はてなキーワード: フライヤーとは
夜勤終わって今起きたんだけど、昨日の夜勤で初めて怖い思いしたので書き残しておく
相方が休憩中、当然俺が一人で店に立つことになるんだけど客なんか来ないからチンタラ業務こなすだけなのね
レジカウンター内で掃除したりしてて、ふと顔をあげると一番向かいにあるドリンクコーナーの扉が開いてたわけ
客の閉め方が悪いと時々そうなるから、あー閉めなきゃなと思って見に行ったら5枚ぐらいある扉が全部開いてんの
いたずらかもと思ったけど客が入ってきたのは相方が休憩に入る前なんだよな
そういえば相方が休憩に入ってから俺は品出ししてるから、ドリンクコーナーの扉が開いてたらその時に絶対気付いてるはずなわけ
おかしいな〜と思いながらも業務あるから扉閉めてまた掃除しにカウンター内に戻った
俺はフライヤーを掃除してたから急いで外に出たけど誰もいなかった
商品棚に隠れてんのかな〜と思って防犯カメラ見にバックヤードに入ったんだけど、いなくて
トイレかな?と思ってしばらくバックヤードで待ってたら、また入店音がなるわけ
でも客は入ってなくて、誤作動みたいなのは結構よくあるからそれかな〜と思ってカメラの映像見てたわけだけど、なんか続けて入店音が鳴りっぱなしで
流石になんか怖くなって申し訳ないけど寝てる相方起こそうと思ったんだけど、ゆすっても叩いても全然起きてくれないの
さっきまで映ってた防犯カメラはなんでか消えてるし、電源ボタン押してもコンセント挿し直しても付かないし、入店音は鳴り止まないし自動ドアはずっと開いてるし
怖すぎてバックヤードから出れなくなって起きない相方をずっと起こしてた
ここまでが俺が覚えてることで、気が付いたら外が明るくなってたし相方は仕事してたし俺はレジに立ってた
相方に聞いても別に普通だったって言うし、防犯カメラも問題なく付いてた
なんか訳わかんなくて怖かったけど、疲れてたので帰って風呂入って寝た
こちらでもコロナがかなりの勢いで流行してきている。そのせいか、さすがに昨日は来客者数は少なめだった。ただ、やっぱり暇な時間帯・暇そうな場所狙いで変な時間に来るお客様というのは多くて、そのせいですごく暇な時間帯は消失したままだ。
オーナーに「どうせ今日は暇に決まっているから」とフライヤー室のシンクの掃除を命じられた。別にこんなもん、10分かそこらで掃除出来るんだから、わざわざ暇を狙わなくても毎日でも掃除出来るんじゃないかなと思うのだが、オーナーは忙しくて普段はなかなか出来ないのだという。昼勤のパートさん、三人もいるのに?
昼勤には一度しか入ったことがないから、昼勤事情は私には実感としては分からないのだが、仕事の引き継ぎの時のやり取りから推察するに、昼勤の人は接客だけが自分達の仕事だと思って他はあまりやらないんじゃないかという気がする。掃除なんて夜勤の仕事と思われていそう。
いざシンクの掃除にかかったが、特に散らかってる訳でもないのに物凄い悪臭がした。発生源は排水溝に着いたゴミ受けの部分で、どんだけ生ゴミ溜め込んでるんだよと思ってゴミ受けを外して中を漁ると、ほんの5ミリくらいの厚さに腐ったトマトソースが堆積していただけだった。て、こんな所にトマトソース捨てるのなんかすぐそこで笑って見てるAさんくらいしかいないだろう。ちゃんと水切ってすぐゴミ箱に入れなさいよ!
フライヤー室じゅうものっすごい臭かったが、主な原因は結局腐ったトマトソースだけだったので、シンクの掃除はすぐ終わった。ゴミ受けを空にして洗ったら、排水溝のフィルターを交換してシンクの表面をスポンジで擦ればいいだけだった。さすがに、こんなの日々のルーチンで出来るだろう。
オーナー的にはシンクの掃除が最優先事項で、あとのフライヤー室の汚い所の掃除はやってもやらなくても別にいいらしかったのだけど、実はその「汚い所」の方こそ厄介で、一度手をつけると地獄の釜の蓋が開くヤツなので、うかつに触れなかった。排水の分離層の掃除なんか、Aさんに聞いたらもう辞めた夜勤の人が三年前に暇潰しにやって以来一度もやってないということだった。分離層の掃除なんか、それこそ毎日やれば出来るもので、吸収体を数枚ぽいぽい放り込んでおいて5分待ち、油を吸わせた吸収体を取り出して捨ててから、中をブラシでちょこちょこ擦るだけで完了するはず……なのだが。そんなにも放置してると内部が作った翌日の豚の角煮の鍋の中みたいになってそうだ……。暇といえども死ぬほど暇じゃないので、恐ろしくて開けられなかった。
Dead Or Alive - You Spin Me Round (Like a Record) (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=PGNiXGX2nLU&list=RDPGNiXGX2nLU&start_radio=1
仕事用なのだけど、明日会社で使う前に家で少し使ってみようということで。
そもそもこのアカウントも放置していたけど、これからは少しずつ使っていこうと思う。
無線のマウスとキーボードのセットで3000円くらい。マウスは静音で軽くて良い。キーボードに関しては、ちょっとキーストロークが深めに設定されていて使いにくいかもしれない。あとバックスペースとインサートキーが近くてイライラ…。同じ値段だったら以前に自宅用に買ったもののほうがよかったかなぁ。
まぁでも、すべては慣れということで。こんな小さな変化に対してすら否定的になるにはだんだんと大人になってきたということでしょうか、社会人7年目。
今日は丸の内でお寿司を食べてきた。あの、有名な、北海道のさ、あそこの。
店内が定期的にざんぎの香りが充満する以外は(フライヤーが一定間隔で揚がるんだろうな)、価格を考えたら十分に美味しくて、メニューも豊富で、最高。
海外であんな寿司食べたら倍くらいするよなって思うと、う~ん、デフレの味!って感じもするけど。
そういう無能ほど年齢下の人間にシバかれるのを嫌うと思うけど、容赦しません。
それでは、インターネットベイビーズのみなさん、おやすみなさい。
Dead Or Alive - You Spin Me Round (Like a Record) (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=PGNiXGX2nLU&list=RDPGNiXGX2nLU&start_radio=1
仕事用なのだけど、明日会社で使う前に家で少し使ってみようということで。
そもそもこのアカウントも放置していたけど、これからは少しずつ使っていこうと思う。
無線のマウスとキーボードのセットで3000円くらい。マウスは静音で軽くて良い。キーボードに関しては、ちょっとキーストロークが深めに設定されていて使いにくいかもしれない。あとバックスペースとインサートキーが近くてイライラ…。同じ値段だったら以前に自宅用に買ったもののほうがよかったかなぁ。
まぁでも、すべては慣れということで。こんな小さな変化に対してすら否定的になるにはだんだんと大人になってきたということでしょうか、社会人7年目。
今日は丸の内でお寿司を食べてきた。あの、有名な、北海道のさ、あそこの。
店内が定期的にざんぎの香りが充満する以外は(フライヤーが一定間隔で揚がるんだろうな)、価格を考えたら十分に美味しくて、メニューも豊富で、最高。
海外であんな寿司食べたら倍くらいするよなって思うと、う~ん、デフレの味!って感じもするけど。
適当に書いていたら長くなりすぎたので冒頭にまとめを書いておく
・皿うどんにしては麺が太すぎる。揚げて調理するには向かない太さだ。
・長時間揚げれば麺はかなり硬くなる。見た目で区別するのは困難と思わわれるので食べた児童や教員に落ち度はない。
・埼玉の学校で皿うどんを給食で提供するのは無謀だったのではないか?
長崎人の俺の感覚では揚げた皿うどんの麺とは細麺であり、皿うどんの細麺(通称パリパリ麺、炒麺(チャーメン)とも呼ぶ)は素麺の様に細い代物だ。
この太さだったら長崎でいう太麺(ちゃんぽん麺)の様に、揚げるのではなく炒めて調理すべき太さだ。
おそらく手間を減らす為に短時間だけ揚げて、炒めた麺と同じ様な食感にするという行程だったのだろうとは思う。
こういう時に温度が下がったので加熱して挽回しようとすると、油が適温になるまでに時間がかかってしまう。
揚げるという調理法は端的に言えば、加熱した油を利用して食材から水分を抜き取る調理法だ。
加熱時間が長ければ長いほど食材からはそれだけ水分が失われていく事になる。
切ったじゃがいもを高温で短時間揚げればフライドポテト、低温から揚げ始めて少しずつ加熱しつつ長時間揚げれば堅ポテト風フライドポテトという事だ。
堅ポテト風のフライドポテトならさほど問題ないだろうが、中華麺の様な食材の場合はかん水でコシが強くなっている事もあって非常に硬くなる。
なんで分かるかというと一度ちゃんぽん麺を揚げてうっかりカチカチにしてしまった経験があるからだ。
ワイヤーみたいな硬さと弾力になってしまい、とても食えたものではなかった(スープでふやかして無理やり食ったが)。
しかもパッと見た限りでは普段提供されている麺と区別がつかない可能性が高い。
焦げたりしていたならすぐ分かるだろうが揚げる温度を極端に高くしていない限り、色などは普段とさほど変わらなかったと思われる。
皿うどんは野菜などもたっぷり入った餡がかかるので、余計に見た目では気づきにくかっただろう。
「見て気づかなかったのか?」「児童や教員も不注意だった」といったニュアンスのブコメがあったが、児童や教員が食べる前に気づくのは難しかったと思う。
例えがローカルネタで申し訳ないが、よりより(麻花兒)を目隠した状態でクッキーだと言われて噛み砕こうとしたような状況だったのだろう。
そりゃあ歯が欠けてもおかしくないし、そんなものを食わされた児童や教員はただただ不幸だった。
児童にとっては給食や餡をかける麺料理がトラウマになってもおかしくない出来事なので、そういった面のケアもしっかりやって欲しいと思う。
そもそもなぜ埼玉の学校の給食に皿うどんを出す必要があったのか? という点も疑問が残る。
これが長崎だったら分かるのだ。
パリパリ麺がその辺のスーパーに行けば売ってあるくらいなので、業者に発注すれば給食に必要な量の麺も容易く(そして価格も比較的安く)確保できるだろう。
郷土料理なので食育がどうたらといった経緯で提供してもおかしくはない。
長崎の様にパリパリ麺を購入して済ませるという訳にはいかなかったのだろう。
なので調理担当者が自分達の手で麺を揚げなければならなかった。
そして朝日新聞の記事を読むに、どうも調理担当者は大量に麺を揚げる際に起こり得る状況(油の温度低下、長時間加熱による麺の硬化など)を想定していなかった様に思える。
この給食での皿うどんの提供は見切り発車に近いものだったのではないか? という気がしてならないのだ。
しかし試作品の段階では少量の麺を揚げただけであり、大鍋やフライヤーで大量の麺を揚げた経験はほとんど無かった、或いは皆無だったのではないだろうか。
長崎ではメニューに困った時のお手軽料理というポジションでもある皿うどんだが、それはごく一般的にパリパリ麺が市販されているからこそだ。
残り野菜と豚肉などの食材を適当に炒めて水溶き片栗粉でとろみをつけたら、パリパリ麺にぶっかけるだけなのでかなり楽なメニューなのだ。
これが自分で麺を揚げなければならないのであれば、そんな手間のかかる料理を頻繁に作るはずがない。
長崎の中華料理店だって自分の店でパリパリ麺を揚げる店は少数派で、基本的には製麺所から仕入れた物を使っている。
企画した人間が長崎出身みたいな事情があるのか、単に給食に飽きがこないよう変化をつける必要があったのかは分からない。
しかしリンガーハットの協力でもあるならともかく、埼玉で、さらには予算に制約もある給食で皿うどん提供するのはかなり無謀だったのではないだろうか。
唐突にオーナーのやる気が爆上がりし、結果、夜の納品が充実した。21時くらいになると米飯とサンドイッチの棚がみっしりと埋まる。
そうなったのは、夕勤夜勤にオーナーが入らないようにシフトが調整されたからだ。なんか、Bさんが本業の影響でシフトに入れる曜日が変わったので、Aさんの出る曜日も変わり、上手いこと綺麗にシフトが埋まった。
オーナーはバイトの私どもがどんなに多忙でてんてこ舞いになろうが知ったこっちゃないので、バイトだけでシフトが回るなら、沢山品物が入荷するように発注する。
それにしたって、おにぎりの棚の手前から奥までギチギチに埋まるというのは久しぶりだ。ちゃんと朝のピークの途中に売り切れないようになっている。
でもって、週半ばからのFF商品フェアの宣伝に余念がない。クリスマスでさえ、「もっと売れますよ」という本部社員の説得を「いやうちはそういうの売れないから」と袖にしてフライヤーを早仕舞いしてしまったのに。
ただ、例年今頃っていうのは客足があまり多くない時期だ。今週の頭に世間の人達は給料日を迎えているが、お正月を過ぎるとお客様達の財布の紐は固くなりがち。そんな全力で唐揚げ揚げまくって売れるのかは知らない。
それに、コロナのご時世にやたら混雑するようなことをされても、店頭に立つ私どもバイトは、感染リスクが上がって給料は据え置きなので、あまり嬉しくはないよなぁと思う。当店、売上が上がったからといってバイトに平等に還元されることはないので。
オーナーがよく「明日の仕事を前倒ししてやってるので暫く話し掛けないでくれ」と言って事務所に引き込もって出てこないことがある。そういう時、実はオーナーはただ寝ているだけだとAさんが言った。そもそも、オーナーの「明日の仕事」と言ったって、発注業務など、コンビニの事務仕事は前倒しが利かないようになっていると、Aさんは言う。
ストーカー客がやたら高価なお菓子を日曜日にくれたので、Aさんがストーカー客にお礼を言った。ストーカー客は「皆で食べて」とか言わずに無言でAさんに大量の菓子を押し付けるようにくれたので、私も貰ったからといって私からも礼を言うのは変だということで、私は礼を言わなかった。そもそも色々忙しくてストーカー客が来た時には私はレジに居なかったし。
品出ししていたらストーカー客が私をガン見していて、私もお礼を言うべきなのだろうかと思ったけど、下手に礼を述べてプレゼントがエスカレートするのも困るので、徹底無視を決め込んだ。
しかしながら、鬼滅の刃については原作もTVアニメもノーチェックだった上、仕事で代わりがいないクソみたいな状況と、高齢の家族がいる=映画館でコロナを拾うわけにはいかないことから、個人的にはスルーせざるを得ない事情があり、今の所は完全に他人事。
だから仕方なくというわけではないのだが、ずーっと食わず嫌いしてきた君の名は。を今頃やっと見た。
ちなみに天気の子は「敷居が低い」と判断し映画館でリアルタイムチェックした点で、間違いなくキモオタ側の人間の感想ということで一つ。
いや、本当に驚いた。間違いなく凄い作品。
最初の30分くらいはちょっと見ていて恥ずかしかったけど、それを差っ引いても一見の価値があるだろう。
アニメを見慣れていない人にとっては純粋に驚愕の内容として素直に感動できると思うし、自分みたくアニメを頻繁に見ていた人にとっても、展開・画作りともに「ああなるほど、魅せるねえ」と唸らせ、惹き込ませる内容だったかと。
しかしながら一番驚いたのは、新海誠という作家から、君の名は。みたいな作品が出てくる事で、それ自体が奇跡に感じられた。
しょーもない例えで恐縮だが、麻雀で言ったら四槓子で和了ったみたいな話というか、後にも先にもこの人からこんなマスターピースが生まれることは二度となさそう。
というのも、これは見くびり過ぎかもしれないが、過去の作品から逆算(?)すると、新海誠という作家の感性で君の名は。みたいな作品は、どう考えても生まれようがないからだ。
実際、後年上映された天気の子の方が往年の新海作品っぽいというか、新海誠の原点
(=その昔、某評論家から「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」と揶揄されたセカイ系や、ゼロ年代に一部オタクの間で熱狂的に支持された泣きゲーの系譜)
に忠実だったと思う。
それ故に作品の格としての天気の子は、君の名は。から数段落ちると言わざるを得ないのだが。
言い換えれば、セカイ系や泣きゲーの要素からB級以下の部分を削ぎ落としたというか、本当に色んな人から共感を得られそうな部分だけを抽出して組み上げたのが、君の名は。なのだろう。
しかしながら、そんなことを新海誠本人だけの力でなし得たとは到底思えず、なにか別のアクションがあったのでは?と感じている。
それこそジブリの宮崎駿に対する鈴木敏夫みたいな名プロデューサーがいたとか?
まあ、ワクチンが出回るまでは家に引きこもって楽しめることをやるしかない。
君の名は。今頃見た理由でもあるが、その流れで鬼滅の刃についても、原作を電子書籍で全巻読破してみてもいいかな?と思っていたり。
VTuberばっかり見ているのも飽き気味だし、それはそれで肩凝るので。
■ 慶應閥
三田会という組織を中心に、秘密警察のように梅雨時のカビのように広がる。
大学の特性として、平均的には能力が高いものの、本物のポンコツが結構含まれている。
にもかかわらず依怙贔屓で上からの引っ張りがあるので、バカ上司死ねと思ったら慶應だったりする。
慶應閥が強くない会社でも、トップが慶應になったとたんに慶應閥がはびこりがち。
慶應閥がはびこった会社は、必ず滅亡への道を歩む。カネボウ、三越、東芝…
地方ベンチャーとかで元気よかったのに、二代目が慶應で没落というのもよく聞く話。
要は、大変たちが悪い。
■ 一橋閥
如水会という組織を根城に、ハイフライヤーって感じで勢力を伸長する。
慶應との違いは、2つほどある。
一つは、単に就職偏差値が高い程度の会社だと、一橋出身者は閥をなすほど入らない。非常に高い会社にのみ存在する。
もう一つは、平均的能力も高いのは言うまでもなく、明らかなポンコツはごくまれ。
それにしても上からの引っ張りは強力。
要は、相当たちが悪い。でも慶應ほどではない。なぜか。
一橋閥は能力が高いし、彼らは一橋卒といえども無能を嫌うので、慶應閥のように会社を潰すことは稀だからだ。
鞏固な結束を誇る一橋閥にしても、慶應閥にしても、結束力がむやみに強い理由は、本質的には一つしかない。
それは次で述べる。
■ 東大閥
個々の戦闘力では、ほとんどの場合慶應と一橋は東大には及ばない。
むろん、慶應・一橋のトップと東大のボトムを比べれば、前者が圧勝するのは言うまでもない。
しかし、慶應・一橋のトップが入るとこには、東大のトップが入り、やはり残念ながら、個々の戦闘力では勝てない。
東大卒は無能を嫌う。東大卒の無能を最も嫌う。一緒にするなと思うからだ。
東大閥が存在すると言われる組織はあまたあるが、実際には東大閥は存在せず、たまたま東大卒がたくさん入るというだけだ。
東大法学部は経済学部と教養学部をさげすみ、経済学部と教養学部は文学部をさげすみ、群れることは一切ない。
一人ぼっちのオオカミが群れているように見えるのが東大閥の正体だ。
ただし、彼らは無能をことのほか嫌い、有能を評価するが、その場合の有能の評価基準は、知的な情報処理能力の高さだ。
そして、その能力が高い人間は、結果として東大卒である場合が多い。
東大卒が閥をなすとき。これは、慶應か一橋か京大のいずれか2つが閥をなし跋扈している場合だ。
その場合の東大閥の腹黒さ、他を蹴落とす策略の陰湿さは他に例を見ない。
結果として、東大閥と慶應閥と一橋閥と京大閥が争った場合、ハルマゲドンが発生する。
このハルマゲドン、私は唯一例しか知らないが、メガバンクが一個、本当に10年足らずで吹き飛んだ。三和銀行である。
■ 京大閥
京大は、地理的な遠隔もあり、上の三者の中間的な立ち位置になる。
すなわち、関西にあっては東大のように振る舞い、東京にあっては一橋や慶應のように振る舞う。
しかし、東京にあっては数が少ないので、慶應や一橋のようなパワーは多くの会社で持っていない。
京大閥が跋扈する会社は、関西発祥だが東京で生き延びている、住友系の会社が主である。
なお、東大に官僚志向が強いように、京大も、官僚志向が存在する。
しかし、国家公務員は東大濃度が高すぎるので、大阪市役所あたりに隠然と力を蓄えたりしている。
が、ここ30年の大阪市の長期低落で、有能な才能がすべて無駄遣いされている。
東大卒や一橋・慶應閥の荒野の中で勝ち抜いた京大卒というのが時折トップになるのを見る。
ただ、そういうトップは、意味なく東大を排除したりするので、コンプレックスというのは度し難いと感じさせられる。
結果、京大卒のトップが、東大を排除した結果、一橋又は慶應が跋扈するという事態が発生するのは時折観察される。
某赤いメガバンクなんかそうなってるって聞くよね。
他にリクエストがあれば書くよ!
自分が興味ない作品の劇場予告ってめっちゃ恥ずかしくないですか。
自分の場合は邦画とアニメの予告がめっちゃくちゃキツい。悪いって意味じゃないです。ただキツいんですよ。
あと、地元の学校の映像部とかが作ってる上映前の注意映像。キツくないですか。
それらがダメだ、やめろ、と言ってるわけではなくて、とにかく自分自身キツみを感じている。高校生たちの努力は心から賞賛したいが、大スクリーン大音響でやるのはまた話が別だ。音量マックスでエンヤを聞かされるようなもので。
単なる共感性羞恥なんですけども。
特に自分はエヴァがめっちゃキツい。中学生の頃の痛々しい自分と痛々しい友人と痛々しいメディアと痛々しいアニメ評論家とかが完全に脳裏によみがえってくるのでマジキツい。
なんか知らんけど「シン・エヴァンゲリオン」っていかにもなタイトルの付け方もキツい。
キツ過ぎてホッ、ホゥゥ、ホワォゥーーー!と類人猿めいた奇声発しちゃう。
あと邦画もキツい。泣き叫んでるのを聞くのが超ストレス。あと、すっごいかっこよさげに見せてるのに「まぁ、多分予算規模とかでショボい映画になっちゃうんだろうぁ」って思っちゃって恥ずかしすぎて泣ける。YAMATOとかキツ過ぎて動機胸焼けが止まらなくて過呼吸になりそうだった。ごめん。
特に邦画で外国が舞台の映画。めっちゃキツい。申し訳ない。欧米コンプからくる共感性羞恥で身が持たない。
外国映画もけっこうキツめのがあるけど、外国語だし、適度に他人事感があるので問題ない。
共感性羞恥って要するに他者と自分の切り分けが曖昧ってことで。
マジで追加で500円くらい払うから劇場予告なしの上映してくれないかなぁ。劇場予告される作品のフライヤーとかくれればちゃんと読むからさ。文字ならキツさは激減するし、何なら「見てみようかな」って結構思う。それで見た映画もたくさんある。邦画も見る。いい作品たくさんある。
劇場予告を避けて本編直前に劇場に入れば解決!と思うけど、映画はやっぱりなるべく真ん中の席で見たい。そうなると必然的に「すいません…」を20回くらい繰り返して席につかなければならないわけで。
キツいですよこれは。
https://anond.hatelabo.jp/20201013174040
オーナーに軽ーくたしなめられただけなのに、ひねくれてしまったAさんの取った行動とは、オーナーの言い付けを徹底的に守ってトラブルが起きるのを待つ、というものだった。揚げ物を22時まで廃棄しないというルールを守って、保温して干からびたチキンを客に売り付け、お客様から店に苦情が入るのを待つ。また、「この店の揚げ物は不味い」とお客様に印象付けて、売上ががた落ちすればいい、と。嫌がらせとして地道過ぎる。
元々、当店の揚げ物など、調理した人が調理時間を記録していないので、一体いつからそこにあるのか不明な黒ずんだ商品が保温什器に入っていて、それをオーナーさえもが何も考えずに販売していた(味はともかくとして衛生的には問題ないと思われる)有様なので、Aさんの遠回しな抵抗で何かが変わるとは思えないけど。
そんな抵抗はする一方で、納品された商品をわざと品出ししないとか、ホットドリンクの補充をしないとか、以前と変わらない部分もある。なおこれらの仕事はAさんの仕事ではなく同じ時間帯にシフトに入る人の仕事だ。これらの仕事を完遂すると「余計に仕事を増やされる」とAさんは考えていて、わざとサボらせるのだ。
だが、カフェマシンの掃除はオーナーの命令した時間よりもずっと早くにさせる。カフェマシンの掃除がけっこう大変なので、もしも私などがやりきれずに帰ってしまうと、Aさんが自分でやらなければならなくなるからだ。
Aさんが休みの日は、大抵夕方にシフトに入れるのが私しかいないので、私とオーナーとで組んで仕事をする。そういう日はオーナー命令には絶対に従わされるので、私はAさんのいる日のようにカフェマシンの掃除を早くに行うことが出来ない。揚げ物の廃棄も勿論出来ないし、フライヤーの掃除も出来ない。お客様の多い時間帯は雑用でドタバタせずに接客に集中するというのがオーナーの方針だ。
オーナーは大抵20時前には帰ってしまい、私は30分くらいワンオペでしのぎ、Bさんの出勤を待つ。Bさんが来てくれるとやっと、私はカフェマシンの掃除が出来るし、その間Bさんはレジを担当しながらフライヤーの掃除もする。二人ともかなり忙しい。Aさんのいる日なら四時間でやることを二時間でやらなければならないからだ。
オーナーは、Aさんがいる日といない日(Bさんのいる日)の仕事のやり残し具合が大きく違うことの理由を知らず、Aさんが有能だからAさんの日は仕事のやり残しが少ないと思っている。それで、Aさんのいる日に限って、仕事量を増やすとか、厄介な仕事を押し付けるとかしてくる。Aさんは楽してお給料だけもらいたいという人だけれど、Aさんの行動が裏目に出て、Aさんの日の仕事量は増えている。
BさんはAさんほど仕事が出来ない人認定されてしまったが、Bさんはもう若くはないし、ダブルワークで昼間はよそで正社員として働いていて疲れているのでしょうがないと思われている模様。
一方私はバカとハサミは使いよう的な、Aさんが上手く使えば使える奴的な扱いを長らくされていた。が、最近は仕事のスピードが何かと速い人と認識されているっぽい。バカとだと思われているのは相変わらずにしろ。
Bさんと私ではオーナーに仕事量のことで意見をすることが出来ない。オーナーにそんなに信頼されていないからだ。オーナーと対等に話せるのは今や当店でAさんだけなのだが、Aさんはオーナーの目を盗んで帳尻を合わせる方針なので、夕勤・夜勤の仕事がカツカツ問題は解決しそうにない。
持っている中で一番よく使うのは金のしおり。薄い金属できれいなやつ。金のしおりとググると出てくる。昔はマットな感じの黒いしおりも売っていたけれど今は分からない。
大きさと厚みが文庫本にちょうどよく紐がしっかりしていて、本から落ちにくい気がする。(たまに落ちるけど)
貰い物なので当時の値段は分からないが今楽天で見たら440円くらいから買える。
種類によって大きさが違うので自分が挟む予定の本をイメージして買ったほうがいい。ミュシャのデザインはデカかった。自分の持っている気球デザインは文庫にちょうどよい。
紙に跡が付くのは気になったことがない。
トラバにある平等院鳳凰堂しおりは多分これと同じところが作っている。
金属製パート2。土産物屋でよく売っている、長方形のオーソドックス型でなんかステンドグラス風のもの。
地域の有名なものが描かれていて、その名前が下にローマ字で書かれている。「kokeshi」とか。
多分色々な観光地で同じしおりが売っている。可愛いからオッケー。
学生時代、友達からこのしおりをお土産で貰った。私のしおり好きはここが原点である。
とても気に入って使っていたがなくしてしまった。数年後に本の間から発掘されたが劣化してメッキがハゲてきていたので泣く泣く捨てた。
その後似たようなしおりを自分でも買ったしおみやげでも貰ったのだが、どうもしっくりこない。大きさや紐の長さによって使い勝手が変わる。
ありとあらゆる観光地で売っている薄くて細長い竹に絵が描いてあるもの。紐は2色のピロピロしたものが付いている。
ひこにゃんと箱根のかまぼこ柄を持っている。絵以外は全部同じ作り。
観光地の土産物屋でしおりを探すと大抵これが売っている。ひとつ持っていれば充分だと思われる。
私は本から紐が長く出るのが嫌なタイプなので、文庫本には使わぬ。もっぱら漫画やハードカバーに使う。少し大きめサイズの漫画にはちょうどいい。ハードカバーは本に紐が付いているものあるので、紐があれば紐を使う。
青森の土産屋で買った。薄い木できていてリンゴの形がくりぬかれている。装飾はそれだけで木の優しさと紐の赤さが可愛いくてよい。買った当初は木のいい香りがした。
私は本を並行で数冊読むタイプで、自分の中で3番目くらいの立ち位置。3冊目にこれを使うくらいの感じ。
高村光太郎記念館で買った。
革なので厚みがあり、挟んだまま数日放置すると跡がつかないか気になるので長期間の使用や持ち歩きの本には向かない。
光の文字が箔押ししてある。
この文字は光太郎が住んでいたオンボロ小屋にある便所の扉の明かり取りとしてくり抜いたもの。
中尊寺で買った。けまんという仏具?の形をしたありがたいしおり。
紐が軟弱。仏具っぽい装飾が綺麗だが、そのぶん頼りない感じで、本から落ちやすい気がする。
仏具としても使えます、と書いてあったので仏具が欲しい人にもおすすめ。
いい感じの紙にいい感じの言葉といい感じの花が印刷してあるものが8枚セットで売っていたので買った。
本屋でくれるしおりを太らせたくらいの大きさ。紙のしおりが好きな人には良さそう。
スカイツリーなんかにある食品サンプルの店に売っている。ベーコンや生ハム、スライスチーズなどがある。
https://www.ganso-sample.com/item/
(オリジナル小物の項目を横にピョコピョコすると見られる)
面白いし可愛いけれど厚みがありでこぼこしているので実用的かと言われるとあまり……。しかしつい人に自慢したくなる一品。
主張が激しく挟んだページがすぐに分かるので、例えば漫画など、すぐに続きを読む際に使うのに適している。逆に挟んだまま本棚にしまう等すると跡がつくと思う。
お土産で生ハムを貰って使っていた。生ハムが好きなので見ているだけで笑顔になるしおりだった。しかし紛失した。多分本に挟んだまま古本屋に売り払ってしまった。
悲しかったのでスカイツリーに行って焼きベーコンを買い直した。ちなみに焼いていないベーコンも売っている。
凝りすぎた形、大きさが使いづらいものは持っていても使わなくなる。
色々なしおりを使って思うのは、その人の使い方や好みによっておすすめのしおりは本当に違ってくる。私は紐が出ない方が好きだけど、出る方が好きな人ももちろんいる。
自分がよく読むサイズの本を想定して、どんな使いかたをするのかをシミュレートして買うと失敗が少ない。
A5のワイドサイズの漫画なんかに使うなら大きめがいいし、文庫に使うなら文庫と同じ長さみたいなのはちょいと使いづらい。
ちょっと挟んでトイレに行くくらいなら厚いほうが挟んだページが分かりやすくて使いやすい。挟んだまま数日持ち歩くようならそんなに厚みがないほうがいい。
好きなシーンに付箋をはりつけたまま数年放置したら貼ったところがペタペタになったので、付箋を栞代わりにする場合、数日で剥がし、放置はやめたほうがいい。
旅先で買うのもおすすめ。かさばるものでもないので持ち帰りがしやすく自分へのお土産によい。
ちなみに文庫本の持ち歩きについて。
布製のブックカバーを買ったことがあるが、表紙を守れてもサイドがノーガードなので汚れる。鞄の中でページの間にペットボトルが挟まって開き癖がついたり、ペットボトルに付いた水滴が小口なんかについたり、あまりよくなかった。
厚みを調節できないカバーも持っていたが、表紙と裏表紙をカバーに差し込むのが下手くそで、やはり本を傷めた。
昔CDショップで貰ったフライヤーに折り線が書いてあり、そのとおりに折るとCDジャケット柄の紙の文庫カバーになるものがあって、おしゃれで気に入っていた。使い回すうちにボロになってしまったので世の中のフライヤーすべてが文庫カバー仕様になればいいのにと思っていた。
今はCDショップでCDを買ったりフライヤーをもらう時代ではなくなってしまった。
10数年くらい前に角川文庫で2冊買って応募すると文庫ポーチをが必ず送られてくるキャンペーンがあった。
文庫ぴったりサイズで上に紐が付いていて巾着みたいなもの。シャカシャカした素材で、生地と生地の間に綿?が入っているのか、ちょっとふんわりしていて本の持ち歩きにはとても良かった。
しかし10年くらい使い続けてへたってしまい、今はファスナーで閉じられる文庫カバー(Amazonで600円くらいで買った)を文庫ケースがわりに使っている。カバーとしては使わず、紙のカバーをつけた本を包む道具として優秀。
追記はしないつもりでいた。
でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。
https://anond.hatelabo.jp/20201001022747
衝撃を受けた。
ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。
でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。
5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。
日記は2つともすべて読ませてもらった。
文系の学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。
企画部門への配属だった。生産管理を希望していたけど通らなかった。
増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。
任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。
気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。
大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学のフリースペース(名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。
どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。
「将来、どういう人生を送りたいのか?」
そして、考えがまとまった。
趣味が大事な人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。
それで、四季報やインターネットを見て、そういう雰囲気の会社を見つけては説明会に申し込んだ。
なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。
後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。
京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活を謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事に内定して、同志社大学のサッカー部のキャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子を口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。
そんなレベルの超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。
俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。
採用試験の内容は述べない。俺の体験談は面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。
書類選考で勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。
本題に入る。
俺はプロの世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。
プランナーというのは、ファミコン時代のマリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。
大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。
超すごい人達がゲームのデザインをして、レベルの高い人たちが上記のプランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。
ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。
たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。
任天堂の社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。
実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。
でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分の意見をはっきり言えて、他人の意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。
2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事。レベルの高い同期は本格的な企画の仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトルの制作会議に20代の若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。
当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。
なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分のアイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日に趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。
毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。
先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。
実力が足りていなかった。あるゲームの操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。
ゼロの状態から仕様書と設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。
上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないから上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。
それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって。自分では何ひとつ創造していないんだって。再確認させられた。
今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルそのものなのに。
結局、納期をオーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなたの記憶の中に、あのゲームの操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的に謝罪する。
今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビに登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。
ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械系メーカーや化学系メーカーの事務職のオファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。
今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要な経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険の手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。
もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。
それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究と対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。
退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。
「せっかくモノになりかけてるのに」
「ストレスに耐える力は一人前だから、もっと時間をかけてみれば」
「あと1年だけでも働こうよ」
一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。
社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。
あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事を馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。
あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。
最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観をベースにちょっと書いてみる。
問.どんな人が内定を取れるのか?
答.ホームページの採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。
①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代に部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。
面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。
自分の場合は、大学生や専門学生だけでプロの歌手やバンドを呼んでライブを実行する学際サークルで活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。
卒業生のためのプロムパーティーを実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすがイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。
俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きのポジションで部分リーダーをしていた。
創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程で他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分の言葉で話せるはずだ。
ただし、アピールは忘れないように。自分の経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。
②のゲームへの情熱は言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。
想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。
そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分のアイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。
ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンとアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達も必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日も関係ない。
夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。
あなたが志望する会社に採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。
例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。
③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に、英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外の販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。
企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲームが社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームをプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。
だから、学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識や技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。
書き過ぎた。反省している。
今でも思うことがある。俺はあの会社に感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。
時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。
ここまで読んでくれた人に感謝する。
ワイは揚げ物どころか肉焼いたりもせんで
一応、おひとりフライヤー とか ホットサンドメーカーで簡単に作れるみたいだが
ヘルシオすらワイはロクに使って無いしな
出前でとんかつ頼んだ方が速い
今日は夜も頑張るぞと思っても、せいぜい20時には電池切れです。なんかぼーっとして逆にもうこれからの時間は効率が悪いかも知れません。
最近は印刷屋さんにデータを送る仕事ばかりです、孤独点ないか、文字アウトラインにしたか、画像埋め込んだかぐらいのチェックをして入稿するだけですが。
昔は印刷屋さんに出すっていったらなんか憧れ高嶺の花だったんですが、今じゃフライヤー作るのもすごく安いんですよね。びっくりです。
未だに画像の解像度とピクセル数の関係をよく理解してないです、よく分からないまま雰囲気で画像を扱ってます。
今日もいくつか増田を書きましたが、トラバやブクマがつきませんでした。
最寄駅と直結した古いスーパーの三階の薄暗いレストラン街のそのまた端っこ
疲れたおっさんくらいしか寄り付かない汚いファストフード店で最低時給でバイトしていた中条さん(仮名)
中条あやみに似た超絶美女なのになんでよりによってあんな店であんな安い給料で毎日あくせく働いてたんだろうか
白くてきれいな腕の内側がフライヤーから跳ねた油のせいで両腕ともひどいやけどで覆われていたのに、なんで平気な風にポテトを揚げ続けてたんだろうか
あなたが油を浴びてしまい、声にならない声をあげていたとき、店長のじじいの「大丈夫ですから構わないで」という低い声にのまれて引き下がって、ソファ席でバカみたいに熱々カリカリの香ばしいフライドポテトを食べ続けた自分はとてもじゃないが訊けやしない
今はコロナでずっと店は閉まっている
店が開いたら彼女はまたボロいカウンターに立って真面目な顔で注文をきくんだろうか?分からないけど、そうだとしたら、やけどの跡が良くなっているといいなと思う
一時は200万の借金に加えほとんど引きこもりに近い生活を送るほど荒れていたが、
少しずつ生活を立て直し。実家を飛び出しても2ヶ月くらいは生活できるほどの貯金もできた。
心機一転満を辞しての転職活動。今さら焦っても仕方ないしオリンピックの余韻が続く来年3月ごろまでに決められれば御の字だろうと悠長に構えていた矢先のコロナ禍。資格試験をキャンセルしポートフォリオ制作も投げ出し、ひたすら求人検索エンジンやコーポレートサイトのリクルートページをチェックし片っ端から応募。エージェントにも6社ほど登録した。
現在の仕事は夜勤も多く、仕事が終わってからエージェントのヒアリングや面接のために6時間待機し、その後反省点をまとめる作業に1時間かかり、2時間の仮眠のあとシャワーと食事を済ませてまた出社…というような日が4日続いたり、1日置きに1週間という感じでこの3ヶ月を過ごした。
丸一日休みをとれても、不安でうまく眠れないしやらなければいけないことがいくらでもある状況下なので寝てはいけない。
そんなことは何の言い訳にもならないが、転職活動を始めてから現職の方でミスが増えてしまい、上司にも目をつけられるようになってしまった。
正直いうとここ最近半狂乱に近い状態で、病院の予約時間を1時間早く間違えたくらいで「自分はこの程度のスケジュール管理もまともにできないのか」と帰りの車中で泣き喚き散らしてしまうくらいで、何にしても冷静な判断がくだせるという自信が持てない。
内定までの経緯が少し変わっていて、内定をもらった会社をA社とするとそこと全く別のB社にもともと俺は応募していた。すると採用担当とは別のB社社員から個別に電話がかかってきてA社を紹介された。A社社長と数回電話面談を行ったあと直接会って内定が決まった。
サイトを見る限り俺にとってA社は魅力的ではある。学生時代から未練があった業種に携わっていて、そこに未経験から挑戦するとすれば今が俺にとってラストチャンスかもしれない。しかし選考時の豪快さが妙に気になって仕方がない。
そしてここにきて俺はフロントエンドやWebデザインのポートフォリオ作りに熱をあげている。
もともとHTMLやCSSやらはテキストサイト全盛期だった小4の頃から見様見真似で暇つぶしに書いていた。書いていたといってもレンタルサーバに手打ちしたファイルをあげたり、WordPressに自作のテーマを仕込んだりはてなブログのカスタマイズ機能にCSSやJavaScriptをちゃちゃっと加えてたぐらい、だが、そらである程度書けるぐらいの知識はあった。
イラレやフォトショも大学の課題制作で嫌になるくらい使った。というか卒業してからもフライヤー制作とかで使った。
これくらいのことなんて常識の範疇で、AT限定免許所有者くらい取るに足らないレベルなのはわかっている。しかし病んで人と会話できなくなったりパソコンがお釈迦になって何もできなくなったりとそんな風に何かが起こっても常に俺が関心を寄せていたのサイトやWebデザインだった。
もともと転職活動で当初志望していたのもデザイナーやフロントエンドだった。借金を完済したのを契機に念願のラップトップを買ったので今年の2月から意気揚々とポートフォリオ制作を始めていた。この時はまだかっこよくてかつしっかりしたサイトが作れさえすれば、どこか拾ってくれるんじゃないかと思っていた。いや、就職できるかどうかは二の次で、かっこいいサイトを作りたい、サイトをもっとちゃんと運用できるようになりたい、もっとフロントエンドの知識を深めたいというのが一番の動機だった。
コロナ禍で転職活動を方向転換してからは求人があるうちに動かなくてはという思いで、ひたすらお気持ちポエムみたいなPR文を募集先に送りつけた。手元に何もない俺にはそれしか出来ることがなくていつも情けない気持ちだった。そんな嫌な毎日の中でポートフォリオ作りに関することが俺の逃げ場になっていった。借りてるさくらサーバー、VirtualBox上のFreeBSD、CentOSを仕込んだラズパイ、稚拙な知識を黙示録として書き記した雑魚虫なQiita…こんなとこに俺の未来なんてあるはずもないのに、もはや使い捨ての傭兵のようにこきつわれるだけで死んでく分際なのがほとんど決まってる癖に。
コロナ禍はリーマンショックとも震災とも違った。業界業種で影響の度合いに差がありすぎるし、情勢の変わり方も激しい。いきなり悪くなったり劇的に改善したりする。じわじわと影響が露出してきて経済が回復するのも長期的だった従来の経済的混乱とは違い、病床数やワクチン開発などの医療の状況、緊急事態宣言等の社会情勢で一変する。その時が来れば一気にコロナ禍による経済不安はなくなる。現に緊急事態宣言のあの騒ぎは劇的に落ち着いてしまった。
そんな中でこれは未曾有の危機!20年代は暗黒の時代だ!とヒステリックになり、よくわからない企業に飛び込んでしまうのはかなりのギャンブルなのではないかと感じ始めている。その反面これが自分の宿命なのだと得体の知れない企業で怨念にずぶずぶ浸かりながら野垂れ死ぬことを受け入れなければならないんじゃないかとも思う。
考えがまとまらずとっ散らかった文章になってしまったが、俺は何がしたいんだろうか?何が一番ベターな選択になるのだろうか。
フロントエンドの知識なんて俺にはたいしてない。30年近く生きているにも関わらず。でもだからこそもっと知りたいし、知らないことが悔しいし、しょうもない雑念に囚われて何のスキルになるのかもわからない仕事で時間を消耗することを受け入れられない。どう気持ちに折り合いをつければいいのかわからない。