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はてなキーワード: 競技名とは

2022-10-25

anond:20201017150918

そういや2年前のこの増田競技、どうなったのかな。

何とか続いててくれるといいが。

そして競技名はドンピシャの人がいなかったというのも気になる。

2022-02-11

なぜ「スラローム」を「回転」と訳してしまったのか?

スキー(とスノーボード)には「回転」「大回転」「スーパー大回転」という頭の悪そうな名前の種目がある。

それぞれ「Slalom」「Giant Slalom」「Super Giant Slalom」の訳である

しかし「スラローム」というと、普通は「蛇行」と訳されるものではないか

スーパー大回転」などと聞くと個人的には、

ジャンプして空中でぐるぐると回転しているところを想像してしまうのだが、

実際の競技は、立てられたポールやゲートのあいだを蛇行しながら滑り降りていく競技である

それなら「蛇行」「大蛇行」「スーパー大蛇行」ではないか

いったい誰がこんな訳にしたのか?

遡ってみると、1923年第一全日本スキー選手権大会では、

スラローム」はそのまま「スラローム」と呼ばれていたらしい。

http://www.ski-japan.or.jp/3786/

第三回以降にいったん「スラローム」は姿を消すが、

1937年の第十五回大会アルペン競技が新設されて「滑降」「回転」「複合」が行われたという。

http://www.ski-japan.or.jp/3791/

おそらくこのあたりで「スラローム」のことを「回転」と呼ぶようになったのだろう。

しか第一大会に「スラローム」という競技があったとおり、

その当時「スラローム」という言葉がまったく使われていなかったわけではない。

当時のスキー教本などにも「スラローム」という表記で載っている。

スラロームと云ふ言葉はノルウエー語で痕跡の輪廓を描くと云ふ意味ださうである。其の廻轉の姿勢クリスチアニアウイングであるとかテレマークウイングであるとか其他種々の姿勢であると云ふ事、並びに杖の使用使用と云うふようなことには全然無關係である

スキーイング初歩 - Google Books

スラロームは右、左のスヰングを自由にやりうる人のみが描きうる曲線の美しさである。スヰングとは體の振方とスキーの角付とによつて滑降中徐々に或は急激に方向を變じ或は停止する技で、外觀上の美のみでなく實用上缺く可からざる動作である

スキーとスケート - Google Books

クリスチャニア回轉又はテレマーク回轉を連續的に行って、雪の上に大きくの字を描きながら滑り降るのを、それぞれクリスチャニアスラロームテレマークスラロームと呼ぶ。“スラローム" Slalom は恐らくノールウェイ語であらう。

外来語研究 - Google ブックス

注目すべきは、ここで「回転(廻轉・回轉)」と訳されているのは「スウィング」や「ターン」のほうだった、という点だ。

「ターン」を「回転」と訳すのは、バレエなどでも同じであり、それほど違和感は無いだろう。

上記文章では、はっきりと「スラローム」と「回転」区別されており、明らかに異なる用語として広まっていたことがわかる。

まり全日本スキー選手権大会(かどうかは分からないが)も、

スラローム」と「回転」の違いは承知していたはずで、

それで後からスラローム」の訳語「回転」と決めたとは考えづらい。

単にアルペン種目を新設するにあたって「スラローム」という横文字を嫌い、

「回転を繰り返して滑り降りる競技なんだからそのまま『回転』と呼んだほうが分かりやすくね?」

みたいな感じで競技名を決めただけなのではないか

それが後に「ジャイアントスラローム」が登場してやむなく「大回転」と訳すことになり、

「回転」がターンを表すのはまだしも「大回転」はもう違う言葉だよなあ)

さらに「スーパージャイアントスラローム」が登場するに至って

もはやパチンコの売り文句みたいにせざるを得なくなったということだろう。

また「ターン」を「回転」と呼ぶことも少なくなり、

今となっては競技名としての知名度のほうが遥かに高くなったので、

まるで「スラローム」の訳語「回転」であるかのようになってしまった、

ということなのではないか

言っても一般人にとっては冬季オリンピックくらいでしか耳にしない単語ではあるし、

えいやで「スラローム」「Gスラローム」「SGスラローム」とかに変更しちゃっていいと思うんですけどね。

それか本当に「蛇行」「大蛇行」「スーパー大蛇行」でもイインダヨ。

2021-07-25

五輪代表選手容姿を褒めるツイートに何万もいいねがついていた

昨今、容姿が本職じゃない人の容姿に強く焦点を当てる言説(ルッキズム言葉定義ぶれるのでできれば使いたくない)はそのニュアンスの正負を問わず批判対象となっている。はてなでもそうなのでこの前提は共有してもらえると思う。

で、私も素朴にそう思ってたんだけど、今日ちょっと疑問が生じて色々考えてみた。

タイトルツイートはこんな感じ↓

「xx(競技名)のyy選手めっちゃ可愛い……(画像4枚)」みたいな。今日のTLにはこんな感じで色々な競技の色々な選手のものが流れてきた。

念のため言っておくと私はそれらの意見肯定否定もしていません

本題

容姿に着目することは人格や本職を無視することを必ずしも意味しない。

これ系の話題でよく見るのが「人格無視した性的消費」みたいな非難

しかし、例えば私が実際に見たツイートなんかは「名前」「競技名」がきちんと記されていて、選手本人を容姿から置き去りにしていない。(理想を言えば「世界ランクヤバイ」「zz技術ヤバイ」なんかの情報感想があるのが一番いいのかもしれませんが。)

この場合もやっぱり不適切なんだろうか?

②「jobとabilityはどのような関係にあるのか?」

例えばあるプロスポーツ選手が良い環境トレーニングに専念したり家計を成り立たせるためには、単にその競技の実力・実績があればよいというわけではない。賞金や年俸ヤバイ一部の競技トップ選手を除けば、多くの選手企業勤めをしたりスポンサーを獲得して仕事支援を受けたりグッズ収入を得たりする必要がある。これらの収入金メダルの賞金500万円と異なり、競技の実力によってのみ得られるわけではない。

このとき選手競技能力以外の要素を肯定的に拡散することは不正義となるのか。スポーツ選手に限らず一般企業社員アーティストやは?容姿に限らず知性や人格や逆?

③「スポーツ選手」は常に「スポーツ選手」でしかないのか?

上でも軽く触れたが、選手人生競技に限らない。競技者を容姿(など競技関係ない部分)で称揚することが悪であるとした場合、その人間が「選手」でない瞬間であれば容姿に触れても良いのか?ある人が職業である瞬間とそうでない(あるいは別の職業である)瞬間はどのようにして区別されるのか?

例えばスポーツ選手の中にはモデル業を兼任している人がいる。モデル仕事スポーツと同様に全身が商売道具なわけで、体のメンテナンスには多くのコストをかけるという。「本番」「トレーニング」「コンディション調整」の時間必要でありそれは食事睡眠まで含めた24時間の大部分にわたる……となるとそれはもうそれぞれの状態が一人の人間の中に同居していることにはならないだろうか。

わからんなんもわからん

他者評価する際相手属性によって触れることが適切な項目とそうでない項目が変化するというなら、どの項目がどの属性と結びつくのか、どの瞬間にどの属性を有する状態となるのか、その辺の議論ってどこかで体系化されてたりするんですかね

あと私の頭がパンクしたので今回触れませんでしたが、そもそもいついかなるときでも他者容姿言及すること自体不正であるという主張も当然あると思います。(それはそれで能力主義等との検証必要になるとは思いますが……)

2021-07-14

anond:20210714172425

マイナーとはいえ五輪競技になってて日本メダル取れるくらいには盛ん

そんな競技なら趣味でやってる程度のレベルのやつがこれだけの情報特定されることなどあり得ないのに

わざわざ競技名を隠すのは「実際そんなのは存在しない」以外あり得ないんだよな

2021-01-27

anond:20210127182822

なるほど、それなら「男子女子」ではなく「肉体的男性・肉体的女性」と競技名を改めるべきですね。

2020-10-17

マイナースポーツアジア記録保持者ですがコロナ競技消滅しそ

追記

もう誰も見ていないと思いますが。

軽い気持ちで書いたエントリを思った以上の方に見て貰えて嬉しかったです。

似たような状況に置かれている方、色んなジャンル世界にたくさんいるような気がします。人が集まっちゃいけなくなるって、そういうことですからね。頑張りましょう。

ただ深く考えないで書いた文だったんで不快に思われた方もいたかと思います申し訳ありませんでした。

で、なんの競技かなんですが、ごめんなさい。このまま消えさせてください。

とりあえず、今までの推定ドンピシャのものはありませんでした。とだけ。

なにか状況動いたらまた書かせてもらうかも知れません。次はもうちょい配慮して書きます、、では。

追記

読み返したらコメントされている通り自己顕示欲丸出しみたいな一文があったので修正しました。

マイナーさを自虐的表現しただけのつもりだったんですけど、はい

特定して欲しくはないですホントに。

ただ愚痴たかっただけ、です。コミュニティにはもうだめじゃね?とか書き込めないし、日本語愚痴れる相手もいないので。

できることといったら、来年大会に参加する用意(あるのかな、、、望み薄な気がする)を金銭身体面でしておくだけです。

もしホント国内大会開くところまで行ったら派生競技の知人とかを通じてリアル活動したりしなくてはとか思っていましたが、

今はインターネット老人会本能的に、名無しのままでいたいです。


はじめに

タイトルまんまなんですが。

私がここ数年サラリーマン生活の傍ら取り組んできたマイナースポーツがこのままだと消滅しそうだなウケるwと思ったので書きます

マイナー故に、競技名バレると本名年齢、顔までバレかねないのでぼかしつつ書くことをご容赦ください。


どんなスポーツ




私の参加履歴




大会事情

というような超小規模な世界なので「ワールドカップ」と言っても大会雰囲気はアットホームなもんです

殆ど大会主催者引退した競技者で、商売でやっている団体って殆どない(一部大会は、スポーツイベント主催会社が取り仕切っているけど)

複数回参加する人はほぼ知り合い、「オーまた会ったね!」みたいな感じで、ここで「今度は負けないぞ!」みたいな会話はほぼない。気楽なもんである

特にアジア人は珍しくて、私はアジア人としてもかなり華奢な体格してるので、向こうのでかい競技者に交じると大人子供、ほぼマスコット扱いされてるような気もするがまぁいいか

全然レベルは違うけど、カーリングとかフィギュアスケートで各国代表同士は親しい友人だ、て感覚こんな感じ、、?と思っていた。

この「世界に同志ができる感覚」がたまらなくて、競技を続けていたのはある。


さて、このような生ぬるい小さな世界だが、どんな世界でも「世界トップ」というのはマジですごい人がいる。

競技人口1000人くらいの内訳はこんなもんだと思う



なんで他の競技でもオリンピック競技レベルだと言えるかと言うと、競技特性上、プロフィールとして陸上の記録とかが出てくるからだ。

私も一番鍛えていたとき生活全てが競技成績向上のために組み立てられていた、、、ので、自分の体の性能の95%位は引き出せたと思っている。

そこから先の5%こそが最も得るのが大変な領域なのだが…

曲がりなりにもそのへんまで自分能力開発をすると、逆に生まれ持ったものが違う人との差というものを痛感することになる。

ちょっとやそっとの差じゃなくて、これは絶対に埋まらないと思うほどの差だ。

大学院の時、頭の中で論理回路組み立てながそれをそのままコーディングする離れ業を見たときにも俺には絶対に無理だと思ったけど、それに近い。

一般人でも、体育で4以上もらったことがない人でも、真面目に鍛えれば想像もつかないぐらいの力を身につけられるもんだが、

彼らは最初から一般人と同じ次元にいないと言うか、一般的意味での鍛えてたどり着ける延長線上にはいない感じ。

ですが不思議と、そういうことは悔しいとか、そういう気持ちにはならない。

「アイツらの本当の凄さ理解できるのは俺達だけ」みたいな感覚が、トップ層の下にくっついている集団にあったような気がする。

この感覚は宝物だ。



そして消滅

さて、そのような私の愛していた大会だが、当然ながら今年はどこも中止だ。

そして、前述したように主催者側は「ほぼ利潤の出ない手弁当大会開催」「ましてや協会には収益なんてほぼない」状況であり

参加者の大半は「それほど真剣に取組んでいない層」なのに加え、「参加費が非常に高い」という事情があるため、

来年以降の大会開催が相当に危うい。

どのくらい高いかと言うと、開催される国の物価によるが30万円~10万円である

スタッフ(というか主催者友達のお手伝い)の日当、宿泊費、食費まで参加費から出すんだから当然そうなる。

今だとまだ規模が多少大きくなり、主催者側が「大会開催用資材」を既に持っているケースがあるのでこれでも多少安くなった以前は50万円とかあったらしい。まじかよ。

基本的金持ちの遊びである。私は金も時間もほぼ全振りして参加していた。まあ、ついでに世界旅行してた感じなので、

あのスポーツだけにお金を使っていた感覚はないが、、、

すると、このようなドミノが想定される

大会がなくなる

トレーニングモチベがなくなる

体力低下

完遂の見込みが薄いのに参加費出すか、、?そもそもやるのか?

(あまり関係ないがこれまでの所感として、アメリカ人は完遂の見込み薄くてもチャレンジ的に参加し、ヨーロッパ人はきちんとトレーニングしてから参加したがるイメージだった。)

参加費が集まらない

主催者側が赤字になり、大会開催が出来ない

より参加者モチベが落ちる

上位層はとてもやる気のある人達が多いので、顔本とか見てると個人で模擬競技やってたりするけど、正直コミュニティ全体の盛り下がりは否めない。

私も後2-3年競技者としてコミットしたら、台湾シンガポールの友人とアジア分会を盛り上げていこう、次はアジアから協会理事を出してアジア大会を開こう!とか盛り上がっていたところなので

なんともなんとも悲しいもんがある。

来年大会開催できればまだなんとかなるかも知れない。

しかし、再来年となると、、、本当に今のコミュニティ消滅現実味を帯びてくる。

コロナめ、、、

2015-11-09

球技は、概ね4つの種類に大別される。

http://anond.hatelabo.jp/20151108234357

1)ゴール系球技

敵味方に分かれて、方形や円形に仕切られた空間ボールを通すことを目的にする球技

たまに線上をボール保持した選手が通過しただけで点になるヤツもあるが、あれも元は「通過することでボールを通す権利を得る」ことだった。

ボールを通すことを妨害するために強力なコンタクトが発生するのが特徴で(例外として、相互コンタクトを一切禁止するゴール系球技存在する。競技名は「玉入れ」という)、その派手さとチーム戦術ダイナミックさゆえに最も人気のある球技

2)ラリー球技

相手方の対応可能な範囲に、ボールを空中に浮かせて送り込み、それを相互に返し続けることを目的にする球技

勝敗を絡める場合は、対応可能なボールを送れなかった、対応可能な範囲ボールを処理できなかった、一定の高さを越えられなかった(この定義のためにネットが競技場に存在する場合が多いが、例外として「羽子板」というネットの無いラリー球技もある)、という失策に対するペナルティ得点として換算するので「相手に打たせない」ことが目的に見えるが、本質的にはラリーが続くことを理想状態とするのが、ゴール系球技との大きな差異である。また、1対1でも試合形式を行うことが可能で趣味として簡便だが、見世物としてはゴール系より若干地味。

3)コントロール球技

ボールに対する操作ルールとして定義し、それを達成することに対して相応のポイントを獲得することを目的にする球技

時に達成の定義として円形に仕切られた空間ボールを入れることを伴うが、手球へのコンタクト競技者間で完全に独立してかつ止まった状態から操作限定され、ボールを争うことはなく、むしろ精密性が問われる、かなり地味な競技である。その他、ボールを当てる数のみを競うパターンボール特定エリアに置く数を競うパターンなど競技バリエーションは割と多い。対人ルールで行われる際は、精密さと同時に駆け引き重要となり、チェスに擬せられることもある。

傾向として(ラリー系競技とは逆に)ボールを転がすものが多いが、例えば大玉転がしのように浮かせるプロセスが入ったりゴルフのように長距離の場合ボールを飛翔させることもある。

4)サバイバルゲーム球技

相手方に対して狙撃としてボールを射出し、殲滅したり敵の数を減らしたところで旗を奪ったりすることを目的にする球技

遊戯としては戦闘行為としてプリミティブなきらいがあるため、メジャー競技であることは少ないが、単純明快遊戯として子供を中心に楽しまれる。

ドッジボール雪合戦代表的だが、ある意味ペイントボール辺りも有資格者ではあるか。

さて、その中で、野球(およびクリケットなど)である

これらの球技ある意味鬼ごっこという余りボール関係のない遊戯ラリー球技の要素を付加したものとは言えよう。

しかし、上にラリー球技の特徴として「相互に返し続ける」ことを目的にしていると書いたが、これらの競技では投球に対する打撃という形で、非対称な形態を取るので「ラリー」にはならない辺りが、根本的に逆行している。にもかかわらず、ある種の「打ち返せなかったペナルティ」としてのアウトや、「打球を処理できなかったペナルティ」としてのヒットにより試合が進むという点では、ラリー球技得点パターン踏襲している面もあるのだ。

また、例えば校庭で女子中学生が輪を作ってバレーボールトス上げたり、蹴鞠貴族ボールを蹴り合ったりするようなものと近い感じで、野球ではキャッチボールなどが「ラリー的なもの」として基礎練習において尊重されるのは、こうしたラリー系の精神を引き継いだものではあるのだろう。

その意味では、広義のラリー球技野球は含まれるべきなのだが、一方で完全に「ラリー球技の鬼子」と言うべき立場であるのが、特異性であるとは言える。

ただ、その特異性ゆえに、多くの球技において禁じ手となっているところの「手でボール操作する」行為に対して非常に自由度が高いのも特徴であろう。この手のまだるっこしさを排除したスポーツとしてはアメリカンフットボールも相当に自由度が高いが、あれはあれで前パスは各ダウン1回しか出来ないし未登録レシーバーがダウンフィールドボールを獲れないとか制約はあり、野球自由度よりは低い。

その「投げる」自由さの代償として、その自由さを定義する中での競技者関係特殊性ルールの複雑さが存在する訳だが、ともかくも手という最も人間が頼りにする部位でボールを掴んでプレーしたりそれを相手に走り回ったりすることが、野球の「球技」としてのエッセンスではあろうな、とも。

2014-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20140615155838

俺は、ヤツらが横文字を過剰に使用するのに嫌悪感を覚える。

サッカー自体はまあ競技名からよいとして、

ハンドとかキーパーとかゴールとかボールとかトラップとかオフサイドとかカードとかレッドとかイエローとかブルーとか。

日本語で言えば済むのになにをかぶれているのか。

わざわざ横文字でいうのにアレルギーがあるわ。

 
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