はてなキーワード: 雀の涙とは
例の条例が成立しそうとのことで、いてもたってもいられずこの記事を書き始めています。
私は今、いわゆるゲームプランナーという仕事をしている人間です。
本当はゲームが作りたいんだけど、自分の家だったり、自分の学校だったりから、ゲームについて遊ぶ時間を制限されている皆さんに対して伝えたいことがあります。
残念ながら私はまだ新卒2年目のペーペーなので、以下の内容はベテランのゲーム業界の人達からすると馬鹿げていたり、ツッコミどころがあったりするかもしれません。
でも、一応紛いなりにもプロとして仕事でゲームを作っている人間として言いたいことを言おうと思います。
と言っても、言いたいことは一つだけです。
「ゲームで遊んでいない人間はゲームが作れなくなります。だから、ゲームを遊ぶようにしてください。」
あなたが本当に面白いゲームを作りたいならば、周りの人達がゲームに対してなにを言おうと、ゲームを遊ぶようにしてください。
絶対にそれはあなたの力になります。それを信じて遊んで、その場から抜け出したあとのための準備をしておいてください。
なぜこんなことを書き出したかというと、僕はゲームを遊ばなかった結果、ゲームを作るときに本当に本当に苦労しているからです。
少しだけ背景を話させてください。
実はわたしの実家はゲーム禁止家庭でした。どれぐらい禁止かと言うと1週間に1時間しかゲームを遊ぶことができませんでした。
もちろん、親がいない間にこっそりゲームをプレイすることはありましたが、1本のゲームをエンディングまで見るために2,3ヶ月かかるのは当たり前でした。
当然もっとゲームで遊びたかったのですが、親がとても怖く、自分の部屋にいることは禁じられ、親にものを壊されたことが何度もあったので、僕はゲームで遊ぶことを諦めていました。
そんなだったので、僕はゲームで遊ぶときはいつも簡単な難易度でしか遊びませんでした。
高難易度は時間がかかってエンディングまで遊ぶまでに時間がたくさんかかるからです。
そんな家から出て、ゲーム業界に運良く入ることができた私ですが、
高難易度のゲームを遊ばなさすぎた結果、高難易度のゲームを作ることができなくなっていました。
というのも、高い難易度のゲームを遊んでも[楽しい」と思うことが全くできなくなっていたからです。
なんでこんな煩わしいことをしないといけないんだ、つらい、苦しい、と思って、そこから楽しいにつながることがなくなってしまったのです。
これはとてもわかり易い例ですが、実際はもっとたくさんのゲームを作るときに苦労することがあります。
ゲームづくりは、ゲームを通して遊んでいるお客様にどんな感情を提供するか設計するものです。
さっきの高難易度も、遊んだ人が「難しいけど楽しい」という感情を持てるようにしたい、ということを考えて作ります。
周りのゲーム業界の人達は、ゲームを通してたくさんの感情を持った経験がある方ばかりなので、
今書いたようなことは教わらなくても知っていて、そういう感情をつくるのがとても上手なのですが(このあたり何を言ってるか分からないですね、結局僕はまだ理解できていないです……)、
なので僕は、自分だけ泣くことを知らないアンドロイドになったような気分で毎日仕事をしています。
もちろん、実家を出てから今までよりたくさんゲームをするようになりましたが、そんなものは雀の涙です。
会社の同期ですら20年以上ゲームを遊んでいた人たちです。勝ち目なんて全くありません。
同期はどんどん出世して、ゲームづくりの重要なポジションを担っていっています。いわゆるディレクターというやつです。
こいつはゲームで与える体験に対して責任を持つ、という役割なので、そういう役割を持つということは、一定以上ゲームで体験をつくることができるやつ、と会社に認められたということです。
僕も名目上出世っぽいことをしましたが、ゲームづくりの能力を認められたわけではなく、単に雑用をたくさんやってくれて優秀!お前いいやつだな!って感じです。
もちろん会社に認められたという意味で、これは嬉しいことのはずですが、もっとゲームをうまく作れるようになりたいと考えている人間にとっては、全く嬉しくないものです。
そして僕が雑用をしている間、ディレクターの同期は新機能の開発会議に呼ばれ、ゲームづくりに関する決定権を持って仕事をしています。
もっというと、実はゲーム会社に入ることすらすごく大変でした。
集団面接で「人生で一番遊んだゲームは?何時間?」と聞かれて、僕だけプレイ時間が4桁いっていませんでした。当然その会社は落ちました。
このとき僕は面接の後にぼろぼろ泣きました。なんでこんな気持ちになってまでゲームの会社に入ろうとしているんだろうと思い、悲しくて涙が止まりませんでした。
そんなのを何回もやった結果、今の会社に運良く拾ってもらいました。
ごめんなさい、なんだか途中から話がそれてしまいました。要は、昔ゲームをしていなかったことが原因で、僕は今とても苦労している、ということです。
大人がなんだかんだ言ったのに従った結果、僕は今とても苦労しています。皆さんにはそんな苦労はして欲しくなくて、この記事を書いています。
だから、やっぱり言いたいことは一つです。
「ゲームで遊んでいない人間はゲームが作れなくなります。だから、ゲームを遊ぶようにしてください。」
この記事を読んでいるみなさんはきっとゲームを作りたいと思っているんだと思います。
だとしたら、できるだけゲームで遊ぶようにしてください。僕みたいにならないように、ゲームで遊んでください。
もちろん、遊びすぎは良くないです。香川県の人たちが言うことも、全部間違っていると僕は言いません。
ゲーム以外にも面白いものは世の中に本当にたくさんあります。そういうのに触れるのもすごく大切です。
でも、ゲームを遊ばなさすぎると、おとなになってゲームづくりをするときに私みたいになっちゃうかもしれません。
できれば皆さんは、私みたいにならないようにしてください。
最後に、なんだか苦労していることばかり書いていると、「ゲームを遊ばないでゲームづくりをするとすごく辛そう。僕はゲームを遊んでこなかったからきっと苦労する、だからゲームづくりをするのはやめよう」と思っちゃうかもしれません。
実際辛いことは確かです。自分がつくるものは、周りの人がつくるものよりだめなんだってわかりながら仕事をするのは、本当に本当につらいです。
そんな状況でも僕がゲームづくりをしているのは、そんな辛さよりもこの仕事が楽しいと思えることが多いからです。
実際に色んな人が遊んでくれて、楽しいと言ってくれているのを見るのは本当に嬉しいです。
人生で初めて自分の作ったものが世の中に出たときは、嬉しくてちょっと泣いてしまいました。僕は泣いてばかりですね。
僕がつくるゲームはだめだめなので、上司に見せたときに渋い顔をされるのもしょっちゅうですが、
でもそういうことを繰り返して、だんだん自分が作れるものが面白くなっていく、色んな人に楽しいという感情を与えるものになっていくというのは、本当に嬉しくて、幸せなものです。
それと、これは関係ないかもしれませんが、ゲームを作ることが上手い人は、人の感情を作るのが上手い人です。
僕の会社は当然ゲームづくりが上手い人ばかりなのですが、そういう人たちは一緒にいて楽しい気持ちにしてくれる人が多くて、
そういう幸せな体験を仕事にすることを諦めるのは、もったいないと思います。
感染源が沈静化してから1ヶ月はかかるだろうし、今の感じだと4月から5月頭くらいまではWHOの終息宣言は出ないんじゃね?
それまでは大規模イベントは中止か延期すべきだと思う。悔しいけどオリンピックは開催できちゃいそう
もちろん日本経済はズタボロ。格安外食チェーンとイベント関係、旅行業界は空前の倒産ラッシュだろうね。政府の補助とか雀の涙
でも人が死ぬより良いよね?普通の経済活動やったらマジで人工ピラミッドの上部が崩れるぞ。葬儀業界大儲け、と思いきや葬式の自粛
自分は影響の少ない業界で働いているけど、1ヶ月半粛々と生活して感染防止が一番だと思う。それで潰れるのは運命だよ。自分のとこだって実は影響あるかもしれないし
文句は次の選挙で言えば良いし、業界によっては時間差で悪影響出るかもしれないけど、それ以上に中国が潰れるから意外と大丈夫かもよ
コロナの話題でマスクが切れてから、毎日のように暴言をもらいます。売りたくないのではなく入荷しないのです。こちらが要求しても届くのは雀の涙程度。
朝一から並んでいる人全てに販売できたら…どれだけ良いことか、そんな事はお客さんよりも理解しています。しかし、現実は厳しく。マスクの入荷はしません。
入荷をしないとレジに来るのは「マスクなんで入荷しないの?スタッフが買い占めているんでしょう?」と言われます。SNSでも薬局の店長さんが暴言を常連客であった人たちにさえ言われる有様です。
買い占めることが出来たら買い占めたいですよ。実際は入荷しないのでどうしようもないのです。入荷したらしたで並んでいた人同士で諍いを起こすということも少なく有りません。こちらも暴言と言われても仕方のないことを言いますが、その姿はとても『醜い』です。
ここ1ヶ月で2人のスタッフがうつ病のように塞ぎ込んでしまいました。お客さんの責任と私は言います。スタッフも人間なのに人間として見ていないのでしょう。
上手く行かなかったら物に当たる、そういうような扱いをスタッフは受けています。
最低です。
自分がその立場に立った時に同じようなことをされたらどう思うのか考えないで言いたい放題、やりたい放題です。
このような酷いお客さんが多いのですが、そんなお客さんの中にも気を遣ってくれるお客さんが居ます。
「大丈夫?大変だよね。ああいう客はあんまり相手しちゃだめだよ」「負けないでね」と言ってくれました。
2日に一度くらい購入しに来てくれるお客さんなのですが、とても丁寧な人でこのお客さんにはいつも以上の丁寧な対応を心がけたいと思うような方です。
マスク越しなので、きっと相手には気づかれていないと思いますが…優しい言葉を聞いた時に思わず涙が出ました。
常連でさえ暴言を繰り返して来る中で、この人だけは来る度に優しい言葉をかけてくれるのです。
私が頑張っていられるのは、この方のおかげかと思います。
5年ほど勤務していますがこの人以上のお客さんは出会っていません。過剰かもしれませんが、本当に丁寧で行動も迅速で素晴らしいと感じます。
スタッフ間でも『あのお客さんは本当に良い人だ』というくらいです。
暴言ばかり毎日つらいです。でも、1人でも応援してくれているお客さんがいる以上は頑張りたい。
いつものように誰でも気軽に購入できるような何ともない日々に戻るのは、いつになるんでしょうね。
しっかり働いた分だけ勤怠記録をつけろ、だと。
元々専攻と業務内容が合致して飛び込んだ、第一志望の企業だった。
もっとも、大学にいて行っていた基礎寄りの研究とは大幅に違う部分もあり、
傍から見れば「一応一通りの仕事はこなせる社員」程度にはなっていると信じたい。
ただ、労働をしていると先輩や上司の毛ほどにも役に立ってはいないんじゃないかと思う。
別の部署に配属した同期たちと比べても、おそらく自分の貢献度は低いだろう。
そのため、自分が同期と同じ給料を貰うのはおかしいんじゃないかと思い始めた。
個人的に、労働を行っていると他の日常のことを考えずに済むからまだ楽しいと思っていた節もある。
こういった思惑の中、労働時間を見かけ上減らせば良いんじゃないかと考え付いた。
私の部署はそこそこ忙しいため、大抵の正社員は平日でも2時間程残業を行っている(中には1時間程早出する人もいる)。
まあそのまま帳面通りつけるとオーバーなのでフレックスなどを利用している人も多い。
使わない人たちもいるので、超過した残業時間を記録しない人もおそらくいるのだろう。
元々私は残業をつけるのが嫌だったので、毎日見かけ上は定時に帰ることになっていた。
まあ、それで上司や勤労管理部門から文句を言われることもなかったから問題なかったのだと思う。
ところが、最近この労働時間を定時前にしたり(例.8時~15時半など定時より短くする)、休日出勤を記録しなかったら上司に勧告された。
「ここまで付けないのはお前の評価が下がるから、せめて最低限は記録しろ」
「お前よりA(仮名。後輩)が早く帰ってるのに労働時間がA以下なのは流石に問題になる」
別に度を越えた残業をしている訳ではない(一応他の上司や先輩と同時刻の範疇で残業を終わらせている)。
製造、現場仕事でもないただのホワイトカラーなので労働時間の長期化で大事故が起こるわけでもおそらくない。
ちょっと時間単位当たりの額面が他の人よりも二回り程度少ないだけである。
勤労部門から直接的な文句が来ているわけでもない(これは勤労にいる同期や仲の良い先輩から確認済)。
やれサビ残だやりがい搾取だ言われている世の中で自分の行動は贅沢だし、会社にとっても雀の涙程度の利益しかないと自覚している。
大型の改善提案1個だした方が個人的にも企業的にも大助かりだからね。
坊主の後だけで跋扈してる葬儀会社が一番えぐい商売してると思う。
何かあれば戒名の布施が高いだの何だの言って坊主の責任にして逃げてるけど、坊主に聞いたら実際のところ葬儀会社からは1件10万円ももらってないと。
特に最近の派遣サービスは手数料が50%くらいになったみたいだから、ますます坊主の収入は減ってるね。
確かに僧侶という名ばかりの子持ち(笑)が有り難そうな漢字を適当に名前つけて数百万なんてところもあるにはある。
いい加減に子持ちの僧侶なんて宗派が追い出すべきなんだろうけど、お偉い様がみんな妻子持ちだから彼らは緩やかに滅んでいくだけだろうけどね。
そんな僧侶とかいう一般人の話はどうでもいいんだけど、ほとんどが葬儀会社の収入になってて坊主の収入なんて雀の涙みたいなもんよ。
そこに目を付けた本山が妻子を食わすために葬儀サービスを始めてカオスになってるんだけど、実際は葬儀会社が一番えぐいよ。
どっちも滅んでいくものだけど坊主にだけヘイトが溜まるのはフェアじゃない。
ヴィーガンとかいう人々がいるらしい。動物も人間と同じように扱うべきだと考えて動物を食べないとか。ふーん。結構なことだ。
なんとかいう環境活動家がいて、こいつを批判する人は現実から逃避したい人だとか少女が偉そうにしてるのが気にくわない差別主義だとか言われるらしいね。環境保護、立派と思います。
エロ本や萌え表現が存在するだけで女性差別が強化されると思い、男女平等の理想のために表現規制をしたいフェミニストってのがいる。男女平等、偉い偉い。
でもこいつらは、人間の人生に、人生の意味や生き甲斐を与えることにはすこしも興味がない。「平等であれ」という倫理を世界に広げることには興味があっても、社会の片隅でひっそりと生きている独身弱者男性の生きがいが奪われることには興味がない。
人生の意味を語ることは非合理な宗教信者にしかできない。世界はただ存在して、人間は誰かが避妊せずセックスした結果としてのみ生まれ、生物学的必然としてのみ死んでいく。この世界で、子孫を残す望みのない弱者、独身者は、孤独な人間は、何を希望に生きればいいのか?ただ自分の寿命を維持するためだけにクソみたいな労働をして、雀の涙みたいなカネをもらい、家畜の餌みたいな飯を食うだけの人生を浪費する。こんな人生に何の希望があるのか?
虚無にまるっきり等しい人生をごまかすためのものは何だか分かるか。1つは肉を思い切り焼いて食うこと。1つは度数の強い酒を飲むこと。1つはオナニーをすること。強い快楽を脳に浴びせ続けて、絶望を忘れ続けることだ。
上に挙げたような人たちは倫理的に生きることだけを至上命題としている。それも、動物、未来世代、女性と、他者との関係の上での平等を中心にしている。でも僕たちが倫理的であるのは人間関係を円滑にして自分の生存を維持するためであって、全ての動物と地球で仲良くするためではない。環境を大事にしようと思うのは残された子供世代が生きることを考えているから生まれる考えであって、独身で子供を持たない人間にはなんの利益ももたらさない。社会で生きる女性が就職や賃金や地位の面で不利益を受けているのは正されるべきだと思っても、わざわざ見に行かなければ何の影響ももたらさないような表現を規制することが女性の社会進出に役立つ度合いが、弱者独身男性のオナニーの機会を奪うことまで正当化できるほど大きいとは思えない。
僕たちの生きる意味、いや、生の絶望をごまかすための手段が、こんなことで制限されていいとでも思っているのか。
倫理的に生きることは、よく生きることに優越しない。絶望と生存のぎりぎりのラインを生きる人に、そんな強い倫理的要求を課す権利があるなんて、何で思えるんだ。リベラルの欺瞞なんてことが言われるのは、他者と対等に交感しあい友と親しい関係を築くことが人生の意味だなんて大層なことを言いながら、自分達には下品な性欲も食欲もありませんみたいな振りをしつつ、それを代替し人生の意味を補うための家族も友達も金も職業も弱者が欲しいものは全部持っていて、何もない孤独な独身男性に偉そうな倫理的マウントをとるからだ。
現代の倫理エリート活動家どもには、人生の無意味を直視してもらいたい。弱者で孤独で独身で救いようのないゴミ人間も、命を持って生きていることに対して向き合えないなら、お前たちの思想にも活動にも何の意味もない。
どうしたらいい?
整備士やってて足腰を壊してしまったので転職して一日中座ってパソコンと向かってられる仕事がしたい。プログラマーとかSEとか言われている人たちはどうやってなったの?どうやってプログラミングを覚えた?
独学で始めようにもどの言語からやればいいのかわからない。何故ならなることが目的になってしまっているので何がしたいかが明確じゃないからだ。
現状で知識が雀の涙ほどでもあるのはwebデザインがとっつきやすい。会社のサイトをちょいちょい更新してたので。WordPressとかいじれたらかっこいいイメージがある。でもそういうのからはしばらく離れてプログラミングがやりたい。
オススメの本があったら教えて欲しい。いずれは食っていけるようになりたいと思っているんだが明確なビジョンを見る知識すらない。
いったいどこから取りかかればいいんだ。
でも使わなければ、この国の政治家(地方も国会も)には届かないんだろうな…
何なんだ。この世の中…
心が痛い。悲しい。
コメンテーターとして出演していた橋下徹さんによれば、「下流の都市部を氾濫させないために、上流で川幅をあえて狭めて決壊させている…」
下流地域の人たちは犠牲になった地域の人たちへの感謝を忘れるなと。
海なし県で生まれ育った人間として辛い現実であるが、橋下さん、勇気を持ってこの国の闇にメスを入れてくださったことに感謝申し上げます。
確かに、都市部で大災害が起これば、経済損失は大きいし、そうならないように対策をする。これは橋下さんの仰る通りその通りだと思う。
その中でも特に、花角英世、中原八一、篠田昭、塚田一郎、石﨑徹。
この輩ども3人は、選挙の度にこう言う。
「新潟の拠点性を向上させる」「新潟冬季五輪を」「上越新幹線新潟空港延伸を」と…
しかし、彼等の口からは一言も治水行政、特に上流地域への配慮の言葉を聞いたことなど一度もない。
信濃川水系の下流に当たる新潟市が水害の被害にならないように、我々長野県の県民や行政は、上流にいる人間の責任として治水対策について激論し、浅川ダム建設等自分達の出来る範囲のことで努力してきた。
このようにして、新潟県、特に新潟市を始めとする下越地方の人たちの生命と財産は守られている。
その裏では、我々長野の人たちは今回の決壊で、いろいろな意味で犠牲を背負ったのだ。
これだけの災害なのだから、大切な人を亡くし、家族の大切な思い出を川に流された…
そのような人がいてもおかしくないと考える。
下流にいる人たちは、上流の人たちの犠牲の上に、安全な生活環境や経済活動が保証されている…
今後、地価の低下や風評被害が何らかの形で表面化し、立ち向かわなければならない運命にあるのに…
話が反れるけれど…
新潟市は、これまで多くの地域の犠牲の上に発展し、80万の政令市まで上り詰めた。
国鉄の大赤字やオイルショックの最中であったのに、上越新幹線は造られた。
大した苦労をする事なく、易々と手に入れたのだ。
浦佐駅や、上毛高原駅など明らかに利用者数が少ないのに、どの駅にも待避線を備えた2面4線の豪華に造られた。
ホームドアだってこの時代には熱海や新神戸に既に導入されていたのに、わざわざ浪費をしたのだ。
そのツケが、国鉄解体と民営化に繋がり、その後建設された整備新幹線沿線地域には並行在来線の運営を押しつけられたのだ。
長野の場合、あるパターンでは運賃もJRだったら240円で済むのに、しなの鉄道になったことで同じ区間を350円払う必要がある。
長野だけではない、北陸新幹線沿線の、上越糸魚川、金沢など整備新幹線沿線の地域では同じように値上げで悲鳴を上げている。
しかも、長野県ではフル規格にするのかミニ規格にするのか、時の情勢に引っ掻き回され、振り回され続けてきたのだ。
それによって、いくつも疲弊した地域、地域間に確執が生まれたところも現実問題としてあるのだ。
そして、あえて言わせてもらえば、20年経ったいま、その影響が顕著に現れている。
JR東日本管内では、モバイルSuicaで鉄道を利用すれば、最大で5%、ポイント還元でキャッシュバックされるようだ。
しかし、長野ではSuicaは導入されておらず、住む地域によって格差が生まれている。
随分話は反れてしまったけれど。
そう考えたとき、選挙に於いて上流地域の治水問題に一切触れることなく、新潟の拠点性の向上などとふざけた戯言をよく言えるよね。
中原八一も花角英世も塚田一郎もいつもいつも上から目線ですよね。偉そうに。
被災地出身の者からすれば、はっきり言って、新潟市、死ね!、ふざけんなよ!、なめんなよ!
あんたたちが、安全で生活が送れているのは、上流の人たちの並々ならぬ努力の結晶なんだからね!
感謝しなさいよ!
上流の人たちの犠牲や苦しみ、悲しみ、涙や汗が流れていると言うこの事実の上に、新潟市が水害に強く経済活動できているということを忘れるな!
今回決壊した箇所には少なくともスーパー堤防及び貯水池を、氾濫が確認された地点には貯水池を、国と新潟県及び新潟市に全額負担させる事を前提に早急に整備計画を策定することを求めます。
今回の決壊で、我々は犠牲を強いられたのだから、これは当然のことですよね…
長野県民も、下流地域の首長がふざけた言動をしないように厳しく目を光らせ監視する必要があります。
市民ファースト、県民ファーストという意味でもこれは当然のことです。
新潟県や新潟市が、財政難だからと言ってしらを切るようなことを新潟市の犠牲の下にある被災地出身の者として絶対に許すわけにはいかない。
勿論、新潟市の住民に痛みが伴うかもしれないし、財政破綻するかもしれない。
しかし、新潟県や新潟市は華々しい政令市を妄想して無計画に市内の至る所に大型ホールなどの公共施設を造りまくり、無駄であると指摘されている県立病院もきちんと見通しを立てることなく建設され…都市高速並の8車線国道バイパス網が整備されていて…
そのしっぺ返しとして、いまの財政難に陥ったのだから、財政難を理由に補償金支出は出せませんというのは、言い訳に過ぎないのである。当然だよね。
確かに、花角知事や中原市長は、財政再建に向けて給料とボーナスを20%削減した。
しかしながら、所詮20%。知事や市長にとっては、痛くもかゆくもないんだろうな!
我々庶民目線、被災地出身者目線からすれば、よくもこんな、なめた真似が出来るよね!
これで、この人たちは身を切る改革をしていると言うが、皆さんはこの現状で本当に改革らしい改革の努力をしていると思いますか。
財政難であるというのならば、ボーナス、退職金のぐらい丸ごと返上してみろよ!
名古屋の河村たかし市長みたいに、ボーナス、退職金返上で50万とか60万とかにしてみろよ!
当然出来ない事ではないですよね!
軽々しく身を切る改革などと言ってんじゃねーよ!
どうせ最後は保身に走るんだろ。
いないと思うけどダメ元で聞いてみる
学校にもよると思うけど嘱託職員(事務員)、司書、相談員だとか
そういう人たちもサビ残当たり前になってて
ああいう人たちって勤務時間週28時間とか決まってて給料もみんな10万とかそんなもんだと思うんだけど
あの人たちは雀の涙しかもらっていないかわいそうな人たちだからせめて定時で帰してあげましょう
それともたとえそういうこと言われてたりしたとしても
「いや学校で働いてるんだら定時で帰るとかありえないだろ。学校はそういう職場」
「俺らなんか毎日21時まで残って仕事してる上に家に仕事持ち帰りまでしてるのに帰るのが15時から16時になるくらいで何文句言ってるの?」
みたいな感じなんだろうか
どうなの?実際のところ
エアープランツを知っているだろうか? 土がなくても育つという植物で、おしゃれインテリアアイテムとして人気である。チランジアやティランジアとも呼ばれる。少し大きなホームセンターに行けば売られているし、ダイソーで見かけたことのある人も多いかもしれない。
私は激怒した。エアープランツの間違った育て方がネット上に氾濫しているからである。検索をかけるとおおよそ植物系のキュレーションメディアみたいなサイトが上位を占めることとなっているが、だいたい間違えている。Googleも植物の育て方についての真偽を見抜く力はないようだ。
間違った知識を基に植物を過酷な環境で育てて枯らせてしまっても有罪ではない。なぜなら植物には脳がないからである。我々が植物に同情したり、罪悪感を抱いたりする必要はどこにもない。
だけど、どうせなら元気に育てたいじゃない。
本稿では、巷に溢れるエアープランツの間違った育て方をあげつらって批評し、なるべく元気な育て方を提案するものである。
あらゆる植物を育てるにあたって、問題となるのは水やりの頻度である。
「とりあえず土を常に濡らしておけばいい」というお手軽な植物は問題ない。何も考えずに朝晩に水をあげればいい。
ところが、サボテンや多肉植物のように「水をあげすぎると根腐れする」という植物に直面したとき、我々は混乱する。誰でも植物に水をあげたいという衝動を持っているが、それを抑制しろとサボテンや多肉植物は言っているのである。それは「困っているぽい人がいても助けるな」と言われているのと同義であり、我々の本能・善意・優しさが激しく揺らぐ。
で、エアープランツである。奴らはそもそも土に植えて育てるものではないので、この混乱は虚無へと昇華され、思考が完全に停止する。そして、キュレーションメディアに書いてある通りに3日に1度霧吹きで雀の涙程度の水を与えて、やがてその植物は枯れさらばえる。
エアープランツは実は水をかなり好む。だから、毎日たくさん与えて良い。水の冷たい冬以外は、キッチンの水道水を直接じゃぶじゃぶかけても良いし、数が多いなら浴室においてシャワーでざぶっと水をかけても良いし、究極、溜めた水の中にドボンと数時間くらい漬け込んでも良い(これをソーキングという。毎日は非推奨)。
「水をあまり与えなくて良い」という言説は「乾燥に強い」を履き違えた誤謬である。これら二つの言説はこの場合、両立しない。
私は昨年のあの猛暑の一番暑いときに家を3日間空けた。ベランダの日陰にエアープランツを残して。それでも奴らは、ある程度の傷みこそあったものの枯れなかった。だから、乾燥には強い。だけど、それは水をあげなくて良いということではないのだ。
某フリマアプリにおいてこう記述されているのが目についた。何を根拠に言っているのかわからない。
日本の夏は蒸し暑く、湿度が70%を超えるという。それでも水やりをしなくて良いと言うのか。先述の私が真夏に3日間家を空けたケースで言えば、3日間水やりをされなかったエアープランツたちは「元気」というよりは「耐えた」という有様であった。先程は書かなかったが、乾燥に弱い1品種は完全に枯れていた。
エアープランツはある程度の湿度があっても水やりの必要はある。私は梅雨でも秋の長雨でも構わず水をやっている。
玉村豊男『料理の四面体』では、調理法を「火」「水」「空気」「油」の四要素に解体・再構築することで、すべての料理の作られ方を普遍という名の白日のもとに晒した名著であると私は考えている。この考え方を応用すれば、私は「植物の四面体」として植物の育て方を「光」「水」「風」「気温」の四要素に解体できるのではないかと考えている。
例えば、サボテンが健全に生育するには「光」「風」「気温」が必要だ。森の奥深くに茂っているシダ植物などは殆ど「水」だけが必要だ。
このように考えると、エアープランツに必要なのは「水」「光」「風」である。「水」は先に述べた。「風」は後に述べる。
「光」である。エアープランツは明るい場所を好む。真夏の直射日光ではさすがに葉焼けしてしまうが、春の柔らかな光くらいならむしろ直射で育てたいくらいである。
エアープランツはおしゃれアイテムとして認識されており、いろいろなウェブサイトにおいて室内でのかわいい飾り方が提案されているが、正直、室内だと光が弱すぎると個人的には思う。光が弱すぎると成長することができず、そのまま萎れてしまうか、蒸れてある日突然バラバラになる。
南向きの窓辺ならギリ大丈夫かと思われるが、できればベランダの明るい日陰で育ててほしいところである。木漏れ日のように時々陽が当たるとなお良い。ある程度の光量があるならずっと濡れっぱなしでも構わないのではないかという仮説もあるくらいである(室内の暗い場所で濡れっぱなしだと十中八九腐ってしまう)。
私がエアープランツ初心者だった頃、室内で育てていたのだがなぜかうまく行かず、すぐに枯れてしまう(バラバラになる)のだった。そこで、思い切ってベランダに出してみたところ、そこからは殆ど枯れることはなくなった。「光」と「風」のおかげであると思われる。室内の明るい場所だとしても、屋外の日陰に比べたら光量は全然足りないのである。
言語道断である。私の知る限り瓶に詰めて元気に育つのは苔くらいである。
上で「水」「光」と述べてきた。落とし穴的な存在なのが「風」である。意外と思われるかもしれないが、植物の健全な育成には空気の流れ、すなわち「風」が重要な要素になる。
エアープランツにおいてなぜ「風」が肝要かと言うと、あげた水をなるべく早く乾かすためである。エアープランツは水を愛しているが、その水がずっと乾かずに停滞してしまうと傷んだり、最悪、腐ってしまうのである。
なので、最も適切な場所は屋外であり、屋外が難しいなら室内の明るくて風通しの良い場所となる。扇風機などで送風して、空気が停滞しないようにするのも良い。エアープランツの生産者さんは、ハウスの中で常に高湿度を保ちながら、大型の扇風機で送風している。
水→エアープランツは水が大好き。ジャブジャブとあげて良い。水やりのコツは、あげた水が完全に乾いてから次の水やりを行うということだ。これを守れば一日に何回でも水やりをして構わない。
光→エアープランツは明るい場所が好き。できれば屋外、難しいならかなり明るい窓際で育てよう。
風→空気が停滞しているとあげた水が乾かず、腐りやすくなってしまう。盲点だけど通風にも気を払おう。
私はズボラである。面倒くさがりである。シンクに数日間皿を溜めてしまうことはザラだし、掃除は苦手だし、ペットを飼うのにも向いていない。だけど、エアープランツは育てることができる。つまり、コツさえ掴んでしまえば難しくないということだ。
(春〜秋)ベランダの日陰になる場所に吊るしている。数が多いので100均のワイヤーネットに大量に吊るしている。水やりは朝晩の2回。いずれも滴るくらいにたっぷりと与えている。朝昼夕晩の4回くらい与えても問題ない。
(冬)最低気温が5℃を下回るようなら室内に取り込む。北関東に住んでいるので、冬はおおよそ寒い夜は室内、暖かい昼は屋外で直射日光に当てるというサイクルになる。水やりは変わらず朝晩2〜4回くらい。
スペースの関係で吊るせないエアープランツは、100均で売っている網状の書類入れや雑貨入れに並べている。網状なのは当然ながら、通風を良くしてあげた水を停滞させないためだ。管理は上述と同じ。
*
たったこれだけ。明るくて風通しの良い場所で管理して、朝晩に水をやるだけ。乾燥に強いので数日は水やりを忘れても大丈夫。ね、簡単でしょ?
とはいえ、コツを掴むまでが難しいんだ。少なくとも「室内で瓶詰めにしておしゃれに育てる」という類の植物ではないかな。エアープランツは最初は誰もが失敗するに違いなけれど(私もだいぶ枯らせた)、コツを掴んでしまえば簡単に育てることができる。
土がいらないので虫が湧くこともないし、省スペースで園芸を楽しむことができる。エアープランツの魅力を伝えたくて本稿を書いた。
枯らせてしまっても大丈夫だ。なぜなら植物には脳がないからだ。エアープランツは君を呪わない。何度もトライアンドエラーを繰り返して、より良い植物ライフを!
エアープランツにはいろいろな種類があるが、本稿では「エアープランツ」と十把一絡げにして取り扱った。大きくは「銀葉種」と「緑葉種」に分かれるらしいけれど、それはあまり問題ではない。うちのエアープランツは銀葉種だろうが緑葉種だろうが全て上記の要領で管理している。ホームセンターやダイソーで売られている普及種はどれも比較的に丈夫なので、細かいことは気にしなくて大丈夫だ。
エアープランツは葉から水分を吸収するという不思議な植物である。だけど、根が生えないわけではない。おおよそ春頃、状態が良いと根が生えてくる。自生地では大樹の幹などに根を張って成長している。蘭などと同じ着生植物というやつである。「土が要らない」というのは「自生地では木などに着生している」という意味である。
なので、最も良い育て方は、流木・コルク・木片などに針金やテグスでエアープランツを固定するというものである。そうするとそのうち根が出てきて、その木片などに着生する。着生するとより元気に育つと言われている。
本文であえてそれを書かなかったのは、育てるにあたっての敷居を高くしたくなかったからだ。着生させなくてもきちんと育つ。慣れてきたら着生にも挑戦されたし。
私が最近、余って置き場所に困っているエアープランツに対して行っている育て方は、上述の100均の書類入れで管理し、
朝:室内に取り込んで南向きの窓辺に置く
ここから察するに、エアープランツにとって最重要なのは「風通しの良い場所で水をやる」ということなのではないかと推測される。もちろん明るさも大事だけれど、それと同じかそれ以上に。
正解は一つじゃない。私も未だにいろいろと試行錯誤している。居住環境や生活スタイルは人それぞれだから、それぞれの人にあった元気な育て方を見つけてほしいと思って追記した。
・葉先から枯れていく
「葉先から枯れていく」のは水が足りない証拠である。水やり量や頻度を増やすことが推奨される。また、上に挙げたソーキング(溜めた水に数時間浸ける)をすると一気にハリが出る。ソーキング後は風通しを良くすることを忘れずに。
「中心部がスカスカになりバラバラになる」場合、光量や通風が足りないと思われる。暗い室内で管理していると結構な確率でこうなる。はい、私もよくバラバラにしました。置き場所や環境を工夫することで回避できる。
デレマス総選挙は毎年大なり小なり荒れ界隈がヒリつくのが恒例ですが、今年は例年に比べより行き場のない怒りや情念、怨念と妬みが渦巻く総選挙だったように感じます。
首位を争うのは本田未央、北条加蓮、そしてダークホースの夢見りあむによる三巴状態でした。
誰が勝とうと例年以上に結果発表は物議を醸しそうですが、どんな結果になろうと私個人はCGを取ったアイドルを祝福したいと考えています。
結果が出るまであと数日、それまでに今回の選挙を走って自分の中で生じた焦りとか妬みとか、少しですが楽しかったこと等の感情を整理する為に一度自分の気持ちを何処かに書いておきたいなと思い筆を取っています。
チラシの裏でもいいのですが人にみられるという意識を持って書いた方がきちんと整えれるかと考えてここに投稿させて頂いてます。整えてるかは別にして。
では本題。
◯夢見りあむについて
今回は彗星の如く登場した新アイドル、夢見りあむが界隈に衝撃を与え、弱くも悪くも話題の中心になりました。
そこで数多くのPの鬱憤や怨念、妬みや焦りが溢れだし夢見りあむお気持ち表明文なる増田が多々投稿され色んな立場のPの生々しい感情に触れることが出来ました。
私は別段、夢見りあむを好きでも嫌いでもありません。
どちらかと問われれば没個性よりも話題性になる方が良し、と考えていますのでキャッチャーで尖りまくりな彼女のキャラクターは好みよりです。
登場時から賛否両論を巻き起こし、予想通りというべきか、まさかと言うべきかはわかりませんが中間に食い込みさらに物議を醸し出しました。
個人的にはこのままCGになってしまってもいいのでは?と思います。
それは、ここ数年ずっと続いていたガシャブに後押しされたキャラクターが一位になり、上位にランクインするも惜敗した本田未央pが涙を飲む、ボイスが欲しく上手い立ち回りで浮動票をかき集めたアイドルが念願のボイスを手に入れ一方で昨年ボイスを手に入れたアイドルは飽きたオモチャのように見向きもされないという繰り返しに風穴を空け、例年とは違った何かがみれるかもしれないという期待です。
上位のキャラでCD作って選挙の公約果たしてはい終わり、また来年の選挙もよろしくねって。
それでも例年の閉塞した選挙に刺激を与えてくれたりあむの存在は面白かったし、彼女を取り巻く状況を眺めるのは言っては悪いですが楽しかったです。
彼女のおかげで辛いだけの選挙じゃなくほんのちょっぴりですが選挙を楽しめました、ありがとう夢見りあむ。
七回の選挙結果をみた時点で、次の選挙は未央と加蓮としきの三巴かなと予感してました。
しきは中間でCuのトップでしたがCGは厳しそうな順位でしたね。
ですのでどう動くのか読めないりあむを除外すれば、実質未央と加蓮の一騎討ち。
運営の手厚い加護と後押し(ガチャブ、しんげきメイン回、遡ればアニバでのまさにシンデレラをモチーフにした限定衣裳)を貰い追い風の中ナチュラルに他のアイドルを見下して、彼女こそCGと言わんばかりの態度を取る加蓮P
未央を悲劇のヒロインに仕立て上げNGとポジパは未央の票田になって当然のように振る舞う未央P
また、他アイドルでも良くあることといえばそうなのですが自分が大好きな映画や流行りの作品を合作だダイマだと言い張って、まるで未央の後押しをするための踏み台の用に扱う姿勢もムカついて仕方ない。
他のアイドルも映画も音楽も漫画もなにもかも、未央を引き立てるための素材とばかり振る舞う未央Pには「自分の足で歩け」と叩きつけたい。
いっそりあむが全部ひっくり返して勝ってくれれば今回は大笑いで締めくくる事が出来ますが、その場合未央VS加蓮の戦いが来年に持ち越されるだけなので長い目で見ると微妙な気もします。
Paアイドルを応援する身としてはとっとと本田未央にCGを取ってもらって総選挙CG枠を空けてもらいたい、と言うのが本音です。
未央Pは彼女を悲劇のヒロインのように扱いますが、よくよく考えてみるとデレマスで一番多くの曲を歌ってるのは本田未央なんですよね。
看板ユニットNGとして出番の保証は確保しつつ、総選挙の枠すらしれっと奪っていかれてはたまったものではないです。
例年、トップを取ったアイドルは次の選挙で大きく順位を下げます。
未央pは「未央ちゃんを三ツ星に!」だの理由をつけて2冠3冠を狙うだろうと言われていますが今未央が持っている浮動票は確実に別のドラマを求め他のアイドルに流れるでしょう。
その時未央が今の順位をキープできるかと考えれば頑張っても圏内に入るぐらいまでに落ち込むと考えます。
なので、例年同じことが叫ばれていますが本田未央がさっさとCGになって枠さえ開けてくれればそれは他のPaアイドルにとってプラスにしかならないので、一応本田未央の勝利が良い落とし所だと考えてます。
加蓮だとPaの枠は空かないし奈緒も含めてTPでCG!みたいな流れが生まれてそうですし本田未央の感動ポルノにまた来年も付き合わされるハメになりますし。
これで最後です。
私の担当はPa所属で、一応登場してから数少ないPaにおける数少ない全圏内アイドルです。
モバマスのアンケートでもランクインし、Pとしての贔屓目抜きにして人気があるアイドルとしてみて良いと言えるキャラです。
ですが、何故かこの二年間曲を全く貰えていません。
総選挙に限らず、この1~2年間ボイス未実装アイドルのPがデレマスの展開について嘆き、声のついた人気キャラのPがダイマして総選挙で結果を出せと一刀両断する場面を数多く見てきました。
そういった場面を見る度に、何故か無関係の自分にダイマと選挙結果という言葉が突き刺さります。
この二年間の内、季節シリーズとしんげきの1~3期のED歌唱、そしてデレステでのイベントが新曲の実装機会でしたね。
担当の新曲が来るかとワクワクしながら待ち、落胆を繰り返すばかりでした。
まだしんげき4期のED歌唱が残っていますがPaはしんげき季節共に未歌唱アイドルが多く、ここに望みをかけても歌ってくれるという期待は薄いです。
出番が全くなかったわけではありません。
モバでは素敵なイラストのカードを沢山もらえました。ここは素直に嬉しいです。
デレステでも一応出番はありましたが、基本的に他の子のオマケで、時には酷いキャラぶれもありとても満足できる出番では無かったです。
SSRも二年待ってやっと貰えましたが選挙で同等、もしくはそれ以下の結果のキャラが限定強スキルに豪華な衣裳をもらっている中恒常で使いどころの見つからないスキル、衣裳は簡素で省略の後が見え隠れし、ほぼコピペで特訓イラストはやけに背景寂しいと思ったら一枚の集合絵を3分割したものでした。なんだこれ。
選挙でそれなりに結果を残せば良い出番良い衣裳が貰えると信じて二年待ちました。
そんなことは全くありませんでした。
たかが二年、されど二年。
私は担当の歌が大好きなのに、いつになれば担当は新曲を歌うんでしょうか。
私の担当は何をしたんでしょうか。
他の子を下げろとは言いません。
ですが選挙で各アイドルの実績と持っている数字を公表している以上、同等の成績を出しているアイドルと同等の扱いでなければ納得出来ません。
今回の選挙でなんとしても属性三位にねじ込めば担当の新曲が聞けるのでは?とも思いました。
しかし選挙直前で、最悪のタイミングで担当のガシャが来ました。
とても良いカードでしたし新規絵は嬉しいけど、所謂逆ガシャブのタイミングです。
ここの時点でランクアップ所か逆ガシャブの煽りと直近のデレステでの出番の少なさから初めての圏外落ちを覚悟しました。
それでも諦めたくなくてやれるだけの票をかき集め投票しました。
上がらなかった事に落胆すべきか、いつもの順位をキープできた事に安堵すべきか私にはわかりません。
総選挙なんて頑張っても意味がないと確信し、この地獄じみたレースから降りようとも思いました。
しかし担当に素敵な歌声をのせてくれる声優さんが担当が必要とされなくなる事が怖いとブログに書かれていた為、引くに引けなくなりました。
法子ちゃんの声優さんも、直近ではMマスライブの理科教師に弁護士の声優も、探せばもっと出てくると思いますが演者にユーザーの不安を煽るような事を言わさせないで欲しい。
その人達に好意を持ってしまってるから切り捨てて逃げる事ができません。
いっそ冷徹な人間になりたいと心で叫びながら社畜生活のただでさえ少ない時間とお金を当て、リターンがないと分かりきってる物へお金を投げ込むストレスは言葉にすると簡単ですが実際はとても辛かった。
辛かったからこそ夢見りあむ騒動の馬鹿馬鹿しさは少しの救いになりました。
こんな界隈だと望みは薄いですが、夢見りあむと彼女を本当に好きで応援してる人達が少しでも報われること願っています。
油田を持っているわけでもない、しがない社畜の雀の涙のような票では結果に大きな影響は与えられないでしょう。
それでも走ってしまった以上、何もしない後悔よりはマシかと思い込む事にしました。
でも私以上に今回の選挙に思いをかけて真剣に望んだPは星の数ほどいるので、泣き言は言えないですね。
どんな結果になろうとキチンと受け止めその上で今後デレマスとどう向き合うかを考えて行きたいです。
正直、好きなキャラクターの出番が無いのにいつかは、今度こそとしがみつくのはとてもしんどいので。
◯まとめ
長いのでそれぞれ三行にまとめます
・夢見りあむありがとう
・ナチュラル見下しと感動ポルノはもううんざり、いい加減自分の足で歩け
以上です
長々とお付き合いありがとうございました
※タイトルから察せる通り、以下はMCU作品群(特にエンドゲーム)の重大なネタバレを含むので、自己責任で読んでくれ。
まず始めに言っておくと、この記事は通りすがりの他人のクソデカ感情を吐き出すために書いたお気持ちブログであることを承知の上で読んでほしい。
暇でもなんでもいい、別に誰一人として読まれなくてもぜんぜん構わないけど、自分一人で抱えるには大きすぎる感情のジェットコースターを体験した私が気持ちを整理するためのもので、読み終わった後に胸くそ悪くなったとか、そんなどうでも良いことで喚くなとかいう苦情は受け付けてない。
私が私のために書く私の気持ちを整理するお気持ちブログだ。ここまでで、なんだコイツと思ったヤツは悪いが帰ってほしい。
まず始めに言うと、このたび2019/04/26(日本公開)の「アベンジャーズ エンドゲーム」は最高の映画だった。
私は前作「インフィニティー・ウォー」を劇場で見てから「エンドゲーム」が公開されるこの日を、ずっと待ち遠しにしてきた。と同時に、死刑宣告を言い渡される日だと思ってきた。
そこについての詳しい話しは後ほどとして、弊推しはキャプテン・アメリカだ。ここからは8割かれの話しになるので、それを念頭に置いて読んでほしい。
上映が始まり、私はすぐにこう思った。
最高だ。
キャプテン・アメリカのカットはかなり多い方だと言って良いし、何よりその美しい顔面が際立つシーンが多くて終始動悸が止まらなかった。
登場初っぱなの髭を剃り終わったシーンなんかは大変興奮した。鏡越しに送られる目線にゾクゾクした。青い瞳が堪らなく美しかった。
過去に跳んだ先で、「アメリカの尻」と揶揄され腰からのヒップラインがドアップになって私が失神しそうになったり、宿敵のフリをするために「Heil HYDRA」と言って見せたり(!)、タイミング悪く過去の自分VS.現在の自分の凄まじい戦闘を繰り広げたり。
最終決戦なんかムジョルニアを使って(持てたの!知ってた!!でも公式でやると思ってなかった!!)、盾とのコラボ技を披露して無双するシーンなんかもあって、私は終始死にそうだった。
公式で見られないだろうから、二次創作に期待していたアレやソレがすべて公式で起こった。
何を言っているかわからないだろうが私にも未だによくわからない。公式が最大手だった。
上映中、頭に過ぎるのは命日の二文字だけで、あまりの怒濤の展開に呆然とスクリーンを見守るしかなかった。
こんなにも美しくもたくましい推しの姿をこんな大画面で見てしまって良いんだろうか。私は明日死ぬんじゃないだろうか。
決戦が終わったとき、私は本当にそう思ってたし、うぉーがしびってあれこれの解消し切れてない部分も、これなら許せそうだと思った。
あまりにも美しい終わりに涙すら出そうになった。
そう思ったこの瞬間の私をぶん殴ってやりたい。
私の地獄は、このおおよそ2時間半が終わり、あとはちょっとしたエピローグと、長い長いエンドロールだけだろうというタイミングで始まった。
彼は“キャプテン・アメリカ”の仕事として最後の後始末を受け持った。それはインフィニティー・ストーンを過去へ戻す仕事だ。
なるほど、それは重要だな。
このときまだ、呑気にも私はそう思っていた。今すぐそこで見るのを辞めろ。
しかし、装置を作動させても彼は戻ってこない。訝しんで、彼を見つけて。
彼は年老いて戻ってきていた。近くのベンチに座って。だから帰還に気付かなかった。
「もう自分の人生を歩んでも良いんじゃないかと思った」彼がそういった。
目の前が真っ暗になった。
自分の人生を歩むこと自体が悪いことではない。それは私が何処かで迎える彼のハッピーエンドだと思っていたから。
しかし、そうじゃない。そうじゃないんだ。
“自分の人生を歩む”と言っていいのは、戻ってきて、この先の未来を生きての話しではないのか?
なんで?
どうして?
彼が過去をやり直して戻ったと言うことは、“キャプテン・アメリカ”として行った任務を、石を返した時点で完遂したと自己判断し放棄して、過去を改竄して戻ってきたということだ。
MCUが何処までマルチバースを採用していて、タイムトラベルによる世界の分岐やパラレルワールドを取り扱っているのかはわからない。
あの正規の世界線の歴史が変わったわけではないのかも知れない。
それでも、だ。
吐き気すらも覚えた。
散々、タイムトラベルで過去を変えるコトは禁忌であるという下地を本作で作った上での、コレ。
キャプテン・アメリカというキャラクターを馬鹿にされているのかと思った。
頑固で考え方が古いかも知れないが、高潔なる精神の持ち主ではなかったのか。
自分が幸せになるために歴史を書き換えるような、そんな軽率な人間であったのか?
彼の信念は何処に行ってしまったんだろう? 呆然としてしまった。
私の知識はまだまだ浅い方だ。アメコミという沼はあまりに深すぎて年浅い私にはまだまだ知らないことの方が多いだろう。
それでも、複数の媒体から感じ取った「キャプテン・アメリカ」の信念と、今回の彼の行動はあまりにかけ離れていたと思う。
彼は、犠牲を尊んで、彼らのためにも前を向いて歩くタイプの人間ではなかったのか?
今までのMCUでの彼の扱いは、キャラ解釈の違いで殺されるかと思ったシーンが幾度もあった。(それもすべてエンドゲームの監督の作品だ)
それもコレも今日で終わりだと思った。そのはずだった。「シビル・ウォー」からずっと抱えてきたモヤモヤが解放されると思っていた。
まさか最後の最後で私が彼を好きになった信念そのものをたたき折られるとは思ってなかった。
この事実を認識した途端に、私は堪らなくトニー・スタークに嫉妬した。
怒りを感じたと言っても良い。但しこちらは、制作陣に対して、だが。
確かにトニーの最後は、ハッピーエンドではなかったかもしれない。
それでも、彼は誰にも害のない形で己の幸せを享受した上で、自己の“ヒーローである信念”を貫き通して死んだのだ。
誰にも疑いようのない唯一無二の英雄となったのだ。
それに比べて、彼は、スティーブは?
制作陣の都合で言いように改変を繰り返されて、彼のズタズタになった信念を、きっとこの最後で修復してくれるんだと思った。
そうじゃなかった。作品を丸く収めるために良いように使われただけだった。何一つ変わらないどころか、より最悪の形で悪化した。
彼だけではない、ソーだって、前三作で作られてきた彼をすべて壊して何事もなかったように進んだ。
スティーブよりは違和感は少なかったかも知れないが、何故このタイミングで、と言う気持ちが拭えなかった。
ツイッターでは英雄が一般人となって自己の幸せを歩んだ作品だとか、脱マッチョイズムだとか言われてたけど。
だからなんだ?
それって既存のキャラクターの基盤をぶち壊しにしてまで展開してイイモノなのか? しなければいけないものなのか?
仮にやるとしてもこの集大成とも言える全員揃う映画でやるべきコトではないんじゃないだろうか。
本当に、今も怒りで視界が赤くなる。
この映画は巨大なトニー・スターク賛美のための墓場となったのだ。
トニー・スタークを恨むモノは誰もいない。
これほどまでにキャラクターを理解され、制作陣に愛されていた。
本当に本当に妬みで爆発しそうなほどだった。
それなのにトニー派の連中はスティーブを薄情者だといって責める。
スティーブの劇中での言動は推しの私でもフォロー仕切れないところがある(だからといって全面的にトニーを擁護も全く出来ないが)。
だからそれ自体は、特に訂正しようとか思わない。どんな思惑に巻き込まれて信念がたたき折られたとしても、それは“現実”(そと)のはなしであって、“MCUの世界”(なか)には関係ないはなしだから。
それはまるっと彼の罪なのだ。
それでも。
心底羨ましいよ。
脳の神経がすり切れそうなほど羨ましい。
なんで、彼ら彼女らはこんなにも恵まれていて、私はこんなにも苦しんでいるんだろう。
私は作中に責めることの出来る人間などいない。あえて言うならキャプテン・アメリカ本人だが、自分の推しを悪意的に見るほど苦痛なことなどない。
悪人が悪人である所以を好きになったというなら、また話しは違うだろうが、生憎私が好きになったのはヒーローの彼なのだ。
多少の欠点の他に、悪意的に捉えられるところなど、少ないはずなんだ、本来なら。
「エンドゲーム」を見てから、一晩経った今でもずっと脳内をこの言葉が占めている。
私に過去に戻る力があるなら今からでも「ウィンター・ソルジャー」の撮影まで戻ってあの監督を始末してしまいたい。
彼の、キャプテン・アメリカのこのエンディングは、「エンドゲーム」で一区切り(実際は次作スパイダーマンで区切りだが)着くMCUという作品群を丸く収め、また次のフェーズ4に繋げるためには必要で、全体的に見れば“正解”であり、納得のいくモノだったのかも知れない。他人様の感想を読んでいて、そういう気持ちに全く為らないという訳ではない。
でも、理解が出来たからといって、納得が出来るからといって、許容できる訳ではないのだ。
だって彼は、すべての人を置き去りにして、己の幸せに走ったあの男は、もはやヒーローではないのだから。
それは、私の好きになった彼ではないのだ。
信念を貫くことを辞めた人間は、大体にしてこう言われる。
「昔とは別人だ」
MCUの世界では彼にそうなる資格があると思っている人間が多かった。だからこそ中の世界では受け入れられたんだろうが、確かに人は変わってしまっているのだ。
別人なのだ。
私はそれが受け入れられない。
ヒーローを辞めた彼には、もうムジョルニアを持つ資格はないだろう。
だからこその二代目、なのかもしれないが。
今一度言うが、私の推しはキャプテン・アメリカだ。
そもそものMARVEL作品を見始めた切っ掛けとして、彼の単独シリーズの第一作「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト アベンジャー」を見て、彼に一目惚れしたからだ。
そんな私の推しの彼を演じるクリス・エバンスは「エンドゲーム」を最後にMCUから卒業すると宣言していた。冒頭でこの日が死刑宣告の日だと言ったのは、そういう理由だ。
もう二度と推しを見ることは出来ないのだから、私は死ぬんだと思っていた。
だけど、違った。死んだのは私ではなかった。
死んだのはキャプテン・アメリカの信念だ。
巨大なトニー・スタークの墓場の奥深く下に虐げられ、無残にもうち捨てられた彼の正義が崩れ去った日となってしまったのだ。
キャプテン・アメリカの信念はすでに散々あのクソ監督兄弟に改変されまくって、ボロボロで、もう雀の涙ほどだったけど。
それでもわたしはかれらしいさいごをのぞんでいた。
一生消えないだろう傷を負った。
それなのに周りには「エンドゲーム」を賞賛する声しか聞こえてこない。
私にとっては、それこそが何よりの“彼が死んだ証明”だった。
私の推しの新作がもう来ることはない。
この先、カメオで出演するとしても、マルチバースの信念の折れてない彼でもない限りはそれは彼ではない。
この記事を投稿することによって私はキャプテン・アメリカの、スティーブ・ロジャースの死した信念への手向けとする。
・授業時間しか時給が出ないため前後の準備時間合わせたら実質時給500~600円
(事前に大学があるから出られないと伝えた日も、パワハラ正社員の「お前の学業なんかどうでもいいんだよ!」とのお言葉とともに無慈悲にシフトを入れられる)
(パワハラ正社員に「お前は生徒と保護者の前では社員だからな?」と怒鳴られたことも)
(クラス主任、面談、保護者会、保護者連絡など。合格実績もアルバイトの責任)
・カリキュラムをガン無視しても、生徒や親から慕われてれば許される
・アルバイト講師(男)が在籍中のJCと普通にLINE交換してる
という職場でほんとにキツかった。
授業手抜いても良心の痛まないような、賢いサイコパスに向いてる職場だった。
生徒は可愛いし最善を尽くしてあげたかったけど、正社員からのパワハラが酷いし、社員と同じ責任と仕事して雀の涙ほどの賃金しかもらえないので心が壊れる前に退職した。
まあ退職の時もすごい引き止められて半ば引継資料作って飛ぶみたいな形になったけど…
パワハラ正社員はすぐ怒鳴るから嫌いだったけど、彼は彼で常に14連勤くらいしてそうだったのでその点に関しては同情してる。今も。
毎回積極的に投票券を集めたりはせず、完全にエンジョイ勢だったが、今回は本気だ
アンチでもなければファンでもないが、彼女の一位だけは絶対に阻止したい
ニュージェネを全員シンデレラにとか、そういう下駄を履かされているのが透けて見えるのが嫌なんだろう(そもそもデレマスにおけるユニット推しが好きではない)
どのアイドルにもガラスの靴を履く権利はあるはずなのに、こんなことを思うのはよくないと思いつつ、この気持ちだけはどうにもならない
かといって推してもいないのにシンデレラガールに近い子に投票券をぶっ込むのも違うと思う
エンジョイ勢の投票券なんて雀の涙以下だから大局には全く影響しないだろう
この増田が投票に影響することもない。むしろ彼女をシンデレラガールにしようとぶち込む人まで出る可能性がある
でもこの自分の中のどうしようもない悪感情を吐き出したかっただけなんだ
アイドルの女の子が一生懸命努力している姿を応援したかっただけなのに、どうしてこんな気持ちになってしまったんだろう
みんな仲良くしている優しい世界であって欲しいのに
でも何度でもいう