「パッチワーク」を含む日記 RSS

はてなキーワード: パッチワークとは

2023-03-25

anond:20230325090736

横だけど、、囲碁将棋AI棋譜データにない独自手打ってくること知らなかったり、お絵描きAIコーディングAI既存データパッチワーク以上の表現力がないと思ってるアホって、ブコメ見てても結構多いと思う

2023-02-26

篠房六郎の何が残念なのか

1 AI児童ポルノを生成したなら実在ポルノ学習しているはずだといいだす

1’ 「未だに」AIが生成する画像は全て元ネタありきのパッチワークだと思っている

2 そのはずなのに「AIは転ぶ絵を作れない」という話を始める

  ↓

2’ 「AI特定シチュエーションが苦手→ただパッチワークしているのだったら、特定ポーズ画像の上に別のテクスチャを貼るだけで終わるのにそうはならない→AIは要素を分解して貼り直しているだけではない?」という発想に至れない

3 「自分気持ち悪いと思ったので」を論拠にAI規制すべきだと言い出す

3’ 「貴方漫画気持ち悪いよ」で自分規制された時にどうするのかの発想がない

3’’ 「その時はこうしますよ」という発言が一切ないので本当に「他人を殴るとき自分にその拳が帰って来ないか想像しない人」であることが分かる

うーん……学習意欲がない。分析能力がない。客観的視点がない。そのうえで他人ガンガン攻撃する。駄目なタイプだな。人間として実に駄目だ。まあ漫画と作者は切り分けるべきなんだろうが、作中で変なお説教始まったときに「でもあの作者が書いてるんだよねこセリフ」と考えてしまうと一気に萎える。一生エログロナンセンスストーリーペラペラで突き進むならともかく、新作はどうもストーリー重視としての面もあるっぽいのでモヤモヤするね。あとこんな人がドヤ顔で書いた「ポージングとはなんぞや」みたいな本も「でも俺苦手な分野勉強する気ないからなー。叩けそうな所だけ探して叩くけど」という態度を見てしまうと、単なる自己満足連続ばかりだろうに参考になるのかなと思ってしまう。

残念だ。

歪んだ部分はあるが上手く伸ばせる可能性はあったのに。歪んでいる部分だけが肥大化していき良さを打ち消す形になったか

2023-02-18

anond:20230217235955

パッチワークキルト

手を動かせば動かすほどに、どんどんできてゆくしデザイン考えるの楽しいよ。

2022-10-11

AIは古塔つみを越えられない

よくできたパクリパッチワークを越えられない

2022-09-12

anond:20220912170521

格闘技とか球技とか手芸とか雑に言ってるけど

例えば手芸パッチワークビーズアクセづくりと染物なんかは醍醐味全然ちゃうから

1種類やっただけですべてやりつくした見たいな顔されてもね・・・

野球だってバッターメインでやるか外野手やるかピッチャーやるかキャッチャーやるかで

鍛える箇所や考える内容なんかも変わるわけで

体験スクール行った程度で訳知り顔されてもね

2022-07-15

anond:20220714223447

嘘臭くっていうかほとんどみんな嘘でしょ

話題になったことをググってきて付け焼き刃の知識パッチワークブクマ狙いしてるだけのネットオタク

よくボクシングでは相手を倒すのは強いパンチではなくタイミングと当て方っていうけど

あとでボロが出るような持論でもベストタイミングで出せばブクマを稼げる、そういう遊びをしてるだけに見える

2022-06-25

anond:20220625021307

同性婚に対する揺り戻しがくると、州によって同性婚を認める認めないが分かれるパッチワークになる可能性はある。本来他州が認めた婚姻否定できないんだけど、今の最高裁なら「同性婚伝統的な婚姻とは違うので、ある州が同性婚を認めていても(同性婚を認めていない)他の州はそれを認めなくてもいい」くらいはやりかねない。

2022-06-08

「おとわっか」のつまらなさの伝えた方が間違っていると思う

ティーダコンボ気持ち良すぎだろ!」が別に気持ちよくないことでゲラゲラ笑える人が「チンポ気持ち良すぎだろ!」で笑ったら中卒未満を認定してくるということについての違和感を語る気はない。

俺はもっと本質的なことを語りに来たんだ。

音MADそもそも99.99%面白くねえ

勘違いしないで欲しいが俺はMADは嫌いじゃない。

既存のパーツを切り貼りして新しいものを作るパッチワーククリエイティブ行為だと認識する感覚自体は持っている。

ただそれは元のイメージからギャップを生み出したり、繋ぎ合わせの巧妙さによって脳を酔わせたりするテクニックの効かせ方に対して感心を持てるというだけだ。

カオスラウンジのようにただアレやコレやを何も考えずに張り合わせたり、タブーを破ってチキンレースしかけることを面白いとするような、悪戯天才自称する幼稚園児のような代物はノーセンキュー

音だけで笑いを取る文化だって理解はあって、今も聴漫才を聞きながらコレを書いている。

だがどうにも音MADはな……全体としてただどっかで面白いと評価されたパーツをひたすら繰り返しているだけのような代物が多くてゲンナリする。

飲み会でいきなりやったPPAPがウケたからと調子に乗って10回ぐらい繰り返して周りをひたすら冷めさせるノーセンスオッサンの如きがね……。

ぶっちゃけ音MADを作りたいのなら「忙しい人向け」を作ってくれた方がよっぽど笑えることが多い。

おとめっどはつまらない方の音MAD

そもそも集合系や組曲系はつまんねえんだ。

紅白歌合戦年末のクッソダレた実家コタツの中での視聴にしか耐えられないのと同じだ。

結局は一体感を味わえればなんでもいい群れること最優先のキョロ充共によるワイワイガヤガヤに過ぎずそれは芸術点をゴミ箱シュートして雰囲気点だけで勝負する代物に成り下がるのである

成り下がるという言い方は一部の人にとっては大間違いで完全に成り上がりだと思うお友達人数至上主義者もいるのはわかる。

だが俺はそこに全く加点しない。

からニコニコ組曲もクソ長いだけのツギハギとしか思えないし、おとめっども同じだ。

あんなのは他人の作った「ボクの好きな曲アルバム」を聞かされているのと同じ苦痛時間しかねえ。

いや……他人自分意志一本で作ったものなら本棚を眺めて人格を判定する楽しみがあるんだろうが、集合系にはそれさえねえ。

マジで虚無だ。

おとわっかは究極の虚無だ

じゃあおとわっかはどうなのか?

アレにはもう何もない。

集合系ワイワイ動画のように身内から評価点を貰えることもできないし、ベースとなっているものものなので芸術点もない。

ただ無数にかき集めたわっか音MADパーツの見本市なのだが、そもそもそれ自体価値がない。

自分の集めたパーツの数を自慢するだけなんてのは、小学生の鉄オタが覚えた駅名をひたすら唱えているのと同じで「そうなんだ。すごいね」とお世辞を言ってやることしかできない。

そもそもワッカは単体で音MADを作れるほど面白くないし、本当に「ティーダのチンポきもちよすぎだろ」だけの一発屋に近いのにそのチンポを出し惜しみしたらもう何も残らない。

本当に虚無だ。

笑えるぐらいにつまらないわけだが、当然そんなものが実際に笑えるはずはなく真顔で「クソワロタカタカタカタ」と入力しているだけだ全くもって面白くない。

あれを楽しんでいた人達は結局のところはカオスラウンジと同じ人種修学旅行先に落書きをしたり現代アートをぶっ壊すクソガキ共と同じ脳の構造

世間でアウトとされていることをやることが面白いと考えている勘違い野郎共だ。

なにが勘違いかというと、タブーを破ることが面白いという発想は、単に普段まらん奴らがたまにタブーを破るとそのときだけは耳目を集められるのを「タブーを破ったときだけ承認欲求が満たされる」→「つまりタブーやぶりは受ける」と勘違いして脳が覚えるところから始まっていることだ。

マジでくだらん。

本当に面白人間タブー破りなんかで笑わねえから

つまんね奴ら同士で群がってご苦労さまですわ。

ワッカMAD面白さを支える最重要パーツ「素敵だね」を蔑ろにしてはいけない

正直ワッカネタ自体がここ最近はずーっと好きじゃない。

令和にもなって虹裏なんぞに居座ってる連中のドブのような悪臭が染み付いているのがまず駄目だし、ホモネタ淫夢文明崩壊した今となってはエンガチョすぎる。

だが当時それらのいくつかで笑っていた自分がいることを隠すつもりはない。

その時に俺は笑わせていたのは「素敵だね~」に染み込んだ感動的でストーリーに沿ったヘテロ恋愛イメージ冒涜的で原作ガン無視ホモで上書きすることで生じるギャップだ。

ワッカネタにおいて最重要のパーツはホモネタではなく「素敵だね」に対するギャップだと俺は思っている。

から俺はおとわっかを全く面白いと思えない。

あの動画は「素敵だね」によってギャップを生じる作用をワッカネタの核だと考えずにホモ煽り続ければいいと思っている節がある。

はぁ……わかってねえな……ワッカだけに……

2022-05-27

俺が最近はてなが嫌いな理由がまさにこれだ

ブコメは読んでも記事は読まないんだよ

そう。

はてなーはいつの間にかブコメだけを読んで記事を読まんくなった。

その結果何が起きたかはてなー観測範囲存在する情報が「ブコメで書ける文字数での要約」に限定されだした。

これぞ本当に終わりの始まりだ。

ニュー速民が3行以上よまなくなって何が起きたか知っているだろ?

いまやはてながやってるのはまとめサイトと変わらない。

本来ソースにあたらずお互いが都合よく改ざんした「要約」のみを信じて世界を見る。

驚異的な解像度の低さ、理解度の乏しさ。

それでよくひろゆきを笑えるものだ。

やってることはもうなにも変わらない。

下手をするとひろゆきの言ってることの方が詳しいぐらいだ。

思い込み偏見と雑な要約だけで世界を知った気になり語り続ける。

バブル大怪獣を見ないで「話題になっただけのクソ映画。客を舐めた作り。詐欺のような広告馬鹿馬鹿しくなるようなオチ。みたことはないがインターネットでそう聞いた。俺はバカじゃないからこんな映画に金は落とさない」と誰かの語った要約のパッチワークですべてを知った気になりそこから動こうともしない。

そんな態度で政治を語り技術を語り正義経済もなにもかもをだ。

馬鹿げている。

離乳食しか食べれない幼稚園児が一流のグルメを気取るような間抜けさ。

そこに自覚のない幼稚な万能感。

理解するだけの知能を手にもしないダニングクルーガー

そのくせ決め台詞だけコピーして「ちょっと知ってる」。

無理そうなときは「無知の知」。

無敵の二刀流

借り物の刃。

キツすぎてヤバイ

anond:20220527030608

2022-05-14

anond:20220513222738

さらセリフの退屈さを補うためか、妙なカメラアングルを多用するのだけど

妙な構図なだけにセリフに伴う演出も伝わりにくく

より退屈さを際立たせてしまっていると感じた

(この辺りはもしかしたら自分の分からないコンテクストがあるのかもしれない)

あれに関しては初期ウルトラシリーズにおいて

実相寺昭雄監督が多用した、いわゆる「実相寺アングル」。

変な角度から物体をなめながら撮るアーティスティック手法

ウルトラマンウルトラセブンを見た人なら「ああ、これこれ」ってなるやつ。

↓こんなん。

http://1.bp.blogspot.com/_gTCj9aUjewM/ST4BPkKWzFI/AAAAAAAABMU/tqwp3QIbFIU/s1600/%E7%84%A1%E9%A1%8C2.jpg

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/namerukarada/20211109/20211109223049.jpg

ちなみに俺は増田と同世代かつ特撮オタ(≒ウルトラオタ)だけど、ほぼ同じ感想だったね。あれは俺も諸手を挙げて喜べない。

平成ガメラ(特に1・2)やシン・ゴジラは「現実」部分が堅牢に出来てる分、荒唐無稽さを少しでも中和する為の理由付けとしてやむなく説明が多かった。

でも今回は相変わらず同レベル説明過多なのに、その説明無駄骨に終わる程の原理不明かつ荒唐無稽事象(主に外星人周り)が次々展開される。

しか登場人物達は感覚麻痺してるのか、一つ一つの事象にそこまで驚かない。だったらもうその長ったらしい説明全部要らんやんけ・・・ってなったね。

難しい公式書き並べて最終的に「変身直後に殴りつけろ」ってなんやねん。ヤシオリ作戦には確かに存在した「もっともらしい感」は何処へ、って感じ。

登場人物達も狡猾(と言ってもそこまで賢くないような...)な外星人の前に右往左往するだけの、単なる書き割り感が凄かったな。

そもそも田村班長にそこまでリーダーシップを感じなかったし、他のメンツシン・ゴジラメンバーの薄味版程度の存在感。

シン・ゴジラでは各々が得意なスキル性格方向性の差はあれど、一様に置かれた立場で最善を尽くそうと奮闘してた。

スポットが当てられて当時二次創作でも人気だった矢口赤坂さん、志村に泉、尾頭に安田あたりはもちろんのこと、

大河内総理里見臨時総理も、花森防衛大臣想定外大臣仕事ですからおじさんや片桐はいりおばちゃんに至るまでね。

それぞれ印象深い行動やセリフはせいぜい一つ二つなんだけど、みんな個性的キャラ方向性の重複もあまり無くて良い塩梅に配置されてた。

そもそもあの人物達のピースが少しでも欠けてたら、ヤシオリ作戦が結実してゴジラ凍結に至らなかった可能性が非常に高いしさ。

でも、今回の劇中の禍特対程度の活躍では、滝くんが言ったように「もうウルトラマンさえ要れば良いんじゃね?」感が最後までどうしても拭えなかった。

手錠や拘束具外して脱出したり、メフィラスの特殊器具を探し当てて奪取や破壊するなんて、天下のウルトラマンに掛かれば朝飯前にも思えるし。

ベータカプセルが無いと全く丸腰の人間になるのは原典準拠なんだけど、他の外星人は人間体でも荒唐無稽能力を発揮してた分、幾分説得力に欠ける。

ま、禍特対もウルトラマン出現以前には数多の怪獣を倒してるっぽいけど、冒頭に文面と止め絵で一瞬のうちに説明されるだけで実績があまり掴めない。

あと、庵野原典に対する愛が深い故に様々な原典要素と独自解釈を詰め込みすぎたせいで、未整理でとっ散らかったままに

なってしまってる印象を受けた。ウルトラマンの一話完結の独立した4話分(約30分*4=120分)のエピソードを無理矢理引っ付けただけみたいな脈絡の無い感じがする。

過去作のパッチワーク自家製の癖の強いドレッシングぶっかけて「どうだ!これが俺の創作料理だ!」と言い張ってる感じ。

出来上がるまでの過程は全く異なるんだけど、俺は賛否両論を呼んだ「ゴジラ FINAL WARS」を思い出したね。

「うわ!マトリックス!」「ドン・フライ!」「ヘドラエビラにX星人!」「こいつ結局ギドラかよ!」「ゴジラサッカー昭和かよ!」みたいなね。

要素・独自解釈山盛り、観てる間は確かに退屈せんかったけど、映画としては欠陥だらけで正直なところ佳作と言えるかも相当怪しいラインだと思う。

2022-04-02

ロシア人プーチンを指示しているのを見て

IQが80あれば

「ははぁ~~んこれが歴史教科書に乗っていた言論弾圧というやつだな」

と気づける。

だがそれにも至らぬもの

「ぷぎゃっぎゃっぎゃwwww露助マジであたまわっるwwwwww国民全員白痴wwwww」

と笑うのだ。

まあ俺は障害者に優しいかはてなー白痴知的障害ばかりだとしても馬鹿にはしないお。

君たちは立派だ。

そんなにも頭が悪いのに必死他人言葉オウムみたいにパッチワークしてなんとか人間社会に溶け込もうとしている。

素晴らしい努力家たちだ。

2022-02-25

anond:20200311213607

大学電通の元偉い人から広告論の講義を受けたことがある。面白かった。様々なこだわりを持って、マーケターとクリエイティブが組んで製作しているというのがわかった。別に、そういう広告は今後もなくならないとも思う。

ただ、大抵の一般人にとってテレビCMとは観たい番組邪魔をする「理屈はわかるけどない方が嬉しいゴミ」であったし、雑誌広告は「なんだかよくわからない胡散臭いもの」で、WEB広告は「うっかり踏むと別に使いもしないサイトに飛ばされる邪魔リンク」だった。つまり、全部ゴミだ。そりゃ中には綺麗なゴミもあるかもしれない。ゴミ捨て場に転がってるビー玉みたいな。でも、ゴミゴミだ。ゴミを拾ってパッチワークを作ったり、廃材アートを作る人がいても、ゴミなのは変わらない。

そういう意味で、そもそもクリエイティブ』であろうとする古い広告業界と、『営業』であろうとするWEB広告業界は別物なんだろう。いや、WEB広告世界にも面白広告はある。思わず見てしまうようなものとか。Adblockをわざわざ止めて探したりする。でも彼らは根本的には『営業マン』であり、『営業マン』が数字に命を賭けるのは当然だ。正直、そっちの方が潔いし、顧客に対しても親切だとも思う。

そもそもアートがやりたい、見たいのなら立場相手アーティストであるべきなのではないだろうか? 日本看板だらけで街並みが汚いという言葉がある。つまりこれも広告だし、「広告が沢山ある」ことを賛美する話なんて聞いたこともない。廃材アート的な文脈でなら、ともかく。

……自分はこんなに広告を憎んでいたのだろうか? 実のところ、確かにWebマーケ業界については就活の際に覗いて、「これを仕事にするのは大変だな」と思った記憶はあるのだが。ただまぁ、それは数字を追いかけることが苦手だったからでもある気がする。

つまるところ。アートをやるならやるで、やはり数字は大切という話なのではないか

PR企業電通にコンペで勝っている会社もある。ベクトルという、アイデア重視で非常に『バズらせる』のが上手い会社だ。アーティスティックだし、興味深く、面白い。大金を積んで豪快なPRをするだけではない魅力がある。

あれこそ現代の、新世代の広告ではないか。素晴らしかった。

古い広告が新しい広告一面的嫌悪するだけに留まるなら、それは当然、消え去るべきものだったということなのだろう。

2022-02-13

第三インターナショナル記念塔を見るとなぜかクレヨンしんちゃん連想した

まぼろしの奇想建築』という本を読んだ

実際に建築はされなかった奇妙な建物を絵や写真、図案を大目に載せて紹介する図鑑みたいな本だった

その中で第三インターナショナル記念塔を知った

世界各地の共産主義革命のための象徴としてウラジミール・タトリン設計したキテレツな見た目の塔だ

70度くらいの角度で空へと伸びる1本しかない橋げたに、上空に行くにつれ円周を小さくなるように螺旋を纏わせたような恰好をしている

東京タワーの様に支柱はむき出しなので、一言で言うとタケノコ骨格標本とか、循環しないジェットコースターみたいに感じた

そして何より、なんか見たことある感じ、いわゆるデジャビュを覚えた

クレヨンしんちゃん映画でこんなんなかったっけ

アクション仮面VSハイレグ魔王で野原一家が出かけた海岸にこんなものがあったようなと思い、先ほどNETFLIX確認したがそのような建物存在しなかった

ハイレグ魔王を模した塔は劇中登場するが、それはハイレグ魔王の像を巨大化したような見た目で、第三インターナショナル記念塔とは全く似ていない

念のため、ヘンダーランドと暗黒タマタマもシーンをスクロールして似た建物がないか確認したがそんな建物は見つからなかった

おそらく、クレヨンしんちゃん映画には悪の組織が潜む巨大建造物が登場しがちで、ヘンダーランドのババ抜きでの攻防やオトナ帝国のタワーのらせん階段を駆け上るシーンのように、建物の形状や構造が印象として強く残る場面もある

そんな映画を幼少期に見ていたため、キテレツな巨大建造物クレヨンしんちゃん感を覚えているのだろう

数年前、海に浮かぶジェットコースター廃墟カジノピア)の写真を初めて見たときも、ハイレグ魔王海岸シーンを思い浮かべたことを覚えている

野原一家渋滞を抜け出し、道なき道を走り、視界が開けた瞬間に誰もいない砂浜とその上に立つアクション仮面の巨大な塔、そしてパッチワークのように重なり揺れる怪しげなサーカステント

そこで野原一家は時空を超えるというアトラクションに乗り込むことになる

先ほど見たら、それはARアトラクションのような球形の全面スクリーンに囲まれ乗り物で、錆びた骨型のジェットコースターでも何でもなかった

Aを見たときも、Bを見たときも同じCのような感傷を覚える、Dという自分

浅はかで歪曲していて、透き通っているとは言い難い濁った自分というレンズ自覚

人間は誰しも同じものを見ても違う感想を得るものなのだよと語るとき多様性を頭に浮かべるために無言で無視する自分視点

共感性によりかかって、ありふれた価値観の見せあいっこのなれ合いでいいねを稼ぐクソ文化蔑視しながら、誰かが描く共感性のスケールの中にしかまらない自分への自覚

何を見ても、自分体験を通してしか語れない人間のナルシズムのグロテスクさを自分の中に見たときのおぞましさ

どうせ色眼鏡をかけるなら、間抜けデザインで、あきれさせるような色をしていて、達観した拡張性を持ち合わせた一点物がいいわという欲張りな自己愛

第三インターナショナル記念塔を見て思ったことを考えながらもんもんとして、最終的にオラは野原しんのすけになりたかったのだろうかと思った

2022-02-08

[] そのにひゃくに

キルトーッス

 

人生を真っ直ぐ歩めている人って本当にいるのでしょうか

山あり谷ありという奴が標準のものなのでしょうね

昨日まで続くと思われていた関係が実は嘘っぱちで、明日から一人ぼっちで頑張ってくださいなんてのはよくあることのようです。

まぁ、そんな本当に繋がってんのか解けてんのかわからない関係性を紡ぎ上げて、いつのまにか人生という大きな布が出来上がるんじゃねえのかって中島みゆきちゃんヨモギダさんも言ってたような気がします。

今日針供養の日で、裁縫の上達を願う日だからとツギハギのパッチワーク生地のことを思い出していたらヨモギダさんが鍼灸師をしているという部分にまで辿り着いてしまいました。

いやぁ、山あり谷ありですねぇ。

 

ということで本日は【道具の点検いか】でいきたいと思います

道具の点検いか!道具の点検ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-01-09

タコピー原罪宇宙人リアリティについて

めちゃくちゃ流行ってるので早速読みました「タコピー原罪

未読の方向けにストーリー簡単説明すると、いじめ虐待などの被害にあっている少女の元に、「ドラえもん」的なひみつ道具を持つ謎の宇宙人タコピー」がやってきて、少女境遇を変えようと奮闘する──というもの

ただしこの作品ひとつだけ欠点があります。それは作中で描写される「宇宙人」の描写に全くリアリティがないことです。

なんというか、「そこそこ」はリアルなんですよ。ネットニュース等で報じられる宇宙人目撃情報キーワードはしっかり勉強しているというか。

しかし全体的な整合性が致命的に欠けており、ある程度実情に詳しい人が読めば首を傾げたくなるシーンが3ページに1回くらいの頻度で出てきます。これを「タコピー鬼つええ!」と評していた方がいましたが、秀逸な表現だと思います。なまじっかリアリティを重視した結果、かえって違和感が膨らんでしまっている。

タコピー境遇

"よねんせい"という種類の"にんげん"しずかちゃんと遭遇し運命が大きく変わってしまった不遇なる宇宙人ことタコピー。本作の主人公であり、最も悲惨境遇にあるハッピー星人です。

タコピー境遇を列挙すると、なかなかにハードです。



…などなど。タコピーは第四話のラストで"にんげん"をハッピーするわけですが、まぁそうなっても仕方ないよねと思わせるようなラインナップです。

ただ、残念ながら「ありがち」な要素を詰め込んだ結果として、全体の整合性が全く取れなくなっちゃってるんですよね。ハッピー星は(遠い星系にあるハッピー星までひとっ飛びの)ハッピー船の描写もありますから、決して技術水準が低いとは思われません。"にんげん"ごとき捕獲するのは不可能でしょう。作中にはハッピーカメラもあり、危害など加えようものなら即座にハッピーされそうです。

さらスペースシャトル大気圏突入するときの底面部分の温度は1000℃程度ですが、機首先端部の最高温度は1600℃以上にはなると言われていますまりちゃんの平手打ちにすら痛みと恐怖を感じるのにタコピーが生身で大気圏突入するのはかなり不自然描写と言わざるを得ません。(三枚とは言え)大気圏内まで降りてこないハッピー船に翼がついているのも違和感しかない。

宇宙人描写もかなり不自然で、タコピーは全身足だらけ、目が点にタコ口で丸くてコロコロ…という悲惨ビジュアルなのですが、今どきこんな「わかりやすい」宇宙人描写ってあり得ないんですよね。

宇宙人の怖さ・悲惨さというのは技術から隔絶された未開星が秘密裏支配され続けることにあるわけで、星系間航行可能技術レベルともなればこんな「わかりやすい」形で現れる宇宙人存在しません。

なんというか、タコピーの苦境のほとんどは「わかりやすい」宇宙人未来技術タコ火星人記号パッチワークで作られているんですよね。その結果それぞれの要素が他の要素と相互矛盾を起こし、ほとんどあり得ない境遇が生まれしまっています

以下は購読者に向けた余談として、筆者が「この宇宙人描写はすごいな」と圧倒的リアリティを感じたいくつかの作品お話をさせて頂こうと思います

この続きをみるには有料増田会員になる必要があります

2021-11-30

「つまらなくて」「コミュ障だって認めたくなかった

もう逃げ切れねえな。

「お前滑ってるよ」という目を向けられてきた

必死に笑いを取ろうとして失敗した。

痛いやつだと笑われることはいくらでもあった。

センスのいいことを言おうとして失敗し続けた。

頭がいいと思われたくて必死になりすぎた。

必死言葉を紡ごうとする癖がつきすぎてもう何も喋れねえ。

サクラ大戦やったことある人にしかからねと思んだけど ←ほらこういうのがもう駄目

あのゲームって選択肢がいくつか出てくる間画面のふちに導火線が走って残り時間が表示されるのよ。

それで時間切れになると強制的にバッドコミュニケーションになるの。 ←ほらこういうのアイマスやったことねーと分からねえのに注釈もねえ

俺の頭の中はいつもそんな感じで必死面白い選択肢選ぼうとした結果いつも爆弾が爆発するの。

じゃあ適当安全そうなの選べよってなるけど「はい」「わかります」「ありがとうございます」とかなの。

マジやべーほど語彙力が存在しない表現しかできねえ。

ソレ以外は必死面白いこと言おうとして地雷原になってるの。

でも時間切れで爆発すると最悪なので必死に「はい」「そうですね」で切り返すの。

マジつまんねーなって俺も思う。

「何言ってるのかわからない」って言われてきた

逆に俺からすると他の人が言ってることも別に完璧じゃねえんだよ。

マックって美味すぎるよね」

みたいなお題が突然来るとするじゃん?

まあ俺はそこで「値段の割には?」「値段関係なくジャンクフードとして絶対的に?」「他のバーガー比較して?」「そもそもハンバーガー類を総称してマック代名詞として使った?」「これは食べに行こうって話か?」「いや、実はマッキントッシュの話?」「マクドナルドが濡れ手に粟で稼いでてズルいって話?」「買ってこいのパターン?」「何かの前フリ?」「世界一売れているからって話に繋がる?」「ただの雑談?」「そもそも何と比較して?」「単に同意すればいい?」「同意した途端にやっぱコイツ馬鹿じゃんって返す気?」「いや、それとも他の人を舌馬鹿と煽るためにこっちの同意を利用しようとしている?」「つまり不味いというのが正解?」「はい」「わかりません」って無数の選択肢が見えてもう何も分からなくなって「はい」っていうんだよ。

それをコミュ障って言われるんだよね。

でもさ、そもそも話の流れがわからなすぎるんだよね。

でも「話の流れがわからねえ」って返すとそれはそれでコミュ障なんだよね。

もうさ、分からねえよ。

「俺の脳内超能力で読めないお前が悪い」って言われてるのと変わらねえから

そういうのが本当に悔しくてさ、違うよお前が表現力ない分を他のやつが必死に補ってくれてただけだろうがよ他人に甘えてる自覚がないお前がゴミなんだよ、って、怖いからソイツらには言えなくてさ。

でも段々と不安になってくんだよ。

俺が間違ってんじゃねえかって。

なんか文章書いてめっちゃ伸びたり作家になれたらこの気持が晴れるって

でも無理だったよ。

俺は小説家になろうでまともに伸びずにぼろぼろになって終わってアカウントも消した。

ついでに増田も全く伸びねえから全部消した。

今は作り直した垢で最後一言愚痴って全部止めようとこれ書いてる。

言語コミュニケーションとか言語コミュニケーションとか俺にはよく分からねえ。

でもなんとなく、言語コミュニケーション限定すれば俺も勝てるんだって心の神棚に飾って毎日祈ってたんだ。

でも違ったんだ。

やっぱ俺駄目だったんだよ。

それを認めねえと前に進めねえって気づいたんだ。

俺は駄目なんだ。

コミュ障なんだな。

畜生コミュニケーション取りたくねえよ。

どうしたらコミュニケーション取れずに生きられるのかっていつからかずっと妄想してる。

たとえばマトリックスみたいな世界になったらさ、仮想空間の町の中で何度も餓死しながらコミュニケーションから逃げても死なないからまあ大丈夫じゃん。

そこまで行かずともベーシックインカムとか生活保護みたいのでいけるかなって妄想もしたけど、駄目だったよ。

だって窓口で申請しようとしたらそこにコミュニケーションが産まれるだろ?

でも機械的なら大丈夫な気もするんだよな。

全部が自販機を押すようにアマゾン発注するように完結するならイケルんじゃないかって。

でもそういう世界にはなってねえだろ。

そもそも全部妄想なんだよ。

でもどうにかならねえのかな。

生きていくこととコミュニケーションの結びつきが強すぎるんだよ人類は。

そもそもこの世界動物コミュニケーションしすぎなんだよ。

そもそも親に育てられてるやつ多すぎだよ。

植物は、なんなんだろうな。

でもアイツら本当にコミュニケーションしてねえのか確信が持てねえんだよな。

結局アイツラの身体にも電気信号は流れているわけで、それで交信とかしてるとしたらやっぱ駄目じゃねえか。

いやそもそも植物の話なんてどうでもいいんだよ。

俺はコミュニケーションしたくねえんだよ。

いや、したくねえわけじゃねえんだ。

一方通行勝手に終わって欲しいんだよ。

相互通信したくねえんだ。

ミットにめがけず投げあったボール勝手に拾って勝手に投げ合うだけの世界でいいんだ。

全てがボトルメールみたいに誰あてかも曖昧なままで終わって欲しいんだよ。

やっぱつまんねえな俺の文章

読み返したわ

実は今まで小説とか描いても怖くて読み返してねえんだわ

いやー読むと分かる

これは駄目だ

文章の書き方に型がねえな

型破りってわけでもねえし天衣無縫でもない

継ぎ接ぎだ

適当に落ちてた物でのパッチワーク

よく小説修行で好きな作家の書き方を真似してやってみろっていうが

アレはつまる所その作家の型を真似て書くことで「型にそって書く」という感覚のものを身につけるために合ったんだな

真似ることの最終目的は「自分イメージする理想自分」を演じられるようになることで、その準備としてまずは既にイメージの固まった作風を真似して演じるという概念を筆で理解するってことか

分かってきた

分かってきた折れた筆を取り直すのもダルい

つうか好きな作家とか居ねえよ

だって俺が好きになる作家ってつまりは俺が描きたいことを俺よりうまく描けてるってことだしつまりは目の上のたんこぶだろ

俺は最強に成りてえんだ

さっき諦めと言って何いってんだって話なんだが俺としてはやっぱ作家かになりたいのは俺が最強であることを証明して俺は最強だから絶対コミュ障じゃねえって俺の中に植え付けられた最悪の敗北感を屈服させることなんだよ

でもあれか

練習のために少しの間頭を下げて従ってやる程度の感じでいいか

いつか殺すつもりの拳法家に弟子入する感じか?

まあ俺の場合逆恨みから完全に悪役だがな

マジ?俺悪役なの?

いやそうなのかも

いやそもそも悪役とかそういうのですらないんだろうな

なんでもないんだ

マジで無なんだな

その上でコミュ障なんだ

畜生

まれてきたのが間違いだな

俺さ、「生きててよかった」みたいなのが大嫌いなんだよ

だって「生きててよかった」ってのは「死んでたほうが良かったか」って疑問を掘り起こすじゃん

生きててよかったと死んでりゃよかったでポイントを比べ合おうと頭が動き出すじゃん

すると今までに感じてきた死んでりゃよかったが次々思い出されるだろ?

それどころか他人迷惑になるから死んでたほうが良かったのかとか振り返らされるじゃん

なんで「超気持ちいいーーーーー」とか「死にたくねえ!だってゲームやりてえええ!!!」とかで終われるものをさ

いちいち「生きててよかった」なんて言い方にするんだ

マジで気持ち悪い

こういうことに無頓着想像の翼が生まれつきへし折れて出てきたカスどもに「お前、コミュ障」とか「つまんない」って言われるのマジで許せねえんだよ

やっぱ屈服させてえよ

「お前、マジで面白いコミュ力すごいっす。僕が間違ってました。そんなことも思いつかないほどにカスでした。無知の知の逆ですね。言い方は知りません。バカから」って言わせてえよな!!!

言わせてえよな!!!

言わせたかった………

本当に悔しい……

2021-08-08

anond:20210808222341

かいことはいいんだよ

普通に人前に出しても恥ずかしくないクオリティで表に出せたことが重要

未完成パッチワークを提出してしまった日本閉会式と比べたら月とスッポン

2021-08-07

ヒロアカの3作目の映画をみた雑多な感想

まず注意いただきたい。

以上気をつけて欲しい。

私は厳しい言葉を使ったりしてしまうと思う。

そもそも推考をしていないただのゲロなので気分が悪くなったらそっとタブを閉じて欲しい。そこら辺は自衛してくれ。

はじめに

私はこの匿名を書いた人物と同一だ。

ヒロアカの2作目の映画をみた雑多な感想: https://anond.hatelabo.jp/20191221053748

正直に言おう、ブルーレイは買わなかった。

どうしても公式との解釈の違いや、ドラゴンボールのような戦闘が多すぎる映画が苦手だった。

だがあえて言おう、3作目である今作もドラゴンボールであったと!

しかし、2作目よりアニメが進んだためか戦闘の幅が広がり、見ていて飽きがこなかった。

そもそもボンズアニメファンである私には今作が刺さりすぎた。ボンズ愛してる。

戦闘シーンにハガレンを見ていた時の高揚はもちろん、登場人物の痛みも感じるような鬼気迫るものがあった。

そもそも血みどろになっていたが、これPGついてない?もしかしてRいった?)とまで思ったほど私たちが大好きなボンズだった。

ボンズアニメに何を求めるのか。

想像を絶するカメラワークでさまざまな画角から描かれる、多種多様エフェクト戦闘と、血みどろで、ダークな演出

これらが、今作の映画 僕のヒーローアカデミア ワールドヒーローズミッションにはあった。

ありました。確かにそこに、ボンズがいました。ありがとうボンズ

特にフレクト戦のデクやレヴィアタン戦の轟やサーベンターズ戦の爆豪から、我々視聴者は余すことなく吸収できた。

本当に、ありがとうボンズ


ヒロアカ知らない人にも見て欲しい、今作。どうやってお勧めするべきか悩んでいるところです。ありがとうございます



アメコミリスペクトのヒロアカ

原作者である堀越耕平先生がどこかで発言されていた(ような気がする)日本アメコミを作りたい、が本映画に詰め込まれていた気がする。

潜入ミッションで今作オリジナル衣装のデク、ショート、爆豪が戦闘したのちのOPではDCコミックスジャスティスリーグアニメーションを感じた。

私は生粋DCファンであり、DCアニメを見て育ったので、そのシーンが流れた瞬間心の高鳴りが隣の座席の人に聞こえるのでは、うるさいと怒られるのではないだろうかと怒られてしまった。

とにかく、あのOP演出と一枚絵には人を魅了する”なにか”があった。間違いない。劇場でもう一度見たい。


ロディソウルというオリジナルキャラCV吉沢亮

まずはじめにこれについては語っておかなければならない。ありがとう吉沢亮あなたの声質と演技は、神に祝福されて生まれてきた。ロディというキャラに本当の意味で命を吹き込んだ。

偏見だが、俳優がやる声優は大体はずれだと思ってしまう。しかし、今回に至っては全ての演技がハマっていた。

さて、声優の話はそこそこにこのキャラクターの重要性について話したい。

まず、ロディスラム出身であることが私の中で非常に評価が高かった。その出自に関しては裕福な家庭であった(大きな屋敷で遊んでいた描写から推測)にもかかわらず、ヒューマライズ父親さらわれた差別によりスラムまで追い込まれ正規の職にありつけず、幼い兄弟には明かせない盗んだ宝石の運び屋などの犯罪で食いつなぐしかない1少年出会たことが、どれだけ私の心を惹きつけたか

ヒロアカスポットライトが当たる人物基本的に生まれた瞬間から光り輝いており(轟は出自こそあれだが、能力は恵まれている部類に入るため光属性と私は考える)、橋の下の子スラムなどの被差別部族)には縁がないと思っていた。

しかし今作では、ロディが「ヒーローは俺らの住んでるところまでは来ない。金にならないからな」と発言した(うろ覚え)。これは私の解釈と一致し、胸が締め付けられた。ヒーローは金にしか興味ないのかと思っていた、とも言っていた。もう私の胸は張り裂けそうだった。

幼い兄弟二人とともに少年である自分がどうやって食いつなぐのか、相当に頭を悩ませたに違いない。

このロディ存在こそが私がボンズファンたる由縁一つだと確信し、あの洞窟ロディ個性を打ち明けるシーンで”推し”確定となった瞬間だった。


余談だが、デクが胸に矢を射られたあと、しばらくして国境越え間近のシーンを見たらツナギの胸部分がパッチワークで別の布が縫い付けてあった。この瞬間「あ、これロディが縫ったな」と思ったのは私だけではないだろう。

そもそもロディの服がぼろぼろ下手くそパッチワークだらけな服であったことは登場した瞬間誰もが気づいたであろう。その後デクの服がパッチワークされていたら、間違いなくロディがやったな!と、皆が思うわけだ。旅のシーンで心打ち解けるシーンも、音楽がなりながらであるがしっかり描写され、観客は「一夏の思い出か・・」と思ったりするわけだ。こんなキャラ、だれが嫌いになるのだ?

そもそもインターン開始が冬であったが、時系列ではインターン後期とのことで・・とはいえ真冬に開催されたインターンからオセオンに渡ったとしても北半球から冬のはずなのだが・・?と思ったのは私だけではないはず。まあ夏の映画から夏にしたい製作陣の気持ちは大いにわかる。私も大人だ)


全然関係ないが、事前情報ゼロ劇場に足を運ぶのが趣味の私にはピノ林原めぐみだった時の嬉しさと言ったら・・。一緒に観に行った人と見合あったほどだった。


戦闘シーン

「今回もドラゴンボールか・・、どうせ気持ちとかそういうもので乗り越えるんだろう?」と思ったあなたある意味正解です。でも、戦闘アニメーションはそれを超えてきました。ボンズ様、本当にありがとうございました

あなたが作ったアニメーションで、本当に飽きないし、どうしてその強さだったのかなどがきちんと説明され、負けそうな戦いでもボロボロになりながら最後には勝ったヒーローたちが、きちんとそこにデクや爆豪、轟たちが生きていました


すべての戦闘ごとに、どうやったら勝てるか、どうやったら被害を最小限にするか、どうやったら相手をkoろせるか。全ての思考がそこにあったようの思います

そして、きちんと映画として成立するように、全ての戦争で新しい画角や技や、見せ場があって視聴者が飽きない工夫がありました。

ありがとうドラゴンボール風であってもこんな感じであるなら本当に、本当に、何度でも劇場に足を運びますありがとうブルーレイも買うね。

とはいえ、フレクト戦ラストのデクのユナイテッド ステイツ オブ スマッシュ演出については吹き出さずに入られないほどの演出があり、ゲームを見ているかのような最強の技であることが思いっき表現されており、デクの腕が心配になったが、ラストを見て無事でよかったよ。


アメコミリスペクトについて

OPジャスティスリーグみについてはもう語ったが、デクの黒鞭で警察から逃げるシーンについてもスパイダーマンのファー・フロムフォームみについても感じただろう。他にも脚本を進めるためのイベント戦闘ギャグとの"比率"についてもアメコミリスペクトを感じざるを得ない。ブルーレイがでたら正確に比率を出したいが、これも先頭に重きを置きつつ、話の店舗アメコミのものであり、アメコミ育ちの私には大変見易かった。

2作目から比べると戦闘シーンは遥かに上がった。戦闘テンポアメコミだったのか本当によかった。強いていうのならラストのフレクトの"反射"の限界を超えてプルスウルトラを叫ぶシーンは予想がついていただろうが、そこが少しくどい感じはあった。でもそれも含めて少年ジャンプみを感じ、心地よく受け取ったのが今作だった。

心の中で一緒に「プルス、ウルトラ!!」と叫んだのは、私だけではないはずだ。


各地に散らばった同級生ヒーローたち 

一つ、気がかりなのが「ヒロアカ学徒動員しすぎじゃないか?」である。ヒーロ業界限界が過ぎない?私、不安だよ・・。

学徒動員って戦時中であってもかなり逼迫した状況であり、ましてやそれを海外派遣するなど、言語道断・・!と思うのである。どうして今回も海外までいかせたのかはちょっと想像に難しいが、そもそもから夏になっているのも謎である

すまない、話がずれたが、各地に学生派遣したはいいが、最前線で戦い過ぎなのだ。30巻あたりで死柄木弔と遣り合うあたりであっても学生は後方部隊だったはずだ。大丈夫か、世界映画舞台もっと逼迫しているのか!世界!頑張ってくれ!!

シンガポールマーライオンヒーローエジプト壁画っぽいヒーロー映画1作目で登場したヒーロー再登場は最高だったせ!ありがとう


それはそれで、各地の同級生ヒーローたちがピンチの際に、お茶子「デクくん・・!」や霧島の「爆豪・・!」はクるものがあったぜ。同級生は体が離れても、心は一緒なんだな・・。ありがとう公式ありがとうボンズ


ほか雑多な箇条書き感想


まとめ

みんな、今作は2回は劇場行こうな!!!!!!ブルーレイも買ってくれ!!!

2021-07-25

オリンピック開会式批判してるそこのお前

オリンピック開会式批判派の方、7年間準備して165億円使ってあんなしょぼい出来で、全体の流れやテーマ意味が分からない。

なんでタップダンス?なんか俳優とか芸人もいるけど?なんでイマジン?なんでボレロ過去最低の演出だった。

ホロコーストを題材にした笑いでユダヤ人大量殺害ごっこをしようと言った小林賢太郎じゃなくて元のMIKIKO椎名林檎が良かった。と言っている皆さんへ

私はどうしても思っている、言い切りたいことがあったので、つらつらと駄文を吐き捨てていきます

まず、開会式で165億円を使い切った訳ではありません。

オリンピックパラリンピック閉会式合わせて165億円(うち延期だけで使った費用35億円)ですよね?私が今まで見てきたニュースではそうなっていたのですが、どうでしょうか。

開始早々のタップダンスについて。

江戸消防記念会の方が歌を披露真矢みき棟梁となり、五輪を完成させた一連の流れです。

で、江戸消防記念会は小池百合子知事とつながりがあるそうですね。

江戸消防記念会をうまく輝かせないといけないためにどうしたらいいでしょうか。

大きな動きのあるダンスが良いですが動きを持たせるためには大人数が必要になりフォーメンションを組んだダンスも欲しいですね。

また音楽必要になります大勢の大太鼓なども相性がよさそうですね。

ただどうしましょう…音に踊りそんな人数コロナお金関係で呼べません。

では歌わせるだけ歌わせときますか?そうもいきませんよね。そこで音と踊りを掛け合わせたタップダンスです。

組み立てていくというストーリーにも音による視聴者へのわくわく感も出すことができます

団体でのダンス練習も少なくて済むのでコロナの中ではかなり優れたダンスだと思います

ただMIKIKOがいなくなった今、多くのダンサーが一緒に去ってしまいました。

これから新しく人を呼ぶにも誰も来てくれませんし練習時間もないのである程度タップダンス経験がある人が欲しい、

そこで小林賢太郎必死自分ひとつ交渉演者をあつめたんじゃないでしょうか。

私の妄想ですが、そうしてあのシーンができたのだと思います

イマジンにつて。

あの映像ものすごく見覚えがあるんですが…本当にこの時のためだけに作られたのでしょうか。

もともとは、KIMONOプロジェクトが本当は入る予定だったシーンですね。

残念ながらコロナのための延期の中、代表が変わり保存されていた会社お金がない状況になり、着物は貸し出せないとなったため着物自体映像も流すことができませんでした。

小林賢太郎はどちらにもかかわりがないため、どうすることもできませんでした。

ボレロについて。

本来音楽担当されていた小山田圭吾がほかの曲を入れる予定を立てていたのではないでしょうか。

ラーメンズバッハボレロの~という話は絶対デマです。小林賢太郎内輪ネタしません。ラーメンズファン勝手に言っているだけです。

ファンファン同士で身内ネタをしているだけなのに、なぜそこに小林賢太郎駄洒落をしたファンサービスを最後に持ってくる人間だというんでしょうか、意味が分かりません。

2020年12月に前チームが解散2021年3月佐々木宏も辞任。

さぁ、7年前から準備してたってなんの話?2021年3月ですべて白紙、全てやり直しです。もちろん資金は増えません6年半の間に一体何十億使われたのか、想像もできません。

小林賢太郎はいろんな偉い人たちにちぐはぐにこれをここに入れろあれをああしろ子供をだせ着物はなしだと言われ続けたであろうなか世界に楽しんでもらえる演出必死にやってきました。

前チームが言っていたように最後2020東京を映し出せるように敬意を払ってまとめ上げました。あとはリハーサルを重ねるだけのところまで持っていきました。

そうした中、音楽が使えなくなり、その調整に追われたのち、解任です。

ホロコーストを題材にした笑いでユダヤ人大量殺害ごっこをしようと言ったそうですね。

ネタは見ましたか?あれはVHSしか販売のない彼がアルバイトをまだしていた時代の貴重なネタですが皆さんは一体どうやってみたんでしょうね。

結論を言うとニュースはかなり味付けがされています

不適切ではあったのは絶対として、ネタ概要を言うと、当時NHKで放映されていたゴン太くんとのっぽさんが出てくる子供向け番組コメディーとして利用して、

できるかな」というのを背景に通常やってはいけないことを並べ、最終的に『ユダヤ人虐殺ごっこで使ったあれをつかおう』というセリフとして出てきます

それも絶対にやってはいけない(できてはいけない、できるかなじゃねーよ)というもの代表例として出されたもので、とださんにあれめちゃくちゃ怒られたよねといって締められます

けっしてLet’s play!というノリではないんです。でも海外にはもうそのように報道されてしまいました。20年以上前の話で、彼はこんなこと指摘されるよりずっと前に誰も傷つけない笑いを追求して結果クリエイターになっていたにもかかわらずです。

そう変わってからネタYouTubeで公開されておりそこでの収益はすべて寄付へとあてられているとも知らずに。

彼は、決められた箱で決められたルールの中最大限の力を発揮する天才です。

本来演出とはそぐわないお達し、すでに使い果たされた資金、使えなくなった版権もの、使えなくなった音楽、出演されなくなった演者たち、それに伴い裏方の人々がごっそりと抜けた中、

個人が持っているコネクションから演者お願いし、ちぐはぐの上からのお達しをパッチワークして、なんとか見せられるものにした時点で私はすごいとしか言えなかったです。

断ってもよかったのにと思いますがこれを断った後個人活動されている彼を守るものが何もないので、しっかりと仕事を果たされたのだと思います

その上で実際の発言に少しのスパイスを加えられた報道クレジットを消されたなんて、言葉が出ません。そうして最低の演出だったと言われてもこれから彼が何か発言することも許されないでしょう。

何よりも残念なのは、彼の演出は最低だったと言っているクリエイターがいることです。

明日は我が身だと思った方がいいと思います。実感されていると思いますが、この国はクリエイターを大切にする国ではないです。今回クリエイターを殺す国だというのが分からないんでしょうか。

どんなに頑張ってクライアントのいうことを聞きつつ多くの人に楽しんでもらえるようなものを作ってもクレジットを消され作ったものは消費されそれをあいつのせいだと個人非難されるんですよ。そしてそれは違うとは決して言ってはいけないのです。明日は我が身です。たたくなら個人ではなく組織や国を叩いてください。

もし、ここまで読んでくださった方の中で開会式のここはよかったという点がすこしでもあったらいいなと思います

老若男女国籍を問わず多くの人に刺さるものを散りばめるのも彼の才能なので、なにかあると嬉しいです。

彼の五輪関連の仕事はまだ残っています、どうなるのかはわかりませんが少しでもいい方へ行ってほしいです。

最後になりましたが、本来開会式を担われる予定だった皆様、本当は参加したかったのにできなくなってしまった皆様、参加したくなくて断った皆様、参加したくなかったのに参加して下さった皆様、全ての働く大人たちに敬意を払って。

2021-07-21

anond:20210720024759

時間も経ってるしなにがどうってわけでもないんだけどよければ答えてよ

これらの事件共通するのは

なんで共通点をとるの?

一つずつ要素を取り上げてパッチワークする概念はないの?

2021-07-04

布教は消えものでお願いします。

ただのお気持ちです。オタクってめんどくせ〜〜!!!


某日、友人と遊ぶ約束をしていた私は、その友人に会うなり紙袋を渡された。

貸していたゲーム漫画等無かったはずだと思いながらも中を見ると、知らないアイドルCDとその特典と思わしきポスターが入っていた。

かねてより、LINESNS彼女がどハマりしているのは知っていたし、ライブ映像を見せてもらったこともある。

私はこれは何だ?と尋ねると、「あげる!○○が最高だから聞いて!特典のMVのAくんが格好良いから!」と早口で捲し立てられた。

いらねー!CDポスターもマジいらねー!見知らぬ人の写真とか部屋に貼る訳ないし!

私は一度たりとも彼女にそのアイドルに興味があると言ったことなど無いし、お付き合いとして映像を観ることはできるが、1人の時に自発的に観るまでの興味は全く湧かなかった。

急いで私は彼女にいらないから返すと申し出たが、彼女は取り合ってくれなかった。

こうして、私の部屋の一角にその紙袋は置かれ、今は埃がのっている。


布教

ここ最近オタク間の流行りの遊びだと思う。

ファンを1人でも増やそうと、見知らぬ人や知人友人にプレゼンを行い、YouTubeでは無断転載映像パッチワークした紹介動画ゴロゴロと転がっている。

大好きで素晴らしい推しを多くの人に知ってもらいたい、知人、友達にも好きになって欲しい。誰かと共有したい。

その熱意は結構なのだが、その世界の門を叩いていない人間CDやグッズを押し付けないで欲しい。

貴方にとってそれは楽園へのパスポートかもしれないが、興味の無い人間にとってはパチンコ屋のチラシだ。

素晴らしい推しCD・グッズをパチンコ屋のチラシと一緒にするなと石を投げられそうなのだが、実際そうなのだ。興味のある人間から見ればそれは大変魅力的なものだが、興味の無い人間から見れば不要な物である


チラシは邪魔だと思えばゴミ箱に捨てれば良いのだが、CD・グッズはそうもいかない。

捨てる手間はチラシよりあるし、売りに出そうとすればそれなりの準備手続きなどコストがかかる。(しかもそのコスト分のリターンがあるかは保証されていない)

しかも売った事が知られると人からの貰い物を売った非常識人間だと非難される厄介な物だ。


布教して「カッコいいね」「凄いね」とか言ってもらえるのが我が事のように嬉しいのも分かるし、貴方推しが素晴らしいのも分かる。

分かるから、形として残る物を寄越さないで欲しい。


一緒に映像が見たいなら一緒に見るし、カラオケ推しの曲をしこたま歌えばいい、YouTubeSpotifyを共有しても構わない。

何故なら、それらは「物」ではないから。場所を取らないし、聞き流せば良いし、再生ボタンを押さなければ良い。

形がないか意図的に手に取らなければ存在していないも同然だ。

CD一枚だろうとポスター一つだろうと、場所を取るし棄てるのにはエネルギーがいる。

布教している側からしたら貸すのもあげるのも同じかもしれませんが、相手からしたら貸してくれるのと、もらうのは全く違います



からどうか、布教する相手が欲しいと言った時以外、もしくはほぼ確定で落ちるとなった時以外は物を渡さないで欲しい。



でも紹介した時に「格好良いね」「素敵な曲だね」って言ってた?だから脈ありだと思った?

それは貴方推しから言ったんだよ。

知人、友達である貴方の前で貴方の大切な推し否定するわけが無い。そもそも興味がないからテンプート以外の感想なんて思い浮かばないよ。


この面倒臭いお気持ちを読んでくださり、ありがとうございます

布教好きな人が少しだけでも「私、大丈夫かな?」って思ってくれるきっかけになれば良いし、布教されて「せっかくグッズもらったけどいらないって思った私ってダメオタク?酷い友達?」って思ってしまった人の支えになれることを願ってます





CDポスターはいつかメルカリで叩き売りするから見つけたら買ってくれよ!

2021-06-04

クアラルンプールが見せる70年分の東京

2年ほど前、留学先の友人に誘われてマレーシア首都クアラルンプール観光したときのこと。

とりあえず主要な観光地を回ろうと、観光バスに乗った。私は割と短絡的なので、観光地にやってきたおのぼりさんらしくKLタワーという塔に登ることにした。高さは東京タワーを超える421mで地上276mに展望台がある。壁一面ガラス張りになっていて、クアラルンプールの街並みが360度一望できた。早速望遠鏡を覗き込んだ。その日はよく晴れていて遠くまで見渡すことができたが、関心は眼下に広がるビル街に移る。発展途上といえども近代化著しいマレーシア首都はさすがに都会なんだなあ、などと考えたのも束の間、強烈な違和感を覚えた。その正体にはすぐに気が付いた。

街並みがおかしいのである。「ビル街」と聞いて想像するのは、ビル同士がところ狭しと立ち並ぶ日本都市だろう。大抵は、超高層ビルの間は高層ビルで埋められている。無駄のない没個性的建築物が寄せ集まり、地平線まで白い四角の集合が続いていく。徹底的な「均質」。これが都市なのだ認識してきた。対して、クアラルンプール都心部は「雑多」だった。開発が遅れている地区現代的なビル群が立ち並ぶ地区が分けられていないのだ。ガラス張りの近代建築の隣に並ぶ民家らしき平屋。40階はありそうな超高層ビルの傍を流れる小川はドブのような色をしており、対岸には廃屋が寄せ集まっている。計画性が微塵も感じられない。望遠鏡から顔を上げて、街を見下ろした。砂地の白と草木の緑、家屋の古ぼけた淡色の間に、超高層ビルの強烈な白が浮いている。マレーシア人種のように、共生しつつも混ざり合わない歪なパッチワークのようだ。

街中を実際に歩いてみるとクアラルンプールの特異さがよく分かる。バラック小屋と露店が立ち並ぶエリアには、小説で読んだ終戦直後東京雰囲気があった。露店の軒先は煤けたように汚れ、乞食があちこちで座り込んでいる。感じたことのない異質さに緊張が走った。太陽容赦なく照りつける晴れの日だったが、その一帯はどんよりと薄暗かった気がした。何だかばつが悪いような気分で、街中へそそくさと歩いて行った。街中といっても、一昔前のトレンディドラマのような古ぼけた建物がずらっと並び、頭上にけばけばしい看板がせり出たようなストリートだ。この道の先に、高架が見えてくる。見上げた先を電車が走り去っていく。高架の柱に近づいてよく見てみると、かなり年季が入っているようだった。所々コンクリートが欠けている。ぼんやり大学講義で聞いたことを思い出した。日本では、高度経済成長期に一斉に建設されたインフラがそろそろ限界を迎え、改修の時期になっているという。なんとなく、高架はその年代くらいに建てられたものだと推測がついた。都市の周縁部を散策し終えたので、私たちタクシーに乗り、中心街へと向かった。車窓からペトロナスツインタワーが見える。―なんだあの巨大な建物は。対になった2棟の超高層ビルが堂々と屹立し、スカイブリッジが2つの塔を繋いでいる。天頂部は、伝統的なモスクさながらの意匠が凝らされている。タワーのすぐ近くでタクシーから降り、仰ぎ見た。黒光りする鉄塊は天にも届きそうだ。夕暮れの陽光を力強く照り返す双塔は、最新技術の粋をこれでもかと主張してくる。究極の現代建築を前に、今日一日で見てきたクアラルンプールの街並みを思い返していた。

まるで、戦後から現在までの東京をあちこちにばら撒いたような街だ。そう思った。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん