はてなキーワード: マヤ暦とは
ざっと調べただけでもこれだけあるよ
終末日 | 内容 | 予言者 | 支持者 |
---|---|---|---|
1998年 | 日本沈没 | エドガーケイシー | オカルト |
1999年7月 | 人類滅亡 | ノストラダムス | オカルト |
2011年10月28日 | 世界の終り | マヤ暦 | オカルト・スピリチュアル |
2012年12月21日~23日 | 世界の終り | マヤ暦 | オカルト・スピリチュアル |
2012年 | 疫病が蔓延し、人類滅亡がはじまる | 予言者 ジュセリーノ | オカルト・スピリチュアル・陰謀 |
2020年3月20日 | 世界の終り | マヤ暦 | オカルト・スピリチュアル・陰謀 |
2022年 | 人類滅亡 | ノストラダムス | オカルト・スピリチュアル・陰謀 |
2023年4月23日 | 超巨大な太陽嵐により人類の半分以上が滅亡 | スペインの謎の予言 | オカルト・スピリチュアル・陰謀 |
2025年7月 | 本当の大災害(海底火山か核兵器による大津波) | たつき諒 | オカルト・スピリチュアル・陰謀 |
最近、オカルトブームを振り返る人が多いけど、あまりに言っていることがあやふやなので、とりあえず調べられるだけ調べてみた。
http://anond.hatelabo.jp/20140410051520
でも民族的な特性に根付いてるものだとも思うから変えるのって難しい気もするんだよね。
こういった類の諸問題を手っ取り早く解決する方法は、人類の均質化だと思う。
優れた遺伝子同士を掛け合わせて、培養器の中で誕生して、ロボットのように育っていく。
それでも完全に同じにはならんだろうけど、少しは理想に近づくだろうね。
SF染みた話だけど、合理的に考えれば未来はこうなることが一番天国に近いんだろう。
極端すぎる話は置いといて、俺はそもそも言葉や考え方が世界を変える時代はとうに終わったとも考えてる。
今の社会の形を、在り方を変えるってたぶん無理だよ、もう。
これ系の話題はけっきょく、「ありのままの自分で」「感じたように振る舞え」的な話になってきて、
それを許容できる社会になることが必要ですって結論になるわけだけど、
じゃあそれをどうやって作っていくのって話をみんな知りたいんじゃないの?
今のままの社会だと息苦しいだけなのは、みーんな分かってるでしょ。言葉にできなくても感覚的には。
一人一人が意識を変えていけばって、そりゃ無理だよ。
だって、それは短い期間で同時多発的にその変革が起きることが前提だもん。
漸進的すぎたら社会の勢いに呑まれて終わるだけだよ。きっとこれまでの何十年、何百年の間にそんなことは沢山あったはずだ。
鵜呑みにしてたら社会から爪弾きにされました、生活が苦しいから復帰したいけどできません、どうすればいいですか。
こんなことになる人だって出てくるだろうね。でもそれに対して誰も責任を取ってくれるわけじゃない。
で、最終的には便利な言葉「自己責任」で片付けられる。もしくはそんなもの真に受けた方が悪いで嗤われて終わる。
こういう未来が容易に想像できるから、絶対に社会変革なんぞ起きない。そういう安定した社会にすでになってしまってる。
だから、俺は人の言葉や意識が社会を変える段階は、もうずっと前に終わってると思ってる。
あるとすれば、人の意思が介在しない、したとしてもコントロールの利くようなものじゃないほどの、大事によってだろうね。
あるいは決定的な技術のブレイクスルー。STAP細胞とかそんなんじゃなくて、もっと直接的な、不老不死の薬できちゃった、てへっ☆レベルな。
もう忘れてる人も多いと思うけど、2012年12月のマヤ暦がなんちゃらなんて大いに話題になったけど、
あれだって本能的にそういうグレートリセットがないことには世界はもう変われないってことを本能的にみんな分かってるからだと思うよ。
ネットが普及して、自分の意見を言えるようになって、それで人と人の繋がりができるようになって~ってことで世界が広がっていくような感じするけどさ。
Facebookでの集まりが変革を促したなんて話もあるけどさ。俺あれ、根本的には何も変わってないと思うのよね。ただ大騒ぎしただけ。
もっというと、ネットは子供騙しにすぎない。なんかすごいことネットの力で出来そうな感じがするけど、きっとできない。
俺は下記事みたいな話題や人の熱意を見るたびに、感心するしその通りだと思うが、
不要になったら殺す けどいろんな問題で殺すのはダメとかなってる 管理が行き届かず死んでしまいましたにしよう
あのうすみません入り口まで持って上がれる人がいないんですが このくそ店つぶれてしまえ とは僕の口からはいえないので社会の弱者が優位なものから人権を侵害される屈辱をうけましたよと数十万人レベルのメディアに情報提供してみよう まわりのみんながつぶしてくれる
の対比だね
人手が無かったら手伝ってもらっても入店させるべき
店主店員が 両手が肘から上に上がらない障害をもっていないとはじめからきめつける断罪的な差別 はおっけい
だね 店を構えている人間はお客という存在に対しては障害も不利もみんな無視されて蹂躙され無視されるべきだよね お客の幸せのためなんだから
吃音とかもってたらぶっきらぼうで無愛想で心が感じられない対応で人権を侵害されるよね そんなお店と店主はすぐ晒そうだね
外国ではバリアフリーで店員がそんなであっても招き入れることができるようになっているべきとか手伝うのは義務とかだしちゃうよね
たしかに前の通路は広くてお手伝いできますが そこは他の方の私有地なので私たち店員は入れませんという構造にして 店の不利益を盾に不法侵入を強制されたと録音しちゃうのが平等だよね
パラリンピックの何がいいたいのはまったく意味不明だけど がんばってかんがえたら
・スポーツはみんな協賛の広告経済効果投資か大学研究か健康増進の末端消費 べつに障害とか関係ない
・人体の補助機能開発とか流通もなく投資対象にならないものをアピールするまたとないチャンス
というところを読んで考えたら体躯機能が標準人間の備わっているべき全てについて一部でも自己の生体以外を利用している人間が運動することは道楽 というか動くなといいたいかんじだね
コンタクトレンズ着用者にも競技がはやく用意されるといいよね
もしかしてパラリンピックは道楽なんかじゃない って言いたかったりした? だったら「道楽に興じてる」じゃない何だった?
謝肉祭かな 交流会かな 選ばれた人だけがスポットライトを浴びる日かな 選んだのは誰だろう 出たい人が全員出れない それって差別だよね
だとすると恥じるとかいうのは誰の話なの ここで謎か 犯人は だれなんだ的な なんかわくわくしてきたよ
誰が 誰に 恥じるんだろう
車椅子で入店できなかったのは店主の判断として非のなかった行動といった人が国税局査察部から辱めを受ける感じ?
まあ恥はいつだってすこしずつはあるので なにかの恥なのだろうね
あれでも 何十年とかいうのが やっぱり謎のままのこっちゃった
その何十年は 何を基準とした予想積算数なの? 現在の小学生が大学卒業するというスパンを元に?社会人が転職を何回か経験する年数?
まさか現在の意見が各種団体に取り入れられて条例制定案から国会審議にまであがる、ではないよね
何千人分という一致しない行動の最終結果とか見通せるとかもし本気で思ってるなら ノストラダムスとかマヤ暦とか真剣に言ってる系だけど
たとえば駅前には何千人と人通りがあるけど そこに弁当屋を出したら何千食売れるとおもう?とか言うことだよね 駅前で雑誌を売ったら何千人もお客いるんだから廃刊とかにならないみたいな話だよね
きみはほんとうに謎がおおいなあ