はてなキーワード: クラークとは
広瀬すずちゃんの朝ドラの牛のポスターがもう十勝版アルプスの少女ハイジを彷彿させる、
逆に言えばアルプスの少女ハイジ十勝編2019春と言っても過言ではない、
まさに十勝つくして!と一大観光産業になること間違いないしね!
それに、
むかーしの朝ドラのおしんのおしん役の人もおしん役で出るって言うから、
そうなると、
十勝ツアーや十勝スライスチーズや十勝切れてるカマンベールチーズなど
もう十勝づくしな
で最後は暖炉か何かの薪が燃えてる炎にかけられて鍋のチーズをぐるぐるかき混ぜるシーンは
クラーク先生もビックリするぐらい美味しいチーズフォンデュを作る、
札幌までチーズフォンデュ差し入れに行って良かったね!って言う
日本チーズフォンデュ初めて物語ってオチなんじゃないかな?と私は踏んでるんだけど。
きっと物語としては
味は美味しのだけれど経営は美味く行かなくて、
そしてどこかで恋に落ちてみたいな。
で、また踏ん張って地元に戻って、原点からやりなおそうってことで一からチーズ作りに励んで、
それが大当たりでってそれって前回のラーメン物語のまんぷくラーメンじゃない!って。
でも話の本筋としては、
るーるるるるる、って言うの。
私の十勝ってイメージは結局チーズだけしかないのかよ!ってなるけど、
広大な十勝カマンベールの切れてるタイプでさらにお酒のおつまみになるブラックペッパーが挟み込んである、
あれは美味しくて憎いわよね!
ほんと美味しいのよ!おつまみとしてもいいし、
だから一石256鳥みたいな感じで、
まだ観てないんだけど。
でも帰ったら早速録画したのを観るわ。
あんまり十勝情報を予習しすぎるとドラマ本編が面白くなくなっちゃうから、
登場人物が誰とか、
そういう相関関係図とかもあえて見たくないのよね。
ドラマ見ていく中で
それは自分の中で構築すればいいの!
それが朝ドラのいいところじゃない!
でもさ、
切ったのをまた包装するのって大変な仕事よねーって。
あ!もしかして切れてるチーズを綺麗に包む機械誕生物語かも知れないわ!
そうよきっとそう!
オープニングは広大な十勝をバックに、
どんな高さから吊してんだよ!って思うぐらい、
オープニングに間違いないわね。
うふふ。
昨日結構食べ込んじゃったので、
帳尻合わせになしよ。
しばらくは質素に生きたいわね。
行きつけのカレー屋さんやっぱりシェフが変わったから味が変わったと思うわ。
なんかちょっと残念ね。
苺と桃が効いてるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
アメリカの影
エルマー・ガントリー
G・I・ブルース
ワン・ツー・スリー
荒馬と女
噂の二人
草原の輝き
片目のジャック
底抜けもててもてて
101匹わんちゃん大行進
樹々の大砲
昼下りの決斗
野望の系列
ハッド
鳥
たたり
5月の7日間
未知への飛行
裸のキッス
殺人者たち
イグアナの夜
赤死病の仮面
不意打ち
ラブド・ワン
ファスタープッシーキャット キル!キル!
キャット・バルー
シェナンドー河
ミッキー・ワン
銃撃
テキサスの五人の仲間
ある戦慄
招かれざる客
ドアをノックするのは誰?
フェイシズ
泳ぐひと
華やかな情事
愛すれど心さびしく
甘い抱擁
明日に向って撃て!
夕陽に向って走れ
雨のなかの女
ジョンとメリー
アメリカを斬る
ハズバンズ
真夜中のパーティ
キャッチ22
さすらいのカウボーイ
断絶
愛の狩人
ラスト・ショー
白い肌の異常な夜
ゴングなき戦い
夕陽の群盗
フリッツ・ザ・キャット
アメリカン・グラフィティ
地獄の逃避行
こわれゆく女
カンバセーション…盗聴‥
三人の女
地獄の黙示録
チャンス
マンハッタン
ロング・ライダース
アルタード・ステーツ/未知への挑戦
レイダース/失われた聖櫃
評決
ダイナー
ハメット
シルクウッド
スター80
再会の時
ラヴ・ストリームス
レポマン
チューズ・ミー
バーディ
ミシマ
最後の誘惑
存在の耐えられない軽さ
ダイ・ハード
ヘア・スプレー
ドラッグストア・カウボーイ
ヘザース
ゴッドファーザーPARTIII
グリフターズ
バートン・フィンク
希望の街
殺人課
夫たち、妻たち
ボブ★ロバーツ
アメリカンレガシー
摩天楼を夢みて
エル・マリアッチ
ショート・カッツ
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス
リトル・オデッサ
クラークス
リービング・ラスベガス
デッドマン
誘う女
真実の囁き
スターシップ・トゥルーパーズ
クンドゥン
プライベート・ライアン
バッファロー'66
マーシャル・ロー
メリーに首ったけ
π
スリー・キングス
・女性差別を推奨しようという投稿ではなく、女性医師を増やせば医療が崩壊するシステムを批判するものです。
・今回の東京医大の件は、男女比の調整を行うと示していなかったという点から、肯定しかねます。
・女性医師の能力は男性医師と同等であり、一般に期待できる高い共感力から、むしろ臨床的能力に優れているケースが少なからず有ります。
・実際には妊娠・出産・育児を行わない女性医師が存在することは承知の上で、男性医師と比較した場合、そういったイベントが起こる可能性が高い、という観点から「女性医師」とひとくくりに記述していることをご容赦ください。
医師の仕事のひとつに、「当直」(=夜中に病院に泊まり込むこと)があります。皆さんが深夜に救急外来を訪れたり、あるいは救急車で搬送されても、適切な処置が受けられるのは、この「当直医」がいるからです。
よくかん違いされることですが、この当直は、いわゆる「夜勤」ではありません。
「当直」とは、
という一連の流れを指します。普通の業種であれば三交代にあたるところを、一人で行っているのです。
このようなクレイジーな働き方がまかり通っているのは、「人手不足」だからに他なりません。
結論から言うと、加速します。妊娠・出産・育児を、「今までと同じ仕事量を」こなしながら行うのは、難しいです。これは、上に書いた医師の業務のハードさから理解していただけると思います。
産後、女性医師が仕事に復帰できる環境を整えるのは非常に大切ですが、男性医師と全く同じ労働時間は期待できず、医師の絶対的な供給が不足することは避けられません。
パートナーの協力があれば良いのでは?と思われる方も多いと思いますが、女性医師の結婚相手の半数は男性医師です。つまり、どちらが携わっても医療におけるマンパワーが減ることは避けられません。
ここが非常に難しい問題です。というのも、一言で言ってしまえば「医者は一定以上の"頭脳"がないと務まらないから」です。
(裏口で入学した学生などは、いわゆる「外れ値」で、彼らが医学生の本流ではありません。また、彼らは医学の勉強をする際にも、塾に通ったり個別指導をつけたりすることで、財力で地頭の悪さを補っていますので、医学において"頭脳"がないと断じることは難しいのです。また、今回の女子学生のような「本当は優秀だったのに入学できなかった」ケースは本当に気の毒ですが、しかしながら多少の増枠を行ったところで、入試担当者は男子学生を採ったことでしょう。差別を生じさせないほどに枠を増やすことのデメリットは、以下に記します。)
現代の医療は非常に高度で、その知識・技術もまさに日進月歩です。医師国家試験の難易度のインフレは顕著であり、カリキュラムは常にギチギチ、テスト期間が始まれば一ヶ月間毎日試験、医学部においては「春休みは一週間だけ」というのも当たり前です。医学部に入ったからには常に学び続けることが求められます。
ここで単純に医師の数を増やしたからといって、同じレベルの人材が確保できるかは疑問です。仮にも人の命を預かる職業ですから、この点を妥協するのは危険です。
また、医学部の定員は増加傾向にあり、さらに現在日本の人口は減少していますので、どこかの段階(厚労省の見通しでは2028年)で需要と供給が釣り合います。つまり、今人数不足で困っているからといってやたらと医師を増やしすぎると、今度は医師が溢れすぎる、ということです。
歯科医師が人数を増やしすぎた結果、「食っていけない」歯科医師が増え、その結果として患者に本来不要な治療を勧め、保険点数を稼ぐケースが多くなったことは、広く知られている通りです。
医師になることを希望する女性を「女性だから」という理由で拒むことは、断固許されません。しかしながら、上記のような問題が存在することも、確かです。
では、どのようにして「女性医師が増えても医療の供給が保たれ」「今の医師の絶対数を急激に増加させることなく」すればよいのか。
それは、「医師の仕事の絶対量を減らす」ことに尽きると思います。まずは、「医師免許がなくてもできる仕事」を医師がしなくてもいいようにすること。医療秘書、医療クラークの増員が求められます。また、AIによる画像診断の積極的な導入で、画像診断の労力を減らすことも期待できます。
生産現場の高度化について。
この古典的議論は、クラーク・カー著「インダストリアリズム」(川田 寿 (翻訳) 東洋経済新報社 1963)に見ることが出来るらしい。
下記のような論である。
産業の発達により職業の専門分化が進み、技術者やホワイトカラー職を中心に高学歴者の雇用が増えた。
生産現場(ブルーカラー職と言って良いだろうか?)でもオートメーションの導入により、仕事の責任水準が上昇し、労働者に対しても高度の認知的能力が必要になっていると指摘された。
このような論である。
まさか、「刺身にタンポポを乗せる仕事」のギャグを本気にしている人はほぼいないだろうが、しかし、単純労働のイメージから未だに脱却されない職業分野というのは存在するように思う。
例えば製造業である。何故か分からないが、人のイメージは当てにならない事は分かる。
※余談だが一言言っておくと、工場というのは職種では無くて、職場でしかない。
では今後はどうなるのか?
工場での製造業の仕事は、誰でも出来る単純労働であるという話があるが実際にはどうでしょうか。
まず、歴史的に見ると、産業の発達により職業の専門分化が進み、技術者やホワイトカラー職を中心に高学歴者の雇用が増えました。
生産現場ではオートメーションの導入により、仕事の責任水準が上昇し、労働者に対しても高度の認知的能力が必要になっていると指摘されています。
この古典的議論はクラーク・カー著「インダストリアリズム」(翻訳…川田 寿 東洋経済新報社 1963)に見ることが出来るそうです(私はこの資料は未読)。
ロバート:吐血してたけど病気どうなった?カーソンよりロバート大丈夫か
コーラ:バリキャリモードでロバートいじけるも現場見た夫の理解を得て病院運営に携わることに
メアリー:レーサーの旦那が友人の事故でトラウマに陥り無職になるも復活でハッピーエンド
イーディス:恋人元鞘コブ付き承諾ハッピーエンド 義母とも悶着乗り越える 出版社も経営順調
ヴァイオレット:病院はコーラに任す 何だかんだでイザベルと良い感じの凸凹コンビ関係続く
イザベル:熟年再婚ハッピーエンド 旦那の病気は軽いものと判明 しかし義息子夫婦との関係は微妙
ローズ:なんか印象なかったけどとりあえずハッピーエンド 戦争と平和にも出てたな
カーソン:手の震えから執事引退もうあかんサヨナラ宣言もロバートの慰留を受けアドバイザーに就任
ヒューズ:カーソンと結婚し新婚旅行にもいく 最終回でカーソンをチャーリーと呼ぶ
バロー:自殺未遂を経て性格が軟化 ダウントンでカーソンが退いた執事の席に就くことに
トム:シビルの死を乗り越えメアリーの夫と中古車販売業を共に開業し夢いっぱい 子供も順調に育っている
ベイツ:警察からの嫌疑解消しアンナとのすれ違いも乗り越え子宝に恵まれハッピーハッピーエンド
アンナ:結婚後も終始Mr.Batesと呼び続けていたが最終回でついにジョンと呼ぶ
モールズリー:学識を認められ教師に採用され新たな住処も得る 最後には報われて良かった
バクスター:精神的な自立を獲得 モールズリーとは付かず離れずも良好な関係が続いてる
パットモア:宿屋始めて巻き込まれ波乱も乗り越えハッピー デイジーの義父となんか良い感じ
デイジー:アンディーとどう接すればいいか良く分からんけど少しずつ心開く 髪切ってドライヤー使う
アンディー:字が読めない劣等感で自暴自棄にもなったがバローのサポートなど受け徐々に自己肯定感を高めデイジーと距離縮める
クラークソン医師:微妙に重い責任のある微妙にストレスフルな立ち位置が続く イザベルとは友人関係のまま
とりあえずイーガンもクラークも行けるんならハードSFとつくものをあさっていけばいいとおもう。
超高重力下の中性子星で生きる生命とか、中性子星に行くにはどんな装備が必要かとかが詳細に描かれた『竜の卵』とか、ちょっと話のノリ自体はライトすぎるかもだけど『マッカンドルー航宙記』とか。
もちろん気に入った作者のそれぞれの続編読んでもいいけど2001年はシリーズ最終作の3001年は読んじゃダメ。巻末でずっこけるから。
イーガンに関しては順列都市とディアスポラいけるんなら他の短編集や長編もそんなのばっかりだから楽しくて仕方ないはず。
意識関係はイーガン読んじゃうと他は少し物足りなく感じちゃうので、(もう売ってないけど)『マインズ・アイ』とか『ゲーデル、エッシャー、バッハ』とかの心の哲学系の本にまで手をだすハメになる。
http://anond.hatelabo.jp/20160904033715
選定基準は
・読みやすい
・有名で、他の本や映画に出てきがち
ド名作。読んでおくと伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』がもっと楽しい。
早く来てくれオーバーロード。
③永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編カント(訳:中山元)
「本邦初訳」作品。古典新訳文庫ならでは。イタリアっぽいユーモア。
エログロ。
『藤野先生』も『狂人日記』も入っていてお得。訳者の村上春樹と中国の関係についての研究も面白い。
誤訳が多いらしいが、すごく読みやすかった。他の訳では通読できなかったと思う。
訳者は元国際プラトン学会会長(2007~2010年)で、解説の量がすごい。
読んでおくと、あの映画とかあのミステリーとかのネタ元なので捗るはず。
⑩闇の奥 コンラッド(訳:黒原敏行)
『地獄の黙示録』の原作。個人的には「叡山の僧兵の大将」中野好夫の訳より好き。
―――
①グレート・ギャッツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)フィッツジェラルド
村上春樹の訳が好き。
『英文の読み方(岩波新書)』など、英語の読み方の著作に定評のある行方昭夫の訳で。
野村萬斎が自ら演ずるために、河合祥一郎に新訳を依頼しただけあってとても読みやすい。
『月下の一群』の堀口大學の訳で。
⑨カフカ-ポケットマスターピース-01-集英社文庫ヘリテージシリーズ
小説家の多和田葉子の訳で。『変身』は先に別の訳を読んでおいた方が新鮮かも。
⑩マーク・トウェイン-ポケットマスターピース-06-集英社文庫ヘリテージシリーズ
はてな民ならハックルベリーは読んでおきたい。柴田元幸の訳で。
―――
基本的に、これまで僕は匿名で文章を書くということをしてこなかった。
パソコン通信にしろブログにしろmixiにしろTwitterにしろ、誰かと議論したり何かを主張したりするときは、常に素性をオープンにし続けてきた。腰をすえて議論する気もなく匿名で書き逃げするような連中に、僕自身、さんざん苦しめられてきたから、同じようにはなるまいと思っていたのである。
それがSF小説の批判だったらなおのこと。自分の愛するジャンルであるからこそ、逃げも隠れもせず持論を述べ、反論を迎え撃つ――それが本来の筋だと思う。
しかし今回は、自分の名前を出して発言するのはあまりにリスクが大きいと判断して、不本意ながらこういう形を取らせてもらった。実は匿名で書くことにすら尻込みを感じている。
なぜなら僕が今から批判しようとしているのは熱狂的なファンを多くもつ作家――伊藤計劃氏の作品だからだ。
2009年に亡くなった伊藤計劃氏だが、いまだにSFマガジンで特集が組まれたり、映画が3作も公開されたりで、その人気はとどまるところを知らない。
僕が始めて読んだ氏の作品は、『虐殺器官』だった。新人のデビュー作ながらその年の、SFが読みたい! の1位を取ったというので、期待をもって読み始めたのだ。
しかし、あまり感心しなかった。なぜなら作中のメインアイデアである「虐殺の文法」というものが、言語SFの歴史の中ではさほど捻ったものではなく、更に2005年に別の日本人作家が発表した短編とも酷似している。プロットの方も、ミイラ取りがミイラになってしまったというありふれたもの、逃げのようなもので、短編ならともかく、長編としてはガッカリするような結末だった。だもんで、個人的には年度ベスト1位を取るほどの作品とは思えなかった。
年刊日本SF傑作選『虚構機関』に収録されている「The Indifference Engine」をたまたま読んだ時も、僕の評価は覆らなかった。
舞台を紛争地に置き換えてはいるものの、アイデアから構成からテッド・チャン「顔の美醜について」にそっくりで、決して独創的とは思えなかったのだ(余談だが、「顔の美醜について」は、世間で変に高評価されている「あなたの人生の物語」よりもよほど構成のちゃんとした、優れたSFだと思う)
出版されるSF作品の数も、世間のSFファンの数も膨大なので、僕が好きではない作品や、アイデアが目新しいとも思えない作品が、評価されたりランキングの上位にのぼることもある。とはいえ、趣味に合わない作家を追い続けるのもあまり建設的ではないので、僕はその後、伊藤氏の作品をずっと読んでこなかった。
だから、もしかしたら永久に他の作品を手に取ることもなかったかも知れない――
2014年に、伊藤氏の『ハーモニー』が、日本SF長編部門オールタイムベスト1位を取らなければ。
いくら避けてきたとはいえ、傑作『百億の昼と千億の夜』の牙城を、2000年代に発表された作品が崩したとなれば、さすがに読んで確かめざるを得なかった。
大きな戦争のあと、生命至上主義によって、医療技術が高度に発達した世界。
人間は16歳になると健康管理用のナノマシン群「WatchMe」を体内にインストールし、その恒常性と健康を、常にモニタリングされる。
健康に生きることを強いる社会に反逆するため、御冷ミァハ、霧慧トァン、零下堂キアンの3人の少女は、餓死による自殺を試みるが、失敗した。
その十数年後、ミァハは、新たな目的をもって暗躍をはじめ、その結果、トァンの目の前でキアンが犠牲になる。
ミァハの願いは、Watchmeに組み込まれていた自意識喪失プログラム「ハーモニクス」を発動させ、人間たちの意識を奪うことだった。
最終的に、ミァハはトァンに殺害されるが、ミァハの計画は実現し、全人類がハーモニクスされた結果、そこには誰もが意思を持たない完全に調和がとれた世界が誕生する……。
この結末を読んで、僕はひっくり返った。
ちょっと待て、「ハーモニクス」できるのは、WatchMeを体内にインストールしている人間だけじゃなかったのか!?
確か作中では、人々がWatchMeをインストールしていない地域のことも書かれていたはずだ。
そして何より――子どもたちのことはどうなったんだ?
16歳未満の子どもには、WatchMeがインストールされていない。WatchMeを入れられたくないからこそ、ミァハたちは16歳になる前に心中しようとしたはずだ。
つまり、16歳未満の子どもはハーモニクスすることが物理的に不可能である。
にもかかわらず、エピローグでは、全人類の意識がハーモニクスされたように書かれている。作中の設定どおりなら、こんなことはあり得ないのだ。
この作者は、自分が書いた設定を忘れている!
だいたい、ミァハの目的については、健康な世界に苦しむ、「意識」ある子どもの自殺をなくす、というのも書かれていたはずだ。
にもかかわらず、彼女の行動で出来上がったのは、「先進国の大人だけが意識を失い、先進国の子どもたちや、一部地域の人間は意識を保ったままである世界」だ。 子どもの自殺はなくならないだろう。出発点と正反対だし、エピローグの、全人類が意識を失った調和の取れた世界、という光景は有り得ない。はっきり言って無茶苦茶である。
そう、『ハーモニー』という長編は、その評判とは裏腹に――完全に破綻しているのだ。
作家というのも一人の人間である。あまりに大きなミスとはいえ、病床の伊藤氏が見落としてしまったのも仕方ないのかもしれない。
情けないのは早川書房だ。自分で書いたものをそのまま世に出してしまえる同人誌と違って、商業出版には校正という作業が存在する。誤字や誤植のほか、作中の矛盾などを指摘して、作者に修正を促す大事な行程だ。 『ハーモニー』のこの矛盾は、プロット自体を完全に崩壊させる、校正が厳格な出版社だったら絶対に許さないようなミスだ。これが講談社や新潮社のように校正がしっかりしている出版社だったら、こんな欠陥を抱えたまま作品が世に出ることはなく、伊藤氏も、恥をさらさずに済んだだろう。
それに輪を掛けて情けないのがSFファン。
けれど、その作品のプロットや構成が、最低限成立しているかどうかくらいは、アイデアの好き嫌い以前に、ちゃんと見極めるべきだ。
ちなみに、僕は『ハーモニー』のアイデアも独創的だとは思わない。
ユートピアを追求したら自由意思の存在しないディストピアになってしまったという結末は、星新一や、アシモフの代表作のほか枚挙にいとまがないし、クラークの某長編をはじめとする「人類補完もの」のバリエーションのひとつとも読める。 また、ラスト以降の世界が、「自由意思を失った大人が、自由意思をもった子どもたちと暮らしており、子供も大人になると自由意思を失うことになる」、というものであれば、ほぼ、『キノの旅』1巻の重要エピソードである「大人の国」と同じ世界になる。
ともあれ、これほどまでに構成の破綻した作品を日本SF大賞の受賞作にしたり、オールタイムベストの1位に選んでしまうのは問題だろう。
考えてみて欲しい。SFというジャンルに興味を持ってくれた人が、こういうランキングを参考にして、まず第1位の作品から読み出したとき、「SFって、こんなにいい加減なプロットの作品を評価しているんだ」と失望してしまったら? 「SFなんて適当な構成でも許されてしまう、低レベルな小説ジャンルなんだ」と思ってしまったら?
それはきっと、SF作家たちとジャンルにとって大きなダメージになるだろう。
この文章を書いている途中で、僕は奇妙なことに気づいた。
SFマガジンのような活字媒体と違って、WEB上では、この大きな穴について言及している感想もぽつぽつ見かける。だが、そういうミスを指摘できているのは、SF作家やSFライター、SF評論家ではなく、ごく一般の読書ブログをつけているような人、「SF界とは繋がりが薄そうな人」ばかりなのだ。
そこでふと思い至った。
いくらなんでも、あれだけ多くのSFファンやSF評論家が持ち上げているのに、誰一人として欠陥に気づかないというのは、どう考えてもおかしい。
みんな、欠点に気づいていながら、それを指摘してしまえば伊藤氏のファンから一斉に反発を食らってしまうために、沈黙しているのではないか?
あるいは、伊藤氏が亡くなってしまっていて、作品の欠陥を指摘したところで訂正の機会がないから、批判するのは忍びないと感じているのではないか?
だとすれば、これはまるっきり、童話の「裸の王様」だ。みんなで持ち上げるうちに引っ込みがつかなくなって、誰かが声を上げるのを待っている。童話と違うのは、誰ひとり「王様は裸だ!」と言う勇気がなくて、とてつもない歪みが生じていることだ。
僕は、この歪みが決定的な打撃をもたらすのは、『ハーモニー』の映画公開時だと睨んでいる。「夭逝の天才が残した傑作SF」の評判を聞き付けて、SFファンや伊藤氏のファン以外にも、たくさんの観客が訪れるだろう。その時、プロットがぐちゃぐちゃに壊れているのを発見した観客たちによって、「さよならジュピター」なみの珍作として扱われることになるのではないか。
誤解しないで欲しい。僕は何も、伊藤氏の人格を貶めようとしている訳ではないし、『ハーモニー』を賞賛するのはやめよう、と言っているわけでもない。
ただ、彼の作品を持ち上げようとするために、SF読者、それもジャンルにどっぷりつかっているような人間たちが、構成上の欠陥に対して目をつぶり、盲目的になってしまうのは、SFの未来を考える上で、間違っている、と主張したいのだ。もしも、「この『ハーモニー』という作品は、これだけ小説としては崩壊しているけど、それでも僕は好きなんです」と言える読者がいるのなら、僕もそれは否定しない。作品の出来不出来と、個人的な好き嫌いは必ずしも一致するものではないからだ。 僕だって、出来は悪いけど好きだと胸を張って言えるSF作品は沢山ある。
たとえ何年か後、オールタイムベストの上位から滑り落ちたとしても、今のように、宗教的で無批判な礼賛ではなく、伊藤氏のファンが「こういう風に壊れている部分もあるけれど、好きな部分もある」という主張を大っぴらにできるようになったら、その時はじめて、『ハーモニー』は、正当な評価を受けられるのではないか、それこそが伊藤氏のためになるのではないか――僕はそう信じる。
前日の夜、雪が降った。窓の外にチラつく雪を確認してから目を閉じたから間違いはないはずだ。おそらく今日はアスファルトの色は反転し、いつもと違う道路に足跡を付けるんだ。ワクワクしながらカーテンを捲る。予想通りだ。実に2年ぶりだった。
いつもより早く起きた。今日は特に予定もなく、いつもどおりの休日だった。朝食にも精が出る。キャベツときゅうりを切って食パンで挟む。窓の外の雪を見ながら食べた。犬はゲージから出てこない。今日の寒さは一段だ。しかし寒さは全く気にならなかった。折角だから散歩に出よう。黒のセーターの上にコートを羽織り、マフラーを巻いて外に出た。皮膚をチクチク刺す棘のような氷点下だ。目がくらんだのはその寒さと陽光を反射する白色だった。四角に区切られた白は、視界全体に幌がった。その瞬間の思考は一切が途切れ、集中と集中の無さは境界がなくなった。面白くて笑ってしまった。初めてではないはずの積もった雪がまるで初めて見た海のようだった。天国では雪の話をしようと思った。これからこの雪におろしたブーツで踏み潰すのだ。
と思ったが何かが妙だ。一歩目は自分だと思っていた雪のクッションには既に先客がいたようだ。足跡が目の前に広がっている。しまった。自分はこの足跡を辿るしか無いようだ。この足跡、見覚えはないが知ってる足跡だ、と思った。ふととその足跡に自分の足を合わせてみる。やっぱり、ピッタリだった。今日、靴箱から出したはずのクラークスのブーツの足型がそこにあった。紛れも無く自分の足跡だと思った。試しに一歩横に足を踏み出してみた。雪を踏む感触と共に26.0の足跡が刻まれた。やっぱり同じだ。アパートの住人に同じ靴を持っている人がいるのだろうか。大した問題ではない。だって、今日は雪道を歩くのだ。でも、何故か頭がスッキリしない。どうして目の前に足跡があるのだろう。この未知を歩くのは自分のはずだったのに。いつもの道がいつもの道でなくなった、はずだったのに急に見慣れた道に戻った気がした。もう雪どころではなかった。足跡、足跡。
少し、考えてみたが、この足跡に沿って歩いてみようと思った。それがいいと思ったのだ。右足を踏み出してみる。予想通りにピッタリとハマる。自分と同じ、少しガニ股気味の一歩だった。フフ、と声が出た。今度は目をつぶって5,6歩交互に足を出した。目を開けて振り返る。あざ、一筋の足跡があるだけだ。再び前を見る。この足跡は……確信をもった。これは僕の足跡だよ。
8時半、コタツのコンセントを入れ、冷蔵庫から出したヨーグルトをスプーンで掬う。結局、散歩はほんの数10歩で終わりを告げた。だって、あの足跡は自分の足跡であったのだから、僕はもう底を歩いたのだ、とそう思ったのだ。雪は足跡をよく見せる。しかし、いつだって僕はただ僕の足跡をなぞっていたのだ。そう思うと、これ以上歩く気がしなくなった。
前日は雪が降った。雪の上を歩くと道ができる。歩いた道には足跡が残る。それは後ろにあるとは限らない。
なんか見かけたので自分用も兼ねて訳してみた。良作映画と同時に良作小説も摂取できるすばらしいリストです。
ちなみに意訳多いので「許す」と「赦す」を正しく使い分けたい向きは原文にあたってください。あと個人的には『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』も結構楽しみにしてます。
元記事:
http://litreactor.com/columns/5-most-anticipated-book-adaptations-of-2015
毎年この時期になると、「今年期待できそうな新作映画のリスト」が各所でアップされますよね。そういうリストに載せられた作品のうち何本かは、小説本から脚色作品です。ところが、彼らが取り上げるのはなぜか『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』ばかり。アホか。誰がンなもん楽しみにしとるねん。というわけで、ここにあなたが本気で楽しみにできる小説原作作品のリストを用意してみました。
去年『アイ、フランケンシュタイン』観た人はわかると思いますが、まあフランケンシュタインものってどうしても現代の視聴者のお口にはバッド・テイストすぎますよね。しかしですよ、『クロニクル』の脚本家であるマックス・ランディスが脚色を担当した本作は、いい意味で予想を裏切ってくれるんではないのでしょうか。本作はフランケンシュタイン博士の助手であるイゴールの視点から、彼とまだ若き医学生だったころのヴィクター・フォン・フランケンシュタイン博士との馴れ初めを描いた、メアリー・シェリーの原作の前日譚的ストーリーです。
フランケンシュタイン博士を演じるのは『shameless/シェイムレス』、『X-Men:ファースト・ジェネレーション』のジェイムズ・マカヴォイ。イゴール役には『ハリー・ポッター』のダニエル・ラドクリフ。映画の公開は十月二日予定となっております。
訳者の雑感: せむしの助手イゴールは原作には登場しない人物で、出典はボリス・カーロフ主演の『フランケンシュタインの復活』(1939)です。この時点で「本が原作」と言い張るのはどうなのかな。そもそも学生時代のフランケンシュタイン博士が題材ってどこに需要あるんだって思われそうですけど、なにせ『キル・ユア・ダーリン』のラドクリフと『X-MEN: FC』のマカヴォイですからね、濃厚なBLが期待できそうです。脚本家も『クロニクル』の人だし、なおさら……ねえ?
ちなみに、監督のマクギガンは『PUSH 光と闇の冒険』などいくつか映画も監督していますが、日本で有名なのはなんといってもドラマ『SHERLOCK』の「ベルグレービアの醜聞」と「バスカヴィルの犬」でしょう。
日本ではなぜかDVDスル―になりがちなマカヴォイ&ラドクリフコンビですが、今作はどーなるでしょうか。やっても単館系かな。
去年は『ゴーン・ガール』がやってくれました。いいことに本作の原作はですね、その『ゴーン・ガール』より面白いんですよ。良い映画にならないはずがない。原作者のギリアン・フリンはいまや犯罪小説界のトップランナー、映画化にもひっぱりだこです。『ゴーン・ガール』のファンは『冥闇』もきっと大好きになることでしょう。なぜなら、『ゴーン・ガール』よりイカれたお話だから。
これは子供のころに両親を殺されたある女性のお話です。彼女は自らの証言で実の兄を監獄送りにした過去を持っているんですね。で、それから二十五年が経って、「キルクラブ」と名乗る殺人狂同好会の助けを借りて、事件の真相を探ろうとします。
公開時期は未定ですが、二〇一五年のどこかにはなるはず。出演はシャーリーズ・セロン、クリスティーナ・ヘンドリクス、ニコラス・ホルト、クロエ・グレース・モレッツです。
訳者の雑感:原作の『冥闇』(小学館文庫)は、個人的には『ゴーン・ガール』には及ばないものの、上に書かれているとおり傑作ミステリです。いわゆるイヤミスです。捕捉しておくと、主人公がなんで「キルクラブ」の連中と絡むようになるかといえば、過去の事件によって人生を破壊された彼女が日々の生活費を得るために家族の遺品や体験談なんかを好事家に「切り売り」しているからです。そうです、クズ野郎です。『ヤング=アダルト』でいかんなくクズ女っぷりを発揮したシャーリーズ・セロンにはまさに適役なんじゃないでしょうか。
フランス資本で規模的は大作と言いづらいでしょうが、出演陣がかなり豪華なのでフツーに日本でも公開されそうです。
実質去年公開作なんですけど、ズルしてもぐりこませてみました。だって、映画祭でしか上映されてなくて、筆者はまだ観てないんだもん。っていうか、ほとんど誰も観てないし。原作は記憶喪失の化学者を題材にしたクレイグ・クレヴェンジャーのカルト小説です。
出演は『ヴァンパイア・ダイアリーズ』のジョセフ・モーガン、『Justified 俺の正義』のウォルトン・ゴギンズ、『ヘルボーイ』や『パシフィック・リム』のロン・パールマン。
まだ公開時期は公式にアナウンスされていませんが、推測するに、今年中には拝めるんじゃないでしょうか。っていうか、そうじゃなかったらキレる。
訳者の雑感: 未訳作品な上に原作者自体が数年前に一作ちょこっと訳されてそのままなカルト作家なんで、どうにも前情報がない。ある朝、記憶喪失の化学者が麻薬密造に関わった容疑で監獄にぶちこまれたと思ったらこれまた唐突に解放され、失われた記憶と失踪したガールフレンドを求めて彷徨う話らしいです。元記事に引用されてる画像がいかにもいつものロン・パールマンってふてぶてしさで好印象ですね。http://litreactor.com/sites/default/files/imagecache/header/images/column/headers/487195087_640.jpg
ロス・クラーク監督はドキュメンタリー中心に撮ってきた人で、本作が劇映画初監督。トレイラーをみるかぎり、なかなかシャープな画作りしてます。日本では公開されるかなあ……ロン・パールマン効果でDVDスルはギリギリ保証されそうではありますが。
J.G. バラードは難儀な小説家だ。『ハイ-ライズ』はおそらく彼の最高傑作でしょう。ちょっと前にこの小説が映画化されるって聞いて、マジビビりましたね。原作を読んだことのない人たちに説明しておくとですね、タイトルにもなってるハイ-ライズとは超豪華高層マンションの名前で、その内部では文字通り階層によって分断された住民たちによる血で血を洗う階級闘争が勃発しています。高層マンション版『蝿の王』みたいなもんです。とってもバイオレントでとってもクレイジーで、とってもワンダフル。映画もおんなじくらいクレイジーであってほしいですね。
主演は『アベンジャーズ』、『マイティ・ソー』でお馴染みトム・ヒドルストンと、『バットマン vs スーパーマン』でバットマンの執事役が決まっているジェレミー・アイアンズ。公開日の九月十七日をお楽しみに。
編集者のコメント: !!!!! ベン・ウィートリー監督作じゃん!!!! よっしゃあああああああああ!!!!!!
訳者雑感: ベン・ウィートリーは第二のデヴィッド・クローネンバーグの座を狙っているんでしょうか。せいぜいブランドン・クローネンバーグと争ってほしいものです。他に誰もそんなポジション欲しがらないでしょうけど、がんばれ、応援してるぞ。
ともかく、『キルリスト』や『サイトシアーズ』で日本でも熱狂的なファンを生み出した「奇妙系スリラー界の風雲児」ベン・ウィートリーが、あのバラードの、あの『ハイ-ライズ』を映画化する、これは期待しないわけにはいきませんよね。原作はおなじみハヤカワ文庫SFからですが、当然のごとく絶版なので、なんとか日本でも映画を劇場公開までもってって復刊の一助となっていただきたいものです。DVDスルー(『キルリスト』)→アートシアター系公開(『サイトシアーズ』)と順調? にステップアップしているので芽はありそう。
アンディ・ウィアーの『火星の人』は、二〇一四年に筆者が読んだ本のなかでもマイベストな一冊です。クソみてえな『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』の記事を山ほど読んで損した時間の埋め合わせに、ちょっとこの映画化作品について調べてみましょう。ちなみに私は先月作った「今年のマイベストリスト」にも『火星の人』を選出しております。
概要はこうです。ある宇宙飛行士が火星で一人、遭難します。もしかすると、そこから永久に脱出できそうにないかもしれない。彼は生き延びるために「科学」と呼ばれるふしぎな力を行使することを強いられます。自らの命をかけて惑星に戦いを挑む男と、全力で彼をぶち殺しにくる惑星との、知的で、ユーモアに溢れたアツいバトルがはじまる!!!
映画はリドリー・スコットが監督予定で、主人公のマークを演じるのはマット・デイモン。十一月二十五日公開予定です。
訳者の雑感: 原作の『火星の人』はハヤカワ文庫SFから絶賛発売中。「ライトなハードSF」と称される軽妙な作風も相まってか、最近のSFにしてはめずらしく幅広い層から広範な支持を集めています。今年の「SFが読みたい!」のランキングでも票を集めるんじゃないんでしょうか。いっぽうで監督のリドスコは『悪の法則』、『エクソダス:神と王』と近作がこのところ立て続けに興行・批評両面で失敗してやや低調。『ブレードランナー』の続編を作ると宣言して即監督を降りたりと何かとケチがついてますが、『プロメテウス』以来のSF回帰作は吉と出るか凶と出るか。日本ではおそらく二〇一六年公開でしょうね。
さて、以上が私が最も期待している今年の小説原作映画作品です。ほんとは他にももっとあることはあるんでしょうが……でもまあぶっちゃけゴミばっかなんで語ったところで意味ないでしょう。上にあげた五作品は「すくなく見積もっても傑作になりそうなチャンスはある」作品です。とりわけ『ダーマフォリア』は僕達を導く希望の光なんで、今年公開してくれないと困る。
ところで、リストにあげた五作品の原作小説もぜひ読んでみてください。どれも一読の価値がある逸品ばかりです、たぶん映画もね。