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はてなキーワード: 勝ち組・負け組とは

2024-06-23

就職氷河期世代

Wikipediaでは「1993年から2005年学校卒業就職活動していた年代」と定義されている。

以下は、ちょうどそのど真ん中で新卒カードをきった者の独り言

■ 女、四大文系、成績普通、親元を離れて暮らしながらの就職活動。自宅通いの友人たちが春先には内々定を決めた中、夏の終わりまで苦戦した。50社ほど履歴書を提出したうち、面接まで漕ぎ着けたのは6社だった。

■ 両親、特に専業主婦の母は、自分の知らない会社を娘が就職先としたことに不満を漏らした。人事担当者は、不況のお蔭で優秀な女子採用できて助かると笑っていた。

正社員採用だったが、会社から消耗品扱いされ同期もたくさん退職した。退職した同僚の中には、なかなか転職先が決まらマルチ商法に手を出した者もいた。

■ 次の年度、さらに次の年度と時間がたつにつれ正社員採用の数が減り、代わりに契約社員率が上がっていった。正社員のような福利厚生提供しないくせに正社員同様のプロフェッショナリズム要求する上司が滑稽に見えた。

■ その後、派遣社員率も上がったので、2008年派遣切りも決して無関係ではなかった。非正規雇用クールな働き方と喧伝していた者たちは、自己責任論者と化して何もしなかった。

家賃固定費としてのしかかり昇給率も低かったので、入社から何年たっても己ひとりを食わせるので精一杯だった。経済格差勝ち組・負け組と名付けて面白おかし流行らせた者たちのおかげで、必要以上に卑屈になった。

■ 何とか転職して待遇改善されたが、年若い同僚がその待遇をはじめから屈託なく享受していることに複雑な思いを抱いた。

金銭面で何となく親になる条件をクリアできた気がした頃には、肉体面で親になれる時期を逸していた。

元々焼け石に水だった厚生労働省支援プログラムは、COVID-19と少子化対策で完全に忘れ去られた。ここ数年、メディア就職氷河期世代問題が取り上げられる頻度は極めて低い。我々の生殖適齢期が過ぎ、いよいよ加速する棄民か。

2023-12-09

少子化の原因は未婚化。未婚化が起こった背景をまとめてみた

anond:20231208015615

バブル景気団塊Jr世代高学歴化(1990s~2000s前半)

バブル景気経験し、団塊世代比較的順調な経済成長の中にいた。その結果その子世代である団塊Jr.の世代団塊世代比較してもかなり高い率で大学に進学した。就職して3年が目安だった結婚適齢期は大幅に後ろにずれ込み、この世代は30歳で結婚しないことが珍しくなくなった。また高等教育を受け、海外文化に触れたりすることにより、伝統的価値観に縛られない自由リベラル)を大切にする価値観が主に高学歴の層に芽生えていた。

価値観の変化(1990年代)

1990sはCDの全盛期でカラオケブームであった。この頃すでに女性社会進出は始まっており男女共働きが増えてきていたが、ここにきて平松愛理が「部屋とワイシャツと私」でコテコテ昭和価値観の曲を歌い流行。その結果、団塊ジュニア女性専業主婦志向が強まる。ちょうどこの頃、大黒摩季も「あなただけ見つめてる」で男に尽くす昭和的な女性像を、「ら・ら・ら」で結婚を前に一生を見つめて戸惑いつつ妥協交じりの結婚を考える女性を歌っており、当時においても昭和的な価値観の歌はヒットしていた。一方で、中島みゆきは「ファイト!」で辛い境遇の中でもがく女性叱咤しつつ応援しており、この頃に適齢期の男女の中でも、女性依存しながら男性を立てるといった昭和的な価値観から女性も自立して活躍する価値観シフトしつつあった。しかしながら地方では依然として男が働き女が家を守るという考えが根強いところもあった。

就職氷河期(1995~2005くらい)

小泉内閣のせいにされることが多いがこの頃から非正規は増えていた。バブル期入社した世代右肩上がり給与を上げ、そのとばっちりを受ける形で新卒採用が減り労働力市場供給過多となった。非正規が増えた影響が顕在化するのがITバブル崩壊リーマンショックだがその爆弾はすでにこの頃に日本に埋まっていた。

インターネットと娯楽の充実(1995~ごろ)

Windows95が発表され大学が主戦場だったインターネットは一気に広まった。パソコンは当たり前となりADSLケーブルテレビでの高速通信が普及した結果、インターネットブームさらに加速され動画コンテンツが増えるようになった。この頃、東風荘Yahooゲームに興じるインドア派が増える。娯楽の充実は恋人と過ごすことに競合する余暇の過ごし方として今後も存在感を増していく。

DVDCDではエロ動画が視聴できていたが、ブロードバンド+dmmエロコンテンツへのハードルが下がる。男は金、女は体という暗黙の結婚武器のうち、女性側の武器が弱体化され恋人役割右手が肩代わりすることになる。不景気も相まって女優レベルが高く男の性欲を満たすには十分すぎるほどであった。さらXVIDEOSやPornhubなどの無修正、高画質のVRとおかずの進化はとどまることを知らない。

さらニコニコ動画ブームにより、市民権のなかったオタク市民権付与される。ブロードバンド田舎にも浸透していたため、インターネット上の娯楽の充実は都会、田舎関係なく訪れた。その結果、恋人がいなくても夜の退屈さがなくなり、社会全体としてデートニーズ相対的に弱まった。

婚活ブーム化粧品が買えない女(ネットミーム 2007年

永久就職とかつて呼ばれた結婚について、配偶者を探す活動就活になぞらえて婚活と呼んで始まったが、相手があっての結婚ではなく目的化した結婚になった結果、その前段階である出会いステータスが入り込み、逆に恋愛ハードルを上げてしまった。テレビ朝日ワイド!スクランブルに出演した玉の輿にのるために38万円の高額婚活会社を利用するR子さんの「年収400万円では化粧品も買えない」は当時派手にバズり、完全なATM扱いに適齢期男性ドン引き。この人が悪いわけではないが2005年女性専用車両のネットミームも背景にこの頃から男女に分断が生まれ始めた。

SNS流行勝ち組・負け組キャラ弁ブーム(2008年頃~)

 団塊ジュニアが続々結婚し始めた頃、Facebook流行学歴や経歴をオープンにする機会が増え、ステータス可視化された。その結果夫の収入マウントを取る女性が続出し女性側のカーストもつながった。配偶者ステータスマウントをとること自体昭和時代からあった女性ありがちな行動だが、SNSによってそれが町内という小さなコミュニティから同級生会社単位に拡大され、妥協して結婚するよりも高めを狙う傾向が顕著に。さらに、この頃すでに子供がいる世帯ではキャラ弁写真をアップする主婦が現れる。賛否両論あり否が優勢のまま終息したが、時間のかけられる専業主婦共働き主婦普通弁当マウントを取る形で「共働き負け組」を印象付けた。この世代家庭科の必修が小学校のみなので女性が働いていても女性家事押し付けられることが多かった。ちょうどこの頃、負け組としてコンプレックスを抱いていた男により、秋葉原で大量の通り魔事件が発生する。

リーマンショック(2008)

サブプライム住宅ローンに端を発した金融危機リーマン・ブラザーズHD破綻を招きそこから連鎖的に世界金融危機が発生した。これにより多くの非正規雇止めが発生し、特に女性において非正規社員と結婚しようというインセンティブが大幅に下がった。

時短家電の普及(2000年代後半~2010年代前半)

食洗機ロボット掃除機ドラム洗濯乾燥機といった時短家電(いわゆる新三種の神器)が普及した。これにより、独身でも仕事をしながら掃除洗濯食事に概ね困らなくなり、家事の分担需要相対的に低下した。

まとめ

団塊Jr.世代(1970~1980生)は高学歴化によって結婚の年齢が4年~6年程度その親の世代よりも遅くなり、30歳で結婚していないのは珍しくなくなっていた。ちょうどその世代の適齢期となる00年代は娯楽が充実、進化をして男女ペアにならなくても楽しめるエンターテインメントが爆増したこと価値観アップデートができないまま専業主婦として高収入を望む女性と、その視界に入らない男性、娯楽の充実で配偶者必要としなくなった男女といった形のニーズミスマッチが発生。金さえ配ればなんとかなる的な政治家の思いとは裏腹に決定的な解決策が見つからないままタイムアップを迎えた。

2021-09-16

anond:20210915131056

綺麗事だと馬鹿にされるのを承知で言うけど、

みんな「勝ち組・負け組が生まれるのをなくそう!(経済格差を狭めよう)」じゃなく「負け組にならないよう頑張ろう!」でやってたか

経済格差ガンガンついて、増田の言う親ガチャだのなんだの言う「貧しさ」がはびこったんじゃないの

2020-09-11

anond:20200911025401

勝ち組・負け組なんて意識するの若い時だけやで

子供とか考えると話変わるかもしれんけどな

2020-03-04

KKOが救われることはない

KKO問題点能力の低さとか見てくれの醜さではなく団結できないところにある。

これはKKOなら誰でも理解してると思うけど、KKOは他のKKOが大嫌いだし、勝ち組になれなかった自分自身のことも嫌い。

から黒人団体とか女性団体みたいに連帯できないし、素の自分に誇りを持つことができない。

そもそもKKO人生に不満を抱える理由は単に愛情が不足してるとか、友人・恋人がいないとかそんな話ではなく、

本来であれば(上の世代の男たちのように)年功序列の高給と肩書を得て、女や部下の前でデカい面ができたはずなのに、

バブル崩壊時代の流れでそれが当たり前には手に入らなくなった、という現状に対する不満がメインだから

建前でも平等博愛をうたう宗教やいわゆるコミューンへの参画では決して満たされない。

まりKKO自分けが労せず勝ち組になって相対的幸福を当然の権利として享受したいのであって、格差是正とか平等とか、そんなもの本音ではみじんも望んでいない。

しかしこんな願望は社会制度では実現できないし、能力が低いかKKO自身の独力ではもちろん不可能だし、そんなわけで彼らが一生救われることはない。

同じ底辺層でも二十代以下の世代は良くも悪くもバブル価値観勝ち組・負け組的な発想)に染まっていないので自分なりの幸福を見つけ出せる可能性があるが、

中途半端マッチョズムを内面化したKKO世代はもうどうにもならない。

2018-08-07

日本の女が幼稚である限り女性差別永遠に無くならない

ざっくり幼稚ポイントを2点

①#私たち女性差別に怒っていい←こういうハッシュタグ使ってるところが幼稚

②女が勝ち組負け組に分かれて対立してるところが幼稚

①について、正しくはこうだろ→#私たち差別に怒っていい

自身女性差別以外の差別には関心が薄い=差別容認しているのだから無くなるわけがない

②について、女が産休・育休取ると他の女が怒るとかいう女の幼稚さで頭痛が痛いツイートが多く流れてくる

勝ち組負け組対立ゼロ年代話題になったが、勝ち組女が優越感を得るためだけに負け組女を馬鹿しまくったので

負け組からすると勝ち組=育休取るような奴は性格の悪い奴という認識になっている

女同士で対立してるんだから女性が働きやす環境など作れるわけがない

2018-02-26

キモくて金のないオッサンキモいは「同情されない+無能」って意味

じゃあなんで無能で金のないオッサンって書かないの?

この「無能」の概念がよく使われる「個人的能力」以上の範囲に及ぶから

例えば障碍者無能レベル能力であっても、助ける必要があり保護する必要があるから守られるでしょ?

あと無能だけど愛されるキャラっているじゃん。それコミュ力高いともいえるけど。

 

でもキモくて金のないオッサンに向けられるのは「自己責任」なの。

誰も「同情してくれない」の。

同情されないか自力で何とかするしかないけど、無能な上に金もないし、若くもないの。

から絶対に助からないの。

健常者だから何とかできるでしょって判断されるけど、

ギリ健常者の能力から一向に生活は良くならないし年収も上がらないの。

でも働き蟻として一生を過ごすしかない。

世代マッチョからすら自己責任って言われる始末。

勝ち組・負け組って言葉が産まれたところの世代に一番多い。

 

同情されない無能で金のないオッサン

それが「キモくて金のないオッサン」なの。

同情されたら頼んでもないのに助けてくれるの。

でもキモいオッサンに誰も手を差し伸べようとしない。

そこがただ無能なのと一線を引くの。

「同情されることはステータスであるという認識が我々に圧倒的に欠けている。

から(同情されない状態を表す言葉がない)ので(キモい)って形容になってるの。

キモい存在に誰も同情したりしないからな。

そして無能であるから経済的能力評価を与える必要もなくキモいまま。

 

同情されたり保護されたり能力があった時点でキモい条件から逸脱して救いの道は見える。

だけどこれらの条件に当てはまった上で、金もなければ、若くもない。

もう絶望しかないっしょ。

金あれば金で慰められる、若ければワンチャンある。

KKOにはそれすらない。

ロスジェネ世代とか圧倒的にKKOだらけだけど、理解できない人は30代以下か50代以上だろうね。

こいつらがテロリストにならないでいられるのは本当に日本洗脳教育のおかげ。

2017-08-23

はいつ「勝ち組・負け組」という言葉を知ったの?

勝ち組負け組 由来」でググると、ブラジル日本人第2次大戦での日本敗戦を信じるかどうかで、日本は勝ったと主張する組と負けたと主張する組で分かれたのが由来だと表示される。

ただ、自分個人記憶としては、20年前に読んだ麻雀漫画セリフ最初だ。

結果オーライ勘違いしてっと負け組になるぞー」

この「負け組」という言葉絶妙だなと思った。

「勝者・敗者」という言葉は前から知っていた。「者」は単数形だけでなく複数形でも使えると思う。

しかし、この「組」という言葉は、複数形意味はもちろん、ある基準でのまとまり、それも一時的ではなく固定化したまとまり意味もあると思う。

その意味で、「勝率が悪い人たち」を表す「負け組」という言葉絶妙だ。

から自分としては「勝ち組・負け組」はギャンブル用語として認識していた。

だが、やがて一般でも広く用いられるようになった。自分はそれがずっと嫌いだ。

ギャンブルならば、評価基準単一から勝率を気にすることは重要だと思う。

でも、人生恋愛統一された評価基準なんてあるんだろうか。

もっとも、自分がこのように毛嫌いするのも、もともとはギャンブル用語だったはずだと考えているからだ。

自分負け組に分類されると、「戦略理論に誤りがあるのに、それに気づかず直さず、漫然と負け続ける愚か者」として痛烈に批判されていると感じてしまう。

「勝者」という表現ならば、その以外の人々は「敗者」もいれば「競争継続中の人、再挑戦をしている人、また、そもそも競争に参加していない人、関心がない人」もいると想像できる。

しかし、「勝ち組・負け組」では必ず二分される。不本意な評価基準での比較強制的に参加させられる。そのように感じてしまう。

ただ、はじめから一般用語として認識している人なら、もっとゆるいイメージなのかもしれない。

勝ち組」も「勝者」も大差ないのかもしれない。

そういうわけで、みんなが「勝ち組・負け組」という言葉をいつ知ったのか、どういう認識なのかを教えてほしい。

2015-08-17

人生勝ち組・負け組と分けるのは弊害しか無い

競争において勝者と敗者が生まれるのは必然であることも、現代社会の中に競争の形を取るもの散見される事を否定するつもりはない。

だが、人生のものを勝者・敗者で区切るべきではない。

何故なら人生競争ではないからだ。

誰かを貶めてのし上がるものがいて、反対に奪われ続けた事で人生台無しにするものがいる事も否定する気などない。

だがその前者が勝者だとはとても思えないし、後者が敗者だとも考えられない。

また同様に、生まれつき恵まれ生涯に渡りまれ続けたものとその反対に居るものを勝者・敗者と分けるのも相応しとは思えない。

では何故、世の人は己や他者人生を勝ち負けで区切ろうとしてしまうのか。

それはひとえに誤謬である

競争に勝ち続けた者は自然人生の良い側に進みやすく、反対に負け続けた者は悪い側に進みやすい。

から人生のものも勝ちと負けなのだ

知能の程度を下げれば一見正しそうに見えるが、知能の程度を標準レベルに戻せばすぐに誤りであると分かる。

だが人はこんな簡単な事になぜか騙されてしまう。

何故なら、多くの者が同じ間違えをし続けているからだ。

人間は暗示に対して脆い。

同じ言葉をかけられ続ければやがてそれが真実だと思い込む。

故に多くの者が間違え続けている空間にいると真実を見失う。

レミングス集団であるからこそ崖に飛び降り帝国海軍一億総火の玉であるが故に神風と化す。

一匹のレミングスは崖の危険性を知り、1人の日本人は勝機の無さを理解しているが集団となった時それは失われる。

人生を勝ち負けに分けることは論理的に正しくない。

だが、もしも正しくなくてもそれが人を幸福にするのならば辞める必要はない。

祈って心が救われるならば信仰の真贋など二の次である

だがこの信仰は人を救わない。

邪教である

簡単なことだ。

勝者と敗者に別れる時、それは戦である

そして戦において、そこには敵と味方が生まれる。

そして勝者と敗者の概念が個々人の判断に委ねられる時、回りにいる大部分が敵となるのだ。

あいつは俺よりも金があるから敵、あいつは俺よりもブサイクから敵。

下手をすれば回りの全てが敵に変わる。

そしてその敵の群れに勝つためにその場その場の勝利ばかりを目指す。

何故なら敗者には権利など無いからだ。

他者を敗者と思い人に辛く与えればそれは真の敵になる。

己を敗者と思い人にへつらえば誰もが真の敵になる。

そうして回りの全てが本当の敵になるのだ。

最後に得をするのは優しい言葉をかけて金をむしり取る詐欺師だけ。

勝ち負けの二元論とは即ち、異分子が己の入り込む隙を穿つために人々を引き裂くことを目的とした嘘に他ならぬのである

2014-04-22

人生消化試合なのか?

勝ち組・負け組論なんだろうけど多くの人生消化試合なんだろうなと思い始めている。

普通」のレールから体調不良ドロップアウトして接する人たちが変わって感じたんだけど、一部の勝ち組以外の人って成功イメージすら持ててない。負け分を少しでも減らすために生きてるように見える。きっと成功経験がなくてイメージできないんだろう。

どの社会的階層でもなし得る成功体験恋愛であり、恋愛至上主義(男は美人とのセックス至上主義か)ともいえる文化的教育が行われている。「勉強ないし運動ができない冴えない子がふとしたきっかけでイケメンと付き合える」漫画がどれほどあることか。玉の輿は確かに階層を移るのに最高の戦法だ。しか勉強ができるようになり社会的ステータスを上げたというサクセスストーリーはあまりない。恋愛サクセスストーリーは多いしスポーツもある。なのに勉強ストーリー小中学生に親しまれないのはなぜだろうか。

さて、社会的ステータスという意味での成功に戻るが一部の例外として本とかTVとかで見る「這い上がってうんたら〜」というのがあるけど、それはクリエイティビティじゃなくて自分成功してる姿を想像する力なんじゃないか。それかい環境に無理矢理身を置いてそこで生きていけた結果ではないだろうか。

格差社会とは言うが階層を上げるのは本当に難しいんだな。と感じる。

2011-05-19

ゼロ年代に「オタク正史」を書けた批評家本田透

このエヴァ騒動によって一時、オタクは「萌え」と「サブカル」に大分した。「萌え」系オタクは、エヴァでいえば綾波レイ惣流・アスカ・ラングレーなどの萌えキャラハァハァしていた純粋オタク系統であり、「サブカル」系は、オタクよりも恋愛資本主義の側に擦り寄ってオサレ系を目指した連中だ。

だが、あれから数年、どうなっただろうか?

 そう、サブカル市場として成立せず、萌え市場けが拡大したのだ。サブカルは短期間で事実上滅び、講談社ノベル雑誌ファウスト』のような「半萌え・半サブカル形態によってかろうじて命脈を保っているばかりとなった。

これは当然の帰結といえる。

オタク文化そのものが「二次元>>>>>>>>>>三次元」という前提によって威力を持てる妄想文化である以上、サブカルが「三次元>>>>>>>>>>二次元」とやらかしたら、オタクの大勢がサブカルから離脱するのは時間の問題だった。

本田透電波男』2005,(引用文庫版(p.566)))


この「サブカル」ってのを「一部の批評系」にしたらしっくり来る。

萌えオタ罵倒してフニャフニャ主義だとか言ってた本人が、いざ容姿を出すと初音ミク痛車よりも映像映えしないリア充ならぬリアル三十(さんじゅう)だったり、映像だと(字幕の向こうの群衆におびえて)大人しくなりキャラ崩壊してたりとゼロ年代批評はいろいろありました

電波男』は要するに「萌えには階級格差を無化する力があるんだ!」という本です現在は『はがない』『IS』『けいおん!』など、良かれ悪しかれそうした表現が主流になりつつある。いかにも小泉構造改革以後の空気感みたいなのと関連付けやすい『カイジ』や『ウシジマ君』は有名になったけれど、なぜ彼らはアイドル(=偶像)になれなかったのだろう。

代わりにネットオタク偶像となったのは『初音ミク』や『アイドルマスター』や『ラブプラス』それに『けいおん!』だった。

そして社会に出て自らの文化アイデンティティを主張できたのは、『スクールカースト』ではな痛車聖地ローソンだった。そこにある想いは「余暇時間まで勝ち組・負け組意識させられ自己啓発されるのはキツい」というあたりまえのものだろう。

それすら許せん、となにかと理由をつけて萌えオタ罵倒してた件の人物は映像に出たらしょぼしょぼで(以下略

映像まとめサイトが「差異化ゲーム厨」への抑止力になるならば、少なくとも差異化ゲーム厨が野放しな環境よりは良いと思う。まあともかく萌えからフニャフニャ主義への流れなんてなくて、フニャフニャ主義こそむしろサブジャンルに過ぎないっつうか、萌えだけで刺激が足りない時に触れる程度。

ようするにゼロ年代は「差異化ゲームの思想」ではなく「無関連化する思想」が勝利した2005年の段階でこのことを説明し得た『電波男』は、フニャフニャ主義本よりもよっぽどゼロ年代の「正史」を正しく語っている。

2010-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20100803024718

ふと思ったけど最近勝ち組ボーダーが低すぎる。

このままだとネット使ってる時点で勝ち組とか普通に言ってそうだ。

上を見たらきりがないけど下を見てもきりがない。

勝ち組・負け組定義をすることや認定・識別することに全く意味はないけど、ここまでくると言葉遊びにもなってない。

2009-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20091009205311

「給付付き税額控除

欧米各国で実施されてるて・・・

勝ち組・負け組を煽っておいて、こういうのは報道しなかったマスコミも酷い・・・

給付付き税額控除

 所得税を減税(税額控除)した上で、低所得でもともと納税額が少なく、減税の恩恵の少ない人には給付金を支給する制度低所得者対策のほか、子育て支援消費税の逆進性対策などのため、欧米各国で実施されている。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20091009-OYT8T00304.htm

2009-09-22

小泉政権以後、このはてなダイアリーでも勝ち組・負け組格差論、努力論がわいわいと議論されてきた。

議論の出始めの頃は、抽象的な概念を戦わせてた覚えがあるけど、

2008年以降は非常に具体的な例となって世の中に顕れてきた。

負け組の代表的な例は、秋葉原通り魔事件の加藤くんで、自動車製造業での派遣を転々として

つなぎを隠されて、世の中に絶望して、白昼日曜の秋葉原でサバイバルナイフを使って通り魔殺人をするという

なんとも酷い事件だった。

ほかにも正月派遣村に大量の失業者があふれるなんて事態もあった。

勝ち組の例は、先日の衆院選世襲武器にして対抗馬の東大卒弁護士に勝った小泉進次郎

押尾学事件の延長上に浮かび上がってきた六本木ヒルズアイドルモデルと豪遊する森元首相の息子が

あげられる。

こういう現実の例を前にしてみると、「ちょっとこれはないんじゃない?」と感じる。

2009-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20090722065036

いい加減に「正社員」を雇用形態人生キャリアプラン最上位にあるという前提で語るのはよさないか。

そもそも「既婚、正社員」組と「独身非正規雇用」組が勝ち組・負け組みに分かれているように見えているのも本人の思い込みのような気が。

多分、独身者は良い意味でも悪い意味でも独善的で、そういう人間は家庭を持つことをうざがるし、さらに会社帰属意識を持つこともうざがることがあっても不思議じゃない。

「なんとなく家庭を持って結局独りよがりに生きて、かつての父の様に嫁や子供を不幸にするぐらいなら最初から結婚しない」という人間は居る。

2009-07-16

恋愛と結婚は別

てなことをこの間従姉妹が話していた。

20代後半にさしかかって来たので、そろそろ真面目な相手を探さなければとのこと。

今付き合っている相手は、外見が整っていて遊び相手としては十分だけど、性格面や

収入の面で不安があるらしい。

よくある話題だし、その時は気にも留めなかったのだけれど、はてな恋愛関係

ブクマ等を見たりすると何故かこの事が思い起こされ、その度に形容し難い気分の

悪さに襲われた。



恋愛結婚は別」とは、価値判断の基準を変えることだと思っていた。

外見偏重から、収入面偏重へ、性格面では刺激性重視から安定性重視へ

結婚を考えて評価されるものが置き換わることだと。



推測でしかないが、彼女が言っている「恋愛結婚は別」というのは価値判断の基準を

変えず、行動だけを変える事だと思う。

恋愛での勝ち組・負け組の区分けはそのままで。

自分恋愛勝ち組、しかしながら同じ恋愛勝ち組の中での結婚条件を満たした相手との

結婚には到らなかったから、恋愛負け組で妥協してやらないこともないよ、と。



婚活」とやらは、こういう事で上手くいかないのではないか。男女双方が「結婚市場

で評価されるなら、男性側の収入社会的地位に比して女性側にも相応の年齢や容姿

収入性格等が求められる。

生々しい話だけど実際そうだろ?



しかし今「婚活」しているのは20代後半から30代半ばくらいの女性若さを失いつつあり

収入男性に比べれば平均的に低い。どうやったって相手に求めるリソースに見合うモノが少ない。

だから「恋愛市場」でそこそこ評価されてきた自分が「結婚市場」でそれなりに評価できる

貴方アプローチする、という歪んだ構図にせざるを得ないのだ。

そりゃ男性側は引くよな。



従姉妹が「恋愛結婚は別」と語ったときの薄気味悪い微笑みを思い出して、そう思った。

2008-10-19

生きていればそれで幸せ教を作ってみた

歴史

生きていればそれで幸せ教は「はてな匿名ダイアリ」から発生した多神教である。

はてな匿名ダイアリでの下記の書き込みが直接の起源であるといわれている。

http://anond.hatelabo.jp/20081019202806

自分で「生きていればそれで幸せ教」を設立する勢いで行け。

この時期、多くの生きていればそれで幸せ教徒は、宗派に属したという意識をもたなかったとする学説が、現在の主流を占める。

21世紀初頭のアメリカから始まった金融危機以降、「生きていればそれで幸せ教」が「勝ち組・負け組み教」から独立して「生きていればそれで幸せ教」としての自覚を持つに至ったとされる。

好景気以下での「生きていればそれで幸せ教」は「勝ち組・負け組み教」「恋愛すぃーと教」と相容れず、また、過度な努力を拒んだため、社会の異分子としてしばしば注目された。

ニートだの、ワープアだの蔑まれ、信徒は何度かのいわゆる大迫害経験した。

しかし、時の総理大臣杉村太蔵により公認され、その後、日本の国教とされた。

教義

生きていればそれで幸せ教の教義をもっとも簡潔に述べているのが信条である。以下に重要信条をあげる。

社会にも他人にも自分にも期待しない。

恋愛イケメン・美女という動物が行うもので人間が行ってはいけない。

労働を行うことは、敗北である。

・我々は負け組みではなく、あらゆる欲望から解放された新人類である。

組織

信者には、平信者と聖職者に分かれる。聖職者は、魔法使いニートホームレス即身仏に分けられる。

魔法使いとは性欲から開放されたもので、30歳になるまで性行為を行わないことで昇格する。

ニートホームレスの区別は共に働かないことであるが、ホームレスは家からも自由になっているため、「生きていればそれで幸せ教」においては階級が高くなっている。

即身仏とは、瞑想状態のまま、断食をおこない、そのまま仏になったものである。食という概念から開放され仏となり、永遠生命を取得するこの職種が最高位とされている。

一部、異教徒の手先であるマスゴミからは都会の孤独死だの、無職男性が食事もとれずに餓死だのとネガティブ報道がなされているが、これは、自ら食を立ち永遠の命を手に入れるという荒行を冒涜するものである。

信者の特典

即物的なものから解放されない、未熟な信者のために以下の特典が用意されている。

一般信者の特典

公園の豪華ダンボールハウス製宿泊施設の利用権

公園水道水が飲み放題

・各自治体図書館の利用権

・各自治体ゴミを優先して撤去する権利

プレミアム信者(525円/1月寄付金)

ニコニコ動画にて時報OFFが行える。

ニコニコ動画にてアクセス混雑時でも信徒専用回線が用意される。

ニコニコ動画マイリスト、マイメモリーの登録数が増える。

2008-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20081018155213

勝ち組意識」 = 「相手を見下すこと」なら必要ない。

やたらに「勝ち組・負け組」が取り沙汰されているのは、

みんな自分を「勝ち組」に所属させて安心したいためだと思う。

大事なのは、人を見下せるような立場になることじゃなくて、

自分が安心できるような状態になることだ。

何かしら不安な要素があったら、

どれだけ学歴があって年収があって良い所で働いていても、

負け組」に属すると言わざるを得ないんじゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20081018155213

そもそも本当の勝ち組は、「勝ち組・負け組み」にこだわる事に執着しない。それが強者の絶対的余裕。

学歴差別もそう。低学歴者だって高学歴者のことを勝手に「いやみな奴」「高学歴をはなにかけている」と勝手に劣等意識をむき出しにして、それが高学歴者の全てかのように学歴差別をしている。

自分が勝ち組だと思いたい奴、思ってる奴はほぼ確実に負け組み側に居る奴。自分が負け組みだと思ってる奴、誰かを勝ち組だと思っている奴も負け組み側から脱せられない奴。

両者の精神構造はどっちも同じ。

2008-07-17

勝ち組・負け組」と「惚れたら負け」の「負け」って同じだなーと思った木曜のあんにゅいなあふたぬーん

2008-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20080328134621

肉体的魅力しかないと言われてるのに勝ち組というのは変な話。

勝ち組・負け組という二分法自体がバカげているがな。

仕事才能はあるが性的分野には劣る→キャリアウーマン

性的能力しかない→ソープに沈む

 
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