゆるジャーブルは最高だ。同じ理屈ミニスカートパンチラ防止のブルマーも素敵だ。もちろん、チアアンスコも好物だ。ショートパンツ女子もいい。ただ、なぜかストパンにはそこまで食指が動かない。白い下着は紺色のブルマーほど好きではないからだろう。臙脂や緑のブルマーかわいいが、紺色にはかなわない。でも、陸上女子レーシングショーツは、ブルマーに似ているからかへそ出しでも興奮する。腹筋もかっこいい。

それはさておき、これには何か原体験があるのだろうか。確かにYMCA体操教室で、優しいブルマー姿のお姉さんが、といっても自分は低学年で相手はせいぜい高学年くらいなのだけれど、よく構ってくれたから、そういう好印象があったのかもしれない。それに、跳び箱や鉄棒平均台やマット運動をするために並んでいると、必然的に後ろからブルマーを見ることになるから、それでお尻が大好きになったのではないか。あるいはプールの授業の女子スクール水着に何か思うところがあったのか。

そういう風に説明できれば、さぞわかりやすいことだろう。しかし、自分にはそれよりもさかのぼ記憶がある。鉄腕アトムだ。子供のころ、白黒時代アニメを紹介している番組で見たのが、アトムとのファーストコンタクトだ。

鉄腕アトム少年の姿をしているが、なぜかパンツ一丁で空を飛ぶ。その姿を、自分はなぜかかっこいいと思っていた。どうしてパンツ一丁がかっこいいと思ったのか、その理屈はわからない。でも、小学校に上る以前に青のパンツ一丁でポーズを決めてみたいという願望があった。持っていたパンツは白だけだったのに。今にして思えば、それは性器と直結する以前の性欲だったのかもしれない。おちんちんよりもお尻のほうがエッチだと思っていた覚えがあるのだが、これはフロイトのいう肛門期性欲なのだろうか。

やがてその原=性欲が対象少年から女性へと移し、ブルマーフェチに変わっていったのではないか。今でもレオタード競泳水着も、青や紺が一番かわいいと思っている。

それにしても、こういう風に自分の性欲というかフェティシズム起源を、はっきり覚えている増田はどれくらいいるんだろう?

2020-03-14

フェミニズムに少し関わると見えたこ

ポール・ハギンズ監督による映画クラッシュ』という秀逸な映画がある。アカデミー賞を取っている。

この映画簡単にいうと、

人種の坩堝であるアメリカにおいては、日常様々なところで人種差別があるのは当たり前の日常になっていて、差別する方もしたくない方も疲れ果てている。しかし一旦大変なことが起こると、人種の壁など一瞬で超えることが私たちは出来るじゃないか。という主張の映画である。もう私はこの映画に感動しまくって、涙が止まらなかった記憶がある。批判もあった。そうはいっても差別をなくさなければならないのだから、この映画のように差別なんかどうでもいいじゃないか、という主張なのでは問題解決にもならない、など。

どちらの意見整合的ではあるとは思った。が、どっしにしろ私たち人間は協力しないとこの世界では生きてはいけないという、赤裸々な真実はあって、目をそらしていいわけではないのである。どちらの意味においても、である

さて、フェミニズム話題として、最近はあの石川優実さんによる#KuToo が話題をかっさらっている感がある。華やかな表舞台では#KuTooは石川優実さんとともに世界的に評価されつつも、その裏側では石川優実氏のあまり矛盾した態度とそれをよく表した#KuToo本(靴から考える本気のフェミニズム)に対する猛烈な批判である

私が気になったのは、どちらが正しいかなのではなく、どうしてそんなに極端に矛盾した状態になっているのか? であった。これは一旦はいってみる価値があるのではないかと、フェミニスト側の立場仮面を被ってTwitter上で観測を始めた。

こうした問題は、双方の目を持たないと、実はその真相が見えてこないのである。実はこれ、全くの単純な考え方であり、例えば子供二人が喧嘩していた時、仲裁に入る人はどちらの目線にも立つはずであろう。別に仲裁たかったわけではないが、一方の側にばかり視点偏重させると結局、人はため息か悪態をつく以外になくなってしまうのである。その視点を私に与えたのが、昔見た映画の冒頭の「クラッシュ」だった。

で、どうだったか

結論を言おう。

#KuTooはそんなこと無関係に大いに役に立っている、それは間違い無いという単純な事実が一つある。石川優実さんがいう通り、少しずつ労働現場では強制がなくっていているなどということの他に、安倍首相共産党小池氏が、日々国会で厳しく論戦を繰り広げていたのに、#KuTooの話で、小池氏が安倍首相の言質をとって、一時予算委員会拍手と笑いに包まれたという名シーンであるあんな和やかなシーンはあまりたことがない。

だが、一方で、KuToo本は最悪の駄本であるあんな酷い本もない。たとえ敵側の人たちをクソリプする人達と罵ろうとも、やってはいけないことのオンパレードで、現代書館までその人たちをなんの根拠もなく犯罪者呼ばわりするのである。やってはいけない改竄捏造・酷い引用の仕方、到底倫理観のかけらもない行為しか思えないものである裁判になりそうなので、そうなったらコテンパンにやられて欲しい。

そして、石川優実氏は相変わらずで、クソリプ攻撃応酬に疲れ果てたのか、とうとう「死にたい」とまでTwitter上で公言する有様。それをみる味方側も誰も批判しないという異常な光景、私はもはやこれはただ事ではないとしか思えなかった。

死にたい、と公言したのは、いわゆる死ぬ死ぬ詐欺である。あのねぇ、石川さん、それ女の弱さを利用する、フェミニズムに最も反する行為じゃないか。信じがたい暴挙である

そして彼女はすぐさま、ハングル韓国応援要請(これは彼女が心を落ち着ける以外の目的はないと推測)、英語で同様にTweet拡散。あまりにもこれは自己本位であり、あんなのを許す味方も含め、頭おかしいとしか思えない様相

私はその時点ではまだよくわかっていなかったが、何れにせよ、#KuTooを崩壊させかねない、愚行そのものであった。

どうしてそこまでに至ったのかについては、理由簡単である。「怒り」に任せたかである。KuToo本ではっきりそう言っている。彼女原体験は、彼氏にブチ切れて彼氏に女の苦労を認めさせた、そこにあるからだ。

から怒りは一番正当であり、怒ってさえいたらなんとかなる、と。しかしそれは、あまりにも無知であり、彼女が受けたMeToo被害だって、失礼だけど有り体に言って無知だったからに他ならない。もちろん男が悪いのではあるが。

宇崎ちゃん騒動や、ラブライブ騒動も実は全てそれで、あまりに「怒り」に任せすぎるのである

何故なのか。

それはもう、はっきりしている、女性差別が現に存在するからである彼女無知ながらも自分一人で「女性けがどうしてハイヒールを履かねばならないのか」を発見できたのも、女性差別が現に存在するからである。そうした認知がなければ彼女は静々「ルールから仕方がない」と大人風に冷淡にただ納得していただけであろう。

他にもある、トランスジェンダー女性に対する差別である

結局は、怒りに任せないと、理解させる方法がないのだ。少年ブレンダさんも、怒る以外に方法がない。どうしてもわかってもらえない。

ーーー追記

他にも女性差別に関し様々な怒りの声が世界で沸き起こっている。真っ先に思いつくのは前述した#MeTooでもある。

あるいは視点を変えて女性教育重要性を主張するマララさんであったり、アメリカ女性トップレスでも良いじゃないかと主張して上半身露出デモを行う人たちもそうであろう。多くの女性差別への怒りに対する声はもう止められない。

それでもなかなかそれら勢力と反対側にいる人たちは理解しないのだ。

もちろん現実には共感して支持する人もいるにはいるが、それらは彼女女性が「怒る」のは差別の大きな枠組みとして「女性差別」があると言うことをどうにか認めてほしいと言う切なる願いに他ならないとしか思えないのである

本当に理解の壁というのは高過ぎて絶句するほどに思えることすらあった。

ーーーー

これがフェミニズムにまつわる悲しい、しか事実であった。

彼女たちに怒る理由は十分すぎるほどある。それは決して「あなたたちそんなに怒るな」なんて到底言えるレベルの話ではない。差別とは何か、もう一度原点に戻って考えるべきではあるが、冷めた目で事態をを見つめるのは、例えばブコメなどで、適当意見をいう程度で済ませるのは、関心を持つのであれば、できたらやめて欲しい。

言論の自由はある。

だって、そうした問題を見つけられたのははてブコメントTwitterなどで、騒ぎになって可視化されたからそれは否定しない。

だけど、そうした悲しいフェミニズムの持つ現実女性差別があるというのを少しでもいいから、どうしてもわかって欲しい。

考えてみて欲しい、極端な話だけど、何年も何年も女性男性の下に置かれて奴隷のように暮らして来たのである

女性奴隷ではない。一刻も早く解放させてあげたい。

これが私の見えたことであり、お願いである。

2020-01-26

anond:20200125111849

赤井孝美氏はこんなこと言ってるんで解ってやってたんだろう。

赤井 まあでも、この「トップをねらえ!」の体験は多分「エヴァンゲリオン」にも生きていて、要はその、なんだろ、思わせぶりにすればお客さんはその間のことを脳内で補完して感動するんだと。全部描いちゃうと駄目で、この落差があればこの間を、面白ければこの間をいいようにとってくれる、っていうことの原体験の一つっていう意味では「トップをねらえ!」っていうのは我々の集団にとっては非常に大事成功例だったなと。凄く頑張ればいい作品が出来るわけじゃないんだと(笑)化学変化みたいなものを作んなきゃいけないんだなみたいな。

暇だったら読んでみて。

http://nisoku2.hatenablog.com/entry/2014/08/14/025404

2020-01-22

めくるめく特殊性癖の世界

先日、ニトリCMhttps://anond.hatelabo.jp/20200118002721)の増田が注目を集めていましたね。

今日は、増田を中心に様々な特殊性癖の世界について見ていきたいと思います

(一部、サバカレーさんの謎性癖増田タグを参考にしています

なお、「特殊」は「多数派とは異なる」程度の意味で使っており、何か否定をするものではありません。

また、「性癖」の語は、以下、主に性的嗜好性的指向意味で使います。)


ドラゴンカーセックス

特殊性癖というと、ドラゴンカーセックスを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

性癖偏差値」なるコピペでは堂々の一位です。

マンガ性癖が力になる世界」でも取り上げられていました。

マイナー性癖界ではメジャー存在と言えるでしょう。

しかインパクトはあるのですが、この増田https://anond.hatelabo.jp/20180407080732)でも指摘されている通り、所詮は「棒と穴」の範疇であって、まだまだノーマル度が高いといわざるを得ません。

マトリョーシ姦・スフィンクス

詳しくはググってください。

高度に発達した性癖ギャグと見分けがつかないですね。

反社会性・非倫理性の高さ、実現可能性の無さがポイントでしょうか。

これも穴への挿入という意味ではノーマル範疇です。

直腸野菜栽培

字面そのまんまです。

羞恥、スカ、肛門に分解すると特殊性はさほどでもありませんが、発想の飛躍が大きいです。

普及を図っている人が、「洗わず食べさせたいところだが、火を通さず食べられる根菜が少ないのが悩み」みたいなこと言ってますが、問題はそこなのでしょうか。

増田でもその存在確認できますhttps://anond.hatelabo.jp/20171104113614)。

捕食・丸呑み(vore)

自分の異常な性癖自覚して」(https://anond.hatelabo.jp/20080801004850)、

動物の捕食シーンに性的興奮をおぼえる者として」(https://anond.hatelabo.jp/20190619174240)より。

ジャンルとして存在している以上は、マイナーメジャーです。

(なお、一部のジャンルhttps://dic.pixiv.net/a/%e7%95%b0%e5%b8%b8%e6%80%a7%e7%99%96で見ることができます。)

上記2増田もそうですが、特殊性癖の持ち主は、だいたい幼少期に何かしらの原体験があることが多く、大人になってから発見・発現するケースは少ないように思えます

「何がえっちぃか」は社会によって規定される部分も大きく、それを身につける前だと性癖自由度が高いのでしょうか。

乳幼児期に快・不快しかない感情は、成長に従って喜怒哀楽へと分化していきますが、その過程で性欲と別の何かがリンクするのかもしれません。

フェチAV世界

AVは、特殊性癖であっても、裸や挿入が関わってくることがほとんどなので、特殊性は薄れてしまます

しかし、監督カメラマン出演者などがいて、企画会議があって、売上の目標なんかを立てて撮影をして…というその経緯に想いをきたすと、なかなか趣深いものがあります

そば打ち放置プレイ

「月曜から夜更かし」でも取り上げられたAV

女性を縛って放置した近くで蕎麦を打つプレイです。

未見ですが最後は挿入するようです。

河童伝説

河童AV

黄桜CMならまだ分かりますが、こちらはかなり妖怪寄り。

ネタっぽく書かれたレビューを読みましたが、レビュワー名は「抜けてしまった」でした。

蛙女とか全眼女とか、人外妖怪系にも一定需要があるのでしょうか。

女性の髪を洗う仕草

こちらの増田https://anond.hatelabo.jp/20181217182153)より。

パッケージ画像もなかなかです。

2が出ていることや、同じメーカーの「洗髪」が8まで出ていることから人気がうかがえます

フェチメジャーとはいえ、「棒と穴」から離れてきました。

人間になった人魚姫の裸

人間になった人魚姫の裸を数十年間オカズにしている話」(https://anond.hatelabo.jp/20190417040130)より。

裸が介在する時点でアブノーマル度は下がりますが、人魚フォームではなく人間フォームに興奮しているところ、裸体の挿絵が減ったことに安堵しているところがポイントです。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20200122200933

2019-12-31

スター・ウォーズスカイウォーカー夜明け」感想

(とりあえず年内中に吐き出したかったので、すべて記憶に頼って書いてる。間違いがあったらすまない。)

ネタバレ注意。)

 

一言でいうと「やっぱり無理だったか」。

 

そもそも、ep6の続きを作るなんて、本質的に無理だと思っていた。

スター・ウォーズ世界は、その全てがルーク・スカイウォーカー活躍させるために構築されている。

ep6でルークが「あがり」をむかえ、わだかまりが解消された以上、もう「めでたしめでたし」で終わった話なのである。その先には、もう何も残されていない。

から正史の続きの映画シリーズが作られると聞いたとき大丈夫なのかと心配になった。プリクエル(前日譚)でもスピンオフでもなくep6の続きを、ドラマシリーズでもアニメでもビデオゲームでもなく実写映画でなんて、完璧にやったとしても二番煎じしかならなそうなのに、どうすんだと。

何か勝算があるのかと思った。正史の隙間を埋める二次創作しかできない部外者と違って、公式ならばどんな飛び道具でも使える。これならいけるぞというアイデアが何かあるのかなと。

そしてep9が終わってみてわかった。結局、何もなかったのだ。

 

全てがルーク・スカイウォーカー活躍させるために構築されている、というのは、たとえば血統によってジェダイになったこと。

スターウォーズ世界設定では、ジェダイ世襲ではない。ジェダイの掟は恋愛結婚を禁じている。ep1~ep3では、たくさんのジェダイがワチャワチャ出てきたが、誰の血縁だなんて話は特になかった。作品世界歴史においてはep4~ep6の出来事例外的なのである

また、親父が一代にしてレジェンドになった傑物、というのも重要だ。考えてみてほしいが、ルーク家系が代々続くジェダイ家系だった、なんて設定だったら楽しくないのだ。幼いころから厳しい修行を強いられ、偉大な先祖比較されて品定めされ……ウンザリするだけだろう。堅苦しい伝統とは無縁でありながら、血の繋がりによってスゴい能力を授かっている、というのが心地よいのだ。

ジェダイが滅ぼされたというのも重要である。同世代ライバルと競わされ選別されることはない。「あいつがいから、おまえいらない」と言われる心配が無い。

ルークはただジェダイなのではない。歴史的にも特別ジェダイなのである

 

ジェダイだのフォースだのも、ルーク活躍支援するために存在する。

超能力チャンバラ! うわ超かっけえ、文句なしだ。

ジェダイ思想? そんなもんクソどうでもいい。ep5で、ルーク師匠の言うことに逆らってハンを助けに行く。頭の固い年寄りの言うことを従順に聞く主人公なんて魅力的ではないのだ。ジェダイの掟なんぞは、友情を引き立てるダシにしとけばいい。(余談だが、あのあとヨーダとオビワンはわりと辛辣に「あいつはダメだ」って批判してた気がする。)

 

帝国も、ルークのために用意されたものである

悪の帝国を倒せ。うん、わかりやすい。

ストームトルーパーも、顔が見えないので、人を殺している感じがしない。(スターウォーズを初めて見た幼少期の私は、ロボットだと思っていた。ep4のデススター侵入でアーマーを奪って着たりとか、叫び声がドロイドとは違う感じになってるとかで、「推理」することはできたが、あまり実感はなかった。直接的な描写は避けられていたように記憶している。)

反乱軍兵士は顔出ししていて、その死は人の死として弔われるが、帝国兵はそうではない。

 

ライトセイバービームブラスターも、鉄の刃や弾丸による戦闘と違って、血が出ない。生々しい人死にの感触はいらないのだ。

 

このように、ルーク活躍ストレスフリーで鑑賞するための仕掛けに満ちている。

 

そんな、ルーク・スカイウォーカーのための世界は、ep6の後どうなるだろう。

たとえば、帝国が倒れて銀河平和が戻ったらどうなるだろう。

ジェダイは、子供たちに嫌われる習い事みたいになるだろう。健康診断で素質ありとなったら、ジェダイスクールに通わされる。遊ぶ時間も奪われる。

そんな退屈な平和映画の観客にとっては退屈だが、そこの世界で暮らす人々にとっては尊い平和

ep6の続きが作られることになったため、平和は訪れなかった。

観客は退屈な平和なんて見たくないのだ。

 

カイロ・レンが生まれたのも、観客を退屈させないためだ。レイアとハンの子供が順風満帆ジェダイになるなんて話が見たいか

みんな大好き「血統物語」だが、前述の通り「親はポッと出」「他と比較されない」といった要素と組み合わさった場合にだけ楽しいのだ。ep4~ep6でそれは消費されてしまったため、ep7~ep9では使えない。そのせいでベン・ソロは歪んでしまった。

ベン・ソロダークサイドに堕ちるに足る理由なんぞ、結局、何もなかった。意外性を出すためにダークサイドにしよう、と、それだけ。

無理やり悪をやらされてる感があって気の毒なのであった。だが、そのどっちつかずな感じが「何かある」という錯覚を生み、それらしい苦悩の描写と、アダム・ドライバーの熱演もあって、妙な奥深さを感じさせていた。ep8までは。

ep9で痛感した、「やっぱり無理だったか」。

マスクの扱いが象徴であるダースベイダーにとって、マスク生命維持装置でもあり、必要があってかぶっていた。カイロ・レンにとっては、マスク特に必要ない。ダースベイダーの表層的なモノマネに過ぎない。これが、「必要ないのにマスクをつけてるワナビー(なりたがりの未熟者)である」という意味をなしていた。

ep8でスノークはこれを看破して、マスクをボロクソに貶したのだろう。マスクを捨て、カイロ・レンは悪として成長を見せた。劇場で見た当時の私は、期待を込めて「ep9では完成した悪としてついに大成するであろう。ただ、その後すぐ死んでしまうだろう」などと書いていた。

ep9でカイロ・レンは再びマスクをつけた。ep8での成長を経て一体どういう心境なのだろうかと注目していたが、特に意味はなかった。

結局、最後最後までワナビーしかなかった。

 

みんなep4~ep6が楽しすぎたせいで目が眩んでるのだろうが、血統物語のオイシイところはもう使い切っちゃったし、スターウォーズ血統物語じゃなくてもいいんだよ。

ep8で、レイは「何者でもない」としたのは、慧眼だと思った。ep1~ep3の頃のノリに戻るだけだし。だが一部のファンには不評だったようである。ep9で台無しにされた。

 

ep9は、ep8の良かったところを台無しにした。

ep8は野心的だがガタついてる印象がある。ベン・ソロダークサイド転向したきっかけとか、ワープ特攻とか、無茶すぎる。だが、フィンとローズのバディムービーっぷりとか、カイロ・レンの成長とか、レイ出自とか、レイロ(レイカイロ・レンのカップリング)とかは良かった。

特にレイロ。ep9の意趣返しについては、べつに好きにやったらええよアンタの映画だし、という気分だが、レイロだけは違う。ep8は最高のバトンを渡して来たんだから、他のなにもかも台無しにしてでも、そこだけはちゃんと引き継いでほしかった。

なんであの程度でカイロ・レンからベン・ソロに戻るのかと。ep7で父殺し、ep8で師匠殺しを達成して、これは過去正史映画で誰も成しえなかったことなのに(ep6のは、ベイダーからアナキンに戻ってるので何か違うじゃないすか)。

みんな小物だとバカにしていて、実際小物な面もあるんだけど、それでもやることやってんだなあ、というところが、見るから威圧的尊大なふるまい一辺倒の悪役よりも「新しい」気がして感心していたのに。

ep9で大成すると期待してたのに、なんだか小さくまとまって終わっちゃって。ああ、ワナビーのままだったな、と。

カイロ・レンが締まらなかったせいで、レイもなんだか微妙な感じになってしまった。悪い意味で揺るぎねえから自分ダークサイドに堕ちるかもしれないッス、ってシーンでも「ふーん」って感じで。ep7,ep8のカイロ・レンの方がまだ、こいつライトサイドに戻っちゃうんじゃねえのとハラハラした。

レイシリーズを通して成長しているが、カイロ・レンもまた成長していた。極まった二人の力がぶつかり合う瞬間を楽しみにしていた。だが、二人の対決は、なんか普通ライトセイバー戦で終わってしまった。

で、キスちゃうのな。レイロ勢に媚びた安易な燃料投下だと感じたが、まあ、対決が不発だったうえに燃料投下も無かったらマジで残念な感じになるので、ダメージコントロールとしてアリだったのかもしれない。(少なくとも、「ローグ・ワン」やep8の無意味キスシーンよりはマシだったし。)

 

ラストシーンも締まらなかった。

レイ自分のことを「レイスカイウォーカー」と名乗ったが、なんだか釈然としない。

ep8の頃の「何者でもない」レイだったら、納得できたかもしれない。スカイウォーカーの魂は血縁を超えて継承されていくんだなあ的な。だが、シディアスの孫とかやっちゃったのにそれは。

かといって、レイパルパティーンとか名乗られても、銀河悪名高いシス名前からちょっと不穏すぎる。

このシーンで私は、「ハン・ソロ」でソロファミリーネームが成り行きで決まってしまうシーンを思い出した。だがレイソロって名乗るも、やっぱり違う。

書いてて気付いたのだが、母方の姓を名乗るのが無難な気がしてきた。でもそんなん名乗っても、観客としては「何?」だろう。

 

まあ、ぶっちゃけスターウォーズ人間ドラマにはそれほど期待してないので、レイロが微妙でもメカの出来さえよければ満足だった。私の原体験がそれだからスターウォーズを初めて見たのは幼少期の頃で、ストーリーとかまったくわからなかったのだが、それでもメカ活劇に夢中になった。光る剣。宇宙疾走する戦闘機や艦船。月のように大きな要塞

だがメカ描写はずっと低調だった。

ep7で、レイスターデストロイヤーの残骸を漁ってるシーンと、カイロ・レンが焼けただれたダース・ベイダーマスクを拝むシーンには、制作陣の「我々はこうやって偉大なる旧作の遺産を食いつぶして細々とやっていくしかないのだ」という諦めの入ったメッセージ言葉ではなく映像で叩きつけられたような気がして、ちょっとビビった。新しいものを作るんだっていう虚勢を張るもんだと思ってたら、こんな赤裸々に弱音を吐くんだ、って。

ep7~ep9のメカを振り返ってみて、旧作から続投しているものを省けば、記憶に残ったのはbb-8とカイロレンのマスクくらいだ。

ep9は特に低調だった。なんだファイナル・オーダーって。あの世界の乗り物は、製造されてるわけじゃないですか。「ローグワン」とep4でデススター設計者・設計図を巡るドラマがあった。「ソロ」では、製造中のスターデストロイヤーを望むシーンとか、ファルコン号を巡るドラマがあった。それが、念力を込めたら地中からボコボコ出てくるとか。ただでさえスターデストロイヤーをたくさん並べただけという芸の無さがキツいのに、もうちょっと真面目にやってほしかった。

 

できれば、メカデザイン体系を新しくしてほしかった。

ep1では、ep4~ep6とは明らかに違ったデザイン体系のメカがでてくる(アールヌーヴォーって言うの?)。ep2,ep3と話が進むにつれてep4の体系に近づいていくというのが、帝国の勃興とメカデザインが連動していておもしろかった。

帝国という魅力的な装置はep6で使い切っちゃったので、ep7~ep9ではなんの変化もなかった。

面白い新作メカを作る余地はあったと思う。現在、「トポロジー最適化」「ジェネレーティデザイン」といったものが登場したので、それを取り入れるとか。

あと、バトルドロイド可能性は掘りつくしてない気がする。ep5で少し登場しただけの賞金稼ぎロイドには妙な存在感があった。ep1でドロイデカの登場には、なるほどこれはep4~ep6制作当時のVFX技術じゃ作れなかっただろうと興奮した。ep1より後に作られた「ローグ・ワン」のk-2soといい「ハン・ソロ」のl3-37といい、キャラが濃くて面白かった。ep7~ep9で、改めてバトルドロイドを登場させたら良かったかもしれない。

だが、「こんなのスターウォーズじゃない」と不評に終わる可能性が高いだろう。それが予想できたから、きっと冒険しなかったのだろう。

 

というわけで、ep9の感想は「やっぱり無理だったか」。

スターウォーズはep6で完結してたんだなあ、という思いを新たにした。

2019-12-23

好きなベチャベチャ

どろんこ こぶた『(中略)・・・んまぁそんなわけでな、オイラは泥んこに浸かるのが幸せ、大好きってこった。で、オマエさんは何のがイイんだ?』

ぼく『うーん、

まずは旬のイチゴで作ったジャム、ね。こいつの香りにぼくはもう恋してる、といってもいいくらい、つくってる間じゅう、メロメロさ。

つぎは茹で玉子のフィリング、そう玉子サラダサンドイッチにはさんであるアレさ。アレだけを袋詰してあるのをスーパーで見かけて以来、とうとう買ったあかつきには、3ヶ月かけて3袋買い続けて堪能したね。

そう、タルタルソースもイイんだけど、ちょっと酸っぱいのに当たるときがどうもね。あとアレはやっぱフライ、そうさベタだけどエビフライと共に食してこそ旨さが!って気がしてね。

・・・かに?う~ん、しいていうなら、

甘口のミートソースかなあ。やっぱガキのころに手やら口やら顔やら服やら、そこらじゅう真っ赤にしてスパゲティ振り回して喰ってた原体験からは、なかなか逃れられないよなあ。

そういえば、なんかの小説言い回しでさ、25mだったか50mだったかプールいっぱいのメロンジェリー飛び込みたい、ってのがあるそうだけど、そこまでは、ぼくは無いかなー』

2019-11-07

中華リアルドール…のその後

anond:20191019225402

届いてからもうすぐ1ヶ月が経つ。

その間結構頻繁にいろいろ着せ替えてはエロい、というかフェチポーズ取らせて眺めたり撮ったりして楽しんでいる。さすがに毎日ではなく間何日か空けることも多々あったりそのせいで下着だのガーターベルトだのの色がうつる事故起こしたりもしているけれど。

で、だ。自分はもともと重度の着衣フェチ(おそらく幼稚園児のときに屋内で遊んでいて女子スカートに顔を突っ込んでしまった原体験のせい。隙自語)で、大型オナホの時も行為に及んでいる時よりもむしろ着せ替えている時の方がフルボッキだったりするので、当然もっと生々しいこちらを着せ替えている時には、とっくに退潮したと思っていたのに色々持て余し始めることがある訳である本来ソッチの用途運用する人形であるだけにいつまでも"処女"にしておくのもどうかとも思い始めてもいる。大抵は抱きついておっぱい揉んだり腰こすりつけたりの変態行為しているうちに落ち着くのだけれど。

そうやって悶々とする日々を重ねていた数日前の休日夕方、とうとう我慢できなくなって、ローション流し込んでヌレヌレにした上で組み伏せてみた…んだけれど。

硬さが全然足りないの。性欲は暴発しそうな勢い、というか半分暴発しているのに、硬さがついてこないの。

おまけにこのリアルドール、"接続コネクタ"の位置がなんか変なの。童貞から現物たこと無いけど、AVとか見る限り本来もうちょっと後ろなはずなの。だけどこのドール、そこはもう後ろの穴なの。

からなのか先っぽを食い込ませるのがやっとで、悪戦苦闘しているうちにエレクチオンしなくなっちゃったの。

…この時点でロストバージンさせるのは諦めて、洗ってちゃんと服を着せることにしたのだけれど、やっぱり重くて風呂に連れて行くのが一苦労だった。オマ毛(ないが)に洗った筈なのに不完全ぽくて、その後穿かせているぱんつのロッチがたまにヌレヌレになっているのを見つけて、生中田氏しなくてよかったかも知れない…とかちょっと冷静になったりもしている。

2019-10-26

Ingress古参をどうにかして欲しいです

Ingress古参新人をとにかく貶めようとする傾向にある。

自分たちの旧スキャナーがなくなったから、Prime擁護したり楽しく遊ぶ意見をとことん潰す方向に突っ走っている。

彼らはただ自分たちのうっぷんを晴らしたいがために、わざわざ誰も見ない、だけど新人は見ている、Prime評価を下げて下げて面白おかしくしたいらしい。自分たち原体験固執するだけの悪魔所業

ヴァンガードの人が「昔の評価を改めませんか?」といったら、それはステマだと反発して、今は組織的に低評価レビューを量産しようとしている。どっちが悪なのか。

助けて。

anond:20191001025606

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