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はてなキーワード: ボトルメールとは

2019-10-02

はて匿の日記は届くべきところに届いているのか?

ボトルメールを近所の適当な川に流している感。

2017-10-15

どうしようもない人間のどうしようもない日記って見かけなくなったね

まだ少しだけ残っているけどもうほとんど残ってないよね。

どうしようもない人間がどうでもいい事書いてるだけの日記帳サイト

役に立ちそうな話をしてる人だらけになってしまった。

お前のどうでもいいリアルのどうでもいいアニメ感想を偉そうに語ってみせてくれる日記はなくなった。

SNSで十分だからなんだろうな。

でもSNSにあるのは何かが違うんだよ。

というか、SNSという物の性質が俺の求めている物をどうしようもない人間から奪ってしまうんだ。

社会性、人との繋がり、見栄えを気にした生活、そういった物を次々に供給してしまう。

俺は寂れてホコリを被った廃墟を見に来たのに、廃墟マニアの人が足繁く通ってゴミ拾いや清掃をするせいで滅びているなりに小ざっぱりとしてしまっているのが嫌だ、みてーな感じかな。

駄目だなまだ言語化しきれてねえな。

しばらく後に再チャレンジっすか。

とにかく俺はさ、素人HTMLカチカチ打って日記更新していた時代にあった孤独感が好きなんだよ。

今の世の中は孤独さが薄れすぎてる。

インターネット人間同士を天網恢恢疎にして漏らさずと言わんばかりに徹底的につなげてしまうから、どうしようもない奴らの距離感が近くなりすぎてるんだ。

俺が求めてるのはもっと離れた距離感での交信なんだ。

まるでボトルメールアマチュア無線を送り合うような、交信をしている相手はいるけどその間をガラスのような強固な障壁がはっきりと阻んでいるような感覚、あの頃確かにあったそれが今の風通しが良くなりすぎた世の中にはねえんだ。

空気の淀みが足りねえ。

誰もが近すぎる。

どうしようもない奴らをもっと孤独にしておいてくれ、その孤独の中で産まれものが俺は見たいんだ。

2016-10-18

増田ってやっぱ好きだわ

時々増田を覗きに来る。

思いつくままにどうでもいいことを書いてみたりする。

読んでも書いても、ほっとする。

ほっとするって言うと変かもしれないんだけど。

自分が書いたどうでもいいことにレスブクマしてくれる人がいたりする。こんなことに反応してくれる、顔も知らない人がいることがなんだか嬉しい。

いろんな人のいろんな考えや思いや落書きみたいなものが流れていって、ほんの少し人生模様を垣間見たような、スクランブル交差点の真ん中に立ったような、なんとも不思議気持ちになる。

心がギスギスするような文に出会うこともあるけれど、時々ビックリするような、読めてよかったと思える名文に出会えたりする。

ちょっとボトルメールっぽいかもしれない。

増田やっぱ好きだわ。

2016-07-02

ひとりぼっち惑星通信量が凄い

ちょっと流行ってるっぽいかダウンロードしてみた。

ボトルメール交換アプリとして怪文書のやり取りを楽しむものらしいがまだ何が面白いのかは掴めない。

数日後、最近いつもスマホがホカホカすることにふと気づく。

何が起きているのか調べるとどうやらこのゲームアプリ)が動画広告をちまちまダウンロードしているらしい事実に辿り着く。

アプリを買わないと広告が表示されるけど、広告をガマンすれば無料で使えるよというアプリは今までもあった。

しかしここまでのペースで動画広告を落としてきてパケットを喰らい尽くしてくるアプリは始めてだ。

動画広告というユーザー目線を捨てた発明アプリ無料提供しつつそれなりの収入を得たい作者の気持ちスマホパケット制限

最悪の組み合わせである

全ての悪の始まり動画広告という馬鹿げた発明だ。

あくまでそれをYOUTUBE等の中で使うならいい。

だがそれを普通広告と同じ感覚スマホにバシバシ投げつけるのはどうかしている。

頭がおかしい。

広告業界の人は頭がおかしい。

こんな嫌がらせをしてその商品サービスの購買意欲が湧くと思っているのは頭がおかしい。

ヘイトを稼いでるだけの行為を最新の広告スタイルとして売り込まれて納得している広告主も頭がおかしい。

頭がおかしい。

2015-12-25

クリスマスピンクローター届いたか使用感をレポートする

2017/04/12 追記

http://anond.hatelabo.jp/20170412233837

お久しぶりです。書きました。



先日「寝ぼけてピンクローターを買ったかも知れない」とこちらに書き込んだ25歳処女ですが、今朝方、無事にピンクローターが届きましたので、早速試して使用感をご報告したいと思います

まず、注文したのが23日、この日は祝日ですので、まあ実際買っていたとしてもしばらくかかるだろうと思っていたら24日の朝には注文確定メールが届いており、また夕方には配送完了メールも続けて届きました。迅速すぎる対応に恐れおののきつつもメールをよく読むと、ラブグッズの使い方を具体的に説明してくれるページや、エッチ漫画が読めるページなどへのリンクが貼ってあります商品が届く前から気分を高めてもらおうというショップ側の気概に涙が滲みますエッチ漫画は私の好みの作風ではなかったのでエロ広告を見るのと同じ目で流し読みました。バイブを使用してひとり感度を磨いていた女性が「こんなに乱れる○○、見たことない……エッチ可愛いね……」と彼に耳元で囁かれてビクビクと達するシーンには思わず私も震えました(バイブだけに)。私もこんなふうになるんだろうか。正直怖いしこの彼氏もなんか怖い。

さて、世間が緑と赤と性欲と怨念に包まれに包まれ本日、神のひとり子イエス・キリストがきったねー馬小屋で産声を上げた聖なる日に、とうとう私の住むアパート宅配ボックスにその包みが授けられました(所在無く家にいましたが、真顔で出られる自信がなかったのです)。ぱっと見Amazonと大差ない小さな段ボール箱ですが、よく見ると随所に配送業者へのメッセージが仕込まれていますピンク色の「大切に届けていただきありがとうございます!」という先回り感謝メッセージ公共のお手洗いで散見するものと同種で、しかし何か暗い思念のようなものを感じます。考えすぎでしょうか。とにかく「受け取る本人以外にバレない」ための工夫がこれでもかと仕込まれており、「優しさの塊」が届いたと言って過言ではないでしょう。「っていうか、箱についてグダグダ長々書いてねーで、さっさとそれを体に当てがってあんあん言ってるところを実況しろよ」と思われている既に履いてない紳士諸君には大変申し訳ないのですが生憎私は本日死ぬほどヒマなのです。なるべくこの事実から目を背けていたいのです。実は、この部分を書いている時点ではローターの電源を入れてすらないので、この先私がどうなるかは私でも分かりません。とりあえずリスカしたくなっても思い止まるように、カッターの刺さったペン立ての横に家族写真を置いてみました。有効であるかは定かではありません。っていうかね、この時点でだいぶキテる。正気を取り戻して続けます

お気に入りムーミンふわふわの部屋着を着て、「生活の木」のアロマを焚いて、ホットカーペットに寝転がりました。いまだ湯気を立てているホットミルクには甘〜いはちみつたっぷり溶かしてあります無骨蛍光灯は消してしまって、間接照明の柔らかな橙の灯りを点けました。BGMはEllie Gouldingの"Love me like you do"です。女子力の過剰摂取で吐きそうです。箱の中から今日のおともだち、ピンクローターを取り出しました。パンパカパーンピンクローターの名の通りピンク色です。当たり前ですね。私は何を言っているんだろう。ころんとしていて、可愛いかたちをしていますえっちなくせに、清純そうな顔ちゃって、こいつぅ〜。電池を入れて、いよいよスイッチを押してみましょう。寝ぼけた私は高級志向だったようで、この1200円のローターは三段階に振動の種類を変えることができる高性能です。まず一段階。ぶいぶいぶい、と予想以上に大きなモーター音を立てながら、ピンク色のカプセル振動を始めました。いやほんと、すごい震える。びっくりして思わずカーペットの上に取り落としてしまうと、ローターはぶいぶい言いながら少しずつ前進を始めました。えっ。可愛い。そういう小動物みたいになってる。ハムスターを飼いたいな(でも一人暮らしハムスター飼ったら終わりかもしれない)と考えていた私には少し嬉しい発見でした。カーペットの上を蠢くローターを暫し鑑賞します。引っかかったら、おしりを押してあげたりして。なにこれ、かわい〜〜!! 母性本能がくすぐられたところで、えっちな気分も高まってきました。高まってきている、ということにしないと、進みませんので、便宜上そういうことにしておきます

はあ。だいたい、こんないかにも性欲掻き立てられたいで〜すみたいな電子機器を手にしているだけで目眩します。塾や習い事部活だって滅多にサボったことのなかった私です。真面目ちゃんなんです。それは私の「25歳処女」という肩書きが何より雄弁に物語ってくれているわけですが。まあ、とにかく、「いきなりデリケートゾーンには当てずに、身体中をゆっくりマッサージしましょう」と解説にあったので、とりあえず一番弱い設定で、体のあちこちに押し当てていきますしかし、デリケートゾーン、という遠回しな言い方は何でしょう。女性誌なんかでオナニーのことをセルフプレジャーだの、セックスのことをラブタイムだのと呼んでるのを見るにつけ、そっちのほうが卑猥というか、シュールじゃないかと思ってしまます。腰、おなか……振動が下の階に響いていませんように……脇、胸の周り……うーん、くすぐったいような、そうでもないような……そして首まで来て、私は、とうとう気づいてしまったのです。これ……むっちゃ肩こりに効くわー!!! そうでした。もともとこういうグッズは通販などでは「小型マッサージ器」として販売されていたのでした。この頃肩こりに悩まされていた私は、いつもボールペンノックするところで刺激していた首の付け根や肩にピンクローターを思い切って押し当てました。きっ、きっ、きくうぅ〜〜!!! 堪らずスイッチを二度押しして、フルパワー振動に切り替えます。ぎちぎちに張った私の肩の筋肉容赦なく責め立てるピンクローターの前になす術もありません。ほわ〜〜!!! ンギモッヂイイ!!! こめかみや顎に当ててもキモチイイので、美顔器のようにも使えるかもしれません。なんて子なの、ピンクローター。肩こりも解消できれば小顔効果まで期待でき、更にはえっち乱れることさえ可能にするなんて。たまげたなあ……。

しばらく肩に当てて堪能したところで、私はハッと我に返りました。いかいかん、これでは釣り増田だと思われる。そういえば昔、今よりもっと暇だった学生時代、それこそハタチそこそこピチピチの頃、ボトルメールアプリで捕まえた男とちょっとえっちなやり取りを幾度か交わしたあと、実は50過ぎの禿げたキモい童貞オッサンでした〜!!! と嘘暴露して相手絶望に陥れる遊びに熱中した時期がありました。相手は50過ぎの禿げたキモい童貞おっさんに「ねえ、どんなこと想像してひとりえっちしてるの?」などと聞いて時間無駄にしたと思って後悔しますが、実際は彼はハタチそこそこのピチピチの女の子メールを交わしていたわけです。時間無駄にしていたのは誰でもなく私自身であったことに気付くのにはしばらく時間がかかりました。

さて、とうとうここまで書いてしまったので、もはやこの性欲掻き立てられたいで〜すみたいなピンク淫乱かわいこちゃんを自らのデリケートゾーンに押し当ててセルフプレジャーに浸りビクビクしないわけにもいかなくなって参りました。クリスマスです。ヤマトのおじさんが大切に心を込めて運んでくれた優しさの塊です。これを使って25歳独身処女のシケたクソのような12月25日サイコーハッピーなメリメリクリスマスへと華麗に変身させねばなりません。もう逃げられない。クソッ、彼氏欲しい。来年は、2016年こそは、寝ぼけてクリスマスピンクローターを買うような人間にはならないと、ここに宣言しまして、私はしばらく、失礼させて頂きます

結論:

ピンクローターヤバイ

2013-01-14

ボトルレターが懐かしすぎる件

一昨年の12月出会ったAndroidアプリボトルメッセージ

10年以上前になるが、リクルートが運営していたボトルメールに似ていてとても懐かしく、楽しかった。


そんなボトルメッセージだが、2011年末でサービス終了。

僅か一ヶ月のお付き合いでお別れに。


その後、ココナッツメールを使っていたが何か違う。

ボトメは背景があったし、UFOドロイド君が登場するなど、遊び心があった。

でもそれがココナッツメールにそれははない。


真っ黒な背景。まるで漆黒の闇。

全然ココナッツ感がない。


そんなココナッツメールに一筋の光が!


ボトルレター、ボトメみたいで懐かしいよ」

送り主は元ボトメ利用者みたいだ。


ボトルレター

https://play.google.com/store/apps/details?id=com.jcn_labs.app3


あっ、背景がボトメっぽい!

すごく懐かしい!ボトメ先生までいる!

本家ボトメとは違うところが多い。作った人が違うのか。

製作者もボトメユーザーだったのかな?


ボトメみたいに楽しめるかな~?

そんな三連休最終日の午後

2012-10-28

とある自分語り混じりの祝辞みたいな

ああ、長いよ。そんで私信みたいなもんだから

いろいろ迷ったんだけど、まあインターネットで知り合った人たちだし、インターネットの見える場所でお祝いの言葉を書くのも悪くないかなーと思って、なんか書いてみることにするよ。わかった人はてきとーに拡散でもなんでもして、ご当人たちの目の届く場所にでもこのURLを届けてください。ま「そういう人」なので、こっそりとどこかで見ていたりはしたわけですけど。

ボトルメールよりはもうちょっと確実性のある手紙でも、ひとつ

つーか結局は自分語りな。この場合自分語りしないと伝わらないこともあると思うんよ。

とりあえずそうだなー、びっくりした。びっくりはしたんだけどさ、なんていうか、あんがい意外でもないんですよね。ああ、なんか辿りつくべき場所に辿りついたっていうか。

そうね、まあ「彼」とでも呼んでおきましょうか。

彼との出会いは、俺が以前やっていたサイト掲示板にまで遡る。俺がしょうもない日記書いて、共同で管理してた友人としょうもない対談みたいな記事作ったりして、まあ全体的にしょうもないサイトだったんだけど、掲示板だけは違ってたのね。エロゲやったりする人の多くがそうであるように、俺にも「青春」とか呼べる時期なんかなかったんだけど、もしあったとしたら、あの掲示板にそれはあったんじゃないかな、と思う。二十代後半だったけど。いいだろ別にいつ青春やったって。周囲に女とかぜんぜんいなかったけど。別にからそういうのはいいんだって

インターネット始めるまでは、自分趣味のこととか話せる相手がいなくて、それで、俺は異常だと思ってたんだよね。こんなにフィクションに異常な思い入れする人間とかほかにいない。いたとしてもそれは同居人くらいで、ほかにはどこにもいないんじゃないか。まあ日本には人間が1億人くらいいるので、確率としてここに二人いる以上、もうちょっとはいてもいいんじゃないかなーと思ってたんだけど、サイト始めてみたら、思ったよりも多かった。そうやって集った同好の士のなかに、彼はいた。

あの掲示板って、ちょうどいまでいうツイッターみたいな空間だったと思うんだよね。界隈の人たちのたまり場みたいな感じ。あずまんが大王の塗装のバスとか出現したっていうんでわざわざ見に行って実況してみたりとか、やってることが本質的に一緒。そんな掲示板のなかで、彼の存在はひときわ異彩を放っていたと思う。寡黙でありながら重量感があり、切れ味も抜群、常に陰のようなものがあるのに、どこかすっとぼけ確信犯諧謔がある。

同居人ともども彼の書き込みのファンになったね。彼が書き込んでくれるのが楽しみでしょうがなかった。

なんていうのかな、戦友、みたいな意識があった。骨の髄までフィクションに冒されて、二次元キャラと添い遂げるくらいの勢いで大好きで、ほかに希望なんかなくて、掲示版みたいな場所に吹き溜まっててさ、でもそこしかなかった。ほかの人がどうかは知らないけど(たぶん似たような感情は持ってくれてると思うんだけど)、このクソみたいな世界のなかで、なんとか喘ぐように呼吸して、それこそ酸素に飢えた金魚みたいに口をパクパクさせながらなんとかエロゲとかマンガのなかに救いを求めて、そんでもって掲示版でなんか吐き出してる。ここでは本音で話せる。道端の路地の向こうに、あるキャラクターいるかもしれない、永遠に会うことができないそのキャラ面影だけ追いかけてふらふらと散歩を続けるような、そんなポエムじみたことや、そういうバカで真剣でどうしようもない自分を笑い飛ばすようなことや、そんなことを日々繰り返して、それでもまあなんとか生きてるよね、別に積極的に生きる理由もないんだけど、とりあえずフィクションあれば俺ら呼吸はなんとかできるよね、みたいなそんな日々。

そんなのがまあ、俺にとっての青春だった。

そんな日々をともに過ごしてきた人たちに対しては、友人というより、仲間というより、やっぱり「戦友」っていう言葉がしっくり来る。

そういう場所を瓦解させてしまった理由ってのは、いくつかあると思うんだけど、まあいちばんは俺が結婚たからだな。

俺、アホだからさあ、どっちかしか取れないんだよね。真剣だったからこそ、ってのはあるかもしれないんだけど、少なくとも結婚するっていう事実の前では、俺はフィクションを捨てるしかなかった。だって、そこに魂の半分を置いてるんだもの。好きになるのも嫌いになるのも、すべてはフィクションのなかにしかそういう対象っていないんだもの現実人間なんて書割じゃん。こちらに実害を及ぼす人間けが脅威で、あとは男だろうが女だろうが、じーさんだろうが幼女だろうがひとしく恐ろしいものだったわけで、それが、たった一人といえども「人間」を選んでしまったわけ。それは「世界を選ぶ」ということとほとんど等価だった。全否定してきて「フィクション摂取する俺の肉体を生存させるための意味しかなかった」世界のなかで、俺は伴侶を得て歩いていかなきゃいけないわけよ。いいったって悪いったって、俺ひとりじゃない。とにかく俺は世界を切り開いて歩いていかなきゃいけない。

そうやって俺はフィクションを捨てて、書くことすら捨てようとした。

でもねー、書くのだけはやめられなかった。

言ってみればさ、フィクションを捨てること、書くことを捨てること、すべては裏切りじゃん。もちろん周囲の人はだれ一人として裏切りだなんて思ってなかったと思う。複雑な気分を抱えていたことは想像に難くないんだけど、俺が「この世界」に幸福を求めようとすることを咎める人なんてだれもいなかった。

だけどさ、逃げるようにサイトやめて、俺そういう不義理っていっぱいやってて、いつ見捨てられても不思議じゃない人間なんだけど、彼はそんな俺をずっと見捨てないでいてくれた。彼だけじゃない、俺の周囲にはそういうありがたい人たちがたくさんいて、俺は今日まで生きてくることができた。

いまはもうそうじゃなくなったけど、書くことだけが俺にとって救いだった時期ってまちがいなくあった。書いて、読んでくれる人がいる。そのことだけで「ひょっとして俺は生きていることを許されるのではないか」と思えるようなそんな日々があった。

ここに至るまでの十年以上、そのほとんどの歳月を、彼はだれよりも俺の読者でいてくれた。極端にいえば、命の恩人だ。ほかの数人の人たちと同様、彼は俺を生かしてくれた。読んで、なにごとかの感想を書いてくれることで「少なくとも書くことだけでは、生きている理由がある」と伝えてくれた。

でもね、そこにあるのは感謝じゃないんだよなー。いや感謝もしてるんだけどさ、あるとすれば「あのとき俺ら一緒にいたよな」っていう深い感慨だろうか。ああ、俺らはあのころ、あんなに生きるのが面倒でやってらんなくてつらくて、そんでもまあ十数年後のいまも生きてるよな、なんかかなりおもしろめでかつ珍しめの人生とやらをやったけど、まあ死んでねえよな、明日以降もなんとかやってくんだよなー、みたいな。

そんな彼が結婚する。

別に結婚」っていう単語に無条件で反応しておめでとうなんて言う気はさらさらないんだけど、とにかく、彼は「見つけた」んだというひとつの明確な証拠ではある。結婚という形式に付随してくっついてくるいろんな義務とか権利とか、ようわからんけど、いろいろあるものをすべてひっくるめて引き受けて、たった一人の人を死ぬまでの伴侶として選んで、生命が終わるときまでは生きていくんだという決意の表明だ。そういうものとして「結婚」っていう形式はなんとも明瞭だ。

彼はそれを選んだ。

からさ、変な話なんだけど、俺の感情としては「安心」っていうのがいちばん強いのかな。彼の生み出したさまざまなものの魅力の大きな源泉は「孤独」だったけど、それゆえに彼にはいつも荒野を歩いているような感じがつきまとっていて、もちろんこんなもん言葉になんてしないんだけど、その孤独デッドエンドを彼が見てしまったらどうしよう、みたいな漠然とした不安はいつもあった。

そう、彼はもうひとりじゃない

これかな。そうだ。あなたはもう、ひとりじゃない。ひとりでなければ、ふたりであれば、それはきっと世界を手に入れたも同然なんだ。この広大な世界を歩くのに、ひとりっていうのはなんともつらい。あまりに大きい。世界がその美しさの片鱗を見せたときも、厳しさのかけらを降り注がせたときも、たったひとりでは言葉すら虚空に消えていく。

あなたは、あなたの見た世界の美しさを伝える相手を得た。いや、最初からそれをふたりで見ることになるんだ。

それがどれだけ素晴らしいことかなんて、もう言葉にはできない。

たったひとりのための、あなたであるように。そのことがそのままであなた幸福にするように。あなたと、あなたが選んだ人の幸福が、そのままで世界の美しさにつながる回路を形成しますように。

ちなみに、お相手の方もネットを通じて決して存じ上げぬ方ではございませぬ。存じ上げているっつーよりはもうちょっとよく知ってる。

なんで、この場を借りてお願いなど。

まあ、俺がいまさらこの場で言うことではないかもしれませんが、幸せにしてあげてください。言われるまでもねーよカスwwwと思われるかもしれませんが、それを承知でなお俺はそう言いたいのです。彼の孤独や、彼の傷つきやすさや、それでいてあんがい飄々としているところとか、飄々としているようでいて、もっと深いところで傷ついてたりするところや、そういうものをほかの人間よりは多少はよく知っている人間として。

なんかねー、ひとの旦那つかまえて俺のほうがよく知ってるヅラすんじゃねえよって叱られそうだけど。

そんでもまあ、そういうこと思っちゃうくらいには、彼は俺にとってかけがえのない人だったりするんですのよ。

あと還暦になったらクソどうしようもねえ鼎談とかやる予定なので、そこは多目に見てください。あなたもご存知の友人の環境が非常に劣悪です(もう一人の畏友とじょじぱんつのゴムを両端で引っ張ったり縮めたりしながらにやにや笑っている)。

最後に「彼」こと某神父へ。

まあ、なんですか、直接に会ったら俺のことだからビシッと決めて「おめでとう」とか言えそうもないんで、いまここで言っときます。ほら、しゃべるよりも文章のほうがうまいこと自分の考えてること言える人だから

おめでとう。

つーかまあ、びっくりした。

新婦の方には俺も会ったことないんで、まあそのうち会いますかね。

第一報を知ってからすぐにうちの奥さまに知らせようとしたんだけど、あの人、ここんとこあるゲームにはまってて、仕事してる時間以外、寝るかゲームするかしかしてなくて、いま爆睡中。起きたら知らせるつもりですけど、たぶん反応はこんなもんすよ。

「ふーん、ま、あの人ならいつか見つけるんじゃないかと思ってたけど。ついに見つかったか、くらいじゃないの?」

2011-05-25

「僕は死ななければならない」

僕が欝になって早3年。

それまで割とまっとうな人生だったし、

チヤホヤもされてた。同期に比べて収入も、身分も良かったし、女の子にも(多分)モテたし。

そんな僕がある事件をきっかけにスッテンコロリン人生階段を転げ落ちている。アレだよ、階段が一気に滑り台になるコントみたいな感じ。

こんな心の叫び的な内容、増田上には既にごまとあるし、

きっとこれもTLっぽく流れていってしまうんだろうなぁと思うとちょっと切ないけど、

これもひとつボトルメールみたいになって、誰かに届くかも?という前向きな気持で書いてみます

欝を含めた「こころ病気」って、罹った人以外は絶対に理解出来ないっていうのが僕の持論です

例えば、先進国毎日1ドル以下の生活をしている人を、一般的な日本人想像できないのと一緒で。

マリー・アントワネットのような? ちょっと厨二的発想かもね。すんません。

んで、まぁ何が言いたいかっていうと、

誰も理解出来ないこの「病」を理解してもらうには、多分「死」しか無いと思うんですね。

つまり「死ねば」理解してもらえる、っていう、一種の希望が僕にはあって。

そりゃぁもう嬉しいに決まってるじゃないですか、人がどういう形にせよ、知ってもらえるんですよ!

から、「僕は死ななければならない」なんですよー

一応!そんな苦しい気持ちを聞いてもらいたい!構って、構って!で2つの病院行きました

ひとつは、初めに僕を「欝」と診断した医者。2年後にさじ投げましたね。

もうひとつはそれなりに良かったけど、高い。ネットでも結構有名なところです

でも、もうやめました。治んないもん。

うそう、昔、「いのちの電話」に3時間ぶっ続けでかけまくったけど、全部話し中で結局1度も繋がらなかったこともあったなー

あれ、絶対良くないよ。余計絶望するっちゅうに。

今の僕の希望は、

僕が死ぬことによって、誰かに知ってもらえる事。

「可哀想」でも「辛かったんだね」でもなんでもいいです

ただ、心残りなのが、やはり家族

僕には子供がいないので、両親がどのような反応を示すかはあまり理解できないけど

大好きな映画ナンニ・モレッティの「息子の部屋」みたいな感じで、しばらくは絶望するけど、それからなんとか生きていく、みたいな感じになりそうだな。

あれ?意外と大丈夫じゃね?

あ、これ遺書じゃないです。まだ死にませんから通報とかやめてね(はーと)

ただ、結構ガチでヤバイんで、まだ精神的に余裕がある今のうちに、ちょっとだけ吐露させていただきました

じゃーな!

2008-07-16

しゃー berry bad

http://anond.hatelabo.jp/20080716014058ブックマークにある

喋り好きと非コミュが並立しうるんだろうか。

というコメントに対して反射的に思ったことを書きます。

私は喋り好きです。そして多分非コミュと呼ばれてもおかしくないタイプです。ですので、「ソースは俺」話で恐縮ですが、私としては並立し得るのではないかと思っています。

ただ、元増田の話から察するに、この場では「喋る」という言葉は「会話をする」という意味として使われているようです。そうだとすると、私を実例として挙げて「並立し得る」なんてとてもじゃありませんが言えません。

つまり、私が「前後関係を無視して言葉を字面通りに捉える」というミスリードをして、その結果、「喋り好きと非コミュは並立し得るよ!」「しうるよ!」というシャウトが私の脳内に響き渡った、ということを書きたくて書きました。

以下はそのミスリードを維持したまま脳内でちらついた具体混じり話です。人によっては本文とも蛇足とも捉えられると思いますが、私はそのどちらかであると定義する気は特にありません。

大きくなってから知ったのですが、私は喋ることが大好きです。しかし、その好き成分を悉く潰してしまうほど会話が下手で、そして苦手です。何故大きくなってから知ったかと言うと、独り言に対してずっと持っていた恥ずかしさや嫌悪感が、独り言の実践とともに薄れたためです。

きっかけはネットラジオでした。はじめは「自分の音声がリアルタイムで隔たったどこかに届く」ということにボトルメールのようなロマンを感じて手を出しました。しかし、そのうちどこかに届くことはかなりどうでも良くなって、ネットラジオという建前の下にひたすら音声を発するということに惹かれるようになりました。お茶を飲み飲み十時間くらい楽しく喋り続けるなんてこともしょっちゅうありました。リスナーさん用のメッセージボードもお義理で用意していましたが、リスナーさんが期待する反応というのをほぼ全く考えずに喋るため、時が経つにつれて殆ど使われることはなくなりました。

そのうち声を向ける相手がマイクでも壁でもあまり変わりはないということに気付き、無意識ではない独り言も発するようになりました。ちなみに無意識の独り言は昔から発しています。ウェブ日記のようにその時々に自分が思っていたことを、建前上であれ誰かにアクセスされる可能性のある形で記録するのは面白いことだという意識があるので、ネットラジオやそれに準ずる録音自体は今もある程度続けています。ただ、外部から干渉される可能性が「ほぼゼロ」から「ゼロ」になるという壁のメリットはとても魅力的なので、時間の占有率は壁の方が高くなっていっています。

約四年の間にそういう環境意識の変化を経験し、私は「喋る」ということ自体は好きなんだなあと認識するようになりました。その一方で「会話」への苦手意識はますます強くなりました。人と話す時にとちったりどもったり、相手の話の内容を聞き返したり聞き間違えたりする頻度も増しました。幸運にも無理に人と話さなければいけない環境にはいないので、自分から人(というかスムーズな会話ができないと不快感を露にする人)と接点を持たないようにすることで現状は安寧を維持しています。今のところそこで問題は生じていませんし、問題を感じてもいません。問題を感じたらまた意識改革があると思うので、その時その時で対処していけばいいやと楽観的に考えています。

そんな感じで現在は殆ど家族の人としか話をしていません。それにつれて、音声を介する話だけでなく、介さない話も減りました。ネットで文章による対話が何日かに一回の割合で成立したりもしますが、殆どはここのように話題そのものを主軸とした一期一会のような対話です。会話になると成立する頻度はぐっと落ちますが、音声の会話より成立し易い感じがします。どちらにせよ人と交わりたくてそこに参加した訳ではなく、むしろそれはリスクとして捉えつつ参加したり参加するのを断念したりしています。

そういう生活をしているので、友達もネット友達もいません。知り合いはそこそこいますが、積極的に会話なり何なりを持ちかけることはまずありません。持ちかけられるのも自称変わり者さんからのみです。こんな自分に関わっていただけるのは大変ありがたいと思いながら反応を返しますが、持ちかけられて嬉しいとはあまり思えません。

自分を非コミュであると称したことはまだ無いのですが、誰かから(主になじる意味合いで)非コミュと称されてもおかしくない人格だとは思っています。自称しないのは、口下手な私がこんなホットな言葉を口にしたら、うまく扱えなくて「私ってば今流行りの非コミュなんだよ、かっこいいでしょ!」というような誤読をされるのではないかと恐れているからです。人と交わりたがらない性格を恥じる気持ちはあまりありませんが、胸を張って主張する気もありません。しかし、読む側が分かり易いつっこみ用のキャラクターに飢えている時は、まず口下手な人をそういうキャラクターに仕立て上げる傾向があるので、そして私はそんなピエロ役に仕立て上げるための悪意ある誤読を快く受容できるほど心が広くはないので、そのきっかけになる可能性のある非コミュと言う表現は避けるようにしています。

ただ、今延々と述べた内容も、「自分ではフツーだと思ってるんですけどー、人からはよくちょっと変わってる子だねって言われますー」というようなありがちかつ下手くそな自分アピール手法と捉えられて、本来抱かれなくて済むマイナスイメージをむやみに付加している可能性もあるので、場合によってはあえてすっぱり「非コミュである」と言い切った方が良いのかもしれません。迷ったのでこうして思いのたけを併記することにしました。

長々と書きましたが、要するに私は一方的に喋るだけ喋って、そのくせそれに見合った分の人の話を聞きたがらないタイプなのです。口の上手い人、エンターテイメント性を意識している人なら「喋りたがり - 聞きたがり」のような関係を結ぶことも可能かもしれませんが、そんなことを要求されるくらいなら私は無口な人のふりをして過ごします。そういう人は容認されるかどうかはともかくとして、あちこちに存在していると思います。「並立」が容認レベルなら並立は難しいと思いますが、存在するだけでいいなら並立はし得りまくってると思います。

オチは考えてみましたがこれといって適切なものが思いつかなかったのでそのまま終わります。

2007-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20071001012618

なるほど釣り師ね。増田初心者だからわかんないや。

増田、頻繁にきても書き込み少ないね。

まるで151e  http://www.151e-web.com/みたいだ。←ボトルメールみたいなメッセがくるサイト

実は想像以上に人少ないんじゃ…。

2007-05-06

ニワンゴ郵便ってボトルメールみたいだな

http://anond.hatelabo.jp/20070506133334

そもそもボトルメールって今でもやってるのか。20世紀に試したことあるなあ、と思ったらサービス終了のお知らせが出ていた。

10年も続いたなんてすごいなあ。

http://www.bottlemail.jp/

2007-03-27

メールの整理

98年から使い続けているDatulaメールはほぼ全て残してある。

ある程度はフォルダを分けて整理していたものの、使用したメールアカウントの数が多すぎたことから管理が煩雑になり、古いメール適当にまとめておいてDMなどの不要メールも混ざったま放置していた。いつかは整理を再開しようと思ってそのまま投げていたが、少し暇ができたのでコツコツとやっている。メールは取っておくことに価値があると思うので(忘れた頃に読み返すの好きだし)、古いのは消去しようよーってのはナシね。

そうしたら面白いメールが出てきた。私に届くはずではなかったメールを受け取ったことがきっかけで、ある人と何通かのやりとりをしたことがあった。その後、相手が忙しくなって疎遠になったけれどね。まず彼女がAだとすると、その友達のBがいて、AがBに出したメールが私に届いたのだ。なぜ私に届いたかというと、Bがメーラーの設定を誤り、自身のアドレスと間違えて私のアドレス入力していたので、返信が私に届いてしまったというわけだ。私は札幌在住だが、わけあって和歌山ローカルプロバイダと契約していた。偶然が重なって、知らない人が出したメールが、ボトルメールのように迷い込んできたのである(今ならあり得ないよね)。

こんな出会いの仕方は、インターネット歴10年目にもなったがこの一度だけ。99年に大学へ入ったから、順調にコトが進んでいれば今ごろどこかで元気に仕事をしているんだろうな。現地に赴く事があれば会えたんだなって思うと(会ってくれると言っていた)、何年も経っているのに少し残念な気がしてしまう。

 
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