はてなキーワード: 秘密とは
同僚の坂本弁護士をオウム真理教に殺された滝本弁護士が、敵討ちのため、残党を解散させたい気持ちは分かるような気がします。
オウム真理教事件に携わってきた関係者たちは、死刑の執行によって長年の裁判にやっと決着がついたと見ているのでしょう。
滝本弁護士は、裁判だけでなく、教団の解散をゴールと考えているので、死刑だけでは不十分と見ているのでしょう。
滝本弁護士と他の著名人の温度差は、そこに起因しているのではないでしょうか?
現状、オウム問題で騒いでいるのは滝本弁護士だけで、他の著名人は動向を見守っています。
麻原の遺骨を散骨するなら、事後報告にしておけば、余計な手間を取らずに、スムーズに事が運べたはずです。
滝本弁護士は、記者会見を開いて大々的に散骨を宣伝した後、信者に襲撃されるかもしれないので危険だ、国が支援して散骨すべきだ、と主張しています。
江川紹子さんは、わざわざ荒波を立てる前に、密かに散骨を済ませた方が良かったのでは?と苦言を呈していました。
https://twitter.com/amneris84/status/1016995236797542402
事前に記者会見する意味がよく分からない →四女側「遺骨、太平洋に」=警備など国に支援要請―オウム松本元死刑囚(時事通信) - goo ニュース
https://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-180711X380.html
https://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-180711X380.html
四女が遺骨を受け取った後、密かに海へ散骨して、部外者に対しては保管場所を秘密にしておけば済む話だったのでは?(保管場所=太平洋の海底)
日本の法律では、刑罰を受けた者は、それ以上の罪を問われることはありません。
麻原も死刑が執行されたので、法律上は、これ以上罪を問うことができないのです。
その上で、さらに散骨を国が実施すれば、単なる法律問題を超えて、宗教の問題、政治の問題に発展する可能性があります。
滝本弁護士が騒いで、散骨に国が介入すれば、下手すると政治問題に発展する要因を残すでしょう。
まだ6人の死刑囚が残っている中で、死刑の執行以降のプロセス(遺骨の扱いなど)に国が介入すれば、恣意的だと批判されてしまいます。
このような混乱や遺恨を残さないためには、有識者などの第三者も交えて、関係者が今後の対応策について協議するべきでしょう。
遺骨を散骨したぐらいで、残っている信者が解散するとは考えにくいです。
(その程度で解散する連中なら、もっと前に解散していてもおかしくないのでは?)
悲しいことに俺の青春と人生は、オウム真理教の影響を大きく受けている。
杉並区の高校に通っていたことも、俺の精神をオウムで埋めることに拍車をかける要因になっていただろう。
彼らの一部は愉快な教祖のはりぼてを被り、ある者は象の着ぐるみに身を包み、あるいは象の帽子を頭に乗せている。
特殊なコスチュームを持たない信者らは、サマナ服と呼ばれる修行用の衣服をまとい、風船やら麻原彰晃のマンガを配ったりしていた。
もちろんBGMは例のマーチやらアストラル音楽という、キャッチーでありまた環境音楽のような不思議なものである。
俺は国語を筆頭に社会科、政治、そう言ったいわゆる「文系」科目は苦手ではあったものの、そんな俺でも「選挙権を持たない子どもをメインターゲットとしている活動」が、少々不自然であると感じていた。
そりゃそうだ。
風船はただの風船ではなく、教祖の似顔絵がプリントされているのだ。
高校生に配られる小冊子には、確か空中浮遊できるまでの修行の様子が描かれたマンガなどが掲載されていたが、しょせん高校生などアホの集団であり面白がってそれを貰うのだ。そして教室の後ろのロッカーの上には放置されたそのチラシが散乱していた。
男の子は好きなんだよ。
秘密基地のようなものや、仲間をコードネーム(ホーリーネーム)で呼び会う秘密結社感が、想像力をかきたてるのだ。
ではその秘密結社に入りたくなったのか?と言えば、残念ながらそれは無い。
「なぜこんな怪しげな組織に入りたくなるのか?」と、信者の心理や精神構造が気になって仕方なかった。
ずっとだよ、ずっと。
彼らが大きな事件を起こし、事態が収束していくまで、いや、それ以降もか。。
「そこに何かの救いがあったのだろう。」と漠然と思っていたが、なぜソレなのか?ソレでなければいけなかったのか?
彼らは事件を起こした。
自宅最寄り駅の野方駅近くには、呉服屋の上にオウム真理教病院があったが、そこもまた事件の舞台となってしまった。
震撼した。
にも拘らず、日々テレビで報道されるオウム真理教の情報は、心を揺さぶったのだ。
サティアンと呼ばれる施設には秘密化学工場があり、ヴァジラヤーナ号とかいうクルーザーを所有していたり、次々と明かされる関係者のホーリーネーム、挙げ句の果てに報道陣が居る目の前での暗殺まで……
笑えない、笑ってはいけない。
笑えるわけがないのだ。
……にも拘らず、興味が絶えないのだ。
事態が収束し報道される情報の減少に、軽い寂しさすら覚えたのだ。
終わりが近づくことは良いことであるはずなのに、だ。
心を返して欲しい。
俺の心も脳細胞も、そんなことを考えるためにあるわけじゃあない。
そんなことを覚えるためにあるわけじゃあない。
心と脳細胞を返して欲しいのだ。
教祖は死んだ。
これで本当に、人々の興味も、記憶も、薄れていくのだろうか?
それとも、まだあの教団から派生したいくつかの組織が存続している以上、しぶとく人々の記憶に巣食い続けるのだろうか?
人々の……というより、俺の、だ。
こんなに、こんなに興味を注ぎ続けてきたのに、一度たりとも「入りたい」と思ったことは無いのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
の続き
ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。
確かに病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。
しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨てる必要があります。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)
それゆえ、日本の近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。
中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番。
問題なのは、日本の看護はその上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。
そもそも現代日本の看護教育は、戦時中の軍隊式日本赤十字の従軍看護婦養成の伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。
日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.
この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。
1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・
この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・
1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり・・・
1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・
2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)
プライバシー尊重とか超超基本的な倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態。
恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。
秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。
今の30代以上の看護婦世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf
「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今日の日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知が蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言で黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。
続く
最近、オカルトブームを振り返る人が多いけど、あまりに言っていることがあやふやなので、とりあえず調べられるだけ調べてみた。
ちょうど夏真っ只中で、天気予報では気温30度を超え。自室はエアコンがガンガン効いていたので、逆に肌寒かったのを覚えています。
夏ということなので、生放送をきいているリスナーから、スカイプを通して怖い話を募集することになりました。
リスナーから、いくつかの怖い話を聞きましたが、どれもパッとしない、どこかで聞いたことのあるような内容でした。
ですが、文字ではなく声で会話できたことから案外楽しかったです。
そんなことを思いながら、次の人のスカイプにでると、低い小さい声でボソボソしゃべる男の人からの通話でした。
インターネットを通して、変な声からおかしな人がいることは知っていたので、それほど気にはしませんでしたが、最初の数十秒は呼吸があらく、気持ち悪いおっさんなのか、ウォーキングでもしながら通話しているのかな?なんて思っていました。
「元気ですか?」
「あ、元気です。」
といったどうでもいい、単調で続かない会話を2分ほどしていました。
さすがに面倒くさくなったので、怖い話がないなら通話を切ると伝えると、3秒くらい無言になりました。
そのあと、小さい声なりに張って喋っているのがわかる声調で、一言喋りかけてきました。
「外にいるよ。手振ってる。」
私は鳥肌が止まりませんでした。というのも、住所おろか地名までも秘密にしていたので、リスナーが私の家を特定できるばすがないと思っていたからです。
私はアパートの3階に住んでいます。私から見てパソコンを向いている逆の方向にベランダがあり、右には短い廊下の先に玄関という、とても小さい部屋です。
流石に冗談だと思いましたが、内心怖かったので、恐る恐るベランダに続く窓から外を眺めました。
パッと外を眺めた程度でしたが、誰もいませんでした。ホット一安心し、窓を開けベランダに出てあたりを誰かいないか注意深く探しましたが、やっぱり誰もいません。
一安心したと同時に、若干苛ついていたので、罵倒してやろうと考えながら椅子に戻りました。
イヤホンをつけると、ずっとやっていたのか、
「外にいるよー。」
と小さい声なりに張って喋っていました。そこに私が、
オラオラ系だったり……
結局、女って「雄」を感じる男が好きなんだよね。
ただ、丁度良い感じなのが難しい。
「お前」呼びとか、イケメンか大好きな彼氏くらいしか許せないんじゃない?
ということで、私の思う女が好きな男の行動をピックアップしてく。
・基本的に優しい
「変わりにこっちもって」と軽いものを渡すとか。
「俺は○○が良いと思うけど、お前は何が良い?」
「俺昼飯とんかつだったから、夜はさっぱりでいいかもなー」とかね。
・エッチを匂わせない
最初の頃からエッチしたいっていうオーラ出しすぎたらドン引きする。
女は余裕のある男が好き!!
・店員さんに横柄な態度は取らない
店員さんに横柄な態度も取らないし、彼女候補にも横柄な態度は取らない。
メニューをパッと決めたり、「特にこれといって~」と言われたときの代替案が
パッと浮かぶと良い。
【今まで会った男の中で印象的だったの】
何かをしたら罰ゲームっていうのを言われていて
私がもれなく罰ゲームだった。
そしたら「今までで犯した罪で一番重いやつは?」と言われた。
そいつの友人にはドラッグだの犯罪だの多かったみたい。ヤバイやつじゃんって思った。
でも、距離を縮めるなら「お互いの共通の秘密」はあって良いと思う。
【最終的にどうすべきか】
少女漫画読みなさい。
TVジャーナリストと就職について話し合った後、彼に薬を盛られレイプされた、と。
彼女が公の場で訴えた時、彼女は荒らし達に「売春婦」と呼ばれた。
掲載: 英国夏時間 2018年6月28日 09:34 (日本時間 同日 17:34)
更新: 英国夏時間 2018年6月29日 16:25 (日本時間 30日 00:25)
彼女が一人の有名人をレイプのかどで非難した後、彼女がどのように身の危険を感じ、公然と嘲笑されてきたのかを。
東京の伊藤詩織(28)は、TVジャーナリストの山口敬之から2015年3月に攻撃されたと主張した。
伊藤によれば、山口は伊藤が薬物で意識を失っている間に彼女と性交したそうだ。
日本ではレイプは重罪だが、その日本の警察が彼女の主張を捜査するには証拠不十分だと言った時、新進のレポーターは自分の主張を公開することを決めた。
しかし彼女は、自分が支持とは程遠い大きな反発の中にいると気づいた。
伊藤はネット上の荒らし達に「売春婦」や「ビッチ」と呼ばれている。
彼女は、進路相談のためにTVレポーター(山口?)に連絡をとった後、仕事の機会について山口と話し合った。
伊藤によれば、その夜の自身の最後の記憶は、レストランのトイレで眠りに落ちたことであり、その後ホテルの一室で目を覚まし、自分が山口と性交している最中だと気づいたそうだ。
レイプに関する日本の法律は時代遅れで、英国のような国に比べて被害者は犯罪をめったに報告しない。
伊藤が訴え出た時、彼女は前議員で自称フェミニストの杉田水脈から嘲笑された。
杉田は、伊藤の主張は「偽」であり、「男性の前で飲みすぎたこと」は伊藤側の「明らかな過失」だと言った。
BBC Twoの新しい番組「日本の秘密の恥」は、2017年に伊藤が山口に対して民事訴訟を開始したとき、彼女を追った。
ちょうどその頃、ハーヴェイ・ワインスタインが最初の告発を受け、#MeToo運動の誕生を呼び起こしていた。
山口への疑惑は、合意のない性交を否定したワインスタインへの疑惑に匹敵するものだ、という示唆はない。
伊藤は民事訴訟で、仕事の機会を話し合うために2人で会った時に山口が自分を攻撃したと訴えた。
面会の主題について実際に話し合うことはなく、2人はバーからバーへと移った。
伊藤が言うには、その夜ずっと、めまいがひどくなるのを感じていたそうだ。
伊藤は、自分の最後の記憶はレストランのトイレで眠りに落ちたことだと主張している。
その後、ホテルの一室で目を覚まし、山口と性交している最中だと気づいた。
伊藤が言うには、山口は伊藤がトイレに行くときだけは中断したが、彼女トイレから戻ってくると再びレイプを始めたそうだ。
伊藤は、2人をホテルへ送ったタクシー運転手の証言を証拠として引用した。
運転手が言うには、帰宅できるように駅で降ろすようにとジャーナリスト(伊藤?)が頼んだそうだ。
伊藤が言うには、彼女がその夜の後で最初に撮った行動は、地域のレイプ危機センターに連絡することだった。
センターは、人手が足りず伊藤のもとへスタッフを派遣できないと告げた。
彼女自身が2時間かけてセンターへ行かなければならないということであり、かなりショックを受けたそうだ。
彼女が警察に行ったとき、伊藤は、ジムマットに横たわって、彼女の上のダミー人形を使ってそれを再現して攻撃を説明するよう求められたと言う。
伊藤:「目まいと吐き気を感じた。心を閉ざして、何が起きているのかを考えないようにした」
伊藤記者会見を開き、山口のレイプを公式に非難し、涙ながらにあの夜の彼女の側の解釈を語った。
「彼女の作った物語は、私が悪意を持って彼女に薬を飲ませて、意識を失わせて、ホテルへ連れて行ったというものだ」
「彼女が自分で酔っ払って帰宅できなくなった時、私にはホテルに戻ってやるべき仕事があった。
彼女は駅で降ろすように頼んだが、酔った人を駅で降ろすのは正しいだろうか?」
伊藤は山口氏に対して民事訴訟を起こし、番組は手続の開始を捉えている。
カメラでは、告発に関して彼女を嘲笑しているソーシャルメディアとYouTubeチャンネルを彼女がスクロール(画面をスクロールして紹介?)している。
荒らし達は伊藤の家族の写真を見つけ出し、彼女を売春婦やビッチと呼び、彼女の生命を脅かすこともした。
(for coming forward を訳せませんでした)
妹(姉)の顔はネットにさらされ、そのために彼女はサインアップしなかった。(うまく訳せず)
誰にもこんな経験をさせたくない」
番組は伊藤が杉田水脈議員によってどのように嘲笑されたかも報じている。
杉田はレイプの主張は男性にとってより有害であると話している。
杉田:「この件では、彼女の側に女性としての明らかな過失がある。それは、男性の前で酒を飲み過ぎ、意識を失った点だ」
「社会で女性として働いているなら、好きではない人々が近づいてくることもあるだろう。
「伊藤さんは記者会見を開き、これらすべての虚偽の主張をしたが、山口さんとその家族は酷いメールと電話の洪水に襲われている。
このことから、重大な被害を受けるのは男性たちの側なのだと私は思う」
伊藤は学校で宣伝活動を始め、合意という考え方について話し合うことにした。
そして、彼女が会った若い女性たちは、暴行されたり、性的に暴力を受けたりすることに慣れていることに気づいた。
その広告は東京のいたるところにあり、子供でも見ることができる。
日本で働く犯罪ジャーナリストのジェイク・アデルシュタインは言う。
しかし、デートレイプや性的暴行について話すことは、トークショーの素材にすらならない。
レイプに対する日本の時代遅れな姿勢にも関わらず、伊藤は全国の女性から支援の手紙を受けるようになり、伊藤の幸運を祈る女性たちに街頭で呼び止められるようになった。
伊藤の山口に対する裁判はまだ聞き取り段階だが、彼女は最後まで戦い抜くことを決意している。(訳に自信なし)
忘れることが女性として取るべき行動なのかもしれない。
事件を思い出すと、本当に気分が悪くなるし。
でも、そんな考えは間違っていると思う。
なぜなら、私は何も間違ったことをしなかったのだから」(訳に自信なし)
日本は2017年にレイプに関する法律を改正した。100年ぶりのことだ。
以前の法律は窃盗よりも期間が短く、 (原文の誤り?期間の種類が分からない。刑期なのか時効なのか…)
新しい法律は、陰茎の膣への侵入に限定されたレイプの定義を、強制的な肛門性交および口腔性交を含む強制的な性交に広げた。
以前は3年だった最低刑は、5年の懲役に引き上げられた。
僕には夢があった。
現在、結婚して、子供が2人いる。だから、もうあきらめているのだが、受付嬢に僕はなりたかった。
正確に言えば、女になりたいとか、受付嬢の制服が着てみたいとかそんなんじゃなくて、受付嬢のような仕事がしてみたかった。
受付嬢になりたい夢はずっと秘密にしていた。バカにされるからだ。
友人や同僚との飲み会でちらっと話たら、男女問わず「男がやるなんてキモイだろ~~」みたいな反応をされるのである。
僕は受付嬢に憧れるのって、すごく短くいえば、姿勢がよくて、言葉遣いがよくて、身だしなみができて、とにかくきちんときれいにしている。
そういうところが憧れなのでそういう意味では受付嬢になってみたかったのである。
そういう受付嬢になる夢は、今はもうあきらめたのだが、受付嬢から学ぶべきことがたくさんあった。
憧れが、今の僕につながっているのである。
だからもういいのだが、でもどうして男が受付嬢をしちゃダメなんだろうか、とかずっと思っていた。
差別だとか憤ってた時期があったのだが、もうどうでもいいのだ。いつだって、この件の味方は少なかった。というかいなかった。
ふと夜中に目が覚めて、久しぶりにそういえば僕にも夢があったななんて突然ふとおもったので書いてみた。もう寝る。
追記:
コメントを見た。似たような職業を提案してくれるのはありがたいのだが、でもれは違う。「受付嬢」になりたいのだ。
他のどの職業を勧められても「それは違う」と言う。「何が違うか?」など聞かれるかもだが、言葉にできない。でも、違うのだ。
あと、性転換をすればいいって言うコメントもあったけど、やっぱり男のままじゃなれないのかね。
男性は自分達の文化とされていたものに女性が興味を持つと排除したがったり馬鹿にしたりするから「恨まれる」なんて自然に言っちゃうんだろうけど、女性は「勝手に傘でも何でも差せよ」て感じだと思う https://t.co/574npkV7SF— 🦐エト🦐 (@eto_nekodaisuki) June 27, 2018
正解を教えておくと、「男だけの文化」というのは「これまで女が興味を示さなかった文化」であり、「女に奪われなかった文化」なんですね。
つまり「男くん不潔〜」とか「男くんキモい〜」とか言われる文化です。
逆に「女だけの文化」というのは、文字通り「女が独占する文化」であり、「男が立ち入れない文化」です。
男と女のどちらが秘密主義か、女子禁制と男子禁制はどちらが多いか、ということを考慮すべきですね。
(言うまでもないですが女のほうが秘密主義だし男子禁制のもののほうが遥かに多いです)
そういうわけで、女は「勝手に奪えばいいじゃん」と思うし、男は「女に混ざれば怒られる」と思うんですよ。
だな。理由が不明で一切情報が無い中でBANされたのなら、自らの行いを反省するかあるいは運営を恨めるものの、hagexみたいなのがオープンにしちまえば、まあ怒りの矛先ってかトライデントの投射先はhagexになることは想定できらーな。
hagexは脇が甘かったのか、それともこうやって死ぬことを織り込み済みだったか。
おうおう 自分の集団リンチを改める気はゼロのようだな まあゴミクズに言語が通じないのはわかりきってるけどな だから殺すしかない
お前が目の前にいたら絶対に殺してやるのに って増田に言っても特定なんて不可能なんだよなあ 悲しいね
あ~あ 薄汚い集団リンチ野郎が、リンチ批判する人間を醜悪とか言ってんだもんなあ ある意味身の程知らず極まれりって感じだよなあ あー殺したい殺したい
女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人ってこいつと同じ性格してたんだと思うわ
弱肉強食っていう意味では、こいつを殺せてない俺が悪いんだよなあ この手のゴミクズって、相手が自分個人に反撃してこないイケハヤやはあちゅうを選んで集団リンチしてるだけだし...
いじめも、いじめっ子を殺してないいじめられっ子が悪い、とは言える
いじめをやっている連中は、いじめを否定する人間を醜悪だとほざく害虫なんだしなあ
叩くと醜いとか言ってくるからね
ゴミクズがおとなしくて集団リンチが発生してないだけだぞ低能w つーか開示請求は2月くらいの時点で既に通ってたぞ低能w
いやはてブでBANされるときは運営からちゃんと理由(ちゃんとした理由ではないがw)が書いてあるメールが届くぞ 秘密だとでも思ってたのか低能w
まあはてブはコメントが短いからゴミクズが低能を晒すことは少ないってだけだな 増田には低能をこじらせたゴミクズが多いからなw 純粋なただの低能だったら俺は叩いたりしない
「クソゴミ馬鹿は死ねよ」みたいな罵倒を繰り返すkyoumoeや自称炎上評論家のhagexに"賛同"しておいて、自分が早く死ねよと言われたら被害者ぶる ゴミクズは恥知らずだよなw
しかし「拗ね男に賛同」って自分で言ってるとこはすげえな 拗ね男とハゲックスそして賛同してる自分たちが無謬の存在だと思ってるってことだろw まじ生きてる価値なさすぎじゃんw
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:u2n_hJIDUmQJ:https://anond.hatelabo.jp/20180521200020 より抜粋
http://president.jp/articles/-/25434
早稲田大学の教授のセクハラ問題が記事になり、またまたハラスメント界隈が騒がしくなっている。
私もこの場で、私が受けた屈辱をネットの海に流して忘れようと思いこの増田で日記を認めることにした。
もう10年も昔の話だからもう時効だろう。私は10年間秘密を守り続けてきた。
本当はもっと早くに公開すべき情報だったことはわかっているが、自分はずっと研究を続けている身だったから、
どうしても言い出せずにここまできてしまった。
私は当時早稲田大学の学部の4年生で、院進することに決めていた。
第一志望を東京大学、第二志望を早稲田大学の内部進学にして院試の勉強に励んでいた。
ちょっとややこしいのだが、私が学部時代に指導を受けていた先生の所属が翌年度から他大に移るということで、
他の研究室を受験する必要が生じた。詳細は避けるが、院試では早稲田の同じ学科内の他の教授の研究室を受験することに決めた。
院試は英語と選択形式の専門科目、後日研究発表形式の面接だった。専門科目は確か7問くらいから2問を選択して回答する形式だったと思う。
過去問を見る限りでは学科のそれぞれの教授が1題ずつ出題する形式のように思われた。私は自分が比較的得意な教授の専門範囲に絞って院試の勉強をしていた。
院試の2週間前くらいだっただろうか。私の受験先の研究室のボスから、「来年からのテーマについて話がある」と呼び出された。
彼の研究の話はいつも刺激的だから、私はワクワクして教授室に行った。ひとしきり今の研究の進捗などを話した後、
彼がふと、「君はどの先生の選択問題を解くか決めた?」と聞いてきた。私はなんでこの質問を?と思いつつ、「あー、はい、今この科目とこの科目をやっています」と答えた。
彼は「ふーん、あのね、僕、今から独り言言うからね。メモは持ってるよね?」と言った後、その二科目の問題を全て読み上げたのだ。
何が起きているかわからなかった。でも、私は愚かにもそれをメモに書き取ってしまった。そして呆然としながら教授室をでた。涙が出てきた。
私が聞いてしまった問題のうちの1題は、当時のボス(受験先ではなく、学部時代の指導教員)が考えた問題に違いなかった。研究室に戻ると、彼がご機嫌で話しかけてきた。
涙が止まらなかった。ボスは教授室に私を招き、どうしたのか聞いてくれた。私はことの顛末をボスに打ち明けた。
「私、先生が院試で出題する問題を知っています。今、〇〇先生から聞いてきました。」
いつもはヘラヘラしているボスだがこの時は「なんで彼はそんな余計なことを?何もしなくたって君なら受かるでしょう?」と声を荒げていたが、
その後ひとしきり黙った後で「この話は、なかったことにしよう。君は普通に院試を受けるんだ、大丈夫、試験問題を知ってても知らなくても君なら受かってたから。こんなのバレたら大ごとになる。」と説得された。
私はもう何も考えたくなかった。ボスの指示に従うことにした。それでいい。私が黙っていれば丸く収まる。早稲田の院試の1ヶ月後には東大の院試がある。それに受かればいい話だ。
自分は自分が、カンニング行為を行うことがどうしても許せなかった。そんなことは私の人生で一度もしたことがなかった。
一度はもう早稲田を受けるのすらやめようと思った。でも東大一本に絞るのは、院試とはいえとてもリスクの高い選択に思えた。私は結局院試当日の試験会場にいた。
問題を漏らされてから2週間で、私は7人の教授の残り5人の研究範囲を勉強し直した。漏らされた問題は解かないと決めていた。これで落ちたら仕方ない。そう思った。
かくして専門科目の院試が始まり、そこには、私が教えてもらった通りの問題が一字一句違わずに並んでいた。
私はその2問には手をつけず、残りの5問から2問を選択して解いた。2週間の付け焼き刃だ。よくできたとはお世辞にも言えない。
後日の面接では、面接官の教授の一人に「これで東大受けるの?頑張ってね」と嫌味を言われた。悔しかったが黙って聞き流すしかなかった。
結局、私は早稲田大学の研究室に合格し、運よく東大の方にも合格し、未だになんだかんだアカデミックと細々とつながりを持ち続けている。
あの会場で、私は院試問題を知っていた。(おそらく、あの研究室を受けた全ての学生が知っていたと思う)。
その事実はずっと私を苦しめてきた。
もっと早くに、言うべきことだった。
院試の前に、言うべきことだった。
でも言えなかった。ずっと、後悔している。今も、後悔している。
もうすぐ院試の季節だ。彼はまだ学生に、問題を漏らし続けているだろうか?
ずっと言えずに居たから、こうして匿名ながらも辛い経験をシェアできて少し気が軽くなった。
それと同時に、「自分も漏洩された」「院試ではよくあること」というコメントが散見されるのは悲しくもあった。
私は潔癖でも真面目でもない普通の人間だ。どんな試験であれ、一部の人間だけが問題を知っている状況というのは許されてはいけないはずだ。
院試の形式でバレてしまうんだね、これは理工系研究科の院試で起きたことだ。
年度も言いたいところではあるけどさすがにこれ以上は勘弁してほしい。いや、もうこの時点でバレてしまうかもしれないけど。とにかく約10年前に起きた出来事だ。
私ともう一人、その研究室を受ける奴がいた。院試問題をバラされた日、私が教授室に入るのと入れ替わりで、彼が出て行ったのを覚えている。
私は、彼とはそんなに仲が良くなくて聞かなかったけど、なんとなく彼もあの日に院試問題をバラされたのではないかと思っている。
なんであの教授がそんなことをしたのか、それは本当のところはわからない。
教授はすごく神経質なところがあって、教授室の鍵が閉まっているかを何度も確かめたり、officeファイルのセーブを異常なほどこまめにとったりする人だったから、
念には念を入れて私が落ちないように問題を漏らしたのかもしれない。
あるいは、自分の研究室を志望する学生に好成績をとってもらって、自分のところの学生が優秀だと自慢したかったのかもしれない。
私の現在の幸せを祈ってくれた人たち。本当にどうもありがとう。
結局あの院試のあと、私は当然、早稲田を蹴って東大に院進した。
研究分野は当時とはだいぶ離れて、その教授を目にする機会も滅多にない。
今は、自分の良心を裏切らなくても良い場所で、同業者の伴侶とともに細々と研究している。
早稲田大学は、いろいろ言われてはいるけれど、私に科学者としての第一歩を踏み出させてくれ、
チンピラみたいなのに聞かれたらあっさりしゃべって
しかも責任は取りたくないから通報者には言ってませんと嘘をつく
秘密を暴露した証拠があるのか?ないなら名誉棄損で訴えるぞと善意の人を攻撃する
みんな自分にかかるリスクには超敏感だからわずかでも可能性があったら通報しない
と言うかそんな御大層な正義の味方のつもりなら何でご自分が通報をされないのですかね
そもそもが
これがすごく胡散臭い
自分のことになると0.0001パーセントでも可能性を消したいわけだろ
で人の電話で何かをさせようとする
29歲ゲイです。
気を悪くしたらごめん。
その片思いは少なくとも実らないよ。
昔より社会的にLGBTに寛容になったとはいえ、ノンケ(ゲイではない異性愛者)かもしれない人に「自分はゲイで、あなたが好き」と告白した場合、拒絶されるのがほとんどだと思うから。
ましてや告白しないにしても、恋心が周囲に漏れてしまった場合、学校や職場など閉鎖されたコミュニティであれば、揶揄の対象になりかねない。
あなたがそれをも「いや、俺はゲイでそれがおれのパーソナリティだけど何か?」と撥ねつけられるような性格ならいいけれど、そうでないなら今は恋心もゲイであるということも胸の奥深くにしまっておくべきだ。
ネットも今みたいに発達してなかったから非公開のブログにつらつら書いてたくらい、。
普段の生活では胸にしまっておくべきだけど、現代にはネットがあるしSNSがある。
Twitterなんかで検索かければ匿名だけど学生でゲイだとプロフィールに書いているアカウントも少なからずある。
もし気持ちを抑えられなくなった時や悩みが大きくなった時は、そういった場所で吐き出すことで少しは楽になるかも(増田にこうして書いたように)
あとは日記もアリかもね。
※あくまで個人が特定されないよう、誰かに発見されないように気をつけて
あと、家族や友達にゲイだとカミングアウトするのは、現時点では限りなくリスキーだし場合によっては一生涯言わないという選択肢もある。
もし両親にカミングアウトするのなら、就職して家を離れたあと、つまり両親の援助が終わった以降に言うのがポイント。
まだ学生の段階や家にいる段階で両親にカミングアウトしてしまうと、考えられる最悪の事態は「勘当」「学費の打ち切り」だったりする。
それくらい親にとっては子供が異性愛者であることがショックな出来事だから。
家を出て仕事について安定した状態であれば、勘当はもしかしたらあるかもしれないけども、もう一つ資金援助の心配はなくなるから、もしするならそこくらいのタイミング。
※カミングアウト前にテレビとか見ながらそれとなく、同性愛者に対してどんな気持ちを抱いているか聞き出しておくこと。
友達に関しても、地元のコミュニティから離れたあとに言うのがいいよ。
本当に誰にも秘密を漏らさないような信頼出来る友達なら話してもいいかもだけど、それでも現状話すことにはアウティング(本人の同意なしに第三者にバラされること)危険が付きまとう。
自分は家を離れているけど、地元の友人や両親兄弟には一切話してない。
Twitterでゲイだとプロフィールに書いてるアカウントを作って、同じゲイの人と交流するくらい。
社会人になると、世間は思った以上に自分個人のことを見なくなるから、そこからがどうするのかきめるのが最善かと。
最後に恋のほうだけど、大学生になると交友関係が格段に広がる。
18歳になれば、ゲイ向けの出会い系アプリなんかも使えるようになるから同じ悩みをもった人とも会えるようになれると思う。
色々書いたけど「自分はゲイだけど、誰かにカミングアウトしたほうがいいのか」「恋がしたい」ここあたりの増田の悩みに対しての増田自体の答えは、ここあたりで出てくるかもしれない。
結論としては、
あと1年、ひとまず待ってみませんか?ということ。
今の片思いを諦めきれないなら、その相手と同じ大学に行くという思い切った手もある。