はてなキーワード: 新聞記事とは
渡邊臥龍氏は、牢人新聞なる街宣右翼組織の主幹を務める右翼活動家である。
まずはこの記事を読んでほしい。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180117-00023233-kana-l14
http://biz-search.net/archives/542
"被告(渡邊臥龍)は昨年3月、自身のブログに「有田芳生に天誅(てんちゅう)を加えむ」などと書き込み、1960年に日本社会党の浅沼稲次郎委員長が右翼の暴徒に刺殺された事件の写真を掲載して脅した、とされる。有田氏が翌月に刑事告訴し、警視庁が10月に書類送検していた。"
どう考えても、テロリズムの実行現場の写真を示して「天誅を加える」と言えば、脅迫罪に該当することは自明の理であり、そこは議論の余地がない。
しかし、これに対して、彼自身はどうやら自身の行為に違法性はなく、正当な言論であり、自分に対する刑事訴追は"思想犯"だと思っているようなのだ。
例えば
"だが、物事の道理と筋道はきっちりと明かす。こんなことがまかり通る世の中は暗黒の社会である。もし、仮に愚生が警察に身柄を拘束されるようだったら、留守中の後の運動は頼む。"
"しかし、今回の取り調べをきっかけに世の中に道理を通したい。その為に一切の駆け引きも打算もなく嘘偽りなく正直に供述調書を述べてきた。"
http://blog.livedoor.jp/surouninn_garyou/archives/55629412.html
http://blog.livedoor.jp/surouninn_garyou/archives/55630161.html
彼の主張には全く賛同しないものの、自分の信念を貫き、捜査機関による身柄拘束、場合によっては懲役刑を食らうことも覚悟して、法廷の場で自分の主張を述べ、争うというのだ。
そこまで闘う覚悟があってやってるのであれば、右翼とはいえなかなか骨のある活動家だな、と当時は思ったものだ。(もちろん彼の主張に全く賛同しないが)
記事を読んで目を疑った。
と書いてある。
・被疑者に異議のない場合(罪を認めており、略式裁判を開くことに異議がない)
・検察官の提出した書類のみ(もちろん被告人が裁判所で自分の主張を行うこともない)で命令を出す。
要するに「正式な裁判なんてやるまでもありません。罪を認めて罰金払うのでさっさと終わらせてください」
これのどこが「世の中の道理をただす」のだろうか。「駆け引きも打算もなく」なのだろうか。
正直、道理をただすことを放棄して、さっさと罰金払って終わりにした以外の何物でもない。まさにこれこそ駆け引きと打算だろう。
この略式命令について、渡邊氏は何の説明もしていない。彼も思想家なら、どうして自らの発言を翻し、闘いを放棄して権力に屈したのか、社会に対して、支援者に対しても示す必要があるだろう。
そういえば、渡邊氏は2014年に、デモ行動中カウンター行動の学生から全治二日の傷害を受けたとして被害届を出し、学生は逮捕されていた。
あの時の学生は「自分は無罪、不当逮捕だ」と全面的に捜査機関と争い、救援組織も組織され、逮捕に対する抗議デモも行われていた。
あの時の学生は立派だった。自分の信念を国家権力に対して示す姿を、渡邊氏にも見習ってほしいものだ。
http://blog.livedoor.jp/surouninn_garyou/archives/54884418.html
https://togetter.com/li/1193209
https://this.kiji.is/329123813377803361
取り下げとも訂正ろも書かずに、しれっと差し替えって、
きちんと執筆者の責任で出していて、査読があって、不正があったら取り下げも処分もある、
新聞記事だとこんなことがまかり通るとは驚きました。
阿曽山大噴火さんが2018年1月26日に放送されたCBCラジオ「北野誠のズバリ」のコーナー「3時にズバリ」に電話出演し、2018年1月22日に傍聴した裁判についてトーク。筆者の判断で被告人,被害者ともにイニシャル表記にしてますが、放送( http://radiko.jp/#!/ts/CBC/20180125130000 )では実名でトークしてます。
(阿曽山大噴火)今日はですね、東京地裁で今週月曜日に行われましたO被告人の初公判の話をしたいと思います。もちろん実名報道された事件なんですけども。新聞記事によりますと、声優のUさんの殺害予告をインターネット掲示板に書き込み事務所の業務を妨害したとして警視庁は山形県の高等専門学校生O容疑者20歳を逮捕した。容疑は認めている。逮捕容疑は去年の6月2日と5日インターネット掲示板「2ちゃんねる」に自身の携帯電話から「明日Uをころすわ」などと書き込み事務所にイベント会場周辺の警備に充てるなど業務を妨害したとしている。
(阿曽山大噴火)起訴された内容は、去年の6月2日と5日、被告人は山形県内の自宅から自分の携帯電で2ちゃんねるにアクセスしまして「明日くそ女Uをころすわ」などと書き込みをしまして所属事務所に7月16日までの間、数回の臨時会議を開かせ、さらにコンサート会場の警備強化をさせ通常業務を妨害したという内容。で、被告人は罪を認めておりまして、検察官の冒頭陳述によりますと、被告人に前科前歴は無し、今回が初めての犯罪。犯行当時には高等専門学校に通っていたんですけども事件後に自主退学している。取り調べに対して被告人はですね、学校の研究や卒論でストレスが溜まると2ちゃんねるに書き込みをしてみんなが反応をしてくれることでストレスを発散していた。で、Uさんのスレッドを見ると元々誹謗中傷をする書き込みがあってその中で「ぶっころす」と書けばどんな反応があるだろうと思って10回くらいやっていた。
(阿曽山大噴火)で、被告人は高専にいたわけですよね。高専って工学の勉強、機械に関する勉強じゃないですか、だから2ちゃんねるの書き込みもばれないような何か知識があるのかと思いきや、自分の携帯で普通に2ちゃんねるにアクセスして書いてるだけ。
(北野誠)ばればれやんか、それ。せめてネットカフェかなんかに行けよ。
(北野誠)そのまんまやがな。
(阿曽山大噴火)法廷には被告人のお父さんが山形の実家からやって来まして「普段から会話が無くて家族のせいでもあるかもしれない」と、泣きながら今後の更正を約束。そして被告人質問、本人に対しての質問なんですけども、まず弁護人がですね「何故こんなこをやったんですか?」と。そしたら被告人が「元々コミュニケーションをとるのが苦手で家の中でも家族と話さずインターネット上の人間と交流することが多かったので自然とこうなった」で、(弁護人)「その内容が殺人予告だったのはなぜですか?」と、(被告人)「学校での勉強、将来の不安などの悩みがあり先のことも考えず書き込みをしてしまいました」すると弁護人が「なるほど普段から2ちゃんねるに書き込みをしていて、やりすぎたことをかき込むと周りがすごいすごいと反応になるから」そしたら被告人が「はい、反応があるのがうれしかった。本当に殺害をする気持ちはなくて掲示板上でのやりとりが面白くてやってしまった」ということなんですね。で弁護人がですね「所属事務所は警備員を雇ったりして70万円も費用がかかっているんですよ、迷惑かかると思わなかったんですか?」と聞いたら被告人が「いや、このような結果になるとは思わなかった。本当に軽い気持ちでやってしまった」で、弁護人が非常に珍しい質問をしたんですけども「もし、あなたがタイムマシーンに乗れるとして過去の自分に何を言いたいですか?」と、被告人が「過去の自分に会ったら、悩みをひとりで抱えないで家族に話してみろ、と言います」ここで質問は成り立ってますよね。さらに弁護人は「じゃあね、タイムマシーンで戻ったのが書き込みの直前だったらどうですか?」どうゆう設定の質問なのかわからないですけど、
(阿曽山大噴火)よくわからないですけど、被告人は「そうゆう書き込みをしちゃだめだ、と言いたいと思います」それを聞いた弁護人が「そうだね、じゃあ質問おわります」
(北野誠)何がええねん、なにしたかってんねんその茶番は。茶番や茶番。
(阿曽山大噴火)で検察側の質問なんですけど「インターネットに交流を求めたのは何故なんですか」と。被告人はですね、小学校中学校と通しての友人がいなくなってしまったので、どうやったら友達が作れるのかわからなくなって」それで検察官が「内に内にと籠るようになったんですね」と言ったら被告人が「そうです。ただ今後は人と会話していきたいと思います」つまり実際に人と喋らないことが原因だと被告人は反省しているんですね。最後、裁判官「今事件を振り返って、何が一番悪かったと思う?」と聞いた。すると被告人の答えが「学校生活の悩みから逃げてインターネットに逃げ込んだのが悪かったんだと思います」と答えたんです。そうすると、それを聞いた裁判官がですね、ゆっくりとアドバイスをしまして「コミュニケーションが苦手でインターネットに依存していた、そこが問題じゃないと思いますよ。あなたはやって良いこととやっちゃいけないいことの区別がついていない、これが問題だと思いますよ」で、しかも「取り調べで『悪いことだけど、捕まらないだろうと軽く考えていた』このように言っていましたよね、これも間違っている。あとUさんの事務所はあなたのせいで時間もとられ、お金もかかっている。なぜ正しい判断ができなかったんでしょう」と問いかけた。で被告品が「知識が足りなかったからだと思います」。(裁判官)「じゃ、なぜ知識が足りなかったのか考えてきてください」宿題まで出した。
(北野誠)なんかこの裁判官の冷静な喋りと、さっきのタイムマシーンと設定が全然違うね。なんかもうグラグラする、その法廷。
(阿曽山大噴火)で、そのあと弁護人また爆発するんですけど、検察官は被害は甚大であるということで懲役1年を求刑した。で、被告人はさっき言いましたとおり前科も前歴もないということで執行猶予がつくのは間違いないんですけども、弁護人としては是非とも執行猶予をつけてくれという弁論、なんですが、その弁護人の弁論というのが「被告人が本気で殺害予告をするならUさんの所属事務所のホームページに対してしてるはずである。今回書き込んだのは2ちゃんねるという低俗で社会的信ぴょう性の低い掲示板なので実行するつもりはなかったのである」と。なかなか変わった弁護人なんですね
(北野誠)そうやねー、なんかなぁ
(氏田朋子)20歳くらいの若い子やったら、2ちゃんねるだと見つからないと思っちゃう。やっぱり。ノリで書き込むみたなところもあるかな
(阿曽山大噴火)ここまで報道されると思ってなかったんでしょうね
(阿曽山大噴火)犯行当時はまだ2ちゃんねるだったと、現在5ちゃんねるです。判決は来週火曜日1月30日に行われる予定です。
<書き起こしおわり>
僕らはトップブコメのレベルの低さに一日何回頭を悩ませているだろうか。
互助会ブログへの応援コメントを思わせるような極めて低俗で中身のない言葉こそが人に愛されている。
おそらく今はてなをやっている人間の多くは言葉を扱うことが苦手なのだろう。
それは読むにおいても書くにおいてでもだ。
小中学生の3割4割が日本語の文章すらまともに読むことが出来ないという新聞記事を読んで眉に唾をつけていたが、現実に日本人の4割は日本語の文章を正しく理解できないのだ。
かつてニュー速やVIPには3行以上のレスを書くなという不文律が合った。
あれと同じだ。
今はてなにいる人間が読める文章の長さ、複雑さはそのレベルなのだ。
そういう人間たちの手によって決められるトップブコメは読み手に一切のユーモアも読解力も判断力も要求しない中身の無さがそのまま中身になっているような純粋な罵詈雑言や自分たちが左翼・右翼等に所属していることを知らしめるだけの旗印ばかりになるのは納得だ。
冗談としてもつまらなければ罵倒としても面白みがなくかといって知性は欠片も感じられない。
そこにあるのはレベルの低い人間が自分のレベルの低さを自覚しないまま肯定するための儀式に使われるある種のポルノ的機能しか持ち合わせていない。
プロレタリアの下層にいる者たちがせっかく稼いだ日銭でストロングゼロを何本も購入してはコンビニの前でそれを開封してウェーイウェーイと奇声を発することで自分が今死んではいないという事実だけを必死に確認するような浅ましい祈りのようなものだ。
今まで馬鹿だ馬鹿だと思っていた連中がまだそれなりの知能を宿していたインターネットを使う権利を有するに足る程度の最低限の思考力とモラルを持った人種であったことを認識させるレベルの馬鹿がいよいよはてなを見つけたのだ。
ファミリーマートが新商品として鳴り物入りで発売した「忖度弁当」が全く売れない、とファミリーマートの関係者と思われる書き込みがツイッターに投稿され、話題になっている。
2日未明、「天探女・スリ」との投稿名で「忖度弁当全く売れねーじゃねーか。ばかああああああああああか!!!!!今日の分、全部廃棄処分だぞ。クソがあああああああ!!!!ファミマ店員の魂の叫びだ、バカやろぉぉぉぉぉおおおおお!!!!!!
売れるわきゃねーだろ。800円もすりゃよぉおおおお!!!!」と!を多用した書き込みがあった。
また「一応食ったよ、忖度弁当。800円の価値があるかって聞かれたら俺、舌が貧乏だからうーんってなっちゃうけど、まぁ美味しかったよ。でも特別な日でも何でもないのにコンビニでバカに高い弁当なんか買う気は起きないね」との書き込みもあった。
一部のネットメディアでこうした投稿が取り上げられ、NETGEEKでは「忖度というネガティブなワードがマイナスイメージを誘う上、値段が高すぎる」と分析。
「滋賀県の店長です。2日で13個中12個廃棄」との具体的な書き込みもあり、事態はなかなか深刻なようだ。
「忖度弁当」は正式名称は「忖度御膳」。1日から数量限定で予約を受け付け中で、ファミリーマートのほか、サークルK、サンクスでも取り扱っている。キンメダイやノドグロ、あんかけのさつまいも、豚肉炒めなどを使い、税込み798円。「忖度」は「他人の気持ちを推し量ること」の意で、本来は良い意味にも使うが、今年は森友、加計学園問題をめぐり、ネガティブな意味で用いられたことで人の耳に入ったこともマイナスに働いた可能性もある。また、PRチラシなどの中でもわいろの授受をうかがわせるような写真が添えられていて、イメージが悪いのでは、という意見もツイッター上にはある。(WEB編集チーム)
鳴り物入りのファミマの「忖度弁当」 「2日で13個中12個廃棄」「売れるわきゃねーだろ」店員から?悲痛な声も(産経ニュース・17.12.3)
http://www.sankei.com/life/news/171203/lif1712030048-n1.html
東京・秋葉原と茨城県つくば市の間で「つくばエクスプレス(TX)」を運行する会社が、電車を定刻より20秒早く出発させたとして謝った。海外メディアは「遅れや運休でもないのに……」と驚く。「20秒」の差は謝るべきなのか。
■「9時44分」だけど
「定刻9時44分40秒のところ、発車時刻を十分に確認しないまま、9時44分20秒に発車してしまいました。大変ご迷惑をおかけし、深くおわび申し上げます」。つくばエクスプレスを運行する首都圏新都市鉄道のホームページに14日、こんな謝罪文が載った。この日、秋葉原発守谷行きの普通列車が南流山駅(千葉県流山市)を定刻より20秒早く出発していた。乗務員に「基本動作を徹底するよう指導した」という。
ただ同社によると、駅の時刻表には「44分」としか記されておらず、4分後には後続の電車が来ることになっていた。乗客からの苦情もなかったという。同社広報課は「発車を知らせる駅の放送が発車後に流れてしまった。謝罪は当社の基準に基づいており、今後も同様の対応をする」。昨年6月にも、北千住駅で30秒早く出発した際におわびを出したという。
これが英語のネットニュースで報じられると「(日常的に遅れる)ニューヨークの地下鉄なら、謝罪のためだけに職員が必要だ」とツイッターなどで話題に。英紙ガーディアンは、日本の鉄道の正確さは素晴らしいとしたうえで、「時間厳守が悲劇を生んだこともある」として、107人が死亡した2005年のJR宝塚線の脱線事故で、運転士が約1分半の遅れを取り戻そうとしていたことが一因とされていることに触れた。
日本の鉄道史に詳しい原武史・放送大教授(日本政治思想史)は、日本のダイヤ厳守の習慣は、天皇が乗る「お召し列車」に源流があると指摘する。「1928(昭和3)年に天皇が京都へ行った際、30秒単位の特別ダイヤが組まれ、ほぼ正確に運行されたと言われている」という。原さんは「TXは他社との乗り入れがないため、ダイヤがシンプルで乱れにくい。それゆえ、少しの狂いにも過剰に反応しているのかも知れない」ともみている。
とはいえ、今回の謝罪を「ダイヤは秒単位で作っていても、客にとっては同じ『9時44分』。いちいち公表する必要があるのか」と原さんは言う。鉄道会社の横並び意識も感じるといい、「他社が少しのダイヤの乱れでも謝るので、自分たちも、と儀礼的に謝っている面もあるのではないか」と話す。
■先回りで謝る企業
米紙ニューヨーク・タイムズは記事で、過剰に謝る日本の企業文化が背景にあると指摘した。日本社会を「世間」という切り口で研究する佐藤直樹・九州工業大名誉教授(刑事法学)は「日本では場の空気を壊さずに円滑にものを進めるため、『とりあえず謝る』習慣がある。企業も同じで、苦情やネットでの炎上を恐れ、先回りして謝ることが当たり前になっている」。ここ20年ほど、小さなことでもクレームを入れる風潮が強まり、企業の謝り方がどんどん過剰になっていると感じるという。
佐藤さんは「20秒早く出発して謝るなんてやっぱりおかしい。消費者自身も、普段から要求が行きすぎていないか、考え直す必要があるのではないか」と話す。
(仲村和代、田玉恵美)
ネットの噂を記事にしてもきちんと話題の当事者にコメントを取り、また記者の問題関心に合わせた専門家のコメントをとっている朝日新聞の記事に対してツイッターとnetgeek(!)の言っていることをただただそのまま垂れ流すだけという忖度弁当の記事。おそらくはその記事を再びまとめサイトが、新聞に載ったとして記事にするという連鎖関係なのだろう。産経でこの程度の記事が出たのは一度や二度ではないはずだが、ファミマへの電話取材の労もとらないようなら「新聞」の看板を下ろすべきなのでは?
東北大学の秘書の雇い止めの危機を伝える新聞記事(http://www.asahi.com/articles/ASKC16D0XKC1UNHB00P.html)が話題だ。大学関係者としての想像だが、雇い止めは誰も望んでいないはずだ。秘書本人はもちろん、研究室の教授や関連する学部の事務職員なども、できることなら続けてもらいたいと思っていることと思う。それでも雇い止めの危機は来る。
ブックマークコメントでは「雇い止めとかふざけるな、無期雇用にしろよ」という論調のコメントも多い。お怒りは尤もである。尤もなのだが、話はそう単純ではなく、仕方がない面もあると思う。
原因は、教授や大学組織の心意気の問題ではなく、大学の予算のシステムにある。建前の上では、(労働契約法の)趣旨に反した雇い止めをこれから行うというよりも、(大学の予算制度の)趣旨に反した継続雇用をこれまで行ってきたと言える。およそ大学で働く人の実感とはかけ離れているが、かけ離れているが故に問題である。
どういうことかを説明するには、大学の予算の話をしなければならない。面倒だが付き合っていただきたい。
研究室で秘書を雇うとなると、まず間違いなく、人件費の原資は「競争的資金」のはずだ。競争的資金とは、各研究者が研究計画(「こういう価値のある研究を、こういう計画で実施したいと思うので、これだけの予算を下さい」という申請書)を提出し、その中で優れたと判断された計画に予算が割り当てられるという仕組みだ。競争に勝って予算が得られれば、研究計画に関する事務をお願いするために、秘書を雇う(ことがある)。雇い止めとの関係で言えば、ポイントは3つ。
だから2~5年は雇う約束ができても、ずっと雇う約束はできない。そもそも、5年を超える秘書業務は建前上は存在しないのだ。記事の秘書の方は勤続12年だそうだが、建前としては、4つか5つの研究計画の実施の事務処理を行ってきたはずだ。3年+3年+3年+1年+2年とか、そんなところだと思う。(労働条件通知書には、どの研究計画の業務を行うかが明記してあったと思う。確か。だから、研究計画の切り替わりの前後での仕事は、書類上は、「従事すべき業務の内容」が違う別の仕事ということになる。たぶん。)
無期雇用にするのが難しいのは、こうした建前の現行システムのせいだ。建前に忠実に従うと、5年以内での雇い止めがおかしいのではなく、3年+3年のような研究計画を跨いだ連続した雇用の方が歪んでいることになる。そもそも、「雇い止め」ではない。本来の職務は「3年間の研究計画に付随する事務」という時期に限りのある業務で、約束した仕事が終わったので雇用契約が満了するだけなのだ。次年度から新しい研究計画が動き出すかもしれないが、それは別の話。皮肉なことに、原理原則に従うと、雇用の期間は5年よりも短くなり、雇用の不安定性は増す。建前上は、無期雇用が相当な仕事はない。誰も得をしない。
じゃあ、どうしたらいいのだろうか。
「競争的資金に落ちたので、来年度は雇えません」というのが解雇の正当な理由になるのであれば、さらにそのことが各大学の執行部の共通認識になれば、無期雇用への切り替えを恐れて5年で雇い止めをする必要はなくなるのではないだろうか。ちなみに、無期雇用は必ずしも終身雇用は意味しない。業務が明確に定められていて、その業務がなくなってしまうのであれば、無期雇用者の解雇も認められるはず。したがって、「研究計画の遂行に係る事務」のみを業務にしていた場合、「競争的資金に落ちた」は正当な理由になってもいいと、個人的には思う。労働法務は素人だけど。東北大学の教授くらいになると、競争的資金も安定して取れるので、本当に解雇が発生するリスクは大きくない。一方で、現実の秘書業務は研究計画との紐づけが若干緩く、研究計画との関連の薄い研究室の運営業務もお願いしていたりするので、そういった所は改める必要があるのかもしれない。
※ 研究室の秘書の雇い止めと類似の問題として、学科の有期契約の事務職員の雇い止めがある。秘書業務は建前上は研究計画に紐づく期間に限りのある業務だから、研究計画の終了で雇用契約が終わることも止む無いが、学科の事務は恒久的に発生する仕事で無期雇用が相当だと、個人的には思う。また若手研究者の雇用の不安定性の問題もある。
※ 今回報道された問題は、全国の大学で目にできる、ありふれた問題だ。また新しい問題でもない。2012年の段階から議論されてきている(例えば http://d.hatena.ne.jp/scicom/20120422/p1)。
ものすごく同じような環境にあったものです。出張が多くて、イキイキママやイキイキパパの家庭の都合で予定が二転三転し、お盆休みも消滅しました。突然の呼び出しも多くて私的な用事どころか、自分のキャリアアップのための予定も入れられず、年中心が休まらなかった。私の職場のその方たちは自分は当然の権利を主張していると絶対に頭を下げない、独身の人達を見下し、早く結婚して子供を産めと言ってくるということもする人たちだったので、精神的にも肉体的にも本当にしんどかった。
今は別の職場で働いていますが、そもそも職場で家族の話はしないし、家族がいても家族を理由にこちらに無理を強いる人はいません。職場のモラルの違いを強く感じます。前の職場は不正とかハラスメントとかが多くて、毎年新聞記事になっていて、そういうことをする同僚や上司を尊敬できない、セクハラが気持ち悪い、不正に巻き込まれたくないというストレスも大きかった。一部の権利を主張する人たちがやりたい放題で、それを見過ごす上司がいるというのは、コンプライアンスの問題を抱えた組織ということなので、子育て社員フォローだけの問題を抱えているわけじゃなくて、それ以外のいろいろな問題を抱えているということなんだと思います。組織全体の問題であれば、一人で改善できるものではないので足を洗う方が賢いと思います。
前の職場はトップダウンで、現場の状況を何も知らない管理職が無理強いするのをひたすら聞くしかなかったのですが、今の職場は下の者の話も少しは聞いてもらえて、配慮してくれる管理職もいて、民主的です。その辺の組織の意思決定の仕方の違いも、子育て社員フォロー問題と関係しているかも。
一度地獄を見たせいもあり、今のところの職場環境は(同僚によるとそれなりに大変だというのですが)、私にはそれほど大変に感じられません。可能であれば同じ業種、似たような仕事で別の会社に転職してみるというのもありかも。転職活動は確かに大変なのですが、「前の職場が大変だったから」ではなく、今までまじめに働いてきたことを伝え「こういう仕事がしたい」とポジティブな感じでアピールすると道は開けるかもしれません。皆さん理想的にはこう、というコメントをするけれど、実際のところ個人でできるのはそのくらいだと思います。
私も配偶者も子供も仕事も全てほしいという人たちのために、配偶者も子供もなく仕事もいつまでできるかわからない自分が必死で働かないといけないのかと本当につらかった。口に出すと、増田さんを叩いているような感じの人達が職場にもいて、さらに責められて、救いがなかった。でも今は自分の将来を考えながら自分のために働けて精神的にとても楽になりました。職場の体質にもよるけど、ひたすらイキイキママ、イキイキパパだけをほめたたえて支援する政府のあり方にも問題があるように思う。独身でいる権利も、子供を作らない権利もある。LGBTとか不妊の人にも配慮する必要があるなら当然のこと。多様な人がそれぞれの生活を尊重されながら働ける環境を作れるように、制度を作っていく必要がある(でも選挙でそういうことを言う人はいなくて、なんだか残念だった。)
最近、ヘムス(HEMS:Home Energy Management System)の狭義のものと広義のものを混同した議論が多いことが気になっている。
A)狭義のHEMSは、
①電力の発電状態・蓄電状態・消費状態、および買電、売電のデータをモニターし、かつ
②発電の抑制、蓄電池の充放電制御、家電の電力制御が一定程度可能なもの
であって、分電盤にCTをジャラジャラつけるもの(最近は内蔵の分電盤があるが)でエコーネットライトプロトコルに準拠しており、インターネットなしで
ローカルでもある程度自律的な制御ができるものがこのクラスのHEMSになる。
B)広義のHEMSは、電力のデータを何等かの形でモニターするものに何か独自機能を付加したようなもので、メーカーにより「これもHEMSですよ」と
自称されることが多い。コストダウンのため、CTを節約し主幹と太陽光だけ取っていることが多い。機器に住設制御機能は持たず、クラウドサーバに上げたデータをつかってスマホアプリからWi-Fiとかブルートゥース、赤外線などで機器制御する方式が採られる。
これらの「なんちゃってHEMS」は、インターネットがなければ動作しない。クラウドサービスが有料な製品も多く、
実はイニシャルとランニングを足すと安くない場合も多い。センサ費用を節約している代わりにサーバ通信費用が掛かっている。
あと、フルレンジ100AのCTの統計誤差が1%程度だとすると±1%、つまり1Aになるが、100V1Aは力率を1とすると100Wなので、100W以下の家電類は、
一体何をみているのか疑わしいのが本当のところである。もちろん長時間測定でベースライン誤差やセンサ固有の誤差のようなものは減らせる可能性はあるし、電圧-電流の位相差もみるからもっと詳しいことが判るよ、っていうのだが。「ビッグデータ学習によるクラウドのAIによる機器分離」とかいうのはある意味もっともらしいデータをよその家のノイズを参考に捏造しているようなものなので、ノイズに目鼻をつけて枯れ尾花を人に見立てるようなことはないのだろうかと思う。
新聞記事などになるときは、記者は狭義のHEMSとこのなんちゃってHEMSとの区別がつかないのでそのままHEMSと掲載される。
電力関係の研究者の皆様の中にもこの広義のなんちゃってHEMSと狭義のHEMSとの区別をつけずになんちゃってHEMSのうたい文句を鵜呑みにして
手放しでほめられる方をときどき見かけるのでとても気になる。なんちゃってHEMSの限界はきちんと認識されるべきではないかと思うのだ。
私は崇高な理念を持っているわけではなく、単純に興味がないという理由でマスコミ情報というかニュースや新聞記事はあまり読まないんだけど、「マスコミの偏向報道が酷い!許せませんね!」と言っている人たちをよく目にする。
で、その人たちはしばしばタイトルで書いたようなことを主張する。まあそういう手法もあるよね、とは思うんだけど、不思議なのは彼ら彼女らが「記事を読まないこと」を実践できた試しは自分の周囲では無いということ。
割と最近の事例では、「新聞記事やTVで蓮舫の顔を見るとイライラする」というのがあった。(思い出した一つの事例なのでここでは「蓮舫」という固有名詞には意味はない。各自任意の固有名詞を当てはめてね)
私は冒頭に書いたようにそもそもニュースをあまり見ないし読まないんだけど、へー最近は蓮舫がニュースによく出てくるのね、と思った。
で、しばらくすると蓮舫が民進党の代表(?)を辞めたらしく、「これであの面を見る機会が減ってせいせいする」と言っていた。
そんなに蓮舫の写真ばっかり見せられたかなあ、まあ確かにタイムラインやらでたまにそういう記事(のサムネ)を私は目にしていた記憶はある。
でも、そういう記事って「偏向する大手マスコミ対策は記事を読まないこと」と主張する人たちがどっかから探してきたものがRTなりシェアなりされているものばっかりだった。
私の場合は「単純に興味がない」ということで結果的に「偏向する大手マスコミ対策」を実践しているのかもしれない。そんな御大層な理念は持ってないけど。
「記事を読まなければいい」と主張する人がそれを実践できていないことについては、いろいろ当人たちの事情があるのかもしれないけど、不思議な現象である。
のび太は世界にただ一匹 10頁 小四81年3月号(国際保護動物スプレー)
トキを保護したという新聞記事を読んで、何故こんな事をするのか疑問に思うのび太に、ドラえもんは時が現在絶滅の危機に瀕している動物であるために保護したということを説明した。そしてドラえもんはそんな動物を保護するための道具として「国際保護動物スプレー」を出した。これをかけると体に国際保護ガスが染みつき、国際保護匂いが出るので誰にもいじめられることがなくなると言う。早速これを借りて外へ出かけたのび太は飼い主にいじめられているイヌや捨てネコにかけることでそれらの動物を助けるが、やはり珍しい動物などが近所にいるはずもなく、さらには犬にかまれたりジャイアン達に転ばされたり、先生に叱られたりとろくなことがない。その時になってのび太はある重大な考えに到達した。野比のび太は世界中にただ一匹。もしのび太が死んでしまったら「野比のび太」は絶滅してしまうのだ。そこでのび太は何と自分にスプレーをかけてしまう。すると今までのび太をいじめていたジャイアン達も急にのび太を丁寧に扱うようになり、しずかの家に行くとしずかも珍しそうにのび太を見つめる。その時のび太の腹の虫が鳴ったので、餓死しては大変としずかはたくさんのおやつをのび太に与える。満足げに帰路につくのび太だが、道を歩いているとのび太見たさにどこからともなく大勢の人間が集まっていき、更にのび太を捕まえようとする人間まで出てくる始末。家に帰ったのび太はそのことをドラえもんに話すが、家にはのび太を見るために大勢の人間が押し掛けてきており、必死になってスプレーの効力を消す薬を探すドラえもんであった。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017072100243&g=int
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170721/k10011067331000.html
http://www.yomiuri.co.jp/world/20170721-OYT1T50076.html
先週は同じ話題で三社が波紋を繰り出した。ただ時事と読売は「発言が波紋」でNHKは「発言に波紋」と真逆の撃ち合いである。誰に気を使っとんねん。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6247621
駅のポスターの波紋が自殺を防いだという事ではないと思われる。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170722/k10011069711000.html
https://dot.asahi.com/aera/2017071800069.html
波紋からの余波。余波っつってんのに「私だ」は「いやお前が振動してんだろ」と突っ込みたい。
http://news.livedoor.com/article/detail/13362968/
1セットも落とさず優勝という圧巻のウィンブルドンだったが、そうか、波紋か。
http://news.livedoor.com/article/detail/13361819/
波紋を便利に使っている上に問題の焦点が違ってるというまさに「編集を呼べ」案件。
https://mainichi.jp/articles/20170720/k00/00m/040/080000c
波紋にはいろんな襲来の仕方があってこれは「呼んじゃった」ケースである。しかも波紋を呼んだというより明確に田中さんが怒っているのだがタイトルからは田中さんの怒りがあんまり察せない故に波紋を呼んだ感程度が妥当といういい感じのティザー具合なのだがひとついいかね、僕は新聞記事が読みたいんだ。
脚注だろうと末尾の文献リストだろうとそこに書く情報は変わらないってのと、以下のような文献の書誌情報を書くスタイルは確立されているので、文献リスト云々の話は関係ないってこと。
そもそも出版されてない資料(昔のお役所の公文書とか、お寺に伝わる古文書とか)
古典(アリストテレスが紀元前に書いたやつが、2010年に岩波文庫とかで出版された場合、アリストテレス 2010って書くの? 間抜けじゃない? それより、最初の注で岩波文庫版の書誌情報を書いておいて、あとは作品名と第何段落とかそういう形式で引用した方がいいよね。古典はジャンル別にそういうの決まってるから)
新聞記事(1本や2本ならいいけど、数十本、数百本となったとき、記事のタイトルと発行年月日まで文献リストに載せるのめんどくさくないです? 文献リストには○○新聞を使ったとだけ書いておいて、注で○○新聞の何月何日何面に書かれてる何というタイトルの記事です、って書いた方がラクじゃない?)
なんかけっこうな数の人に勘違いされてるようで驚く。そんなおかしなことじゃないでしょ。ということで補足。
言っとくけど、これは剽窃や無断転載をしていいって意味じゃないですよ。参考文献の情報を表示する方法が違うってだけの話。
標準的な理系とか社会科学系の論文では、注ってこうやって示しますよね(以下、例はあくまで架空のものです)。
Trump (2018: 70)は次のように主張している。一方、Obama (2018: 47)はこれに反対していて……
この場合、文献リストがないと駄目です。だってこれだけじゃ、どの論文・書籍のことなのかわからないもん。だから、論文の末尾に文献リストをつけて、
って書く必要があるわけです。これがないとアウト。
トランプは次のように主張している(※1)。一方、オバマはこれに反対していて……(※2)
※1 Donald Trump, Make America Great Again (New York: Trump Tower, 2018), 70.
※2 Barack Obama, Yes, We Can (Chicago: UC Press, 2018), 47.
って表示することが許されてるわけですよ。これ、末尾に文献リストつける必要あります? そりゃつけた方が親切だと思うけど、なくても別にいいでしょ。だって参考文献の書誌情報はじゅうぶん伝わってるんだから。
なんで下のようなやり方がされるかっていうとですね、私も確かに上の方が便利だと思うんですが、文系の論文だと、
みたいな資料を引用することが結構あってですね、そういうタイプの資料を扱う研究者にとっては下の形式の方が楽なんですわ……。もちろんそれらの資料でも、工夫すればちゃんと上の形式で引用できますし、実際そうやってるひともいるけど、下のやり方は伝統的なので根強く残ってるのです。
あとまあ、学会によっては「下のやり方で書いて文献リストをつけるな」って投稿規定に書いてあったりするしね(もちろん上を指定してる学会もあります。ケースバイケース)。
http://anond.hatelabo.jp/20170525145352
おっ、せやな。シカゴ・マニュアルそのものじゃないけど、手元の解説書を読んでみたら、次のように書いてあるわ(分量的に引用として許される範囲を超えているけど、そこは勘弁してほしい)。
本書は、2つの最も一般的な引用方式を扱っている。「注記式参考文献目録方式notes-bibliography style」、または簡単に「参考文献目録方式bibliography style」(人文科学全般や一部の社会科学で用いられる)と、「カッコ入り出典―参照リスト方式parenthetical citations-reference list style」、または「参照リスト方式reference list style」(大部分の社会科学、および自然科学と物理学で使われる)と呼ばれるものだ。(後略)(※1)
参考文献目録方式の引用では、資料を使ったことを、典拠に言及するセンテンスの最後に、上つき数字を付けることによって示す。
He argues that "in an uncertain world, printed materials can be put to use in ways that make them powerful." 1
それから、対応する数字をつけた注で、引用の出典を挙げ、それに関する情報(著者、表題、および出版情報)とともに、該当するページ番号を明示する。注はそのページの一番下(脚注と呼ばれる)か、レポートの最後に集められたリスト(後注と呼ばれる)の中に印刷される。すべての注は共通の形式をとる。
N: 1. Adrian Johns, The Nature of the Book: Print and Knowledge in the Making (Chicago: University of Chicago Press, 1998), 623.(※2)
※1 ケイト・L・トゥラビアン(沼口隆・沼口好雌訳)『シカゴ・スタイル――研究論文執筆マニュアル』慶應義塾大学出版会、2012年、194頁。
※2 同、195頁。
元増田でも例を挙げたけど、この方式を採用している英文学術誌なんてたくさんあります。私が見たことある限り(ちゃんと読んだというわけじゃなくて、単純に論文をダウンロードして形式を確認した限りということ)では、中国語・韓国語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・イタリア語・ロシア語の学術論文でこの形式は許容されてる。
海外の著者だと、たとえばウンベルト・エーコが『論文作法』って本の中でこの方式を詳しく説明してるので、ご覧になってみては。
人文系からすると、この方式を知らない方がガラパゴスですよ。だって、文系は理系の人はこの方式使わないで別の方式使うよね、って知ってるもん。なんで理系は、文系では別の方式も使うよねって知らないんです?
もちろん、この方式でも、たとえば1冊の本にまとめる場合なんかは末尾に文献リストをつけるのがふつうだと思います。だってそうじゃないと、その分野に関する文献にどんなのがあるか知りたいときにめんどくさいもの。一度、文献リストをつけられてない英語の本を読んだことあるけど、注を逐一確認して文献を探すのめんどくさかったですよ。ただ、論文程度の分量なら、注を逐一確認するのもそこまで苦ではないし、だいたい単にめんどくさいってだけでじゅうぶんに出典表示の義務は果たしてるし、紙幅の問題もあるしで、つけないことが多いんじゃないかなぁ。学位論文とかで、文献リストを絶対につけること! っていう決まりがある場合はつけないといけないけど、それは単に投稿規定守れっていうのと同じ話なので……
最近の悪いくせで、
すぐ名前で検索してフェイスブックとかその人のこと見ちゃうやつ。
まあ、それはともかく、
今の昨今、
だれかしら、だれのがれかしら
インターネットにはクロスケーブルで直接頭と接続してるわけじゃない。
ある日気付くの、
何かの弾みで、
頭の電力供給も兼ね備えているLANケーブルが外れて我に返るの。
私が今まで生きて生活していた世界は仮想現実だったのかー!って
マトリックスばりか、
話をもとに戻すと、
ネットで
何か訳ありなのか・し・らって、
私の本名は実は
私をさらって行くという
ってウソだけど。
まあ、
一つもいいこと無いんだけどねぇ。
いままで、
それで得した覚えないわ。
でも、
本当にヤバかったら
本当に調べるのなら、
駅の伝言板でYMCAって書いて素晴らしいヤングメンからの連絡待つくらいだわね。
謎が謎を呼ぶわ。
彼の犯罪歴を調べるのは、ね……。
パタム……。(手帳を閉じる音)
そろそろ、
崖の上で柳沢慎吾が
うふふ。
牛乳かけて食べるんだけど、
その牛乳がほどよく甘くて美味しくって神がかってるわ。
神ってるー!
グリーンだよ!
てなもんね。
すいすいすいようび~
今日もご機嫌さん!
元気にいきましょう!
http://anond.hatelabo.jp/20170512175648
私にこたえられる質問の類ではないので、あくまで私の私感にすぎないことはご承知おきを。
こういった法改正の欲求がどういったところにあるのか、というのは、いろいろな修正を受ける前の、粗削りな段階が一番わかりやすいと思うので、それを調べます。国会で初めて議論されたのは、1982年IBM産業スパイ事件で、IBMの新商品情報を手に入れようとした日本企業の社員(日立と富士通)を、それと承知の上で、要は盗品と知った上での輸送の共謀をしたということで、国際捜査共助に基づいて、アメリカから日本在住の社員12人の身柄引き渡しを求められた事件。これで日本には共謀段階での処罰規定はないから、引き渡しには応じられないのではないか、という野党側に対し、日本の12人が、それぞれ個別に日本とアメリカでともに犯罪とされることをやっていないかを調べてからでないと、引き渡し出来るともできないとも言えない、みたいな議論はされています。結局身柄の引き渡しは行われませんでしたが、このIBM産業スパイ事件以降、激化して来る日米貿易摩擦の中で、この件を嚆矢とした共謀罪の制定要求がアメリカからあったとしてもおかしくないと思いますが、この際は具体的な動きはありません。
その次に国会で共謀罪が議論されるのは2002年に、新聞記事で、TOC条約の議論に向けて日本でも共謀罪を制定する、という新聞報道があったことを質した坂上議員の質疑ですが、この際は、法務省が報道を完全否定する形で質疑はほとんどされていません。しかし実はこの前に、長尾立子法務大臣(橋本内閣)が法制審に諮問しているのです。きっかけはおそらくですが、オウム真理教事件です。
この法制審に提出された組織的犯罪刑事法整備参考試案及び事務当局説明要旨には、
一 諮問の背景
近年、暴力団等による薬物、銃器等の取引やこれらの組織の不正な権益の獲得・維持を目的とした各種の犯罪のほか、いわゆるオウム真理教事件のような 大規模な組織的な凶悪事犯、会社などの法人組織を利用した悪徳商法等の大型経済犯罪など、組織的な犯罪が平穏な市民生活を脅かすとともに、健全な社会経済の維持、発展に悪影響を及ぽしかねない状況にある。
と書かれており、オウム真理教の一連のテロ事件に対応するための議論であったことがわかります。これは、当時の報道を記憶されている人だったならばわかると思いますが、坂本堤弁護士一家殺害事件や、公証役場事務長逮捕監禁致死事件で、オウムの犯罪に関する情報を複数得ていながら地下鉄サリン事件を防げなかったという強い批判があったので、その批判をかわす目的で、組織的犯罪に関する刑事法の整備が不十分であることを論拠にしようとしているのだと、私としては考えます。
この文書には、組織的犯罪への加重量刑、犯罪収益の取り締まりなどとともに、章立てて「令状による通信の傍受」という項があります。ここに、数人による共謀の存在が疎明されたときに、令状を取得し、盗聴を可能とすることについての意見を求めています。この段階で対象となっているのは、殺人や誘拐などのいわゆる重大犯罪と、麻薬取引等のいわゆるやくざ案件です。その中では以下のように諮問されています。
1 令状による傍受の要件等
(1) 検察官又は司法警察員は、次の各号のいずれかに該当する場合において、犯人により犯罪を実行し又は実行することに関連する通信(電話又はファクシミリによる通信、コンピュータ通信その他の電気通信であって、その全部又は一部が有線によって行われるものをいう。以下同じ。)が行われると疑うに足りる状況があり、かつ、犯人を特定し又は犯行の状況若しくは内容を明らかにするため他に適当な方法がないと認められるときは、通信当事者のいずれの同意もない場合であっても、裁判官の発する令状により、犯罪を実行し又は実行することに関連すると思料される通信を傍受することができるものとすること。
ア 死刑、無期懲役若しくは無期禁錮の定めのある罪又は別表5に掲げる罪が犯されたと疑うに足りる充分な理由がある場合において、当該犯罪が数人の共謀によるものであると疑うに足りる状況があるとき
イ アに記載する犯罪が行われ、かつ、更に継続して行われると疑うに足りる充分な理由がある場合において、数人の共謀によるものであると疑うに足りる状況があるとき
ウ ある犯罪がアに記載する犯罪の実行のために必要な行為として行われ、当該アに記載する犯罪が行われると疑うに足りる充分な理由がある場合において、当該アに記載する犯罪が数人の共謀によるものであると疑うに足りる状況があるとき
このウがいわゆる共謀罪に当たるものですが、共謀罪として最初から出てきたわけではなく、共謀段階での捜査ということになっています。動機はやはりこのあたりなのではないかと私は考えています。現状民進党などが指摘している、内心だけの初犯の犯罪の共謀をどうやって探知するんだ、という指摘が実はクリティカルで、政府の答弁では、監視が目的でない、としていっているのですが、出てきた背景を考えると、令状実務を考えて警察が調べたいと思った電話やメールやSNSなどの情報開示を手軽に行いたい、ということが、ことの端緒を考えるとどう考えても本丸だと思うのです。この流れは結局犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(平成11年)にも同時につながっていますし、昨年対象犯罪が拡大したところです。この法律ができた時の騒ぎに比べて、対象犯罪の拡大は実にあっさりと通過しましたが、このテロ等準備罪が通信傍受の対象犯罪となれば、当初の目的が達成されることになるのだと思います。
この法制審の議論をしているような段階で、TOC条約が出てきたので、これ幸いとばかりに対象を4年以上としましょうといって600、700と広げていったのが小泉政権時代の案でした。その後、平岡秀夫議員や保坂展人議員などの質疑に応じる形で対象犯罪の数はかなりテロや組織的犯罪にしぼられて百数十としましょうとなったのが00年代中盤の議論、そして安倍政権では小泉政権時代の案に先祖返りしてから出発して、対象犯罪を277とした、ということです。TOC条約などは私がなんども書いている通り、異議が出ようが出まいが、条約2条等を留保することで締結自体は可能です。その後留保の取り下げについて議論してもいいわけです。それをやらないというのはこれを錦の御旗として、できるだけ範囲を広げていきたいという欲求があるからだと思います。私も、これを転び公妨のように、反対運動等や労働運動を取り締まることを主目的とはしていないだろうとは思います。あくまで、「それにも使えるな」という程度の認識だと思います。
警察は捜査上の人権侵害についてきわめていい加減に考えていることは明らかなので、結構単純に、「あやしいっておもったやつをもっと簡単に調べられるようにしてほしい」という動機がほぼすべてなんだと思いますよ。そしておそらく現在の安倍さんたちのような保守派の政治家たち自身は、「自分たちは濫用するつもりはない」と結構本気で思っているとも思います。でも法律の立てつけとしてどうとでもできるよね、という話で、このあたりの未来への想像力、人権侵害の重要性というものは、彼らにいつもいつも軽視しているので、「ごちゃごちゃうるせーな」という態度なんだと思っています。
これは全部あくまで私の私感の話です。